FEEL ambivalence

毎日、いろんなことを思います。
両極端な感じで。

両面価値。
同一対象に対する愛憎共存。

Hey Yo!

2007-09-29 22:31:20 | 音楽
風が硬さを増してきて、秋が薫るようになってきた。
この時期になると、必ず聞きたくなるアルバム。
それが「Love Letter From The Digital Cowboy」.

このアルバムを聴き返すたびに、抜けるような青空と、寝不足の妙な気持ちよさ、なによりも心が躍りだすような高揚感を思い出す。

ぼくらがそうだったように、今頃は後輩たちが笑ったり怒ったりしながら、とびっきり楽しいことをしているのだろう。

あの時の仲間たちのことを思い出す。
風の香りを思い出す。
夜の寒さを思い出す。
特ステの眩しさを思い出す。

たくさんの笑顔を思い出す。

どうか、どうか、今年も晴れますように。
たくさんの笑顔が生まれますように。

autumn leaves.

2007-09-28 23:14:22 | ろぐ
雨だ。ワイパーが揺れ、世界はぼやけて流れ落ちる。
アート・ペッパーが秋を告げ、ぼくは煙を吐き出した。

なぜだか無性に悲しくなっていて、ところ構わず泣き出しそうになる。
膨らんだ風船を抱えているみたいに、尖ったもので突かれたらぱちんと割れる。
考えてみれば、最近は泣いていない。
真剣に思い出してみる。
最後に心の底から笑えたのはいつのことだった?

溶けていきそうな意識。
泣き出しそうな感情。
身体はただ、流されるままに。


切なくて、でもそれが心地よくて。
そんな風に思うのはきっと、いよいよ秋が巡ってきたから。

雨が降る度に秋が近づいてくる。

ブログを製本できるらしい。

2007-09-27 23:40:45 | ろぐ
ついにそんなサービスが…。
これってかなり感動モノだ。

いま、最初の頃のブログを仮製本(PDFに)して読み返していたんだけれど、
これってかなり面白い!

それよりも、あの頃の熱さ、忘れてる気がした。
それじゃいけない。
あの頃に負けちゃいけない。

ギリギリで鋭く研ぎ澄まされていた感覚を思い出さなきゃ。

少しずつ過去のものを製本してみよう。
自分のキロク。感情のlog.

たゆたえども沈まず。

2007-09-27 22:46:59 | ろぐ
パリ市の紋章に記されている言葉だそうだ。
ネタ元は長友健篩氏"バーテンダー"から。

「男にとって一番大切なものがわかるか?」
「…。」
「たゆたえども沈まず、だ。」

という会話が交わされていた(と思う)。



ここ数日、仕事でミスをしたことでかなり落ち込んでいた。
鈍器で殴られた時のような、鈍くて重い痛みがいつまでも胸のあたりで疼き、くるしくて眠れず。
それでも、周りの方々の暖かい言葉や励まし、助言を頂いてなんとか少しずつ元気を取り戻してきた。
たくさん迷惑をおかけしたはずなのに。
ぼくはなんてすばらしい人たちに囲まれているんだろう。

落ち込んで、苦しくて、どうにもならなくて。
でもやっと、落ち込んでいても仕方がないと思えるようになってきた。
これをバネにしないでどうする。負けるもんか、こんちきしょう。

誰かに叱ってもらえるということは幸せなことだ。
叱られない、ということは過ちを自らの力で正し続けなければならないということ。
自己を律することほど難しいことはない。
だから悩み、時に苦しむ。
それは少しずつ大人になってきたぼくが、お世話になってきた方々の背中を思い浮かべて思うこと。
甘えてなんていられない。
ぼくもまた、一人で歩いていくのだから。

そんな折に出会う言葉。
やはり、何かしらの縁があるのかもしれない。

パリ市の紋章には"Fluctuat nec mergitur."という言葉が記されているそうだ。
『Fluctuat nec mergitur.』 (ラテン語。「フルクトゥアト・ネク・メルギトゥル」と読む。)
『たゆたえども沈まず。』
紋章の中心には白い帆船が一艘描かれている。
動乱の街であったパリを帆船に見立て、数々の苦難を乗り越えてきた気概を表わしているそうだ。
そこに記された言葉には「荒天に見舞われて帆布が裂け、舵も失い、波風に翻弄されても、決して船は沈まない、沈ませないぞ!」というメッセージが込められているのだという。
実際のパリ市の紋章はこちら。

