南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

私の実家

2006-03-18 23:43:59 | 故郷
豊橋鉄道渥美線の終着駅、三河田原。その駅前通りにある栄福堂という駄菓子
屋が私の実家である。今よりもずっと賑わっていた駅前通りは、今ではかなり
店も少なくなり、活気が失われてしまっている。そんななかで、この栄福堂は
この界隈唯一の駄菓子屋で、子供や、学生や、老人の憩いの場となっていた。

愛知県の渥美半島の付け根にある田原は、2003年に町から市に昇格した。私
が高校生だった頃は、人口が2万人ちょっとだったが、今は6万6千人になっ
ている。人口増加の原因は、三河湾埋め立て地にトヨタの巨大工場設備が来た
からだ。向かいの豊橋の港には、フォルクスワーゲンアウディの工場がある。

従ってこの地域は車社会だ。都市計画は車を中心に考えられる。30年以上前
から都市計画が進められてきた。道路を広くまっすぐにして、車が通りやすく
するというものだった。その図面によれば、駅前通りを少し斜めに横切る広い
道路ができ、それが、私の実家の半分以上を削り取る。残った土地は狭すぎて
家が建てられないので、移転せざるをえない。

区画整理の図面を最初に見たときはショックだった。都市として奇麗になるの
かもしれないが、一応この町は伝統ある城下町なのだ。昔ながらの町並みをす
べて取りつぶして、新しい人工的な都市に生まれ変わる。その発想は車を中心
にしていている。歩行者のことはあまり考慮されていない。それは机上の空論
のような気がして、気味が悪かった。

それから30年以上たって、まだその計画は完成していない。20年以上前に
私の実家の栄福堂は改築した。立ち退きになるのはまだかなり先だということ
で、家を新しく建て直した。そろそろ、立ち退きになるのかと思いながら、ま
だ、計画は進展しないでいる。去年、市の係員が測量をしにきたというので、
いよいよその時が迫っているのであろうか。

この間に、近所の家は、いち早く郊外に引っ越していった。家がなくなって
いくのでどんどん駅前が寂れていく。商業の中心地は、郊外のスーパーに移っ
た。小売店も、飲食店も大きな駐車場を完備しているので、アメリカの郊外の
ような風景になってしまった。町としては決して美しくはない。

わが駄菓子屋はこのコミュニティーにかなり貢献したのではないかと思う。
小さなこどもが小銭を持って買い物に来る。「おじちゃんこれいくら」とか
いいながら買い物をすることで教育にも貢献しているものと思う。スーパー
ではそういうことはできない。店を経営するほうとしては、一つの商品を売っ
て利益が1円くらいのものもあるし、高額商品でも100円にみたない。これだ
と商売としてやっていくのはかなり辛く、割があわない。ほとんどボランティ
アだ。

うちの父親と母親でこんなボランティアみたいな仕事をやってきた。生活に
決して余裕があるわけでもないのに、あまり儲からない仕事をやってきた。
父親は認知症で施設に入ったので、もう店にはいない。母親は3月5日に
亡くなってしまったので、もう店に出られない。弟がひとりでやっているが、
区画整理による移転の時期が忍び寄ってきている。

近所の老人が、パンやお菓子を買いにくる。通学の高校生が駅に行く途中で
この店に立ち寄り、牛乳を飲みながらパンをかじる。電車を降りて歩いてき
た旅人が、ペットボトルのお茶を買いながら、道を尋ねる。近所の人が、急
に客が来たということでアイスクリームを買いにくる。孫に何か買ってやろ
うとするおじいちゃんも来る。店で買うべきものがなかなか決まらない子供
もいる。この店は、古きよきコミュニティーの縮図だ。

こういう店こそ、残ってほしいと思うのだが。