今日は午後からは蒸し蒸しと、蒸しが極みに達した感じ。
現在、私の部屋は30度で、扇風機で堪え忍んでいる。
今朝もワクチン接種の左腕と、頭痛を感じながら起きたが、午前中で頭痛は薄れてきた。
腕は、違和感はあるものの次第に無くなっていく痛みと思えば、さほど気にはならない。
昨夕は、小雨が上がった後で無理しない程度のウオーキングに出かけた。
曇った空に、明るさが丸く広がっていくのが見えた。
一大お天気ショーの始まり始まりといった感じである。
空の上と田圃の水の、光の造形が面白くて頭痛の方も段々薄れていった。
それほど暗くはないのだが、上空と田圃の光に反応して、他の暗さが際だってしまった。
空の色も、刻々と変化していく。
遠くの雲仙岳も夕闇に包まれ始めた。
雲仙普賢岳の頂上は、傘雲に覆われている。
天気は西から変わってくるので、当地では西空の有りようが素人予報の基本である。
ただ、今の季節は気象予報士泣かせのようだ。
やがて雲仙岳も夕闇に見えなくなる頃、空の残照と呼応して代掻きを終わったばかりの田圃が浮き上がってきた。
鏡のようなという形容がピッタリの情景に、日頃は行かない堤防上の反対コースを歩いてみる気になった。
少し歩くと、代掻き前の田圃に水が入れられ、畝の間を浸していく途中の情景に出会った。
稲刈り後の畝や、トラクターの車輪の跡までが光る水で表現されていて、すっかり見入ってしまった。
これから夏場に向かい、陽が落ちて涼しくなる頃から歩くことが多くなる。
それはそれで、面白い造形に遭遇する機会もあるが、写真に写すとなると難しくなってくる。
頭の中に、インプットしておくしかないだろう。
読書も観劇も映画もそして風景も、あらゆる作品は出会った時が最高に面白い時なのだ。
それに残したとて、この年寄りが振り返って見るとも思えない。
「一枚の天の鏡になるみず田」・・・・しろ猫