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『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(12)

2024-09-21 17:28:17 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(12)


【付属資料】(3)


●原注57

《61-63草稿》

 〈A・スミスは、これらの非常に異なった・たしかに補いあうけれどもまたある意味では相互に対立する・意義をもつ〔二つの〕分業をたえず混同している。最近のイギリス人たちは、混乱を避けるために、第一の種類を Division of Labour すなわち分業と呼ぴ、第二の種類をSubdivision of Labour すなわち労働の細分と呼んでいるが、これはしかし概念的な区別を表わすものではない。〉(草稿集④426頁)
   〈A・スミスは二つの意味の分業を区別しない。したがって彼の場合、後者の意味の分業も資本主義的生産に特有なものとしては現われない。
  彼がその著作の冒頭においている、分業についての章(第1巻第1章)(分業について)は、次の文章で始まる。  
  「社会の臨業全般に及ぼす分業の効果は、いくつかの特定のマニュファクチュアでこの効果がどのように行なわれているかを考察すれば、よりたやすく理解されるであろう。」[11ページ〔邦訳、68ページ〕]
   作業場(アトリエ)(この言葉で考えられているのは、ここでは実際には、仕事場〔Werkstatt〕、工場、鉱山、耕地のことであって、そのさいある特定の商品の生産に従事する諸個人が資本の指揮のもとで協業する〔kooperieren〕、ということだけが前提されている)内部の分業、資本主義的分業だけが彼にとって問題なのであり、また彼によってとりわけそれだけが、社会一般の内部における、また「社会の産業全/般」にたいする分業の効果を示す、より理解しやすいより具体的で生きいきした実例として、語られるのである。次の箇所がそうである。
    「この分業は、ごくわずかの価値しかもたない品物を製造するいくつかのマニュファクチュアで最もよく進歩している、とふつう考えられている。それはおそらく実際にそこで分業が他のもっと重要なマニュファクチュアの場合よりも進歩しているからではなくて、少数の人々の求める少量の品物にむけられている前者のマニュファクチュアでは、雇われる労働者の総数も必然的に少なく、また仕事のさまざまな部門のおのおのに従事する者たちはしばしば同一の作業場に集められ、観察者が一望のもとに見渡せるところにおかれることが可能だからである。これに反し、人民大衆の消費財を供給することにむけられている大マニュファクチュアでは、仕事のそれぞれの部門がそれぞれきわめて多数の労働者を雇用しているからそのすべてを同じ作業場(アトリエ)に集めることが不可能なほどである。われわれが仕事のただ一つの部門に従事する者以外の者を一度に見渡せることはめったにない。それゆえ、これらのマニュファクチュアのほうが、まえの種類のものよりも、実際には仕事がずっと多数の部分に分割されているであろうけれども、そこでの分割は、感知されることがより少なく、それがために観察されることもはるかに少なかったわけである。」[同前、11-12ページ〔邦訳、68ページ〕]
    この箇所は、第一に、A・スミスの時代には工業企業がまだいかに小規模に行なわれていたかを示している。
    第二に、一作業場(アトリエ)の中での労働の分割と、社会の内部における、一つの労働部門の互いに独立した異なる諸部門への分割とは、彼にとっては単に主観的な違いであって、客観的には違っていないのである。一方の場合には分割が一/目で見てとれるが、他方の場合にはそういかない。しかしそのことで、事柄にどんな変化が起こるわけでもなく、観察者がそれを見るやり方に変化が生じるだけである。たとえば、鉄商品の産業の全体を観察すれば、すなわち、銑鉄の生産から始めて、そのさまざまな種類〔の部門〕--この産業の全体がこれらに分裂しており、また、これらのそれぞれが独立の生産部門をなして自立的商品をつくるのであり、先行諸段階または後続諸段階にたいしてこれらがもつ連関は商品交換によって媒介されている--の全部をくまなく観察すれば、この産業部門のこうした社会的分割は、ことによるとピン製造工場の内部で見られる諸部分よりも多数の部分にのぼるかもしれないのである。
    要するに、A・スミスは分業を、特殊的な・独自の区別がある・資本主義的生産様式に特徴的な・形態としてとらえていないのである。〉(草稿集④428-430頁)
    〈A・スミスが分業を、資本主義的生産様式に特有なものとして、すなわち、機械および単純協業と並ぶ、労働を形態的にだけでなくその現実性においても資本のもとへ包摂することによって変化させるもの、として把湿しなかったことだけは明らかである。彼が分業を理解する仕方は、ぺティやペティ以後の彼の先行者たちの仕方と同じなのである。(東インド〔貿易について〕の著作を見よ。)〉(草稿集④433頁)
    〈A・スミスは第1篇第1章--彼はここで意識的に〔exprofesso〕分業をテーマに据えている--のなかで、この章を終わるにあたって、「文明国」では、すなわち生産物が一般的に商品の形態をとっているところでは、たとえば単なる日雇労働者の家財、衣料、道具を彼に提供するのにも、さまざまな国のきわめて多種多様な、多方面にわたる種類の労働者が協働している〔konkurrieren〕ことを説明している。「文明化し繁栄している国の単なる日雇労働者の、または不熟練労働者〔manoeuvre〕中の最たる者の、家財を観察してみたまえ」、とこの結語は始まっている、「そうすれば諸君は、この家財を彼に提供するのに、たとえわずかな一部分にすぎないにせよ、その勤労をもって協働する〔concourir〕者の数が数え切れないほど多いことに気づくであろう。たとえばこの日雇労働者が着ている毛織物の上着は、その外観がどんなにごつごつしたものであろうと、たいへんな数にのぼる労働者の結合労働〔travailréuni〕の生産物なのである」、云々[『諸国民の寓』、ガルニエ訳フランス語版、25ページ〔邦訳、前出、78ページ〕]。そして、A・スミスはこの考察を次の言葉で結んでいる、--「ヨーロッパの一人の君主の家財と勤勉で倹約な一人の農民のそれとのあいだには、おそらく、後者の家財道具と、一万人のはだかの野蛮人を支配し、絶対的支配者として彼らの自由や彼らの生命を思うがままにしているような王のそれとのあいだの違いほどの違いはないであろう」[同前、28ページ〔邦訳、80ページ〕]。/
    この章句と観察の仕方とは、そっくり、マンデヴィル『蜂の寓話』の引き写しである。『蜂の寓話』は、最初1705年に詩として刊行され、1729年には、六つの対話(散文)から成るその第二部が刊行された。1714年に彼は散文の注解をつけ加えたが、これはわれわれが今日知っているかたちでの第1巻の大半をなしている。そのなかではとりわけ次のように書かれている。--
    「最も反映している諸国民をそれらの起点にまでさかのぼって調べるならば、どんな社会でもはるかかなたの初め/のころには、彼らのなかの最も富んでいて最も重要な位置にある者でも、いまなら最も劣った最も卑しい者ですら享受している非常に多くの暮らしの便宜品を長いあいだ欠いていたことがわかるであろう。そこで、かつてはぜいたくな新案品と考えられていた多くのものが、いまでは公衆の慈善の対象になるほどのみじめな貧乏人の手にさえもはいるのである。……貧乏人が身につけて歩いている施し物のひどい上着やその下につけている粗末な下着のようなつましい衣服にぜいたくを発見するような人があれば、笑いものになるであろう。しかしヨークシャーの最もありふれた織物を手に入れるのにも、なんと多くの人が、なんと多くのさまざまな職業が、またなんと多種多様な熟練と道具とが使用されなければならないことか」、云々(第1巻への注解P、1724年版、181-183ページ〉。「美しい緋色や深紅色の織物が生みだされるまでには、世界の各地でなんという大騒ぎがあることだろう、なんと多くの職業や工匠が使用されなければならないことだろう! 統毛工、紡績工、織布業者、毛織物製造業者、洗浄工、染色工、裁断工、製図工、荷造り人といった、すぐにわかるものだけではない。非常に多くの手仕事に加えて、--機械据付工や白鑞(シロメ)細工師、薬剤師のように--もっと速くて一見無縁なように見えるかもしれないが、上に数えあげた職業で用いられる道具、器具その他の備品を手に入れるために必要なその他のものがある。」それから彼は、航海、諸外国、一言で言えば世界市場がこれにたいしてどのように協働しているかに移っている。(『社会の性質の探究』(第二版〔1723年〕への追加〉、411-413ページ。)〉(草稿集④頁477-479)(鑞=すず)

《初版》

 〈(57) 本来のマニュファクチュアでは分業がいっそう進んでいるように見える、とA・スミスは言うが、なぜかというと、「それぞれにまちまちな作業部門の従業員たちが、同じ作業場内に集められて、観察者の視界のもとに同時におかれうるばあいが、多いからである。これに反して、住民の大多数の厖大な必要をみたすべきあの大マニュファクチュア(!)では、それぞれにまちまちな作業部門が多数の労働者を使用しているので、彼ら全員を同じ作業場内に集めることは不可能である。……分業はあまり明瞭ではない。」(A・スミス『諸国民の富』、第1篇、第1章。)この章のなかの有名な章句、すなわち、「開花繁栄している国のごくありふれた手工業者または日雇い労働者の家の設備を観察せよ、云々。」で始まり、次にはさらに、1人の普通の労働者の必要をみたすためにどれほど無数の種々雑多な職業が協力しているかを描いている章句は、ほとんど一語一句B・ド・マンデビルが彼の著書『蜜蜂物語、または私悪は公益』につけ加えた註から写しとったものである。〈註のない初版は1706年、註のある版は1714年。)〉(江夏訳407頁)

《フランス語版》

 〈(32) 厳密な意味でのマニュファクチュアでは、「そこで使用されている全労働者は必ず少数であり、それぞれにちがった個々の作業部門に従事している全労働者はしばしば、同じ作業場内に集められていて、彼らを観察者は一望のもとに見ることができる。これに反し、多数の住民の消費物品を供給すべきあの大マニュファクチュア(!) では、個々の作業部門は、同じ作業場内に全員を集めることが不可能なほど多数の労働者を使用する。……そこでは分業はそれほど明瞭でなく、したがって、それほど充分には観察されなかった」(A・スミス『諸国民の富』、第1篇、第1章)。同じ章の有名な章句は、「開化繁栄した地方では、単純な日雇い労働者か最下等の人足の家具類がどんなものであるかを観察せよ、云々」という言葉で始まり、次いで、無数の労働の一覧表を示し、これらの労働の援助と協力がなければ、「開化した地方では最下層の個人は衣服も家具も持つことができない」と書いているが、この章句は、B・ド・マンデヴィルがその著書『蜜蜂物語、私悪は公益』(註記のない初版は1706年、註記のついた版は1714年) につけ加えた註記から、ほとんどそのまま引き写したものである。〉(江夏・上杉訳370頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *33 正規の工場手工業においては、と彼は云う。分業は、より大きなものとして表れる、と。なぜならば、「様々な労働部門に雇用されるこれらの者は、大抵、同じ工場建屋内に集められることができ、観る者の視野にまとめて置かれる。これとは逆に、そのような大きな工場手工業( ! )、大勢の人々の大きな欲求を満たすために、多くの労働者を雇用する様々な異なる労働部門では、彼等全てを同じ工場建屋に集めることは不可能であり、…. 分業が非常に明解であるとは云いがたい。」(A. スミス 「国富論」第一巻 第一章 ) (訳者注: この感嘆符は、前に正規の工場手工業と書いた部分との対照となっているところをマルクスが指摘しているもの、この程度の認識と。) 同じ章の有名な一節は、次の言葉で始まる。「文明に富み成長を続ける国の、最も一般的な工場手工業者または日労働者の住まいとその内外を見よ。」等々。そして、多くの様々な製造業がごく普通の労働者の欲求を満足のためにいかに貢献しているかを表現するところへと進む。のだが、この大半の文字は、B. de マンダビーユの 「蜜蜂物語 または 私的な悪事、公益的善行」(初刊 1706年 ここには注書きはないが、1706年版には注書きがある。) の注書きの文字を複写したものである。〉(インターネットから)


●原注58

《61-63草稿》

 〈分業の発展とともに、--資本のもとへの労働の単に形態的な包摂の場合にはまだ大いにありうるような--個人的労働の生産物はすベて消えてしまう。完成商品は、それ自体が資本の定在形態である作業場の生産物である。労働そのものの交換価値が--そして労働の生産物ではなくて労働が--、単に資木と労働との契約によるだけではなく、生産の様式〔Weise der Produktion〕そのものによって、労働者が売ることのできる唯一のものとなる。労働はじっさい彼の唯一の商品となり、また総じて商品が、生産を自/己のもとに包摂している一般的カテゴリーとなるのである。われわれはブルジョア的生産の最も一般的なカテゴリーとしての商品から出発したのであった。〔しかし〕商品は、資本が生産様式そのものを変化せしめることによって、はじめてこのような一般的カテゴリーとなるのである。「もはや、個人的労働の自然的報酬と呼びうるようなものはなにもない。個々の労働者は、ただ全体のある部分を生産するだけである。そして、個々の部分はそれだけでは価値も効用ももたないのだから、労働者が手にとって、これは自分がつくったものだ、これを自分のものにしておこう、と言えるようなものはなにもないのである」(『資本の要求にたいする労働の擁護』、ロンドン、1825年、25ページ〔日本評論社『世界古典文庫』版、鈴木鴻一郎訳『労働擁護論』、68ページ〕)。〉(草稿集④467-468頁)

《初版》

 〈(58) 「個別的労働の自然報酬と呼びうるものは、もはやなにもない。個々の労働者は一つの全体のある部分だけを生産するのであって、個々の部分はそれだけでは価値または有用性をもたないので、労働者が手につかんで、これは私の生産物だ、これを私自身のためにとっておきたい、と言えるものは、なに一つない。」(『資本の要求にたいする労働の防衛、ロンドン、1825年』、25ページ。)このすぐれた著書の著者は、前に引用したTh・ホジスキンである。〉(江夏訳407頁)

《フランス語版》

 〈(3) 「個別的労働の自然報酬と呼ぶことができるものは、もはやなにもない。個々の労働者は一つの全体の一部分だけを生産する。個々の部分には、それだけでは価値も有用性もないので、労働者が自分のものだと主張できるものはなにもなく、これは私の生産物だ、これを私自身のためにとって置きたい、と言えるものはなにもない」(『資本の要求にたいする労働の防衛』、ロンドン、1825年、25ページ)。この注目すぺき著書の著者は、すでに引用したT・ホジスキンである。〉(江夏・上杉訳370頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *34「そこには、個々の労働にとって、当たり前の報酬と呼ぶことができるような物は何もない。個々の労働者は、全体のある一部のみを生産する。そしてその部品それぞれには、何の価値も何の有用性もない。労働者がつかみ取ることができる、そしてそれが自分のために持つ程の我が生産物と云う様な物はありはしない。」(「資本家の要求に対して、労働者が守ったもの」 ロンドン 1825年 25ページ) この見事な本の著者は、既に取り上げている、かの Th. ホッジスキンである。〉(インターネットから)


●原注58a

《初版》   初版にはこの注はない。

《フランス語版》

 〈(34) このことは、ヤンキー独特の方法で論証されたことである。南北戦争中ワシントンで考案された多数の新設租税のなかに、工業生産物にたいする6%の消費税があった。ところで、工業生産物とはなにか? その時に出されたこの質問にたいし、立/法の知恵はこう答えた。「ある物は、それが作られたときに<(when it is made>生産物になり、しかも、販売に適したものになるかぎり、作られたのである」。多くの例のなかから一例をあげよう。ニューヨークやフィラデルフィアの雨傘と日傘のマニュファクチュアでは、当初これらの物品は、たとえ実際には全く異質な諸物を組み立てた物であっても、全体として製造されていたのである。後になって、これらの物品を構成する種々の部品が、一つ残らず、さまざまな場所に分散した専門的製造の対象になった。すなわち、マニュファクチュア的分業であったものが、社会的分業になった。いまでは、さまざまな部分労働の生産物が、一つ残らず、雨傘と日傘のマニュファクチュアのなかに入ってきてただたんにそこで一つの全体に結合されるところの商品に、なるのである。ヤンキーはこれらの生産物を集合品<assembled articles>と命名したが、この名称は、租税がこれらの生産物において一つに集められるという理由からしても、ふさわしい名称なのである。こうして雨傘は、マニュファクチュアに一商品として入ってくる個々の要素の価格にたいする6%の消費税を納め、さらに、雨傘自身の総価格にたいする6% の消費税を納めるわけである。〉(江夏・上杉訳370-371頁)

《イギリス語版》

  〈 本文注: *35 この、社会的分業と工場手工業の分業との識別は、アメリカ北部諸州の人々には実用的に明示された。南北戦争中にワシントンで提出された新たな課税は、"全ての工業生産物" に対して6%の税であった。質問 工業生産物とは何か? 立法府の解答 "それが作られた時に" 生産された物で、かつ、売るため準備ができた時に作られたものである。では、多くの例から一つを取り上げよう。ニューヨークやフィラデルフィアの工場手工業者は、以前は、傘をそれらの関連品を含めて全てを"作る" 習慣であった。しかし、傘はあらゆる雑多な部品の混ぜ合わせであり(ラテン語 イタリック) これらの部品は、様々な場所の独立した様々な個別の製造業の生産物となりかわる。これらの物は、個別の商品として傘の工場手工業に到着し、そこでまとめられる。ヤンキー達は、このようにまとめられた品を、"組み立てられた品" と名付けたが、まさに、その名は、税の集合体に値するものであった。そのように、傘は、最初に、その要素それぞれの価格の6% が、そして、それ自身の全価格の6% がその上に乗る "(税の) 組み立て物" となった。(訳者の挿入)〉(インターネットから)


●第8パラグラフ

《初版》

 〈資本主義的生産様式の社会では、社会的分業の無政府性とマニュファクチュア的分業の専制とが、互いに条件になりあうとすれば、これとは反対に、諸職業の特殊化がそのなかで自然発生的に発展し、次いで結晶し、最後に法律上確立されている以前の社会諸形態は、一方では、社会的労働の計画的で権威的な組織の姿を提供しているが、他方で/は、作業場内の分業を完全に排除しているか、さもなければ、この分業を矮(ワイ)小な規模でしかまたは散在的かつ偶然的にしか、発展させていないのである(59)。〉(江夏訳407-408頁)

《フランス語版》

 〈社会的分業での無政府とマニュファクチュア的分業での専制とがブルジョア社会を特徴づけるならば、職業の分化が自然発生的に発展し、次いで結晶し、最後に法的に承認されたもっと古い社会は、逆に、系統的、権威的な社会的労働組織の姿を提供するのであるが、他方この社会では、マニュファクチェア的分業は完全に排除されるか、またはわずか
な規模でしか現われないか、またはばらぼらに偶然にしか発展しないのである(35)。〉(江夏・上杉訳372頁)

《イギリス語版》

  〈8) もし、資本主義的生産体制の社会では、社会的分業の無政府状態と工場内の専制が互いに共存条件であるというならば、逆に我々は、次のものを見出す。初期的社会形式が、自然に商業的取引の分離を発展させ、そして結晶となし、最終的には法によって永久のものとし、一方で、承認された権威ある計画に基づいた社会の労働組織の実施例を、他方で、工場内の分業を徹底的に排除するか、またはそのことを単なる小人たちのものであるかまたは時々生じる偶然的に発生する範囲内のものにしているのを。*36〉(インターネットから)


●原注59

《哲学の貧困》

 〈社会全体は、社会にもまたその分業があるという点で、工場の内部と共通点をもっている。近代的工場における分業を典型とみなして、これを一つの社会全体に適用するならば、当の生産にとってもっともよく組織されている社会は、たしかに、たった一人の企業家だけが指導者としていて、その人物があらかじめ定められた規則に従って共同体のさまざまな成員に仕事を配分する社会であろう。しかし、事実はけっしてそうではない。近代的工場の内部では、企業家の権威によって分業がこまかに規定されているのに反して、近代社会には、労働の分配について、自由競争以外にはなんらの規定も権威もないのである。
 家父長制度のもとでも、カスト制度のもとでも、封建的同業組合的制度のもとでも、特定の諸規定に従って、社会全体に分業がおこなわれていた。これらの諸規定は一人の立法者によって定められたものであろうか? そうではない。最初は、物質的生産の諸条件から生まれたのであって、それが法律に昇格したのはずっとのちのことである。こうして、これらのさまざまな分業形態は、いずれもみな社会組織の基礎となった。工場内の分業についてはどうかといえば、それは、これらの社会形態のすべてにおいてほんのわずかしか発達していなかったのである。
 われわれは一般的に次のように規定することさえできる、すなわち、権威が社会の内部の分業を支配することが少なければ少ないほど、分業は、工場の内部ではますます発達し、そこでますますただ一人の権威の支配下にはいっていく、と。このように、工場における権威と社会における権威とは、分業については、相互に反比例しているのである。〉(全集第4巻156頁) 

《61-63草稿》

 〈「家父長制度のもとでも、身分制度のもとでも、封建的同職組合制度のもとでも、不動の諸規則に従って、社会全体に分業が行なわれていた。……作業場内の分業について言えば、それは、これらの社会形態のすべてにおいて、ほんのわずかしか発達しなかった。われわれは、そこから一般的に次のように規定することさえできる。すなわち、権威が社会内部の分業を支配することが少なければ少ないほど、分業は作業場内部でますます発展し、そこでますますただ一人の人間の権威の支配下にはいっていく、と。このように、作業場における権威と社会における権威とは、分業については、相互に反比例しているのである」(『哲学の貧困』、130、131ページ〔『全集』、第4巻、151ページ〕)。〉(草稿集④473頁)

《初版》

 〈(59) 「権威が社会内分業を支配することが少なければ少ないほど、分業が、作業場内部でますます発展し、たった1人の権威にますます服従する、と一般的に規定することができる。したがって、作業場内での権威と社会内での権威とは、分業にかんしては相互に反比例している。」(カール・マルクス、前掲書『哲学の貧困』〕、130、131ページ。)〉(江夏訳408頁)

《フランス語版》

 〈(35) 「権威が社会の内部での分業を支配することが少なければ少ないほど、分業は作業場の内部でますます発達し、そこではただ1人の人間の権威にますます服従する、と一般的に規定することができる。したがって、作業場内の権威と社会内の権威とは、分業にかんしては相互に反比例するのである」(カール・マルクス『哲学の貧困』、130、131ページ)。〉(江夏・上杉訳372頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *36「次のような一般法則があると云えよう。すなわち、社会内の分業に関して、それを指揮する権威が少なければ少ない程、工場内の分業はより発展すると。そして一人の人間の権威により従属させられると。そのように、分業の関係においては、工場内の権威と社会の権威は、互いに反比例する。」(カール マルクス 「哲学の貧困」他 130-131ページ この注部分はフランス語)〉(インターネットから)


●第9パラグラフ

《マルクスからエンゲルスへの書簡》 (1853年6月14日付)

 〈政治的な表面でのすべての無目的な運動にもかかわらず、/アジアのこの部分が示している停滞的な性格を十分に説明しているのは、次のような二つの互いに支え合っている事情だ。(1)公共土木事業が中央政府の仕事だということ。(2)中央政府と並んで全国が、わずかばかりの比較的大きな都市を別とすれば、村落に分解されていて、これらの村落は完全に区分された組織をもっていてそれ自身で一つの小世界を形成していたということ。ある議会報告のなかではこれらの村落は次のように描かれている。
  「一つの村落は、地理的に見れば、約100ないし1000エーカーの可耕地および荒地を包括する一つの地域である。政治的に見れば、それは一つの市区〔corporation〕または町区〔township〕に似ている。各村落は、事実上、別々の共同体または共和国であり、また、つねにそういうものだったと思われる。役員には次のようなものがある。(1)言語が違うのにしたがってボテイル、ガウド、マンディル、等々と呼ばれるものは、住民の首長であって、一般には村落事務の管理権を握っており、住民間の紛争を処理し、公安に留意し、村落内の収入を徴集する任務を行なう。……(2)カーナム、シャンボーグまたはバットワリーは、記録係である。(3)タリアリまたはスタルワーおよび(4)トティは、それぞれ、村落および農作物の見張方である。(5)ニーアガンティは、川や貯水池の水を正しい割合で別々の耕地に分配する。(6)ジョシー、すなわち占星人は、播種や収穫の時期を告げ、また、すべての農作業のために日時の吉凶を告げる。(7)鍛冶職および(8)大工は、簡単な農具を作り、さらにいっそう簡単な農民の住居を作る。(9)製陶人は、村落の唯一の器具を作る。(10)洗濯人は、わずかばかりの衣服の清潔を保つ。……(11)理髪人、(12)銀細工師、これはしばしば同時に村の詩人学校教師をも一身に兼ねている。それから、神事のためのバラモン。このような簡単な自治体行政形態のもとでこの国の住民は大昔から生活してきた。村落の境界はまれにしか変更されなかった。そして、村落そのものは、ときには戦争や飢饉や疫病に襲われ、荒廃さえもしたが、同じ名称、同じ境界、同じ利害関係、そして同じ家族さえもが、長い年月にわたって存続してきた。住民は王国の崩壊や分割を意に介しない。村落はそっくりそのまま残るのだから、それがどんな権力に引き渡されようと、どんな君主に任されようと、彼らは意に介しないのである。村落の内部経済は変わることなく存続するのである。」
    ボテイルはたいてい世襲だ。これらの共同体のうちには、村落の土地が共同で耕作されるところもあるが、多くのところでは各占有者が彼自身の土地を耕作する。同じ奴隷制と身分制とのなかで。未開墾地は共同放牧用だ。家内紡織は妻や娘によって行なわれる。これらの牧歌的な共和国は、/ひたすらそれらの村落の境界を隣接の村落にたいして用心く見張っているのだが、近ごろやっとイギリス人のものになったばかりのインド北西部には、このような共和国が今なおかなり完全な形で存在している。思うに、アジア的な専制と停滞とにとってこれ以上に堅固な基礎を考えることはできないだろう。そして、どんなにイギリス人がこの国をアイルランド化したとしても、この定型的な原始形態の破壊はヨーロッパ化のための不可欠な条件だったのだ。ただ徴税吏だけがこれを遂行するべき人だったのではない。それには、太古以来の工業の破壊が必要だったのであり、この破壊がこれらの村落から自給自足的な性格を奪ったのだ。
    ジャワの東岸に近いバリ島には、今なお完全に、ヒンズー教とともに、このヒンズー組織も残っていて、その痕跡は、ヒンズーの影響の痕跡と同様に、ジャワ全体に見いだされる。土地所有問題について言えば、それは、インドについてのイギリスの著述家たちのあいだで一つの大きな論争問題になっている。クリシュナ南方の切断された山脈地帯では、たしかに土地所有は存在したらしい。ところが、ジャワでは、往年のイギリスのジャワ総督サー・スタンフォード・ラフルズが彼の『ジャワ史』のなかで言っているところでは、この国の全地表において「いくらか多額の地代が得られたところでは」君主が絶対的な地主だった。いずれにせよ、全アジアにおいてマホメット教徒が「土地の無所有」をはじめて原則的に確立したらしい。
    前に引用した村落についてなおつけ加えて言えば、それらはすでにマヌにも現われていて、彼にあっては全組織が次のようなことにもとづいている。すなわち、10村が一人の上級徴税吏の管轄下にあり、次には100村、またその次には1000村がさらに上級の徴税吏の下にある、というのがそれだ。〉(全集第28巻220-222頁)

《イギリスのインド支配》 (1853年6月25日付、ニューヨーク・デイリー・トリビューン』)

 〈これら二つの事情--一方ではインド人が、東洋のすべての国民と同じく、大公共事業の世話という農業および商業の第一条件を中央政府にまかせたこと、他方ではインド人が国中にちらばっていて、農業と手工業との家内的結合によって小さな中心をかたちつくっていたこと--これら二つの事情は遠い昔から、独特な特質をもった一つの社会制度--いわゆる村落制度を生みだしていた。この制度によって、これらの小結合体(ヴイリツジ・システム)はそれぞれ独立の組織と別個の生活をもったのである。この制度の特殊な性格については、インド問題にかんするイギリス下院の古い公式報告のなかにある次の記述から察することができよう。
    「村は、地理的にみれば、数百か数千エーカーの耕地と荒地からなる一地域であり、政治的にみれば、自治体か町村(タウンシップ)に似ている。その役員と吏員とは、正常ならば、次の種類のものから編成されている。ポタイルすなわち住民の長、彼は村の事務を一般に主宰し、住民の争いを解決し、警察事務にあたり、村内の租税の徴収という任務を果たす。この徴税の任務は、彼が個人的影響力をもち、人民の事情や業務をこまかく知っているので、もっとも適任なのである。カルナムは耕作の記帳をし、耕作に関係あるすべてのことを記録する。タリアトティ、前者の任務は、犯罪や不法行為についての情報を集めることと、村から村へと旅する人を護衛、保護することであり、後者の職分は、もっと村に直接かぎられているようで、とりわけ作物をまもったり、その計量をたすけることにある。境界番、村の境界をまもり、争いが起こった場合に境界にかんする証言を与える。貯水池と用水路の管理人は、農業用の水を分配する。ブラーフマン、村の礼拝をおこなう。学校教師、村の子に砂の上で読み書きを教えているのが見うけられる。暦をつかさどるブラーフマン、すなわち占星師など。このような役員と吏員とで村の管理機構を編成しているのが普通である。しかし、この国のある地方では、これがもっと小規模で、上記のいくつかの任務や職能を一人の人間が兼ねているし、反対に他の地方ではそれがまえにあげた人間の数よりも多い。こういう単純なかたちの自治体政府のもとに、この国の住民は太古このかた暮らしてきているのである。村の境界はめったに変わらなかった。村そのものは戦争や飢饉や病気で時にそこなわれ、荒廃しさえしたけれど/も、同じ名称、同じ境界、同じ利害、いや同じ家族までが、幾世紀となくつづいてきたのである。住民は王国が瓦解しようと分裂しようと気にかけなかった。村がそこなわれないかぎり、住民は、村がどの権力のもとに移されようが、どの支配者に属そうがかまわなかった。村の内部の経済は、変わることなく残っている。ポタイルは依然として住民の長であり、依然として小裁判官ないし治安判事として、また村の徴税人ないし小作料徴収人として行動しているのである。」
    これらの小さな固定したかたちの社会組織は、イギリスの徴税官やイギリスの兵士の野獣のような干渉のためというよりも、イギリスの蒸気力やイギリスの自由貿易の作用によって、大部分解体されたし、消滅しつつある。これらの家族共同体は家内工業に基礎をおいていた。すなわち、手織り、手紡ぎ、手耕農業の独特な組合せが、これらの共同体に自給自足の力を与えていたのだが、それに基礎をおいていたのである。イギリスの干渉は、紡績工をランカシァに、織布工をベンガルにとわけへだてたり、あるいはインド人の紡績工と織布工とを共に一掃したりして、この小さな半野蛮、半文明の共同体の経済的基礎を爆破して共同体を解体させ、こうすることによって、アジアでかつて見られた最大の、じつは唯一の社会革命を生みだしたのである。〉(全集第9巻草稿集④125-126頁)

《61-63草稿》

  〈われわれはむしろ、商品がブルジョア的生産においては富のかかる一般的、基素的(エレメンターリッシュ)な形態として見いだされる、という事実から出発する。しかし、商品生産、したがってまた商品流通は、さまざまの共同体のあいだで、あるいは同一の共同体のさまざまの器官のあいだで--生産物の大部分は直接的な自己需要のために使用価値として生産され、したがってまたけっして商品の形態をとらないのに--生じうる。他方、貨幣流通のほうは、したがってまたそのさまざまの基素的(エレメンターリッシュ)な機能および形態における貨幣の発展は、商品流通そのもの、しかも未発達の商品流通以外にはなにも前提しない。〉(草稿集④55頁)
   〈すべての社会状態において、支配する階級(または諸階級)はつねに、労働の対象的諸条件を所有している〔in ihrem Besetz haben〕階級であり、したがってこの対象的諸条件の担い手たちは、彼らが労働する場合でさえも労働者としてではなく、所有者〔Eigenthumer〕として労働するのであるが、使用される〔dienend〕階級はつねに、自分の労働能力しか思うままに処分できない・あるいは労働能力として所有者〔Eigenthumer〕の所有〔Besitz〕にさえなっている(奴隷制)・階級である(この階級が、たとえばインド、エジプト、等々でのように、土地〔Grund und Boden〕を占有〔Besitz〕しているように現われる場合でさえも、それの所有者〔Eigenthumer〕は、王、またはある身分、等々である)。だが、これらすべての関係を資本から区別するものは、この〔両階級間の〕関係が装われているということ、すなわち、支配者たちと隷属者たち、自由人たちと奴隷たち、神に成り上がった連中とこの世の人間たち、等々の関係として現われ、また両者のそれぞれの意識のなかにもそのような関係として存在する、ということである。資本においてのみ、この関係から、政治的、宗教的、その他のあらゆる観念的な装いが脱ぎ捨てられている。〉(草稿集④206頁)
   〈自然発生的分業は交換に先行する。そして、商品としての生産物のこの交換は、最初は異なる共同体のあいだで発展するのであって、同じ共同体の内部においてではない。(このことは、一部は人間自身の自然発生的な差異にもとづいているが、そればかりでなく、自然的差異にも、つまり、たまたまこれらの異なる共同体がもっている、生産の自然的諸要因にももとづいているのである。)もっとも、生産物の商品への発展と商品交換とは、逆に分業に反作用するのであって、その結果、交換と分業とは相互作用の関係にはいるのである。〉(草稿集④437頁)
    〈一共同体におけるさまざまな欲望は、それをみたすためのさまざまな活動を必要とするが、さまざまな性質の人間がこれらの活動のどれにより適しているかを決めるのは、素質の違いだ。ここから分業が生まれ、それに対応するさまざまな身分が生まれるのだ。プラトンがいたるところで主要な問題として強調しているのは、こうしてあらゆる仕事がより良くなされるのだ、ということである。すべての古代人にとってそうであるように、彼にとっても質が、つまり使用価値が決定的なことであり、もっぱらの観点である。そのほかの点でも、彼の全見解の基礎には、アテナイ風に理想化されたエジプトの身分制度がある。  総じて古代人たちの解釈では、エジプト人たちが達成した工業的発展の特殊的段階は、彼らの世襲的分業とそれにもとづく身分制度とから生じたものであった。〉(草稿集④455頁)
    〈ブルジョア社会以前の諸段階では商業が産業を支配して/いる。近代社会ではそれとは逆である。共同体どうしのあいだで営まれる商業は、もちろん多かれ少なかれそれらの共同体に反作用するであろう。商業は、生産をますます交換価値に従属させるであろうし、直接的使用価値をますます背後に押しやるであろう。というのは、商業は享楽や生活維持を生産物の直接的使用よりもむしろその販売に依存させるからである。〔商業は〕古い諸関係を分解させる。〔商業は〕貨幣流通を増加させる。〔商業は〕ただ生産の過剰をとらえるだけではなく、だんだん生産そのものを食い取ってゆく。(〔商業は〕依然として個々の生産部門を自らの基礎としている。)とはいえ、分解作用は、生産を行なう共同体の性質によって大いに左右され、それらの共同体どうしのあいだで商業は作用するのである。たとえば、[商業は]古代インドの共同体を、また一般にアジア的諸関係をほとんど動揺させることはなかった。交換のさいの詐欺は、商業が独立して現われる場合の、それの基礎である。〉(草稿集⑧22-23頁)
    〈およそ人間は(孤立的または社会的に)つねに、彼が労働者として現われるより前に、所有者として現われるのであって、たとえその所有が単に、彼が非有機的自然にたいする所有として自分自身で手に入れるもの--(または彼が家族や種族や共同体として、一部は自然にたいする所有として、一部はすでに生産されたものである共同の生産手段にたいする所有として、手に入れるもの)にすぎないとしても、そうである。そして、最初の動物的な状態が終わるときには、自然にたいする所有はいつでもすでに共同体や家族や種族などの成員としての彼の定在によって媒介されている。すなわち、自然にたいする彼の関係を制約するところの、他の人間にたいする関係によって、制約されている。--「根本原理」--としての「無所有の労働者」はむしろ文明の所産なのであり、しかも「資本主義的生産」の歴史的段階でのそれなのである。〉(草稿集⑧463頁)

《初版》

 〈たとえば、部分的には今日もなお存続している、かのインドの太古の小共同体は、土地の共有にも、農業と手工業との直接的な結合にも、新たな共同体の創設のさいに与えられた計画および見取り図として役立つところの固定した分業にも、立脚している。この小共同体は自給自足的な生産体全体を形成していて、この生産体全体の生産領域は100エーカーから数千エーカーにいたるまでさまざまである。生産物の大部分は、共同体の直接的な自家需要のために生産されるのであって、商品として生産されるわけではなく、したがって、生産そのものは、商品交換によって媒介されている、インド社会全体内での分業からは、独立している。生産物の余剰分だけが商品に転化するのであって、しかもその一部分は、大昔から一定量の生産物を現物地代として手に入れた国家の手のなかで、初めて商品に転化するのである。インドでも、地方地方に応じて、この共同体の支配的な形態はまちまちである。最も簡単な形態では、共同体は、土地を共同で耕作して土地の生産物を成員のあいだで分配し、他方、各家族は、紡ぐことや織ること等々を家庭の副業として営んでいる。同種の仕事をしているこれらの民衆のほかに、次のようなものがいる。裁判官や警察官や徴税官を一身に兼ねた「住民の長」。農耕にかんする計算を行ない、この計算に関係のあるいっさいのことを記帳し登録する記帳係。犯罪者を訴追し、外来の旅行者を保護して一村から他村に案内する第三の役人。近隣の共同体にたいして自分の共同体の境界を見張る境界監視人。農耕目的のために共同貯水池から水を分配する水番。宗/教的礼拝の職分を行なう波羅門〔バラモン〕。共同体の児童に砂で読み書きを教える教師。占星師として種まきや収穫の時期を告げ、すべての特別な農耕作業の時期の適否を告げる暦術波羅門。あらゆる農具を作ったり修繕したりする鍛冶屋大工。村に必要なあらゆる容器を作る陶工理髪師。衣類を清潔にするための洗濯屋銀細工師。若干の共同体では金銀細工師の代役をし、他の共同体では教師の代役をする詩人が、あちこちにいる。この1ダースの人々は、共同体全体の費用で扶養されている。人口がふえれば、新共同体が元のものを雛型にして未耕地に移植される。共同体の全体機構を考察すると、ここでは計画的な分業が見いだされるが、マニュファクチュア的分業は不可能である。なぜならば、鍛冶屋や大工等々にとっての市場は、元のままであって、せいぜい、村の大きさのちがいに応じ、1人の鍛冶屋や陶工等々に代わって2人か3人の鍛冶屋や陶工等々が現われるくらいのものだからである(60)。共同体労働の分割を規制するおきてが、ここでは自然法則の不動の権威をもって作用しているが、他方、鍛冶屋等々のようなそれぞれ特殊な手工業者は、伝来のやり方にしたがうものの、独立して、しかも、自分の作業場ではいかなる権威をも認めずに、自分の専門に属するあらゆる作業を行なっている。不断に同じ形態で再生産され、たまたま破壊されても同じ場所に同じ名称で再建される、こういった自給自足的な共同体という単純な生産有機体(61)は、アジア国家の不断の興亡や王朝の不断の交替とはきわめて目立ったコントラストをなしているアジア社会不易性の秘密を解く鍵を、提供するものである。社会の経済的基本要素の構造が、政治的雲上界の嵐には影響されないでいるわけである。〉(江夏訳408-409頁)

《フランス語版》

 〈かのインドの小共同体は、、最も遠く隔たった時代にまでその痕跡を追跡することができ、また、いまもなお部分的に存在しているが、これらの小共同体は、土地の共有と、農業と手工業との直接的結合と、新しい共同体が形成されるたびごとに計画や雛型として役立つ不変の分業の上に、基礎を置いている。これらは、100エーカーないし数千エーカーに及ぶ領域上にうちたてられていて、自給自足の十全な生産有機体を構成している。生産物のうちの最大量は共同体の直接消費に充てられ、けっして商品にはならず、したがって生産は、インド社会全体のなかでの交換によって惹き起こされる分業からは独立している。生産物の余剰だけが商品に転化するのであって、それはまず国家の手中に入ってゆく/が、大昔から余剰のうちの若干部分が現物地代として国家に帰属するのである。これらの共同体はインドでも地方ごとに形態がちがっている。最も単純な形態のもとでは、共同体は土地を共同耕作し、生産物を成員のあいだで分配するが、他方、個々の家族は自分の家では紡糸や機織などのような家内労働に従事する。一様な仕事をするこうした民衆のほかに、次のような人々がいる。裁判官、警察の長、徴税吏を一身に兼ねる「住民の長」。農耕と検地の勘定を決済し、それに関係するいっさいのものを記録する簿記係。罪人を起訴したり、外来の旅行者を保護してある村から別の村に案内したりする第三の役人。近隣の共同体からの侵害をふせぐ境界見張り番。共同貯水池から引いた水を農耕の必要のために分配させる水番。礼拝の機能を果たす婆羅門(バラモン)。共同体の児童に砂上で読み書きを教える教師。占星者として播種期や収穫期やいろいろの農耕作業に有利または有害な時期を指示する暦術婆羅門。あらゆる農具を製造し修理する鍛冶師と大工。村のあらゆる食器類を作る陶工。理髪師。洗濯人。金銀細工師。また、幾つかの共同体では金銀細工師のかわりをし別の共同体では教師のかわりをする詩人が、あちこちにいる。これら1ダースの人々が、共同体全体の費用で養われる。人口が増加すると、新しい共同体が元の共同体を手本にして創設され、未耕地に定着する。共同体全体は系統立った分業に根拠を置くが、マニュファクチュア的な意味での分業は不可能である。というのは、市場が鍛冶師や大工などにとっては元のままだからであり、村の大きさによってせいぜい、1人だったものが2人の鍛冶師または2人の陶工になるからである(36)。ここでは、共同体の分業を規制する法則が自然法則の不可侵的権威をもって作用するのにたいし、個々の手工業者は自分の家で、自分の作業場内で、伝統的なやり方にしたがって、だが独立して、またどんな権威も認めることなく、自分の本領であるあらゆる作業を遂行する。自給自足し、絶えず同じ形態のもとで再生産され、偶然に破壊されても同じ場所に同じ名称で再建されるこれら共同体に備わっているところの生産有機体の単純性(37)は、アジア的社会の不変性、すなわち、アジア諸国家の不断の崩壊・再建とも王朝のはげしい交替ともこれほど奇妙な対照をなしている不変性、を解く鍵を提供している。社会の経済的基本要素の構造は、政治的天界のあらゆる嵐の手が届かないとこ/ろにとどまっているのである。〉(江夏・上杉訳372-374頁)

《イギリス語版》

  〈(9) 古き昔のインドの小さな共同体、そのうちの幾つかは、今日に至るまでも続いているが、土地の共有に基づき、農業と手工業を取り合わせた様な形で、変えることができない分業で成り立っている。その分業は、新たな共同体が開始時に、計画と体系として手を入れまとめ、用意したものである。100エーカーから数千エーカーの土地を占有し、それぞれがまとまった全体を形成し、自ら必要とするものを生産する。生産物の主な部分は共同体自身の直接的な利用へと予め決められており、商品の形にはならない。であるから、ここでの生産は、商品の交換によっている全体的に見たインド社会からもたらされる分業からは独立している。余剰のみが商品となる。だが、その部分といえども、国家の手が届くまでは、そうはならない。国家の手を経ることによって始めて、そうなる。国家は大昔からこれらの生産物の一定量を地代相当として取り扱ってき来た。これらの共同体の形成は、インドの諸所によって様々である。そのうちの最も簡素な形式は、土地は共同で耕され、生産物は構成員に分配される。同時に、紡いだり織ったりすることは各家庭の補足的な仕事としてなされる。皆がこのようにしている他に、ある者が同じ仕事に従事する。我々は "住民の長" を見つける。判事、警察、徴税官役を一人で担っている。記録係は、収穫勘定を行い、諸々の全てを記帳する。他の公務者としては、犯罪者を告訴し、旅人を保護し、次の村まで護衛する者。隣村との境界を守る監視役、共同の灌漑用池からの水の分配を行う水監視人、宗教的行事を執り行うバラモン、子供達に読み書きを教える教師、種まきや収穫の良き日または良くない日を知らせる他、農業に関する様々なことを知らせる暦のバラモン又は占星術師、農業用具の全てを作り修理する鍛冶屋と大工、村の全ての陶器を作る陶工、床屋、布の洗濯をする洗濯人、銀細工師、そしてある共同体では、銀細工師の、他では、教師の代役をする詩人があちこちに。この1ダースの個人は、全共同体の支出で維持される。もし、人口が増加したら、新たな共同体が、同じパターンで、未占有地に、作られる。この全メカニズムは組織的分業を明確にしている。工場手工業的分業は成り立ちようもない。なぜなら、鍛冶屋も大工も他も、不変の市場を見出すだけだから。時には、村の規模によって起こる変化程度はありそうなことだが、一人に代わって二人か三人か程度で済む。*37 共同体内部の分業を規制したこの法は、逆らうことが出来ない自然の法則の権威をもって作動した。同時に、各個々の職人、鍛冶工や大工、他は、彼の作業所において、全ての手作業を伝統的な方法で行った。とはいえ、それは独立しており、彼を制するいかなる権威も認めてはいない。これらの自給自足共同体内の単純な生産組織は、常にその同じ形式で自身を再生産する。そして、なんらかの破滅に直面しても、同じ場所に同じ名前で再び立ち上がる。*38 この単純さが、アジア的共同体の不変の秘密の鍵を与える。この不変性は、アジア諸国の溶解と再構築と、その絶え間なき王朝の交替とは際立った対照を見せる。共同体の経済的要素の構造は政治的空の嵐の雲によってもなんら触れられる事もなかったようにそのままである。〉(インターネットから)


  (付属資料(4)に続く。)

 

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『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(13)

2024-09-21 16:46:29 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(13)


【付属資料】(4)


●原注60

《初版》

 〈(60) 陸軍中佐マーク・ウィルクス『インド南部の歴史的スケッチ、ロンドン、1810-17年』、第1巻、118-120ページ。インド共同体のいろいろな形態のみごとな比較対照は、ジョージ・キャンベル『近代インド、ロンドン、1852年』、に掲載されている。〉(江夏訳409頁)

《フランス語版》

 〈(36) マーク・ウィルクス陸軍中佐『インド南部の歴史的素描』、ロンドン、1810-17年、第1巻、118-120ページ。インド共同体の種々の形態の見事な叙述が、ジョージ・キャンブルの著書『近代インド』、ロンドン、1852年、のなかに掲載されている。〉(江夏・上杉訳374頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *37 マーク ウィルクス中佐 「南インドの歴史的スケッチ」ロンドン 1810-17年 第一巻 118-120ページ インド共同体の様々な形式に関する的確な記述は、ジョージ ギャンベルの「近代インド」ロンドン 1852年 にも見出される。〉(インターネットから)


