最近、生徒がよく言う。「つまんない。」
ずっと自分の教え方が悪いからだと思っていた。もっと上手に話せたら。リズムよく説明できたら。でも、本当にそれだけなのだろうか。
先日から頭のなかでモヤモヤしていたことが、さっきなんとなく言葉になった。
生徒たちは、何もかもを他人に任せ、自分では努力しようともせず、与えられた環境で文句ばかり。そして、私たちへの信頼(と呼べるかわからない。むしろ親愛なら合っているかも)を失っていっている、ように見える。
それでは成長なんて無い。
現実をつまらなくしているのは周りじゃない。「つまらない」と受け止めている自分自身。つまらないと決めてしまえば、それがどんなに面白かったとしても、つまらない。
ある生徒がノートに書いていた。
「テストの点数が悪かったから、先生の授業、まじめに聞いてみた。そしたら、化学がなんか面白いかも。」
私は授業云々が言いたいのではない。
なんとなく気づいたのだ。
私は授業技術だけでなく、視界の広げ方を学ばねばならないのではないのだろうか。
そして、人に対してだけでなく、自分に対しても、その気持を忘れてはいけない。
そんなこと知ってるよ、と言いたくなることも、改めて聞いたら新しい発見があるのかもしれない。
面倒臭いなって思うことも、やってみたら違う何かが見つかって楽しめるのかもしれない。
与えられる興奮に慣れてしまっているけれど、
本当は自ら楽しみを探しに行かないと。
目を開け。探せ。
与えられたもので満足している自分を蹴飛ばしたくなった。
ずっと自分の教え方が悪いからだと思っていた。もっと上手に話せたら。リズムよく説明できたら。でも、本当にそれだけなのだろうか。
先日から頭のなかでモヤモヤしていたことが、さっきなんとなく言葉になった。
生徒たちは、何もかもを他人に任せ、自分では努力しようともせず、与えられた環境で文句ばかり。そして、私たちへの信頼(と呼べるかわからない。むしろ親愛なら合っているかも)を失っていっている、ように見える。
それでは成長なんて無い。
現実をつまらなくしているのは周りじゃない。「つまらない」と受け止めている自分自身。つまらないと決めてしまえば、それがどんなに面白かったとしても、つまらない。
ある生徒がノートに書いていた。
「テストの点数が悪かったから、先生の授業、まじめに聞いてみた。そしたら、化学がなんか面白いかも。」
私は授業云々が言いたいのではない。
なんとなく気づいたのだ。
私は授業技術だけでなく、視界の広げ方を学ばねばならないのではないのだろうか。
そして、人に対してだけでなく、自分に対しても、その気持を忘れてはいけない。
そんなこと知ってるよ、と言いたくなることも、改めて聞いたら新しい発見があるのかもしれない。
面倒臭いなって思うことも、やってみたら違う何かが見つかって楽しめるのかもしれない。
与えられる興奮に慣れてしまっているけれど、
本当は自ら楽しみを探しに行かないと。
目を開け。探せ。
与えられたもので満足している自分を蹴飛ばしたくなった。