南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

9月11日に飛行機に乗る

2007-09-12 03:16:56 | アジア
昼頃まで香港にいたのですが、3時半すぎに上海に到着しま
した。香港からは2時間半ちょっと。あっという間です。

今日は9月11日だったので、飛行機に乗るのがちょっと怖い
感じがしたのですが、無事に到着しました。ついこの間、
『ユナイテッド93』を見たばかりだったので、飛行機の中は
余計に不安でした。あの日、乗っ取られた飛行機に乗って
いた乗客や乗務員はどんな気持だったのか、想像すると
怖くなります。

上海行きの飛行機の座席が2・3・2の中型の飛行機だった
のが救いでした。映画のユナイテッド93は真ん中に通路が
一つあるだけの小型の飛行機でした。通路が二つあった
場合にはよっぽどの人数がいないと乗っ取れないだろうと
ちょっとだけ安心材料がありました。

飛行機はドラゴン・エアーだったのですが、短距離便なので
座席のひとつひとつにスクリーンは付いていません。前の
ほうに小さなスクリーンがあるのですが、時間が短いので
映画を楽しむ余裕はありません。ヘッドフォンはついていま
したが。

飛行機の中で私は、榊原英資さんの『経済の世界勢力図』と
いう難しそうなタイトルの本を読んでいました。「ミスター
円」と呼ばれるほどの経済通のようですが、これまで榊原
さんの本を読んだことはありませんでした。

飛行機の中でぱらぱら読んでみると、世界経済のことが一気
にクリアーになってきた感じがありました。中国のこと、
インドのこと、そして世界経済のことがとっても分かりやす
く書かれていると思いました。

この中で、9・11のことがたびたび出てきます。アメリカの
同時多発テロを契機として、ブッシュ率いるアメリカが、
単独行動主義を強めて、戦時内閣と化し、結果的にアメリカ
が国際的な力がどんどん弱まっていると,,,

ブッシュ政権は原理主義であると、ジョージ・ソロスは分析
していたようです。と榊原氏はこの本の中で述べています。
テロを起こしたグループはイスラム原理主義ですが、ブッシュ
も原理主義だと。

「イラクは悪の帝国だから、潰さなくてはいけない。その
ためには先制攻撃もやむを得ない。大量破壊兵器があるという
その疑いがあるだけで、攻撃の理由は十分である」とソロス
はブッシュの考え方をまとめています。ブッシュの考え方って
イスラム原理主義者のテロリストの論法と同じじゃないですか。

ブッシュは、「テロとの戦い」とか言って、アフガニスタン
やイラクに戦争をしかけていったのですが、ブッシュがやって
いることもテロとどう違うんだろうかと私は以前から感じて
いました。

アメリカに対する不信感が、結局はドル安に繋がっていると
いうことみたいなのですが、そんななかでこれからさらに浮上
してくるのが、中国であり、インドであり、そしてロシアで
あり、ブラジルであると,,,なんだか未来の世界史の教科書
に出てきそうな構図ですね。

未来の世界史の教科書で、ブッシュはどのように表記されるの
でしょうか?アメリカの同時多発テロのワールドトレード
センターの写真は、きっと教科書でも使われるでしょうが、
それはどのように説明されているのでしょうか。その頃、
アメリカはどのようになっているのでしょうか。
そして、中国は、日本は?
飛行機の中でいろいろと考えてしまいました。


アジアと日本のささやかで大きな違い

2007-08-20 01:48:16 | アジア
ファーストフードなどで、香港やシンガポールと日本で
大きく違うなと思うささやかな事があります。それは食後
に自分が使ったトレーや食器を自分で片付けるかどうかと
いうことです。日本では、ファーストフードやセルフサー
ビスのお店で飲食をした場合、自分が使ったものはゴミも
含めて自分で片付けるというのが常識となっています。
でも、香港やシンガポール(だけでなくアジアのほとんど
の国)では、自分が食べた食器はテーブルの上に置き去りに
します。

マクドナルドなどのファーストフードも、スターバックス
などのコーヒーショップも、フードコート(屋台街)など
もだいたいそうなのです。自分が使ったトレー、食器、
ゴミなど、みな平気でテーブルに置き去りにします。アジア
ではそれが常識なのです。別に、マナーが悪いとかいう問題
ではなくて、お店側できちっと片付ける人がいるのですね。
片付けをする専任の人たちがいるので、お客のほうは何の
良心の呵責もなく、彼らに後片付けを任せられるのです。

こういう環境で育ったアジアからの旅行者が日本に来た場合、
片付けずに去って行って顰蹙を買ったりすることもあるの
かもしれません。10年以上もシンガポールにいた私も、うっ
かりすると片付けずにテーブルを去ろうとして、はっと思う
時があります。こういう文化の違いに関しては、あまり指摘
されることもないので、知らず知らずのうちに摩擦を起こし
てしまうこともあるのかもしれません。

今日、成田から香港に戻ってきたのですが、成田の第二ター
ミナルの中にあるレストランに入りました。ここは注文は
カウンターでして、そこで支払います。生ビールとラーメン
を注文したのですが、生ビールはカウンターで受け取ります。
ラーメンのほうは後で届けるということで、電気的な機械を
もらいます。そこからシグナルが発せられているという感じ
で、かなりハイテクです。しばらくして店員がラーメンを
運んできます。

この上の写真のお店がそれです。ラーメンはまあまあの味で
したが、問題は、食器を自分で片付けるべきかどうかの判断
でした。店のシステムは、ファーストフードの流れです。
でも、ほとんどの料理は、店員がテーブルに運んできてくれ
るのです。普通の食堂とか、テーブルでオーダーを取るお店
では自分で片付けたりはしません。私はどうしようか迷って
しまいました。

しばらく観察をしていると、食べ終わって、自分でトレーを
持って片付けている人が何人か目につきました。でもトレー
を置く場所が明確にあるわけではなく、途中で店員が受け
取っていました。何人かが自分でトレーを運んでいました。
テーブルの上に食器を残したまま立ち去っていった人々も
いました。こういう場合、どのようにしたらよいのか、わけ
がわからなくなってしまいました。

食器を片付けるのは店員の仕事のようにも思えます。客が
自分で食器を片付けるという行為は、店員に楽をさせている
だけだというふうにも考えられます。さんざん悩んだあげく
私は食べ終わった食器をトレーに乗せて、持って行きました。
食器を置く場所はあるのですが、何となくそこはお客が立ち
いるべき場所ではないような雰囲気もしました。店員がそこ
にいて、トレーを受け取ってくれたので、それ以上悩む必要
はなかったのですが、もし誰もいなかったら、ちょっと困っ
たところでした。