●原注61

《初版》

 〈(61) 「この単純な形態のもとで……この国の住民は太古から暮らしてきた。村々の境界は変えられることがあってもほんのまれであった。そして、村そのものが、ときには、被害を受け、戦争や飢饉や疫病のために荒廃させられさえしたが、同じ名/称、同じ境界、同じ利害関係、そして同じ家族さえもが、久しく続いてきた。住民たちは、王国の瓦解や分割には少しも煩わされることがない。村が無傷で残っているかぎり、村がどんな権力に引き渡されようと、どんな君主にゆだねられようと、彼らはいっこう気にかけない。村の内部の経済は相変わらず元のままである。」(元ジャワ副総督Th・スタンフォード・ラフルズ『ジャワ史、ロンドン、1817年』、第2巻、285、286ページ。)〉(江夏訳409-410頁)

《フランス語版》

 〈(37) 「この単純な形態のもとで……この地方の住民は遠い昔から生活してきた。村の塊界はまれにしか変えられなかった。村そのものがしばしば戦争や飢饉や病気に苦しまなければならなかったにしても、彼らはそれでもなお同じ名称、同じ境界、同じ利害、同じ家族までをも、代々守ってきた。住民はけっして王国の革命や分割を気にかけない。村がなにもかも元通りのままでありさえすれば、権力が誰に移るかはどうでもよい。彼らの内部経済はそのためにわずかばかりの変化をこうむることもない」(元ジャワ副総督T・スタンフォード・ラフルズ『ジャワ史』、ロンドン、1817年、第1巻、285ページ)。〉(江夏・上杉訳374頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *38「この単純な形式のもとで、…. この国の住民達は大昔から生活してきた。村の境界は殆ど変わらない。そして村が痛めつけられたり、戦争、飢餓、病気によって荒廃させられたとしても、同じ名前、同じ境界、同じ所有権、そして同じ家族すらが、何年も続いてきた。住民は王国の崩壊や分割に対してもなんら自身に障害を持ち込まず、村としてそのままに留まった。彼等は、いかなる権力に変わろうと、権力が委譲されようと、その内部経済を少しも変えずに保持した。」(Th. スタンフォード ラッフル 元ジャワ政府副官 「ジャワの歴史」ロンドン 1817年 第一巻 285ページ)〉(インターネットから)


●第10パラグラフ

《61-63草稿》

  〈あらかじめなお、次のことだけは明らかにしておこう。商品所有者または貨幣所有者が彼の貨幣または商品を、要するに彼の所有する価値を資本として増殖するverwerten〕ため、したがってまた自分を資本家として生産するためには、彼が最小限ある数の労働者を同時に働かせうることがはじめから必要である。この観点から見ても、生産的資本として用いられうるための、ある最小限の大きさの価値が前提されている。この大きさの第一の条件は、すでに次のことから生じる。かりに労働者が労働者として生きていくためにであれば、彼は必要労働時間、たとえば1O時/間のそれを吸収するのに要するだけの額の原料(および労働手段)しか必要としない。資本家は、それに加えて、少なくとも、剰余労働時間を吸収するのに要するだけの原料を(またそれだけの補助材料等々をも)買うことができなければならない。そして第二に、必要労働時間が10時間で剰余労働時間が2時間であるとすれば、資本家は、自分が労働しない場合には、日々彼の資本の価値を越えて1O労働時間という価値を受け取るためにでもすでに5人の労働者を働かさなければならないであろう。ところが、彼が剰余価値の形態で日々受け取ったものは、彼が自分の労働者たちの1人と同じように生きていくことを可能にするだけである。こういう〔5人の労働者を働かさなければならないという〕ことでさえも、彼の目的が労働者の場合と同様に単なる生活維持であって資本の増加--これは資本主義的生産にあっては前提〔unterstellen〕されていることである--ではない、という条件のもとで〔生じうる〕にすぎない。かりに彼自身がともに労働し、かくして彼自身がなんらかの労賃を稼ぐとしても、この場合でさえもまだ、彼の生活様式は労働者の生活様式からほとんど区別されないであろう(彼に与えられるのは少しばかり高い支払いを受ける労働者の地位にすぎないであろう)(そしてこの〔労働者数の〕限界は同職組合規則によって固定される)し、とりわけ彼が自分の資本を増加させる、すなわち剰余価値の一部分を資本化するとすれば、どのみちまだ労働者の生活様式にきわめて近いものであろう。中世における同職組合親方の関係は、そして部分的にはなお今日の手工業親方の関係も、そのようなものである。彼らが生産するのは資本家としてではないのである。〉(④290-291頁)
  〈われわれがここで考察している分業が第一に前提する〔unterstellen〕のは、社会的分業がすでにいちじるしい高さにまで発展を遂げていること、種々の生産分野が互いに引き離され、それら自身の内部でふたたび自立したもろもろの亜種に分割されていることである。それは、そもそも資本が、すでに比較的発達を避けた商品流通--これは社会全体の内部での事業諸部門の分割(自立化)が比較的発達を遂げて展開していることと同じである--という基礎の上でのみ発展しうるのと同様である。このことが前提されるならば、したがって、たとえば綿糸の生産が自立した独立の事業部門として(だからたとえばもはや農業の副業としてではなく)存在することが前提されるならば、分業にとっての第二の--分業に先行しかつ分業以前に存在する--前提は、この部門のなかで、多数の労働者が資本の指揮のもとに一つの作業場に結合されていることである。この結合〔Vereinigung〕、つまり資本主義的協業の条件である資本の指揮のもとへの労働者の集聚〔Agglomeration〕は、二つの理由から生じる。第一に、剰余価値はその率に依存するだけでなく、その絶対量、その大きさは、同時にまた、同じ資本によって同時に搾取される労働者の数に依存する。資本の資本としての働きは、同時に使用する労働者の数に比例するのである。資本の登場とともに、生産に/おける労働者の独立性は過去のものとなってしまった。彼らは資本の監督とその指揮のもとで労働する。彼らが協働しつながりをもつ場合、彼らのこのつながりは資本のなかに存在する。言い換えればこのつながりは、それ自身が彼らに対立する外的なものにすぎず、資本の一定在様式でしかないのである。彼らの労働は強制労働になる。なぜなら、労働過程にはいれば、彼らは彼らのものではなく、すでに資本のものであり、すでに資本に合体されているからである。労働者は、資本の規律に服せられ、また、まったく変化した生活諸関係のなかにおかれる。オランダにおける、またマユュフアクチュアが自立的に発展し外から完成したかたちで輸入されたのでないすべての国々における、最初のマニュフアクチュアは、ほとんど、同じ商品を生産する労働者の集合〔Konglomeration〕、および、同じ作業場への同じ資本の指揮のもとへの労働手段の集積〔Konzentration〕以上のものではなかった。発展した分業は、そこでは行なわれていない。それはむしろ、その自然的基礎としてのこれらのマニュファクチュアにおいてはじめて展開されるのである。中世の同職組合では、同職組合規則が、親方が同時に使用することのできる労働者数の上限を非常に低く抑えていたために、親方は、資本家になることをはばまれたのであった。〉(草稿集④430-431頁)
  〈それにたいして、社会的分業そのものが強固な法則、外的な規範として現われ、諸規則の支配下におかれているような社会諸形態においては、マニュフアクチュアの基礎となるような分業は行なわれないか、あるいは散在的にだけ、それもはじめのうちだけ行なわれるにすぎない。
  たとえば、同職組合規則は、親方がもっていることのできる職人の数の上限を非常に低く規定している。親方は、まさにこのことによって、成長して資本家となることを妨げられる。分業は、それによっておのずから作業場の内部から締め出されているのである。(この点はいま少し詳し/く述べねばならない。)〉(草稿集④508-509頁)
 〈特殊な手工芸のあいだの分業が同時に社会的かつ政治的な組織の基礎をなしている中世の組合制度、同職組合制度を、なにか「自由のないもの」と考えるとすれば、これほどあやまったことはない。労働が土地所有から解放されたのはこの形態においてであり、それは文句なく、労働が社会的にも政治的にも最高の地歩を占めた時代だったのである。〔この時代の〕真の性格を理解するためには、とくにドイツの歴史を研究する必要がある。というのは、ドイツでは、フランスにみられたように、王権が封建領主に対抗して、成長しつつあったブルジョア階級と結託するということがなかったからである。そこでは、組合制度と同職組合制度が皇帝と封建領主の権力をむこうにまわして戦い、たえず敗北をこうむりながらもたえずまたあらたに彼らに立ちむかつてゆくのをわれわれはみるであろう。ようやくその組織の物質的基礎、技術的基礎が支配的なものでなくなり、それゆえに彼らが革命的かつ進歩的な性格を失い、もはや時代の流れに沿わなくなり、あるいはマニュファクチュアと、あるいはのちの大工業と戦うようになると、彼らは反動分子として、反動的な政府ならびにそれと結んだ諸階級によって保護されるようになるのである。〉(草稿集⑨133頁)
  〈マニュファクチュアの内部の分業は、さま、ざまな職業への労働の分割を一定の仕方で再生産する。そこに見られる唯一反対は、同職組合や中世的な労働組織の側からの禁止令であって、まさに2人といないすぐれた親方といえども〔きめられた〕最大数をこえる労働者の使用を禁じられ、親方でない、ただの商人にいたってはそもそも労働者の使用自体を禁じられていたのである。そこではまだ、大量生産を発展させる労働の社会的諸力とか、生きた労働の減価とか、あるいはまた過去の労働の生産物による生きた労働の代替とかが意識にのぼることはありえなかったけれども、この種の反対の矛先が本能的に向けられたのは、もっぱらそのもとでのみ手工業的生産様式から資本主義的生産様式への--すなわち1人の親方のもとにおける多数の労働者の協業による--移行が起こりうる、こうした1般的な基礎にたいしてであり、さらには大量生産にたいしてであった。〉(草稿集⑨252-253頁)
  〈最後に、資本家と賃金労働者との関係が、ツンフトなどの親方や彼の職人や徒弟にとって代わることがありうる。これは、一部は都市のマニュファクチュアがその生成のさいに経験する過渡期である。中世のツンフト関係は、類似の形態ではアテネやローマにおいても狭い範囲で発展していたし、またヨーロッパでは、一方で資本家の形成にとって、他方では自由な労働者階層の形成にとって決定的に重要だったのであるが、このツンフト関係は、資本・賃労働関係の、制限された、まだ適合的でない形態である。ここには、一方では、買い手と売り手の関係が存在する。賃金が支払われており、親方、職人および徒弟は、自由な人格として互いに相対している。この関係の技術学的土台は手工業的経営であって、そこでは労働用具の多かれ少なかれ職人芸的な取扱いが生産の決定的要因である。ここでは、自立的な個人的労働と、だからまたこの労働の、長短の修行期間を必要とする職業的発達とが、労働の成果を規定する。たしかに、ここでは親方が生産諸条件、つまり道具、/労働材料をもっているのであり(道具が職人のものであることもありはするが}、生産物は親方のものである。そのかぎりでは彼は資本家である。けれども彼が親方(マイスター)であるのは、彼が資本家だからではない。彼はまずなによりも白分自身が手工業者なのであって、彼がマイスターとみなされているのは、彼の手工業においてである。生産過程そのものの内部では、彼は、彼の職人と同様に手工業者の役も勤めるのであって、徒弟に手工業の秘伝をはじめて伝授するのは彼なのである。自分の徒弟にたいする彼の関係は、自分の弟子にたいする教授の関係とまったく同じである。それゆえ、徒弟や職人にたいする彼の関係は、資本家そのものの関係ではなく手工業における親方(マイスター)の関係なのであり、彼が組合団体のなかで、したがってまた徒弟や職人にたいして一つの職階的地位を占めるのは、親方としてであり、この地位は手工業における彼自身の名人芸(マイスターシャフト)にもとづくものとみなされているのである。それゆえ彼の資本もまた、その素材的な姿態からみても価値の大きさからみても、けっしてまだ資本の自由な姿態をもつまでになっていない、拘束された資本である。それは、剰余労働を取得するために、生きた労働のあれこれの形態と任意に交換されるのに応じて、労働諸条件のあれこれの形態をとることができ、また現に任意にそれをとっている、そのような一定分量の対象化された労働、価値一般ではないのである。彼が貨幣を、この特定の労働部門で、彼自身の手工業で、一部はこの手工業の客体的諸条件に換え、一部はそれで職人を買い、徒弟を抱えることができるのは、ただ彼が、従弟、職人という定められた段階を通過する等々のことをし、みずから親方資格作品を提出したあとででしかない。彼が自分の貨幣を資本に転化することができるのは、すなわち貨幣を自分自身の労働の手段としてだけでなく他人の労働の搾取手段としても使うことができるのは、ただ彼自身の手工業ででしかない。彼の資本は使用価値の一定の形態に縛りつけられており、だからまた同様にそれは、資本として彼の労働者に対立してはいないのである。彼が充用するもろもろの労働方法は、経験的な方法であるばかりでなく、ツンフトによって定められている方法であり、つまり必要不可欠な方法とみなされているのであって、だからこの側面から見ても、究極の目的として現われるのは交換価値ではなく労働の使用価値なのである。彼の好みによってどの質の労働を提供するかが決まるのではなくて、ツン/フト経営の全体が、特定の質が提供されるように整えられているのである。労働方法が彼の好みに委ねられていないのと同様に、労働の価格も、彼の好みに委ねられていない。さらに、彼の財産が資本として機能するのをこの制限された形態が妨げていることは、実際に彼の資本価値の大きさの最大限が定められているということにも現われている。ツンフトはすべての親方にこのツンフトの手工業の利得の割り前を保証しなければならないので、親方は、ある数を超える職人を抱えてはならない。最後に、親方どうしが同じツンフトの組合員としてもっている関係であって、親方はこうした組合員として、ある種の共同的な生産諸条件(ツンフト文庫など)、政治的諸権利、市政への参与権、等々をもつ組合団体に所属するのである。彼は注文に応じて--商人のために彼が労働するのは例外であって--直接的使用価値のために労働したのであり、またこれに見合って親方の数も規制されていた。彼が自分の労働者たちに相対するのは、たんなる商人としてではない。ましてや、商人がその貨幣を生産的資本に転化させることはありえない。商人は、ただ商品を「〔問屋として〕前貸する」ことができるだけで、商品そのものを生産することはできないのである。身分相応の生活、--ここで他人労働の搾取の目的かつ結果として現われるのはこれであって、交換価値それ自体、致富それ自体ではない。ここでは決定的なものは用具である。原料は、ここでは多くの労働部門(たとえば裁縫業)で、顧客によって親方自身に提供される。現存する消費全体が許す範囲内に生産が制限されていること、これはここでは法則である。だから、生産はけっして資本そのものの諸制限によって規制されてはいない。資本主義的な関係ではさまざまの政治的社会的な束縛を伴なう諸制限はなくなるのであるが、ここではなお、資本はこれらの制限のなかで資本が運動しており、それゆえそれはまだ、資本としては現われていないのである。〉(371-373頁)

《初版》

 〈すでに前述したように、同職組合規則は、1人の同職組合親方が働かせてもかまわない職人の数の最大限を、極度に制限することによって、この親方が資本家になるのを計画的に阻止していた。また、親方は、自分自身が親方である手工業だけでしか、職人を使うことができなかった。同職組合は、自分に対立する唯一の自由な資本形態である商人資本から侵害を受けると、どんな侵害にもはげしく抵抗した。商人は、どんな商品でも買えたが、商品としての労働〔力〕だけは買えなかった。彼は、手工業生産物の売捌人として許されているにすぎなかった。外的な諸事情がいっそう進んだ分業を呼び起こすと、現存の同職組合がいろいろの亜種に分裂するか、または、新たな同職組合が元の同職組合へと並んで設けられたが、いろいろな手工業が一つの作業場内に集められることはなかった。だから、同職組合組織は、この組織が、職業の特殊化や分立化や完成によって、マニュファクチュア時代の物質的存在諸条件をつくり出すことに寄与していようとも、マニュファクチュア的分業を排除していた。だいたい、労働者と彼の生産手段とは、かたつむりとその殻とのように互いに結びつけられたままであり、したがって、マニュファクチュアの主要な基礎が、すなわち、労働者にたいして生産手段が資本として独立しているということが、欠けていたのである。〉(江夏訳410頁)

《フランス語版》

 〈中世の同職組合の規則は、親方が使用権をもつ職人の数の最大限をきびしい命令で制限することによって、親方が資本家になることを系統立って妨げていたし、また親方は、自分のもの以外のどんな種類の手工業にあっても職人を使うことを禁じられていた。同職組合はまた、自己に対立する唯一の自由な資本形態である商人資本のどんな侵害にたいしても、熱狂的なねたみで自己防衛した。商人は、労働を除けばどんな種類の商品でも買うことができた。彼は生産物の小売人としてしか容認されていなかった。外部の事情から漸進的な分業が必要になったときは、現存の同職組合が亜種に再分割されるか、あるいは、古い同職組合と並んで新しい同職組合が形成されたが、別々の手工業が同じ作業場内に集められることはなかった。だから、同職組合組織は、もろもろの手工業をばらばらにし完成することによって、マニュファクチュア的分業の存在条件を発展させたとはいえ、マニュファクチュア的分業を排除した。一般に、労働者と彼の生産手段は、蝸牛とその殻のように、一緒に接合されたままであった。このように、マニュファクチュアの第一の基礎、すなわち生産手段の資本形態が欠けていたのである。〉(江夏・上杉訳374頁)

《イギリス語版》

  〈(10) ギルドの規則は、私が以前述べたように、一人の親方が雇用することができた見習い工と旅職人の数を最も厳格に制限したことにある。彼をして資本家になることを防いでいた。さらに云えば、彼は自分が親方である場所以外のその他の多くの仕事場で旅職人を雇用することはできなかった。 ギルドは、彼等に接触しようとする自由資本の唯一の形式である商人の資本による浸食のことごとくを執拗に追い払った。商人は、全ての種類の商品を買うことができた。だが、労働を商品として買うことはできなかった。商人は、手工業の生産物のディラーとして、たんなるお情け的な存在であった。仮に状況が変わって、より多くの分業が必要になったとしても、一つの仕事場に様々な手工業を集中させることなく、現存するギルドが自身を種々に分けるか、古いものの隣に新たなギルドを創立した。であるから、ギルド組織は、手工業の分割や、個別化や、完全化がいかに寄与するものとなり、工場手工業存立の物質的条件を作り出すとしても、仕事場での分業を排除したのである。結論的に云えば、労働者と彼の生産手段は一体のものとして残ったのである。丁度蝸牛とその殻のように。そのように、そこには工場手工業の主要基盤が欠けているのである。労働者の彼の生産手段からの分離と、それらの道具の資本への転化とが欠けているのである。〉(インターネットから)


●第11パラグラフ

《61-63草稿》

 〈マニュフアクチュア(機械制作業場すなわち工場とは区別しての)は、分業に対応する独自の生産様式あるいは工業形態である。それが資本主義的生産様式の最も発展した形態として自立的に登場するのは、〔発達した〕本来の機械の発明以前のことである(とはいえ、すでに機械が、そしてとくに固定資本が充用されているのではあるが)。〉(草稿集④476頁)

《初版》

 〈一つの社会全体内での分業は、商品交換で媒介されていようといまいと、きわめて種々雑多な経済的社会構造に属しているが、マニュファクチュア的分業のほうは、資本主義的生産様式の全く独自な創造物なのである。〉(江夏訳410頁)

《フランス語版》

 〈社会的分業は、それが商品交換を伴うか否かは別として、きわめて多種多様な社会の経済組織に属するのに対して、マニュファクチュア的分業は、資本主義的生産様式の独自の創造物なのである。〉(江夏・上杉訳374頁)

《イギリス語版》

  〈(11) 社会の分業が広がれば、その分業が商品の交換によって持ち込まれたか、そうでないかはともかく、社会の経済構造としては普通のものとなる。が他でもなく、極めて多くの、作業所内の分業、工場手工業によって行われたものは、唯一つ資本主義的生産様式のみが作り出した特別のものである。〉(インターネットから)

 

    第5節  マニュファクチュアの資本主義的性格

 

◎第5節の表題

《初版》   節に分けられていない。

《フランス語版》

  〈第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格〉

《イギリス語版》

  〈第5節 工場手工業の資本主義的性格〉


●第1パラグラフ

《61-63草稿》

 〈つまり分業は、同一時間により多くの原料が加工されるのでより大きな資本を要求するが、そもそも分業の実行は労働がなされる規模に、つまり同時に雇用されうる労働者の数に依存しているのである。分業の発展のためにはより大きな資本--すなわち一人の手中への集積〔Konzentration〕--が必要であるが、他方、分業の発展はこれはまたこれで、それと同時に獲得される生産力によってより多くの原料を加工するのであり、したがって資本のこの構成部分を増大させるのである。〉(草稿集④464頁)
  〈(3)原料の増大。資本のうち原料に投下される部分は労賃に投下される部分に比べて絶対的に増加する。なぜなら、同一量の原料がより少量の労働時間を吸収するから、言い換えれば、同一量の労働時間がより多量の原料のなかに実現されるからである。しかしこのことでさえ、最初は、一国の原料に絶対的な増加がなくても生じうるのである。一/国に現存する同じ量の原料が以前よりも少ない労働を吸収するということがありうる、すなわちその国全体では、それの加工に、つまり純生産物へのそれの転化に従事する労働者数が以前よりも減少することがありうるのである。もっとも、この少数の労働者は、かつてそうであったように広い面積にわたって散在しているのではなく、比較的大きな群として個々の地点に、個々の資本家の指揮のもとに、集積〔Konzentrieren〕されているのではあるが。〉(草稿集④475-476頁)

《初版》

 〈比較的多数の労働者が同じ資本の指揮のもとにあるということは、協業一般の自然発生的な出発点を形成している/のと同じように、マニュファクチュアの自然発生的な出発点をも形成している。逆に、マニュファクテュア的分業は、使用労働者数の増加を技術的必然性にまで発展させる。1人の資本家が使用しなければならない最小限の労働者数は、彼にとっては、いまでは、現に行なわれている分業によって定められている。他方、より進んだ分業がもっている利点は、労働者数のいっそうの増加を条件としており、この増加を果たしうるためには、幾倍にもするという手段しかない。ところが、資本の可変成分が増加するにつれて、資本の不変成分も増加しなければならない。建物や炉等々のような共同的生産条件の規模はさておき、ことにまた原料も--労働者数よりもはるかに急速に--増加しなければならない。与えられた時間内に与えられた労働量によって消費される原料の量は、分業による労働の生産力が高まるのと同じ割合で、増加する。だから、個々の資本家の手のなかにある資本の最小規模が増大してゆくということ、あるいは、社会的生活手段と生産手段とがますます多く資本に転化してゆくということは、マニュファクチュアの技術的性格から生じている一法則なのである(62)。〉(江夏訳410-411頁)

《フランス語版》  フランス語版ではこのパラグラフは二に分けられているが、一緒に紹介しておく。

 〈同じ資本の指揮のもとにあるかなり多数の労働者、これがマニェファクチュアと単純な協業との自然的な出発点である。だが、マニュファクチュアが必要とするような分業は、雇用労働者の不断の増加を技術的に必然なものにする。1人の資本家が使わなければならない最低数は、彼にとってはいまでは、既定の分業によって指定されている。
  さらに進んだ分業の利益を手に入れるためには、たんに労働者の数を増加させるばかりでなく、これを何倍にも、すなわち、作業場の種々の労働者群のすべてにわたって、一定の比率にしたがい一挙に増加させなければならない。その上、資本の可変部分の増加には、資本の不変部分の増加、すなわち、用具や道具や建物などへの、そして特に、雇用労働者の数よりもその必要量がはるかに急速に増加する原料への、前貸しの増加が、必要である。分業の結果労働の生産力が高くなればなるほど、与えられた時間内に労働が消費する原料の量はますます多くなる。資本家に必要な資本の最低限がしだいに増大するということ、あるいは、社会的な生活手段と生産手段が資本にしだいに転化するということは、マニュファクチュアの技術的性格から押しつけられた一法則なのである(38)。〉(江夏・上杉訳375頁)

《イギリス語版》

  〈(1) 一人の資本家の指揮の元に労働者数が増加することは、協業一般に見られるごとく、特に工場手工業がそうであるのと同様に自然的な出発点をなす。しかしながら、工場手工業での分業は、この労働者数の増加を、技術的な必然事項とする。そこに登場するいかなる資本家でも、ここで見たように、雇用する労働者数はすでに確立された分業によって規定されている。これとは別に、労働者数を増加させることのみによってより分業の利益を得ようとするならば、ただ、それらの様々な細目グループ数の倍数を増加させることによってしかそれを実現することはできない。その上、可変資本が用いる様々な要素の増加は、その固定資本の増加もまた必要とする。工場内では、道具等々、そして特に、原材料においては、それへの要求が、労働者数よりも急速に増大する。与えられた時間に、与えられた労働者数によって消費されるその量は、分業の帰結として、労働力の生産性に比例して増大する。その結果、工場手工業のまさにその性質に基づき、個々の資本家の手にある資本の最小量は増加し続けねばならないということが法則となる。別の言葉で云えば、社会的生産手段や生活手段の資本への転化が拡大され続けられねばならないと云うことになる。*39〉(インターネットから)


●原注62

《哲学の貧困》

 〈生産諸用具の集中と労働の分割[分業]とは、政治制度[政治の領域--ドイツ語]において公権力の集中と私的利害の分割とが不可分であるのと同じ程度に不可分である。土地の、この農業労働用具の集中がおこなわれているイギリスでは、農業労働の分割[農民間の分業]と土地耕作への機械の応用もまた、おこなわれている。この用具(土地)の分割すなわち土地分割制度が存在しているフランスでは、一般に、農業労働の分割も土地への機械も、おこなわれていない。〉(全集第4巻158頁)

《61-63草稿》

 〈「仕事〔métiers〕を細分するのに必要な資本が現に社会にあるというだけでは十分でない。そのうえに、企業家たちが大規模に作業することを可能にするだけの大きな量で資本が企業家たもの手のなかに蓄積されていることが必要である。……分業〔Teilung der métiers〕が進めば進むほど、つねに同数の労働者を働かせておくためには、道具、原料、等々のかたちで、ますます大きな資本が必要になる。分業とともに進む労働者数の増加。建築物や生活資料のかたちでのますます大きくなる資本」(シュトルヒ、同前、250、251ページ)。〉(草稿集④469頁)
   〈「生産諸用具の集積〔concentration〕と分業〔労働の分割〕とは、政治制度において公権力の集中と私的利害の分割とが不可分であるのと同じ程度に、相互に不可分である」(『哲学の貧困』、134ページ〔『全集』、第4巻、153ページ〕〉。〉(472-473頁)

《初版》

 〈(62) 「手工業の細分のために必要な資本(この細分のために必婆な生活手段と生産手段と言うべきであろう)が社会に現存しているというだけでは、充分とはいえない。このほかに、企業家たちが大規模に作業しうるに足るだけの多量の資本が企業家たちの手のなかに蓄積されていることが、必要である。……分業が進めば進むほど、同数の労働者を絶えず就業させておくためには、道具や原料等々としてますます多額の資本が必要になる。」(シュトルヒ『経済学講義』、パり版、第1巻、250、251ページ。)「生産手段の集中と分業とが相互に不可分であるのは、政治制度において公的権力の集中と私的利害の分裂とが不可分であるのと同じである。」(カール・マルクス、前掲書〔『哲学の貧困』〕、134ページ。)〉(江夏訳411頁)

《フランス語版》

 〈(38) 「新しい作業の細分に必要な資本が社会にいつでもあるというだけでは、充分ではない。その上に、資本が充分に企業者の手中に蓄積されていて、それを大規模に運用することができるようになっていることが、必要である。……分業が進むにつれて、絶えず同数の労働者を就業させておくためには、原料や用具などとしてますます大きな資本が必要である」(シュトルヒ、前掲書、250、251ページ)。「生産手段の集中と分業とが相互に不可分であるのは、政治制度において公的権力の集中と私的利害の分裂とが不可分であるのと同じである」(カール・マルクス『哲学の貧困』、134ページ)。〉(江夏・上杉訳375頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *39「工場手工業の細分業に必要な資本が、(著者は、必要な生活手段と生産手段と云うべきであった。) 社会内において準備されていなければならないと云うだけでは十分ではない。それがその上に、工場手工業の親方の手に、彼等をして、かれらの運営を大きな規模で実施できるに十分な大きな量で積み上げられていなければならない。…. 分業が増大すればするほど、与えられた労働者数の一定の雇用が、道具や原材料他に、より大きな資本の支出を要求する。(ストーチ 「政治経済学メモ」パリ版 第一巻 250,251ページ) 生産手段の集中化と分業は、互いに切り離せないものである。これを政治的局面として云うならば、公的権力の集中化と私的利益の分割がそのように切り離せないものであると云える。(カール マルクス 前出 134ページ)(フランス語)〉(インターネットから)


●第2パラグラフ

《61-63草稿》

 〈ところがここでの事態はそのようなものとは異なっている。彼の労働能力が全体機構--その全体が作業場を形成する--の一部分の単なる機能に転化することによって、彼はそもそも一商品の生産者であることをやめてしまったのである。彼は一つの一面的な作業の生産者でしかなく、その作業がそもそもなにかを生産するのは、作業場を形成する機構全体とのつながりのなかにおいてでしかない。つまり、彼は作業場の生きた一構成部分なのであって、自身の労働の様式そのものによって資本の付属物になってしまった。というのは彼の能力は、作業場においてでなければ、つまり彼に対立して資本の定在となっている一機構の一環としてでなければ、発揮されえないからである。もともと彼が商品の代わりに、商品を生産する労働を資本家に売らねばならなかったのは、彼には自己の労働能力を実現するための客体的諸条件が欠けていたからであった。いまや、彼が労働を売らざるをえないのは、彼の労働能力が、もはや、資本に売られるかぎりで労働能力たりうるにすぎないものだからである。したがって、労働者はいまや、もはや労働手段の欠如によるだけではなく、彼の労働能力そのものによって、彼の労働の仕方様式によって、資本主義的生産のもとに包摂され資本に捉えられるのであって、資本はもはや単に客体的諸条件を手中におさめているだけでなく、労働者の労働がかろうじてまだ労働でありうるための、主体的労働の社会的諸条件をも手中におさめているのである。〉(草稿集④446頁)
    〈したがって、分業が、労働のこの社会的定在様式が、もたらす生産力の増大は、単に、労働者の生産力ではなくて資本の生産力だ、というだけではない。この結合された〔kombiniert〕労働の社会的形態は、労働者に対立する資本の定在なのである。この結合〔Kombination〕は、彼を圧倒する非運として彼に対立するのであって、全体機構から切り離されれば無であるような、したがってまた全体機構に完全に依存しているようなまったく一面的な機能に彼の労働能力が還元されることによって、彼はこの結合のとりことなっている。彼自身が単なる一細部〔Detail〕となってしまったのである。〉(草稿集④447頁)
  〈分業のもとでは労働者の生来の個性の一面が〔分業の〕/自然的基礎としてひきつづき発達させられるかぎり、この一面は彼の全生産能力にとって代わるのであり、またそれは一つの特殊性にまで、すなわちそれが自らを実証するためには、作業場(アトリエ)全体とのつながりのなかで作業場全体の特殊的一機能として活動することを必要とする、そのような特殊性にまで陶冶されるのである。〉(草稿集④468-469頁)

《初版》

 〈単純な協業のばあいと同じに、マニュファクチュアのばあいでも、機能しつつある労働体は、資本の一つの存在形態である。多数の個別的部分労働者から構成されている社会的な生産機構は、資本家のものである。だから、諸労働の結合から生ずる生産力は、資本の生産力として現われている。本来のマニュファクチュアは、かつては独立してい/た労働者を資本の指揮と規律とに従わせるばかりでなく、おまけに、労働者たち自身のあいだに位階制的な編成をつくり出す。単純な協業はおおむね個々人の労働様式を変化させないが、マニュファクテュアは、この様式を根底から変革して、個別的労働力の根源をとらえる。マニュファクチュアは、労働者を発育不全にして奇形物にしてしまう。というのは、多数の生産的な衝動や素質を抑圧することによって、労働者のきめ細かな熟練を促成的に助長するからである。このことはちょうど、ラプラタ諸州で、獣から毛皮や獣脂をとるために獣をまるまる一頭屠殺するようなものである。あれこれの特殊な部分労働がいろいろな個人のあいだに配分されるだけでなく、個人そのものが分割されて部分労働の自動運転装置に転化され(63)、1人の人間は彼自身の身体の単なる断片にすぎない、というメネニヮス・アグリッパ〔紀元前500年頃のローマの一貴族〕の馬鹿げた寓話が、現実のものになる(64)。労働者はもともと、自分には商品を生産するための物質的条件がないために自分の労働力を資本に売るのだが、いまや一般的には、彼の個別的労働力は、それが資本に売られるばあいしか、またそのかぎりでしか、存在する余地がない。彼の個別的労働力は、それが売られた後に初めて資本家の作業場のなかに存在するような関連においてしか、機能しない。マニュファクチュア労働者は、自分の自然のままの性質からして、なにか独立したものを作ることができないので、資本家の作業場の付属物としてのみ生産活動を発現させるのである(65)。選民の額には彼がエホバのものであると書かれていたように、分業は、マニュファクチュア労働者に、彼が資本のものだということを示す焼き印を押している。〉(江夏訳411-412頁)

《フランス語版》 フランス語版ではこのパラグラフは4つのパラグラフに分けられて、間に原注が挟まっているが、原注は当該部分で紹介し、4つすべてをまとめて紹介しておく。

 〈マニュファクチュアのなかで機能し、細部労働者を成員とする労働体は、資本家のものである。それは、資本の一つの存在形態でしかない。だから、労働の結合から生じた生産力は、資本から生まれるように見える。/
  厳密な意味でのマニュファクチュアは、労働者をたんに資本の指揮と規律に服従させるばかりではなく、さらに、労働者自身のあいだに位階制上の等級をうちたてる。単純な協業は一般に、個別的な労働様式には余り影響しないが、このマニュファクチュアはこの様式を根底から変革し、労働力の根源を襲う。それは、生産者としての素質と本能との一世界全体を犠牲にすることによって、労働者の細部にわたる器用さの人為的発達を促進しながら、彼を不具にし、ある畸形なものにするが、このことは、ラプラタ州で皮や獣脂をとるために一頭の牡牛を屠殺するのと同様である。
  細分され、ある専門作業の自動機関に変態させられるのは、分割され、再分割され、さまざまな個入のあいだに配分される労働だけでなく、個人自身でもあり(39)、したがって、人間をそれ自身の肉体の断片として表現するメネニゥス・アグリッパ〔紀元前500年ごろの一貴族〕の馬鹿げた寓話が、現実のものになる(40)。
  元来、労働者は、生産の物的手段を欠いているために、自分の労働力を資本に売る。いまでは彼の労働力は、売られなければどんなまともな役にも立たない。それが機能しうるためには、資本家の作業場内にしか存在しない社会的環境が必要なのである(41)。選ばれた民が額の上にエホバの所有物だという文字を刻みつけていたのと同じように、マニュファクチュア労働者は、彼を資本の所有物として要求する分業の極印を、あたかも烙印のように押されているのである。〉(江夏・上杉訳375-376頁)

《イギリス語版》

  〈(2) 工場手工業においては、単純な共同作業の場合と同様であるとしても、その集合的作業の有機的組織体は資本の一存在形式である。大勢の個々の細目労働者と云う作り上げられたメカニズムは、資本家に属する。であるから、労働の結合から得られた生産的な力は資本の生産的な力として現われる。工場手工業なるものは、以前は独立していた労働者を資本の命令や規律に従わせるのみでなく、それに加えて、労働者に対して、労働者の階層的な序列を作り出す。単純な共同作業の頃は、個人の労働様式を殆どにおいてなにも変えずに、そのままにしていたが、工場手工業はそれを徹底的に変革し、人間そのものを労働力として掴み直した。それが労働者を欠陥のある奇怪な物に変換した。生産的な能力や素質の世界において、彼の細目の器用さのみの支出を強いたのである。あたかも丁度、ラ プラタ州で、その動物の毛や毛に滲み出した脂を得るのに、人々がその動物一頭を屠殺したのと同じである。その細目労働を様々な個人に配分するだけではなく、彼個人が、断片的作業の自動原動機にされたのである。*40 そして、一人の人間を単なる彼自身の体の一断片とした不条理なメネニウス アグリッパの寓話を実現したのである。*41 最初から、労働者は、彼の労働力を資本に売るのだろうか。物質的な商品の生産手段の方が彼を見捨てているからである。今では彼の労働力の方すらが、資本に売られないならば、その役目を拒絶する。その機能は売った後に資本家の作業場に存在する環境の中にあってのみ使用することができる。何一つ独立して作り出すことにそぐわない性質によって、工場手工業労働者は、生産的活動を単なる資本家の工場の付属物として発展させる。*42 選民として、エホバの親署を容貌に帯びているように、分業は、工場手工業労働者に資本の財産であると烙印する。〉(インターネットから)


  (付属資料(5)に続く。)

 

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『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(14)

2024-09-21 15:43:39 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(14)


【付属資料】(5)


●原注63

《61-63草稿》

 〈ドゥーガルド・ステューアトは前掲書で、分業に従属している人々を「仕事の細部で使用される……生きた自動装置(オートマトン)」と呼び、他方、「雇主はつねに、時間と労働とを節約するために全力をつくすであろう」〔と言う〕(318ページ)。〉(草稿集④447頁)

《初版》

 〈(63) ドゥーガルド・ステュアートは、マニュファクチュア労働者のことを「細部作業に使われている……生きた自動装置」と呼んでいる。( 前掲書、318ページ。)〉(江夏訳412頁)

《フランス語版》

 〈(39) デュガルド・ステュアートは、マニュファクチュア労働者を「一つの仕事の細部に使われる生きた自動装置」と呼んでいる(前掲書、318ぺージ)。〉(江夏・上杉訳376頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *40 デュガルド スチュワートは、工場手工業労働者を「生きている自動装置…. 作業の細目に雇われた。」と呼んだ。(既出 318ページ)〉(インターネットから)


●原注64

《初版》

 〈(64) 珊瑚(サンゴ)では一つ一つの個体がじっさいに群全体の胃袋になっている。ところが、この胃袋は、群全体に栄養物を供給するのであって、ローマの世襲貴族のように栄養物を奪い去ってしまうのではない。〉(江夏訳412頁)

《フランス語版》

 〈(40) 珊瑚では、各個体がその群の胃袋である。だが、この胃袋は、ローマの貴族のように栄養物を共同体から奪うのでなく、栄養物を共同体全体のためにとりこむのである。〉(江夏・上杉訳376頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *41 珊瑚は、事実、個々それぞれがグループ全体の胃である。しかし、それはグループに滋養分を供給する。一方のローマの貴族は、それを取り上げる。〉(インターネットから)


●原注65

《初版》
  
 〈(65) 「一つの手工業全体にわたって腕のある労働者は、どこへでも、自分の仕事を営み生活手段を見いだしにゆくことがで/きる。そうでない者(マニュファクチュア労働者)は付属物にすぎず、同僚から引き離されればもはや能力も独立性も失い、彼に当然課せられるべき規則を受け入れざるをえない。」(シュトルヒ、前掲書、ベテルブルク版、1815年、第1巻、204ページ。)〉(江夏訳412-413頁)

《フランス語版》

 〈(41) 「一つの手工業全体にわたり腕のある労働者は、どこへでも、自分の事業を営み生活手段を見出しに行くことができる。そうでない者(マニュファクチュア労働者) は付属物でしかなく、同僚から引き離されればもはや能力も独立性もなくなり、彼に課することが適当と思われる法則を受けいれざるをえないのである」(シュトルヒ、前掲書、ペテルブルグ版、1815年、第1巻、204ぺージ)。〉(江夏・上杉訳376頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *42 手工業の熟練者は、いずれの場所でも、働くことができ、生活手段を見つけることができる。一方の者達 (工場手工業労働者) は、ただの付属品であって、彼の仲間から離されたならば、何の能力もなく、独立してもいない。だから、押しつけられて当然のあらゆる法則を強いられる自分を見つけるのみ。(ストーチ 前出 ペテルスブルグ版 1815年 第一巻 204ページ)〉(インターネットから)


●第3パラグラフ

《初版》

 〈未開人があらゆる戦争技術を自分一身の計略として行使するように、独立の農民や手工業者がたとい小規模ながらも発現させる知識や思慮分別や意志は、いまでは、作業場全体にとってのみ必要であるにすぎない。生産上の知的な諸力能は一方の面でその規模を拡大するが、それは、これらの諸力能が多くの方面でなくなってしまうからである。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本のうちに集積される(66)。部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の知的な諸力能を、他人の所有として、彼らを支配する権力として、対立させるということは、マニュファクチュア的分業の産物である。この分離過程は、資本家が個々の労働者にたいして社会的労働体の統一と意志とを代表している単純な協業において、始まる。この過程は、労働者を不具にして部分労働者にしてしまうマニュファクチュアにおいて、発展する。この過程は、科学を独立の生産力能として労働から切り離し、科学に資本への奉仕を押しつける大工業において、完結する(67)。〉(江夏訳413頁)

《フランス語版》

 〈未開人が戦争の全技術を個人的な計略という形態で用いるのとほとんど同じように、独立の農民や手工業者が小規模/に発揮する知識や知能や意志は、いまでは作業場全体のためにのみ必要であるにすぎない。生産上の知的諸能力はただ一つの面で発達するのであるが、それというのも、これらの能力が他のすべての面で消滅するからである。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本のうちに集積される(42)。マニュファクチュア的分業は、生産上の知的諸能力を、他人の所有物として、また、彼らを支配する権力として、彼らに対置する。この分裂は、資本家が個々別々の労働者にたいし集団労働者の統一と意志とを代表するところの単純な協業において、現われはじめる。この分裂は、労働者の手足を寸断して彼を自分自身の一小片にしてしまうマニュファクチュアのもとで、発展する。この分裂は最後に、科学を労働から独立した生産力にして科学を資本のために奉仕させる大工業のもとで、完成する(43)。〉(江夏・上杉訳376-377頁)

《イギリス語版》

  〈(3) 知識、判断そして意志は、それらがいかに小さなレベルであれ、独立の農民や手工業者によって実践された。同じように、未開人は全ての闘いの方法を彼等の個人的な巧妙さの実習から作り上げた。このような能力は、今や工場全体を見るためにしか必要がない。生産に係る知能は一方向のみに拡大され、その結果、他の多くの知能は消え去る。細目労働者が失ったものは、彼等を雇用した資本の内に濃縮される。*43 労働者をして、他人の財産のごとく、そしてごく当たり前に、物質的生産過程が持つ知的能力に一対一で配置されるのは、工場手工業の分業の結果である。(訳者注: 物質的生産過程の持つ知的能力がどんなものかは、多くの労働者は身をもって学ぶ、瞬時に。 数値制御のロボット工作機だとしても、超能力的なプログラムであろうと、精緻きわまりなきマニュアルだとしてもである。その程度かと。これが私の訳だが、向坂訳は、何故か対立関係となる。) この分離は、資本家が、一労働者、一結合労働の同一性と意志を代表するところで、単純な共同作業から始まる。それは、労働者を細目労働者に切り下す工場手工業において発展する。それは、労働から切り離された科学を生産力とし、それを資本への奉仕へと押し込む近代工業において完成される。*44〉(インターネットから)


●原注66

《61-63草稿》

   〈A・ファーガソンは言う、--「産業に関連してこのように大きな利益を生みだすこの方法〔分業は、さらに高度の重要性をもつ対象に、つまりさまざまの政治部門や戦争部門に適用しても同様な成功をおさめる。……あらゆるものが分離される時代においては、考えること自体が特殊な職業となりうるのである」(131、136ページ〔邦訳、下、354、357頁〕)。そして彼は、スミスと同様に、産業的実践への科学の関与を特別に強調している(136ページ〔邦訳、下、357頁〕)。〉(草稿集④439頁)
  〈「一国民の全般的能力が技術の進歩に比例して成長するものかどうかについては疑わしくさえあるだろう。いくつかの機械的技術(アール)はどんな能力をも要求しないのであって、/理性と感情との助けがまったく排除されているときに最も好首尾にはたらくのである。また、無知は迷信の母であると同様に勤勉の母でもある。反省と想像とはひとを迷いに陥らせがちであるが、手足を動かす習慣は、そのどちらにも依存していない。だから、製造業については、その完全さは精神の働きなしに済ますことができることにあり、(そしてとくに次の点は作業場(アトリエ)にかんして重要である)。そのために、とくに頭を働かす努力をしなくても、作業場が人間を部分品とする一個の機械とみなされうるようなものになっているのだ、と言いうるであろう」(134、135ページ〔邦訳、下、356ページ〕)。〔傍点をつけた〕後者のところに、マニュファクチュアの概念が、むしろA・スミスの場合よりも〔はっきりと表現されている〕。さらに彼は、この分業の結果、製造業者(マニュファクチュリエ)と労働者(ウヴリエ)とのあいだに生じる、関係の変化を強調している。「製造業〔industrie〕についてさえ、下位の労働者の精神は未開発のままにとどまるのにたいして、製造業者のほうは開発された精神をもつことができるのである。……兵士の技能はせいぜい手足の若干の動作を行なうことに限られているけれども、将官は戦争の技術に非常に精通していることがある。前者が失ったものを後者が得たのであろう!」(135、136ページ〔邦訳、下、357ページ〕)。彼が一般兵士に関連して将官について述べていることは、労働者軍に関連して資本家あるいはその管理人(マネジャー)についてもあてはまる。独立した労働において小規模に充用されていた知力と〔その〕自立的発達とは、いまや作業場全体のために大規模に充用されるのであり、労働者からそれらを奪い取った指揮者(シェフ)によって独占される。「彼〔将官〕は、野蛮人が小集団を指揮したり、単に自分自身を守るために用いた術策や攻撃・防禦のあらゆる手段を大規模に用いるのである」(136ページ〔邦訳、下、357ページ〕)。したがってまたファーガソンは、「従属性〔suboordination〕」をはっきりと「技術(アール)ならびに職業の分化」の結果として論じてもいる(138ページ〔邦訳、下、358ページ〕)。ここには、資本の〔労働との〕対立、等々〔も書かれている〕。〉(草稿集④439-440頁)
  〈諸国民の全体にかんして彼は言う、--「産業国民への道をあゆむ諸国民は、自分たちの仕事以外には人間生活のあらゆる事象についてまったく無知な人々によって構成されるようになる」(130ページ〔邦訳、下、353ページ〕)。「われわれは奴隷ばかりの国民だ、われわれのなかに自由な市民はいない」(同前、144ページ〔邦訳、下、362ページ〕)。彼はこの国家を古典古代と対比するのであるが、そのさい彼は、同時に、奴隷制は自由人たちがより完全に全体的発達を遂げるための基礎であったことを強調している。(このようなファーガソンの言いたいことの全体を、修辞的にすることでもっとだめにしてしまったが、しかし才気あふれるフラシス人を見よ。〉(草稿集④441頁)

