南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

反省

2006-03-24 01:22:53 | シンガポール
3月2日の朝、成田空港に着いた。リムジンバスに乗る。
「お預けの荷物はこちらですか?壊れ物は入っていませんか?」
係員が訊ねる。私は、携帯電話で話をしたまま、面倒くさそうに頷く。
(飛行機にチェックインした荷物なんだから大丈夫に決まってるだろ。
それともリムジンバスのほうが飛行機よりも危険だというのか。いや、
絶対に責任を取りたくないという根性だろう)そんなことを思って、
憮然としてしまう。

バスに乗って、窓から外を見ると、さっきの係員が寒そうに立っている。
きっとアルバイトなんだろう。たぶん彼も好きでやっているわけじゃない。
会社から、必ず荷物の壊れ物を確認するように言われているので、ただそれに
従っているだけなのだ。私みたいな失礼な態度で対応されたら、彼もやりきれ
ないだろう。よく見ると、どことなく弟に似ている。申し訳ないことしてし
まったと後悔する。窓の外の彼に向かって、悪かった、ごめんなさい、
とつぶやく。

我々は日常生活のなかで、こんなふうに知らず知らずのうちにお互いどうしで
傷つけ合っていることも多いのだろう。バスの中で、自分はなんて駄目な人間
なのだろうと反省をしていた。

自分の発言で知らず知らずのうちに人を傷つけていることもある。ブログや
メールは、微妙なところで、誤解を生み、誰かを傷つけている可能性がある。
私の不用意な発言によって傷ついてしまったひとたち、ごめんなさい。

鞄とかを肩からかけていると、その鞄が人にあたってしまっても、本人には
わからない。ぶつけられたほうは頭にくるが、ぶつけたほうはぶつかったと
いう意識すらない場合が多い。鞄を含めて自分の物理的領域だと把握する
能力の問題なのだが、鞄に関しては、みんなついつい自分の一部ではないと
認識してしまう。そんなことで知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけて
いることがある。

今回の葬儀の段取りは、弟にほとんどまかせてしまった。母の看病などで
疲れているうえに、いきなりの葬儀の手配だ。親戚の人や、町内の人たちが
助けてくれたが、わからないことばかりなので、大変だ。私も葬儀に関しては
まったく何がどうなっているのかよくわからなかった。長男なのになんて
頼りないやつだと思われたに違いない。皆さんいろいろ不行き届きをお許し
ください。

実は、何年も前に、葬儀に関する本を購入していた。それはずっと本棚に
あったが、一度もページを開いていなかった。いざというときにそれを
大急ぎで読もうと思っていた。

3月の1日の夜の飛行機で日本に帰ったとき、その本は持っていかなかった。
まさかこういうことになろうとは思ってもみなかった。しかし無意識のうち
に黒の礼服はスーツケースに入れていた。それを本当に使うことになろうとは
思わずに。

葬儀の準備をしているときに、以前祖母が亡くなったときの葬儀の手配
記録を父が書き記していたものを弟が見つけてきた。祖母の臨終の様子から
そこに立ち会っていた人の名前が書いてある。そしてその時点から行った
様々な手配がきめ細かく記録されている。

誰に連絡を入れたのか、役場へ死亡届を出しに行ったのは誰かということ、
通夜に立ち会ったのは誰で、朝までいたのは誰かということも出ていた。
葬儀の際の僧侶の数なども出ていた。父はどうしてここまで細かく記録して
いたのか知らないが、これがあったおかげでかなり参考になった。
親戚方の誰に連絡すればよいのかよくわからなかったが、父の記録で、親戚
関係で祖母の葬儀に来てくれた人の名前がわかったので、助かった。

父には、告別式の当日、施設に連れにいってもらって、葬儀場に来てもらった。
そこで初めて、母がなくなったことを知り、棺のなかの母と対面をした。
認知症であっても、母が亡くなったことはすぐにわかり、呆然として母の
棺を眺めていた。「びっくりしたねえ」と父は後で言っていた。

葬儀の夜、家の仏壇に置かれた母の遺骨の前で、父はお経をあげ続けていた
らしい。今、父はどんな気持ちでいるのだろうか。