シンガポールのフードコートとかで、食べ終わった食器を
持って、右往左往している日本人観光客を何度も見たことが
あります。フードコートでは食べ終わった食器は、テーブル
の上に置き去りにすると、片付けのおじさんやおばさんが
さっさと片付けてくれるのです。自分で注文したお店に持っ
ていこうとすると、迷惑がられます。食器を洗うところは
作るところとは別になっているのです。

あまり気づかない部分かもしれませんが、日本とアジアは
小さな部分でシステムの違いがあるのです。そういう部分を
知らないと、ちょっとした国際問題になってしまいますね。



香港VSシンガポール

2007-08-11 13:02:31 | アジア
香港は今日も雨です。そういえばシンガポールも雨が多いです
が、台風は全く来ないというのが大きな違いですね。香港も
シンガポールも、いろんな点で似ていますね。国際的な競争力
が高も世界のトップクラス。スイスと並んで、金融の中心地に
なっています。香港は1997年に中国に返還されてしまったので、
正式には独立国ではないですが、どちらも面積の狭い小さな
国です。

私がシンガポールに正式に駐在となったのは1997年の始め。
その年の7月に香港が中国に返還になりました。シンガポール
で仕事を始めてしばらくして、その年の後半に突如アジアを
襲った通貨危機。うちの会社は、タイやインドネシアの仕事も
していたので、通貨危機は結構な打撃となりました。しかし
アジアは、それを乗り越えて復興をしました。途中、サーズ
でアジア全域がダメージを受けましたが、今またアジアは
元気にがんばっています。

私は、シンガポールで10年間仕事をしてきて、今度は香港。
国際競争力の高い二つの国に滞在できて、両方を比較できる
というのはまれな機会です。香港のことは、まだ十分に
わからない部分も多いですが、シンガポールと比べて違う
部分をいくつか実感しています。ここでちょっと、私が
気づいた違いと類似点を整理してみたいと思います。

香港もシンガポールも小さな国です。香港の
ほうが面積的にも、人工規模的にも大きいですが、いずれ
しても小さな国です。どちらもその小ささと、資源のなさ
を逆手にとって、国際的にトップクラスの競争力を持つに
至りました。これはたいしたものです。

シンガポールには、天災がありません。地震も
なければ、台風もない。洪水もありません。唯一、落雷
くらいですね。香港も、地震はありませんが、台風はあり
ますね。日本に比べれば、地震とかない点が安心です。

シンガポールには、ほとんど山がありませんが、
香港は山だらけです。香港の家は駅の側なのですが、その
坂道を昇るだけで息は切れてしまいます。シンガポール
での運動不足が香港で解消されそうです。

シンガポールも、香港も、どちらも中華圏の国
ですが、シンガポールはマレー系やインド系が多く、
多国籍な感じですね。香港の場合は、基本的には中国人
の単一民族国家という感じ。フィリピン人とかは香港の
ほうがいっぱいいますけど。

シンガポールは、英語の国です。テレビとか、
ラジオとか、新聞とか中国語(北京語)のものも人気です
が、街で見かける看板もほとんど英語です。それに対して
香港は、広東語の世界。英語は、シンガポールよりも通じ
ないですね。上海や日本よりはましですが。テレビや新聞、
看板はほとんど中国語(繁体字)です。日常的に英語を
使っているシンガポールのほうが、英語は上手。ただし、
「シングリッシュ」のなまりがあり、文法も適当ですが。

どちらの国も日本料理は人気で、日本の食材は
簡単に手に入りますが、日本に近い香港のほうが日本の
食材の豊富さには分があります。シンガポールは、カレー
などのレトルト食品も肉の使用が制約がありますが、香港
は問題なく輸入できていますね。日本食材に関しては香港
のほうが上です。

シンガポールのほうが安全な感じはあります。
香港はマフィアやスリがいるという雰囲気はあります。
しかしそんなに危ないという感じはしません。
まあ、日本のほうが危険なのかもしれませんが。

シンガポールには四季はありませんが、香港に
は若干の季節はあります。シンガポールは年がら年中
同じ服装で通せますが、香港では上着を着る頻度が高い
です。シンガポールではほとんど上着を着ることがあり
ませんでした。

シンガポールはほとんどどこにでも、エスカレー
ターがあり、自分で階段を上り下りするということは
ほとんどありませんが、香港では階段もいっぱいあります。
香港は運動になりますね。

香港の人々もシンガポールの人々も大半は高層
アパートに住んでいます。私もシンガポールでは15階建て
の15階に住んでいましたが、今は50階建ての26階に住んで
います。平均的に香港のほうがビルの高さは高いですね。
高所恐怖症の人は香港はNGです。

ビジネス的に言えば、香港は中国という巨大市場
の窓口、シンガポールはインドという巨大市場の窓口とい
うことができます。その両方を押さえれば、これはすごい
ことになります。

シンガポールは安全ですが、文化的には面白み
がなく、刺激に乏しいと聞いています。香港は、映画産業
があり、音楽産業も元気です。中国大陸向けには、北京語
で歌える台湾の歌手り利があり、中国では台湾歌手が人気
です。シンガポール出身の歌手はあまりいませんが、最近
では、ステファニー・スン(孫燕姿)が中国でもかなり
ヒットしています。

香港もシンガポールも、金融、海運、ロジス
ティックス、観光、ショッピングなどの産業が基盤と
なっています。どれも実態があるようでない、現代的な
ビジネスですが、最先端の場所とはこういうところなの
かもしれませんね。

まだまだ、類似点、相違点はあると思うのですが、また
思いついたら、書きたいと思います。ちょっと前に
シンガポールで、取引先の人たちと食事をしながら話し
たときに、どちらに最初に駐在したかによって、シンガ
ポールが好きなシンガポール派の人と、香港が好きな
香港派の人に別れると言っている人がいました。ちなみ
にその人は、香港に7年住み、シンガポールに来た後、
今インドなのですが、香港派だと言っていました。別の
人は、ロンドンにいてからシンガポールに来たのですが、
その人はシンガポール派だと言っていました。
My Wifeも今のところシンガポール派です。

香港に台風がやってきた

2007-08-10 22:21:31 | アジア
香港に来てまだ一週間とちょっとですが、金曜日の今日は
何と台風がやってきてしまいました。数日前にフィリピン
の近くに台風があり、台湾の方角に進んでいるのを天気
予報で見ていました。フェデックスで日本に送った荷物が
フィリピンで足止めをくったということで、調べてみたら
原因はフィリピンの台風で飛行機が飛べなかったというこ
とだったようです。そのときに、何という台風と思って
いたのですが、その同じ台風が今日、香港上陸です。