《初版》

 〈(66) A・ファーガソン、前掲書、フランス語訳、1783年、第2巻、135、136ページ。「一方は、他方が失ったものを手に入れてしまうことができる。」〉(江夏訳413頁)

《フランス語版》

 〈(42) A・ファーガソン、前掲書、フランス語訳、1783年、第2巻、135、136ページ。「一方は、他方が失ったものを手に入れてしまうことができる」。〉(江夏・上杉訳377頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *43 A.ファーガソン 既出 281ページ 「前者が他者の失ったものを得た。」〉(インターネットから)


●原注67

《61-63草稿》

 〈「知識なしに労働は無である。職業がいっそう分化し労働そのものがいっそう細分化されると、知識は……労働からますます切り離されたものになるので、複雑な社会では、人々はそれらを別々に考察せざるをえない。」(W・トムソン『……富の分配原理に関する研究……』、ロンドン、1824年、272ページ。)「科学の将来の発展の可能性は、その普及に正確に比例して増加する。」(275ページ。)「社会の初期の段階では、労働と科学とは、双方とも簡単だったので、あいたずさえて進む。」(同上。)「知識人と生産的労働者とはたがいに遠く引き離されており、科学は、労働者の手中にあって彼の生産諸力を高めるしもべにあまんじるどころか、……ほとんどどこでも労働に対立しているのである。……知識の所有者と権力の所有者とは、どこでも彼らの私的利益をはかろうとした。そして知識は道具なので、容易に労働から切り離し、かつ労働に対立させることができる。」(同書、274ページ。)要するに、労働に対立し資本に奉仕するこの科学独立化は、労働に対立/する生産諸条件の独立化の範疇にいれるべきである。この生産諸条件の分離と独立化こそ、なにはさておき、もっぱら資本のために役立つのであるが、それは同時に、科学と知識がその威力を発揮するための条件なのである。〉(草稿集⑨301-302頁)

《初版》

 〈(67) 「学者と生産を行なう労働者とは、互いに遠くかけ離れていて、科学は、労働者の手のなかで彼自身の生産諸力を彼自身のために高めるのではなくて、ほとんどどこでも彼に対立してきた。……知識は、労働から引き雌概されて労働に対立させられうる一つの道具になる。」(W・トムソン『富の分配原理の研究、ロンドン、1824年』、274ページ。)〉(江夏訳413頁)

《フランス語版》

 〈(43) 「学者と労働者は、互いに完全に分離されており、科学は、労働者の手ににぎられて彼自身の生産力を彼に有利に発展させるのでなく、ほとんどいたるところで彼に対立した。……知識は、労働から分離して労働に対立しうる一つの道具になる」(W・トムソン『富の分配原理の研究』、ロンドン、1824年、274ページ)。〉(江夏・上杉訳377頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *44「知識人と生産的労働者とは互いに大きく分離された。そして知識は、依然として、労働者の手にあって、彼の生産力を増大させ、労働を補足するものとして留まるのに代わって、…. 至る所で、労働に対立するものとして並べられた。…. 体系的に、彼等(労働者達)を迷わせ、彼等の筋力を機械的にそして服従的に引き出すための邪道に導いた。」(W. トンプソン 「富の分配原理に関する研究」ロンドン 1824年 274ページ)  〉(インターネットから)


●第4パラグラフ

《61-63草稿》

 〈A・ファーガソンがA・スミスと比べてすぐれているのは、分業の否定的側面をより鋭く、また力をこめて説いている点である(彼の場合にもまだ商品の質が一つの役割を演じているが、A・スミスはそれを、資本主義的な立場からすれば正しく、まったく付随的なこととして無視している)。「一国民の全般的能力が技術の進歩に比例して成長するものかどうかについては疑わしくさえあるだろう。いくつかの機械的技術(アール)はどんな能力をも要求しないのであって、/理性と感情との助けがまったく排除されているときに最も好首尾にはたらくのである。また、無知は迷信の母であると同様に勤勉の母でもある。反省と想像とはひとを迷いに陥らせがちであるが、手足を動かす習慣は、そのどちらにも依存していない。だから、製造業(マニュファクチュア)については、その完全さは精神の働きなしに済ますことができることにあり、(そしてとくに次の点は作業場(アトリエ)にかんして重要である)そのためにとくに頭を働かす努力をしなくても作業場が人間を部分品とする一個の機械と見なされうるようなものになっているのだ、と言いうるであろう」(134、135ページ〔邦訳、下、356ページ〕)。〔傍点をつけた〕後者のところに、マニュファクチュアの概念が、むしろA・スミスの場合よりも〔はっきりと表現されている〕。さらに彼は、この分業の結果、製造業者(マニュファクチュリエ)と労働者(ウヴリエ)とのあいだに生じる、関係の変化を強調している。「製造業〔indstrie〕についてさえ、下位の労働者の精神は未開発のままにとどまるのにたいして、製造業者のほうは開発された精神をもつことができるのである。……兵士の技能はせいぜい手足の若干の動作を行なうことに限られているけれども、将官は戦争の技術に非常に精通していることがある。前者が失ったものを後者が得たのであろう!」(135、136ページ〔邦訳、下、357ページ〕)。彼が一般兵士に関連して将官について述べていることは、労働者軍に関連して資本家あるいはその管理人(マネジャー)についてもあてはまる。独立した労働において小規模に充用されていた知力と〔その〕自立的発達とは、いまや作業場全体のために大規模に充用されるのであり、労働者からそれらを奪い取った指揮者によって独占される。「彼〔将官〕は、野蛮人が小集団を指揮したり、単に自分自身を守るために用いた術策や攻撃・防禦のあらゆる手段を大規模に用いるのである」(136ページ〔邦訳、下、357ページ〕)。したがってまたファーガソンは、「従属性〔subordination〕」をはっきりと「技術(アール)ならびに職業の分化」の結果として論じてもいる(138ページ〔邦訳、下、358ページ〕)。ここには、資本の〔労働との〕対立、等々〔も書かれている〕。〉(草稿集④439-440頁)

《初版》

 〈マニュファクチュアでは、全体労働者の、したがって資本の、社会的生産力が豊かになることは、労働者の個別的諸生産力が貧しくなることを条件としている。「無知は迷信の母であるのと同じく勤勉の母でもある。反省や想像力/は誤りにおちいりやすい。しかし、手とか足を動かす習慣は、これらのどちらにも依存していない。だから、次のように言ってもかまわない。すなわち、マニュファクチュアにかんして言うと、これが完成するのは、作業場が人間を部品とする一個の機械と見なされうるほどに、人々が放心状態にあるばあいである(68)、と。」じっさい、18世紀の半ばには、若干のマニュファクチュアは、単純ではあるが工場の秘密になっているある種の作業には、好んで、白痴に近い者を使用した(69)。〉(江夏訳413-414頁)

《フランス語版》

 〈マニュファクチュアでは、集団労働者を、したがって資本の社会的生産力を発達させる条件は、労働者の個別的生産力を弱めることである。
  「無知は迷信の母であると同時に、勤勉の母でもある。反省と想像力は誤りやすいものであるが、足とか手を動かす習慣は、このどちらにも依存しない。したがって、マニュファクチュアが完成するということは、人間の精神などなくてもすみ、頭を使わなくても、作業場が人間を部品とする機械であると見なされうるようになることだ、と言っても差支えないであろう(44)」。したがって、多くのマニュファクチュアは18世紀の半ば頃、工場の秘密になっている若干の作業には、半ば白痴の労働者を好んで使ったものである(45)。〉(江夏・上杉訳377頁)

《イギリス語版》  イギリス語版では三つのパラグラフに分けられているが、一緒に紹介しておく。

  〈(4) 工場手工業において、集合的労働者を、彼を資本を経由して、社会的な生産力としての富とするために、個々の労働者は個々の生産力では貧しいきものとされなければならない。
  (5) 無知は迷信の母であると同様に、探究の母である。熟慮や想像は間違いを生じやすい。しかし手足を動かす習慣はそのどちらからも独立している。従って、工場手工業がもっとも繁栄するのは、そこでは理性が考慮されることが殆どなく、工場では、…. 人が人と云う部品であって、原動機のごときものと考えられる場合である。*45
   (6) 実際にあったことだが、18世紀中頃、幾つかの工場手工業では、ある特定の企業秘密に係る作業には、半白痴的人間の雇用をむしろ選んだ。*46〉(インターネットから)


●原注68

《初版》

 〈(68) A・ファーガソン、前掲書、134、135ページ。〉(江夏訳414頁)

《フランス語版》

 〈(44) A・ファーガソン、前掲書、134、135ページ。〉(江夏・上杉訳377頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *45 A. ファーガソン 既出 280ページ〉(インターネットから)


●原注69

《初版》

 〈(69) J・D・タキット『労働人口の過去および現在の状態の歴史、ロンドン、1846年』、第1巻、149ページ。〉(江夏訳414頁)

《フランス語版》

 〈(45) J・D・タヶット『労働人口の過去および現在の状態の歴史』、ロンドン、1846年、第1巻、149ページ。〉(江夏・上杉訳378頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *46 J.D. タケット 「過去および現在の労働人口の状態の歴史」ロンドン 1846年〉(インターネットから)


●第5パラグラフ

《61-63草稿》

 〈G・ガルニエは、彼によるA・スミスの訳書につけた、注釈の巻で--A・スミスの著書の分業についての章への注釈Ⅰのなかで--自分は、国民教育には反対であると言明している。国民教育は分業に対立するものであり、そんなことをすれば「われわれの全社会制度」(アダム・スミス『諸国民の富』ガルニエ訳フランス語版、パリ、1802年。第五巻、2ページ)を廃することになる、と言うのである。彼の評言のうちの若干はここに書きとめておくのがよい。
  「一国の住民全体に食を与え、衣服を着せ、住居をもたせる労働は、全体としての社会に課せられた負担であるが、社会はこの負担を必然的にその成員のうちの一部分だけに転嫁する」(同前、2ページ)。そして社会の産業的進歩が大きければ大きいほど、それだけ社会の物質的な要求も増大し、「したがってまた、それらのもの(生活手段一般)を生産し加工し消費者の手に近づけるために用いられる労働はそれだけ多くなるであろう。しかし、同時に、そしてその同じ進歩の結果として、そのような肉体労働から解放された人々の階級が他方の階級に比べて増大する。したがって、肉体労働をする人々は、同時に、よりたくさんの人/々の面倒をみなければならないとともに、より豊富でより手のこんだ必要品を彼らの一人ひとりに提供しなればなけらないのである。だから社会が繁栄するにつれて、すなわち社会が産業、商業、人口などを増大させるにつれて、……手で行なわれる職業につく運命にある人間にとっては、節約できる時間はますます少なくなる。社会がより豊かになればなるほど、労働者の時間はそれだけより大きな価値をもつ(というよりはむしろ、価値である)。……こうして、社会が光輝ある大国への道を前進すればするほど、労働者階級にとってはものを学び知的な労働をし思索をするための時間がますます少なくなる」(同前、2-4ページ)。すなわち、社会の自由な時間は、強制労働によって労働者の時間を吸収することにもとづいているのであり、こうして労働者は、精神的な発達に必要な余地(ラウム)を失うのである。というのは、この余地は時間だからである。
  「他方では、労働者階級が学問の領域にたずさわる時間が少なければ少ないほど、それだけより多くの時間が他の階級に残される。この後者の階級の人々が一貫して孜孜(シシ)として哲学的考察や文学的創作に専念できるとすれば、それは彼らが日常の暮らしのかてを生みだし、手を加え、運ぶといったことにかかわるいっさいのわずらわしさから解放されているからであり、またそれは、他方の階級が彼らに代わってこれら手で行なわれる作業を引き受けているからである。他のすべての分業と同様に、手の労働と頭の労働との分業も、社会がより富裕な状態に進むにつれて、ますます強くきわだって明瞭になってくる。他のすべての分業と同様に、この分業も過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。……それなのに、政府がこの分業を妨げ、その自然の遂行を阻止しようと努めなければならないのだろうか? おのずから分かれようとする傾向にある二種類の労働をごちゃまぜにしようと努めるために、政府が国庫収入の一部を費やさなければならないのだろう/か?」(同前、4、5ページ。)〉(草稿集④484-486頁)(孜孜(読み)シシ 熱心に努め励むさま。「孜孜として研究を続ける」)
  〈A・スミスは分業のもたらすもろもろの(悪い)結果について、彼が意識的に〔ex professo〕分業をテーマにしている第1篇第1章ではごく軽くふれているにすぎないが、これにたいして国家の収入を論じている第5篇では、ファーガスンにならってあからさまに語っている。そこ、第5巻では、次のように書かれている(〔第5篇〕第1章〔第3節〕第2項)。/
  「分業が進展するにつれ、労働によって生活する人々の圧倒的大部分、すなわち人民大衆の職業は、ごく少数の単純な作業に、しばしば一つか二つの作業に限定されるようになる。ところで、大部分の人々の理解力は、必然的に彼らの日常的な職業によって形成される。その一生が少数の単純な作業を行なうことに費やされ、その作業の結果もまた、おそらくつねに同一またはほとんどまったく同一であるような人は、けっして現われてこないような諸困難を除去するための便法を発見しようとして自分の理解力を発達させたり、想像力を働かせたりするはずがない。それゆえ、彼は自然に、これらの能力を発揮したり働かせたりする習慣を失い、およそ創造物としての人間がなりさがれるかぎりのばかになり、無知にもなる。彼の精神的能力の麻痺……彼の停滞的な生活の千篇一律さは、自然に彼の勇気を腐らせ挫く……。それは彼の肉体の活動をさえ劣化させるのであって、そこで彼は、自分が従来しこまれてきた仕事以外のどんな仕事にも精力的に忍耐強く自分の力を発揮することができないようになる。このようにして、彼の特殊な職業における彼の技巧は、彼の知的な素質や彼の社会的な徳や彼の軍事的な才能を犠牲にして獲得されるような性質のものであるように思われる。ところで、文明化され工業的に進んだあらゆる社会では、これこそ、……貧困な労働者、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえない状態である。ふつう野蛮な社会と呼ばれているような、狩猟民や牧畜民の社会では事情が違うし、また、製造業の進歩と外国商業の拡大とに先行する農業の未開状態における農業者の社会でさえも事情が違う。こういう社会では、各個人の多種多様な職業が、各個人にたゆまぬ努力によって自分の能力を発揮せざるをえないようにし、云々。……未開社会では、各個人の職業こそ非常に多種多様であるほかはないけれども、社会全体の職業はあまり多種多様ではない。……これに反し、文明化された状態においては、大部分の個人の職業こそあまり多種多様ではないけれども、社会全体のそれはほとんど無限に多種多様である」[同前、181-184ページ〔邦訳、1126-1127ページ〕]。〉(草稿集④494-495頁)

《初版》

 〈A・スミスはこう言う。「大多数の人間の理知は、必ず、彼らの日常の仕事から発達するし、またこの仕事のおかげで発達する。わずかばかりの単純な作業を行なうことに全生涯を費やす人には、……自分の理知を用いる機会が全くない。……彼は、一般的に言えば、1人の人間にとって可能なかぎりの愚かで無知なものになる。」部分労働者の愚鈍なことを述べた後に続けて、スミスはこう言う。「彼のいつも変わらぬ生活の単調さは、当然、彼の精神の気力をもだいなしにする。……この単調さのために、彼の肉体のエネルギーさえも破壊され、彼が就業させられている細部作業以外の作業では、自分の力を活発にしかも持続的に使うことができないようになる。彼の特殊な職業における彼の熟練は、このように、彼の知的な、社会的な、勇敢な力を犠牲にして得られたように見える。だが、これは、産業の発達した文明社会であればどの社会でも、労働貧民(the labouring poor)すなわち国民の大多数が必然的におちいらざるをえない状態なのである(70)。分業から生ずる民衆のひどい萎縮を阻止するために、A・スミスは、国家による国民教育を、といっても用心深く微量にかぎつてのことだが、推奨している。このことには、スミスの著書のフランス語訳者であり註釈者であり、フランスの第一帝政のもとで元老院議員になるべくしてなったG・ガルニエが、徹/底的に反論している。国民教育は分業の主要な原理に反するものであって、そんなことをやれば「われわれの全社会制度が葬り去られてしまう。」彼はこう言う。「他のすべての分業と同じように、手の労働と頭の労働との分業(71)も、社会(この言葉を、彼は正当にも、資本、土地所有、およびこの両者の国家、という意味に用いている)が富めば富むほど、ますます明瞭になり決定的になる。他のどの分業とも同じように、この分業も、過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。……それでは、政府はこの分業を阻止し、その自然のままの進行を阻んでよいものであろうか? 政府は、分割と分離とを求めている二種類の労働をもつれさせたり混ぜ合わせたりしようとする試みのために、国庫収入の一部を費やしてよいものだろうか?(73)〉(江夏訳414-415頁)

《フランス語版》

 〈A・スミスは言う。「たいていの人間の知能は必然的に、彼らの日常の仕事から形成される。少数の単純作業を一生営む人間は、……知能を発揮する機会も、想像力を働かせる機会も全然ない。……彼は一般には、1個の人間がこれ以上にはなれないほど無知で愚かな人間になる」。部分労働者の鈍感さを描写してから、A・スミスは次のようにつづけて言う。「彼の変化のない生活の単調さは、当然彼の精神の気力を腐らせる。……この単調さのため、彼の肉体の活動力さえ低下し、彼が育成された仕事以外のどんな仕事においても、自分の力を活発に持久的に発揮することができなくなる。したがって、彼の職業上の器用さは、彼の知的、社会的、戦闘的な力を犠牲にして獲得したように見える素質なのである。ところで、どんな産業上の文明社会でも、これが、労働貧民<the labouring poor>すなわち国民の大多数が必然的に陥らざるをえない状態なのである(46)」。分業から生ずるこの全面的な退歩の対策として、A・スミスは国民の義務教育を勧告し、これを用心深く、しかも微量投与することを勧めているのである。スミスのフランス語訳者で註釈者であり、第一帝政のなるべくしてなった元老院議員のG・ガルニエは、この意見と闘うことによって、筋道が通っていることを示した。彼の意見によると、国民教育は分業の法則と矛盾しており、これを取り入れれば「わが国の全社会制度が廃止されるであろう。……機械的労働と知的労働とのあいだの分業(47)も、他のすべての分業と同じように、社会がいっそう豊かな状態へ前進するにつれて、ますます鮮明に浮び上がってくる(ガルニエはきわめて正確に、社会というこの言葉を、資本、土地所有、および両者のものである国家、という意味に用いている)。この分業も、他のすべての分業と同様に、過去の進歩の結果であり、将来の進歩の原因である。……いったい政府は、この分業を妨害しその自然の進行を遅らせるように努めるべきであろうか? 政府は、自然に分離する傾向にある二種類の労働を混同し一緒にしようと努め、このために国庫収入の一部を用いるべきであろうか?(48) 」〉(江夏・上杉訳378頁)

《イギリス語版》   このパラグラフは幾つかのパラグラフに分けられているが、ここではすべて一緒に紹介しておく。

  〈(7) 「多くの人間の理解力は、」と、アダム スミスは云う。「彼等の日常的な雇用によって必然的に形成される。人生の殆ど全てを、二三の単純な作業を行うことで費やした人間は、…. 彼の理解力を用いる機会を持つことはない。…. 彼は次第に、馬鹿で無知な、人間という生き物がなりうる程度の者となる。
  (8) 細目労働者の馬鹿さ加減について書いた後、彼は、こう云う。
  (9) 「彼の停滞した生活の画一不変は、彼の精神の生気を崩壊させる。…. それは彼の体の活動すら崩壊させる。そして、彼が押し込まれた以外の仕事においては、彼の力を活気をもって、忍耐をもって、発揮させることができなくなる。彼自身の特異な取引で得た彼の器用さは、この意味では、彼の知能、社会性、そして勇敢性を犠牲にして得られたものに見える。しかし、あらゆる面で改良され、文明化された社会においては、この状態は、労働者貧民が、それが人々の大部分ではあるが、必ず陥らねばなければならない状態なのである。」*47
   (10)  分業による大部分の人々の完全なる資質劣化を防止するために、A. スミスは、国による人々の教育を推奨する。しかし、形ばかりの現状維持と変わらないものを。彼の本のフランス語版の翻訳者であり、解説者でもある G. ガルニエは、フランス第一帝政下で、ごく自然に上院議員となり、ごく自然に、彼のこの点について反対した。彼は主張する。人民の教育は分業の第一の法則を犯す。またそれによって、(訳者注: 次の文節に直接的に繋がって行く)
  (11) 「我々の全社会システムが禁止されるやも知れない。」「他の全ての分業同様、」と彼は云う。「手の労働と頭の労働の、*48 分離は、社会 ( 彼は、正しくこの言葉を、資本、土地所有権、そして彼等の国を表すものとして用いている ) がより豊かになれば、顕著となり、その構成部分がより明確なものとなる。この分業は、あらゆる他のものと同様、過去の結果であり、未来の進歩の原因である。…. なのに、政府は、この分業に反対すると云うのか、またその自然の道筋を後戻りさせると云うのか? 分割と分離を懸命に追っている二つの労働種をごちゃごちゃに混ぜ合わせる試みのために、公的な資金の一部を支出すると云うのか? *49 〉(インターネットから)


  (付属資料(6)に続く。)

 

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『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(15)

2024-09-21 14:14:36 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(15)


【付属資料】(6)


●原注70

《哲学の貧困》

 〈プルードン氏によると、分業は永久的な一法則であり、単純で抽象的な一カテゴリーである。だからまた、歴史のさまざまな時代における分業を説明するためには、抽象だけで、観念だけで、〔たんなる〕ことばだけで、彼には十分であるにちがいない。カスト制度[世襲的階級]も同職組合もマニュファクチュア制度も大工業も、たった一つの分割するということばだけで、説明がつくはずなのである。まず第一に、分割するということの意味をよく研究してみたまえ。そうすれば、分業にたいしてそれぞれの時代における一定の性格を与える無数の影響を研究する必要はなくなるのである。
 ものごとをプルードン氏のカテゴリーに還元するのは、たしかに、ものごとをあまりにも簡単なものにしてしまうことであろう。歴史というものはそれほどカテゴリー式に進行するものではない。ドイツでは、都市と農村との分離という最初の大がかりな分業を確立するために、まる三世紀を要した。この都市と農村との関係だけの変化しただけで、それに応じて、社会全体が変化していったのである。いま、分業のこの一/つの面だけをとりあげて考察してみると、〔歴史のうえには〕古代共和国があったかと思うとキリスト教封建制度があり、貴族の支配した旧イギリスがあったかと思うと木綿王(cotton-lords)の支配する近代イギリスがある、という次第である。まだ植民地というものがなくてヨーロッパにとってアメリカもまだ存在せず、アジアもただコンスタンティノープルを介して存在するにすぎず、地中海が貿易活動の中心であった一四、五世紀には分業は、スペイン人、ポルトガル人、イギリス人、フランス人が世界中のいたるところに設定された植民地を持っていた一七世紀とはまったく異なる形態、まったく異なる外形をそなえていた。
  市場の広さ、その外貌が、さまざまな時代の分業にたいして、分割するわということばだけから、〔分業の〕観念から、そのカテゴリーから、推断することのできにくい一つの外貌を、一つの性格を、付与しているるのである。
 「アダム・スミス以後の経済学君たちはみな」とブルードン氏はいう、「分業の法則の利点と欠点を指摘したが、しかし、後者についてよりも前者についてはるかに力説した。というのは、そうするほうが、彼らの楽観主義にとっては、好都合だったからである。しかも、彼らのうちだれひとりとして、一つの法則の欠点とはどういうものでありうるか、を自問したことは一度もなかった……。同一の原理が、その諸帰結において厳格に追求されると、まったく反対の諸結果に到達するのはどうしてなのか? そこにこそ一つの解明すべき問題があるのだということに、たんに気づいたにすぎない経済学者でさえ、A・スミス以前にも以後にも、一人もいないのである。セーは、分業においては善をうみだす同一の原因が悪をもうみだす、ということをみとめるところまですすむ。」[第一巻、95-96ページ]
 アダム・スミスはプルードン氏が考えているよりももっと先を見ている。「個人間の天賦の才の相違は、実際には、われわれが知っているよりもはるかに小さい」ということを彼はきわめてよく理解していた。「いろいろの職業に従事する人々を、彼らが壮年に達したときに差別づけるように思われるところの、これらの実にさまざまな天分は、分業の原因というよりもむしろその結果である。」〔スミス、前掲書、33-34ページ〕〔第1篇、第2章、第4段〕そもそものはじめには、人足と哲学者との相違は雑種犬とウサギ猟犬との相違よりも小さい。両者のあいだに深淵をよこたえたのは分業である。〔アダム・スミスはこう言っているのであるが、〕このことはまったく、プルードン氏が別の個所で、アダム・スミスは分業の生みだす欠/陥に気づいてもいなかった、と述べることを妨げるないのである。これはまた、彼をして、セーこそ「分業においては善をうみだす同一の原因が悪をも生みだす」〔第1巻、96ページ〕ということを最初に認めた人である、と彼〔プルードン氏〕に言わせるのである。
 しかし、ルモンテーの言い分にも耳を傾けよう。各人には各人のものを与えなければならないのであるから(Suum cuique)。
 「セー氏は、この断章のなかで私が明らかにした分業の道徳的影響にかんする原理を、氏のすぐれた『経済学要綱』のなかに採用してくれた。拙著の表題がいささか浮薄なために、氏は私の名をあげられなかったにちがいない。こんなたかのしれた負債を否認するにはあまりにも自分自身の資力に富んでいる一著述家の沈黙は、このような理由にもとづくものである、としか私には考えられない。」(ルモンテー、『全集』、第1巻、245ページ、パリ、1840年)
 彼にたいしては、以下のような公平な判定をくだしてやろう。ルモンテーは今日構成されているような分業の憂うべきも諸結果を、機智をもって説明した、そしてプルードン氏は、それにつけくわえねばならぬものを何一つ発見しなかった、と。しかし、プルードン氏の過失によって、このだれが先かという問題に、ひとたび引き入れられたのてしまったからには、われわれは、ついでに、こうも言っておこう。ルモンテー氏よりずっと以前に、アダム・ファーガソンの弟子であるアダム・スミスよりも17年前に、このファーガスンが、とくに分業を論じている一章でこのことをはっきり説明している、と。
 「一国民の全般的能力が技術の進歩に比例して増大するものかどうかは、疑わしくさえあるだろう。多くの機械的な技術は……理性と感情との助けがないときにもっともよく成功する。そして無知は迷信の母であると同時に勤勉の母でもある。反省と空想とは誤謬に陥りやすいものであるが、手足を動かす習慣は反省や空想のいずれにもかかわりがない。だから、製造業は、精神のはたらく余地が〔もっとも〕すくないところで、また、なんらたいした想像の努力がおけなわれず、仕事場が機械のように人間を部分品と考えられうるようなところで、もっともさかんなのである。……将校はひろく戦争の技術にきわめて堪能な腕まえを示すことができるが、兵卒の技能はせいぜい手足の動作のみその行動を限られている。前者は後者の失ったものを獲得したものであろう。……。すべてが分離される現代にあっては、考える技術そのものが特殊な一職業となるであろう。」(A・ファーガソン『市/民社会史論』、パリ、1773年)[第2巻、134ページ、135ページ、136ページ〕〔第4章、第1節、技術と職業の分化について〕
 ここらでこのような文献調べを打ち切るために、われわれは「経済学者たちがみな分業の欠点についてよりもその利点をはるかに力説した」ということを正式に否定することにする。シスモンディの名をあげるだけで十分なのである。
 だから分業の利点については、プルードン氏は、だれもが知っているありふれた文句を、多かれ少なかれ虚飾して注釈する以外には、なにもすることがなかったのである。〉(全集第4巻149-頁)

《61-63草稿》

 〈A・スミスは、一面では分業が人間のもろもろの素質の自然的な違いの産物、結果であるが、他面では後者の違いのほうがはるかに高い程度において分業の発展の結果であることを書きとめている。彼はここでは、彼の師ファーガスンにしたがっているのである。
  「諸個人のあいだの生得の才能の差異というものは、わ/れわれが想像しているよりも、じつははるかに小さいものであって、さまざまな職業にたずさわる人々が、成年に達すると、天分の非常な差異によって区別されるように思われるけれども、それは、分業の原因というよりはむしろその結果なのである。……(もし分業と彼が分業の原因にしている交換とがなかったら)だれもが同じ義務を果たし、また同じ仕事をしたにちがいないし、また、才能に大きな差異を生じさせうる唯一のものである、仕事についてのこのような大きな差異は存在しなかったであろう」[同前掲33-34ページ〔邦訳、84-85ページ〕]。「生まれつきから言えば、その才能と知能との点で哲学者と街頭の荷運び人とが異なる程度は、マスティフとグレイハウンドとが異なっているその半分にも及ばないのである」[同前、35ページ〔邦訳、85ページ〕]。〉(草稿集④436-437頁)

《初版》

 〈(70) A・スミス『諸国民の富』、第5篇、第1章、第2節。分業の不利な結果を述べたA・ファーガソンの弟子として、A・スミスは、この点については全く明瞭であった。彼の著書の冒頭では職務上分業が賛美されているが、そこでは、彼は、分業が社会的不平等の原因であることを、ことのついでに示唆しているにすぎない。国庫収入にかんする第5篇で初めて、彼はファーガソンの所説を再生産している。私は『哲学の貧困』で、分業の批判という点でファーガソンやA・スミスやルモンテやセーがもちあわせている歴史的関係について必要と思われることを述べ、また、そこで初めて、マニュファタチュア的分業を資本主義的生産様式の独自な形態として述べておいた。(同上、122ページ以下。〉(江夏訳415頁)

《フランス語版》

 〈(46) A・スミス『諸国民の富』、第5篇、第1章、第2節。A・ファーガソンの弟子として、アダム・スミスは、先生が非常に/適切に説明した分業の有害な結果については、ぎわめてはっきり知っていた。彼は著書の冒頭で、分業を職務上ほめたたえているが、ついでにこれを社会的不平等の源泉として示すにとどめた。彼は著書の最後の篇のなかでファーガソンの見解を再生産している。--私はすでに私の菩書『哲学の貧困』のなかで、分業の批判にかんし、ファーガソンとA・スミスとルモンテとセーとの歴史的な関係を充分に説明しておいた。私は同時に、マニュファクチュア的分業が資本主義的生産様式の独自の形態であることを、初めて説明したのである(同上、122ページ以下)。〉(江夏・上杉訳378-379頁)

《イギリス語版》   訳者余談もつけておく。

  〈本文注: *47 A. スミス「国富論」第五篇 第一章 第二節 分業の欠陥的影響について示したファーガソンの生徒ではあるが、アダム スミスは、この点については完全に抜けている。彼の著書へのはしがきで、ちなみに話で、分業を称賛している。彼は、ただ、ぞんざいな言い方で、社会的不平等の原因を述べたにすぎない。(着色部分、前者は訳者余談の材料、後者はフランス語) しかも、第五篇の、ファーガソンの 国家の収入 を再現するところに至る前にはなにも触れていない。私(訳者注: マルクス)は、私の著書「哲学の貧困」(フランス語) で、ファーガソン、A.スミス、ルモンティ、そして セイ の、分業に係わる彼等の見解を、それぞれを比較して、その歴史的関係について詳細に説明している。そして、はじめて、工場手工業で行われた分業が、資本主義的生産様式の独特の形式であることにも触れた。

  訳者余談: 抜けている。は、翻訳に時間が掛かった。ドイツ語ではどうなっているのか知らないが、英文では、clear となっている部分である。大抵は、明白と訳すだろう。向坂訳は、明瞭である。抜けているとはやはりかなりの違いがある。早く云えば、書いてあるのか、書いてないのかを読み取るところである。私も翻訳上、国富論を読んで、ブルジョワ経済学の祖の、資本主義的観念論の世界を見て、マルクスの批判的読書力に感服した。それを知っているから、ここで、明白とか明瞭とかは絶対にあり得ないと直感して、clear には裏の意味でもあるのかと辞書に相談してみた。英和辞典には、こんな抜けているなどと云う文字はない。でも、きれいに片づけるとか、(木材の)節がない といった文字を見出した。マルクスは、時々、まったく明白に、褒めてけなす方法を採用する。そして人の頭を鍛えるというか、しっかりと認識させる。ここもその一つと、翻訳の楽しみを大いに味わったところである。明白にあると云う言葉で、明白にないと云うことを表しているのをいかに訳すかが訳者の仕事に残る。日本語が見つからないので、しっかりと、ない方を書くことにした。抜けているはその結果である。明白になったか、抜けているかは、後は読者による。一言付け加えたい。資本家には、労働者の貧困に、テロ以外の認識はない。テロの原因としてではなく、ただ沈黙させる対象として。アダム スミスにあっても、クリヤーに、ブルジョワ精神そのままに、労働者の貧困は必然と云う。ファーガソンの生徒が、資本主義社会の進展に押されて、師の内容をこのように改竄する。〉(インターネットから)


●原注71

《61-63草稿》

 〈A・ファーガソンは言う。--「産業に関連してこのように大きな利益を生みだすこの方法〔分業〕は、さらに高度の重要性をもつ対象に、つまりさまざまの政治部門や戦争部門に適用しても同様な成功をおさめる。……あらゆるものが分離される時代においては、考えること自体が特殊な職業となりうるのである」(131、136ページ〔邦訳、下、354、357ページ〕)。そして彼は、スミスと同様に、産業的実践への科学の関与を特別に強調している(136ページ〔邦訳、下、357ページ〕〉。〉(草稿集④439頁)

《初版》

 〈(71) ファーガソンはすでにこう言っている。「すべてのものが分離されている時代には、思考する技術はそれ自体が別個の職業になりうる。」〉(江夏訳415頁)

《フランス語版》

 〈(47) ファーガソンはすでにこう言っている。「すべてのものが分離される時代には、思考する技術はそれ自身別個の職業になりうる」。〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *48 ファーガソンは既にこう云っている。前出 281ページ 「そして、考えること自体、この分割の時代にあっては、特殊な職種になるかも知れない。」〉(インターネットから)


●原注72

《初版》

 〈(72) G・ガルニエ、彼の訳書の第5巻、2-5ページ。〉(江夏訳415頁)

《フランス語版》

 〈(48) G・ガルニエ、彼の訳書の第5巻、2、4、5ページ。〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *49 G. ガルニエ 第五巻 彼の、A. スミスの訳本 4-5ページ〉(インターネットから)


●第6パラグラフ

《初版》

 〈ある種の精神的肉体的な不具は、社会全体の分業からさえ切り離すことができない。ところが、マニュファクチュア時代は、労働諸部門のこの社会的分割をはるかに前進させ、他面ではこの時代に特有な分業によって初めて個人の生活根源をとらえるものであるから、この時代はまた、産業病理学のための材料や発端をも初めて提供している(73)。〉(江夏訳415頁)

《フランス語版》

 〈肉体と精神のある種の萎縮は、社会内分業から切り離すことができない。ところが、マニュファクチュア時代はこの社会的分裂をはるかに先まで押し進めると同時に、この時代に固有の分業によって個人の生活の根源そのものを襲うのであるから、この時代はまた産業病理学の概念と材料を提供する最初の時代でもある(49)。〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈12)  社会全体での分業からでさえ、体と精神を多少は損なうことからまぬがれることはできない。とはいえ、工場手工業がその労働の社会的な分離・分岐を一層押し進めた。なおかつ特異なる分割によって、個人を、その人間的存在を根本から痛めつけることになった。その結果、産業病理学のための材料を提供し、その始点を与えた。*50〉(インターネットから)


●原注73

《初版》

 〈(73) パドバの臨床医学教授ラマツィーニは、1713年に『手工業者の病気について』を公刊したが、これは1781年に/フランス語に翻訳され、1841年に『医学百科辞典、第7論文、古典的著者』のなかに再録された。彼の労働者病の目録は、もちろん、大工業時代に大いにふやされた。特に、ドクトル・A・L・フォントレル『一般に大都市特にリヨン市における労働者の肉体的精神的衛生、パリ、1858年』、および、『種々の身分・年齢・性に特有な疾病、全6巻、ウルム、1860年』、を見よ。技芸協会〔博愛主義の団体〕は、1854年に産業病理学の調査委員会を設けた。この委員会が蒐集した文書のリストは、「トウィッカナム経済博物館」のカタログに掲載されている。「保健局」の公式報告書もきわめて重要である。〉(江夏訳415-416頁)

《フランス語版》

 〈(49) パドヴァの臨床医学教授ラマツィーニは、1713年に著書『手工業者の病気について』を公刊したが、これは1781年にフランス語に翻訳され、1841年に『医学百科辞典、第7論文、古典的著者』のなかに再録された。彼の労働者病の目録は、もちろん、大工業時代に大いにふやされた。特に、ドクトル・A・L・フォントレル著『一般に大都市特にリヨン市における労働者の肉体的および精神的衛生』、パリ、1858年、『種々の身分、年齢、および性に特有な疾病』、6巻、ウルム、1860年、および、医学博士エドゥワルト・ライヒ著『人間退化の源泉について』、エルランゲン、1868年、を見よ。技芸協会は1854年に、産業病理学についての調査委員会を設けた。この委員会が集めた記録の表は、トゥイクナム経済博物館の目録のなかにある。『公衆衛生』にかんする政府報告書も、もちろん非常に重要である〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *50 バドバの臨床医学の教授 ラマンツィニは、1713年に彼の著書 「職人達の病気について」(ラテン語) を出版した。この本は1781年にフランス語に翻訳され、1841年に「医学百科事典 第七集 古典的著者編」(フランス語) で復刻された。近代機械工業時代には、勿論のこと、彼の、労働者の病気一覧表は大きく拡大された。「大都市における、特にリヨン市における労働者の肉体的精神的衛生について」(フランス語) A.L.フォンテレ博士著 パリ 1858年 及び 「各種身分別 年令別 性別の病気について (ドイツ語) 第六巻 ウルム 1860年」他を見よ。 1854年 手工協会は、産業疾患に関する調査委員会を設置した。この調査委員会によって収集された資料は、「トウィッケンハイム経済博物館」の目録に見ることができる。政府の公式な「公衆衛生に関する報告書」は特に重要である。また、エドワード レイヒ 医学博士の「人類の退化について」(ドイツ語) エルランゲン 1868年 を見よ。〉(インターネットから)


●第7パラグラフ

《初版》

 〈「人間を細分することは、彼が死刑の宣告を受けるに値すれば彼を死刑に処することであり、それに値しなければ暗殺することである。労働の細分は国民の暗殺である(74)。」〉(江夏訳416頁)

《フランス語版》

 〈「1人の人間を細分することは、彼が死刑の判決に値すれぽ彼を死刑に処することであり、彼がこれに値しなければ彼を暗殺することである。労働の細分は国民の暗殺である(50)」。〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈(13) 「人をして細分するとは、死刑を執行することである。 もし刑罰が当然ならば。もし当然ではないならば、かれを暗殺することで、…. 労働の細分化は人々の暗殺である。*51〉(インターネットから)


●原注74

《初版》

 〈(74) To subdivide a man is to execue him,if he deserves the sentence,to assassinate him,if he does not…the subdivision of labour is the assassination of a people."(D・アーカート『日常用語、ロンドン、1855年』、119ページ。)へーゲルは、分業についてきわめて異端的な見解をもっていた。彼は法哲学のなかで、「教養のある人というのは、まず第一に、他人のやることはなんでもやれる人だ、と解してかまわない」、と言っている。〉(江夏訳416頁)

《フランス語版》

 〈(50) D・アーカート『日常用語』、ロンドン、1855年、119ページ。へーゲルは分業について非常に異端的な見解をもっていた。彼は『法哲学』のなかでこう言う。「教養のある人間とは、まず、他人がなすことならなんでもできる人間を意味すべきである」。〉(江夏・上杉訳379頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *51 ( D.アルカート 「よく用いられる単語」ロンドン 1855年 119ページ) ヘーゲルは、分業について、非常に異端的な考え方を持っていた。彼の著書「法の哲学」(ドイツ語) の中で、彼は云う。 「我々が理解している、教育のある人々とは、とりもなおさず、他人のすることを全て出来る人のことである。」〉(インターネットから)


●第8パラグラフ

《61-63草稿》

  〈バーミンガムの鉄ぺン製造業がまだ初期の状態にあったおおよそ25年前の姿は、分業にもとづく近代的マニュファクチュアであった。個々の工程に、ある部分では機械に似た道具が、ある部分では機械が充用され(一定の高さに到達している、初期のマニュファクチュアのもとでもすでに〔充用されている〕)、またある部分では、蒸気で駆動さ/れる機構--しかし手労働が割りこむため〔はたらきが〕中断する--が充用された。〉(草稿集⑨75-76頁)
  〈さまざまな地質の諸層の順次的継起について、ひとは、明確に分離された諸時代が突如として現われるなどと考えてはならないが、さまざまな経済的社会構成体の形成についても同様である。マニュファクチュアの萌芽は、手工業の内部で発展し、早くもあちらこちらで、個々の分野で、また個々の過程にとって、機械が使用されはじめるのである。……ここに貫かれているのは、より後の形態の物質的な可能性が--技術的諸条件もそれに対応する作業場の経済的な構造も--先行する形態のなかでつくられるという一般法則である。革命的な要因としての機械労働は、古い生産手段で欲求を充足させる可能性をこえて欲求が増大することから直接に呼び起こされるのである。しかしこの欲求の超過そのものは、手工業を基盤にして行なわれた発見と、マニュファクチュアの支配のもとで創設された植民地体制およびある程度までこの体制によってつくりだされた世界市場とによって与えられる。ひとたび生産諸力に革命--それは技術的なかたちで現われる--が起これば、生産諸関係にもまた革命が起こる。〉(草稿集⑨129-130頁)

《初版》

 〈分業にもとづく協業、すなわちマニュファクチュアは、それの発端では、資本主義的生産の自然発生的な形成物である。それの定在が幾らか堅固にもなりまた広範にもなると、それは、資本主義的生産様式の意識的な、計画的な、組織的な形態になる。本来のマニュファグチュアの歴史が示しているように、このマニュファクチュアに特有な分業は、最初は、経験的に、いわば当事者たちの背後で、適切な譜形態を獲得しているが、次には、同職組合的手工業と同じに、ひとたび見いだされた形態を伝統的に固守しようとし、また、ばあいによっては数百年もこの形態を固守している。この形態が変化するとすれば、それは、枝葉末節の変化を除けば、いつでも、労働用具の変革の結果にほかならない。近代的マニュファクチュア--ここでは、機械にもとづく大工業のことを言っているわけではない--は、あるときは、たとえば衣服マニュファクチュアのように、それが成立している大都市で、既成のばらばらな諸肢体を/見つけだして、ばらばらになったそれらを集めさえすればよいのであり、さもないときには、分業の原理は明瞭であって、手工業的生産のいろいろな作業が簡単に(たとえば製本のばあいのように)別々の労働者の専属になる。このようなばあいには、それぞれの機能に必要な人手のあいだの比例数を見つけるには、1週間の経験も要しない(75)。〉(江夏訳416-417頁)

《フランス語版》

 〈分業にもとつく協業、すなわちマニュファクチュアは、その発端では、自然発生的で無意識的な創造物である。それ/がある程度の堅固さと充分に広大な共礎とを獲得するやいなや、それは、資本主義的生産の意識された組織的形態になる。厳密な意味でのマニュファクチュアの歴史は、それに特有な分業がどのようにして経験的に、いわば役者の知らない間に、最も有利な形態を獲得し、次いで、それがどのようにして同職組合のようにこれらの形態を伝統的に維持しようと努め、しかも、時にはこれらの形態を1世紀以上にわたって首尾よく維持するか、を示している。この形態は、細かい点は別にして、労働手段の革命の結果として変化する以外には、めったに変化しない。近代的マニュファクチュア(機械の使用にもとつく大工業のことではない)は、たとえば衣服マニュファクチュアのように、それが成立する大都市内で、分散していてもすっかりできあがっている材料を見出しこの材料を集めさえすればよいか、あるいは、分業の原理はきわめて容易に適用できるから、たとえば製本業のように、一つの手工業のさまざまな作業の一つに、個々の労働者を専属的に適合させさえすればよいのである。これらのばあい、個々の機能が必要とする労働者の比例数を見出すには1週間の経験で優に充分である(51)。〉(江夏・上杉訳379-380頁)

《イギリス語版》

  〈(14) 分業に基づく協業は、別の言葉で云えば、工場手工業は、自然的な形成物のごときものとして始まった。が、ある程度の存在と広がりを得るに至るや、それは、組織的かつ体系的な資本主義的生産形式として認められるほどのものとなった。工場手工業の特異な分業が、厳密にそのように呼ばれるものであるが、最初は経験的に最も適合した形式を獲得したが、あたかも演技者の後ろに隠れるようにしながら、そして手工業ギルドがそうしたように、一旦見出せばその形式をしっかりと掴んで離さない。そして至る所でそれを1世紀にもわたって維持することに固執してきた。歴史が示すところである。この形式のいかなる変更といえども、どうでもいい些細な事を除けば、全てが、労働の道具の革命に起因するものである。そこいらに発生した近代工場手工業は、私はここで、機械に立脚した近代工業に言及するつもりはないが、どこにおいても、すぐ使えるラテン語の詩の断片 (ラテン語) を見出して、ただそれを一まとめに集合させられた文章として並べる。大きな町の製布工場手工業のケースはそれである。または、単純に、様々な手作業に (例えば、製本業に) 排他的に、ある特定の人を当てることで、容易に分業の原理を応用することができる。これらのケースでは、様々な機能のために必要な手の数の比例関係を把握するには、一週間の経験があれば足りる。*52〉(インターネットから)


●原注75

《初版》

 〈(75) 分業では個々の資本家が先天的に発明の才を行使する、という呑気な信仰は、ドイツの教授連のあいだでしか見いだされないのであって、たとえばロッシャー氏のごときは、分業は資本家のジュピター〔全能者〕の頭から完成した姿でとび出てくるものだと考え、そのお礼として資本家に「いろいろな労賃」を献上している。分業の応用の大小は、財布の大きさいかんに依存しているのであって、天才の程度いかんに依存しているわけではない。〉(江夏訳417頁)

