南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ついに山内一豊を中心にした相関図

2006-01-21 04:11:37 | 戦国時代
山内一豊に関する相関図を作ってみました。
NHKの「功名が辻」の視点を意識した図にして
あります。とくに下町娘レベルの方(?)に
参考にしていただければと思います。
でもちょっと複雑になってしまったかな?

今回の図は、フォトショップで色をつけて、さらにア-トっぽい
感じにしてみました。(凝り過ぎ?)こういう相関図を芸術作品
として売り出そうかな?しかし、お金のためではなく、道楽として
やることに意義があるのですね、きっと。今回はちょっと時間を
かけてしまった。

今回の図は、あらためて説明する必要もないのかもしれないの
ですが、一応、説明させてください。(説明好きの私を許してね)
山内一豊を一人のサラリーマンというふうに考えてみました。
彼は長年の就職浪人の時期を経て、名古屋地方にある中堅企業の
株式会社織田コンツェルン(企業スローガン「はげめ!」)に入社
します。社長は軍神摩利支天を彷彿とさせる(ってどんな感じ?)
若き御曹司信長社長です。新人の山内君は入社まもなく信長社長
から辞令をもらい、子会社羽柴コーポレーションに出向社員として
派遣されることになります。

羽柴コーポレーションは、次々と若手を採用していて、一豊の
同期の同僚には中村(一氏)君や、堀尾(吉晴)君がいました。
後のスター社員になる石田三成君や、加藤君、福島君らはまだ
幼さの残る学生アルバイトでした。

ある日、羽柴コーポレーションの大部長(じつは社長)の秀吉は、
岐阜の大手他社で勤務している頭脳明晰の戦略企画部長の竹中
半兵衛氏をヘッドハントしようとして、アクションを起こします。
竹中氏はなかなか了承しませんが、熱心な羽柴大部長の説得に
ついに羽柴コーポレーションに移籍することを決意します。
(この人テレビでは会津藩主のように見えるかもしれませんが
違いますからご注意ください。それは「新撰組」の話です)

羽柴コーポレーションにいた時代、同僚たちとのつきあいも多く
ありましたが、実は大部長夫人=ねねさんを中心とした奥様たち
のネットワークが存在していました。千代もそのグループに入っ
ていました。他には、中村君の奥さんのとしさん、堀尾君の奥方
のいとさんなどもいて、お料理教室をやったり、着物デザインを
やったりして楽しんでいました。千代はそういう付き合いを通じ
ていろんな情報を夫のために入手しているのでした。

この奥様グループは、やがて淀殿の率いるグループと敵対する
ことになります。このグループはそのまま徳川派となり、関ヶ原
の東軍を形作っていくことになります。千代は徳川家康がやがて
次期社長になる本命であると読んでいました。その読みが当たり
ます。

山内君から見て、本社織田コンツェルンの幹部の人たちはいずれ
も凄腕の人たちで、山内君が対等に口をきけるようなものでは
ありませんでした。だから子会社に出向にきたことを感謝しま
した。それはわりとのんびりした生活でした。

やがて、本社の信長社長が直属の部下の恨みを買って、傷害事件
で死亡してしまいます。その主犯の明智君が社長の椅子に座ります。
山内君らと岡山出張に行っていた羽柴大部長は、すぐに本社に戻り、
明智君を社長の椅子から引きずり降ろそうとするのですが、明智君
はその直前に逃げようとします。逃げようとした途中に、階段から
落ちて死亡してしまいます。

信長社長亡き後の会社は、まさにお家騒動です。柴田派と羽柴派で
対立するのですが、結局羽柴派が勝利します。羽柴秀吉は、織田
コンツェルンを自分の会社にしてしまい、豊臣コンツェルンとして
しまいます。そして自らはグループCEOとして君臨します。そうなる
と次期社長をどうするかという問題が浮上します。子供に恵まれ
なかった秀吉は、姉の息子の秀次を次期社長にと考えます。
秀吉は、山内君を秀次直属の部長に任命します。千代はこの秀次が
あまり好きではありませんでした。

やがて秀吉に子供ができると、その子に会社を継がせようとします。
そうなると、秀次が邪魔になります。結局、秀次は左遷させられ
非業の最後を迎えます。

一豊には年上の二人の部下がいました。金八先生と、とら屋のひろし
さんです。いえ、五藤吉平衛と、祖父江新右衛門です。テレビでは
新右衛門は子供が7人くらい登場してきます。あとこの図に入れ
忘れましたが、一豊の弟の山内康豊がいました。山内家の二代目は
この康豊の子供がなります。

まあこんな感じですが、何か参考になりましたでしょうか?
よけいこんがらがってしまったりしたらごめんなさい、ではまた。