金曜日は朝から雨が降っていましたが、昼過ぎになって
警報(シグナル8)が出たようでした。食事に出ていたの
でよくわからなかったのですが、なんか今日は空いている
なあと思っていたら台風だったのですね。会社の入ってい
るワンチャイのビルの管理人が来て、警報が出たので帰る
ようにとのお知らせ。台風が来ると会社で仕事をしている
こともできません。でも、3時からカオルンベイにある
会社で打ち合わせが入っていたのです。

その会社に行くのに、タクシーはつかまらず、また電車も
帰宅のラッシュで、雨の中たいへんな思いをしてオフィス
に着きました。社員はほとんど帰宅した閑散としたオフィス
で打ち合わせを行い、5時過ぎには家に戻ってきました。
それ依頼、外には出ていませんが、ちょっと風が強い感じ
でした。

さきほど日本の天気予報のサイトを見たのですが、アジア
内に台風はないと出ていました。香港に来たこの台風は
台風ではないの?という感じです。

しばらくブログの投稿をさぼっておりましたが、台風の
おかげで少し時間ができてので、このブログをちょっと
リニューアルしてみました。テンプレートにブログパーツ
を貼付けてみました。左のコラムには、ソニーエリクソン
のカレンダーとトリピカルフィッシュ。ちょっとデザイン
が素敵だなと思い、早速貼付けました。あと右側に時計。
これは時計のブログパーツのサイトから調達してきました。

これからもまめに更新しなければと思う今日この頃です。

香港からのアップロード

2007-06-29 02:41:07 | アジア
たいへんごぶさたしておりました。今、香港です。
この間、上海に行ったり、香港に行ったり、あちこち移動して
いたのですが、今は香港にいます。実は、10年いたシンガポー
ルを後にして、香港に転勤になるのですが、そのための準備
でいろいろ行き来していたのです。

香港のアパートも決まりました。シンガポールのほうもまだ
7月いっぱいまではアパートをキープしていて、今、瞬間的
に香港とシンガポールの二都市に家があるという非常に贅沢
な状況です。

香港のアパートは、香港島のフォートレス・ヒルという所に
あります。MTRの駅のそばなのですが、少し高台になっていて
この26階の部屋からは、写真の海峡が見えるのです。26階と
言っても、この建物の最上階は50階なので、真ん中あたり
なのですが、家からこんな景色が見えるので大満足です。
しかもベッドに寝たままで、こんなんが見えてるんです。

日本がゴールデンウィークの頃、私の妻であるところの
下町娘と一緒に香港に来て、一日だけ日系の
不動産屋さんに物件を案内してもらったのですが、その日
見たうちで最後の物件がここでした。シンガポールに比べ
れば、面積は狭く、値段は高いのですが、ここのインテリア
も設備もかなりよく、すぐに決めてしまったのでした。

テレビが42インチのプラズマで、5.1チャンネルの音響シス
テムがついているというのと、この景色というのが決めて
でした。駅の近くというのもいい点でした。駅の近くには、
ウェルカムというちょっと大きめのスーパーがあり、
とても便利。でも駅のすぐ裏手であっても、坂道が結構
きつめで、かなり足腰が鍛えられます。シンガポールは
坂道がなく、あまり歩くこともなかったのですが、香港は
とても運動になります。

昨日からここに泊まっているのですが、妻にもらった
コブクロのCDをかけています。5.1チャンネルのシステム
で聴くコブクロはとても美しくて感動してしまいます。
シンガポールの時は、たいしたスピーカーで聴いてなかっ
たので、何だコブクロかくらいにしか思わなかったので
すが、この香港のスピーカーで聴いたら、全然違う
アーティストみたい。音楽ってものがこんなに素敵な
ものだったのか、なんてあらためて感じた私でした。

これまで眠っていた音楽ライフが開花しそうな雰囲気
であります。香港はまもなく中国返還10周年です。
私の誕生日と同じ7月1日がその記念日なのですが、
その前後に香港に居合わせるのも不思議な縁です。

千の風は南の空にも吹いている

2007-02-20 15:18:30 | アジア
今朝、NHKの『生活ほっとモーニング』を見ていたら、「わたしの
"千の風になって”」
というのをやっていました。今日は
シンガポールはまだ旧正月の休みなのです。ゲストは中島啓江
さんと、千住明さんでした。暮れの紅白歌合戦で秋川雅史さん
が歌った「千の風になって」が、身近な人をなくした人の心の
支えになっているという内容でした。中島啓江さんがステージ
で、『千の風になって』を歌っているのも紹介されましたが、
彼女の歌も素敵だったし、聴衆が涙を流しながらも微笑んでい
るというコメントが印象的でした。

去年の12月頃だったか、NHKのテレビを見ていたらハイビジョン・
スペシャルで、この詩が朗読されていて、思わず見入ってしま
いました。木村多江さんが、アメリカなどを旅して、『千の風
になって』の元の詩が、世界でどのように人々をいやしている
のかをレポートしていました。いい番組でした。

それから、新井満さんの『千の風になって』(講談社)を買い
ました。この本の中で、「あとがき」に代える十の断章の中の
6番目の章にとても面白い部分がありましたのでご紹介します。

「遅かれ早かれ、僕は逝くことになるだろう。そこでお願い
なんだがね」
「はい、何でしょう」
「僕の葬式の時は、ぜひこのCDを遺影のうしろから流してくれ
ませんか」
「わたしが先に死んだら、どうするんですか」
「たぶん、それはないと思うね。頑強な君より、ひ弱な僕の
ほうがきっと先に死ぬさ。そうに決まっている。それは自信を
もって言えることでね。だから頼むよ」
妻はしばらく黙っていたが、やがてぽそりと呟くように言った。
「りょうかい」
それからすぐにつづけて、
「ところで死んだあとあなた、何に生まれ変わるつもりですか」
「さあてね...」
私も、まだそこまでは考えていなかった。
「あの歌のように、光や風になるのもいいが、象やライオンと
いう手もある。いや、いっそ屋久島杉のような樹木になるかな」
「一生のお願いがあるんだけど」
妻はおもむろに口を開いて言った。
「何?」
「ナマコだけはやめてください」
妻はナマコが大の苦手なのである。
(新井満「千の風になって」より引用)