《フランス語版》

 〈(51) 資本家が分業では先天的に天才を発揮するという素朴な信仰は、いまではもう、たとえばロッシャーのようなドイツの教授のあいだでしか見られない。ロッシャーは、分業が資本家のオリンボスの神々のように尊大な頭脳から完成して出てくることにたいして、資本家にお礼として、「若干の種々の賃金」を与えるのである。分業の使用度の大小は、財布の大きさに依存しているのであって、天才の大きさに依存しているのではない。〉(江夏・上杉訳380頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *52 分業に関する、個々の資本家によって、当然視的に取り扱われる発明的天才の単純な信条は、今では、ドイツの教授連の間にしか存在していない。その証紙が、ロッシェル氏に貼ってある。彼は、分業がこれほどまでに広がったことについて、資本家のジュピター的頭脳からもたらされたと、資本家に感謝するために、彼に「様々な賃金」(異なった 労働報酬) (ドイツ語)を献呈する。なにはともあれ、分業の広範囲の適用は、財布の詳細な長さによるものであって、天才の偉大さによるものではない。〉(インターネットから)


●第9パラグラフ

《初版》

 〈マニュファクチュア的分業は、手工業的活動の分解、諸労働用具の専門化、部分労働者たちの形成、一つの全体機構内での彼らの組み分けと組み合わせによって、社会的な生産諸過程の質的編成と量的比例性を、したがって特定の社会的労働組織をつくり出し、それと同時に、労働の新たな社会的生産力を発展させる。社会的生産過程の独自な資本主義的形態としては--ところで、マニュファクチュア的分業は、既存の基礎の上では資本主義的形態でしか発展しえなかったのであるが--、マニュファクチュア的分業は、相対的剰余価値を産み出すための、または、資本--社会的富、「諸国民の富」等々と呼ばれるもの--の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための、一つの特殊な方法でしかない。それは、労働の社会的生産力を労働者のためではなく資本家のために発展させるばかりではなく、個別的労働者を不具にすることによっても、そうする。それは、資本が労働を支配するための新たな諸条件を産み出す。だから、それは、一方では、社会の経済的形成過程における歴史的進歩なり必然的な発展契機なりとして、現われているとすれば、他方では、文明化され洗練された搾取の手段として、現われているわけである。〉(江夏訳417頁)

《フランス語版》  フランス語版ではこのパラグラフは二つに分けられているが、一緒に紹介しておく。

 〈手仕事の解剖と分解、労働手段の専門化、部分労働者の形成、一つの全体機構のなかでの彼らの集団化によって、マニュファクチュア的分業は、社会的生産過程の質的分化と量的比例性とを創出する。この特殊な労働組織は、労働生産力を高める。
  資本主義的形態での分業--それは、与えられた歴史的な基礎の上では、他のどんな形態をも帯びることができなかった--は、相対的剰余価値を生産するための、あるいは、労働者を犠牲にして資本--国民の富<Welth of Nations>と呼ばれるもの--の収益を増大するための、特殊な一方法でしかない。それは、労働者を犠牲にして、資本家のため/の集団労働力を発展させる。それは、労働にたいする資本の支配を確実にする新しい諸条件を創造する。したがって、それは、社会の経済的形成における歴史的進歩、必然的段階としても現われ、文明化され洗練された搾取手段としても現われる。〉(江夏・上杉訳380-381頁)

《イギリス語版》

  〈(15) 手工業の分解、労働の道具の特殊化、細分労働者の形成、そして後者のたった一つのメカニズムへのグループ化と結合化によって、工場手工業における分業は、質的な順序立てと量的な比例関係を社会的生産過程の中に作り出した。それゆえ、それは、明確な 社会の労働の組織を作り出した。そして、それによって、同時に、社会の新たな生産力を発展させた。その特殊な資本主義的形式と、与えられた条件の下では、資本主義的工場手工業形式以外の形式を取ることはありえず、まさに、相対的剰余価値を獲得する特有な方式となる。または、労働者の犠牲を増大させて資本そのものの自己膨張となる。その社会的富を一般的に、「諸国の富」など ("Wealth of Nations," &c) と呼んだりする。その分業は、労働の社会的生産力を増大させる。労働者への恩恵のためではなく、資本家の利益のためだけに増大するのだが、それだけではなく、個々の労働者を不具化することによって増大する。その分業は、労働者を指揮する資本の支配権のための新たな条件をも作り出す。従って、一方で、それがそれ自身の歴史的な姿を、進歩であるとか、社会の経済的発展における必然的局面であるとか云うならば、他方では、搾取の、巧妙化された、そして文明化された方法であると云える。〉(インターネットから)


●第10パラグラフ

《61-63草稿》

 〈スミスはじっさい、分業を社会内部の分業とごっちゃにしているというかぎりで、彼の先行者たちと同じく、分業をまだ古代的な立場から捉えている。彼らが古代人たちの理解と区別されるのは、分業の結果および目的の考察においてのみである。彼らは、分業によって商品が安価にされること、一定の商品を生産するために必要とされる必要労働時間が減少すること、言い換えれば同一の必要労働時間内により大きな量の商品が生産されうること、したがって、個々の商品の交換価値が減少せしめられることを強調し、またほとんどもっぱらそのことを考察しているが、そのかぎりでは、彼らは分業をはじめから資本の生産力として捉えているのである。彼らはもっぱら、交換価値というこの側面に力をそそいでいる--そしてこの点に彼らの近代的な立場がある--。これはもちろん、分業を資本の生産力として理解するさいの決定的な点である。というのは、分業が資本の生産力であるのは、ただ、それが労働能力の再生産に必要な生活手段を安くする、つまり、これらの生活手段の再生産に必要な労働時間を減少させるかぎりにおいてだからである。これにたいして古代人たちは、およそ分業を理解と省察の対象とするかぎりは、もつばら使用価値に目を注いでいる。個々の生産部門の生産物は、分業の結果よりよい質を獲得するのであるが、近代人たちの場合には量的な観点が支配する。つまり古代人たちは、分業を商品に関連してではなくて、生産物それ自体に関連して考察する。商品に及ぼす分業の影響は、資本家となった商品所有者の関心を引くところのものであるが、生産物それ自体に及ぼす分業の影響は、およそ人間の欲望の充足が、使用価値それ自体が問題であるかぎりでのみ、商品に関連する。ギリシア人たちの見解にはつねに、彼らの歴史的背景としてエジプトがあり、彼らはエジプトを産業上の模範国と見なしていたが、それは、近代人たちが初期にはオランダを、のちにはイギリスをそう見なしているのとまったく同様である。したがってギリシア人たちの場合、あとでさらに見るように、分業は、エジプトに存在したような世襲的分業とそこから生まれる身分(カスト)制度とに関連して、行なわれてい/るのである。〉(草稿集④434-435頁)
  〈クセノポンは総じて大いにブルジョア的な本能をもっており、それゆえにまた、しばしばブルジョア道徳ならびにブルジョア経済学を思い出させるのであるが、その彼は、〔社会〕全体で行なわれているかぎりでの分業ばかりでなく、個々の作業場(アトリエ)で行なわれているかぎりでの分業をも、プラトンよりも詳しく論じている。このあとで見る彼の分析は、次の二つの理由から興味深いものである。第一に彼は、分業が市場の大きさに依存することを教えている。第二に彼は、プラトンの場合とはちがって、単に仕/事〔Geschäft〕の分割のみ〔を論じているの〕ではない。そうではなくて、彼は、分業によって労働が単純労働に還元されることと、この単純労働において腕まえ〔Virtuosität〕がよりたやすく得られることとを強調する。彼の場合はこのように、よほど現代的な理解に近づいているけれども、やはり彼にも古代人に特徴的なものが見られる。〔つまり〕使用価値が、の改善が問題とされるにすぎないのである。労働時間の短縮は彼の関心を引かない。それはプラトンについても同様で、プラトンが例外的に事のついでに、〔分業によって〕より多くの使用価値が供給されることを強調しているただ一つの場所においですらそうである。そのときでさえも、問題とされるのは使用価値のより多くであって、分業が商品としての生産物に及ぼす影響ではないのである。〉(草稿集④448-449頁)
〈『国家』におけるプラトンの議論は、ペティ以後A・スミス以前に分業について書いたイギリスの著作家たちのう/ちの一部のひとにとっては直接の基礎となり出発点となっている。たとえば、ジェイムズ・ハリス(後のマームズベリ伯爵)『三論文』、第3版、ロンドン、1772年、の第三論文を見よ。このなかでは、仕事の分割〔Division of employments〕が社会の自然的基礎であると述べられている(148-155ページ)が、それについてはみずからある注のなかで、全論拠はプラトンから取ってきたものだと言っている。〉(草稿集④450-451頁)
  〈一共同体におけるさまざまな欲望は、それをみたすためのさまざまな活動を必要とするが、さまざまな性質の人間がこれらの活動のどれにより適しているかを決めるのは、素質の違いだ。ここから分業が生まれ、それに対応するさまざまな身分が生まれるのだ。プラトンがいたるところで主要な問題として強調しているのは、こうしてあらゆる仕事がより良くなされるのだ、ということである。すべての古代人にとってそうであるように、彼にとっても質が、つまり使用価値が決定的なことであり、もっぱらの観点である。そのほかの点でも、彼の全見解の基礎には、アテナイ風に理想化されたエジプトの身分制度がある。〉(草稿集④455頁)
  〈総じて古代人たちの解釈では、エジプト人たちが達成した工業的発展の特殊的段階は、彼らの世襲的分業とそれにもとづく身分制度とから生じたものであった。〉(草稿集④455頁)
  〈プラトンにあっては、分業は一共同体の経済的基礎として説明される。そこではだれもが他人に依存しており、自分の欲望の全体を、自立して、他の人々とのつながりを離れて、自分でみたすことはできない。共同体内部の分業は、欲望の多面性と素質の一面性とから説明されるのであって、素質のこの一面性は人が違えば違っており、したがってまたどれかの仕事のなかでよりよくその実を示すことになるのである。彼にとっては、主要な問題は次のことである、--人がある技芸を自分の生涯にわたる専一の職業とするとき彼はこの技芸をより良くやりとげ、また彼の活動を、彼がなし遂げなければならない仕事のもろもろの要求や条件に完全に適合させるが、それにたいして、かりに彼がこの仕事を片手間のこととして営むとすれば、この仕事は、彼が他のもろもろのことにたずさわったそのうえで彼に許される機会次第ということになる。伎芸は副業として営まれることはできないというこの観点は、トゥキュディデスのさきの引用箇所にも見られたものである。〉(草稿集④457頁)

《初版》

 〈マニュファクテュア時代になって初めて独自の科学として成立する経済学は、社会的分業一般を、マニュファクチュア的分業の立場からのみ(76)、すなわち、同量の労働を用いていっそう多くの商品を生産するための手段、したがって、商品を安くし資本の蓄積を速めるための手段としてのみ、考察している。このように交換価値とを強調するのとは正反対に、古典的古代の著述家たちは、もっぱら使用価値に執着している(77)。社会的生産諸部門の区分の結果として、もっと良質の商品が作られ、人間のいろいろな本能や才能が自分にふさわしい活動部面を選ぶのであって(78)、限定をぬきにしてはどこでもたいしたことが行なわれない(79)。したがって、生産物も生産者も、分業のおかげで改善される。ときおり生産物量の増加にも言及するが、それは、使用価値がもっと豊富になるということに関連して、言われているにすぎない。交換価値なり商品を安くすることなりについては、なにも考えられていない。使用価値というこういった立場は、分業を諸身分の社会的区分の基礎として取り扱うプラトン(80)のばあいも、特徴的な市民的本能を働かせてすでに作業場内の分業にもっと接近しているクセノフォン(81)のばあいも、支配的である。プラトンの共和国は、そこで分業が国家の形成原理として繰り広げられているかぎりでは、エジプトの身分制度のアテネ人的理想化でしかないのであって、エジプトは、プラトンと同時代の他の人々、たとえばイソクラテス(82)にとっても、産業上の模範国と見なされており、また、ローマ帝政時代のギリシア人にとってさえも、まだこういった意義を保持していたのである(83)。〉(江夏訳417-418頁)

《フランス語版》

 〈マニュファクチュア時代になってはじめて独自の科学として現われる経済学は、社会的分業一般を、マニュファクチユア的分業の観点から考察する(52)。それは、より少ない労働でより多くを生産するための手段、したがって、商品価格を引き下げ資本蓄積を促進するたあの手段としてのみ、社会的分業一般を考察する。古典的古代の著述家たちは、量と交換価値を上記の経済学と同じほどに重要視するのではなく、もっぱら質と使用価値に固執している(53)。彼らにとっては、社会的生産都門の分立から生じる成果はただ一つだけである。すなわち、生産物の質がよくなり、人間のそれぞれちがった性向と才能が自分に最もふさわしい活動領域を選ぶことができる--自分を限定することができなければ重要なものをなに一つ生産できないから(54)--、ということである(55)。分業が生産物と生産者を改善するというわけだ。古典的古代の著述家たちは、折にふれて生産物量の増大にも言及するが、彼らは使用価値、すなわち有用物の豊富であることを考察するだけで、交換価値または商品価格の低下を考察していない。その点では、分業を階級の社会的分立の基礎とするプラトン(56)は、特徴的な市民的本能からすでに作業場内の分業をもっと詳細に論じているクセノフォン(57)と、一致している。プラトンの共和国は、少なくとも分業が国家の構成原理として現われるかぎりでは、エジプトの身分制度のアテナイ人的理想化でしかない。さらに、彼の多くの同時代人、たとえばイソクラテス(58)の眼にも、エジプトは模範的な産業国と映っていたのであり、ローマ帝国のギリシア人にとっても、エジプトは依然としてそういうものであった(59)。〉(江夏・上杉訳381頁)

《イギリス語版》

  〈16) 政治経済学、独立した科学としてのその学問は、最初は、工場手工業の時代の中でその存在を興した。ただ、社会的分業については工場手工業の視点からだけ説明していた。*53 そして、そこに、与えられた労働の量において、より以上の商品を生産する手段として見るだけである。であるから、その結果として、商品低廉化と資本蓄積の加速化の手段としてしか見ていない。ここで最も注目する驚くべき対照性は、この量と交換価値について、古き古典的な著者の態度が、もっぱら、質と使用価値にこだわることである。*54 生産の社会的部門の分断の結果として、商品はよりよく作られ、様々な人々の好みや才能は適切な分野を選択する。*55 そして、なんらかの制限がなければ、どこにあっても、重要な結果が得られることはない。*56 かくして、生産物も生産者も分業によって、改良される。仮に、量的生産の成長が時折言及されるとしても、それは、単に、使用価値の量的拡大という点でしか述べられない。そこには、交換価値または商品の低廉化について触れる文字はない。使用価値視点からのみ見るこの見解は 分業を、社会の分割、そして階級が成り立つ基盤と見るプラトンにも見られる。*57 同様、特徴的ブルジョワ本能をもって工場内の分業により接近したクセノフォンはこう云う。*58 プラトンの共和国において、そこで分業が取り上げられている限りでは、国の形成原理としてのそれは、単にエジプトのカースト制度のアテネ人的理想化にすぎない。エジプトは彼の同時代の多くの者にとって、また、他の者やイソクラテス*59 にとっても、産業盛んな国のモデルとして存在していた。
  そして、この尊大さを、ローマ帝国のギリシャにまでも当てはめようとする。*60〉(インターネットから)


  (付属資料(7)に続く。)

 

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『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(16)

2024-09-21 13:58:07 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(16)


【付属資料】(7)


●原注76

《61-63草稿》

 〈分業についてのベティの見解を古代人のそれから区別するものは、最初から、分業が生産物の交換価値に、つまり商品としての生産物に及ぼす影響を、すなわち商品の低廉化を見ていることである。
  同じ観点を、もっと明確に、一商品の生産に必要な労働時間の短縮と表現し、一貫して主張しているのは、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、である。
  決定的なことは、どんな商品でも「最少のそして最もやさしい労働」でつくることである。あることが「より少ない労働で」遂行されるならば、「その結果、より低い価格の労働で」遂行されるととになる。こうして商品は安価にされ、その次には、労働時間をその商品の生産に必要な最小限にきりつめることが、競争によって一般的法則となる。/「もし私の隣人がわずかな労働で多くをなすことによって安く売ることができるならば、私もなんとかして彼と同じように安く売るようにしなければならない。」[『イギリスにとっての東インド貿易の利益』67ページ]分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種類が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ないよ[同68ページ]〉(草稿集④460頁)

《初版》

 〈(76) ペティや『東インド貿易の利益』等々のようなA・スミス以前の著者のほうが、マニュファクチュア的分業を資本主義的な生産形態として、A・スミスよりも凝視している。〉(江夏訳418頁)

《フランス語版》

 〈(52) ペティや『束インド貿易の利益』の匿名著者のような、アダム・スミスの先駆者たちは、マニュファクチュア的分業の資本主義的性絡をアダム・スミスよりも奥深く洞察していた。〉(江夏・上杉訳381頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *53 ペティや、「東インド貿易の利益」の匿名の著者のように、A. スミスより以前の著者達は、スミスが捉えた以上に、工場手工業において応用された分業の資本主義的性格を捉えていた。〉(インターネットから)


●原注77

《61-63草稿》

 〈「だれでも自分の経験で知っているように、手や頭をいつでも同じ種類の労働や生産物に向けている場合には、各個人が自分に必要なもののすべてを一人でつくる場合に比べて、より容易に、より豊富に、より良く生産するであろう。……このようにして、人間は、公共の利益のためにも自分自身の利益のためにも、いろいろな階級や身分に分かれるのである」(チェーザレ・ベッカリア『公経済学原論』、所収、クストーディ編『イタリア経済学古典著作家論集』、近世編、第11巻、ミラノ、1804年、28ページ)。〉(草稿集④459頁)
  〈『国家』におけるプラトンの議論は、ベティ以後A・スミス以前に分業について書いたイギリスの著作家たちのう/ちの一部のひとにとっては直接の基礎となり出発点となっている。たとえば、ジェイムズ・ハリス(後のマームズベリ伯爵)『三論文』、第3版、ロンドン、1772年、の第三論文を見よ。このなかでは、仕事の分割〔Division of employments〕が社会の自然的基礎であると述べられている(148-155ページ)が、それについてはみずからある注のなかで、全論拠はプラトンから取ってきたものだと言っている。〉(草稿集④450-451頁)
  〈ハリス(上述したところを見よ)のようなのちの文筆家たちは、プラトンが述べたことをもっと詳しく述べているにすぎない。〉(草稿集④461頁)

《初版》

 〈(77) ベッカリアジェームズ・ハリスのような、分業にかんしてはほとんど古代人の口真似をしているにすぎない18世紀の幾人かの著述家は、近代人のなかでも例外である。たとえばベッカリアはこう言う。「誰でも経験上知っていることだが、常時同種の仕事や同種の生産物に手と知能を用いれば、めいめいが自分の生活に必要なものを何から何まで単独で生産しているにすぎないばあいに比ベると、もっと容易に、もっと豊富に、もっと適切に、成果を取り出すことになる。……人間はこうしい/うやり方で、共通の私的な有用性に則して、別々の階級や身分に分けられている。」(チェザーレ・べッカリア『経済学原理』、クストディ編、近世篇、第11巻、28ページ。)ジェームズ・ハリス、後のマームズベリ伯は、ペテルプルタ駐在公使時代の『日記』で有名であるが、彼は、その著『幸福にかんする対話、ロンドン、1741年』の註(後に『三論文、第3版、ロンドン、1772年』に再録)のなかで、みずからこう言っている。「社会が自然的なものである(すなわち『仕事の分割』によって)ことを証明する全論拠は、プラトンの国家論の第2部から借用したものである。」〉(江夏訳418-419頁)

《フランス語版》

 〈(53) 近代人のなかでも、たとえばベッカリアやジェームズ・ハリスのような18世紀の幾人かの著述家だけは、分業について、ほとんど古代人と同じような考え方を述べている。ペッカリアは言う。「手や知能を同種の仕事や同種の生産物につねに用い/るばあいには、各人が自分の生活に必要なすべてのものを単独で自分のためにだけ作るばあいよりも、いっそう容易に、いっそう豊富に、またいっそう上等に生産物が得られることは、誰でも経験上知っている。……人間はこのように、公益と私益のためにいろいろな階級や身分に分けられる」(チェザーレ・ベッカリア『公経済学原理』、クストディ編、近世の部、第11巻、28ぺージ)。後のマームズベリ伯であるジェームズ・ハリスは、彼の『幸福にかんする問答』、ロンドン、1772年、の註記のなかで、みずからこう述ぺている。「社会が自然的である(分業と仕事の分割にもとつくことによって)ことを証明するために、私が利用する論拠は、プラトンの『国家論』の第2部からそっくりそのまま借用したものである」。〉(江夏・上杉訳381-382頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *54 近代人の中では、二三の18世紀の著者は例外と云えるであろう。 ベッカリアやジェームス ハリスといったところであるが、分業に関しては、古き人の論 そのまんまなのである。ベッカリアはこう言う。「もし、手と頭を常に同じ仕事に、同じ生産物に用いるならば、各個人が自分のためにすべての物を作るのに比べて、より容易に、より多く、より高い品質で生産されるであろう。このことは、誰でも経験的に知っていることである。…. このようにして、人は様々な階級や身分に分割される。自身の利益のため そして商品の利益のために。」(イタリア語) (チェザーレ ベッカリア 「公共経済学の初歩」クストーディ版 近代編第11章 29ページ) ジェームス ハリス、後のマルムズベリー伯爵、彼のセントペテルスブルグ駐在大使時代の「日記」で著名、は、彼の「幸福に関する対話」ロンドン 1741年 後の「三つの論文」第三版 ロンドン 1772年に再版で、「社会が自然である事 (すなわち、雇用の分割) の証明に関する全ての議論は、…. プラトンの共和国論の第二の本から引用されている。」と述べている。〉(インターネットから)


●原注78

《61-63草稿》

 〈同様に、『オデュッセイア』、第14章第228節には、「というのは、別の人はまた別の仕事を喜びとするのだから」〔岩波文庫版、呉茂一訳、下、48ページ〕、とあり、/またセクストス・エンぺイリコスはアルキロコスから、「各人は別々の仕事によって元気づく」〔という言葉を引いている〕。〉(草稿集④447-448頁)

《初版》

 〈(78) たとえば、『オデュッセイア』、第14章、第228節では、「心楽しむ仕事は各人各様である」とあり、また、アルキロコスは、セクストウス・エンピリクスによると、「心の踊る仕事は各人各様である」と言っている。〉(江夏訳419頁)

《フランス語版》

 〈(54) たとえば、『オデュッセイア』、第14章、第228節では、「別の人はまた別の仕事を楽しむ」とあり、また、セクストゥス・エンピリクスが引用したアルキロコスには、「各人それぞれ己が仕事をもち、万人が満足している<ギリシャ語表記なので省略>」とある。〉(江夏・上杉訳382頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *55 オデッセイ 第14章 228ページは、かく云う。「様々な人が、様々な仕事を楽しめるために」そして、アーキロコスは、彼の第六経験論の中で、「人は物が変われば、彼等の心を元気にする。」(ギリシャ語) と。〉(インターネットから)


●原注79

《61-63草稿》

  〈ドゥキュディデスがペリクレスに言わせているところでは、ペリクレスは、農業を営むスパルタ人--彼らのもとでは、商品交換による消費の媒介は、したがってまた分業は行なわれていない--を「自営者(」儲けのためでなく暮しのために労働する者)として、アテナイ人に対立させている。同じ演説(トゥキュディデス、第1部第142章〔岩波文庫版、久保正彰訳、『戦史』、上、188ページ〕)のなかで、ペリクレスは航海について次のように言う。--
  「しかし航海は、ほかのどんなことにも劣らず-つの技芸(テクネー)であって、どんな場合にも副業として営むことはできない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も、航海をしながらその副業として営むことはできないのである」。〉(草稿集④448頁)

《初版》

 〈(79) 「百芸に長ずる者は一芸に達せず。」それにもかかわらず、アテネ人は、商品生産者としてはスパルタ人よりもまさっていると大いに自負していた。というのは、スパルタ人は戦争のさいには、確かに、人間を自由に使うことができても貨幣を自由に使うことができないからである。たとえば、トゥキュディデスは、ペリグレスをして、ペロポネソス戦争のためにアテネ人を激励する演説のなかで、こう言わせている。「自給自足経済を営む者は、貨幣でよりもむしろ自分の体で戦おうとする」(トゥキュディデス〔『ぺロポネソス戦争史』〕、第1部、第41章)のであって、彼らの理想は、物質的生産においても、相変わらず、分業に対立する自給自足であった。「分業のもとでは富裕が生ずるが、自給自足のもとでは独立が生ずるからである。」この点について、三十僭主〔アテネの独裁機関〕の没落の時代でも、土地を所有していないアテネ人が5000人とはいなかった、ということを考慮に入れておかなければならない。〉(江夏訳419頁)

《フランス語版》

 〈(5) 「百芸に長ずる者は一芸に達せず<ギリシャ語表記なので省略>」。アテナイ人は、生産者=商人としてはスパルタ人よりも優秀だと信じていた。というのは、スパルタ人は戦争をするために大勢の人間を意のままに動かしたが、貨幣は意のままにしなかったからである。トゥキュディデスは、ペリクレスをして、ペロポネソス戦争のさいにアテナイ人を激励する演説のなかで次のように言わせている。「自給自足経済を営む者は、貨幣でよりもむしろ自分のからだで戦おうとする」(トゥキュディデス、第1部、第141章)。それにもかかわらず、物質的生産のもとでさえ自給自足する<ギリシャ語表記>能力がアテナイ人の理想であった。「分業のもとでは富裕が生ずるが、自給自足のもとでは独立が生ずるからである<ギリシャ語表記なので省略>」。三十僭主〔アテナイの独裁機関〕の没落の時代でもまだ、土地を所有していないアテナイ人は5000人とはいなかったことを、述べておかなければならない。〉(江夏・上杉訳382頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *56「彼は沢山の仕事をなすことができた、だが、殆どは無残なもの。-ホーマー」アテネ人は、誰もが自分達を、商品の生産者としてスパルタ人にまさっていると考えた。後者は戦争の時は自分達の配置に際しては十分な人を持っているが、金銭に関しては指揮をとることができない。歴史家ツキディデスは、アテネの政治家ペリクレスが、ペロポネソス戦争に向かうアテネ人達を鼓舞するための演説でそう云ったと書くごとく。「自分自身の消費のために物を作る人々は、彼等の金銭よりもむしろ体をもって戦争をするであろう。」(ツキディデス 第一篇 第一部 第41章) にもかかわらず、物質的生産 [絶対的な自給自足] に関する限りでは、分業とは対照的に、それがかれらの理想形であった。「分業によれば、繁栄があろう。だが、自給自足に立てば、独立がある。」(いずれもギリシャ語) ここでは次のことに触れて置かなければならない。30人もの暴君主の没落の頃にあっても、依然として、土地を所有しないアテネ人は、5,000人もいなかった。〉(インターネットから)


●原注80

《61-63草稿》

 〈ドゥキュディデスがペリクレスに言わせているところでは、ペリクレスは、農業を営むスパルタ人--彼らのもとでは、商品交換による消費の媒介は、したがってまた分業は行なわれていない--を「自営者(」儲けのためでなく暮しのために労働する者)として、アテナイ人に対立させている。同じ演説(トゥキュディデス、第1部第142章〔岩波文庫版、久保正彰訳、『戦史』、上、188ページ〕)のなかで、ペリクレスは航海について次のように言う。--
  「しかし航海は、ほかのどんなことにも劣らず-つの技芸(テクネー)であって、どんな場合にも副業として営むことはできない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も、航海をしながらその副業として営むことはできないのである」。〉(草稿集④448頁)
  〈プラトンは『国家〔Republik〕』(引用は、バイター、オレリ、ヴィンケルマンの版、チューリッヒ、1839年、による)の第2部を、ポリス(都市(シュタット)と国家(シュタート)がここでは一つになる)の発生から始めている。
   「〔ソクラテス--〕ところでポリスが……発生するのは、……われわれのだれもが自給自足的ではなくて、多くのものを必要とするからなのだ」。
  都市が生じるのは、個々人がもはや自給せず、多くのものを必要とするようになったそのときである。「それ(すなわちポリス)をつくるのは、どうやらわれわれの欲望のようだ」。欲望が国家をつくりだす。さて、第一に最も直接的な欲望として挙げられるのは、食料、住居、衣服である。「ところが、欲望のうち第一の、また最も重要なものは、生存し生活できるための食料の調達だ。……第二には、住居、第三には、衣服やそのたぐいのものだ」。それでは、/ポリスは、これらのさまざまな必要をどのようにしてみたすべきであろうか? 一人は農夫に、他の一人は大工に、他の一人は織工、靴工、等々になる。いったい各人は、自分のさまざまな欲望を自分でみたすために、それぞれ自分の労働時間を分割し、その一部分を土地の耕作に、他の部分を建築に、第三の部分を織物、等々にあてるというようにすべきなのか、それとも、各人は自分の全労働時間をもっぱらただ一つの仕事にだけふりむけ、その結果たとえば穀物を生産するとか布を織るとか等々のことを、自分のためばかりでなく他の人々のためにも行なうというようにすべきなのだろうか? 云々。後者のほうがよい。というのは、第一に、人間は生まれながらの素質によってさまざまであり、そのためさまざまな仕事を遂行する能力がさまざまだからである。{欲望の多様性には、それらの欲望をみたすために必要なさまざまの労働を遂行する個々人の素質の多様性が対応している。}人は、ただ一つの技能〔Kunstfertigkeit〕を発揮するだけのときには、多くの技芸(タンスト)にたずさわる場合よりもよい仕事をするであろう。あることが副業としてのみ行なわれているときは、しばしばその生産のために適当な時機を失することがある。仕事は、それに予定された者の余暇をじっと待っていることができないのであって、むしろ、その仕事をする人間のほうが彼の生産の諸条件などに自分を合わせていかなければならない。それゆえ仕事は副業として営んではならないのである。だからこそ、人がもっぱらただ一つの労働を(事物の性質に従って、また適時に)行ない、そのかわり、他の労働にはたずさわらないならば、あらゆるものは、より多く、より良く〔bessr〕、より容易に生産されるであろう。〉(草稿集④451-452頁)
  〈主要な観点はより良いもの〔das besser〕、つまり質である。すぐ次に引用する筒所にだけは「より多く」が見られるが、それ以外のところでは、つねに「より良く」である。
  「〔ソクラテス--〕ポリスはどうすればこれだけのものを十分に調達することができるのだろうか? 一人が農夫、一人が大工、また他の一人は織工、等々である、ということによってではないかね? ……それなら彼らの一人ひとりがそれぞれ自分の仕事をみんなのために提供しなければならないだろうか? たとえば農夫は、一人で4人のために穀物をつくり、したがって穀物生産のために4倍の時間と労働とを費やし、そしてそれを他の人々と分かち合わねばならないのか? それとも彼は、他人のことなどかまわずに、自分だけのためにその時間の1/4でこの穀物の1/4だけをつくり、残りの3/4の時間は、家を建てることや、衣服をつくることや、履物をこしらえることにたずさわり、こうして他の人身とかかわりをもつ面倒などは省いて、自分は自分で自分のことをしていればいいのだろうか? 〔アデイマントス--〕……それはおそらく、まえのやり方のほうがあとのやり方よりも便利でしょう。〔ソクラテス--〕……まず、われわれはそれぞれ、生まれつきが互いにまったく同じというわけでなく、互いに素質が違っていて、仕事の適不適がある。……一人がたくさんの技芸(テクネー)にたずさわる場合と一人が一つの技芸(テクネー)にたずさわる場合とでは、どちらがより良く仕事をするだろうか? 〔アデイマントス--〕一人が一つ……にたずさわる場合です。〔ソクラテス--〕……仕事の好機を逸すれば、その仕事はだいなしになってしまう。……というのは……仕事のほうはそれをする人の暇を待とうとしない、むしろそれをする人のほうで、/それを片手間のことのようにしないで、その仕事に自分を合わせていかなければならないからだ。〔アデイマシトス--〕そうしなければなりませんとも。〔ソクラテス-- 〕そこで以上のことからして、一人の人が天資に合った一つの仕事に適時にほかの仕事にわずらわされることなく打ちこむときにはすべてのものがより多くより良くより容易につくられる、ということになる」。プラトンは続けてさらに、分業とさまざまの事業部門の創設とをいっそう進めることが必要になる次第を説明する。たとえば、「というのは、農夫は自分用の鋤(スキ)を、それが良いものでなければならないとすれば、自分でつくることはしないだろうし、鍬(クワ)もそのほかの農具にしたってそうだからね。大工、等々だってそうだろう」。ところで、どのようにしてある者は他の者たちの生産物の余剰にあずかることになるのか、またこの他の者たちはどのようにして前者の生産物の余剰にあずかるのか? 交換によって、売買によってである。「売ったり買ったりしてですよ」。次に彼は、商業の異なった種類を、したがってまた商人の異なった種類を説明する。また、分業のおかげで発生する一つの特殊的な人間種類として、賃労働者をも挙げている。「まだ……またほかの勤めをする人々もあるのだよ。思考をするほうについては共同者にふさわしいとは言いかねるが、しかし骨折り仕事をするのには十分な体力をもっているような人々もいるのだ。じっさいこの人々は、そういう力の使用を売ってそれの価格を賃銀と呼んでいるので、……賃労働者と呼ばれている」。プラトンは、洗練がさらに進むこと、等々によって必要となるような、たくさんのさまざまな仕事を挙げたのち、戦争という技芸(クンスト)の他の技芸(クンスト)からの分離、したがってまた、特殊的な軍人層の形成に逮している。「そしてわれわれがすでに同意したのは……一人で多くの技芸(テクネー)をうまくやってのけることは不可能だということだった。……それなら、どういうことになるかね?……戦争というたたかいも一つの技芸(テクネー)だとは思わないか?……しかしわれわれは靴工に、靴つくりの仕事を立派にやってもらうために、彼が同時に農夫であろうとしたり、織工であろうとしたり、大工であろうとしたりすることを禁じ、ただ靴工だけであることを命じたのだった。またわれわれはそのほかのすべての人々にも同様に、各人の素質に適した仕事を一つずつ各人に割りふったのだ。彼はほかの仕事にわずらわされることなくその仕事に打ちこみ、/時機を失せず立派にやりとげなければならないのだった。いわんや、戦争のことを立派にやりとげるのは、きわめて重要なことではないかね?……では、ポリスの守護に適しているのはどのような人々か、またその素質はどのようなものか、それを選び出すのがわれわれの仕事になるだろう」(前掲書〔バイター、オレリ、ヴィンケルマン版〕、439-441ページの各所)。〉(草稿集④453-455頁)
  〈プラトンが分業をよしとするおもな論拠は、一人の人がさまざまな労働を行ない、したがっていずれかの労働を副業として行なう場合には、生産物が労働者の都合を待たねばならないが、むしろ逆に、労働のほうが生産物の要求するところに従うべきだ、ということであったが、最近、漂白業者と染色業者が、工場法{漂白・染色作業場法は1861年8月1日に施行された}に従うことに抵抗して、同じことを主張している。すなわち、工場法--この問題に関連する同法の諸条項は漂白云々〔漂白・染色作業場法〕にもそのまま用いられている--によれば、「食事のために与えられている1時間半のどの部分であろうと、食事時間中に児童、少年、婦人を使用してはならない、あるいは、なんらかの製造工程が続けられているいかなる場所にも彼らをとどめることは許されない。またすべての少年および婦人にたいして、1日のうちの同じ時間に食事時間が与えられなければならない」(『工場監督官報告書。1861年10月31日にいたる半年間』、ロンドン、1862年)。〔同報告書は言う、〕--「漂白業者は、食事時間をいっせいに与えるという彼らにたいする要求に不平を鳴らして、次のように抗弁する、--工場の機械ならいつ停めても損害は生じないかもしれないし、また停めて生じる損失は生産を逸することだけであるけれども、けば焼き、水洗い、漂白、つや出し、染色のようなさまざまの作業は、どの一つをとってもそれを勝手なときに停めれば、損害の生じる危険がかならずある。……労働者の全員に同一の食事時間を強制することは、作業の不完全さからときとして高価な品物を損傷する危険にさらすことになるかもしれない、と」(同前、21、22ページ)。(同一の食事時間を決めるのは、そうしなければそもそも労働者に食事時間が与えられているかどうかを監督することさえ不可能になるからである。)〉(草稿集④509頁)

《初版》

 〈(80) プラトンは、共同体内の分業を、個々人の必要の多面性と素質の一面性とから説明する。彼の主要な観点は、労働者が仕事に適応すべきであって、仕事が労働者に適応すべきではない--このことは、労働者がいろいろな技術を同時に営み、したがって、あれこれの技術を副業として営むばあいには、不可避なことである--、ということである。「そしてまた、思うに、このことも明らかだ--つまり、ある仕事の時機というものを逸したら、その仕事はだめになってしまうということ」「たしかに明らかです」「それというのも、思うに、なされる仕事のほうは、なす人が暇になるのをじっと待ってくれようとはしないからだ。どうしても人のほうが、片手間のやり方でなしに、仕事の都合に合わせなければならないものなのだ」「そうしなければなりません」「こうして、以上のことを考えると、それぞれの仕事は、1人の人間が自然本来の素質に合った一つのことを、正しい時機に、他のさまざまのことから解放されて行なう場合にこそ、より多く、より立派に、より容易になされると/いうことになる」(『国家論』、第1部、第2版、バイター、オレリ等編)〔岩波文庫版、藤沢令夫訳『国家(上)』、134ページより引用〕。トゥキュディデス〔前掲書〕、第42章でも、同様なことが言われている。「航海は、ほかのどんなことにも劣らない一つの技術であって、いざというばあいには副業として営むことができない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も航海と一緒に副業として営むことができない。」プラトンは言う。仕事が労働者を待たねばならないなら、しばしば生産上の決定的な時点が逸せられ、製作物がだめになり、「仕事のための適当な時期が失われる」、と。こういったプラトン的な考えは、労働者全員にたいして一定の食事時間を定めている工場法の条項に反対するイギリスの漂白工場主たちの抗議のなかにも、再現している。彼らの事業は労働者の都合に合わせるわけにはゆかない。なぜならば、「けば焼き、洗滌、漂白、しわ伸ばし、つや出し、染色といういろいろな作業は、そのどれもが、損害の危険にさらされずに、ある任意の瞬間に中止するわけにはゆかないからである。……労働者会員のために同じ食事時間を強制することは、ばあいによっては、作業が不完全なために貴重な財貨を危険にさらすことになるだろう。」いったいプラトン主義は、どこに巣を作ろうというのか!〉(江夏訳419-420頁)

《フランス語版》

 〈(56) プラトンは、共同体内の分業を、個人の必要の多様性と能力の特有性から説明する。彼の主要な観点は、労働者が自分の仕事の要求に適応すべきであって、仕事が労働者の要求に適応すべきではない、ということである。労働者が幾つかの技術を同時に行なうならば、彼は必ず一方のために他方をおろそかにするだろう(『国家』、第1部、第3版を見よ)。トゥキュディデス『ペロポネソス戦役史』、第142章でも、同様である。「航海は、ほかのどんな技術にも劣らず一つの技術であって、どんなばあいでも副業として営むことはできない。航海と同時に他の職業に従事することさえ許されない」。プヲトンは言う。仕事が労働者を待っていなければならないならば、往々にして生産の決定的な瞬間が逸せられ、仕事が台なしになり、「仕事のための適当な時期が失われる」、と。このプラトン的な考えは、労働者全員の食事のために一定の時間を制定する工場法の条項に反対するイギリスの漂白業者たちの抗議のなかにも、見出される。彼らは、われわれのような種類の作業では労働者に合わせて作業をきめるわけにはゆかない、と叫んでいる。「加熱、漂白、艶出し、染色を始めたら最後、これらのどれ一つも、損害の危険なしには任意の瞬間に中止するわけにはゆかない。この多数の労働者が全員同じ時間に食事するように要求するこ/とは、ばあいによっては作業がまだ終わらないために大きな価値を確実な危険にさらすものであろう。」いったいプラトン主義は、次はどこに巣を作ろうというのか!〉(江夏・上杉訳382-383頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *57 プラトンによれば、共同体内部の分業は、多種の要求と個々の限られた能力から発展するものであると云う。彼の云う主な点は、労働者は彼自身を作業に適合させねばならない、仕事を労働者に適合させるのではない。と言う。もし彼が一度に、いくつかの仕事を進めて行けるならば、その内の一つか、その他のものも副次的なものであれば、後者の方法もやむを得ない。「と言うのも、労働者は仕事に奉仕せねばならず、仕事は彼の余暇のためではない。仕事は余った時間でなされることを許さない。-しかり、彼は必ずせねばならない-従って、結論として、全ての人が、自然に適性を取得した一つの物を、正しい時間に、他の余計なことに煩わされることなければ、全ての物はより多く生産され、より容易に、より良く作られる。」(共和国論 第一篇 第二部 バイテル、オレリ、他編) ツキディデス 既出 142章もその様に云う。「船乗りの仕事は他と同様一つの技能であって、状況が要求するがごとく、副次的な仕事としてなされることはできない。他の副次的な仕事であっても、この仕事の傍らで行われることはできない。」プラトンは云う、もし仕事が労働者を待たねばならないなら、工程の重要なポイントを失し、物はおシャカになる。[もし誰かが、うっかりすれば…] (いずれもギリシャ語) この同じようなプラトン的観念が、全ての労働者に決まった食事時間を与えるという工場法の条項に反対する英国の漂白工場主らの抗議に立ち戻れば、そこに見出される。彼等の商売は労働者の便益などを待ってはいられない。なぜならば、「様々な作業、布のけば取り、洗濯、漂白、しわ取り、つや出し、そして乾燥、どれをとっても、損傷のリスクなしには、所与の時間において停止することはできない。…. 同じ食事時間を全ての労働者に実施することは、価値ある品物を不完全な作業による危険なリスクにかならずやさらすこととなるであろう。」[次は、何処で、プラトン主義が見出されることになるか! ] (フランス語)  〉(インターネットから)


●原注81

《61-63草稿》

  〈クセノポンは総じて大いにブルジョア的な本能をもっており、それゆえにまた、しばしばブルジョア道徳ならびにブルジョア経済学を思い出させるのであるが、その彼は、〔社会〕全体で行なわれているかぎりでの分業ばかりでなく、個々の作業場(アトリエ)で行なわれているかぎりでの分業をも、プラトンよりも詳しく論じている。このあとで見る彼の分析は、次の二つの理由から興味深いものである。第一に彼は、分業が市場の大きさに依存することを教えている。第二に彼は、プラトンの場合とはちがって、単に仕/事〔Geschäft〕の分割のみ〔を論じているの〕ではない。そうではなくて、彼は、分業によって労働が単純労働に還元されることと、この単純労働において腕まえ〔Virtuosität〕がよりたやすく得られることとを強調する。彼の場合はこのように、よほど現代的な理解に近づいているけれども、やはり彼にも古代人に特徴的なものが見られる。〔つまり〕使用価値が、質の改善が問題とされるにすぎないのである。労働時間の短縮は彼の関心を引かない。それはプラトンについても同様で、プラトンが例外的に事のついでに、〔分業によって〕より多くの使用価値が供給されることを強調しているただ一つの場所においですらそうである。そのときでさえも、問題とされるのは使用価値のより多くであって、分業が商品としての生産物に及ぼす影響ではないのである。〉(草稿集④448-449頁)
 〈クセノポンは、ペルシア王の食卓からの料理の下賜が喜び多く楽しいのは、それが名誉であるからだけではない(この食物が〔ほかよりも〕もっと美味しいからである)、という次第を〔次のように〕語っている。--
  「だが、王の食卓から賜るものは、じっさいはるかにそれ以上に、味覚を喜ばせてくれるのである。そして、これはなにも驚くようなことではない。というのは、大きな都市では、ほかの技芸がきわだって完成されているように、王の料理もまったく特別に調理されるからである。じっさい、小さな都市では寝台も扉も犂も机も同じ人間がつくる。(しかもそのうえに彼はしばしば家まで建てるのであって、こうして自分の生計を維持するだけの雇主さえあれば、彼は満足なのである。こんなにいろいろなことを一人でやる人がなんでもうまくやるということはまったく不可能である。)ところが、大きな都市では、一人ひとりに多くの買い手があるので一人が食っていくのには一つの技芸(テクネー)で十分なのであるじつにそのためには一つの技芸の全部は必要でないことさえしばしばで、一人は男靴をつくり、別の一人は女靴をつくるということもある。場合/によっては、一人はただ靴底を縫うだけで暮らしており、別の一人はそれを裁つだけで暮らしていることもある。ある一人はただ上皮を裁つだけで、最後のもう一人はそうしたたぐいのことはなにもせず、諸部分を組み合わせるのである。ところで最も簡単な仕事をする人がまた無条件にそれを最もうまくやるということは当然である。料理術でも同じことである。というのは、同じ一人の人間に寝床をととのえたり、食卓の用意をしたり、パソ粉をねったり、あれこれのおかずをこしらえたりさせる人は、どんなものでもたまたまできあがった具合のものでがまんしなければならないだろう。だが、ある人にとっては肉を煮ることが、べつのある人にとっては肉を焼くことが、第三の人にとっては魚を煮ることが、第四の人にとっては魚を焼くことが、その次の人にとってはパンを焼くことが、十分にそれぞれの仕事であり、それもなんでもかんでも手がけるわけではなくて評判のいいたった一つの種類をつくればそれで足りるところでは、だれもが自分の生産物を飛びきり上等に仕上げたにちがいないであろう。こういうやり方で自分の料理を用意させたので、彼〔キュロス王〕はだれにもはるかにまさっていたのである。」(クセノポン『キュロパエディア』、E・ポッポ編、ライプツィヒ、1821年、第8部第2章〔480-482ページ〕。)〉(草稿集④449-450頁)
  〈クセノポンはもっとさきに進んでいる。第一に彼は、労働をできるかぎり筒単な活動に還元することを強調し、第二に、分業が実行されうる規模は市場の広さに依存する、とするのである。〉(草稿集④457頁)

《初版》

 〈(81) クセノフォンはこう語っている。ペルシア王の食卓からご馳走をいただくのは名誉であるばかりか、このご馳走はほかのご馳走よりはるかに美味でもある、と。「ところで、これは驚くほどのことではない。というのは、大都市では、ほかの技術が特に改良されているように、王のご馳走も全く独特に調製されているからである。けだし、小都市では、同じ人が寝台や扉や犂(スキ)や机を作り、おまけにしばしば家までも建てるのであって、こうして自分の生計にとって充分な顧客さえあれば、彼は満足なのである。こんなにいろいろなことをやる1人の人間が、なにもかもうまくやるということは、全く不可能である。ところが、大都市では、各人に多くの買い手があるので、1人が食ってゆくには一つの手工業で充分である。それどころか、そうするために一つの手工業全体が必要でないことでさえ、しばしばであって、1人が男靴をつくりもう1人が女靴をつくるばあいもある。ときには、1人は靴を縫うだけで暮らし、もう1人は靴を裁つだけで暮らしているし、1人は衣服を裁つだけであり、もう1人は布片を縫いあわせるだけである。ところで、最も単純な仕事をする人が、また無条件に、この仕事を最もうまくやるということは、避けられないことである。料理術でも同じである。」(クセノフォン『キュロパエディア』、第8部、第2章。)ここではもっぱら、使用価値の所期の品質が着目されている。もっとも、クセノフォンは、分業の規模が市場の広さによってきまることを、すでに知っているのだが。〉(江夏訳420頁)

