コロナ(五六七)コロナ(五六七)で振り回された、その上に、太平の夢を醒まさせと震いたる、能登の地震であるぞ。
(鬼雷が述べる。私的には、皇室に於ける祭祀への真心に因るに縁り、天皇祭祀に於ける、伊勢神界のあり方が破られたと。天皇が天皇たる、由縁は一重に、日本国の霊的族長なり。地震は天地自然のありかた。しかしだ、霊的族長が真剣に日夜、日の本御国の天照鳴る神に祈っておられれば、一月一日の国民を堕とします、災害は未然に防げたと、悪人鬼雷は妄想するなり。これは、三六九神示に関係なく、我が思う悪念なり。これは天皇廃止を目論むものでは無く、君臣として、忠諫である。そして、霊的族長は、民草を護らねばならぬ。
君が君たる由縁は、社稷あるのみ。)
寝ぼけ眼(まなこ)で飛び起こされた。
令和の五六七(みろく)の六の年のめぐりであるぞ。
これからも、日本も立直し、世界に善き鏡を見せてまいらねばならぬ。
この時の政界は、金毛の策に自在にされて、腑抜けになりた今の有様。
これも夜の世の帷(とばり)が晴れて、かくれておりた何かの事ありやかに見えて来る。
天照国照日の出の神の守護の昼の世となりた、故であり、まず世界の縮図の日本が清く正しく立て直らぬと荒れる世界も治らぬぞよ。
平和惚けの目を醒さねばならぬような事が日本にも起こると前から申してありたぞよ。
扨も令和五年を送り迎えし令和六年新年早々一月一日能登地震の起こりとなり、明けて一月二日には羽田空港にて、日本航空機と海上保安庁の航空機の衝突事故が起こりたぞよ。
六の数は、現の世を形成する数であり、万象崩壊、建設と破壊の働きがあり、神人和楽の五六七世を開く為、一段と世の立替立直し、厳しくなる事を示しておるのであるぞ。
能登の珠洲とは、煤の意であり、世替わりの、のろしの能登の地震でありたぞよ。
大難を小難にと願うのが人民の思いであり、一度にこの地球、修理固成いたしたら、人民絶えられぬから、神界も、風水火地震雷噴火と荒神を使いて、この地球を守り保ちてゆく為、浄めも歪みを直すのも、少しづつ行っておるが、修理固成(つくりかため)を進めば地上に荒事災い起こるから、人民には、気の毒なれど、やむえぬ事であるぞよ。
この度の能登の地震は、青龍の水氣きを持ちての活動でありたぞよ。
その源(もと)は、十和田湖であると示すぞよ。
説いても聞かせても、金に目をくらませられ、体主霊従(からたま)の道をつつ走り、自ら、滅びの道を近めておる人類であるから、原案結果(めぐり)の道をはっきりいたして、ちと厳しき警告(きづけ)をいたして、目を醒まさせ、皆が助け合う共存共生の世を開かんとするのであるぞ。
神とは人間の都合勝手事を何でも適(かな)えて助けてくれるものと、思いておるが、それは思凝霊の業でありて、〇九十(まこと)の神は、誠の者には願わずとても、守護いたし、それぞれの使命を果たさせつつ人類が亡びぬよう、この地球が滅びぬよう、万物万民共存共生の五六七(みろく)の世開かむと、四九三(仕組み)、導きてゆくのであるぞ。
この地球を滅亡に向かうような事を人類が重ねて行けば神はだまっておらず、今以上に厳しき警告(きづけ)をいたすぞよ。
その昔、道を外れて体主霊従の道を歩みはじめた人類を厳しくいたした為に、艮の方角に悪神邪神と押し込められた世の元の国常立大神を始め、世の元からの神を世の裏にありても、この地球の生命を守りて来た、親心判らぬか。
我が身等の栄耀栄華の為に、この大事な地球を汚し穢し段々と地球の力を弱らせておる今の有様であると、くどい程申してあるぞよ。
それによりて、科学文明が進みても、それを喜んではおれぬ、神界であるぞよ。
この度の能登地震の事だけでは無い。
福島や神戸の地震と人民には気の毒だが、荒事が続いておるが、富士の事や、南海の事もある。
人民を改心させ、地球を守ってたゆく為にやむえぬ、修理固成の神業であり、人間が造りた地球や万物であれば、人民の自由にするのも良いが、髪の毛一本造れぬ人間であるぞ。
その事は神からの御魂を授かりた人間であれば、判るであろう。
草木や禽獣虫魚をこの地球に産みなして、そこに人類を住まわせたのも、地上の天国を開かん為であり、それぞれの御魂も、その事が判っておるはずじゃ。
どうしても利己主義に走る人民を導く為に孔子や釈迦やキリスト、マホメット等の教祖を現したが、教祖亡き後は、宗教も、我が最高の宗教と他宗と争い、我良しとなり、戦争まで起こす有様。
現の世を金の力で自在にせんとする金毛九尾や人間の自我や欲の思凝霊(しこりがみ)は、太陽の光をさえ切る黒雲の如く、神意をも封じてしまっているのであり、神授の御魂も岩戸閉めとなりておるのであるぞ。
扨も、令和六年一月一日、能登地震に示し、世替わりの、のろし、を先駆けに荒れる世界を根底から改め.立て直してゆかねば、ならぬ事が次々世界に起こるぞよ。
世界中の国の頭の改心急ぐぞよ。
掻き混ぜ掻き混ぜ、底の底から誠の御魂の神民を浮かび上がらせ、新しき神人和楽の世を、かならず、開きてまいるぞよ。
まずは、瀬織津姫の神、青龍と化し、令和五六七(みろく)の世の始まりの、のろし、を上げたぞよ。
これから立替立直しの、荒事も激しくなるから、時の流れに身をまかせ、恐れるより、大難を小難に祈りて、それぞれ我が魂の使命の果たしに、つとめゆけよ。
災い厳しき時も、皆が助けて合い、辛い中にも、希望の光、忘れる事無く、歩みゆけば、必ず神が善き道へと導くぞよ。
禍い転じて福と為す、神の助けであるぞよ。
荒事は新事の始まりであるぞよ。
神の現れる道であるぞよ。
言霊神也 ン。
令和六年一月九日拝写
龍華斎修聖