南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

満月を見ました

2006-03-16 01:10:07 | 故郷
今日は満月。晴れ渡った夜空にまんまるの満月が出ていた。そういえば、母が亡
くなる前夜は三日月だった。もうあれから10日が経った。母の霊はまだこの世に
未練を残し、どこかをさまよっているのだろうか。ひょっとしたらこの満月もど
こかで眺めているのだろうか。母は2年くらい前から視力をほとんど失っていた
が、現世の肉体を離れた今ひょっとしたらいろんなものが奇麗に見えているのか
もしれない、そんなことを考えた。

何年か前に「チベット死者の書」をNHKのテレビで見た。臨終を迎えた人の枕元
でラマ僧が読み聞かせる教典である。死者が死後に出会う風景とその対処法が述
べられている。死の世界に旅立つための旅行ガイドのようなものである。それに
よれば、死後数日は、霊がさまよっている。葬儀の様子なども霊には見えている。
そして霊はやがて現世への執着を断ち切り、光の世界に向けて進み、成仏するか、
輪廻転生していく。

この話によれば、死者はまずまばゆい光に遭遇するということだった。ひょっと
して、今日出ている満月は、そのまばゆい光なんだろうか。たぶん目があけてら
れないほどのまぶしい光なんだろうが、月も光には違いない。母の死後、月が
どんどん満ちて大きくなってきたのは、母が光に向かって進んでいるという意味
なんだろうか、などと思う。

そういえば母は、かなり前から自分が死ぬ事を考えていた。自分の身体が弱く
なっていることを自覚しており、寿命がやがてつきることを意識していた。人は
誰もが死ぬ。自分だってそうだ。あなたもそうだ。それは人間である以上、避け
て通れない運命だ。母は、自分の葬儀をどこで執り行うのか、費用は大丈夫かな
ど、去年くらいから言っていた。死の前日も、葬式はどこでやることになったの
かという質問を弟にしていた。

自宅で葬式をやると、いろいろ大変だから、町の葬儀場とかでもできるよ、とか
そんなことを積極的に考えていた。私たちは母に長生きしてほしいので、葬儀の
話などはまともには取り合わなかった。しかし、母にとっては切実な問題だった
のかもしれない。

一番下の弟は、参議院で速記をやっている。「私が死んだら、参議院から電報が
来るかねえ」などということも言ったことがあった。葬儀には、参議院事務総長
から弔電が来た。参議院関係から花も届き、いくつか弔電も届いた。私の会社か
らも、クライアントからも弔電が届いた。母親が喜んでいる顔がまぶたに浮かび、
涙が止まらなくなった。

私の母親は、ワーキングウーマンだった。家事も行っていたが、日中は、炒り
胡麻を製造する小さな工場に勤めていた。夕方家に帰ってくるとまた家事を行っ
た。私が子供の頃、ご飯は木をくべてかまどで炊いていたし、風呂もまきで
くべていた。過労で何度か入院したこともあるが、定年になるまで働き続けた。
父親は駄菓子屋をやっていたが、母のほうが収入が多かったと思う。

最近は働けなくなったが、駄菓子屋の店番はやっていた。働き続けた母だった。
父親が認知症になって、弟などに迷惑をかけることを心配した。自分のことは
さておいて、人のことを心配する母だった。

ごくろうさま。苦労ばかりかけちゃってごめんね。
ゆっくり休んでください。