ひとり紫苑・プチプラ快適な日々を工夫

書籍「年金五万円が教えてくれたお金の向き合い方」「あるもので工夫する楽しい節約生活」は9万部。工夫の毎日は続く。

着付けの変遷&黒留、私は昭和の母でいく

2018-08-25 08:11:41 | しきたり、ルールについて考えた

 

今年の二月、

「着物の堅苦しいルールはどのようにして

できたのか」の記事をアップ。

着物と高度成長と390の窮屈ルール」

 

その続きとして

「着付け」のルールの移り変わりを

アップすると書きましたが、

諸処の事情からそのままになっていました。

 

娘の結婚式にあたり、ファーマルのこと

いろいろ当たっているうちに、

その当時に書いたメモが残っていたので、

この際だからアップしておきます。

 

日本に始めて着付けの学校

「装道」ができたのが

1964年(昭和34年)です。

 

その課程のなかで、

① 1967年 初めて補正胴着を使用。

補正で寸胴体型を作ることが常識になる。

② 胸やおはしょりは整えられ、帯揚げ

帯締めもくずしがみられなくなる。

着付け教室はフォーマル着付けが中心で、

だんだん楽な着付けから遠ざかっていく。


とあります。

 


出典は、

「きもの宝典」(田中敦子・主婦と生活社刊)

(文中では着付け教室を特定していません。為念)


ラクな着付け(気付け)からと遠ざかっては

人を圧倒したり、遠ざけたりするので、

引き寄せからも遠くなりますよ(笑)


よく戦前はこうだった、それは違う、

おかしいとの意見が出てきますが、

それも道理で、

着付け教室ができる前は

礼装も自分で着付け。

少し丁寧にやるくらいで

基本はふだんと変わらなかった。


 

~40

礼装でもゆるい。昭和30~40年代。

 

 「おはしょりはこう」

「帯締めの位置はこう」

などのいろいろな決まり事は

伝統というより、

ある着付け教室のフォーマル用の

マニュアルなわけです。

それが権威を持つようになっていった。

フォーマル着付けを普段きものにまで

応用?(強制?)するようになった。


 

なぜここまで権威を持つようになり、

絶対感を持つようになったのか。

 

最近、古本屋で

たまたま手にした古本が

回答をくれそうです、


「装道礼法きもの学院テキスト」&「きものの本」

 

拝読してみると、

とても参考になることが書いてあります。

これはまた次に~~。

 

で、懸念の結婚式の

これまた懸念の黒留。

「ああ、きれい!」

「~~でもほかの人みたい」

と言われるより、

自分らしく出席したいので、

昭和の母、自分着付け。で行きます。

鋭意レッスン中。

 

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同感です。 (はな)
2018-08-25 21:42:03
ほんとうにそうです、そうですね。
誰もがモデルでも女優でも大名の奥方でもないのですから、ゆったり楽しく着たいのが本来のキモノですよね。

折々に楽しく拝読しています。
返信する
自分らしく (紫苑)
2018-08-26 07:09:30
はなさん
コメントありがとうございます。
女優やモデルと同じようになろうとするより、自分らしく着ようとするほうが難しいですね。私もはなさんのブログ拝見しております。今後ともよろしくお願いします。
返信する

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