これを読んだときは、思わず吹き出してしまいました。私の
妻もナマコが大嫌いなので、私がナマコに生まれかわるのだ
けは困ると言っておりました。

この写真は、昨日までいたサムイ島で撮影したものです。空
は青く晴れ渡り、とても気持のよい旅でした。このような空
に吹いている風なども、千の風なのかなとふと思いました。

母が亡くなってから間もなく一年になります。このブログ
の去年の3月の頃に書いたのですが、ちょうど私がお見舞い
で帰っている間、他界しました。3月5日のことです。
今週末、一周忌で田舎に帰ります。

去年の正月は、おせち料理を美味しそうに食べていたのに、
2月には入院して、病状は悪化していっていました。母が
亡くなるときに、外国にいる私が来てくれるのかをいつも
気にしていた母でしたが、私が田舎にいる間に、母は亡く
なりました。私がその時のために呼ばれたのか、それとも
母が気を使って、私が滞在している間にあの世に行こうと
思ったのかわかりませんが、不思議な出来事でした。

私が数年前、シンガポールに来てまだ間もない頃、両親に
一度遊びにきてもらおうとして、パスポートを取る手続きを
しようとしたことがありました。母は以前から、糖尿病だっ
たので、病院に英語で証明書を書いてもらっていました。
しかし、パスポートをとらぬうちに、母がまた入院したり、
結局外国には一度も行けないで、あの世に行ってしまいました。

ひょっとしたら、母は、千の風になって、シンガポールとか
サムイ島とかの南国の空を吹き渡っているのかもしれません。
風にはパスポートもいらないので、自由に飛び回っているのか
もしれません。母が亡くなってから、まだ一年も経たないの
ですが、ずいぶん遠い昔のことのようにも思えます。

今日、シンガポールのコンドミニアムの部屋の窓を開けている
と、とても気持のよい風が海のほうから吹き込んできます。
ひょっとして、母がこの風になって、何か伝えに来ているのか
なという気もします。もっとしっかりしなくっちゃ。

サムイ島と唯川恵の「ベター・ハーフ」

2007-02-20 01:04:21 | アジア
サムイ島からシンガポールに戻ってきました。今日の昼過ぎ
まで、サムイ島のチャウエンビーチにある、ブティック・
ホテルのブリラサにいました。この写真は、そのレストラン
のグリーン・オリーブからの風景です。これはイタリア・
レストランなのですが、タイ料理もあり、その味はかなり
美味しく、昨夜のディナーに引き続き、本日の朝食、そして
昼食と連続で利用してしまいました。

今日の昼食は、タイ式フライドライスをシーフードで頼んで
みたのですが、これがまた恐ろしくうまい。普通のフライド
ライスなのに、味付けが違います。今までタイでフライド
ライスを何度も食べているのですが、ここのフライドライス
はこれまでで最高の味です。妻は、フレンチフライを食べた
だけですが、これも美味しかったです。

まだ若いイタリア人のシェフが、客の一人一人に挨拶に来て
いましたが、味もよく、スタッフの接客もよく、のんびりと
して静かで、おまけに目の前の海が信じられないくらいに
奇麗だったのです。マスターカードの宣伝で「プライスレス」
というキャンペーンがありますが、この景色はまさにプライス
レスだなあと思いました。

私は、この旅行に、唯川恵の「ベター・ハーフ」という本
を持ってきました。まだ読み終わっていませんが、八割くらい
まできました。あと少しです。

妻が、この旅行のために本を二冊くらい買ったというので私も
何か買おうと思って、シンガポールの紀伊國屋に行ったら、
なぜかこの本を選んでしまっていました。この著者の本は今ま
で読んだ事ないのですが、この本を選んだ理由は次の通りです。
1)主人公の名前が自分の名前と同じだったこと。ちょっと
立ち読みしたら他人事とは思えませんでした。
2)主人公の仕事が広告代理店であること。自分も広告の仕事
をしているので、ますます他人事とは思えませんでした。
3)著者の唯川恵(ゆいかわけい)さんが、1955年生まれで
私と同じだったこと。ますます興味がそそられました。
4)そして、この小説は、7月1日に行われる結婚式のシーン
で始まるのですが、7月1日が私の誕生日であること。ますます
他人事とは思えませんでした。
5)タイトルからして、どうやら夫婦の話しであるらしいこと
だいたい以上のような理由です。

サムイ島のビーチでこの本を読み始めて、思ったことは、
これは男が読む本ではないのではないかということ、またこの
ような奇麗で平和なリゾートで読むべき本ではないのではない
かということでした。読み進むにつれて次々と起こる悲惨な
出来事と、この美しいリゾートとのギャップに頭がおかしく
なりそうだったのですが、どんどんと引き込まれていきました。

これは妻だったらもっと喜んで読むのだろうという気がしまし
た。途中までしか読んでいないのに、この悲惨な夫婦の話しを
妻にしたくてしかたがありませんでした。しかし、「私が自分
で読みたいので、ストーリーは絶対に教えないで」というので
す。ということで、このブログにもしばらくは詳しいことは
書けません。

途中まで読んで、こんなに問題の多い夫婦もいるんだ、これに
比べれば自分達は何て幸せなんだろうかということを考えさせる
効果がありました。まさに反面教師です。いろんな問題がぎっし
りとつまっていて、なんだか面白くなってしまいます。

というようなわけで、サムイ島でこの本を読んだのは、結果論で
言えば、非常によい選択であったと言えるのかもと思います。
まだ、この本の結末を知らないので、ちゃんとしたことは言えま
せんが、また読み終えましたら、コメントしたいと思います。

サムイ島チャウエンビーチのおすすめのホテル

2007-02-19 13:26:27 | アジア
旧正月はシンガポールを脱出して、タイのサムイ島に来ていま
す。サムイ島は二回目ですが、チャウエンビーチのブリ・ラサ
に泊まっています。海沿いのブティックホテルで、部屋数数は
30いくつかしかなくて、それぞれがまるで自分の家みたいな作
りになっています。2005年にできたばかりなので、まだ新しく
何から何まで素晴らしく、あまり人には教えたくないというく
らいの隠れ家的ホテルです。

ここのホテルのウェブサイトはこちらです。
http://www.samui-hotels.com/burirasavillage/
ホテルというよりも別荘のような感じで、青い海や、緑の木々、
澄み切った空気、満天の星空を自分のものにしたような感覚は
なにものにも代え難い贅沢な感じです。
ここのレストランがこれまた最高。グリーンン・オリーブとい
うイタリアレストランですが、タイ料理のメニューも豊富でと
ても美味しい。ホテルのスタッフの対応も素晴らしく、タイは
微笑みの国なんだなとあらためて感動します。