《フランス語版》

 〈(57) クセノフォンは言う。ペルシア王の食卓から料理をもらうのはたんに名誉であるばかりでなく、この料理は実際にほかの料理よりもはるかに美味でもある、と。「そしてこれはなにも驚くべきことではない。技術一般が大都市では特に改良されているのと同様に、大王の料理も全く特別に調理されているからである。実際に小都市では、同じ人が扉や鋤や寝台や机などを作り、往々にして家まで建てるのであって、それで自分の生計を維持するのに充分でありうるなら、彼は満足である。これほど多くの物を作る人間がすべてのものをうまく作ることは、絶対に不可能である。これに反して、各人それぞれに多数の買い手がいる大都市では、1人の人間を養うには一つの手工業で充分である。一つの手工業全体でさえ必要ではない。ある者は男子用の靴、他の者は婦人用の靴を作るからである。生活するために、衣服を裁断するだけでよい者もいれに、布片を組み合わせるだけでよい者もおり、布片を縫うだけでよい者もいる。最も単純な作業を行なう者が、それを最もうまく行なう者でもあることは、全く当然だ。また、料理の技術についても同じことである」(クセノフォン『キュロバエディア』、第8部、第2章)。クセノフォンは、分業の規模が市場の範囲と広さに依存していることを充分に知っていながら、ここではもっぱら、使用価値が良質であることとこのことを手に入れる手段とを考察しているのである。〉(江夏・上杉訳383頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *58 ペルシャ王の食卓から食料を受け取ることは名誉であるばかりでなく、他の食料よりもより味わいがよいといい、クセノフォンは、さらに次のように続ける。「そこにはなんらの驚くべきものはない。食料以外の様々な物も都市には特別な完全なものが持ち込まれるのであるから、当然ながら、王の食事も特別な方法で準備される。だが、小さな町では、同じ人が、ベッドの架台、扉、犂、そしてテーブルを作る、時には、売り家も作る。そして、彼は、自分の生活に十分な顧客を見出せばそれで十分に満足するのであるから。一人の人間がそれらの全ての物を満足に作り上げることは全くのところ不可能なことである。一方の大きな都市においては、誰もが多くの買い手を見つける、一つの仕事でそれを維持していくことには十分である。いやそこでは一つの完全な仕事の必要すら往々にしてない。ある者は男用の靴をつくり、他の者は女用を作る。ここでは、一人の者が縫製のみで生活を得る。他の者は靴革を裁断することで、ある者は何もしないが、布の裁断だけで、他の者はなにもしないが、各片を縫い合わせるだけで生活を得る。であるから必然的に、最も単純な種類の作業をする者は、疑いもなく、他の誰よりも上手にそれをなす と言う事になる。そのように料理技能においても云える。」(クセノフォン キュロパイディア 第一巻 第八部 第二章) クセノフォンが、ここで、特に強調していることは、使用価値の達成についてである。彼は、分業の程度が市場の大きさに依存していることをよく知っていながらそう主張している。〉(インターネットから)


  (付属資料(8)に続く。)

 

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『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(17)

2024-09-21 13:41:24 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(17)


【付属資料】(8)


●原注82

《初版》

 〈(82) 「彼(プシリス)は、すべての人々を別々の身分に分け、……同じ人がいつでも同じ業を営むようにと命じた。なぜなら/ば、仕事を変える人々はどんな業にも精通しないが、いつも同じ仕事にとどまっている人々はどんな仕事をも最も完全に完成する、ということを彼は承知していたからである。また、われわれが現実に見いだすであろうように、彼ら〔エジプト人〕は、技術や職業にかんしては、名匠が拙工にまさっている以上に自分たちの競争相手にまさっており、また、彼らは、君主制やその他の国家体制を維持するために彼らが設けた制度にかんしても、これについて語ろうとする最も有名な哲学者たちが他国のどれよりもエジプトの国家体制を称賛したほどに、秀でているのである己(イソクラテス『ブシリス』、第8章J〉(江夏訳420-421頁)

《フランス語版》

 〈(58) 「彼(ブシリス)は、すべての住民を別々の身分に分け、……同じ人がつねに同じ職業を営むように命じた。というのは、職業を変える者はどんな職業にも熟達しないが、いつも同種の仕事についている者はこの仕事に関係のあることならなんでも完全に遂行するということを、彼は知っていたからである。技術と職業にかんしては、名匠が拙工にまさっているのと同じようにエジプト人がその競争者にまさっていることも、わかることであろう。なおまた、エジプト人が国王の主権やその他の国家政体を維持するために用いた制度は、この主題を論じようと企てた非常に著名な哲学者たちが、エジプトの政体をほかのすべての政体の上にいつも位置づけたほどに、完壁なものである」(イソクラテス『ブシリス』、第8章)。〉(江夏・上杉訳383頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *59 彼 (ブシリス) は、彼等全てを特別なカーストに分割する。…. 同じ個人は常に同じ仕事を続けるべきである。なぜなら、彼等が彼等の仕事を変えたら、なんの技能をも上達させることがないと彼(訳者注: ブシリス)には分かっているからである。しかるに、一つの専念する仕事に絶えず執着する者は、その仕事を最上の完成に至らしめる。真実、技芸と手工業の相関においては、彼等が彼等のライバルを大きく凌駕するのは、名匠が凡工を越える以上のものであることを我々もまたみることになろう。そして、この君主制を維持するこの仕組みと彼等の国の規定は、多くの著名な哲学者達がエジプト人国家の規定を他の全ての国の上にあるものとして称賛したほどの見事なものである。(イソクラテス ブシリス 第八章)   〉(インターネットから)


●原注83

《61-63草稿》

 〈総じて古代人たちの解釈では、エジプト人たちが達成した工業的発展の特殊的段階は、彼らの世接的分業とそれにもとづく身分(カスト)制度とから生じたものであった。
  「技芸も……エジプトでは……かなりの完成度に達した。というのは、ただこの国だけでは手工業者は他の市民階級の仕事に手を出すことはけっして許されず、法律によって彼らの部族の世襲とされている職業に従事することしかできないからである。……他の諸国民の場合には、産業従事者たちがあまりにも多くの対象に彼らの注意を分散しているのが見られる。……彼らは、ときには耕作を試み、ときには商業に手を出し、ときには同時に二つも三つもの技芸にたずさわっている。自由国家では彼らはたいてい人民集会にでかけてゆく。……ところが、エジプトでは、どの手工業者も、国事に介入したり、一時にいくつもの技芸を営んだりすれば、重罰を加えられる」。そこでディオドロスは言う、--「なにごとも彼らの職業上の勤勉を妨げることはできない」。「そのうえに、彼らは祖先から……多くの規準を伝えられているので、さらに新しい便益を発見しようと熱心に考えている」(ディオドロス・シケリオテス『歴史文庫』、第1巻第74章)。〉(草稿集④455-456頁)

《初版》

 〈(83) シチリアのディオドロスを参照せよ。〉(江夏訳421頁)

《フランス語版》

 〈(59) シチリアのディオドロスを見よ。〉(江夏・上杉訳383頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *60 ディオドロス シクラウス と比較せよ。(訳者注: 奴隷労働の過酷さを記述した彼の著作から見れば、上記の者等の叙述は何を見ているか明らかであろう。)〉(インターネットから)


●第11パラグラフ

《61-63草稿》

 〈同様に他方では、彼(スミス--引用者)がマニュフアクチュアにおける分業を特別に重視していることは、彼の時代が近代的工場制度の生成しつつある時代であったことを示している。この点については、ユアが正しく次のように述べている。--
  「A・スミスが経済学の諸原理にかんする彼の不朽の著作を書いた当時は、工業の自動体系はまだほとんど知られていなかった。分業がマニュファクチュアの完成の主要原理だと彼に思われたのは当然であった。……しかし、スミス博土の時代には有益な実例となりえたものも、今日では、/現代の工業の実際の原理について世間を誤らせることに役立つだけであろう。……熟練度の違いに応じて労働を分割するというスコラ的なドグマは、経験豊かなわれらの工場主によってついに使いつくされてしまった」(アンドルー・ユア『工場哲学』〔フランス語版〕、第1巻、第1章)(初版〔英語版〕の刊行は1835年)。〉(草稿集④482-483頁)
  〈{〔カニンガム〕『貿易と商業に関する一論。わが国の製造業における労働の価格に影響を及ぼすと考えられている諸税に関する考察を含み、云々』、ロンドン、177O年。(この著作の本質的な中味は、同じ著者によってすでに、『……諸税に関する考察』、ロンドン、1765年〔、に述べられている〕。)この男は、当時農業労働者たちが置かれていたのと同じ「幸福な状態」に復帰するに違いない製造業労働者にたいして、非常に憤激している。彼の著作は非常に重要である。その著作からは、大工業が採用される直前でもなお、製造業においては規律が欠如していたこと、人手の供給がまだまったく需要に照応していなかったこと、労働者はまだけっして彼の全時間を資本に属するものと見なしていなかったことがわかる。……〉(草稿集⑨684頁)

《初版》

 〈本来のマニュファクチュア時代、すなわち、マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配的な形態である時代には、マニュファクチュア自身の譜傾向の充分な完成が、多面にわたる障害につきあたる。すでに見たように、マニュファクチュアは、労働者の位階制的な編成のほかに、熟練労働者と非熟練労働者とのあいだの簡単な区分をつくり出すとはいえ、非熟練労働者の数は、熟練労働者が優勢であるために相変わらずひどく制限されている。マニュファクチュアは、いろいろな特殊作業を、マニュファクチュアの生きている労働諸器官の、さまざまな程度の成熟や力や発達に、適合させ、したがって、婦人や児童の生産的搾取を促すとはいえ、この傾向は、だいたいにおいて、慣習や男子労働者の抵抗に出会って挫折する。手工業的活動の分解は労働者の養成費を引き下げ、したがって、労働者の価値を引き下げるとはいえ、比較的むずかしい細部労働には相変わらず比較的長い修業期間が必要であって、この修業期間が余計なものになっても、労働者たちは後生大事にこの修業期間に固執する。たとえばイギリスで見受けるところでは、7年間の修業期間を規定した徒弟法が、マニュファクチュア時代の終わりまでは完全に有効であり、大工業によってやっと廃止されたのである。手工業的熟練が、相変わらずマニュファクチュアの基礎であり、マニュファクチュアで機能する全体機構が、労働者そのものから独立した客観的な骨格をなんらもっていないのだから、資本は、絶えず労働者の不従順と格闘する。おなじみのユアがこう叫ぶ。「人間性の弱点はまことにはげしいから、労働者は、/熟練すればするほどますますわがままになり、ますます扱いにくくなり、その結果、彼のむら気な気まぐれが、全体機構に重大な損害を与えることになる(84)。」だから、マニュファクチュア時代の全期にわたって、労働者の無規律にたいする苦情が絶えない(85)。そして、たとい当時の著述家たちの証言がなくても、16世紀から大工業の時代にいたるまで、資本は、マニュファクチュア労働者の利用可能な全労働時間をわが物にすることに成功していないとか、ニュファクチュアは、短命であって、労働者の出入りにつれて、ある地方に所在する自分の本拠を棄ててそれを他の地方に建てるとか、こういった簡単な事実は、万巻の書を代弁するものであろう。たびたび引用した『産業および商業にかんする一論』の著者が、1770年に、「秩序をなんとかして確立しなければならない」、と叫んだ。秩序、それは、66年後に、ドクター・アンドルー・ユアの口からこだましてくる。「秩序」は「分業というスコラ的なドグマ」にもとづくマニュファクチュアには欠けていたが、「アークライトが秩序を創造したのだ」、と。〉(江夏訳421-422頁)

《フランス語版》

 〈厳密な意味でのマニュファクチュア時代、すなわち、マニュファクチュアが依然として資本主義的生産様式の支配的な形態であった時代のあいだは、さまざまな種類の障害がマニュファクチュアの諸傾向の実現を妨げる。われわれがすでに見たように、マニュファクチュアは、労働者の位階制的区分と並んで熟練労働者と不熟練労働者との単純な区別を作り出してもうまくゆかず、不熟練労働者の数は、熟練労働者の優勢な勢力のために相変わらずまだ非常に限られている。マニュファクチュアは部分作業を、マニュファクチュアの生きた労働器官のさまざまな程度の成熟や力や発達に適合さ/せ、そうすることによって児童や婦人の生産的利用を促進してもうまくゆかず、この傾向は概して、習慣や男子労働者の抵抗に出会って挫折する。マニュファクチュアが手工業を分解することによって労働者の教育費、したがって労働者の価値を引き下げても無駄であって、むずかしい細部労働は絶えずかなり長い見習期間を必要とするし、見習が余計なものになるばあいでも労働者は熱狂的なねたみ深さでこれに固執する術を心得ている。手工業の熟練が相変わらずマニュファクチュアの基礎であるが、他方、マニュファクチュアの集団機構が労働者そのものから独立した物質的骨格を全くもたないので、資本は絶えず労働者の抵抗と戦わざるをえない。おなじみのユアが次のように叫ぶ。「人間性の弱さはまことにはなはだしいから、労働者は熟練を増せば増すほど、ますます強情で扱いにくくなり、したがって、ある機構にますます適さなくなり、彼の移り気な気まぐれがこの機構全体に重大な損害を与える可能性が出てくる(60)」。マニュファクチュア時代全般にわたり、労働者の無規律にかんする苦情ばかり聞こえてくる(61)。そして、この時代の著述家たちの証言がなかろうとも、16世紀以降大工業の時代に至るまで資本はマニュファクチュア労働者の使用可能な時間を全部奪取することにけっして成功しなかったということ、マニュファクチュアは短命であって、労働者の移動にしたがってある地方からほかの地方に移動せざるをえないということ、これらの事実だけでも、私をして言わしめれば、一つの図書館全体のかわりをしてくれるであろう。たびたび引用した『産業および商業にかんする一論』の著者は、1770年に、「秩序をなんとかして確立しなければならない」と叫んでいる。それから66年後に、ドクター・アンドルー・ユアは繰り返してこう言う。「秩序は、分業というスコラ学派的教義にもとつくマニュファクチュアにはなかったのであって、アークライトがこの秩序を作り出したのである」。〉(江夏・上杉訳383-384頁)

《イギリス語版》 イギリス語版ではこのパラグラフは幾つかのパラグラフに分けられているが、ここでは一緒に紹介しておく。

  〈(17) 厳密な意味での工場手工業の時代の間、すなわち、工場手工業が資本主義的生産によって支配的な形式となった時代の間、工場手工業の特異な傾向のどこまでもの発展には多くの障害が立ちふさがった。我々がすでに見て来たように、工場手工業は労働者を熟練工と未熟練工という単純な区分を作り出すのではあるが、同時にそれらの階級における序列的な取り決めもあって、その熟練工の優位な勢力によって、依然として、未熟練工の数は、非常に限定的な状態に留まる。工場手工業は、生きた労働具の様々なレベルの熟練、力、そして発展度を細目労働に適用するのであるが、それが女性や子供たちの搾取に向かおうとするのであるが、この傾向は全体としては、習慣や男性労働者の抵抗にあって挫折させられる。手工業労働者の分割は、労働者を作るコストを低下させ、それによって労働者の価値を低下させる。ではあるが、依然として、より困難な細目作業のためには、より長い見習い工期間が必要となる。それが余分なものと思われても、労働者は執拗に期間にこだわる。例えば、英国では、見習工期間に関する法を見出す。7年間の試用期間であり、工場手工業時代の終りに至る迄効力を持っていた。そしてその効力は、近代工業の到来に至るまで一方的に放棄されることはなかった。なぜかと云えば、手工業の技能が工場手工業の基礎であり、工場手工業のメカニズムは、その基本的な工程全体として彼等労働者そのものから離れてはいないのであり、資本家はいつも、労働者の不従順と争うことを強いられた。
  (18) お友達でもあるユア教授はこう言う。「人間性の虚弱から、より熟練すればするほど労働者は、より我が儘で、より従順でない者になりやすい。当然ながらその結果として、機械的システムの構成要素としては、より適合しなくなる。…. 彼は、全体に対して大きなダメージをもららすであろう。」*61
   (19) それ故、全工場手工業時代を通して、とりわけ、労働者のしつけの欠如に関する苦情が続く。*62 そして、我々は当時の著述家の証言は持たぬが、16世紀から近代工業時代の期間において、資本家は工場手工業労働者の使用できる全ての労働時間の主人となることには失敗したという簡単な事実を知る。工場手工業は短命で、彼等の工場の所在地をある国から他の国へと、労働者の出国やら入国やらと共に、変えている。これらの事実は十分にそれらを証明している。「秩序は、なにはともあれ、確立されねばならない。」1770年 しばしば引用される 「取引と商売に関する評論」の著者は叫んでいる。66年後、アンドリュー ユア博士は「秩序」をと再び叫んだ。「秩序」が、「分業という学者風情の独断」に基づく工場手工業においては欠けていた。そして「アークライトが秩序を創造した。」〉(インターネットから)


●原注84

《61-63草稿》

 〈マニュファクチュアは、手工業から2つの道をとおって現われる。(1)単純協業。同じ仕事をする多数の手工業者が手工道具をたずさえてひとつの作業場に集積すること。これは、往時の織布マニュファクチュアとつづく仕上げ加工マニュファクチュアとの特徴だった。そこでは、分業はほとんど行なわれていない。せいぜい、準備とか仕上げとか、若干の副次的作業にかんして行なわれるにすぎない。この場合の節約は主として、建物・炉などのような1般的な労働条件の共同利用〔から生まれるのである〕。総じて資本主義的生産に固有の要素である工場主の監督〔についても同様〕。
    ユアは、『工場哲学』第2巻でこう語っている。(83、84ページ。)
  「しかしながら、次のことは言っておく必要がある。手労働は労働者の気まぐれから多かれ少なかれ中断される。それゆえ手労働は、休むことのない規則的な力で動かされる機械のそれと較べられるような、年あるいは週生産物を平均的に与えることはけっしてないということである。/このために、自宅で働く織工が週の終わりに、もし彼らが織機を毎日12時間から14時間、労働の反復によってそのあいだ休まず同じ速さで動かしたなら生産できたはずのものの半分以上を生産していることはめったにないのである。」〉(草稿集⑨118-119頁)
   〈「人間の弱さとはこういうもので、労働者は熟練すればするほど、ますますわがままで扱いにくくなり、その結果、彼は、機械の体系にはますます適さなくなり(そこでは、彼自身が自動装置でなければならない)、彼のふとした気まぐれは、機械の体系の全体に重大な損害を与えかねない。それゆえ、現代の工場主の主限とするところは、科学を資本と結びつけることによって、彼の労働者たちの仕事を、/注意力と器用さ--ただ1点に固定すれば若いうちにすぐさま熟達する能力--の行使に縮小することなのである。」(ユア氏はここで、自動体系も、分業と同様に仕事をただ1点に固定するということを、--まだ未発達な人間をまったく若いうちから「自動装置の器官」に化してしまわねばならないということを告白しているのだ。)(30、31ページ。)〉(草稿集⑨222-223頁)

《初版》

 〈(84) ユア、前掲書、第1巻、31ページ。〉(江夏訳422頁)

《フランス語版》

 〈(60) ユア、前掲書、30-31ページ。〉(江夏・上杉訳384頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *61 ユア 既出 20ページ〉(インターネットから)


●原注85

《初版》

 〈(85) 本文で述べたことは、フランスよりもイギリスにはるかによくあてはまり、また、オランダよりフランスによくあてはまる。〉(江夏訳422頁)

《フランス語版》

 〈(61) これは、フランスよりもイギリスにとって、またオランダよりもフランスにとって、はるかに真実である。〉(江夏・上杉訳384頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *62 このことについては、フランスよりも英国に多い。そして、フランスは、オランダよりも多い。〉(インターネットから)


●第12パラグラフ

《初版》

 〈マニュファクチュアは、時を同じくして、社会的生産を、その全範囲にわたってとらえることもできなければ、その深部において変革することもできなかった。マニュファクチュアは、都市の手工業と農村の家内的副業という広範な土台の上に、経済的な芸術作品としてそびえ立った。マニュファクチュア自身の狭い技術的基礎は、ある程度の発展に達すると、マニュファクチュア自身がつくり出した生産上の諸要求と矛盾するようになった。〉(江夏訳422頁)

《フランス語版》

 〈マニュファクチュアは、社会的生産をその全範囲にわたってとらえることもできず、その深部において一変させることもできなかったことを、つけ加えておかなければならない。マニュファクチュアは、都市の同職組合とその必然的帰/結である農村の家内工業との広大な基礎の上に経済的な芸術作品として聾え立った。だが、マニュファクチュアがある程度発達するやいなや、その狭隘な技術的基礎は、マニュファクチュア自身が作り出した生産上の要求と衝突するに至った。〉(江夏・上杉訳384-385頁)

《イギリス語版》

  〈 (20) 全く同じ時点で、工場手工業は、社会の生産の全域を捉えることはできなかった、または、生産の核心を変革することのどちらをもできなかった。経済的活動の芸術的な尖塔のごとく立っているものの、その広大な基礎は町の手工業であり、村の家内工業であった。与えられた発展段階にあっては、工場手工業は、わずかばかりの技術の上に置かれており、工場手工業自身が作り出した生産の欲求との間の矛盾に直面していた。〉(インターネットから)


●第13パラグラフ

《61-63草稿》

  〈「機械(メ力ニク)の幼年時代には、機械制作業場は、労働をたくさんの等級に分割する観を呈していた。やすり、きり、旋盤には、それぞれ、熟練度の異なるさまざまな労働者がいた。しかし、いまではやすり工穿孔工の器用さは、機械などに置きかえられており鉄や銅を加工する旋盤工の手は、〔工具送り台付の〕自動旋盤にとりかえられている。ベルパーとミルフォードの大綿工場の機械部門を指導するアントニ・ストラット氏は、徹底して古い流派のしきたりから離れ、正規の見習いを経たものを1人も雇おうとしなかった。」(31ページ。)(事実また、機械が台頭してまもなく見習いにかんする法律は廃止される運命にあった。)〉(草稿集⑨223頁)

《初版》  初版は第13と第14パラグラフが一つのパラグラフになっているが、ここでは該当するところで分割して紹介する。

 〈マニュファクチュアの最も完成した形成物の一つは、労働用具そのものを生産するための作業場であり、また、ことに、すでに使用されている複雑な機械装置を生産するための作業場であった。ユアはこう言う。「このような作業/場は、種々雑多な等級の分業を示していた。錐(キリ)やのみや旋盤は、それぞれ、熟練度に応じて位階制的に編成された固有の労働者を、もっていた。」〉(江夏訳422-423頁)

《フランス語版》

 〈マニュファクチュアの最も完成した作品の一つは、労働用具を製造し、幾つかのマニュファクチュアですでに使われていたもっと複雑な機械制的装置を製造するような、機械製作の作業場であった。ユアはこう言う。「機械の揺藍期には、機械製作の作業場では多様な段階にある分業が一目で見られた。鑢(ヤスリ)や錐(キリ)や旋盤にはそれぞれ、熟練の等級に応じた労働者がついていた」。〉(江夏・上杉訳385頁)

《イギリス語版》 二つのパラグラフに分けられているが、一緒に紹介しておく。

  〈(21) 最も完成した創造物の一つは、労働の道具そのものを生産するための工場である。その道具は、特に複雑な機械的装置を装備し、出来上がる端から使われた。
  (22) 機械工場は、とユアは云う。「様々な等級で分業を明示した。やすりがけ、ドリル、旋盤、それらそれぞれ異なる労働者を持つ。かれらそれぞれの技能も上から下まである。〉(インターネットから)


●第14パラグラフ

《初版》

 〈マニュファクチュア的分業のこの産物がそれ自身として産み出したもの、それが機械である。機械は、社会的+生産の規制原理としての手工業的活動を揚棄する。こうして、一方では、労働者を一生涯つの部分機能に縛りつけておく技術的基礎が、取り除かれてしまう。他方では、同じ原理が資本の支配にいまだに課していた諸制限が、くずれ落ちてしまう。〉(江夏訳423頁)

《フランス語版》

 〈マニェファクチュア的分業の産物であるこうした作業場が、逆に機械を産み出した。この機械の参加は、社会的生産を規制する原理としての手労働を廃棄する。一方では、労働者を一生涯一つの部分機能に所属させておく技術的必然性が、もはやなくなった。他方では、この同じ原理がいまだに資本の支配に対向させていた障壁が、くずれ落ちたのである。〉(江夏・上杉訳385頁)

《イギリス語版》

  〈23) 工場手工業における分業の生産物である、この工場はその内部において、自力で動く機械を生産した。それらこそ、社会的生産を規制する原理のごとく、手工業者等の作業を一掃した正体である。かくて、一方では、細目機能に労働者の一生を縛りつける技術的論拠を取り除いた。が、他方で、資本の支配を拘束していたこの同じ原理も投げ捨てられた。〉(インターネットから)


  (第12章 終わり。)

 

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(1)

2024-08-30 20:13:49 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(1)


◎第1篇・第1章「利子生み資本」(エンゲルス版第21章)に使われたマルクス草稿について(大谷禎之介著『マルクスの利子生み資本論』全4巻の紹介 №13)

    今回からいよいよ、大谷禎之介著『マルクスの利子生み資本論』第1巻の〈第1篇 利子生み資本〉に入ります。これはほぼ大谷本第1巻の内容をなしています(なお「第2篇 信用制度概説」は大谷本第2巻の内容になります)。ここにはエンゲルス版の第5篇、第21章から第24章までの草稿の翻訳文が紹介されています。しかしこれらの諸草稿のパラグラフごとの詳しい解読はすでに『マルクス研究会通信』という別のブログで行っています。興味のある方は一度見てみてください。ということで、ここではそれぞれの草稿の翻訳を紹介するにあたり、大谷氏が行っている解説やそれに関連するさまざまな論文を取り上げたいと思います。
    今回はエンゲルス版の第21章に該当する部分の草稿なのですが、それに関しては、大谷氏は幾つかの問題を解説しています。しかしそれらをすべて検討するわけには行かないので、私が興味をもったものだけに限定して紹介して行くことにします(なおすでにお断りしていますが、この前文は、私が大谷氏の『マルクスの利子産み資本論』全4巻を読んで行く過程でノートしたものを下敷きにしています。ですからこの紹介文は大谷氏の本の内容が分かるように紹介するものというよりも、そこで私が興味をもったものや批判点を紹介するものになっています。その点、取り上げるものがあちらこちらに論点が飛んでしまっていますが、そこらあたりは、ご容赦ねがいます。)
    まず大谷氏はこの章の前文で次のように述べています。

  〈マルクスが第5章で理論的に解明しようとしたのは,目前に見えている信用制度(銀行制度)のもとでの利子生み資本すなわちmonied capitalであって,このような利子生み資本の具体的な形態に到達するために,マルクスは,「1)」-「4)」で,まずもって信用制度を度外視して利子生み資本を概念的に把握(begreifen)し,それから上昇して「5)」で,信用制度のもとでの利子生み資本の分析に取り掛かった。だから「5)」でのmonied capitalは,より具体的な形態にある利子生み資本なのであり,「5)」でマルクスが「利子生み資本」と言っているものも,ここで掲げた用例から明らかなように,まごうかたなき「利子を生む資本〔Zins tragendes Capital〕」のことであって,それはけっして「資本-利子」という三位一体的定式の一項のもとにおける転倒的観念としての「資本」のことではない。そして,以上の利子生み資本の理論的分析とそのあとの「6)」での利子生み資本の歴史的考察との全体,つまり第5章の全体が,利子生み資本の分析を成しているのである。〉(147頁)

    この大谷氏の説明は全体としては首肯しうるのですが、大谷氏が〈「5)」でマルクスが「利子生み資本」と言っているもの〉は〈けっして「資本-利子」という三位一体的定式の一項のもとにおける転倒的観念としての「資本」のことではない〉とわざわざ指摘している意味がいま一つよく分かりません。確かに〈三位一体的定式〉を論じているのは、第7章(篇)においてですから、もっとも具体的で表面的な関係としてマルクスは論じているわけです。ですから、この利子生み資本の概念を論じている段階とは抽象度が違うというならその通りです。しかし利子生み資本の概念を論じている「4)」(エンゲルス版第24章)でも、〈利子生み資本の形態での剰余価値および資本関係一般の外面化〉が論じられており〈「資本-利子」〉の転倒についても十分に論じているように思えるのです。この点、若干の疑問を禁じ得ません。
    あるいは大谷氏は、恐らく誰かの主張を念頭にこのように述べているかも知れませんが、それが誰のどのような主張を念頭においてこのように述べているのかはよく分かりません。最初に大谷氏が〈マルクスが第5章で理論的に解明しようとしたのは,目前に見えている信用制度(銀行制度)のもとでの利子生み資本すなわちmonied capitalであって〉と述べているのは、〈理論的に〉の部分を下線を引いて強調していることを見ても、恐らく宇野の「利子論の方法」を意識したものであろうということは分ります。つまりマルクスは問題を理論的に論じているのだが、しかしだからと言って純粋の資本主義を想定して、利子も産業資本から遊離する貨幣(資本)に限定すべきなどとは考えずに、まずは目の前にある現実の利子生み資本(moneyed Capita1)を前提して、その観察・分析から始めているのだ、というのが大谷氏が言いたいことだと推測できます。しかし前者の場合は誰を意識したものかが分からないのです。宇野はそのような主張をしていたかはよく覚えていません。

    大谷氏は第5章(第5篇)の表題〈利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)とへの利潤の分裂。利子生み資本〉の意味について、次のように解説しています。

  〈この表題のうち前半の「利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)とへの利潤の分裂」という部分は,第3部の他の多くの部分の表題と同様に,分配形態かつ収入形態である,剰余価値の転化形態,すなわち剰余価値が受けとる「具体的形態」に即してこの章の主題を示しており,後半の「利子生み資本」は,同じ主題を資本の「具体的形態」に即して示している。これをさらに簡潔に言い表わせば,第5章の主題は,剰余価値の分配形態に即して言えば「利子と企業利得」であり,資本に即して言えば「利子生み資本」である。〉(149頁)

  こうした大谷氏の説明はそれほど問題にすべきことはないように思えますが、しかし少し問題を提起すれば、このように考えるべきではないでしょうか。大谷氏は多分に宇野の「分配論」を意識してこれを書いている嫌いがあります。しかし果たしてそれは妥当でしょうか。マルクスが第3部で収入の諸形態を問題にしていることは、その最終章で三位一体的形式を批判的に論じていることからも、すなわちブルジョア社会の三大階級、資本家、労働者、土地所有者のそれぞれの経済的基礎とその収入諸形態を暴露することが一つの課題であることはあきらかでしょう。しかしもちろん、宇野のように図式的にだから「分配論」だなどとすることは果たして正しいかどうかです。『資本論』はあくまでも資本主義的生産様式の内在的な諸法則の一般的な解明と叙述を目的にしたものであり、だから第3部でもやはりより具体的な諸形象化を展開しているとはいえ、やはり資本主義の諸法則の一般的な展開と考えるべきです。単に「分配論」を問題にしているのではないのです。最初の利潤論にしても、それは決して分配論の問題ではありません。むしろ第1部第2部で剰余価値として解明されたものが資本主義のより表層においては(直接的な定在としては)利潤として現れ、しかもその利潤という直接的な形態こそが資本にとってはより規定的な意味をもつことを暴露することにあるように思えます。そしてそこから資本主義的生産は転倒した新たな諸法則を展開するのであって、それが第1章(篇)~第3章(篇)の内容をなしています。それは決して「分配」が問題になっているのではないのです。
 そうした『資本論』の実際の展開に則して考えてみますと、この第5章の表題も次のように捉えるべきではないでしょうか。この第5章で解明されるのは利子生み資本ですが、それは資本主義的生産様式においては、利潤が利子と企業利得とに分裂することを基礎として解明されるべきだということです。つまり資本主義以前の利子生み資本、すなわち高利資本等では、この意味では決して利潤が利子と企業利得とに分裂することを前提にはしていないのです。つまり第5章の表題〈利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)とへの利潤の分裂。利子生み資本〉の意味として考えるべきなのは、利潤が利子と企業利得とへ分裂した結果もたらされる利子生み資本(つまり資本主義的生産に従属した利子生み資本)を主題とするという意図を示していると考えるべきなのではないでしょうか。この点、大谷氏の説明は若干の疑問とするものです。
 とりあえず、以上で、今回の大谷本の紹介は終わります。

  それでは『資本論』の解説に取りかかりましょう。今回は「第12章 分業とマニュファクチュア」です。ただこの章は長いので、一回ですべて解説するのはやや無理がありますので、2回に分けたいと思います。今回は前半だけです。まずはこの章の位置づけから考えて行きましょう。


第12章  分業とマニュファクチュア


◎「第12章 分業とマニュファクチュア」の位置づけ

    先に「第11章 協業」の位置づけの時にも紹介しましたが、「第10章 相対的剰余価値の概念」の最後でマルクスは〈労働の生産力の発展は、資本主義的生産のなかでは、労働日のうちの労働者が自分自身のために労働しなければならない部分を短縮して、まさにそうすることによって、労働者が資本家のためにただで労働することのできる残りの部分を延長することを目的としているのである。このような結果は、商品を安くしないでも、どの程度まで達成できるものであるか、それは相対的剰余価値のいろいろな特殊な生産方法に現われるであろう。次にこの方法の考察に移ろう〉と述べていました。そしてそのときにも述べましたが「第11章 協業」から「第13章 機械と大工業」までは、相対的剰余価値の特殊な生産方法を明かにしていくことになるわけです。だから「第12章 分業とマニュファクチュア」も同じような位置づけがあるといえます。またマルクスは次のようにも述べています。

 〈分業は、協業の特殊的な〔besonder〕、特殊化された〔spezifiziert〕、発展した形態であって、それは、労働の生産力を高め、同一の仕事を行なうのに必要な労働時間を短縮するための、したがって、労働能力の再生産に必要な労働時間を短縮し、剰余労働時間を延長するための、強力な一手段である。
    単純協業で見られるのは、同一の労働を行なう多数者の協働である。分業で見られるのは、資本の指揮のもとで次のようなことを行なう多数の労働者の協業である。すなわち彼らは、同一の諸商品の異なった諸部分を生産するのであるが、その諸商品の各特殊的部分はそれぞれある特殊的労働、特殊的作業〔Operation〕を必要とするのであって、各労働者またはある一定倍数の労働者は一つの特殊的作業だけを行ない、別の者は別のことをする、等々である。しかし、これらの作業の総体が一つの商品を、一定の特殊的商品を生産するのであり、したがってこの商品には、これらの特殊的労働の総体が表わされるのである。〉(草稿集④423頁)

    だからまた次のようにも言いうるのです。

  〈ここでは、資本主義的生産様式はすでに、労働をその実体において捉えて変化させてしまっている。それはもはや、単に資本のもとへの労働者の形態的包摂、すなわち他人の指揮と他人の監督とのもとで他人のために労働すること、ではない。……ここでの事態はそのようなものとは異なっている。彼の労働能力が全体機構--その全体が作業場を形成する--の一部分の単なる機能に転化することによって、彼はそもそも一商品の生産者であることをやめてしまったのである。彼は一つの一面的な作業の生産者でしかなく、その作業がそもそもなにかを生産するのは、作業場を形成する機構全体とのつながりのなかにおいてでしかない。つまり、彼は作業場の生きた一構成部分なのであって、自身の労働の様式そのものによって資本の付属物になってしまった。というのは彼の能力は、作業場においてでなければ、つまり彼に対立して資本の定在となっている一機構の一環としてでなければ、発揮されえないからである。……労働者はいまや、もはや労働手段の欠如によるだけではなく、彼の労働能力そのものによって、彼の労働の仕方様式によって、資本主義的生産のもとに包摂され資本に捉えられるのであって、資本はもはや単に客体的諸条件を手中におさめているだけでなく、労働者の労働がかろうじてまだ労働でありうるための、主体的労働の社会的諸条件をも手中におさめているのである。〉(草稿集④445-446頁)

    つまり労働者は実体的にも資本に包摂され、労働者は資本のその生産機構のなかでしか労働者として振る舞えないほどに変質されてしまうわけです。こうした実体的包摂が分業からはじまり、労働者はだからますます資本の支配のもとに取り込まれて行くことになるのです。

    なお河上肇やローゼンベルグなどは、その他の章と同じようにこの章でも、マルクスは最初は使用価値の生産(労働過程)という側面から分業とマニュファクチュアを観察し(第1~3節)、しかるのちに価値増殖過程として、すなわち資本家的な特殊性において問題を考察する(第4、5節)という手順を踏んでいると指摘しています。そうしたことも頭に入れて、以下、第1節の第1パラグラフから検討して行きましょう。


第1節  マニュファクチュアの二重の起源


◎第1パラグラフ(マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、ざっと計算して16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のことである)

【1】〈(イ)分業にもとづく協業は、マニュファクチュアにおいてその古典的な姿を身につける。(ロ)マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、ざっと計算して16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のことである。〉(全集第23a巻441頁)

  (イ) 分業にもとづいた協業は、マニュファクチュアにおいてその古典的な姿を身につけます。

    まず協業というのは、〈同じ生産過程で、または同じではないが関連のあるいくつかの生産過程で、多くの人々が計画的にいっしょに協力して労働するという労働の形態〉のことをいうと説明がありました(第11章、第6パラグラフ)。では協業と分業とでは何が異なるのでしょうか。マルクスは協業の具体例としてデステュット・ド・トラシの次のような説明を紹介していました。

  〈ある複雑な仕事の実行が問題だとしようか? いくつものことが同時になされなければならない。一人があることをしているあいだに別の一人は別のことをし、こうして、すべての人々が、一人だけでは生みだせないような結果に寄与するのである。一人が漕いでいるあいだに別の一人は舵をとり、第3の一人は網を投げたり、銛(モリ)で魚を突いたりし、こうして、漁業は、このような協力なしには不可能であろうような成果をあげるのである」(デステュット・ド・トラシ『イデオロギー要論。第四部および第五部。意志および意志作用論』、バリ、1826年、78ページ〉。〉(第11章原注15)

    これは草稿集④でも抜粋されていましたが(それは付属資料で紹介)、そこではマルクスはこの抜粋に続けて次のように述べていました。

  〈この場合、この最後の協業では、すでに分業が行なわれている。なぜなら「いくつものことが同時になされなければならない」からである。しかし、これは、本来の意味での分業ではない。この3人は、協働活動のときにそれぞれただ一つのことをするだけではあるが、彼らは代わるがわる、漕いだり、舵をとったり、魚をとったりすることができる。これにたいして本来の分業の眼目は、「数人が互いにたすけあって働くとき、各人は、自分が最も優れている仕事にもっぱら従事することができる、云々」(同前、79ページ)ということである。〉(草稿集④420-421頁)

    つまり協業と分業との相違は、確かに分業でも〈同じ生産過程で、または同じではないが関連のあるいくつかの生産過程で、多くの人々が計画的にいっしょに協力して労働する〉のですが、しかし各人は一つの仕事に〈っぱら従事する〉ということが異なるのです。分業では協働する各人は自分の仕事に固定されているということです。
    ですから〈分業にもとづく協業〉というのは、〈同じ生産過程で、または同じではないが関連のあるいくつかの生産過程で、多くの人々が計画的にいっしょに協力して労働する〉のですが、それぞれの労働は多くの労働者に配分されて、しかも労働者はそれらの労働に縛りつけられているということなのです。
    そしてそれが〈マニュファクチュアにおいてその古典的な姿を身につける〉と述べています。「マニュファクチュア」というのは何でしょうか? イギリス語版ではマニュファクチュアという用語に「工場手工業」という訳語を当てています。一般には「工場制手工業」とも言われているものです。それは労働者は一カ所に工場(作業場)に集められているのですが、しかしその作業そのものは依然として手工業的なものにとどまっているというものです。これは資本主義的生産の初期に現れてきたものといえるでしょう。
    AIは次のように説明しています。
  〈「マニュファクチュア」は、製造業の形態の一つで、日本語では工場制手工業と訳されます。この言葉は、「manu(手)」と「facture(製造)」の二つの語から成り立っています。歴史的な用語としては、被雇用労働者の大規模な手工業を指します。具体的には、一つの作業場内で数名から数十名の労働者が雇用され、手工業的な技術に基づきながら分業と協業の体制のもとで工業生産が行われる形態を指します。この概念は、産業革命以前の資本主義的な工業の最初の形態でした。〉(Bing)

  (ロ) マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、ざっと計算して16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のことです。

    だからマルクスはマニュファクチュアが資本主義的生産の特徴的な形態として優勢になるのはざっと計算して16世紀の半ばから18世紀の3分の1期までの間だと述べています。そしてそれを「本来のマニュファクチュア時代」と特徴づけているわけです。
    新日本新書版にはこの最後に次のような訳者注が付いています。

  〈ボッペ『技術学の歴史』第1巻、ゲッティンゲン、1807年、31ページ参照〉(585頁)

  『61-63草稿』にはポッペからの引用が多数ありますが(マルクスは抜粋ノートにこの書の第1~3巻の抜き書きをやっている)、この訳者注で指示している頁数からのものはありませんでした。少しは関連すると思える部分を紹介しておきます。

  〈「マニュファクチュアと工場。いくつもの手工業が集まり一つの目的に向かって仕事をする。商品を直接に入手でこしらえるか、人手が不足するときは機械でつくるという場合、ひとはマニュファクチュアと呼んでいる。商品の生産に炉火と槌が使用される場合、ひとは工場〔と呼んでいる〕。たとえば、陶器やガラスの製造など、大規模に行なわれるほかないいくつかの仕事は、それゆえ手工業ではありえない。すでに13、14世紀には、織物のような若干の労働は、大規模に営まれていた。
   18世紀には、たくさんの学者が過去の手工業やマニユ/ファクチュアや工場を精確に学びとることを熱心な目標とした。いく人かは、そこから特殊な学問分野をつくった。ようやく近時になって、力学、物理学、化学などと手工業(生産、というべきだ)との結びつきが正当に認識されたのである。以前には、仕事場では、もろもろの規則やならわしが親方から職人へ、徒弟へと伝えられ、それが保守的な伝統〔をつくった〕。かつては、偏見が学者にたいして対立していた。1772年に、ベツクマンがはじめて技術学〔Technologie〕という名称を使用した。すでに18世紀の前半に、イタリア人ラマッツィーニは、工芸家と手工業者の病気について論文〔を書いている〕。包括的な技術学は、レオミュールショウにはじまる。レオミュールは、フランス科学ア力デミーに一つのプランを提出した。ここから、『王立科学ア力デミーの会員によって作成ないし承認された、工芸の記述』、1761年初め、パリ(2つ折本)。」}〉(草稿集⑨64-65頁)

  ついでにこのパラグラフに関連するものを『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈18世紀の前半には、まだ大工業はな/く、分業に基づくマニュファクチュアが存在したにすぎない。資本の主要成分は依然として労賃に投下される可変資本であった。労働の生産力は発展したが、しかし、その世紀の後半に比べれば緩慢であった。資本の蓄積とともに、ほとんど比例的に、労働にたいする需要は増大し、したがって労賃も上がって行った。イギリスはまだ本質的には農業国であった。そして農業人口によって営まれる非常に広がった家内的マニュファクチュア(紡績と織布のための)が引き続き存在し(まだそれ自身拡大しつつあった)。単に働くだけのプロレタリアートはまだ発生しうるまでに至っていなかったのであり、それは当時工業の百万長者がほとんどいなかったのと同様であった。18世紀の前半には相対的に可変資本のほうが優勢であり、その後半には国定資本のほうが優勢であった。〉(草稿集⑥812-813頁)
  商業資本は、いろいろな形態で産業資本に従属させられるか、または、同じことであるが、産業資本の機能となり、特殊な一機能を果たす産業資本となる。商人は、商品を買わないで、賃労働を買い、この賃労働で商品を生産して、この商品を商業のための販売用とする。しかし、これによって商業資本そのものは、それが生産に対立してもっていた固定形態を失う。こうして中世の同職組合はマニュファクチュアから挑戦を受け、手工業はより狭い範囲に閉じ込められた。中世には商人は(イタリアやスペインなどに散在していたマニュファクチュア発達地は別として)、単に、生産された--都市の同職組合によってであれ農民によってであれ--商品の問屋でしかなかった。このような、産業資本家への商人の転化は、同時に、産業資本の単なる一形態への商業資本の転化でもある。他方では生産者が商人になる。たとえば製布業者が彼の材料を継続的に少しずつ商人から受け取って商人のために労働するということをやめて、彼自身が自分の資本などに応じて材料を買うようになる。いろいろな生産条件が、彼自身によって買われた商品として、過程にはいる。そして、個々の商人や特定の顧客のために生産するのではなくて、今や製布業者は商業世界のために生産する。第一の形態では、商人が生産を支配し、商業資本が、それによって動かされる手工業や農民的家内工業を支配する。産業は商人の従属物である。第二の/形態では、生産は資本主義的生産に転化する。生産者自身が商人である。商業資本はただ流通過程を媒介し、資本の再生産過程における一定の機能を行なうだけである。これが二つの形態である。商人は商人として生産者になり、産業資本家になる。産業資本家は、生産者は、商人になる。元来、産業資本は、ただ、商品流通しかも商業にまで発展させられる商品流通という前提のうえに形成されるにすぎないのだから、商業は、同職組合的生産や農村的-家内工業的生産や封建的農業生産の資本主義的生産への転化のための前提である。商業は生産物を商品に発展させる。なぜならば、商業は一つには生産物に市場をつくりだすからであり、一つには新たな商品等価物をつくってやるからであり、一つには生産に新たな材料を供給し、こうして、はじめから商業に基づいており、市場のための生産に基づくとともに世界市場からくる諸生産要素に基づいている生産様式を開始するからである。16世紀には、いろいろな発見やマーチャント・アドヴェンチャラーズこそが、マニュファクチュアをひき起こしたものである。このマニュファクチュアがいくらか強固になれば、そしてさらに大工業としていっそう強固になれば、それはそれ自身で市場を創造し、それを征服し、部分的には力ずくで自分のために諸市場を開くが、それらの市場を自分の商品そのものによって征服する。それからは商業はもはや工業生産の召使でしかなくなり、工業生産にとっては絶えず拡大される市場が生活条件になっている。というのは、商業の既存の限界によっては(商業が現存の需要を表わすかぎりでは)制限されないでただ既存の資本の大きさと労働の生産力の発展とによってのみ制限されている絶えず拡大される大量生産は、絶えず既存の市場を氾濫させ、したがって市場の限界を絶えず拡大し遠ざけることに努めつつあるからである。ここでは商業は産業資本の召使であって、産業資本の生産条件から生ずる一機能を行なうのである。植民制度によって(禁止的関税制度と同時に)、最初の発展期における産業資本は、暴力的に一つの市場またはいくつもの市場を確保しようとする。産業資本家は世界市場に面している。産業資本家はそれ自身の費用価格を単に国内の市場価格とだけではなく全世界市場でのそれと比較するのであり、したがってまた絶えずそれと比較しなければならないのである。彼は絶えずこのことを顧慮しながら生産する。この比較は初期にはただ商人階級だけの仕事であり、したがって商業/資本のために生産的資本にたいする支配権を保証するのである。〉(草稿集⑦427-429頁)


