南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

外国化する豊橋

2006-11-25 15:47:33 | 故郷
シンガポールの日系の病院の待ち合い室で、たまたまそこに
あった雑誌の日経ビジネスを見ていたら、上のようなページ
がありました。私の田舎は愛知県の豊橋市に隣接している田
原市なので、豊橋市が出ているのに興味を持ち、思わず、デ
ジカメで写真を撮りました。

日本の都市の中で、外国人登録者数の多い都市と、全人口に
対する外国人比率の高い都市のベスト3です。豊橋市は人口
部門で、浜松市に次いで2位となっています。人口比率では
群馬県大泉町が15.8%でダントツのトップです。豊橋市に
隣接する静岡県の湖西市は外国人比率7.9%で、全国3位に
入っています。豊橋市は4.9%ということですが、これもかな
りの比率です。20人に一人は外国人という感じですから、これ
はかなりの数です。

私が住んでいるシンガポールに日本人が3万人くらいいて、
それに観光や出張で来ている人もいるので、あちこちで日本人
を見かけるなと思うのですが、せいぜい1%程度です。4.9%
というのはすごい数字ですね。シンガポールに住んでいる
インド系住民が約8%ということで、シンガポールにはインド
人かなり多いなという印象なのですが、それに近い比率で外国
人が存在しているのですね。静岡県湖西市の比率が7.9%です
から、シンガポールにおけるインド人の比率と同じくらいです。

去年、田舎のお祭りに行くために豊橋の駅前に宿泊したので
すが、駅前の繁華街でかなりの数の外国人を見かけました。
私は高校卒業まで田原にいたし、大学で東京に上京してから
も年に何度か田舎に帰っていましたので、豊橋はいつも通過
していました。

昔は外国人とは縁のない地方都市だったのですが、ここ数年
でどんどん外国人の姿を見るようになっていました。外国人
と言っても、ブラジル人が多いようです。何でこんなに外国
人が多くなったのかと言うと、自動車産業の製造拠点が豊田、
豊橋、浜松地域に集中しているからのようです。自動車の製
造業だと、数多くの外国人労働力が必要なんですね。

うちの田舎の田原市にはトヨタの大きな工場があります。豊
橋を中心に田原からこの一帯が三河港となっていて、自動車
の輸出入は金額、台数とも日本一位ということのようです。
トヨタだけじゃなく、スズキの二輪車の工場は豊川あたりで
すし、三菱自動車の乗用車もかなりこの近辺で製造している。
さらに、フォルクスワーゲングループも豊橋に本社を移して
いるし、ダイムラークライスラー、フォードなども三河港を
使っているようです。

隣の静岡県の浜松市は、スズキ、ヤマハの本拠地であり、
ホンダの工場もあります。もともとホンダは浜松が発祥です。
河合楽器も、ローランドも、浜松ホトニクスも浜松ですね。
浜松は豊橋とは別の県ですが、かなり近い関係です。豊田市
から浜松までの地域で日本の自動車産業のかなりの部分を
担っているようです。またそれを担っているのが、ブラジル
系などの外国人だというのもまたすごいです。

その昔、日本から数多くの人が夢を求めて、ブラジルに移民
していきました。以前、NHKのドラマの「ハルとナツ届かな
かった手紙」を見て、感動してしまったのですが、今の時代
はブラジルから夢を求めて日本に来ている人が増えたのは、
逆説的です。うちの父も、私が子供の頃、「ブラジルに行き
かった」とつぶやいたことを私はまだ覚えています。

いままで外国文化と接触がなかった場所に外国人が増えると
いろいろな問題が起こってきます。行政の問題、教育の問題、
治安の問題、いろいろです。何年か前に、うちの実家の駄菓
子屋に、外国人の二人組が現れ、店番をしていた父に、自動
販売機にお金を入れたのだが品物が出ないので見てくれ、と
言われて、父が外の自動販売機を見に行っている間にレジの
お金をもう一人が盗むというトリックにあったことがありま
した。うちの田舎には、外国人はほとんどいなかったし、
ほとんど防犯意識もなかったので、外国人にとっては、狙い
やすい状況だったのでしょう。

豊橋にはドイツ人の幼稚園や学校ができたという噂を聞きま
した。なんだか急にインターナショナルになってきました。

私はシンガポールに住んでいるので、常にインターナショナ
ルな環境の中にいます。シンガポールも少子化が問題になっ
ていますが、かなり外国人労働力に頼っています。もともと
シンガポールは他民族国家なので、外国人労働者が増えても
ほとんど問題がありません。しかし、日本の地方都市のよう
もともと単民族の地域に外国人が増えた場合、いろいろと
大変なことも多いのでしょう。でも、そういうことを克服し
て、新たな文化が生まれてくるのかもしれません。