上の写真は、ホテルの前のビーチの写真ですが、白い砂浜に
青い海です。海に入ってわかるのですが、水の透明度も最高。
それに人があまりいないというのもよいです。すごくゆったり
とでき、とてもリラックスできます。アジアは、こういう
リゾートが近場にあるということがよいところです。

昨日の日曜日は久々にダイビングをしました。スマトラ沖津波
以降は、ダイビングをやっていなかったので、本当に久々です。
2004年にサムイ島に来たときも、タオ島というところにダイビン
グに行ったのですが、今回も同じスポットで潜りました。日本
系のダイビングショップで申し込んだのですが、ガイドは
イギリス人のイケメンにいちゃん。何と、彼と二人だけでの
ダイビングでした。女性一人だけで申し込んで、いきなり彼の
ようなイギリス人の若者が来たら、すごく嬉しくなるのではない
かなという気がするほどの若者でした。機材のセットアップなど
は彼のほうで全部やってくれたので、とても助かりました。

一本目は、ウェイトが軽すぎて、後半、浮き気味になってしまい、
とても疲れましたが、二本目は重さを増やしたら安定してとても
楽でした。いろんな魚がいて、全く別世界の感覚を楽しみました。

今、このブログを、ブリラサビレッジの部屋のバルコニーで書
いています。畳だと5枚くらい敷けるくらいの広さの場所で、
縁台で寝っころがってノートブックパソコンを広げています。
ワイヤレスなので、こんな場所でもネットワークが繋がっていて
しかも、無料。こういうことでもすごく嬉しくなります。

バルコニーの柵の向こうには、スパの藁葺き屋根(藁じゃない
かもしれないけど)や、レストランの屋根が見えて、ヤシの木
やいろんな植物の緑を抜けて、光り輝く海が見えています。
このホテルは決して安くはないのですが、こういう空間にいる
と、これはお金には代え難い贅沢さがあるという気がします。

リラックスすることの大切さをあらためて教えてくれた旅でした。

突然ですが今日からコサムイに来ました

2007-02-17 03:08:19 | アジア
今日は、シンガポールの会社は旧正月の前で半休にしました。
一日中やっている会社もあるのですが、うちはさっさと休み
にしました。月曜日、火曜日は旧正月の祝日となっています。
この期間、シンガポールにいてもしょうがないので、タイの
コサムイに来ました。去年の11月頃から予約をとっていたの
ですが、この時期は旧正月の旅行シーズンのため飛行機がな
かなかとりにくいです。とくに近場のリゾートはいっぱいです。

シンガポールを夜の8時過ぎのバンコクエアウェイズで出発し、
1時間半ちょっとで、コサムイに到着です。時差が一時間ある
ので、到着してもまだ8時台。シンガポールとは全然違う、
のんびりした田舎の感じにほっとしてしまいます。2、3年
くらい前に一度来たことがありました。

その時は、チャウエンビーチの北の外れのバーン・ハートンガム
というホテルに泊まりました。今回は、チャウエンのどまんなか
からやや南よりのブリラサ・ビレッジに泊まっています。
いわゆるお洒落なブティックホテルです。チェックインしたら、
何と、スィート・ルームにアップグレードしてくれました。

その部屋の大きさにびっくり。すごく広く、天井も高く、バルコ
ニーも大きくって感動です。さらに、インターネットが無料で
ワイヤレスで接続できてしまい、大感激。もう言う事なしです。

静かで、お洒落な、ブリラサビレッジ。今日から3泊こちらの
ホテルで宿泊です。ではまた。

スマトラ沖地震・津波と神様の存在

2007-02-11 22:02:32 | アジア
橋廣治さんの「東南アジアにおける宗教事情」(近代文芸社)
という本を読みました。2004年12月に起きたスマトラ沖地震・
津波で20数万人の人々が亡くなったのですが、スマトラの
メダンで日本国総領事館総領事である著者の橋さんが、被災
の現場でアジア人々の宗教観に関して考えていく一冊です。

震源地となったバンダ・アチェ市は、スマトラ島の北の端に
あります。地図で見ると、バンダ・アチェは、シンガポール
からはずいぶん北にあるんですね。緯度でいくと、ペナン島
と同じくらいの緯度、またシンガポールからの距離は、プー
ケットに行くのと同じくらいの距離感覚です。

インドネシアというと、シンガポールよりも南のイメージが
あるのですが、スマトラ島の大半は、マレーシアに平行して
いるかのように存在しているのですね。地図で見ると、津波
被害の大きかったプーケットは確かに至近距離。また距離は
遠くても、スリランカや、インドまで、海で遮るものがない。

「この被災は偶然のものではなく、それは神のなせる業では
ないのだろうか」と、特定の宗教を持たない著者は、被災地
の現場で感じたと言います。逆に、キリスト教徒の人たちは
「こんな酷い事になるなんて、もしかしたら神はおられない
のではないのか」と考えたと言います。

バンダ・アチェは、ほとんどの人がイスラム教です。イスラ
ムの人は、この災害に直面して、「これは神様の思し召し。
死者は別の世界に行った」と考えていたそうです。一方、
バンダ・アチェより少し南の二アス島という島は、スマトラ
沖地震の3ヶ月後、地震が直撃し、相当な被害がでます。
この島は、ほとんどがキリスト教なのだそうです。宗教の
違いを超えて、天災はやってくるというのが証明されました。

インドネシアでは、津波を題材としたDVDが市販されている
そうです。それはこんな内容なのだそうです。
「何故、かの地に大災害が発生したのか。
この世の出来事は全て全知全能の神アッラーのされたもう業
アチェにおいては長く紛争が続き、軍人が多くの人々を殺した
プーケットでは麻薬、売春が行われている
モルディブは白人たちに売春しているので島ごと沈んだのだ
インド、スリランカはイスラム教徒を迫害している
ペナン島では麻薬があり性が乱れている
全知全能の神アッラーはお怒りなのだ」
この災害は神の仕業と言わなければ、何とも説明のしようの
ないことなのでしょう。

著者の橋さんは、イスラム教、キリスト教、仏教、ヒンズー教
など様々な宗教があるが、アッラー、イエス・キリスト、釈迦、
様々なヒンズーの神々などを通して、その先にある大きな神の
存在にたどり着き、結局それは宗教が違えど、同じようなもの
ではないのかという結論に到達していくのです。なんだか、
すごい深い内容の本でした。

