玄徳道

道を語るブログです。

大道

2012-12-30 18:32:20 | 大道
「大道廃れて仁義あり」とは老子のお言葉です。
当然、我々修道を志す者から観れば仁義は人が神から与えられた本性であります。そして道とは本来名がなく、あえて名付けて道と云う言葉とし、自然万物に法(のっと)る事ににあります。
太古の時代人は純朴であり、魂である神性が全面に体中から出ておりました。仁や義等と云う言葉を学ばなくても人の行いは神と合し常に天地の運行に添って生きていました。
平和な時代は人の天性の気が形を成し、真理を授かりて。自己の本性を知り、仁義を発して中庸に至りました。それが無為を変じて礼嬢となり、形を重んじる風習となり、礼嬢が変じて武力、我良しなる心で誅するようになりました。是により人の本性である天性、神性が日々削られ、道を語れども、見向きもされない世界へと変じています。ここに人は娯楽や快楽に興味を示し、我良したる素地が出来、人心、人欲が盛んとなり、道心、神なる魂はそれに覆われてしまう現状なのです。欲望は業を作りたちまちに世を乱す刧となります。そして刧を化するは大道による霊光であります。

至聖先天老祖の降臨と真経受経心印への意志は「大道」による救済であります。

この至聖先天老祖と云う神霊がどうも合わないと言われる方もいるかもしれません。中国式呼び名が気に入らんと云う方もおるでしょう。しかし、この神様は「吾に本来形も姿も名も無く各自好きなように唱えれば良い」とフーチの壇で示されています。
あくまでも先天の炁胞です。神なる働きをする真神です。是により自分が真心で受け入れられ感化される神であればどのような名で呼ぼうが構わないのです。惟神のままに。

大道によって世を救う要諦は真理の闡明と真実の修養にあります。ここで残念に思うのがあくまでも先天坐の修養により真理を悟り真霊を挽回し天地の一体となることにあります。また、大道の真諦を明らかにし真理を究める学府たる道院にのみ多くの経典があると言う事です。私は縁があり道院を知り、不肖ながら老祖の弟子として先天坐を授けられましたが、多くの人は交通の便(東京にしか道院がないため)や諸事情、怪しげなところに行けるかいな等気軽にはいけませんね。正に縁です。

このブログで何度も紹介させていただいていますが、きらく仙女さんの著書「生きる意味と方法」が早く電子ブックになる事を期待する所以です。

しかし、日本にも様々な神々が降臨され善なる働きを為そうという動きは今も活発です。道院にこだわることもなく、各自が自分の神に目覚めこの世に安寧を与える働きが少しでもある以上、日本は神の国です。一人一人の御魂の輝きに期待します。
「老祖、妙山より臨む。妙山の妙風に乗りて、神島を漫遊して来る。諸神も亦会す。今日は如何なる日と云う。十二万年前の神国記念日なり。昔は北洋にも神国あり、南冰にも神国あり、皆善を好む。…神の国は昔も道の国と称したり…。道の結束する所の果は。和平、博愛、空虚、寂滅、慈悲、歓喜、清真、忠恕なり」(1924年3月6日神戸道院訓)

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