「世は乱れず。常に人の心が乱れるのみ」
どうも今月の12月21日が次元上昇、アセッションとされる日であったようです。このアセンションは現実的社会変化は見受けられません。振り返ってみますと、私はこの日も仕事が忙しく、懸命に働いておりました。
アセンションを信望する側からすると批判する側の人は波に乗られず、肯定する者のみが波に乗れると言う事らしいです。またアセンション出来る人材から順番に次元上昇する。そしてそれに伴う闇の神々の妨害があるともされています。
「蓋し天の生民を降すよりは即ちすでに与うる仁義礼智の性をもってせざる莫し。然れどもその気質の稟、或いは斉しきに能わず。是をもって皆その性の有する所を知ってこれを全うするある能わざるなり。…大学より」
真剣に次元上昇が起きていると信じ自分を戒め、善なる働きをされている方もおられるでしょう。そして、それも一つの道であり素晴らしいと思います。しかし、私は大いなる根源なる神が人を選び、アセンションを信じぬ人を死や更なる輪廻の苦しみ等を与えるのか疑問でもあります。確かに人には魂の高低正邪があります。しかしそれは人間側から観た観測であり、役割でもあります。大いなる根源なる神から観れば人は皆可愛い吾が御子であるように感得してしまいます。
神の働きとは無為自然に在ると考えます。ビックバーンより、神の計画をなされたと伊勢白山道リーマン氏は述べていますが私はそれに反目します。天上で神々が計画を立てて、人類をどうこうしよう等と云う事は一部の幻覚者が観る霊界(想念界)の世界であり、本来の神は無形無声無限であり絶えずこの世の運行をされています。神の計画を知ると自称される方は常に霊的世界にのみ重きを置き偏ります。
いずれにしろこの世を悪くも善くもするのは人間であります。故に人が自己の本性を覚神し、自分が尊敬されたい、崇められたいと云った欲心を遠ざけ、真の自己の役割に徹することです。神人合一とは有名な神と神憑りする事ではありません。自己の神性を明らかにすることであります。高次の自身が、低次の自身を従える。魂が魄を従える。自らが神を明らかにする事は根源なる神との繋がりも明らかになり、根源なる神が生命の光を先天炁を与えて下さります。そして我々が道を歩む中で得た真理の光は根源なる神に還ります。この光の循環こそが地球に滞る万刧を弭化することが出来るのです。
「わが体は心に合し、心は気に合し、気は神に合し、神は無に合す。」
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アセンションを信望する側からすると批判する側の人は波に乗られず、肯定する者のみが波に乗れると言う事らしいです。またアセンション出来る人材から順番に次元上昇する。そしてそれに伴う闇の神々の妨害があるともされています。
「蓋し天の生民を降すよりは即ちすでに与うる仁義礼智の性をもってせざる莫し。然れどもその気質の稟、或いは斉しきに能わず。是をもって皆その性の有する所を知ってこれを全うするある能わざるなり。…大学より」
真剣に次元上昇が起きていると信じ自分を戒め、善なる働きをされている方もおられるでしょう。そして、それも一つの道であり素晴らしいと思います。しかし、私は大いなる根源なる神が人を選び、アセンションを信じぬ人を死や更なる輪廻の苦しみ等を与えるのか疑問でもあります。確かに人には魂の高低正邪があります。しかしそれは人間側から観た観測であり、役割でもあります。大いなる根源なる神から観れば人は皆可愛い吾が御子であるように感得してしまいます。
神の働きとは無為自然に在ると考えます。ビックバーンより、神の計画をなされたと伊勢白山道リーマン氏は述べていますが私はそれに反目します。天上で神々が計画を立てて、人類をどうこうしよう等と云う事は一部の幻覚者が観る霊界(想念界)の世界であり、本来の神は無形無声無限であり絶えずこの世の運行をされています。神の計画を知ると自称される方は常に霊的世界にのみ重きを置き偏ります。
いずれにしろこの世を悪くも善くもするのは人間であります。故に人が自己の本性を覚神し、自分が尊敬されたい、崇められたいと云った欲心を遠ざけ、真の自己の役割に徹することです。神人合一とは有名な神と神憑りする事ではありません。自己の神性を明らかにすることであります。高次の自身が、低次の自身を従える。魂が魄を従える。自らが神を明らかにする事は根源なる神との繋がりも明らかになり、根源なる神が生命の光を先天炁を与えて下さります。そして我々が道を歩む中で得た真理の光は根源なる神に還ります。この光の循環こそが地球に滞る万刧を弭化することが出来るのです。
「わが体は心に合し、心は気に合し、気は神に合し、神は無に合す。」
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神様や豊受大神様から使命を託されたと述べられている上野公園さんも、幻覚者であり、偏っているという事でしょうか?
しかし、現実には老祖は壇に降臨しの字(言霊)を発しています。それはあくまでも、やむなく世を助け民を救う、救済のためであります。
人の本性に仁愛があるように神もその根源であります。ここに自然でありながらその慈愛の感化もあります。
上野公園さんに学問があり、長い修行時代より真理を研鑽されたと思います。
上野公園さんの活動とは大本の閉じ込められていた神々
を明らかにされております。是は本来出口聖師の代で顕現されねばならぬ神が不備により現われなかった、もしくは時節により出現を待つ神ではと考えます。そして一番重要な事は各人に眠る良心神即ち内在神をあきらかにしたことであります。ここに偏りはありません。
また、上野公園さんが霊視幻覚により人を不幸にしておりません。また幻視により世人を惑わさせていない筈です。
全ての人に霊的感化があります。自分が観た、得た事のみを真理と考え人を惑わす者を霊的世界による偏りある者であると考えます。