◎第2パラグラフ(マニュファクチュアは二重の仕方で発生する。一方では、ある一つの生産物が完成されるまでにその手を通らなければならないいろいろな種類の独立手工業の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにある一つの作業場に結合される)

【2】〈(イ)マニュファクチュアは二重の仕方で発生する。
(ロ)一方では、ある一つの生産物が完成されるまでにその手を通らなければならないいろいろな種類の独立手工業の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにある一つの作業場に結合される。(ハ)たとえば1台の馬車は、車工、馬具工、指物工、錠前工、真鍮工、ろくろ工、レース工、ガラス工、画工、塗工、メッキ工など多数の独立手工業者の労働の総生産物だった。(ニ)馬車マニュファクチュアは、これらのいろいろな手工業者をすべて一つの作業場に集め、そこで彼らは互いに助け合いながら同時に労働する。(ホ)馬車にメッキすることは、たしかに、馬車がつくられてからでなければできない。(ヘ)しかし、たくさんの馬車が同時につくられるならば、あるものが生産過程の前のほうの段階を通っているあいだに、いつでも他のどれかがメッキされているということが可能である。(ト)そのかぎりでは、まだわれ/われは、有り合わせの人と物とを材料とする単純な協業の域を脱してはいない。(チ)ところが、やがて一つの重要な変化が現われる。(リ)ただ馬車の製造だけに従事している指物工や錠前工や真鍮工などは、自分の従来の手工業をその全範囲にわたって営む習慣といっしょに、そうする能力をもだんだん失ってくる。(ヌ)他方、彼の一面化された動作は、いまでは、狭められた活動範囲のための最も合目的的な形態を与えられる。(ル)元来は、馬車マニュファクチュアはいろいろな独立手工業の結合体として現われた。(ヲ)それは、しだいに、馬車生産をそのいろいろな特殊作業に分割するものになり、これらの作業のそれぞれが1人の労働者の専有機能に結晶してそれらの全体がこれらの部分労働者の結合体によって行なわれるようになる。(ワ)同様に、織物マニュファクチュアやその他の多くのマニュファクチュアも、同じ資本の指揮のもとでのいろいろな手工業の結合から生じたのである(26)。〉(全集第23a巻441-442頁)

  (イ)(ロ) マニュファクチュアは二重の仕方で発生します。一つは、ある一つの生産物が完成されるまでにその手を通らなければならないいろいろな種類の独立手工業の労働者たちが、同じ資本家の指揮のもとにある一つの作業場に結合されるケースです。

    マニュファクチュアが中世の手工業からどのようにして発生してくるかを見ると二つのケースが考えられるということです。
    一つは一つの生産物が完成されるまでに、多くの人の手を通らなければならないケースです。それはそれまではさまざまな手工業者がそれぞれ独立してやっていたものですが、それらを一つの作業場に集めて一人の資本家の指揮のもとにそれらの作業が結合されて行われる場合です。
  『61-63草稿』から紹介しておきます(ただし、ここで問題になっているのは〈その反対に、〉以下の部分です)。

  〈分業が、まず既存の作業場を基礎として諸作業をさらに分解し、それらの作業のもとに一定数の労働者を包摂してゆく方向で発展するかぎりでは、それは分割を続けていくものであるのにたいして、分業はまた、その反対に、「詩人のばらばらにされた四肢〔disjecta membra poetae〕」が、以前にはそれだけの数の独立した商品として、したがってまたそれだけの数の独立した商品所有者の生産物として互いに並んで自立的に存在していたかぎりでは、それらのものの一つの機構への結合でもあるのであって、これはアダム〔・スミス〕がまったく見落としていた側面である。〉(草稿集④433頁)

  (ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト) たとえば1台の馬車は、それまでは車工、馬具工、指物工、錠前工、真鍮工、ろくろ工、レース工、ガラス工、画工、塗工、メッキ工など多数の独立手工業者の労働の総生産物でした。馬車マニュファクチュアは、これらのいろいろな手工業者をすべて一つの作業場に集め、そこで彼らを互いに助け合いながら同時に労働するようにします。馬車にメッキするのは、たしかに、馬車がつくられてからでなければできません。しかし、たくさんの馬車が同時につくられますと、あるものが生産過程の前のほうの段階を通っているあいだに、いつでも他のどれかがメッキされているということが可能なのです。しかしこの状態では、まだ私たちは、有り合わせの人と物とを使った単純な協業の域を脱していません。

    その具体的な例として、馬車の生産が挙げられています。馬車を作るために必要なさまざまな部品は、それぞれその生産を専門とする独立した手工業者が各自の作業場で生産していたのですが、一人の資本家がそれらをすべて一つの作業場に集めて、互いに助け合いながら同時に生産するようにしたのです。しかしこの状態では、まだ単純な協業の域を脱したとはいえません。
  『61-63草稿』から紹介しておきます。

  馬車マニュファクチュア。〔馬車の製造〕では、車大工のほかに、いろいろな独立の手工業者が働いていた。馬具工、指物工、錠前工、真鍮工、ろくろ工、レース工、ガラス工、画工、塗工、メツキ工などである。のちには、これらの労働者は馬車工場のなかで一つにまとめられ、互いに協力して働いた。」(ヨハン・モーリツ・ポッペ『……技術学史』330ページ。)〉(草稿集⑨62頁)

  (チ)(リ)(ヌ) しかし、やがて一つの重要な変化が現われます。ただ馬車の製造だけに従事している指物工や錠前工や真鍮工などは、従来はその手工業をその全範囲にわたって営んでいましたが、やがてその習慣といっしょに、そうする能力もだんだん失ってくるのです。そして、彼の一面化された作業は、その狭められた活動範囲のためもあって、その最も合目的的な形態を与えられるようにもなるのです。

    しかしこのように資本家の指揮のもとに一カ所に集められて作業を行うことによって、やがて重要な変化が現れてきます。本来は馬車の部品を製造していた手工業者は、同時に別の仕事も請け負って仕事をしていました。例えば指物工や錠前工や真鍮工などは、馬車の部品だけではなくて、それ以外の製品も手がけていたのです。ところが一人の資本家の指揮もとに、一つの作業場に集められてただ馬車の部品だけを生産することを強いられますと、以前は独立した手工業者としてもっていたさまざまな能力も失われて、ただ馬車の部品の製造という一面化された作業に特化されることによって、その作業そのものももっとも合目的的な形態を与えられるようになるということです。

  (ル)(ヲ) もともとは、馬車マニュファクチュアはいろいろな独立手工業の結合体として現われました。しかしそれは、しだいに、馬車生産をそのいろいろな特殊作業に分割するものになり、これらの作業のそれぞれが1人の労働者の専有機能に結晶してそれらの全体がこれらの部分労働者の結合体によって行なわれるようになるのです。

    このように本来は独立した手工業者たちが生産した結合体だった馬車は、馬車生産をいろいろな特殊作業に分割して、それらの作業をそれぞれの労働者の専有機能にして、その全体がこうした部分労働者の結合体として行われるようになるということです。

  (ワ)  同じように、織物マニュファクチュアやその他の多くのマニュファクチュアも、同じ資本の指揮のもとでのいろいろな手工業の結合から生じたのです。

    こうしたさまざまな独立した手工業者を一人の資本家の指揮のもとに一つの作業場に集められ、それらの手工業者を部分労働者にして、一つの結合体を形成するやり方は、それ以外にも織物マニュファクチュアやその他のマニュファクチュアでも生じてきたのです。


◎原注26

【原注26】〈26 このようなマニュファクチュアの形成様式のもっと近代的な一例を、次の引用によって示そう。リヨンやニームの絹紡績業や絹織物業は「まったく家長制的である。それはたくさんの女や子供を使用しているが、彼らを過労させたり堕落させたりするようなことはない。それはドゥローム、ヴァール、イゼール、ヴォクリューズの彼らの美しい谷間に彼らを置いたままで、彼らに蚕を飼わせ、繭から糸を紡がせる。それはけっして本式の工場経営にはならない。それにもかかわらず、そのように高度に応用されるためには……ここでは分業の原則は一つの特殊な性格をもっている。そこには糸繰り工も糸撚り工も染色工も糊付け工もいるし、また織物工もいる。だが、彼らは同じ一つの作業場に集められてはいないし、同じ1人の主人に従属してもいない。彼らはみな独立している。」(A・ブランキ『産業経済学講義』、A・ブレーズ編、パリ、1838-1839年、79ページ。)ブランキがこれを書いてからも、いろいろな独立労働者の一部分は工場内に集められた。{第四版へ。--(ニ)そして、マルクスが以上のように書いてからあとで、これらの工場では力織機が採用されて急速に手織機を駆逐した。クレフェルトの絹工業もこれと同じ経験をもっている。--F・エンゲルス}〉(全集第23a巻442頁)

    これはパラグラフの最後の一文〈同様に、織物マニュファクチュアやその他の多くのマニュファクチュアも、同じ資本の指揮のもとでのいろいろな手工業の結合から生じたのである(26)〉に付けられた原注です。
    ここでは同じような過程を辿ってマニュファクチュアが形成された近代的な一例としてブランキからの引用がなされています。しかしブランキの引用文は、さまざまな手工業者が確かに分業関係にはあるが、しかし分散して仕事をしている様子が描かれているだけのものです。だから〈彼らは同じ一つの作業場に集められてはいないし、同じ1人の主人に従属してもいない。彼らはみな独立している〉と述べているわけです。つまりこれらは一つの作業場に集められる前のある意味では牧歌的な状況を描いているといえるでしょう。だからマルクスは引用のあとに〈ブランキがこれを書いてからも、いろいろな独立労働者の一部分は工場内に集められた〉と補足しているわけです。
    後で紹介する『61-63草稿』のブランキからの抜粋ではその前にマルクスは〈ブランキは、前に示唆した箇所で、「大マニュファクチュアの組織のもとに従属した労働者の規制された、そしていわば強制された労働」[13ページ]と、農村住民の手工業的な、または家内副業として営まれている工業とを区別している〉と述べています。そして大マニュファクチュアの一例としては〈ルアンやミュルーズの工業は、広大な建物の中で、資本の力に頼って……真に一軍勢といえるほどの労働者をもって行なわれているものばかりであって、そこでは、兵舎に似た、塔のように高い、銃限のような窓で穴だらけの巨大な工場に、何百、何千もの労働者が閉じ込められている〉と述べ、それと対照的なものとして〈リヨンやニームの工業〉のマルクスが原注で引用しているような牧歌的な描写が行われているのです。だからマルクスが引用しているブランキの一文そのものは〈このようなマニュファクチュアの形成様式のもっと近代的な一例〉とは必ずしもいえないように思えます。
    さらにエンゲルスによる第四版への注では、彼らを集めた工場では力織機が採用されて手織機は駆逐されたと述べていますが、〈マルクスが以上のように書いてからあとで〉ということですが、しかしこれはもはや次の「第13章 機械と大工業」に関連するもののように思われます。

    すでに指摘しましたように、『61-63草稿』ではブランキの同じ箇所を引用したものがありますので、紹介しておきます。

 〈ブランキは、前に示唆した箇所で、「大マニュファクチュアの組織のもとに従属した労働者の規制された、そしていわば強制された労働」[13ページ]と、農村住民の手工業的な、または家内副業として営まれている工業とを区別している。「マニュファクチュアの罪は、……労働者を隷属させ、労働者を……彼と彼の家族を、仕事の意のままにさせるところにある。[118ページ]……たとえば、/ルアンかミュルーズの工業をリヨンかニームの工業と比べてみるがよい。いずれも二つの繊維の、すなわち一方は綿、他方は絹の製糸と織物を目的としている。だが、両者に似たところはまったくない。ルアンやミュルーズの工業は、広大な建物の中で、資本の力に頼って……真に一軍勢といえるほどの労働者をもって行なわれているものばかりであって、そこでは、兵舎に似た、塔のように高い、銃限のような窓で穴だらけの巨大な工場に、何百、何千もの労働者が閉じ込められている。それと対照的に、リヨンやニームの工業は、まったく家父長制的である。それはたくさんの婦人や児童を使用しているが、彼らを疲れ果てさせたり堕落させたりするようなことはない。それはドゥローム、ヴァール、イゼール、ヴォグリューズの彼らの美しい谷間に彼らを置いたままで、彼らに蚕を飼わせ、繭から糸を紡がせる。それはけっして真の工場経営にはならない。この工業でも前者でと同じように分業の原則が守られてはいるが、ここではこの原則は一つの独自な性格を帯びている。そこには糸繰り工も糸撚り工も捺染工も糊付け工もいるし、また織物工もいる。だが彼らは同じ一つの建物に集められてはいないし、同じ一人の雇主に従属してもいない。彼らはみな独立している。彼らの道具、彼らの織機、彼らのボイラーから成る彼らの資本は、あまり大きいものではないが、しかしそれは、彼らを雇主とある程度まで対等な位置におくには十分なものである。ここには、工場規則も忍従すべき条件もない。各人は、まったく自由に、自分のために契約するのである。」(ブランキ兄『産業経済学講義』、A・プレーズ編注、パリ、1838-1839年、44-80ページの各所。)〉(草稿集④457-548頁)


◎第3パラグラフ(マニュファクチュアはこれとは反対の道でも発生する。同じことまたは同じ種類のことを行なう多数の手工業者が同じ資本によって同じ時に同じ作業場で働かされ、何らかの外部的な事情によって、彼らの労働が分割され、それらの作業を互いに引き離し、孤立させ、空間的に並べ、それぞれの作業を別々の手工業者に割り当て、すべての作業がいっしょに協業者たちによって同時に行なわれるようにする)

【3】〈(イ)しかし、マニュファクチュアはこれとは反対の道でも発生する。(ロ)同じことまたは同じ種類のことを行なう、たとえば紙とか活字とか針とかをつくる多数の手工業者が同じ資本によって同じ時に同じ作業場で働かされる。(ハ)これは、/最も単純な形態の協業である。(ニ)これらの手工業者はそれぞれ(おそらく1人か2人の職人といっしょに) 一つの完全商品をつくっており、したがって、その生産に必要ないろいろな作業を順々にすませてゆく。(ホ)彼は自分の古い手工業的なやり方で労働することを続ける。(ヘ)しかし、やがて外部的な事情が、同じ場所に労働者が集まっていることや彼らが同時に労働することを別のやり方で利用させるようになる。(ト)たとえば、かなり大量の完成商品を一定期問内に供給する必要があるとしよう。(チ)そのために、労働が分割されることになる。(リ)いろいろな作業を同じ手工業者に時間的に順々に行なわせることをやめて、それらの作業を互いに引き離し、孤立させ、空間的に並べ、それぞれの作業を別々の手工業者に割り当て、すべての作業がいっしょに協業者たちによって同時に行なわれるようにする。(ヌ)このような偶然的な分割が繰り返され、その特有な利点を現わし、しだいに組織的な分業に固まってゆく。(ル)商品は、いろいろなことをする1人の独立手工業者の個人的な生産物から、各自がいつでも一つの同じ部分作業だけを行なっている手工業者たちの結合体の社会的な生産物に転化する。(ヲ)ドイツの同職組合的製紙業者が次々に行なってゆく諸作業としては互いに混じり合っていた諸作業が、オランダの製紙マニュファクチュアでは多数の協業労働者が相並んで行なう部分作業に独立化された。(ワ)ニュルンベルクの同職組合的製針業者は、イギリスの製針マニュファクチュアの基本要素になっている。(カ)しかし、ニュルンベルクの製針業者は、おそらく20種にのぼる一連の諸作を1人で次々にやっていたのであるが、イギリスのマニュファクチュアでは、まもなく、20人の製針工が相並んでそれぞれ20種の作業のうちの一つだけを行ない、これらの作業は経験に従ってもっとずっと細分化され分立化されて、各個の労働者の専有機能として独立化されたのである。〉(全集第23a巻442-443頁)

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ) しかし、マニュファクチュアはこれとは反対の道でも発生します。同じことかまたは同じ種類のことを行なう手工業者、たとえば紙とか活字とか針とかをつくる多数の手工業者が同じ資本によって同じ時に同じ作業場で働かされます。これはこの限りでは、最も単純な形態の協業です。それぞれの手工業者は(おそらく1人か2人の職人といっしょに) 一つの完全商品をつくっています。だからその生産に必要ないろいろな作業を彼らは順々にすませてゆくわけです。つまり彼は自分の古い手工業的なやり方で労働することを続けるわけです。

    先のマニュファクチュアの発生は、一つの商品のさまざまな部分品をそれぞれ独立して生産していた手工業者たちを、一つ工場に集めて一人の資本の指揮のもとに協力して生産して最終的な商品として完成させるようにされることから生まれたものでした。今度は、同じ商品や同じ種類の商品(例えば紙とか活字とか針など)を生産している手工業者たちを、一つの作業場に集めて、資本家の指揮のもとに同じ商品の生産を行うケースです。これだけだと、これは単純な協業でしかありません。それぞれの手工業者はそれ以前と同じように一人か二人の助手を使って各自が生産を行っているわけです。唯一違うのは、彼らは同じ作業場に集められて一緒に生産しているというだけです。

  (ヘ)(ト)(チ)(リ) しかし、やがて外部的な事情が、同じ場所に労働者が集まっていることや彼らが同時に労働することを別のやり方で利用させるようにさせます。たとえば、かなり大量の完成商品を一定期問内に供給する必要があるという事情が生じたとしましょう、そうすると、これまでのようにいろいろな作業を同じ手工業者が時間的に順々に行なわせることをやめて、それらの労働を分割して、互いの作業を引き離し、孤立させ、空間的に並べ、その上で、それぞれの作業を別々の手工業者に割り当て、すべての作業がいっしょに協業者たちによって同時に行なわれるようにする方が効率的であることに気づくのです。

    しかしこの場合も、やはり外部的な事情が、彼らの協業の形態に変化をもたらします。例えば、かなり大量の商品を一定の期間内に供給する必要があるような事情が生じた場合、個々別々に独立して一つの商品の生産に必要な作業のすべてを一人の人がやっていたのでは、効率が悪いので、彼らの作業を一旦分解して、それぞれの部分作業を各自に割り振りして、そして各自が分担した単純な作業を同時に行うことによって一つの商品を生みだす方が効率的であることに気づきます。

  (ヌ)(ル) そしてこのような偶然的な分割が繰り返され、その特有な利点を明らかになり、しだいに組織的な分業に固まってゆきます。商品は、いろいろなことをする1人の独立手工業者の個人的な生産物から、各自がいつでも一つの同じ部分作業だけを行なっている手工業者たちの結合体の社会的な生産物に転化するのです。

    こうして最初は偶然的な契機による分割が、繰り返されますと、そうした作業の分割と分担の利点が明らかになり、さらに意識的な分割と組織的な分業が固まってきます。商品はいまやいろいろなことをやる一人の独立手工業者の個人的な生産物から、各人が同じ部分作業だけを行っている手工業者たちの結合体の社会的な生産物になるわけです。

  (ヲ)(ワ)(カ) ドイツの同職組合的製紙業者が次々に行なってゆく諸作業としては互いに混じり合っていた諸作業が、オランダの製紙マニュファクチュアでは多数の協業労働者が相並んで行なう部分作業に独立化されました。ニュルンベルクの同職組合的製針業者は、イギリスの製針マニュファクチュアの基本要素になっています。しかし、ニュルンベルクの製針業者は、おそらく20種にのぼる一連の諸作を1人で次々にやっていたのですが、イギリスのマニュファクチュアでは、まもなく、20人の製針工が相並んでそれぞれ20種の作業のうちの一つだけを行ない、これらの作業は経験に従ってもっとずっと細分化され分立化されて、各個の労働者の専有機能として独立化されたのです。

    例えばドイツの同職組合による製紙業者たちがそれぞれが次々に行っていた諸作業が、オランダの製紙マニュファクチュアでは、多数の協業労働者が一緒に並んで行う部分作業に独立化されました。マルクスは『61-63草稿』では〈とくに、オランダの製紙工場は、本格的な、非常に発達をとげた本格的なマニュファクチュアであった。部分的に個々の工程では、最初は手動機械(ミューレ)が、それから水力あるいは風力機械(ミューレ)が使用されていた〉(草稿集⑨78頁)とも述べています。
    またニュルンベルグの同職組合の製針業者の作業は、イギリスの製針マニュファクチュアが統一して行う作業の基本要素になっています。ニュルンベルグの業者は、20種にものぼる一連の作業を一人で次々とやっていたのですが、イギリスのマニュファクチュアでは、20人の作業員が一緒にならんでそれぞれが20種類の作業のうちの一つだけを行っているわけです。しかもこれらの作業は経験によって、さらに細かく細分化されて分立化されて、それぞれの労働者によって担われ、彼らの専有の機能として独立化されたのです。


   ((2)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(2)

2024-08-30 18:21:59 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(2)


◎第4パラグラフ(こうして、マニュファクチュアは、一方では一つの生産過程に分業を導入するかまたはいっそう発展させるかし、他方では以前は別々だったいろいろな手工業を結合するのである。しかし、その特殊な出発点がどれであろうと、その最終の姿は同じもの、すなわち、人間をその諸器官とする一つの生産機構である。)

【4】〈(イ)このように、マニュファクチュアの発生様式、手工業からのその生成は、二重である。(ロ)一方では、マニュファクチュアはいろいろな種類の独立手工業の結合から出発し、これらの手工業は、非独立化され一面化されて、もはや一つの同じ商品の生産過程で互いに補足し合う部分作業でしかなくなる。(ハ)他方では、マニュファクチュアは同種の/手工業者たちの協業から出発し、同じ個人的手工業をそのいろいろな特殊作業に分解し、さらにこれらの特殊作業を分立化し独立化して、それぞれの作業が1人の特殊労働者の専有機能になるようにする。(ニ)こうして、マニュファクチュアは、一方では一つの生産過程に分業を導入するかまたはいっそう発展させるかし、他方では以前は別々だったいろいろな手工業を結合するのである。(ホ)しかし、その特殊な出発点がどれであろうと、その最終の姿は同じもの、すなわち、人間をその諸器官とする一つの生産機構である。〉(全集第23a巻443-444頁)

  (イ)(ロ)(ハ) このように、マニュファクチュアの発生の仕方、手工業からのその生成というのは、二通りです。一方では、マニュファクチュアはいろいろな種類の独立手工業の結合から出発して、これらの手工業は、やがて非独立化され一面化されて、もはや一つの同じ商品の生産過程で互いに補足し合う部分作業でしかなくなるという仕方です。他方では、マニュファクチュアは同種の手工業者たちの単純な協業から出発し、外的事情から、同じ個人的手工業の作業をいろいろな特殊作業に分解し、さらにこれらの特殊作業を分立化し独立化して、それぞれの作業が1人の特殊な労働者の専有機能にする仕方です。

    以上のように、マニュファクチュアが手工業から発生する仕方は、二通りです。一つはいろいろな種類の独立した手工業者たちを、一つの作業場に集めることから出発し、やがてそれらの手工業者たちは一つの商品を生産する生産過程の互いに補足し合う一面化された部分作業を専門的に担うようになるという仕方です。
    もう一つは、同じ種類の手工業者たちが集められ、同じ商品をただ協業して生産することから始め、やがて外部的な事情から、個別の手工業を分解して、それを独立化させ、それぞれを部分労働者に割り振りして専門的に分担させていくやり方です。

  (ニ)(ホ) こうして、マニュファクチュアは、一方では一つの生産過程に分業を導入するかまたはいっそう発展させるかし、他方では以前は別々だったいろいろな手工業を結合するのです。しかし、その特殊な出発点がどれであろうと、その最終の姿は同じもの、すなわち、人間をその諸器官とする一つの生産機構なのです。

    このように、マニュファクチュアは、一方では、同じ一つの生産過程を分解して、それぞれの独立化した部分労働を労働者を分担させ、分業として発展させるか、他方では、以前は別々だったいろいろな手工業を結合して、一つの生産過程の分業へと発展させるかして生まれてきました。しかしその出発点がどうであろうと、最終的な姿は同じものです。すなわち人間をその諸器官とする一つの生産機構なのです。最後の部分はフランス語版では〈だが、マニュファクチュアの出発点がどうあろうとも、その最終形態は同じもの--人間が肢体になっている生産有機体--である。〉(江夏・上杉訳351頁)となっています。

    同じ問題を論じている『61-63草稿』から紹介しておきます。

  マニュファクチュアは、手工業から2つの道をとおって現われる。(1)単純協業。同じ仕事をする多数の手工業者が手工道具をたずさえてひとつの作業場に集積すること。これは、往時の織布マニュファクチュアとつづく仕上げ加工マニュファクチュアとの特徴だった。そこでは、分業はほとんど行なわれていない。せいぜい、準備とか仕上げとか、若干の副次的作業にかんして行なわれるにすぎない。この場合の節約は主として、建物・炉などのような一般的な労働条件の共同利用〔から生まれるのである〕。総じて資本主義的生産に固有の要素である工場主の監督〔についても同様〕。……/……
  (2)多数の独立した部門に分割されている手工業を一工場において結合すること。分割は、手工業でも見られるが、しかし、その各部分は自立した手工業として営まれているのである。工場は、この孤立性と自立性の否定である。相違は次の点に要約される。すなわち、特殊な労働は、生産物をもはや特殊な商品として生産するのではなく、たんに一商品を完成するための部分として生産するだけである。特殊的になっている生産物は、このようなものとしては商品であることをやめる。これまで分かれていたものがひとたび結合されると、このようにして成立した自然生的なマニュファクチュアを基盤にして、その細分がさらに発展し、その部分に分割され、自動式〔self acting〕になる。……〉(草稿集⑨118-119頁)


◎第5パラグラフ(マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するためには、次の諸点をしっかりとらえておくことが重要)

【5】〈(イ)マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するためには、次の諸点をしっかりとらえておくことが重要である。(ロ)まず第一に、生産過程をその特殊な諸段階に分解することは、この場合には、一つの手工業的活動をそのいろいろな部分作業に分解することとまったく一致する。(ハ)複合的であろうと単純であろうと、作業は相変わらず手工業的であり、したがって、個別労働者が彼の用具を操作するにあたっての力や熟練や速さや確かさにかかっている。(ニ)相変わらず手工業が基礎である。(ホ)この狭い技術的基礎は、生産過程の真に科学的な分解を排除する。(ヘ)というのは、生産物の通るそれぞれの部分過程が手工業的な部分労働として行なわれうるものでなければならないからである。(ト)このように相変わらず手工業的な熟練が生産過程の基礎であるからこそ、どの労働者もそれぞれただ一つの部分機能だけに適合させられて、彼の労働力はこの部分機能の終生変わらない器官にされてしまうのである。(チ)最後に、この分業は、協業の一つの特殊な種類なのであって、その利点の多くは協業の一般的な本質から生ずるのであり、協業のこの特殊な形態から生ずるのではないのである。〉(全集第23a巻444頁)

  (イ) マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するためには、次の諸点をしっかりとらえておくことが重要です。

    このパラグラフは「第1節 マニュファクチュアの二重の起源」のまとめです。フランス語版では、このパラグラフは三つのパラグラフに分けられています。よってフランス語版の該当部分を最初に紹介しておくことにします。

  〈マニュファクチュアにおける分業を適切に評価するためには、次の二点をけっして見失わないことが肝要である。〉(江夏・上杉訳351頁)

    全集版ではマルクスはマニュファクチュアにおける分業を正しく理解するための要点として六つ挙げているように見えますが、フランス語版では〈次の二点〉と二つの点を強調しています。しかし全体として述べていることには大きな違いはありません。

  (ロ) まず第一に、生産過程をその特殊な諸段階に分解することは、この場合には、一つの手工業的活動をそのいろいろな部分作業に分解することとまったく一致するということです。

  フランス語版です。

  〈第一に、ここでは、生産過程をその特殊な諸段階に分解することが、手工業者の手仕事をそのさまざまな手作業に分解することと全く一致している。〉(同前)

    第一には、二つの過程を通って成立するマニュファクチュアは、いずれも成立した段階における生産過程をその特殊な諸段階に分解するわけですが、それらはいずれも、一つの手工業的活動をいろいろな部分作業に分解するということです。つまり分解された諸作業もやりは依然として手工業的な作業だということだと思います。

  (ハ) 複合的であろうと単純であろうと、作業は相変わらず手工業的であり、したがって、個別労働者が彼の用具を操作するにあたっての力や熟練や速さや確かさにかかっているということです。

  フランス語版です。

  〈複雑であろうと単純であろうと、作業は依然として、労働者の手が道具を取り扱うさいの力や熟練や速さや確実さに依存している。〉(同)

 第二に、だから分割された作業はあいかわらず手工業的であり、個別の労働者が彼の用具を使うに当たっての彼の力や熟練の度合いや速さや確かさに、それらの作業の成否はかかっているということです。

  (ニ) 相変わらず手工業が基礎だということです。

  〈手工業が依然として基礎である。〉(同)

    だから第三に、問題は相変わらず手工業が基礎だということです。分業にもとづくマニュファクチュアを理解する点で重要なのは、それが相変わらず技術的には手工業の域を出ていないということなのです。そこでは中世の親方のもとにおける徒弟制度はすでにありませんが、多くの親方の代わりに一人の資本家が来て、多くの親方や徒弟を多くの労働者に置き換えていますが、しかしその労働者はあいかわらず熟練を必要とし、その作業も手工業の域を出ていないということなのです。

  (ホ)(ヘ) この狭い技術的基礎は、生産過程の真に科学的な分解を排除します。といますのは、生産物の通るそれぞれの部分過程が手工業的な部分労働として行なわれうるものでなければならないからです。

  〈この技術的な基礎は、仕事の分解を、非常に狭い限界内でしか許さない。労働対象が通りぬけてゆく個々の部分工程が手の仕事として実行可能なものでなければ/ならず、それがいわばそれだけで独自の手工業を形成しなければならないのである。〉(江夏・上杉訳351-352頁)

    ですから第四に、この手工業という狭い技術的基礎は、仕事の分解を非常に狭い限界のなかでしか許さず、生産過程の真に科学的な分割を阻止します。といいますのは、労働対象が通り抜けていくそれぞれの部分的な生産過程が手工業的なものとして行われなければならなず、それだけで独自の手工業を形成しなければならないからです。

  (ト) このように相変わらず手工業的な熟練が生産過程の基礎であるからこそ、どの労働者もそれぞれただ一つの部分機能だけに適合させられて、彼の労働力はこの部分機能の終生変わらない器官にされてしまうのです。

  〈まさしく手工業の熟練が依然としてマニュファクチュアの基礎であるからこそ、マニュファクチュアでは、個々の労働者は全生涯を通じ一つの部分機能に適合させられるのである。〉(江夏・上杉訳352頁)

    第五に、このように手工業的な熟練が生産過程の基礎になっていますから、分割されて部分労働者に割り振られた作業も、ただ一つの作業の部分機能に適応するように変形されてしまって、労働者は一生涯その部分機能を担う器官にされてしまうわけです。

  (チ) 最後に、この分業は、協業の一つの特殊な種類なのであって、その利点の多くは協業の一般的な本質から生ずるのであって、協業のこの特殊な形態から生ずるのではないのです。

  〈第二に、マニュファクチュア的分業は一つの特殊な種類の協業であり、その利点の多くは、協業のこの特殊な形態から生ずるのではなく、協業の一般的な本性から生ずるのである。〉(同前)

    そして最後に、こうしたマニュファクチュア的分業は、協業の一つの特殊な種類であって、その利点の多くは協業の一般的な本質から生じているのであって、協業のこの特殊な形態、すなわち分業そのものから生じているのではないということです。

    以上、このように全集版にもとづいてマルクスが指摘しているものを六つに分けて検討しましたが、フランス語版では第一から第五までと、最後ものとの二つに分けて〈次の二点をけっして見失わないことが肝要である〉と述べていることも重要だと思います。

 

  第2節  部分労働者とその道具

 

◎第1パラグラフ(一生涯同じ一つの単純な作業に従事する労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させ、その作業により少ない時間を費やし、労働の生産力を高める)

【1】〈(イ)もっと詳しく細目に立ち入って見れば、まず第一に明らかなことは、一生涯同じ一つの単純な作業に従事する労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させ、したがって、多くの作業を次々にやってゆく手工業者に比べればその作業により少ない時間を費やす、ということである。(ロ)ところが、マニュファクチュアの生きている機構をなしている結合全体労働者は、ただこのような一面的な部分労働者だけから成っているのである。(ハ)それだから、独立手工業に比べれば、より少ない時間でより多くが生産されるのであり、言い換えれば、労働の生産力が高められるのである(27)。(ニ)部分労働がある1人の人の専有機能として独立化されてからは、部分労働の方法も改良される。(ホ)限られた同じ行為の不断の反復と、この限られたものへの注意の集中とは、経験によって、目ざす有用効果を最小の力の消耗で達成することを教える。(ヘ)ところが、世代の違う労働者たちがいつでも同じ時にいっしょに生活していて同じマニュファクチュアでいっしょに働いているのだから、このようにして獲得された技術上の手練は、やがて固定され、堆積され、伝達されるのである(28)。〉(全集第23a巻445頁)

  (イ) もっと詳しく細目に立ち入って見ますと、まず第一に明らかなことは、一生涯同じ一つの単純な作業に従事する労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させてしまい、その結果、多くの作業を次々にやってゆく手工業者に比べますと、その作業により少ない時間を費やす、ということです。

    このパラグラフもフランス語版の該当個所を最初に紹介しておきます。

  〈幾つかの細かい点に立ち入ろう。まず明らかなことだが、部分労働者は、自分の全身を、一生涯にわたる同一の単純作業の専門的、自動的な器官に変え、したがって、彼はこの作業には、一連の作業のすべてを行なう手工業者よりも少ない時間を費やすのである。〉(江夏・上杉訳352頁)

    マニュファクチュアにおける分業をさらに細かく見て行きますと、最初に明らかになりますのは、部分労働者を一生涯一つの単純な作業に縛りつけることにより、さまざまな作業をこなさなければならなかった以前の手工業者に比べますと、その作業に費やさねばならない時間を短くします。単純化されさた作業には容易に熟達し、速さも確実さも増します。だから一つの部分完成品を生産する時間を短くするわけです。

  (ロ)(ハ) そして、マニュファクチュアの生きている機構をなしている結合全体労働者は、ただこのような一面的な部分労働者だけから成っているのですから、それだけ、独立手工業に比べますと、より少ない時間でより多くが生産されるのです。言い換えますと、労働の生産力が高められるのです。

    フランス語版です。

  〈ところで、マニュファクチュアの生きた機構である集団労働者は、このような部分労働者だけから構成されている。それだから、独立手工業に比べれば、マニュファクチュアはより少ない時間でより多くの生産物を供給する、あるいは、結局同じことになるが、労働生産力を高めるのである(2)。〉(同)

    そして同じことはそうした部分労働者によって構成されている全体機構としての集団労働者も、独立手工業に比べますと、より少ない時間でより多くの生産物を供給することは明かです。つまり労働の生産力を高めることになるのです。

  (ニ)(ホ)(ヘ) さらに次のようにもいえます。部分労働がある1人の人の専有機能として独立化されますと、部分労働の方法も改良されます。限られた同じ行為の不断の反復と、この限られたものへの注意の集中とは、経験によって、目ざす有用効果を最小の力の消耗で達成することを教えるからです。さらには、世代の違う労働者たちがいつでも同じ時にいっしょに生活していて同じマニュファクチュアでいっしょに働いているのですから、このようにして獲得された技術上の手練は、やがて固定され、堆積され、伝達されていくのです。

  〈それだけではない。部分労働が専門機能になるやいなや、その方法が改良される。単純な行為を不断に反復し、この行為に注意を集中すれば、経験によってだんだんと、最小の力の支出で所期の有用な効果を達成することができる。そして、世代のちがう労働者がつねに同じ作業場で一緒に生活し労働しているのであるから、獲得された技術上の方式、手工業のこつと呼ばれるものが積み重ねられ、伝達される(3)。〉(同)

    全体的な生産機構としてはそれだけにとどまりません。部分労働が専門機能になりますと、それが一段と改良されるようになります。作業を分割して、単純化し、その単純な行為を不断に反復するようになり、それに注意を集中するようになれば、経験によって、最小の力の支出で所期の目的を達成することができるようになるわけです。しかも世代の異なる労働者が常に同じ作業場で一緒に労働して生活しているのですから、獲得された技術上の手練(コツ)は、やがて固定され、積み重ねられて、世代から世代へ伝達されてゆきます。

    違った観点から同じような問題を論じている『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈家父長制的あるいは手工業的経営では労働者が自己の製品を仕上げるために順々に遂行する、また彼の活動の異なった様式として互いにからみあい時間的に継起して交替するさまざまな作業が、つまり彼の労働が順次に通過しそのたびごとにかたちを変えるさまざまな段階が、いまや自立した作業ないし過程として、相互に引き離され、孤立させられる。このような単純かつ単一な過程のそれぞれが特定の労働者または一定数の労働者たちの専有機能となることによって、この自立性は固定され、人格化される。彼らはこれらの孤立した議機能のもとに包摂される。労働が彼らのあいだに配分されるのではない。彼らがさまざまな過程のあいだに配分されるのであり、それらの過程のそれぞれが--彼らが生産的な労働能力として活動するかぎり--彼らの専有の生活過程となるのである。つまり、生産性の向上と生産過程全体の複雑化、生産過程全体の豊富化は、それぞれの特殊的機能を果たす労働能力を単なる干からびた抽象物--それは永遠に単調な同じ活動として現われる単純な属性で、それと引き替えに、労働者の全体的な生産能力が、彼の素質の多様性が没収されている--に還元するという代償を払ってあがなわれるのである。これらの生きた自動装置(アオトマート)の諸機能として遂行されるこのように分離されたもろもろの過程が、まさにそれらの分離と自立性によ/って、結合〔Kombination〕を許すのであり、これらのさまざまな過程が同一の作業場(アトリエ)で同時に遂行されることを許すのである。分割と結合〔Kombination〕とはそこでは相互に条件づけ合っている。一商品の総生産過程は、いまや一つの組み立てられた作業として、多くの作業の複合として現われ、それらはいずれも、ほかからは独立しつつ互いに補足しあい相互に並んで同時に遂行されうるのである。ここでは、さまざまな過程〔相互的〕補足が、未来から現在に移されており、その結果、商品は、一方で〔その生産が〕開始されるときに、他方では完成されるのである。それと同時に、これらのさまざまな作業は単純な機能に還元されているため熟達した腕まえ〔Virtuosität〕をもって遂行されるから、一般に協業に固有のこの同時性にたいしてさらに労働時間短縮がつけ加わるのであって、労働時間のこの短縮は、同時に補足し合いながら一全体を構成する諸機能のいずれにおいても達成される。その結果、所与の時間内により多くの完全商品が、より多くの商品が完成されるばかりでなく、総じてより多くの完成商品が供給されることになる。この結合によって作業場(アトリエ)は、個々の労働者をそのさまざまな手足とする一つの機構となるのである。〉(草稿集④443-444頁)


◎原注27

【原注27】〈27 「仕事に変化の多い製造工業が分解されて別々の職工に割り当てられるようになればなるほど、必ず同じことがよりよく、より速く、時間や労働のより少ない損失をもって、なされるにちがいない。」(『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、71ページ。)〉(全集第23a巻445頁)

    これは〈それだから、独立手工業に比べれば、より少ない時間でより多くが生産されるのであり、言い換えれば、労働の生産力が高められるのである(27)〉という本文に付けられた原注です。
  〈仕事に変化の多い製造工業〉という部分は引用文なのですが、何のことか分かりません。あまり適切な訳とはいえないのではないでしょうか。初版では〈多様性に富むどんな製造業でも〉となっており、フランス語版も〈一つの製造工業が〉となっています。新日本新書版では〈きわめて多様な製造業が〉(590頁)と訳されており、こちらの方が適訳といえるでしょう。
   『イギリスにとっての東インド貿易の利益』という匿名の著書(草稿集⑨では〔マーティン、ヘンリ〕と著者名らしいものが書かれていますが)からの引用ですが、本文とほぼ同主旨のことが書かれています。『61-63草稿』では同書からの引用がなされている一連の文章がありますので、紹介しておきます。

  〈分業についてのベティの見解を古代人のそれから区別するものは、最初から、分業が生産物の交換価値に、つまり商品としての生産物に及ぼす影響を、すなわち商品の低廉化を見ていることである。
  同じ観点を、もっと明確に、一商品の生産に必要な労働時間の短縮と表現し、一貫して主張しているのは、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、である。
  決定的なことは、どんな商品でも「最少のそして最もやさしい労働」でつくることである。あることが「より少ない労働で」遂行されるならば、「その結果、より低い価格の労働で」遂行されるととになる。こうして商品は安価にされ、その次には、労働時間をその商品の生産に必要な最小限にきりつめることが、競争によって一般的法則となる。/「もし私の隣人がわずかな労働で多くをなすことによって安く売ることができるならば、私もなんとかして彼と同じように安く売るようにしなければならない。」[67ページ]分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ない。」よ[68ページ]〉(草稿集④460-461頁)


◎原注28

【原注28】〈28 「容易な労働は伝承された技能である。」(T・ホジスキン『民衆経済学』、48ページ。)〉(全集第23a巻445頁)

    これは〈ところが、世代の違う労働者たちがいつでも同じ時にいっしょに生活していて同じマニュファクチュアでいっしょに働いているのだから、このようにして獲得された技術上の手練は、やがて固定され、堆積され、伝達されるのである(28)〉という本文に付けられた原注です。ホジスキンの著書からの簡単な一文の引用だけですが、『61-63草稿』では次のように、同じ一文にマルクスの説明が付け加えられています。

  〈世代から世代への熟練〔Geschick〕の伝承はいつでも重要なことである。これは、身分(カスト)制度の場合にものちの同職組合制度の場合にも、決定的な一観点である。「容易な労働は伝承された熟練〔skill〕にほかならない」(トマス・ホジスキン『民衆経済学』、ロンドン、1827年、48ページ)。〉(草稿集④465頁)

    マルクスはホジスキンを高く評価していますが、『資本論辞典』からも紹介しておきましょう。全体は非常に長いものになっていますが、ホジスキンの経済学の内容とそれに対するマルクスの批判を紹介している部分は割愛し、できるだけ簡略化して紹介します。ホジスキンの経済学の内容について興味のある方は『辞典』を直接確認してください。

  ホジスキン Thomas I:Iodgskin (1787-1869) イギリスの社会評論家で,リカード派社会主義者のうちもっとも重要な人物.……ナポレオン験争の後まもなく大陸に渡って各地の社会経済状態を視察し,帰国後はロンドンのの急進的新聞『モーニング・クロニクル』のの議会記者をつとめる一方,当時勃興しつつあった労働運働とも関係をもち,『職工雑誌』の刊行や「職工学校」の成立を計画するなど、主として労働者教育の分野にその努力を傾けた.その間. 1824年の団結禁止法の廃止にさいL,なおも資本擁護の必要が強調されているのにかんがみ,この問題の決定にたいする理論的寄与とLて,翌1825年に『資本の要求にたいする労働の擁護.または資本の不生産性の証明.戦人のあいだの現在の団結に関連して. 一労働者箸』を匿名で世に問い.まt.:l82T年には, 「職工学校」での講義草案をまとめた『民衆経済学,ロンドン職工学校における四つの講義』(ロンドン, 1827年)を公けにした.これらの経済学によって,すでに以前より心にかけていた基本的な問題.すなわち自然法の本質および自然法と実定法との関係についての法律哲学上の問題の研究に着手し,刑法にかんする大著述をまとめようとしたが,ますます多忙な記者生活に追いこまれたため,これを果たすことができなかった.……
  ホジスキンの経済学上の主著は『労働擁護論』であるといってよいが,これはその副題にもあるように,当時の経済学者たちに反対して「資本の不生産性を証明する」ことを目的としたものであった.彼はここでリカードの理論を援用しつつ問題をつぎのように提出する。労働者は労働の全生産物のうち賃銀としてようやく生きるに足るだけのものしか受けとっていない.残余の部分はすべて利潤の名目で資本家の手に入っている.だがなぜ資本家はこのような法外な報酬を獲得するのであるか.資本はこれを獲得するに値するなんらかの効能をもっているのであるか.経済学者たちは資本をもって生産的であるとしているが, しかLそれは果して資本の効能であるかと.……/……
  マルクスは……『資本論』でも例証としてホジスキンの著書から引用している.その主なものを挙げれば,つぎのとおりである.分業論において熟練の伝達,労働者の増加より大きな生産力の増大,部分労働者の生産物は商品とならないことなどについて.また労働を価値の尺度と規定し、商品ではないという彼の指摘,農業における生産期間の長期および労/働期間と生産期間との差が大きいことの説明,監督賃金の平準化,資本蓄積にたいする労働の生産力の制限など,ホジスキンのすぐれた叙述が援用されている.〉(551-553頁)


◎第2パラグラフ(マニュファクチュアは、実際に細部労働者の老練を生みだすのであるが、それは、すでに社会に存在していた職業の自然発生的な分化を作業場のなかで再生産して、それを組織的に極度まで推し進めることによって行なわれる)

【2】〈(イ)マニュファクチュアは、実際に細部労働者の老練を生みだすのであるが、それは、すでに社会に存在していた職業の自然発生的な分化を作業場のなかで再生産して、それを組織的に極度まで推し進めることによって行なわれるのである。(ロ)他方、マニュファクチュアが部分労働をある1人の人間の終生の職業にしてしまうということは、それ以前の諸社会で職業が世襲化され、カスト〔インド的身分制度における身分〕に石化されるか、または、一定の歴史的諸条件がカスト制度に矛盾する個人の変異性を生みだす場合には、同職組合に骨化されるという傾向に対応するも/のである。(ハ)カストも同職組合も、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのであって、ただ、ある発展度に達すればカストの世襲性や同職組合の排他性が社会的法則として制定されるという点が違うだけである(29)。
(ニ)「ダッカのモスリンは優美という点で、コロマンデルの更紗(サラサ)やその他の織物は染色が華麗で耐久的だという点で、けっしておくれをとったことがない。しかも、これらのものは、資本も機械も分業もそのほかヨーロッパの製造業にあのように多くの便益を与えているどんな手段もなしに、生産される。織り手は単独の個人で、顧客の注文に応じて織物をつくり、その用いる織機は最も簡単な構造のもので、多くは粗雑に組み合わされた木の棒でできているだけである。それには縦糸を巻く装置さえもないので、織機は伸びきったままで置かれなければならず、生産者の小屋にはその置き場がないほどぶかっこうで長くなり、そのために生産者の労働は屋外でなされるよりほかはなく、天候の変わるたびに中断されるのである(30)。」
(ホ)この蜘蛛(クモ)のような巧妙さをインド人に与えるものは、ただ代々積み重ねられて父から子へと伝えられる特別な技能だけである。(ヘ)しかし、それにもかかわらず、このようなインドの織り手はマニュファクチュア労働者の多くに比べれば非常に複雑な労働をしているのである。〉(全集第23a巻445-446頁)