私は、津波の被災地の一つとなった、プーケットにも、ピピ島
にも何度か行ったことがありました。2005年の1月も、プーケッ
トの旅行を予約していたのですが、ホテルが営業不能になった
ということで旅行代理店からキャンセルの通知が来ました。
もしも自分が、偶然にもその時期に、被災地のどこかに行って
いたかと思うと、恐ろしくなります。

プーケットでは、パトンビーチのビーチ側のバンガローによく
泊まっていたので、その時、そこに泊まっていたら、おそらく
朝寝坊をしていたでしょうから、気がついたら、何が何だか
わからないうちにあの世に行ってしまっていたのでしょう。

私は、橋さんのの本を読んだあと、この自然災害での死者の数と、
広島、長崎、およびその他の空襲で亡くなった日本の人たちの
数を比べてみようということを考えました。スマトラ沖地震・
津波で亡くなった人々は、行方不明者を含めて、22万6194人と
いう数でした。各国別の詳細はこちらです。
http://rescuenow.cocolog-nifty.com/sumatra_earthquake/

広島原爆と長崎原爆で亡くなった人の数を調べたら、びっくり
しました。何と、広島では、死者、行方不明者あわせて、
12万2338人、長崎では、7万3884人。被爆後5年の間に亡く
亡くなった方を含めれば、広島で20万人、長崎で14万人という
驚くべき数字でした。東京でも1945年3月10日の東京大空襲で
は、死者が8万3千人、日本のほとんどの都市が空襲被害を
受けているので、トータルではすごい数になります。
日本の空襲被害に関してはこちらを参照。

広島と長崎の二都市だけで、スマトラ沖地震・津波の被害者の
総数よりも多いです。この事実には言葉を失います。
スマトラ沖地震・津波の被害者はものすごい数だと思っていた
のですが、実は日本の空襲の悲劇もとんでもない規模だったの
ですね。自然災害は、神の怒りということであきらめもつくの
ですが、原爆や空襲はを落としたのは、神ではなく人間なんで
すよね。人間が神の代理をするということが許されるのでしょ
うか。罪もない人々が制裁を受けないといけないほど、日本は
とんでもない国だったのでしょうか。当然の報いとして、我々
はこの死を受け入れないといけなかったのでしょうか。絶対に
防ぐことはできなかったのでしょうか。

広島や長崎の被爆現場で、あるいは次々と空襲を受けて焼け
野原となっていった焼土で、人々はそこになにを感じていたの
でしょうか。

なんだか、こういうことを考えると、複雑な気持になります。
地震や津波と、戦争被害を同列に考えてはいけないのでしょう
か?神様教えて。

突然ですが上海です

2007-01-12 02:17:00 | アジア
突然ですが、木曜日から出張で上海に来ています。寒いです。
土曜日にはシンガポールに戻る予定です。この上の写真は
本日ホテルにチェックインした時に窓から撮影したものです。
今朝は、朝の7時40分の飛行機で、4時起きで、ほとんど
寝られなかったので、眠いです。早くねます。
では、すごく短いですが、今日はこのへんで。

バンコクを旅するジャック・バウアー様御一行

2006-12-01 02:46:42 | アジア
この写真は、バンコクのスクムビット通りでのナナという名前
の繁華街で見かけたゲテモノの唐揚げの屋台です。タガメのよ
うなのや、バッタのような虫が唐揚げになっています。そばを
通った酔っぱらいの白人が「こいつはコックローチだぜ」と
わめいていました。何だかよくわかりませんが、いずれにして
も気味の悪い形のものばかりです。

さて、昨日、ブログにドラマ『24』の主人公のジャック・バウ
アーを登場させてみたのですが、調子に乗って、さらに彼に
バンコク市内を観光させてみようと思います。ジャック・バウ
アーは、テロ集団からアメリカを守るために超人的な活躍をす
る人物なのですが、ドラマの中では、常にスリルとサスペンス
の連続です。そんな彼が、普通の観光客としてバンコクに来た
場合、どんなことになるのだろうかと考えてみました。昨日に
引き続き、以下は全くの勝手なフィクションです。

*********************

ジャック・バウアーは、夜のパッポン通りにいた。パッポンは
両側にゴーゴーバーが並ぶ歓楽街なのだが、通りの真ん中は
観光客向けの土産物の屋台がぎっしり立ち並んでいる。屋台が
通りのかなりの面積を占めているので、そこが歌舞伎町のよう
な歓楽街であるということは、ほとんどわからない。

ジャック・バウアーはTシャツを売っている屋台の前で立ち止
まった。FBIとかCIAとか、でかでかと印刷されたTシャツが並べ
られている。「なんでCTUのがないのかしらね」と声のするほうを
見ると、しかめっつらで腕組みをしているクロエ・オブライエン
がいつの間にかそこに立っていた。

「クロエ、君もここに来てたのか?」とちょっと驚いたような
表情のジャック・バウアー。クロエは、FBIのグレーのTシャツを
触りながら、皮肉そうな表情で笑っている。「FBIのシャツは
死んでも着たくないわよね」とため息をつく。そこにタイ人の
おばさんの売り子が割り込んでくる。「このTシャツ、いいで
しょう。有名なFBIよ、どう、あんたらが着たら、本物のFBIに
見えるわよ」とおばさんは積極的にセールス攻勢をかけてくる。

ジャック・バウアーは、自分の身分をこれ見よがしに主張して
いる衣類は嫌いだ。バーバリーとか、グッチとかのロゴがつい
ている衣類も好きではない。しかし、もしCTUのロゴがついてい
るTシャツを売っていたら、エドガー・スタイルズへのお土産に
買っていくのにと思うジャック・バウアーであった。

次に、目に入ったのは、偽物時計の屋台だった。そこにロレッ
クスのサブマリーナ・デイトのような時計があった。もちろん
偽物だが、思わずそれを手にとって見るジャック・バウアーだっ
た。

「社長さん、安くしまっせ」と間寛平をやせこけさせたような
タイ人のおっさんが、粘りっけのある声をかけてきた。「いく
らだ」と横から割り込んできたのは、トニー・アルメイダだ。
「トニー、悪いが、このロレックスは俺が先に見つけたんだ。
この物件は俺が担当させてもらう」と、トニーを押しやる。
「5000バーツ」とやせこけた間寛平が値段を告げる。
「高すぎる!」と即座にコメントするトニー・アルメイダ。
「だから、これは俺の案件だ。余計な口出しはしないでほしい」
と厳しい表情で、トニーを制する。

