車の左のサイドミラーの不具合をディーラーに申告しておいたのだが、部品が入荷したとかで今日交換する手筈にしていた。
約束の時間にキッチリ入庫して、作業時間は1時間と少しくらいは掛かるという話で、近くの健軍神社を訪ねることにした。
時間つぶしに神社参詣とは神様に失礼な話ではあるが、世の中って意外とこうした時間の使い方は多そう。
(電車通りに建てられた鳥居)
鳥居の前を走る市電の停留所名は「八丁馬場」、その名の通り1キロ以上の馬場があって、加藤清正が健軍神社の参道として寄進している。
鳥居は電車通りが出来たためにその交差点入口に建てられたもので、本当の参道は100mほど入った辺りから始まっていたらしい。
それでも、1Km以上はゆうにあって、さすが清正と感心する。
(健軍神社の表参道)
とにかく直線で長い。
1Km以上にわたって直線で、現在では途中に信号機のある交差点が3箇所あってそれらを突っ切る。
(健軍神社楼門)
最後の信号機の交差点の直ぐ先が、神社の楼門。
立派な楼門が見えるようにと、その前の鳥居は意識的に極端に低く建てられていて、かなりユーモラス。
(拝殿)
正月や七五三その他諸々、神社に人がどっと押し寄せる時期を除けば至って静かな雰囲気。
実は、かなり以前に若い後輩の結婚の仲人をしたことがあって、本人が結婚式場の祭壇ではなく本物の神社で結婚式はしたいというので、この神社で挙式し披露宴会場へ移動するということをやった。
さほど驚きもしなかったのは、私も結婚式は地元の菊池神社で執り行った経験者だったから・・。
あの時の二人は、子供も授かり今はあちこち転勤を繰り返しながら時々年賀状で居場所を教えてくれる。
(境内)
境内には車が次々と交代で乗り入れられ、安全祈願などを受けていた。
小さな子供のお宮参りなども見られ、小さな家族単位とか一族郎党大挙してとか、何組かが順番待ちとか長閑な風景だった。
(参道脇の句碑と記念碑)
帰りに、参道脇の交差点の角に木立に仕切られた一角に石碑が建っていたので覗いてみた。
自然石を使った句碑には、「早春の雲は流るる形せり」ゆう二、とあり、昭和40年代に建てられている。
その左隣には「西南の役 熊本隊出陣の所」とある。
西郷隆盛が薩摩で挙兵し、熊本城を包囲し救援に駆けつける官軍を田原坂で迎え撃つという西南役に際して、その薩摩軍に呼応して熊本でも「熊本隊」が結成され1400名が立ち上がっている。
田原坂の戦闘に敗れた西郷軍は、この健軍神社周辺から託麻三山と呼ばれる比較的なだらかな高地を第二戦陣地として抵抗するも、抗しきれず段々と押されながら九州山地沿いを彷徨うこととなる。
熊本城や田原坂の攻防は2月から3月の春の時期に戦っており、句碑はその雲の形に運命を詠み込んだものかもしれない。
などと、勝手に想像しながら歩いていたら6500歩ほどになり、時間も丁度良かったのでディーラーまで戻ると、未だだと言ってテーブルでコーヒー一杯をゆっくり飲む時間待たされた。
今日は藤崎宮の秋季例大祭、「どうかい!どうかい!」の掛け声に誘われて毎年出かけていたが、今年は車の整備にかこつけて失礼した。
あの激しい祭にはそれ相応の構えがいる。
今年は温和しく健軍神社参拝でご勘弁願うことにする。
「中秋の雲は疲れた形せり」なのだ。
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約束の時間にキッチリ入庫して、作業時間は1時間と少しくらいは掛かるという話で、近くの健軍神社を訪ねることにした。
時間つぶしに神社参詣とは神様に失礼な話ではあるが、世の中って意外とこうした時間の使い方は多そう。
(電車通りに建てられた鳥居)
鳥居の前を走る市電の停留所名は「八丁馬場」、その名の通り1キロ以上の馬場があって、加藤清正が健軍神社の参道として寄進している。
鳥居は電車通りが出来たためにその交差点入口に建てられたもので、本当の参道は100mほど入った辺りから始まっていたらしい。
それでも、1Km以上はゆうにあって、さすが清正と感心する。
(健軍神社の表参道)
とにかく直線で長い。
1Km以上にわたって直線で、現在では途中に信号機のある交差点が3箇所あってそれらを突っ切る。
(健軍神社楼門)
最後の信号機の交差点の直ぐ先が、神社の楼門。
立派な楼門が見えるようにと、その前の鳥居は意識的に極端に低く建てられていて、かなりユーモラス。
(拝殿)
正月や七五三その他諸々、神社に人がどっと押し寄せる時期を除けば至って静かな雰囲気。
実は、かなり以前に若い後輩の結婚の仲人をしたことがあって、本人が結婚式場の祭壇ではなく本物の神社で結婚式はしたいというので、この神社で挙式し披露宴会場へ移動するということをやった。
さほど驚きもしなかったのは、私も結婚式は地元の菊池神社で執り行った経験者だったから・・。
あの時の二人は、子供も授かり今はあちこち転勤を繰り返しながら時々年賀状で居場所を教えてくれる。
(境内)
境内には車が次々と交代で乗り入れられ、安全祈願などを受けていた。
小さな子供のお宮参りなども見られ、小さな家族単位とか一族郎党大挙してとか、何組かが順番待ちとか長閑な風景だった。
(参道脇の句碑と記念碑)
帰りに、参道脇の交差点の角に木立に仕切られた一角に石碑が建っていたので覗いてみた。
自然石を使った句碑には、「早春の雲は流るる形せり」ゆう二、とあり、昭和40年代に建てられている。
その左隣には「西南の役 熊本隊出陣の所」とある。
西郷隆盛が薩摩で挙兵し、熊本城を包囲し救援に駆けつける官軍を田原坂で迎え撃つという西南役に際して、その薩摩軍に呼応して熊本でも「熊本隊」が結成され1400名が立ち上がっている。
田原坂の戦闘に敗れた西郷軍は、この健軍神社周辺から託麻三山と呼ばれる比較的なだらかな高地を第二戦陣地として抵抗するも、抗しきれず段々と押されながら九州山地沿いを彷徨うこととなる。
熊本城や田原坂の攻防は2月から3月の春の時期に戦っており、句碑はその雲の形に運命を詠み込んだものかもしれない。
などと、勝手に想像しながら歩いていたら6500歩ほどになり、時間も丁度良かったのでディーラーまで戻ると、未だだと言ってテーブルでコーヒー一杯をゆっくり飲む時間待たされた。
今日は藤崎宮の秋季例大祭、「どうかい!どうかい!」の掛け声に誘われて毎年出かけていたが、今年は車の整備にかこつけて失礼した。
あの激しい祭にはそれ相応の構えがいる。
今年は温和しく健軍神社参拝でご勘弁願うことにする。
「中秋の雲は疲れた形せり」なのだ。
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