  (イ) マニュファクチュアは、実際に細部労働者の老練を生みだすのですが、それは、すでに社会に存在していた職業の自然発生的な分化を作業場のなかで再生産して、それを組織的に極度まで推し進めることによって行なわれるのです。

 このパラグラフもフランス語版の該当する部分を紹介してゆくことにします。

 〈マニュファクチュアは、それが中世の都市で見出したままの手工業の分立を再生産し、これを極端にまで押し進めることによって、細部労働者の技巧を産み出す。〉(江夏・上杉訳352頁)

    マニュファクチュアは部分労働者の老練さを生みだしますが、それは中世の都市で発達した手工業の自然発生的な分化を、作業場のなかで再生産し、さらに分解・分立させて、それを極端にまで押し進めることによって行われるのです。

  (ロ) 他方で、マニュファクチュアが部分労働をある1人の人間の終生の職業にしてしまうということは、それ以前の諸社会で職業が世襲化され、カスト〔インド的身分制度における身分〕に石化されるか、または、一定の歴史的諸条件がカスト制度に矛盾する個人の変異性を生みだす場合には、同職組合に骨化されるという傾向に対応するものです。

    フランス語版です。

  〈他方、部分労働を一人の人間の生涯にわたる専門の天職に変えるというマニュファクチュアの傾向は、古い諸社会の傾向--手工業を世襲化し、これをカストに石化さ/せ、あるいは、特殊な歴史的事情からカスト制度とは両立しない個人の変異性が生じてきたばあいには、さまざまな職業部門をともかくも同職組合に骨化させる傾向--に照応している。〉(江夏・上杉訳352-354頁)

    他方で、マニュファクチュアの作業場内では、諸作業を分割し単純化した部分労働に部分労働者を一生涯つかせ、彼の専門職にするというやり方は、古い諸社会において、さまざまな職業を世襲化して、特殊な歴史的事情からそれをカスト制度にするのと同じといえます。あるいは個人の変異がカスト制度と両立しなくなった段階では、さまざまな職業部門を同書組合に骨化させるのにも対応しています。

  (ハ) カストも同職組合も、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのです。ただ、ある発展度に達すればカストの世襲性や同職組合の排他性が社会的法則として制定されるという点が違うだけです。

  〈これらのカストとこれらの同職組合は、動植物の種や変種への分化を規制するのと同じ自然法則にしたがって形成されるのであるが、ちがうところは、ある発展度に達してしまうと、カストの世襲や同職組合の排他性が社会法則として制定される、ということである(4)。〉(江夏・上杉訳353頁)

    このようなカストも同職組合も、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのですが、違うところはカストの世襲や同職組合の排他性は、ある発展度では社会法則として規制されるというところです。
    このようにここではマルクスは都市における手工業がカスト制度や同職組合になるのは、動植物の種や亜種への分化と同じ自然法則によるものであるかに述べています。しかし果たしてそれは正しいのでしょうか。もちろん社会も自然のなかにあるという意味では、社会の諸法則も自然法則といえなくもありません。確かに社会の諸法則の基底には自然法則があります。人間が労働によって自然に働きかけてその物質代謝を行うのも一つの自然法則といえます。ただカスト制度や同職組合において労働が分化されて組織され骨化されるというのが動植物が種や亜種に分化すると同じ自然法則だといわれるとなかなかすんなりとは首肯できません。よく分かりませんが……。
    こうしたマルクスの理解の背景にある問題意識を語っていると思われるものが『61-63草稿』にありますので、紹介しておきます。

 〈ダーウィンは、いっさいの有機体、植物および動物における遺伝による「蓄積」をそれらの形成の推進原理とするのであり、したがっていろいろな有機体そのものは、「堆積」によって形成されるのであり、それらは、ただ、生きている主体の「諸創作物」、漸次に堆積した諸創作物でしかない、とするのである。しかし、これが生産にとっての唯一の先行条件なのではない。動物や植物にあってはそれは動植物にとって外的な自然であり、したがって無機的な自然でもあれば他の動植物にたいする関係でもある。社会のなかで生産を行なう人間もまた、変形された自然を(またことに彼自身の活動の機関に転化した自然的なものを)、そして生産者たち相互の一定の諸関係を、既存のものとして見いだすのである。〉(草稿集⑦369頁)

  (ニ) 「ダッカのモスリンは優美という点で、コロマンデルの更紗(サラサ)やその他の織物は染色が華麗で耐久的だという点で、けっしておくれをとったことがない。しかも、これらのものは、資本も機械も分業もそのほかヨーロッパの製造業にあのように多くの便益を与えているどんな手段もなしに、生産される。織り手は単独の個人で、顧客の注文に応じて織物をつくり、その用いる織機は最も簡単な構造のもので、多くは粗雑に組み合わされた木の棒でできているだけである。それには縦糸を巻く装置さえもないので、織機は伸びきったままで置かれなければならず、生産者の小屋にはその置き場がないほどぶかっこうで長くなり、そのために生産者の労働は屋外でなされるよりほかはなく、天候の変わるたびに中断されるのである。」

    これはフランス語版では別のパラグラフになっていますが、引用だけですので、紹介は不要でしょう。

    これはインドのダッカやコロマンデル(インド南東の沿岸地域)の手工業の作品であるモスリンや更紗などは他にひけをとらないほど優秀なものであるが、しかしそれらは資本も機械も分業もなしに、個人によって原始的な織機で織られているということが報告されています。
    これはつまり個人が最初から最後まで一人で生産するという点では、作業の分割や単純化というマニュファクチュアにおける分業とはある意味では対局にあるようなものですが、ただそれらの作業も世代から世代へと伝えられた技を伝承して蓄積されたものだという点では、マニュファクチュアにおける細部労働者の熟練の技とその伝承と同じ意味を持っていると言いたいのではないかと思います。

  (ホ)(ヘ) この蜘蛛(クモ)のような巧妙さをインド人に与えるものは、ただ代々積み重ねられて父から子へと伝えられる特別な技能だけです。しかし、それにもかかわらず、このようなインドの織り手はマニュファクチュア労働者の多くに比べれば非常に複雑な労働を一人でしているのです。

  〈蜘蛛にたいしてと同じようにインド人にたいしてもこの技巧を賦与するものは、代々積み重ねられ父から息子への相続によって伝えられる独特な資質にほかならない。インドの織工の労働はそれでも、マニュファクチュア労働者の労働に比べれば非常に複雑である。〉(江夏・上杉訳354頁)〉

    このような優美な織物を生産する技巧は、代々積み重ねられてきたものにほかなりません。しかもインドの織工たちの労働、マニュファクチュアの部分労働者の細部労働に比べれば非常に複雑なものなのです。
    ここでもマルクスは〈蜘蛛(クモ)のような巧妙さ〉と対比させて書いていますが、しかし蜘蛛の巧妙さは本能によるものですが、織匠の技は伝承の積み重ねと訓練によるものです。

  『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈A・スミスは、またそのさきで分業のこの二つの形態をごっちゃにする。すなわち、同じ第一巻第一章には、さらに次のように書かれている。「どんな技術(アール)においても、分業は、それが導入されうるかぎり、労働の生産諸力の比例的増大をもたらす。さまざまの職業や仕事の分化を生みだしたものは、この利益であるように思われる。そのうえこの分化は、一般に最高度の進歩と産業とを享受している国々で最も進んでいるのであって、まだ未開状態にある社会ではただ一人の仕事であるものも、より進んだ社会では数人の仕事になるのである」[同前、15ページ〔邦訳、前出、70-71ページ〕]。A・スミスは、分業の利益を列挙している次の箇所では、あからさまに量的な観点を、すなわち一商品の生産に必要な労働時間の短縮を、唯一の観点として強調している。「分業の結果として、同人数の人々のなしうる仕事の量がこのように大増加するのは、三つの異なる事情に由来する」(第一巻第一章、[18ページ〔邦訳、72ページ〕])。さらに詳しく言えば、彼によると、これらの利益は、第一に、労働者が彼の一面的な部門で身につける腕まえ〔Virtuosität〕からなっている。「第一に、職人の技巧〔dextérité〕の高まりは、そのなしうる仕事の量を必然的に増加させるのであって、分業は、各人の仕事をある非常に単純な作業に還元することにより、しかもこの作業を彼の一生の唯一の仕事とすることによって、必然的に、いちじるしく高い技巧を彼に得させるのである」[同前、19ページ〔邦訳、73ページ〕]。( つまり、仕事を敏速に行なうこと。)〉(草稿集④435頁)


   ((3)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(3)

2024-08-30 17:53:40 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(3)


◎原注29

【原注29】〈29 「技術も……エジプトではかなりの完成度に達した。というのは、ただこの国だけでは手工業者は他の市民階級の仕事に手をだすことはけっして許されず、法律によって彼らの部族の世襲とされている職業に従事することしかできないからである。……他の諸国民の場合には、産業従事者たちがあまりにも多くの対象に彼らの注意を分散しているのが見られる。……彼らは、ときには耕作をやり、ときには商業に従事し、ときには同時に二つも三つもの技芸に携わっている。自由国家では彼らはたいてい人民集会に出かけてゆく。……ところが、エジプトでは、どの手工業者も、国事に介入したり一時にいくつもの技芸を営んだりすれば、重罰を加えられる。したがって、なにごとも彼らの職業上の勤勉を妨げることはできない。……そのう/えに、彼らは祖先から多くの規準を伝えられているので、さらに新しい便益を発見しようと熱心に考えている。」(ディオドロス・シクルス〔シチリアのディオドロス〕『歴史文庫』、第1冊、第74章。)〉(全集第23a巻446-447頁)

    これは〈カストも同職組合も、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのであって、ただ、ある発展度に達すればカストの世襲性や同職組合の排他性が社会的法則として制定されるという点が違うだけである(29)〉という本文に付けられた原注です。
    これはディオドロスの『歴史文庫』からの引用ですが、エジプトでは手工業者は法律によって、部族の世襲とされ、他の職業をやることを禁じられていたことが指摘されています。つまり〈ある発展度に達すればカストの世襲性や同職組合の排他性が社会的法則として制定される〉ということを論証している例としていえます。『61-63草稿』でもほぼ同じ引用がありますが、紹介は略します(付属資料を参照)。
    ディオドロスの『歴史文庫』からの引用はこれまでにも何回かありましたが、第5節でも分業に関連してでてきます。


◎原注30

【原注30】〈30 『英領インドに関する歴史的・描写的報告』、ヒュー・マリ、ジェームズ・ウィルソン等執筆、エディンバラ、1832年、第2巻、449、450ページ。インドの織機は直立式である。すなわち、縦糸が垂直に張ってある。〉(全集第23a巻447頁)

    これは本文に引用されていたインドのダッカとコロマンデルの織物業についての報告文の典拠を示すものです。またこれらの織機では縦糸が垂直に張ってあるという補足が付いています。中近東などにおける絨毯織りにおいてもそうした織り方をしているのを何らかの映像でみた記憶があります。
    マルクスが紹介している文献の詳しい内容は分かりませんでした。執筆者の〈ヒュー・マリ〉はよく分かりませんが、〈ジェームズ・ウィルソン〉については第7章の第3節にでてきました。そのときにも紹介しましたが、彼は『エコノミスト』を創刊した〈経済学上の主要な大立物の一人である〉(新日本新書版)とされています。『資本論辞典』から紹介しておきましょう。

  ウィルスン James Wilson(1805-1860)イギリスの政治家・経済学者. 1824年から1844年までロンドンで実業に従事し.1843年週刊経済雑誌『エコノミスト』を創刊,自由貿易主義を鼓吹した。1847年と1852年,ヴィルトシァ州のウェストベリから下院議員に出で. 1848年から1852年までインド監督委員会委員長. 1853年から1858年まで大蔵次官. 1857年から1859年までデヴォンシァ州選出の下院議員. 1859年商務次官および支払総監となり,同年インド参事会財政委員となり,インドに赴任し.インドの財政制度の改革に貢献,カルカッタに死す.……主著は『資本、通貨、銀行』(1847)などがある。これは書名にもあるように,彼の主宰する『エコノミスト』』に連載した論文を集めたもので, 1844年のピール銀行法および1847年恐慌に先行する諸問題を扱っている.
  ウィルソンは経済政策上では自由貿易主義を推進し,穀物法廃止を提唱したが,貨幣信用論の上ではトゥックやフラートンらとともに,「銀行主義」の立場に立った.『資本論』では,銀行主義者としてのウィルソンはとくにとり上げられておらず,第3巻第5篇第28章の冒頭で,銀行主義者による流通手段と資本との区別は,所得の貨幣形態と資本の貨幣形態との区別を見あやまったものである.と批判されているところでは,トゥックとフラートンがとり上げられ,ウィル見Yは彼らと同じ立場に立つものとして,名前が挙げられているに止まる.……(以下、略)〉(472-473頁)

    この紹介でもありますように、ウィルソンは〈インド参事会財政委員となり,インドに赴任し.インドの財政制度の改革に貢献,カルカッタに死す〉ということですから、〈『英領インドに関する歴史的・描写的報告』〉に執筆していたことは十分納得できます。


◎第3パラグラフ(労働者が1日じゅう同じ一つの作業を続けて行なうようになれば、労働の間にあるすきまは圧縮されるか、または彼の作業の転換が少なくなるにしたがってなくなってゆく。生産性の上昇は、この場合には、与えられた時間内の労働力の支出の増加、つまり労働の強度の増大のおかげか、または労働力の不生産的消費の減少のおかげである)

【3】〈(イ)ある一つの製品を生産するさいのいろいろな部分過程を1人で次々にやってゆく手工業者は、場所を取り替えたり用具を取り替えたりしなければならない。(ロ)ある一つの作業から他の作業に移ることは、彼の労働の流れを中断し、いわば彼の労働日のなかのすきまをなしている。(ハ)彼が1日じゅう同じ一つの作業を続けて行なうようになれば、これらのすきまは圧縮されるか、または彼の作業の転換が少なくなるにしたがってなくなってゆく。(ニ)生産性の上昇は、この場合には、与えられた時間内の労働力の支出の増加、つまり労働の強度の増大のおかげか、または労働力の不生産的消費の減少のおかげである。(ホ)すなわち、静止から運動に移るたびに必要になる余分な力の消耗が、ひとたび到達した標準速度の持続が長くなることによって補われるのである。(ヘ)しかし、他面では一様な労働の連続は活気の緊張力や高揚力を破壊するのであって、この活気は動作の転換そのもののうちにその回復と刺激とを見いだすのである。〉(全集第23a巻447頁)

  (イ)(ロ) ある一つの製品を生産するさいのいろいろな部分過程を1人で次々にやってゆく手工業者は、場所を取り替えたり用具を取り替えたりしなければなりません。ある一つの作業から他の作業に移ることは、彼の労働の流れを中断し、いわば彼の労働日のなかのすきまをなしています。

    中世の手工業者を考えますと、ある一つの製品を作るさいに、彼は一人でいろいろな作業を次々にやって行きますが、そのためには場所を取り替えたり道具を取り替えたりしなければなりません。またある作業から別の作業に移るためには、そのたびに彼の労働のながれを中断させます。つまり彼の労働日のなかにはこうした隙間が多くの存在することになるわけです。

  (ハ)(ニ)(ホ) 彼が1日じゅう同じ一つの作業を続けて行なうようになりますと、これらのすきまは圧縮されるか、または彼の作業の転換が少なくなるにしたがってなくなってゆきます。生産性の上昇は、この場合には、与えられた時間内の労働力の支出の増加、つまり労働の強度の増大のおかげか、または労働力の不生産的消費の減少のおかげです。すなわち、静止から運動に移るたびに必要になる余分な力の消耗が、ひとたび到達した標準速度の持続が長くなることによって補われるからです。

    こうした手工業者の労働のあいだにある隙間は、手工業者を一つの作業場に集めて、協同して作業をさせるだけでも少なくなります。一人の部分労働者はもはやあれこれと作業を取り替える必要はなく、そればかりか彼は同じ作業をただ続けて行うことを強いられます。そうすれば彼の労働圧縮され、その隙間は少なくなりやがて消失します。だからこの場合の生産性の上昇は、与えられた時間内における労働力の支出の増大、労働の強度の増大のおかげか、労働力の不生産的消費の減少から生じます。制止から運動に移るたびに必要になる余分な力の消耗がなくなれば、それだけ到達した一定の速度でながく動くことができるわけです。
    ただ佐々木隆治『マルクス資本論』(角川選書)には次のような説明があります。重要な指摘ですので、紹介しておきましょう。

  〈労働の強度とは、労働の密度のことであり、労働者がより速いスピードで作業を行うことによって高めることができるものです。これにたいし、生産力は労働者の側の努力によっては高めることはできません。生産力はある一定の労働量にたいしてどれだけの生産物が生産されるかを表す概念ですから、労働者の側が労働の密度を高めて、ある一定時間により多くの生産物を作り出したとしても、その一定時間内にはそのぶん多くの労働量が支出されていることになり、生産力は変化しないということになります。生産力が上昇したといえるのは、同じ労働量、すなわち同じ労働の強度で同じ時間働いたとしても、以前よりも多くの生産物を生産することができる場合であり、このような生産力の上昇を実現す/るには、これまでみてきたような協業や分業、さらには次章でみるような機械の導入などが必要となります。
  このように、生産力の上昇と労働強度の上昇は、概念的にはまったく別のものですが、資本主義的生産においては、この両者は絡み合っており、生産力の上昇にともなって労働の強度が上昇することが少なくありません。〉(343-344頁)

  『61-63草稿』ではスミスの次のような一文を紹介しています。

  第二に、一つの労働から他の労働に移るさいに失われる時間の節約。そのさいには「場所の変更」と「異なる用具」とが必要とされる。「この二つの仕事が同じ仕事場に置かれることができれば、時間の損失は疑いもなくはるかに少ない。それにしてもこの場合でさえ、その損失は無視できないものである。人間というものは、ある仕事から別の仕事へその手をきりかえる場合、いくぶんかはぶらぶらするのがふつうである」[同前、20-21ページ〔邦訳、74ページ〕]。〉(草稿集④436頁)

  (ヘ) しかし、他面では、一様な労働の連続は活気の緊張力や高揚力を破壊するのであって、この活気は動作の転換そのもののうちにその回復と刺激とを見いだすのです。

    こうした利点がある反面、同じ仕事の連続は活気や緊張力や高揚感を失わせるという欠点もあります。こうしたものはむしろ動作の転換のなかに、その回復や刺激を見いだすのだからです。


◎第4パラグラフ(一つの労働過程の作業の分化は労働用具の専門化を生みだし、このような分化と専門化とがマニュファクチュアを特徴づける)

【4】〈(イ)労働の生産性は、労働者の伎倆にかかっているだけではなく、彼の道具の完全さにもかかっている。(ロ)たとえば切る道具とか穴をあける道具とか突く道具とか打つ道具とかいうような同種の道具がいろいろな労働過程で使用されるし、また同じ労働過程でも同じ道具がいろいろな作業に役だつ。(ハ)ところが、一つの労働過程のいろいろな作業が互いに分離されて、それぞれの部分作業が部分労働者の手のなかでできるだけ適当な、したがって専有的な形態をとるようになれば、以前にはいろいろな目的に役だっていた道具の変化が必然的になる。(ニ)道具の変化の方向は、変化していない形態によってひき起こされる特殊な困難の経験から生まれてくる。(ホ)労働用具の分化によって、同種の/諸道具にそれぞれの特殊な用途のための特殊な固定的な形態が与えられ、また労働用具の専門化によって、このような特殊な用具はそれぞれ専門の部分労働者の手によってのみ十分な範囲で作用するようになるのであるが、このような分化と専門化とがマニュファクチュアを特徴づけるのである。(ヘ)バーミンガムだけでも約500種のハンマーが生産され、そのおのおのが一つの特殊な生産過程だけで役だち、さらにいくつかの種類はしばしば同じ過程のなかの違った作業にしか役だたない。(ト)マニュファクチュア時代は、労働用具を部分労働者の専有な特殊機能に適合させることによって、労働用具を単純化し改良し多種類にする(31)。(チ)それと同時に、この時代は、単純な諸道具の結合から成り立つ機械の物質的諸条件の一つをつくりだすのである。〉(全集第23a巻447-448頁)

  (イ)(ロ) 労働の生産性は、労働者の伎倆にかかっているだけではなくて、彼の道具の完全さにもかかっています。たとえば切る道具とか穴をあける道具とか突く道具とか打つ道具とかいうような同種の道具がいろいろな労働過程で使用されますし、また同じ労働過程でも同じ道具がいろいろな作業に役だちます。

    このパラグラフもフランス語版の該当する部分を紹介していくことにします。

  〈労働の生産性はたんに労働者の技巧に依存するばかりでなく、さらに彼の道具の完全さにも依存する。穴をあける、切る、突き通す、打つなどに役立つ道具のような同種の道具が、種々の労働過程で使用されるし、また同じように、ただ一つの道具が同じ労働過程でさまざまの作業に役立つこともある。〉(江夏・上杉訳354頁)

    マニュファクチュアにおける労働は依然として手工業の域を出ていないと言いましたが、こうした手工業としての労働における生産性は、労働者の熟練や技量にかかっていますが、同時に彼の使う道具の善し悪し、その完成度の高さにも左右されます。手工業者が使う道具は切るとか、穴をあけるとか、突くとか、打つといったさまざまな労働過程で、それにあったいろいろな道具が使われますが、同じ労働過程でも同じ一つの道具がいろいろな作業に使われることもあります。

  (ハ)(ニ) ところが、一つの労働過程のいろいろな作業が互いに分離されて、それぞれの部分作業が部分労働者の手のなかでできるだけ適当な、したがって専有的な形態をとるようになりますと、以前にはいろいろな目的に役だっていた道具にも変化が必然的になります。道具の変化の方向は、変化していない形態によってひき起こされる特殊な困難の経験から生まれてきます。

  フランス語版です。

  〈だが、ある労働過程の種々の作業が互いに引き離され、個々の部分作業が部分労働者の手中で、最も適した、それゆえに専門の形態を獲得するやいなや、以前には種々の目的に役立っていた道具を変えることが必要になる。道具の元の形態が部分労働にとって障害となった経験から、どう変更すべきかの方向が示される。〉(同前)

    しかし分業によって、一つの労働過程がさまざまな作業に分割され、互いに分離されて、それぞれの部分作業を部分労働者の専有の仕事となりますと、以前にはさまざまな目的に役立っていた道具にも必然的に変化が生じてきます。彼は同じ作業を繰り返し行うことによって、それに熟達すると同時にそれに固有の専用の道具を工夫し変化させて完成させます。こうした道具の変化は、それが変化していないために部分労働に適合せず、そのために生じてくる困難の経験からどの方向へ変化すべきかが明かになります。

  (ホ)(ヘ) 労働用具の分化によって、同種の諸道具にそれぞれの特殊な用途のための特殊な固定的な形態が与えられます。また労働用具の専門化によって、このような特殊な用具はそれぞれ専門の部分労働者の手によってのみ十分な範囲で作用するようになるのです。このような分化と専門化とがマニュファクチュアを特徴づけるのです。例えばバーミンガムだけでも約500種のハンマーが生産され、そのおのおのが一つの特殊な生産過程だけで役だち、さらにいくつかの種類はしばしば同じ過程のなかの違った作業にしか役だたないというのです。

  フランス語版です。

  〈同種の道具はこのばあい、その共通の形態を失う。これらの道具はますます種々の種類に細分されるのであって、そのおのおのの種類が単一の用途のたあの固定した形態をもち、ある専門の労働者の手の/なかでしか役立つことができないのである。労働用具のこうした分化と専門化がマニュファクチュアを特徴づける。バーミンガムではおよそ500種のハンマーが生産されるが、そのおのおのはただ一つの特殊な生産過程にだけ役立ち、これら500種の大多数は同じ生産過程のそれぞれにちがった諸作業にしか役立たない。〉(江夏・上杉訳354-355頁)

    こうして同じ種類の道具でも、それぞれの専門によって変化させられますと、共通の形態そのものを失うことになります。道具は作業の専門化に応じてさらに細分されていくことになります。そしてそれぞれが単一の作業だけに役立つようなある固定した形態をもち、そうした専門化された労働者の手の中でしか役立たないようになるのです。
    このような労働用具の分化と専門化がマニュファクチュアを特徴づけるのです。
    バーミンガムではおよそ500種類のハンマーが生産されますが、その一つ一つはある特殊な生産過程でしか役立たず、だから500種類のハンマーのほとんどはそれぞれに違った諸作業にしか役立たないのです。

  (ト)(チ) マニュファクチュア時代は、労働用具を部分労働者の専有な特殊機能に適合させることによって、労働用具を単純化し改良し多種類にします。そのことは同時に、この時代は、単純な諸道具の結合から成り立つ機械の物質的諸条件の一つをつくりだすのです。

  〈マニュファクチュア時代は、部分労働者のばらばらな専門機能に労働用具を適応させることによって、労働用具を単純にし、改良し、ふやすのである(6)。まさにこうすることによって、マニュファクチュア時代は、単純な道具の結合から成り立つ機械の使用の物的諸条件の一つを、作り出す。〉(江夏・上杉訳355頁)

    このようにマニュファクチュア時代において、労働用具が部分労働者の専有の道具として細分され、単純化され、改良され、そしてその種類を増やしていきます。さまにこうしたことによって、マニュファクチュア時代は、単純な道具の結合から成り立つ機械の使用の物的諸条件の一つを作り出すのです。

  同じ問題を論じている『61-63草稿』から紹介してきます。

 〈(2)労働用具の集積〔Konzentration〕。
  分業の結果労働手段として役立つ諸用具は分化されそれとともにまた簡単化される。したがってまた、これらの用具は完成される。しかし分業のもとでは、労働手段は依然として労働用具にとどまっている、つまり個々の労働者の個人的な腕まえ〔Virtuosität〕に依拠して使用される用具、労働者自身の技能〔Geschicklichkeit〕の伝導体、事実上彼の自然的器官に付け加えられた人工的器官、にとどまるのである。一定数の労働者に必要とされるのは、より多量の用具ではなくて、より多様な用具である。作業場が労働者の集合〔Konglomeration〕であるかぎり、作業場は、同じく用具の集聚〔Agglomeration〕を前提とする。……〉(草稿集④475頁)
  〈分業がもたらす主要な結果の一つは、たとえば切る道具、/穴をあける道具、砕く道具など、同種の用途にあてられる用具あるいは道具を分化・専門化・簡単化することである。たとえば、ナイフであるが、その特殊なそれぞれの使用法にたいして、その特定の目的に合致した、かつ一つのそのような特殊な目的にだけ合致した形態がそれに与えられるとき、ナイフが取るかぎりなく多様な形態をみるがよい! 同じ労働が--むしろ一定の生産物、一つの特殊な商品を生産するのに競ういろいろな労働が分割されるときには、労働の遂行の容易さは、以前にはいろいろな仕事に役立っていた用具に一定の変形が加えられることにかかっていることがすぐさま明らかになる。どういう方向に変化しなければならないかは、経験と、変化していない形態が出会う場合の特殊な困難とから明らかになる。それゆえ、労働手段のこのような分化・専門化・簡単化は、分業そのものといっしょに自然成長的に生じるのであって、力学などの諸法則の先験的な理解を必要とするわけではない。ダーウィンは上で見るように、同じことを生物の諸器官における専門化と分化について記しているのである。
  分化--もろもろの形態の差異とこれらの形態の固定。専門化というのは、特殊な用途にのみ役立つ用具がそれ自身も分化した労働の手のなかでのみ効果的である、ということ。両者とも、用具の簡単化を含んでおり、それらの用具は一つの単純で一様な作業の手段に役立つだけである。
  分業にもとづくマニュファクチュアにおいて分業がもたらす労働用具の分化・専門化・簡単化--労働用具の非常に単純な諸作業への排他的適応--は、生産様式と生産諸関係を変革する一つの要因としての機械(マシネリー)が発展するための、技術的、物質的諸前提の一つである。〉(草稿集⑨35-36頁)
 〈用具の専門化と分化の実例
  「バーミンガムでつ〈られているハンマーは、それぞれなんらかの特殊な仕事に適合させられていて、その種類は3OOをくだらぬといわれている。」〉(草稿集⑨75頁)


◎原注31

【原注31】〈31 ダーウィンは彼の画期的な著作『種の起源』のなかで動植物の自然的器官について次のように述べている。「同じ一つの器官がいろいろな働きをしなければならないあいだは、その可変性の一原因は、おそらく次のことに見いだされるであろう。すなわち、この場合には自然淘汰が一つ一つの形態上の小変異を保存または抑圧することが、同じ器官がただ一つの特殊目的だけに向けられている場合ほどには念入りでないということがそれである。たとえば、いろいろなものを切るためのナイフは、かなり一様な形態のものであってよいが、一種の用途だけに向けられている道具は、別の用途のためにはそれぞれまた別の形態をもたなければならない。」〔創元文庫版、内山・石田訳、上、208ページ。〕〉(全集第23a巻448頁)

    これは〈マニュファクチュア時代は、労働用具を部分労働者の専有な特殊機能に適合させることによって、労働用具を単純化し改良し多種類にする(31)〉という本文に付けられた原注です。
    ダーウィンの『種の起源』から引用されています。ダーウィンは、生物の一つの器官(例えば小鳥の嘴など)について、それがいろいろな働きをしている場合には、それほど大きな変化はないが、ある特殊な目的だけに向けられている場合は、自然淘汰の法則が強く働き、その形態上の変化を引き起こす(例えば特定の花の蜜しか吸わないハチ鳥の嘴のように)と述べ、その例として、社会におけるナイフを持ち出しています。つまりナイフもいろいろな用途に使われている場合は、その形状はそれほど変化はないが、ある特殊な目的に使われるようになると、それに固有の形態が与えられ、もはやその形態では別の用途に役立たないようになると述べているわけです。マルクスは分業によって用具の分化と特殊化が行われると、ダーウィンの指摘したことが当てはまると考えているわけです。

    新日本新書版では『種の起源』の一文に次のような訳者注が付いています。

  〈「一つの用途」以下の文章は、原文では、「ある一定の目的のための道具は、ある一定の形をしていなければならないのと同じである」となっている〉(594頁)

  先に『61-63草稿』の草稿集⑨から抜粋しましたが、そこでは〈ダーウィンは上で見るように、同じことを生物の諸器官における専門化と分化について記しているのである〉と述べています。実は、先に紹介した一文の前に次のようなダーウィンからの抜粋があるのです。MEGAの注解も含めて紹介しておきます。

  〈「私は、〔動植物の〕低級な組織とは、いろいろな特殊機能のために諸器官が分化している度合いが低いことである、と理解している。というのは、同じ器官がただ一つの特殊な目的に向けられている場合にくらべ、ひとつの同じ器官がいろいろな仕事をしなければならないかぎり、自然淘汰が形態のどのような小さな偏差をもそれほど綿密に保持したり、抑えたりしない、という点に器官の変異しやすきの一原因が見いだされるからである。同様に、いろいろな種類のものを切るためのナイフは、たいていはほぼ一様な形態であってよいが、一種類の用途にだけ向けられる道具は、用途が違えばそれぞれ別の形態をもっていなければならないのである。」(ダーウィン。)
  ①〔注解〕チャールズ・ダーウィン『自然淘汰による種の起源……』、ロンドン、186O年、149ページ。
  「私は、この場合の低級さは、組織のいくつかの諸器官が特殊機能のためにすこししか分化していないことを意味する、と理解している。同じ器官がさまざまな働きを行なっているかぎり、それが変異しやすいのはなぜか、すなわち一つの特殊な目的だけに向けられている場合よりも、自然淘汰が形態のどのような小さな偏差をもそれはど綿密に保持したり、抑えたりしないのはなぜなのかは、たぶん理解することができよう。同様に、いろいろな種類のものを切るためのナイフは、ほとんど任意の形態であってよいが、ある特殊な目的のための道具は、なんらかの特殊な形態をもつべきである。けっして忘れてならないことは、自然淘汰は、それぞれの生物の各部分にたいしてただそれが有益であることを通して、それが有益であるようにのみ作用することができる、ということである。」〉(草稿集⑨35頁)


◎第5パラグラフ(マニュファクチュアの単純な諸要素をなす細部労働者とその道具からニュファクチュアの全体の姿への視点の転換)

【5】〈(イ)細部労働者とその道具とは、マニュファクチュアの単純な諸要素をなすものである。(ロ)そこで今度はマニュファクチュアの全体の姿に目を向けることにしよう。〉(全集第23a巻448頁)

  (イ)(ロ) これまで検討してきました細部労働者とその道具とは、マニュファクチュアの単純な諸要素をなすものです。そこで今度はマニュファクチュアの全体の姿に目を向けることにしましょう。

    これは「第2節 部分労働者とその道具」から「第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態--異種マニュファクチュアと有機的マニュファクチュア」への移行を述べているだけのパラグラフです。ただしその場合の視点として、第2節ではマニュファクチュアの単純な諸要素に目を向けていましたが、第3節ではマニュファクチュアの全体の姿に目を向けるのだとしています。


   ((4)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(4)

2024-08-30 17:29:37 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(4)


   第3節  マニュファクチュアの二つの基本形態--異種的マニュファクチュアと有機的マニュファクチュア

 

◎第1パラグラフ(マニュファクチュアの編制には二つの基本形態がある。この二つの基本形態を規定する二重性は製品そのものの性質から生じる。製品のなかには、独立の部分生産物を単に機械的な組み立てによってつくられるものもあれば、相互に関連のある一連の諸過程や諸操作によってその完成姿態を与えられるものもある)

【1】〈(イ)マニュファクチュアの編制には二つの基本形態があって、それらは、ときにはからみ合っていることもあるとはいえ、本質的に違う二つの種類をなしており、またことにマニュファクチュアがのちに機械経営の大工業に転化するときにも、まったく違った役割を演じている。(ロ)この二重性は製品そのものの性質から生ずる。(ハ)製品は、独立の部分生産物の単に機械的な組み立てによってつくられるか、または相互に関連のある一連の諸過程や諸操作によってその完成姿態を与えられるかのどちらかである。〉(全集第23a巻449頁)

  (イ) マニュファクチュアの編制には二つの基本形態があります。それらは、ときにはからみ合っていることもありますが、本質的に異なる二つの種類をなしております。さらにマニュファクチュアがのちに機械経営の大工業に転化するときに、それらはまったく違った役割を演じるのです。

    先に私たちはマニュファクチュアは二重の仕方で発生することを知りました。しかしその二重の仕方で発生したマニュファクチュアは、〈その特殊な出発点がどれであろうと、その最終の姿は同じもの、すなわち、人間をその諸器官とする一つの生産機構である〉ということでした。しかし今度は、そのマニュファクチュアの編制には二つの基本形態があるというのです。ときにはからみあっているものもありますが、本質的に異なる種類をなしていると述べています。そしてこの二つの本質的に異なる編制はマニュファクチュアがのちに機械制大工業に転化するときに、まったく違った役割を演ずるのだというのですから重要です。

 (ロ)(ハ) この二つの基本形態を規定する二重性は製品そのものの性質から生じます。製品のなかには、独立の部分生産物を単に機械的な組み立てによってつくられるものもあれば、相互に関連のある一連の諸過程や諸操作によってその完成姿態を与えられるものもあります。

  こうしたマニュファクチュアの編制の二つの基本形態を規定する二重性は、マニュファクチュアが生産する製品そのものの性質から生じてくるというのです。つまり製品のなかには、さまざまな独立した部分生産物を単に機械的に組み立てることによって完成品にするものもあれば、相互に関連している一連の生産過程や諸操作を経過して完成したものになるものもあるというのです。この製品の異なる二重の性質からマニュファクチュアの編制そのものの二重の形態が生じてくるというのです。

  このマニュファクチュアの二つの基本形態は、マニュファクチュアの二重の起源と何らかの関連があるのかないのか、マルクスは何も指摘していませんが、二つの基本形態はその生産され製品の性格から生じてくると述べています。「二重の起源」も例えば馬車マニュファクチュアと製針マニュファクチュアというのは、やはりその製品に原因があるように思えます。馬車の場合は独立の部分生産物が単に機械的に組み立てられて完成品になり、
針の場合はさまざまな一連の生産工程を通じて加えられる操作によって完成品になるわけですから、これはマニュファクチュアの二つの基本形態とある意味同じような気がするわけです。しかしマルクス自身はマニュファクチュアの二重の起源とその二つの基本形態との関連については何も述べていません。


◎第2パラグラフ(独立の部分生産物を単に機械的な組み立てによってつくられる一例としての時計生産)

【2】〈(イ)たとえば、1両の機関車は5千以上の独立部分から成っている。(ロ)とはいえ、それは大工業の産物だから、本来のマニュファクチュアの第一の種類の実例とは認められない。(ハ)しかし、時計ならばその実例になるのであって、ウィリアム・ペティも時計によってマニュファクチュア的分業を例解している。(ニ)時計は、ニュルンベルクの一手工業者の個人的製品から、次にあげるような無数の部分労働者の社会的生産物に転化した。(ホ)地板工、ぜんまい製造工、文字板製造工、天府ぜんまい製造工、穴石・紅玉爪石製造工、指針製造工、側(ガワ)製造工、ねじ製造工、メッキ工、これらに付属する多くの小区分、たとえば、歯車製造工(さらに真鍮輪と鋼輪とに分かれる)、かな製造工、日の裏装置工、acheverur de pignon〔かな製造工〕(歯車をかなにとりつけたり切子を磨いたりする)、ほぞ製造工、plan teur de finissage〔仕上工〕(いろいろな歯車やかなを組み入れる)、fnisseur de barillet〔香函仕上工〕(歯を刻み、/穴を適当な大きさにし、調整輪や制逆輪を固める)、整動装置製造工、シリンダー整動の場合にはさらにシリンダー製造工、整動輪製造工、天府輪製造工、緩急針(時計を調節する装置) 製造工、planteur d'échappement〔整動機製造工〕(本来の整動装置製造工)。(ヘ)次にはrepasseur de barillet〔香函製造工〕(香函と調整輪を仕上げる)・鋼磨き工、歯車磨き工、ねじ磨き工、文字工、焼干支(ヤキエト)工(銅にエナメルをかける)、fabricant de pendants〔竜頭製造工〕(側の竜頭環だけをつくる)、finisseur de chariére〔蝶つがい仕上工〕(側の蝶つがいに真鍮軸を入れるなどする)、faiseur de secret〔側ばね工〕(側の蓋(フタ)あけばねをつくる)、彫刻工、細刻工、側磨き工、等々、最後に、時計全体を組み立てて動くようにして引き渡す仕上げ検査工。(ト)時計の部分のうちで違った手を経るものはわずかばかりで、すべてこれらのばらばらな四肢〔membra disjecta〕は、最後にそれらを一つの機械的な全体に結合する手のなかではじめていっしょになるのである。(チ)このような、そのいろいろな種類の要素にたいする完成生産物の外的な関係は、この場合には、類似の製品の場合と同様に、同じ作業場での部分労働者の結合を偶然的なものにする。(リ)部分労働は、それら自身また、ヴォー州やヌシャテル州でのように、互いに独立した手工業としても営まれうるのであるが、他方、たとえばジュネーヴには大きな時計マニュファクチュアができている。(ヌ)すなわち、一つの資本の指揮のもとでの部分労働者の直接的協業が行なわれている。(ル)この場合にも、文字板やぜんまいや側がマニュファクチュア自体で仕上げられることはまれである。(ヲ)この場合には、結合されたマニュファクチュア的経営は、ただ例外的な事情のもとでしか有利でない。(ワ)というのは、競争は自宅で作業することを欲する労働者たちのあいだで最も激しく行なわれるからであり、生産が多数の異種の過程に分裂することは共同の労働手段の使用を許すことが少ないからであり、また、分散的製造の場合には資本家は作業用建物などのための支出を免れるからである(32)。(カ)とはいえ、自宅でではあるが一人の資本家(製造業者、企業者〔établisseur〕)のために労働するこれらの細部労働者の地位は、自分自身の顧客のために労働する独立手工業者の地位とはまったく違うものである(33)。〉(全集第23a巻449-450頁)

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ) たとえば具体的に考えてみましょう。1両の機関車は5千以上の独立部分から成っています。とはいいましても、それは大工業の産物ですから、本来のマニュファクチュアの第一の種類の実例とは認められません。しかし、時計ですとその実例になるのです。ウィリアム・ペティも時計によってマニュファクチュア的分業を例解しています。時計は、ニュルンベルクの一手工業者の個人的製品から、次にあげるような無数の部分労働者の社会的生産物に転化したのです。

    一般的に上記のように言われても、なかなかイメージとして掴めないので、具体的な例で考えてみましょう。独立した部分生産物をただ機械的に組み立てて完成品を作るマニュファクチュアとして、時計を考えてみます。機関車なども同じ性質をもっていますが、機関車は大工業の産物ですから、ここでは不適切です。しかし時計だとマニュファクチュア的分業の例としてはよいわけです。ペティも時計によってマニュファクチュア的分業を例解しています。時計は、中世における一人の手工業的な職人の個人的な製品から、マニュファクチュアでは無数の部分労働者が生産する社会的生産物に転化したのです。

  新日本新書版では〈ウィリアム・ペティも時計によってマニュファクチュア的分業を例解している〉という部分に次のような訳者注が付けられています。

  〈W・ペティ『人類の増殖にかんする一論』、ロンドン、1682年、39-40ページ。所収、ペティ『政治算術論集』、ロンドン、1699年、35-36ページ。『資本論草稿集』4、大月書店、152ページ〉(598頁)

  ここで指示されています『61-63草稿』から引用しておきましょう。

  〈「(ロンドンのような)大都市ではマニュファクチュアは一つが他を生みだしていくであろうし、また各マニュファクチュアはできるかぎり多くの部分に分割され、その結果、おのおのの労働者の仕事は簡単で容易なものとなるであろう。たとえば、時計工のところではそうであって、一人が歯車を、次の一人がぜんまいをつくり、第三の者が文字盤を刻み、第四の者が側(ガワ)をつくるなら、仕事の全部がただ一人の人によってなし遂げられると仮定した場合よりも、時計は安くまた良いものになるであろう」(ウィリアム・ペティ『人類の増殖に関する一論』、第3版、1682年)。ついでベティはさらに、分業に伴ってもろもろの特殊なマニュファクチュアが特殊な諸都市に、あるいは大都市の特殊な通りに集中することを述べる。そこでは、「これらの場所での特殊な商品は、他所でよりも良くまた安くつくられる」(同前)。最後に彼は、取引上の利点や運送費等々のような空費の節約について論じている。相互一体的なもろもろのマニュファクチュアが一つの場所に配置された結果生じるこの利点によって、そのようなマニュファクチュアの〔生産物の〕価格が引き下げられ、外国貿易の利潤が増加されるのである(同前、36ページ)。〉(草稿集④459頁)

  (ホ)(ヘ)(ト) 地板工、ぜんまい製造工、文字板製造工、天府ぜんまい製造工、穴石・紅玉爪石製造工、指針製造工、側(ガワ)製造工、ねじ製造工、メッキ工、これらに付属する多くの小区分、たとえば、歯車製造工(これはさらに真鍮輪と鋼輪とに分かれます)、かな製造工、日の裏装置工、かな製造工(歯車をかなにとりつけたり切子を磨いたりする)、ほぞ製造工、仕上工(いろいろな歯車やかなを組み入れます)、香函仕上工(歯を刻み、穴を適当な大きさにし、調整輪や制逆輪を固めます)、整動装置製造工、シリンダー整動の場合にはさらにシリンダー製造工、整動輪製造工、天府輪製造工、緩急針(時計を調節する装置)製造工、整動機製造工(本来の整動装置製造工)。次には香函製造工(香函と調整輪を仕上げます)、鋼磨き工、歯車磨き工、ねじ磨き工、文字工、焼干支(ヤキエト)工(銅にエナメルをかけます)、竜頭製造工(側の竜頭環だけをつくります)、蝶つがい仕上工(側の蝶つがいに真鍮軸を入れるなどします)、側ばね工(側の蓋(フタ)あけばねをつくります)、彫刻工、細刻工、側磨き工、等々、最後に、時計全体を組み立てて動くようにして引き渡す仕上げ検査工。このように時計の部分のうちで違った手を経るものはわずかばかりで、すべてこれらのばらばらな四肢は、最後にそれらを一つの機械的な全体に結合する手のなかではじめていっしょになるのです。

  ここでは時計のさまざまな部品を製造する手工業者の例が挙げられています。彼らは一つの作業場に集められているとは必ずしも書かれていません。その労働は依然として手工業的です。しかしマニュファクチュアのもとでの分業のように、彼らはその時計の部分品だけを生産するのであって、他の製品を作る必要はないとも書かれていません。しかしその部品はその個別の労働者の製造品であって、複数の手を経ることはほとんどないとの指摘はあります。それらは依然として手工業的であって、労働の熟練や道具の善し悪しによってその出来ばえも違ってくるようなものなわけです。

  新日本新書版では〈時計の部分のうちで違った手を経るものはわずかばかりで、すべてこれらのばらばらな四肢〔membra disjecta〕は、最後にそれらを一つの機械的な全体に結合する手のなかではじめていっしょになるのである。〉という部分は〈時計の諸部分のうちでごくわずかのものだけが、さまざまな人手を経るのであって、これら"引き裂かれたる(ばらばらになっている)四肢(*)"のすべてがはじめて集められるのは、それらを最終的に一つの完全な機械に結合する人手のなかにおいてである。〉となっていますが、*印の部分に次のような訳者注が付いています。

  〈* ホラティウス『風刺詩』、第1巻、詩Ⅳ、第62行。鈴木一郎訳、『世界文学体系』67、筑摩書房、152ページ。〉(598頁)

