南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

「龍馬伝」に秘められた現代の社会問題、そして田原藩の事

2010-05-04 00:13:39 | 故郷

「龍馬伝」には自称「歴史音痴」のMy Wifeもはまっています。これまで
坂本龍馬のことはあまり知らなかったのですが、福山雅治が演じる龍馬に
かなり惚れ込んでいる様子です。そんな彼女がこの間の第十八話の「海軍
を作ろう!」の回を見て、「勝海舟って金八先生になってるけど、本当に
ああいう人?」と質問してきました。

勝海舟がどういう人物なのか本当のところはよくわからないのですが、
あれはあれでありかなと思いました。グレて非行に走った岡田以蔵君を
あれよあれよと更生させるテクニックはまさに金八先生。一瞬、以蔵君
は学生服を着ているんじゃないかと思えてしまいました。得意の地球儀
を出しての、起死回生のプレゼンテーション。見事、以蔵君の心の奥に
ぐさりと刺さります。ちょっと簡単すぎる気もしますが、若者を指導し
ていく教育者とはかくあるべしという感じです。こういう人がいてこそ、
龍馬は龍馬として成長できたんだろうなと思うのです。

ところで、幕府は攘夷の期限を5月10日と宣言してしまうんですけど、
これは鳩山首相が普天間基地問題の決着を5月末と宣言しているのと
そっくりですね。これはいろんな方が指摘していますけど、普天間基地
問題もある意味で「攘夷」です。基本的には異人(の軍事施設)は
日本領土から出てけということなんですから。(ちょっとこの表現は
語弊があるかもしれませんが)

結局、幕府は、5月10日という期日をうやむやにしてしまいます。
もともと無責任に設定した期限だったので、実現できるはずもありま
せん。最近も、社民党の福島党首が「5月末という期限にこだわるべき
でない」という助け舟を出しているので、幕末の時と同じような感じ
になってしまうのかもしれません。

みなさん気軽に「県外」と言っていますが、「県外」と言ってもそれ
はイコール徳之島ということなので、徳之島の住民の皆さんは「県外」
と言われるたびに憤りを感じているのだと思います。沖縄県の政治家
の方が「県外」と言われるのはごもっともなのですが、日本の政治家
の方が不用意に「県外」発言をするのは全く無責任です。やみくもに
「攘夷」を叫んでいた武市半平太と共通する部分がある気がします。

ところで、「龍馬伝」に関して、コメントしたかったのは、実は、
第十七話「怪物、容堂」の中での一瞬のエピソード。勝海舟に連れら
れて、海軍操練所への協力を求めて各藩の藩邸を回るというシーンが
あります。ここで一番最初に出て来るのが田原藩。かなり短いシーン
なので、見過ごされてしまうのですが、自分の出身が実はこの愛知
県の田原なので、ここはしっかりとチェックしました。

渡辺崋山の「慎機論」に言及して、先見の明のある田原藩に是非、
協力をと勝海舟が頼むシーンが出てきます。渡辺崋山というのは、
幕末の文人、画家、政治家で、「慎機論」というのは幕府の曖昧な
態度を批判したメモでした。これが見つかって、1839年の蛮社の獄
で蟄居を命ぜられてしまうのですが、1841年に田原の蟄居先で
切腹をしてしまいます。

「龍馬伝」で、勝海舟と龍馬が各藩邸を巡るのは1862年頃と思われ
るのですが、渡辺崋山は20年前にこの世を去っております。ここで
登場する田原藩の藩主は、12代の三宅康保(みやけやすよし)、
田原藩最後の藩主です。

実は田原藩は藩としては非常に小さな藩です。後に出てくる鳥取藩
とか佐賀藩などと比べてもマイナーです。ですが、調べてみると、
渡辺崋山の存在以外にも、この藩がすごかったというのがわかりま
した。

咸臨丸が日本に来たのと同じ年の1857年に、田原藩は西洋型帆船の
順応丸というのを藩船として建造しています。また、ジョン万次郎
が日本に戻って入れ違いのようにアメリカを訪問していた作蔵、
勇次郎という二人の田原藩出身の人物が、1855年に田原に戻って
きていました。ジョン万次郎の後だったので、あまり話題にはなり
ませんでしたが、1852年、漂流の末に、アメリカの捕鯨船に救助
され、ハワイを経て、アメリカ東海岸のボストンやニューヨークを
訪問、その後、カリフォルニアを経て日本に帰ってくるのですが、
歴史にはほとんど記されていません。

こういう人材もいて、田原藩は当時かなり進歩した藩として知られて
いたようです。藩の軍制を西洋式にしたり、外国に対しての海防対策
などもしておりました。小藩でありながら、時代を先駆けていました。
それが日本史の中であまり評価されていないのが残念ではありますが。
勝海舟と坂本龍馬が真っ先に田原藩邸を訪問したのは、こういう
歴史的な背景があったからなのです。海軍操練所が必要とする
知識や技術をいち早く持っていた藩と言えるでしょう。今回この
ドラマの中で一瞬ではあれ取り上げていただいたことに田原出身の
人間として感謝いたします。

現在は、トヨタの大きな工場があり、農業でも日本有数の
生産地となっております。

田原藩は現在は愛知県田原市。渥美半島の大半を占める藩でした。

(赤い小さな点はこのブログでたびたび登場する蔵王山です)

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2 コメント

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勝海舟は墨田区(?)出身です。 (へいたらう)
2010-05-07 18:10:41
勝海舟は結構、男前でした。
墨田区役所脇に銅像が建ってますので、一応、TBしておきますが、同じ男前でもあまり似ているようには思えません(笑)。

田原藩・・・、言われてみれば出てましたね。
金八先生が「渡辺崋山のどうのこうの」と言ってましたっけ。
すっかり、聞き流しておりました(笑)。
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勝海舟 (南の国の会社社長)
2010-05-07 19:41:25
へいたらうさん、TBされた記事拝見しました。金八先生とは大違いですね。田原藩出ていましたよ、でもこれはわずか15秒くらいの間だけ、よくぞ入れてくれたという感じですが、総集編では絶対にカットされるシーンです。日本全国、この田原藩のことに気付いた人はどれほどいたことでしょう。だいたい田原藩と言われても、それどこ?という感じですよね。これは残念です。
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