大切なことは、いつまでも諦めずに頑張ること。
どんなにつらいときも、負けそうなときも、苦しくて逃げ出したいときも、もがいてあがいて、沈まない努力を。

たかがマンガの一コマだけれど、この言葉はもう忘れない。

苦しいとき、つらいとき、がんばれなくなりそうなとき。
必ず思い出せるように、心に刻みたい。

『たゆたえども沈まず。』


そう簡単に沈んでなるものか。

許せないことを許すだけの器がほしい。

2007-09-23 23:44:46 | ろぐ
許容しえるものとそうでないものの境界はどれくらいはっきりしているのだろうか。

ぼくはどうしても「嫌い」を覆い隠せない。
表情も声音も。

同じように「怒り」も。


理不尽で、理解しえない、許容しえない相手に対してどう立振舞うか。
大人になれない自分がそこにいる。


しかしながら、迷っているふりをして結論は決まっているんだ。
やっぱり許せない、と。

どうあがいたって聖人になんてなれないし、なるつもりもない。

それも分かっていていて、悩む。
どうすればいいのか。何が正しいのか。



ひとつ大きな呼吸をしてから動く癖をつけよう。
意識を蚊帳の外に置く訓練をしよう。


小さな人間にならないために。
なにより、自分が誰かに対して同じことを繰り返さないように。

気の置けない人。

2007-09-21 22:42:21 | ろぐ
考えてみたら、ずいぶん長い間そばにいないのかもしれない。

その思考の裏側は、距離を置かなければ落ち着けない気持ちでいる、ということなのかもしれない。


会話の糸口をつかめなかったり、
話題についていけなかったり、
やはり、一人がラクだと思ったり。


さみしがりのハリネズミ。


追いかければ逃げられて、追われて逃げれば一人きり。

32bitOSの限界。

2007-09-21 01:20:08 | PC関係
何気なく東芝「dynabook」のカタログを眺めていたときのことである。


「搭載メモリ 最大4GB※注
※注 実際にOSが使用できる物理メモリは3GBとなります。

って書いてあった。


???
ちょいまて、それってどういうことやねん。
4GB積めるのに、使えるのは3GBってことか?
詐欺じゃん!

(あ、すぐに答えがピンときた方へ。不勉強って言わないでくださいね、それは十分承知です(笑))

こんなの、注釈に小さく書くなよ!と言いたくなる前に、他社さんを見てみましょう。
たとえばNEC。
やはり仕様一覧に小さく「搭載上限は4GBです」と書いてある。
しかし、東芝のように上限3GBという記載はない。
ますますわからん。

こうなったら電話で聞いてやれ!
と、販売店用テクニカルサポートに電話して聞いてみた。

-そこんとこ、どーなんでしょう?
担当「カタログに書いてあります通り搭載上限は4GBですが、東芝さんと同じようにOSが認識するのは3GBとなります。」

-でも、カタログには「4GB」って書いてますよ?
担当「PCIデバイスですとか、グラフィックボードが使用する分、また、システムが使用する…(不明瞭で聞き取れず)…ということで、OSが利用できる領域は3GBですが、搭載は4GBまで可能です。」

-あー、そうですか。OSの限界なんですね?
担当「それと、マザーボードの仕様もあるからね。」

-そうですか。お忙しいところ失礼しました。
担当「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」


てな具合。(若干デフォルメしてます。)
どうも腑に落ちない。

せっかくの大容量メモリを32bitOSでは活かしきれないということか?

ITmediaの少し前の記事に関係ありそうなことが書いてあったので、リンクを張っておく。

正直に言ってVISTAは1GBでは無理だ。
オフィスソフトを使うなら2GBを推奨、もっと積んでもいい。

しかしながら、32bitの限界があるならば、やはりこのOSは使い物にならないのかもしれない。

Vistaを買うなら64bit版。そして、CPUはx86_64アーキテクチャ対応のものを。
CeleronM 520や530が出てきたってことは将来的にはそっちがメインになるってことだよなぁ。

ううん、この辺りのことはもう少し勉強してみよう。

カルボナーラ。

2007-09-20 00:42:45 | ろぐ
休みが来ると、毎回作ってる。
お昼ごはんはこれ。

卵黄と生クリーム、パルミジャーノ、黒コショウがソースの材料。
あとはベーコンとオリーブオイル。

で、最近わかってきたこと。

パルミジャーノが決め手だ!
まぁ、ベーコンじゃなくてパンチェッタがいい、とか言われても売ってないし。
パルミジャーノもそうなんだけど、妹(関東在住)に買ってもらった。
パルミジャーノが良くなると、びっくりするぐらい違う。

できれば、おいしいパスタを手に入れたいんだけど、どこで売ってるんだろう。
あ、西武の1階、とか言わないでね。西武なんて無いから(笑)
田舎の場合は通販で買うしかないのかな。


そうそう!
だれか、生クリームを使わないカルボナーラのレシピ、知りませんか?

気づけばブログも丸3年。

2007-09-19 01:11:09 | Weblog
ご覧いただいている皆様へ。

ブログを始めてから、3年が経ちました。
早いような、そうでもないような。
あれからどれだけ成長できたのか、それとも足踏みしているのか。
振り返ると少しだけ自信を失くしそうです。

最近は更新の間隔が空いたりしてますが、
いつまでも続けられるように頑張ります。


ぼくが思ってきたことの記録。
ぼくが見たことの記録。
ぼくの感情が揺れた記録。


粗雑な外部記憶装置としての役割を少しでも果たしているのかな。


ここに「ぼくがいた」という痕跡をできる限り留められるように。
ぼくが無ではないことの証に。
ちょっと後ろ向きの理由も含めて、これからも続けていきます。



今後とも、よろしくお願いいたします。


たかぴ。