FEEL ambivalence

毎日、いろんなことを思います。
両極端な感じで。

両面価値。
同一対象に対する愛憎共存。

裏に潜むもの。

2005-08-30 00:52:17 | ろぐ
ぼくは、なにかを見たとき、その裏側に何があるのかを考えてしまうことがある。
当然、考えないときもあるのだが。
考えてしまうときは、自分を嫌な人間だと思ってしまう。

たとえば、
何かの小説を読んだとき。
何かのCMを見たとき。

誰かに、優しくされたとき。

その裏側には、何者かの意図が存在していて、
その存在を顕示しようとものもあれば、
隠匿しようとするものもあるだろう。

ただ、ぼくは、その存在が気になって仕方ないときがある、という話だ。
疑心暗鬼に囚われている、といわれれば、それで終わりなのだが。

ぼくらが住む世界は、記号で溢れていると思わないか?
記号は、何らかの意味を代入され、その上で使用されていく。
記号はそれ自体は何の意味をもなさないのに、ぼくらが代入したものがそこにある、と信じてしまったら、その瞬間から、記号は意味を持つ。
ぼくらはソレを知っているのに、記号に踊る。または、記号が踊る。
ぼくらが踊っているのか、記号が踊っているのか。

そもそも、記号に代入されたものは何だった?
それを知っているのか?
五感で確認できるものなら、まだ話は簡単だ。
確認すればよいのだから。
もしも、五感で確認できなかったら。
それが、人の意思や抽象的な意味を持つものであったら。
ぼくらは頭を働かせ、記号の意味を探るしかないのではないか。

記号はそれ自体、何の意味も持たない。
それに意味を持たせているのは、それを伝達手段にしている我々だ。
そして、われわれは気付いてしまった。
記号は時として、信じられる意味など持たないのかもしれない、ということに。

気をつけるべきは、その記号が何の意味を持つか、ということ。
そして、裏には何が存在しているのか、ということ。

記号を信じ、その意味を鵜呑みにすることの危険が増えてきている。
結果。
ぼくは、目の前のものを信じようとする一方で、目の前のものをまず、疑うことも覚えてしまった。疑うことによって身を守ることもあれば、疑うことによって本来のことを素直に受け取れないこともある。

時として自分を守るであろう行動ゆえ、ぼくは、自分が嫌いになる。
なぜ、それを信じられなかったのか、と。

素直に笑えているときがぼくの時間のほとんどを支配しているけれど、時にぼくは冷酷な目で、その笑う自分を嗤う。

見え隠れしている相手の意図であれば読み取りたい。
だが、ひた隠しにされている意図であれば、なおさら読み取らなければ危険に思ってしまう。
ぼくは、少し、疲れているのか?

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2 Comments

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読み取った意味が本当の意味 (とみぃ)
2005-08-30 22:12:39
と思うしかないと思うのです。



出来るだけ正確に読み取ろうと試みることは相手への誠意だけど,それを超えては相手が伝えたいと思ったことが純粋に見えないんじゃないかな。



自分に置き換えてみればいいと思うのです。



疑う,じゃなくて深く読み取ろうとする,で十分だと思うのです。そして自分が伝えようとするときには,その推測のためのキーワードをたくさんちりばめてあげれば。



一時期考えすぎて社内で身動きが取れなくなったときに開き直りました(笑)違う解釈をして欲しければ違うアプローチしてね,ってなもんです。



あくまで個人的意見なのでご参考までに。
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うむうむ。 (たかぴ。)
2005-08-30 22:27:43
>とみぃ。

コメント、ありがとうです。

ここんとこ、ぐるぐるのようです。

別に何があったってわけじゃないんですが。なんか、息苦しいような。そんな感じで。

うまく言えなくてごめんなさい。



大体のとき、素直に受け取っているんだけど。

ごく稀に、体が反応するような。



でも、分かりもしないものを探ったって余計なことしか出てこないですよね。



そう、自分はそういう風に取りました。がいいですよね。



ありがとうです。
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