「じゃあいくらだったら買うか?」やせこけた間寛平が聞いて
くる。瞬時に計算をするジャック・バウアー。通常、このよう
な屋台ではかなり吹っかけてくるので、50%に値切ってから
交渉を開始するというようなことが昔から言われていた。しかし
売り手のほうもそのパターンは把握しているので、仮に50%に
なってもまだ十分利益があるくらいの値段で吹っかける。
「100バーツ!」ととんでもない安値で先制攻撃をかけるジャッ
ク・バウアー。さすがにその値段には、トニー・アルメイダも
クロエ・オブライエンも唖然としてしまう。やせこけた間寛平
のほうは、咳き込んで首を横にふりながら、「とんでもない」
というふうに答える。

4900バーツくらいにはできるが、それ以下だと儲けがないと
主張する間寛平。「嘘を言うな、儲けがないわけがないじゃない
か」と怒りだすジャック・バウアー。「500ドルしかだせない」
とつけくわえる。間寛平は、もう売る気を失っている。
「4800バーツ」彼は言う。売値と買値が離れすぎていて、この
両者の値段が接近する気配がない。

ジャック・バウワーは、短絡的に銃を出す。「500バーツで承諾
しろ」と間寛平を脅迫する。トニーが、「それではこの人がかわ
いそうだ。1000バーツは出してもいいんじゃない?」と横やりを
出す。クロエもそうだと頷いている。「それじゃあ1000バーツ
でいいか」と聞くジャック・バウアー。間寛平は仕方なく頷く。
そんな強引な根切り行為で、偽物ロレックスをゲットしてしまう
ジャック・バウアーであった。

値切りはリアルタイムで起こっている。

今日は、このへんで。

もしもジャック・バウアーがバンコクに出かけたら

2006-11-30 02:12:34 | アジア
本日、バンコクからシンガポールに戻ってきました。二泊三日
の旅でした。上の写真は、この間オープンしたばかりのバンコ
クの新空港の様子です。お店がいっぱいあって奇麗ですが、
ガラスばりの外壁は、汚れが目立ってしまっています。こんな
にガラスを使っていると掃除が大変なのですが、ひょっとした
ら作ったはいいけど、掃除まで手が回らないのかもしれません。

この旅に出る前に、ビデオでドラマの『24』のシーズン4を
見終わりました。シーズン1から3まで見てなくて、いきなり
シーズン4だったのですが、見出したらやめられなくなり、出
張の前日の日曜の夜に最後まで見終わってしまいました。今は
日本の皆さんはシーズン5の話題になっているので、今頃、4
を見た話しはちょっと時代遅れかもしれません。でも私は海外
におりますので、大目に見てください。

バンコクを旅していて、『24』のジャック・バウアーの姿が脳
裏にちらついてしかたがありませんでした。タイは、全体的に
のらりくらりしているので、『24』の世界とは全然違います。
時間がゆったりと流れ、すべてがアバウトで、細かいことは気
にしないという世界なので、シンガポールに比べてもかなりの
ギャップを感じてしまいます。

もし『24』のジャック・バウアーがバンコクに旅行に来たとし
たら、どんなことになるだろうかと想像してみました。以下は
私の勝手なフィクションです。

*************

ジャック・バウアーがロスからバンコクに到着した。飛行機から
降りて、足早に入国審査の列に並ぶ。入国審査の係官は何人もい
るのだが、どこも行列が長い。ジャック・バウアーは素早く各列
に並んでいる人数を分析し、一番人数の少ない列の最後尾に並ぶ。
バンコクの入国審査管は何をチェックしているのか知らないが、
テロリストなのか、犯罪歴があるのかなどをコンピューターで照
合したりして時間がかかっている。ジャック・バウアーは次第に
いらいらしてくる。

カシオのGショックを苛立たしげに覗き込む。もう10分が経って
いる。時間の制約の厳しい『24』のドラマの中では、10分という
のは貴重な時間だ。それがただ無意味に過ぎていく。ジャック・
バウアーは隣の列の進み具合と、自分の列のそれを比較して分析
する。何と、自分の列の進み具合が相対的に遅い。ジャック・
バウアーの目が、前方の入国審査管の動きを瞬時に分析する。
自分の列の審査官は、無駄な動きが多い。パスポートにスタンプ
を押すアクションがあまりにもゆったりとしている。別にさぼっ
ているわけではないが、このようなスローペースの積み重ねで、
作業効率が落ちてしまっている。ジャック・バウアーは、この
ようなことに我慢ができない。

リーバイスのジーンズのポケットに手を入れて、H&K社製のUSP
コンパクトのピストルを取り出して、審査官にもっと機敏に動
けと脅したくなる。しかし、飛行機に乗る前にピストルは危険
物として別預けになっていた。もう我慢できなくなったジャッ
ク・バウアーは、係官を人差し指で指差して、叫んだ。「おい、
そこの係官、もっときびきびと動け!何時間待たせれば気が済む
んだ!俺はもう待てない!」

係官はきょとんとして、ジャック・バウアーを見つめる。
一瞬、緊張した空気があたりを覆う。彼は、タイの空気の中で
完全に浮いてしまっている。もし彼がコメディアンの才能があれ
ば、ここでギャグをとばして、爆笑とはいえなくとも、失笑の
空気で状況を緩和させるのだろうが、彼はそういうタイプでは
ない。空気は凍り付いたままなのだが、タイの審査官はこういう
状況で、どうしたらよいのかわからずににたりと笑う。それに
あきれて、とりあえず状況はマイペンライ的に丸く収まり、
やがて、ジャック・バウアーのパスポートにスタンプが押された。

通関を出ると、人がうじゃうじゃと待っている。初めての空港な
ので、あたりをきょろきょろと見回すジャック・バウアー。その
様子を見て、リムジンやらハイヤーの斡旋業者が群がってくる。
「タクシーですか?」とか、アプローチしてくる。「俺が探して
いるのはパブリック・タクシーだ!」と叫ぶジャック・バウアー。
「パブリック・タクシーはありません。リムジンがいいですよ」
とタイ人の男が言いよってくる。すぐに頭にきたジャック・バウ
アーは、その男の胸ぐらをつかみ、「嘘を言うな!パブリック・
タクシーはあるはずだ。正直に言うんだ」とすごむ。ついつい
日頃の尋問の癖が出てしまう。

タイ人の男はびっくりして、エスカレーターの下のほうを指差し、
「パブリック・タクシーはこの下の外側」と白状する。ジャック・
バウアーは、「世話をかけやがって」と捨て台詞を言いながら、
エスカレーターを駆け下りていくのであった。

と、ここまで書いてきて、まだ市内に入らないうちに疲れてし
まったので、このへんにしておきますが、ジャック・バウアーは
タイとは対局のタイプの人間なので、彼がタイにきたらすごく
大変なことになるというのはおわかりいただけたのではないかと
思います。では、かなり尻切れトンボですが、とりあえずこの
へんで失礼します。ジャック・バウアーのファンの皆様、つまら
ぬ話しで失礼しました。


バンコクの夜は更けて

2006-11-29 09:52:42 | アジア
バンコクの二日目です。今日のホテルは、スクムビットのソイ
6にあるグランド・スクムビット・バイ・ソフィテル。イン
ターネットで予約したのですが、このホテルすごくいいです。
一泊3550バーツで、セミスイートです。リビングルームと
ベッドルームの間は仕切りがあって、冷蔵庫は大きいし、電子
レンジもキッチンもついています。テレビは薄型フラットテレ
ビがリビングとベッドルームと二つもあります。おまけにイン
テリアはお洒落でシック、戸棚やウォードローブがやたらいっ
ぱいあります。

ホテルというよりか、お洒落なコンドミニアムといった感じで、
一泊しかしないのが逆にもったいないですね。しばらく滞在し
たくなってしまいます。このホテルはまだ新しくて、あまりま
だ知られていないのですが、穴場のホテルです。

このホテルのあるソイ6は一方通行の細い道なので、表通りか
らはちょっと分かりにく場所にありますが、逆にひっそりとし
た隠れ家的なブティックホテルといったたたずまいです。

ここはインターネットで探したのですが、インターネット接続
が可能なホテルという条件で、なるべく安いホテルということ
で調べた結果、浮上してきたホテルです。インターネット接続
は有料ですが、リビングのテーブルにはイーサネットケーブル
がついています。

ちょっと歩けばすぐにスクムビットの通りに出られますし、
NANAの駅もすぐそばです。この間泊まったJWマリオットもすぐ
そばです。この便利さで、この値段、そしてこの設備と雰囲気。
これはかなりおすすめのホテルといえるでしょう。

今日は(すでに日付は翌日になってますが)、アユタヤの冷凍
食品の工場と、バンコク市内の女性用ランジェリー工場に行って
きました。二つの工場とも全く雰囲気の違う工場なのですが、
それぞれ独自の背景を持ち興味深い訪問でした。

ランジェリー工場では、有名ブランドのブラジャーを製造してい
ました。ブラジャーというのは、すごいいっぱいのパーツからで
きているのですね。そのためものすごい手のこんだ製造物になり、
値段も高くなってしまうのだそうです。アメリカ向けの製品もこ
こで作っていたのですが、アメリカ用のはレースとか使ってなく
て実にシンプルな作りでびっくり。日本向けの製品はかなり装飾
が多くて、品質的にも高度な技が要求されるのだとか。

タイ向けの商品は、タイ人の体にあわせてデザインされていて、
日本ほど高度な技術は使われていないため、値段も若干安めだと
か。タイ人女性の身体は、垂直的なバランスはわりとよいのだが、
バスト、ウェスト、ヒップのバランスに関しては日本人のほうが
バランスがよいとかいう面白い分析データが説明されました。
業界が違うと、全然違ったことを研究しているのですね。

日頃知る機会のない業界のことを勉強できて有意義な見学でした。
明日は、バンコクの広告代理店を訪問した後、シンガポールに
帰ります。ではまた。

ふたたびバンコクの夜景

2006-11-28 02:54:26 | アジア
月曜日からバンコクに来ています。11月の9日から12日に来て
いたのですが、再び別件で来ることになってしまいました。
今回は、シンガポールの日本企業のおつきあいの工場見学旅行
なので、まったく責任のない気楽な旅です。バンコク市内の
パンパシフィック・ホテルに宿泊していますが、ホテルの部屋
はめちゃめちゃ広くてというか広すぎて落ち着かない感じです。
設備は、バスルーム設備も抜群に広々として贅沢な感じだし、
フラットテレビもよい感じです。まあ贅沢な旅行です。

上の写真は、このホテルの部屋から撮影した夜景ですが、バン
コクにしては、何となくひっそりとした雰囲気です。おそらく
この写真の中にいくつもの歓楽街が見えているのだと思うので
すが、こちらの方角がどっちなのかはよくわかりません。バン
コクはシンガポールとは違って、ちょっと危険な雰囲気の漂う、
怪しげなアジアの都市です。

この写真で見ると、このホテルは非常にひっそりした区域にあ
ると思えるのですが、実は、歩いてすぐ歓楽街のタニヤやパッ
ポンです。ジムトンプソンのお店もすぐ近くです。こんな便利
な場所にありながら、こんなに静かというのも不思議な感じで
す。

先ほど、タイ式マッサージの有馬温泉という店に行ってきまし
た。この有馬温泉は昔からあり、何度か行ったことがあったの
ですが、数年前に行ったきりなので、久しぶりでした。嬉し
かったのは、値段が昔とほとんど変わらない安さです。一時間
300バーツでした。

部屋はカーテンで仕切られた部屋で、タイシルクのパジャマの
ようなのに着替えます。そこでおばさんにマッサージをされる
のですが、これが気持ちよい。一時間はあっという間に過ぎて
しまいました。これだったら一時間半か二時間くらいやっても
よかったかなとちょい後悔。全然痛くないのですが、かなり気
持はよいです。

今日の夕方は、これもパッポンの近くにあるコカレストランの
本店に行ってきました。12人の日本人のおっさんばかりで円卓
を囲んでタイすきを食べたのですが、カニやらいろいろの具が
あってとても美味。コカはシンガポールでも何度か食べたこと
があるのですが、今日のはちょっと高級なやつでした。お店の
人が鍋から取り分けてくれるという鍋は珍しかったです。

12人の日本人のおっさんと言うと、何かよからぬことを想像す
るかもしれませんが、私は別のおっさんとさっさと有馬温泉に
行ってしまったので、他のおっさんたちがどこに行ったのかは
よくわかりません。明日は、いよいよメインイベントの工場見
学です。日系の食品会社の工場を見て、同じく日系の女性下着
(いわゆるブラジャー)の製造工場を見学するということに
なっています。

ブラジャーと12人の日本人のおっさんたちという組み合わせは、
何ともちょっと変態的な雰囲気ですが、これは大真面目な見学
です。今回の幹事役をやっている一人の人が女性下着の大手メー
カーで、バンコク郊外に大きな工場があるのだそうです。こう
いう見学ツアーは前代未聞だと思います。どうなることやら。

では、明日の朝は早いので、このへんで。また報告します。