  (チ)(リ)(ヌ)(ル)(ヲ)(ワ)(カ) このような、そのいろいろな種類の要素にたいする完成生産物の外的な関係は、この場合には、類似の製品の場合と同様に、同じ作業場での部分労働者の結合を偶然的なものにします。部分労働は、それら自身また、ヴォー州やヌシャテル州でのように、互いに独立した手工業としても営まれうるのですが、他方では、たとえばジュネーヴには大きな時計マニュファクチュアができています。すなわち、一つの資本の指揮のもとでの部分労働者の直接的協業が行なわれているのです。しかしこの場合でも、文字板やぜんまいや側がマニュファクチュア自体で仕上げられることはまれなのです。この場合には、結合されたマニュファクチュア的経営は、ただ例外的な事情のもとでしか有利でないからです。といいますのは、競争は自宅で作業することを欲する労働者たちのあいだで最も激しく行なわれるからです。また生産が多数の異種の過程に分裂することは共同の労働手段の使用を許すことが少ないこともあります。また、分散的製造の場合には資本家は作業用建物などのための支出を免れます。といいましても、自宅でではありますが1人の資本家(製造業者、企業者〔établisseur〕)のために労働するこれらの細部労働者の地位は、自分自身の顧客のために労働する独立手工業者の地位とはまったく違うものなのです。

    こうしたいろいろな時計の部分品に対する完成生産物である時計との関係は、外的であって、ですからそれらを一つの作業場に集めたとしても、同じ作業場での部分労働者の結合は偶然的なものになります。というわけで時計の部分品を生産するものは互いに独立した手工業として営まれてきたのです。
    ジュネーヴには大きな時計マニュファクチュアがありますが、そこでは一人の資本家の指揮のもとで部分労働者の直接的な協業が組織されています。しかしこの場合でも文字板やぜんまいや側などがそのマニュファクチュアの内部で生産されることはまれなのです。時計のようなその部分品の製造が異種の過程に分裂する場合には、結合したマニュファクチュア的経営は、ただ例外的な事情でしか有利ではないのです。というのは、自宅で作業することを欲する労働者のあいだでの方がもっとも激しい競争がおこなわれるからです。だから部分品によっては手工業的にやった方が効率がよいものがあるのです。こうした場合、一カ所に集めても労働手段を共用することで費用を節約できるケースは少なく、分散的にやった方が資本家にとっては作業用の建物を建てる必要もなくなります。
    といいましても、自宅で生産するこうした人たちは、すでに一人の資本家のために労働するのですから、もはや自分自身の顧客にために労働する独立した手工業者とはその地位はまったく違うものなのです。


◎原注32

【原注32】〈32 (イ)1854年にジュネーヴでは80,000個の時計が生産されたが、それでもヌシャテル州の時計生産の5分の1には達していない。(ロ)ただ一つの時計マニュファクチュアとみなしてよいショー・ド・フォンだけでも毎年ジェネーヴの2倍の時計を供給している。(ハ)1850-1861年にジュネーヴは720,000個の時計を供給した。(ニ)『商工業等に関するイギリス大公使館書記官報告書』、第6号、1863年、のなかの『時計業に関するジュネーヴからの報告』を見よ。(ホ)ただ組み立てられるだけの製品の生産がいくつもの過程に分かれていてそれらの過程のあいだに関連がないということは、それ自体、このようなマニュファクチュアが大工業の機械経営に転ずることを非常に困難にするのであるが、時計の場合にはさらに別の二つの障害がこれに加わってくる。(ヘ)すなわち、時計の構成要素が小さくてデリケートなことと、時計には奢侈品的な性質があるために種類が多様であることが障害になるのであって、たとえばロンドンの最高級の製造所ではまる1年間に同じような外観の時計が1ダースも製造されることはほとんどないというほどである。(ト)機械の使用に成功しているヴァシェロン・エ・コンスタンタン時計工場は、大きさでも型でもせいぜい3種か4種の違った種類を供給するだけである。〉(全集第23a巻451頁)

  これは〈この場合には、結合されたマニュファクチュア的経営は、ただ例外的な事情のもとでしか有利でない。というのは、競争は自宅で作業することを欲する労働者たちのあいだで最も激しく行なわれるからであり、生産が多数の異種の過程に分裂することは共同の労働手段の使用を許すことが少ないからであり、また、分散的製造の場合には資本家は作業用建物などのための支出を免れるからである(32)〉という一文に付けられた原注ですが、このパラグラフ全体に関連したものと考えた方がよいかも知れません。文節ごとに分けて検討しておきましょう。

  (イ)(ロ)(ハ)(ニ) 『商工業等に関するイギリス大公使館書記官報告書』、第6号、1863年、のなかの『時計業に関するジュネーヴからの報告』によりますと、1854年にジュネーヴでは80,000個の時計が生産されましたが、それでもヌシャテル州の時計生産の5分の1には達していません。ただ一つの時計マニュファクチュアとみなしてよいショー・ド・フォンだけでも毎年ジェネーヴの2倍の時計を供給しているのです。1850-1861年にジュネーヴは720,000個の時計を供給しました。

  ここでは『商工業等に関するイギリス大公使館書記官報告書』の『時計業に関するジュネーヴからの報告』にもとづいて、スイスの時計工業の現状が報告されています。ジュネーヴでは1850-1861年の10年間に72万個の時計を供給したのですが、1854年にはジュネーヴでは8万個の時計を生産しました。それでもそれはヌシャテル州の時計生産の5分の1には達していないということです(ということはヌシャテル州では40万個以上生産していることになります)。時計マニュファクチュアと見なしてよいショー・ド・フォンだけでも毎年ジュネーヴの2倍の時計を供給しているということです(ということは毎年16万個)。

  (ホ)(ヘ)(ト) ただ組み立てられるだけの製品の生産がいくつもの過程に分かれていてそれらの過程のあいだに関連がないということは、それ自体、このようなマニュファクチュアが大工業の機械経営に転ずることを非常に困難にするのですが、時計の場合にはさらに別の二つの障害がこれに加わってきます。一つは、時計の構成要素が小さくてデリケートなことです。もう一つは、時計には奢侈品的な性質があるために種類が多様であることが障害になるのです。たとえばロンドンの最高級の製造所ではまる1年間に同じような外観の時計が1ダースも製造されることはほとんどないというほどです。機械の使用に成功しているヴァシェロン・エ・コンスタンタン時計工場は、大きさでも型でもせいぜい3種か4種の違った種類を供給するだけなのです。

    こうしたさまざまな部分品がただ組み立てられて完成品が作られる場合、生産がいくつもの過程に分かれていて、その過程のあいだに関連がないということは、それ自体、こうしたマニュファクチュアが大工業に転ずることを困難にしているのですが、時計の場合にはさらに別の二つの障害が加わります。
    一つは時計の部分品はデリケートだということです。もう一つは時計は奢侈品的な性格があるために、種類が多様であることです。
    例えとしてロンドンの最高級の時計製造所ではまる1年間に同じような外観の時計が1ダースも製造されないということや、機械の使用に成功している時計工場でも、大きさや型で違うのはせいぜい3種類か4種類でしかないことが挙げられています。


◎原注33

【原注33】〈33 時計製造というこの異種的マニュファクチュアの典型的な例では、前に述べたような、手工業的活動の分解から生ずる労働用具の分化や専門化を非常に詳しく研究することができる。〉(全集第23a巻451頁)

    これはパラグラフの最後の〈とはいえ、自宅でではあるが1人の資本家(製造業者、企業者〔établisseur〕)のために労働するこれらの細部労働者の地位は、自分自身の顧客のために労働する独立手工業者の地位とはまったく違うものである(33)〉という一文に付けられた原注です。

    時計製造というこの異種的マニュファクチュアの典型的な例では、前に述べたような、手工業的活動の分解から生ずる労働用具の分化や専門化を非常に詳しく研究することができるということです。


◎第3パラグラフ(マニュファクチュアの第二の種類。互いに関連のあるいくつもの発展段階、すなわち一連の段階的諸過程を通る製品を生産するもの)

【3】〈(イ)マニュファクチュアの第二の種類、マニュファクチュアの完成された形態は、互いに関連のあるいくつもの発展段階、すなわち一連の段階的諸過程を通る製品を生産するもので、たとえば、縫針マニュファクチュアにおける針金は、72種から92種にも及ぶ独自な部分労働者の手を通るのである。〉(全集第23a巻451頁)

  (イ) マニュファクチュアの第二の種類は、マニュファクチュアの完成された形態でもありますが、互いに関連のあるいくつもの発展段階、すなわち一連の段階的諸過程を通る製品を生産するものです。たとえば、縫針マニュファクチュアにおける針金は、72種から92種にも及ぶ独自な部分労働者の手を通るのです。

   マニュファクチュアの編制のもう一つの基本形態というのは、マニュファクチュアの完成された形態でもありますが、互いに関連のあるいくつもの発展段階、一連の段階的な諸過程を通る製品を生産するものに該当します。例えば、縫針マニュファクチュア。この場合、針金は、72種から92種にも及ぶ独自の部分労働者の手を通って、その段階ごとに完成製品に近づくのです。


◎第4パラグラフ(マニュファタチュアは、製品が一つの段階から次の段階に移るための時間が短縮され、この移行を媒介する労働も短縮されて、手工業に比べれば生産力が増大する。この増大はマニュファクチュアの一般的な協業的な性格から生ずる)

【4】〈(イ)このようなマニュファタチュアが、元来は分散していた手工業を結合するかぎりでは、それは製品の特殊な生産段階のあいだの空間的分離を少なくする。(ロ)製品が一つの段階から次の段階に移るための時間は短縮され、この移行を媒介する労働も短縮される(34)。(ハ)こうして、手工業に比べれば生産力が増大し、しかもこの増大はマニュファクチュアの一般的な協業的な性格から生ずる。(ニ)他方、マニュファクチュアに特有な分業の原則はいろいろな生産段階の分立化を必然的にし、これらの生産段階はそれだけ多くの手工業的部分労働として互いに独立化されることになる。/(ホ)分立化された諸機能のあいだの関連を確立し維持するためには、製品を絶えず一つの手から別の手に、また一つの過程から別の過程に、運ぶことが必要である。(ヘ)大工業の立場から見れば、このことは、一つの特徴的な、費用のかかる、マニュファクチュアの原則に内在する局限性として目につくものである(33)。〉(全集第23a巻451-452頁)

  (イ)(ロ)(ハ) このようにマニュファタチュアが、元来は分散していた手工業を結合するかぎりでは、それは製品の特殊な生産段階のあいだの空間的分離を少なくします。製品が一つの段階から次の段階に移るための時間も短縮され、この移行を媒介する労働も短縮されます。こうして、手工業に比べますと生産力が増大し、しかもこの増大はマニュファクチュアの一般的な協業的な性格から生ずるのです。

 このパラグラフもフランス語版を最初に紹介することにします。

  〈この種のマニュファクチュアは、それが元来独立していた手工業を結合するかぎりでは、さまざまな生産段階のあいだの空間を縮小する。したがって、生産物がある段階から別の段階に移行するために必要な時間は、運搬労働と同様に短縮される(9)。手工業に比べて生産力が増大するが、この増大はマニュファクチュアの協業的な性格から生ずるのである。〉(江夏・上杉訳358頁)

  ここで〈このようなマニュファタチュア〉(フランス語版は〈この種のマニュファクチュア〉)とありますが、それは第二の種類のマニュファクチュア、すなわち完成されたマニュファクチュア、あるいは有機的マニュファクチュアのことを指していると思います。
  こうしたマニュファクチュアも、それがもともと独立していた手工業を結合する限りでは、さまざまな生産段階のあいだの空間を縮小し、生産物がある段階から次の段階に移行する時間を生産物を運搬する労働とともに短縮します。そのことによって手工業に比べますと生産力が増大しますが、これはマニュファクチュアの協業的性格から生じてくるのです。

  (ニ)(ホ)(ヘ) 他方では、マニュファクチュアに特有な分業の原則はいろいろな生産段階の分立化を必然的にします。これらの生産段階はそれだけ多くの手工業的部分労働として互いに独立化されることになります。分立化された諸機能のあいだの関連を確立し維持するためには、製品を絶えず一つの手から別の手に、また一つの過程から別の過程に、運ぶことが必要です。大工業の立場から見ますと、このことは、一つの特徴的な、費用のかかる、マニュファクチュアの原則に内在する局限性として目につくものなのです。

  フランス語版です。

  〈他方、マニュファクチュアに固有の分業は、種々の諸作業の分立とそれらの相互独立とを必要とする。分立した諸機能のあいだに一体関係を確立し維持するには、労働対象をある労働者から別の労働者へ、また、ある過程から別の過程へ、絶えず運ぶことが必要である。空費のこうした源泉が、機械制工業に比べたマニュファクチュアの短所の一つになっている(10)。〉(同)

    他方では、マニュファクチュアに特有な分業は、いろいろな生産段階の分立化とそれらの相互の独立化を必要とします。分立した諸機能のあいだに一体的な関係を確立し維持するためには、製品を絶えず一つの手から別の手に、また一つの過程から別の過程に、運ぶことが必要となります。大工業の立場から見ますと、こうしたことは、一つの特徴的な費用のかかるものであり、空費をなすものです。だからこれは大工業に比べてのマニュファクチュアの短所の一つになっています。

    第3パラグラフ以降、マニュファクチュアの第二の種類、すなわち有機的マニュファクチュア(マルクスはそれをマニュファクチュアの完成された形態と述べていますが)の諸特徴の考察が行われ、この第4パラグラフはその最初のものです。
    ここでは一見すると相矛盾する特徴が挙げられているように思えます。中世の分散していた手工業を結合する限りでは、それは製品の個別的な生産諸局面の空間上の分離をすくなくし、よってまた時間が短縮され、それに必要な労働も節約されると述べ、だから手工業に比べると生産力が上昇すると述べられています。
    しかし他方で、マニュファクチュア的分業は生産諸局面の分立化を生じさせ、手工業を行う部分労働者が相互に自立したものとなり、だからそれらのあいだの連関を確立し維持するために、製品を一つの工程から他の工程に絶えず運ぶ必要が生じるとしています。
    つまり最初は手工業に比べれば、空間上の分離をなくし、製品の移動に必要な時間や労働を節約すると述べながら、他方ではマニュファクチュア的分業は部分労働者の自立化をもたらし、それらの労働者のあいだの製品の移動を必要とすると述べているわけです。そこらあたりがやや矛盾したややこしいことになっています。
    要するにマニュファクチュアでは、中世の分散していた手工業を一つに集めるという点では空間的にそれらの分離を少なくし、よって製品の移動の時間の短縮や労働の節約になるのですが、しかし労働は依然として手工業的であり、分業によってさらに細分化され独立化された部分労働者がそれらの部分生産物を一つの作業工程から別の作業工程へと移動させる必要があり、やはりそれらの部分労働のあいだの関連には依然として一定の時間を必要としたということでしょうか。
    それに関連するのですが、有機的マニュファクチュアに固有の分業は、種々の作業の分立とそれらの相互の独立化を必要とするとありますが、それがどうして必要なのかいま一つよく分かりません。例えば縫針マニュファクチュアは針金に何十種類もの加工を加えて完成品を作るとありましたが、それぞれの加工工程が分業によって行われるとしても、それぞれの作業が分立し独立化する必要がどうしてあるのか。それぞれが手工業として営まれることからそうしたことがいえるのか、この点、いま一つはよく分かりません。
    ここではそうした独立化されることから、一連の加工工程の関連を維持するために、半製品を一つの作業場から別の作業場へと運搬する必要があり、それが大工業に比べてのマニュファクチュアの欠陥になっているとの指摘があるわけです。


◎原注34

【原注34】〈34 「人々がこのように密集していっしょにいるところでは、運搬は必ずもっと少ないにちがいない。」(『イギリスにとっての束インド貿易の利益』、106ぺージ。)〉(全集第23a巻452頁)

    これは〈製品が一つの段階から次の段階に移るための時間は短縮され、この移行を媒介する労働も短縮される(34)〉という本文に付けられた原注です。同じようにマニュファクチュアにおける分業によって密集した協業では、運輸費が節約されることを指摘している一文が引用されています。

    第2パラグラフで紹介した『61-63草稿』のペティの一文のあとに付け加えられたマルクスの一文でも〈最後に彼(ペティ--引用者)は、取引上の利点や運送費等々のような空費の節約について論じている〉と述べていました。そしてそれに続けてマルクスは次のように述べています。

  〈分業についてのベティの見解を古代人のそれから区別するものは、最初から、分業が生産物の交換価値に、つまり商品としての生産物に及ぼす影響を、すなわち商品の低廉化を見ていることである。
  同じ観点を、もっと明確に、一商品の生産に必要な労働時間の短縮と表現し、一貫して主張しているのは、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、である。
  決定的なことは、どんな商品でも「最少のそして最もやさしい労働」でつくることである。あることが「より少ない労働で」遂行されるならば、「その結果、より低い価格の労働で」遂行されるととになる。こうして商品は安価にされ、その次には、労働時間をその商品の生産に必要な最小限にきりつめることが、競争によって一般的法則となる。/「もし私の隣人がわずかな労働で多くをなすことによって安く売ることができるならば、私もなんとかして彼と同じように安く売るようにしなければならない。」[67ページ]分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種類が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ないよ[68ページ]〉(草稿集④460-461頁)


◎原注35

【原注35】〈35 「手の労働を使用することから起きるマニュファクチュアのいろいろな段階の分立は、生産費を非常に高くするが、この損失はおもに一つの過程から別の過程への単なる移動から生ずるものである。」(『諸国民の産業』、ロンドン、1855年、第2部、200ページ。)〉(全集第23a巻452頁)

    これは〈大工業の立場から見れば、このことは、一つの特徴的な、費用のかかる、マニュファクチュアの原則に内在する局限性として目につくものである(33)〉という本文に付けられた原注です。
    マニュファクチュア的な手作業の分立は、生産費を高くするが、それは一つの過程から別の過程への単なる移動から生じる損失から生まれると述べています。

    草稿集⑨には『諸国民の産業、技術、機械,製造業の現状の概観』からの引用は多数ありますが、この原注で引用されているものと同じものは見つけることは出来ませんでした。


◎第5パラグラフ(いろいろな細部労働者が結合されてできている全体労働者は、道具で武装された彼のたくさんの手のなかで、一定量の原料の加工をその段階的過程の時間的継起を空間的並列に変え、同じ時間でより多くの完成商品を供給する)

【5】〈(イ)一定量の原料、たとえば製紙マニュファクチュアのぼろとか製針マニュファクチュアの針金とかの一定量をとって見れば、それは、その最終の姿になるまでに、いろいろな労働者の手のなかでいろいろな生産段階の時間的な順列を通る。(ロ)これに反して、作業場を一つの全体機構として見れば、原料はすべてその生産段階で同時に見いだされる。(ハ)いろいろな細部労働者が結合されてできている全体労働者は、道具で武装された彼のたくさんの手のなかの一つの部分では針金をつくっており、同時に別の手や道具では針金をまっすぐに伸ばしており、さらに別の手ではそれを切ったりとがらせたりしている。(ニ)いろいろな段階的過程が時間的継起から空間的並列に変えられている。(ホ)それだからこそ、同じ時間でより多くの完成商品が供給されるのである(36)。(ヘ)その同時性は、たしかに総過程の一般的な協業的な形態から生ずるのではあるが、しかし、マニュファクチュアは、ただ協業の既存の諸条件を見いだすだけではなく、その一部分を手工業的活動の分解によってはじめて創造するのである。(ト)他面、マニュファクチュアは、労働過程のこのような社会的組織を、ただ同じ細部作業に同じ労働者を釘づけすることによってのみ達成するのである。〉(全集第23a巻452頁)

  (イ) 一定量の原料、たとえば製紙マニュファクチュアのぼろとか製針マニュファクチュアの針金とかの一定量をとって見ますと、それは、その最終の姿になるまでに、いろいろな労働者の手のなかでいろいろな生産段階の時間的な順列を通ります。

   フランス語版はこのパラグラフは二つに分けられていますが、最初に該当する部分のフランス語版を紹介しておきます。

  〈労働対象、たとえば製紙マニュファクチュアのぼろ、または製ピン・マニュファクチュアの真鍮は、その最終形態に到達するまでに、つぎつぎに行なわれる一連の諸作業のすべてを通過する。〉(江夏・上杉訳358頁)

    これも第二の種類のマニュファクチュア、すなわち完成された形態のマニュファクチュアのことですが、一定の原料、例えば製紙マニュファクチュアにおけるぼろとか、製針マニュファクチュアにおける針金とかの一定量をとってみますと、それはその最終の姿になるまでには、いろいろな労働者の手のなかでいろいろな生産段階を時間的に経過して通過して行きます。

  (ロ)(ハ)(ニ)(ホ) これに反して、作業場を一つの全体機構として見ますと、原料はすべての生産段階で同時に見いだされます。いろいろな細部労働者が結合されてできている全体労働者は、道具で武装された彼のたくさんの手のなかの一つの部分では針金をつくっており、同時に別の手や道具では針金をまっすぐに伸ばしており、さらに別の手ではそれを切ったりとがらせたりしています。いろいろな段階的過程が時間的継起から空間的並列に変えられています。それだからこそ、同じ時間でより多くの完成商品が供給されるのです。

  フランス語版です。

  〈ところが、作業場は全体機構としては、労働対象を、労働のあらゆる進行段階において一望のもとに同時に示している。集団労働者、千本の手がさまざまな道具を備えているブリアレ〔寓話上の入物〕は、真鍮線を切ること、ピンの頭をこしらえること、ピンの尖端やつなぎ目を尖らせること等々を同時に行なう。時間上つぎつぎに行なわれて互いに関連する種々の諸作業は、空間上同時的な作業、所与の時間内に供給される商品量を著しく増大する余地を与えるところの結合、になるのである(11)。〉(同)

    しかし作業場を一つの全体機構として見渡しますと、原料はすべての生産段階で同時に見いだされます。いろいろな細部労働者が結合されて構成されている全体労働者は、そのてくさんの手に諸道具をもち、一方では針金を作り、他方ではそれをまっすくに伸ばし、さらに別の手ではそれを切ったり尖らせたりしています。そしていろいろな段階的な経過が時間的に継起すると同時に空間的に並列して行われ、そして同じ時間により多くの完成品が生産されるわけです。

  (ヘ)(ト) その同時性は、たしかに総過程の一般的な協業的な形態から生ずるのですが、しかし、マニュファクチュアは、ただ協業の既存の諸条件を見いだすだけではなくて、その一部分を手工業的活動の分解によってはじめて創造するのです。他方では、マニュファクチュアは、労働過程のこのような社会的組織を、ただ同じ細部作業に同じ労働者を釘づけすることによってのみ達成するのです。

  フランス語版です。

  〈この同時性は労働の協業形態から生ずるが、マニュファクチュアは協業の先在条件に立ちどまるものではなく、手工業の分解を行なうことによって協業の新しい条件を創造する。マニュファクチュアは、労働者を一つの細部作業に永久に釘づけにすることによってのみ、その目的を達成するのである。〉(同)

    この同時性は、総過程の一般的な協業から生じていますが、しかしマニュファクチュアにおいては、ただ単に協業の既存の諸条件を見いだすだけではなくて、手工業を分解することによって新しい協業の条件を創造するのです。つまりマニュファクチュアは、分解された細部労働に労働者を一生涯釘付けにすることによって、その目的を達成するのです。

    ここでは前のパラグラフで指摘されていた第二の種類のマニュファクチュアに固有の分業による部分労働の分立化という側面に対して、むしろマニュファクチュアを全体機構としてみた場合の特徴が挙げられています。それは一つの全体労働者であり、彼はたくさんの手をもち、それぞれの手でさまざまな用具を使って、縫針を製造するさまざまな工程を同時に平行して行い、すなわち時間的継起に代わって、空間的に並列して行うのだと述べています。

   ((5)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(5)

2024-08-30 17:05:40 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(5)


◎原注36

【原注36】〈36 「それ」(分業)「は、すべてが同じ瞬間に実行されうるようないろいろな部門に仕事を分割することによって、時間の/節約をも生みだす。……一人の個人ならば別々にしなければならないようないろいろな過程をすべて同時に行なうことによって、たった1本のピンを切ったりとがらせたりしたのと同じ時間で多量の完全にできあがったピンを生産することが可能になる。」(デュガルド・ステユアート『経済学講義』、所収、サー・W・ハミルトン編『著作集』、エディンバラ、第8巻、1855年、319ページ。)〉(全集第23a巻452-453頁)

  これは〈いろいろな段階的過程が時間的継起から空間的並列に変えられている。それだからこそ、同じ時間でより多くの完成商品が供給されるのである(36)〉という一文に付けられた原注です。分業でさまざまに分割された作業が同じ瞬間に行われることによって、一人の個人なら別々にしなければならない作業が同時に行われ、一本のピンを同時に切ったり尖らせたりすることによって、同じ時間に多量のピンを完成させるという例が紹介されています。

  同じ文献を取り上げている『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈サー・W・ハミルトン編『ドゥーガルト・ステューアト著作集』、エディンバラ。私は、『著作集』、第八巻から引用するが、これは『経済学講義』、第一巻(1855年)である。
  彼は、分業が労働の生産性を増大させる仕方について、とりわけ次のように言う。--
  「分業の諸効果と機械の使用の諸効果とは……どちらもその価値を同じ事情から、つまり、一人の人手多くの人々の仕事を推考できるようにするという、それらの傾向から得ている」(317ページ)。「それはまた、すべてが同じ瞬間に遂行されるようなさまざまな部門に仕事を細分することによって、時間の節約を生みだす。……一人の個人なら別々にしてきたにちがいないさまざまな過程をすべて同時に進めることによって、たとえば、たった一本のピンを切ったりとがらせたりすることしかできなかった同じ時間で、完全にできあがった多量のピンを生産することが可能になる」(319ページ)。
  ここで言われていることは、一連のさまざまな作業を順次に行なう同じ労働者はある作業から他の作業に移るときに時間を失うという、A・スミスの所説の「第二」のことだけではない。〉(草稿集④442-443頁)


◎第6パラグラフ(マニュファクチュアでは、労働と労働とのあいだの直接的な依存関係によって、労働の連続性や一様性や規則性や秩序が、ことにまた労働の強度が生みだされ、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則になる)

【6】〈(イ)それぞれの部分労働者の部分生産物は、同時に、ただ同じ製品の一つの特殊な発展段階でしかないのだから、一人の労働者が別々の労働者に、または一つの労働者群が別の労働者群に、その原料を供給するわけである。(ロ)一方の労働者の労働成果は、他方の労働者の労働のための出発点になっている。(ハ)だから、この場合には一方の労働者が直接に他方の労働者を働かせるのである。(ニ)それぞれの部分過程の所期の効果をあげるために必要な労働時間は経験によって確定されるのであって、マニュファクチュアの全体機構は、一定の労働時間では一定の成果が得られるという前提にもとづいている。(ホ)ただこの前提のもとでのみ、互いに補い合ういろいろな労働過程は、中断することなく、同時に、空間的に並列して進行することができるのである。(ヘ)このような、労働と労働とのあいだの、したがってまた労働者どうしのあいだの直接的依存関係は、各個の労働者にただ必要時間だけを自分の機能のために費やすことを強制するのであり、したがって、独立手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく違った労働の連続性や一様性や規則性や秩序が(37)、ことにまた労働の強度が生みだされるのだということは、明らかである。(ト)ある一つの商品にはただその商品の生産に社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、商品生産一般では競争の外的強制として現われるのであるが、それは、表面的に言えば、各個の生産者が商品をその市場価格で売らなければならないからである。(チ)ところが、マニュファクチュアでは、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則になるのである(38)。〉(全集第23a巻453頁)

  (イ)(ロ)(ハ) それぞれの部分労働者の部分生産物は、同時に、ただ同じ製品の一つの特殊な発展段階でしかないのですから、一人の労働者が別々の労働者に、または一つの労働者群が別の労働者群に、その原料を供給するわけです。一方の労働者の労働成果は、他方の労働者の労働のための出発点になっています。ですから、この場合には一方の労働者が直接に他方の労働者を働かせるのです。

 フランス語版はやや書き換えられています。だから最初にフランス語版を紹介していくことにします。

  〈個々の部分労働者の部分生産物は同時にまた、完成された製作物の特殊な発展段階でしかないから、個々の労働者または労働者群は、ほかの労働者または労働者群にその原料を供給する。一方の労働の成果は他方の労働の出発点をなす。〉(江夏・上杉訳359頁)

  このようにフランス語版は少し簡潔になり、最後の〈だから、この場合には一方の労働者が直接に他方の労働者を働かせるのである〉という部分は省略されています。しかし当然ですが、書かれている内容は同じです。
  有機的なマニュファクチュアでは、それぞれの部分労働者の生産する部分生産物は、完成品の特殊な発展段階でしかありませんから、その生産物は他の労働者あるいは労働者群にその原料として入っていくわけです。だから一方の労働者の生産物は他方の労働者の出発点になっているということです。つまり個々の部分労働者の労働は分業によって互いに有機的に密接に関連し合っているということでしょうか。

  (ニ)(ホ) それぞれの部分過程の所期の効果をあげるために必要な労働時間は経験によって確定されます。マニュファクチュアの全体機構は、一定の労働時間では一定の成果が得られるという前提にもとづいています。ただこの前提のもとでのみ、互いに補い合ういろいろな労働過程は、中断することなく、同時に、空間的に並列して進行することができるのです。

  まずフランス語版です。

  〈個々の部分過程において所期の有用な効果を得るために必要な労働時間は、経験的に確定されるのであって、マニュファクチュアの全体機構が機能するのは、与えられた時間内に与えられた成果が得られるという条件のもとにかぎられる。ただこのような仕方でだけ、相互に補足しあうさまざまな労働は、並列して、同時に、しかも中断なく進行することができるのである。〉(同)

  個々の部分労働者の労働が一定の生産物を供給するに必要な労働時間は経験によって確定しています。だからマニュファクチュアの全体の機構は、それを構成する各労働者が一定の時間には一定の成果が得られるということを前提にして成り立っているのです。このようにして、全体の機構のさまざまな労働は、互いに補いながら、並列して、同時に、中断なく進行することが出来るわけです。

  (ヘ)(ト)(チ) このような、労働と労働とのあいだの、したがってまた労働者どうしのあいだの直接的な依存関係は、各個の労働者にただ必要な時間だけを自分の機能のために費やすことを強制します。だから、独立手工業の場合とは違って、または単純な協業の場合とさえもまったく違った労働の連続性や一様性や規則性や秩序が、ことにまた労働の強度が生みだされるのです。ある一つの商品にはただその商品の生産に社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、商品生産一般では競争の外的強制として現われるのですが、それは、表面的に言いまと、各個の生産者が商品をその市場価格で売らなければならないからです。ところが、マニュファクチュアでは、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則になるのです。

  フランス語版です。

  〈諸労働のあいだの、また諸労働者のあいだのこうした直接的な依存は、個々の労働者を強制して、自分の機能に必要な時間だけを費やさせるということ、こうして、独立手工業でも単純な協業でさえも見られないような労働の連続性、規則正しさ、画一性が、とりわけ労働の強度が、得られるということは、明らかである(12)。一商品にはその製造に社会的に必要な労働時間だけが費やされなければならないということ、このことは、商品生産一般では競争の効果として現われる。というのは、表面的に言えば、それぞれの個々の生産者は商品をその市場価格で売らざるをえないからである。これに反して、マニュファクチュアでは、与えられた労働時間内に与えられた分量の生産物を引き渡すことが、生産過程そのものの技術上の法則になるのである(13)。〉(同)

    このように有機的マニュファクチュアでは、個々の労働と労働、個々の労働者と労働者とが互いに直接的な依存関係にあります。ですから、彼らは全体機構を維持するためには、各自がそれぞれに必要な時間だけを自分の機能のために費やすことが一つの強制となってくるのです。だから独立手工業や単純な協業でさえも見られないような労働の連続性、規則正しさ、画一性、とりわけ労働の強度が得られるようになります。
    商品の生産には社会的に必要な労働時間だけが費やされねばならないということは、商品の価値の法則です。表面的には商品生産者は生産した商品をその市場価格で販売せざる得ないという形で、それは一つの強制法則として貫徹されるわけです。
    しかしマニュファクチュアでは、生産機構そのものがそれぞれの部分労働者に必要な労働時間だけを費やすように強制するのです。すなわちある与えられた労働時間内に与えられた分量の生産物を引き渡すことが生産過程そのものの技術的な法則となるのです。


◎原注37

【原注37】〈37 「どのマニュファクチュアでも工人の種類が多ければ多いほど……それぞれの作業はいっそう秩序正しく規則的になり、/同じことがいっそう短い時間でなされるにちがいないし、労働はいっそう少なくなるにちがいない。」(『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、68べージ。)〉(全集第23a巻453-454頁)

    これは〈このような、労働と労働とのあいだの、したがってまた労働者どうしのあいだの直接的依存関係は、各個の労働者にただ必要時間だけを自分の機能のために費やすことを強制するのであり、したがって、独立手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく違った労働の連続性や一様性や規則性や秩序が(37)、ことにまた労働の強度が生みだされるのだということは、明らかである〉という本文に付けられた原注です。
    引用されている一文でも同じように〈それぞれの作業はいっそう秩序正しく規則的になり、同じことがいっそう短い時間でなされるにちがいないし、労働はいっそう少なくなるにちがいない〉と述べていますので、注として採用されたのでしょう。

    ここで引用されている『イギリスにとっての東インド貿易の利益』は、すでに原注27にも出てきました。そのときに『61-63草稿』の一文を紹介しましたが、そこには今回の原注で引用されている一文もありました(頁数は同じですが若干違うところがあります)。その部分だけをもう一度少し前から紹介しておきます。

  〈分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ない。」[68ページ]〉(草稿集④461頁)


◎原注38

【原注38】〈38 (イ)とはいえ、マニュファクチュア的経営はこの成果には多くの部門でただ不完全に到達しているだけである。(ロ)というのは、マニュファクチェア的経営は生産過程の一般的な化学的および物理的諸条件を確実に統御することができないからである。〉(全集第23a巻454頁)

  これはパラグラフの最後の一文〈ところが、マニュファクチュアでは、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則になるのである(38)〉に付けられた原注です。マルクス自身の文章になっています。だから一応、書き下し文を書いて解説を加えておきましょう。

  (イ)(ロ) とはいいましても、マニュファクチュア的経営はこの成果には多くの部門でただ不完全に到達しているだけです。といいますのは、マニュファクチェア的経営は生産過程の一般的な化学的および物理的諸条件を確実に統御することができないからです。

    つまり有機的マニュファクチュアでは、分業による個別の部分労働の間の相互的な依存が強まり、一定の時間に一定量の生産物を供給するということが技術上の法則になるのですが、しかしマニュファクチュア段階ではこうしたものも不完全になるのだということです。というのもそれぞれの部分労働は依然として手工業の域を出ていませんから、生産過程の化学的あるいは物理的な諸条件を確実に統御することができていないからだということです。


◎第7パラグラフ(マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的な編制とともにその量的な規準と均衡をも発展させる)

【7】〈(イ)とはいえ、いろいろな作業は、等しくない長さの時間を必要とし、したがって等しい時間に等しくない量の部分生産物を供給する。(ロ)だから、もし同じ労働者は毎日毎日いつでもただ同じ作業だけを行なうものとすれば、いろいろな作業にいろいろに違った比例数の労働者が充用されなければならない。(ハ)たとえば、ある活字マニュファクチュアで鋳字工1人では1時間に2000個の活字を鋳造し、分切工1人では4000個を分切し、磨き工1人では8000個を磨くとすれば、このマニュファクチュアでは磨き工1人について鋳字工4人と分切工2人が充用されなければならない。(ニ)ここでは同種の作業をする多数人の同時就業という最も単純な形態の協業の原則が再現する。(ホ)といっても、今度は一つの有機的な関係の表現としてであるが。(ヘ)だから、マニュファクチュア的分業は、ただ社会的全体労働者の質的に違う諸器官を単純化し多様化するだけではなく、またこれらの諸器官の量的な規模の、すなわちそれぞれの特殊機能を行なう労働者の相対数または労働者群の相対的な大きさの、数学的に確定された割合をもつくりだすのである。(ト)マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的な編制とともにその量的な規準と均衡をも発展させるのである。〉(全集第23a巻454頁)

  (イ)(ロ) とはいいましても、いろいろな作業は、等しくない長さの時間を必要とします。また等しい時間に等しくない量の部分生産物を供給します。ですから、もし同じ労働者が毎日毎日いつでもただ同じ作業だけを行なうものとしますと、いろいろな作業にいろいろに違った比例数の労働者が充用されなければなりません。

    フランス語版の方がやや分かりやすく思えますので、紹介しておくことにします。

  〈しかし、いろいろな諸作業が必要とする時間の長さは同じではなく、したがって、それらが同じ長さの時間内に供給する部分生産物の量は同じではない。だから、同じ労働量が毎日つねに同一の作業を行なわなければならないならば、作業がちがえば労働者を使う割合もちがわなければならない。〉(江夏・上杉訳360頁)

    有機的マニュファクチュアでは部分労働が互いに密接に関連し合っていることが指摘されましたが、しかしそれぞれの部分労働者の労働がある一定の生産物を生産するのに必要な労働時間が同じとはいえません。ある生産物に必要な加工を加えるのに1時間必要なのに、その加工された生産物を磨くためには半時間も必要ないというように、それぞれの部分作業にかかる時間はまちまちです。だからそれぞれの部分作業が同じ時間に供給する部分生産物は同じではないわけです。ですからそれぞれの部分労働者が毎日毎日同じ作業だけを行うとすれば、いろいろな作業に割く人員は違ってこなければなりません。作業が違えば、使う労働者数も違ってこなければならないのです。

  (ハ) たとえば、ある活字マニュファクチュアで鋳字工1人では1時間に2000個の活字を鋳造し、分切工1人では4000個を分切し、磨き工1人では8000個を磨くとしますと、このマニュファクチュアでは磨き工1人について鋳字工4人と分切工2人が充用されなければなりません。

  フランス語版です。

  〈たとえばある活字マニュファクチュアでは、分切工2人と磨き工1人にたいし鋳字工4人を使わなければならない。鋳字工は1時間に2000個の活字を鋳造するのにたいし、分切工は4000個の活字を分切し、磨き工は8000個の活字を磨く。〉(同)

  ここでは具体例として活字マニュファクチュアの例が紹介されています。鋳造、分切、磨きの各工程に必要な人員は4対2対1の比率になるということです。
  『61-63草稿』ではより詳しく〈活字(印刷用の活字)の鋳造〉の主な作業が紹介されています。

  〈分業にもとづくマニュファクチュアの実例に、活字(印刷用の活字)の鋳造がある。主要な作業が5つある。
  (1)活字の鋳造。「労働者はおのおの1時間で4OO個から5OO個の活字をつくることができる。」[203ページ。]
  (2)活字の分切「(この仕事をする少年は、活字の金属が含む鉛とアンチモンの毒におかされる。)活字は標準寸法に分切される。仕事のはやい少年ならこの作業では1時間に2000個から3000個を分切できる。しかし、労働者のなかには、新しい活字を扱うため、金属の毒におかされて親指と人差指を失った者のあることをいっておかなければならない。[203ページ。]/
  (3)活字は平らな石の上で磨かれて、活字の腹や背の、ざらつきあるいは『ばり』がきれいに落とされるほかに、活字の『斜面』と『足』(shank Bein,Schenkel,Stielなど、ここでは活字の軸)が調整される。上手な磨き工なら1時間に約2000個を仕上げることができる。
  (4)活字は、成年男子か少年によって、長さ約1ヤードの1種の植字盆のなかに、『ネツキ』(nick Kerbe.) を揃え全部上に向けてはめ込まれる。こうして、1時間に3000個から4000個が並べられる。
  (5)第2工程で粗いままに放置されていた活字の底は、かんな(=obel)がけによって平らにされる。それから活字はひっくり返されて〔字づらを〕上にし、すべての線が拡大鏡で綿密に調べられる。欠陥のある活字は抜きとられ、残りは植字盆からはずして山盛りにされる。」[204ページ。]〉
  このように1人の鋳字工が1時間に5OO個の活字を鋳造し、1人の少年が1時間に3000個を分切するとすれば、少年1人にたいして6人の鋳字工が必要である。そして、1人の磨き工が1時間に2000個を磨けば、4人の鋳字工に1人の磨き工が対応する。また、1人の配列工が1時間に4000個をかたづけるとすれば、8人の鋳字工に1人の配列工が対応する。労働の分割にさいしては、そこに倍数〔の原理〕を認めなければならない。いろいろな作業がいま以下のような事情にあるとしよう。3種類の作業があるとする。第1作業が提供するものを加工するために、第2作業が人間を1人働かせるときには、第1作業には2人の人間をあてなければならない。しかし、第1、第2作業の生産物を加工する第3作業に4人が必要なときには、4人をそこにあてなければならない。そうすると、第1作業に2人、第2作業に1人、第3作業に4人、合計7人を充用することになる。これらの倍数は、分業の原理に発するのであって、それぞれ異なる作業の必要と/する時間が相違するにもかかわらず、すべての労働者が、同時に、しかも同じ長さの時間を、もっぱらそれらの作業の一つに従事して働くようにするためなのである。ある段階の生産物ないし仕事(たとえば、ボイラーたき、機械の修理など)の一定量に費やされるその作業時間が少なければ少ないほど、他の〔作業に従事する〕労働者の量はそれだけいっそう多くしなければならない。それは、その仕事に個々人を専従させることができるようにするためである。〉(草稿集⑨88-90頁)

  (ニ)(ホ)(ヘ)(ト) ここでは同種の作業をする多数の人たちが同時に就業という最も単純な形態の協業の原則が再現します。といいましても、今度は一つの有機的な関係の表現としてです。ですから、マニュファクチュア的分業は、ただ社会的全体労働者の質的に違う諸器官を単純化し多様化するだけではなくて、これらの諸器官の量的な規模の、すなわちそれぞれの特殊機能を行なう労働者の相対数または労働者群の相対的な大きさの、数学的に確定された割合をもつくりだすのです。マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的な編制とともにその量的な規準と均衡をも発展させるのです。

  フランス語版です。

  〈協業の原則が、同種の作業に多くの労働者を同時に使うという最も単純な形態で、再現する。だが、この原則は今度は有機的な関係の表現である。したがって、マニュファクチュア的分業は、集団労働者の質的にちがう諸器官を単純にするのと同時にふやすだけではない。この分業は、さらに、諸器官の量、すなわちそれぞれの特殊機能を行なう労働者の相対数または労働者群の相対的な大きさを定めるような固定した数学的比率をも、作り出すのである。〉(同)

  ここでは同じ作業をする多数の労働者が同時に協働するという単純な協業が行われます。
しかしそれは単なる単純協業にはとどまりません。といいますのは、それぞれの労働は分業によって有機的に関連し合っているからです。マニュファクチュア的分業は、ただ社会的な全体労働者の質的に異なる諸器官を単純化して多様化するだけではなくて、それらの諸器官の量的規模の割合も作り出すからです。つまりマニュファクチュア的分業は、社会的な労働過程の質的編制と同時にその量的な基準と均衡をも発展させるのです。


◎第8パラグラフ(いろいろな部分労働者群の最も適当な比例数が一定の生産規模について経験的に確定されているならば、この規模はただそれぞれの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡大することができる)

【8】〈(イ)いろいろな部分労働者群の最も適当な比例数が一定の生産規模について経験的に確定されているならば、この規模はただそれぞれの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡大することができる(39)。(ロ)さらに、同じ個人がある種の労働を大きな規模でも小さな規模でも同じように行なうことができるということが加わる。(ハ)たとえば、監督という労働や、部分生産物を一つの生産段階から他の生産段階に運ぶ労働などがそれである。(ニ)だから、このよ/うな機能を独立化することや特別な労働者に割り当てることは、使用労働者数の増大によってはじめて有利になるのであるが、この増大はただちにすべての群に比例的に及ぼされなければならないのである。〉(全集第23a巻454-455頁)

  (イ) いろいろな部分労働者群の最も適当な比例数が一定の生産規模について経験的に確定されていますと、この規模はただそれぞれの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡大することができます。

  ある生産部門における部分労働者のもっとも適当な比例的割合が経験的に決まってきますと、生産規模の拡大は、その割合の倍数で行うことが必要になります。
  たとえば先の活字マニュファクチュアの例では最低限7人の労働者が必要でしたが、この活字マニュファクチュアの規模を拡大するためには、7の倍数の労働者を雇用する必要があるわけで。つまり活字マニュファクチュアの規模を2倍にするためには、磨き工2人と鋳字工8人と分切工4人、合計14人(=7×2)が充用されなければないことになるわけです。

  (ロ)(ハ) さらに、同じ個人がある種の労働を大きな規模でも小さな規模でも同じように行なうことができるということが加わります。たとえば、監督という労働や、部分生産物を一つの生産段階から他の生産段階に運ぶ労働などがそれです。

  さらにある種の労働は規模の大小に関わりなく必要とされることが分かります。例えば監督労働であるとか、部分生産物を一つの生産段階から別の生産段階へと運ぶ労働などがそれにあたります。

  (ニ) ですから、このような機能を独立化することや特別な労働者に割り当てることは、使用労働者数の増大によってはじめて有利になるのですが、この増大はただちにすべての群に比例的に及ぼされなければならないのです。

    こうした労働は、小規模の場合には、ある独立の労働者が担当するということではなくて、それぞれが分担してやる程度でよかったのですが、規模を拡大していくことによって、特別な労働者に割り当てることができるようになり有利になります。
    ここで最後の一文〈この増大はただちにすべての群に比例的に及ぼされなければならないのである〉がいま一つハッキリとしません。
  まず初版を見てましょう。

  〈おまけに、同じ個人がある種の労働を規模の大小に関係なく同じように行なうばあいもあるのであって、たとえば、監督労働や、部分生産物をある生産段階から別の生産段階に運搬すること等々が、それである。だから、こういった機能を独立させること、または、これを特別な労働者に割り当てることは、就業労働者数の増大によって初めて有利になるのであるが、この増大が起きればすぐさま、すべての労働者群もこの増大と均整をとって増大されなければならない。〉(江夏訳395頁)

  次はフランス語版です。

  〈同じ個人が、大規模でも小規模のばあいと全く同様に、ある種の労働、たとえば監督労働や、ある生産段階から別の生産段階への部分生産物の運搬などを行なう、ということをさらに付け加えよう。だから、これらの諸機能を分立するかあるいは独自の労働者にまかせることは、作業場の人員を増加した後ではじめて有利になることであるが、このばあいこの増加はすべての労働者群に比例的に及ぶものである。〉(江夏・上杉訳360頁)

  イギリス語版です。

  〈そこには、以下のことが生じる。同じ個人が小さな規模でやっていた作業を、大きな規模になってもそのまま行うことができる。例えば、監督とか、細目生産物の一つの段階から次の段階への運搬 等々の労働がそれである。この機能の分離や、特定の労働者を配置することは、雇用労働者の数が増大するまでは有利ではないが、全体の労働者数が増大すれば、その特定労働者の数の増加はすべてのグループに対して一様に比例的に行われることにならざるを得ない。〉(インターネットから)

  最後に新日本新書版です。

  〈それに加えて、同じ個人が、特定の労働を、大規模の場合にも小規模の場合と同じように行なうということもある。たとえば、監督労働、一つの生産局面から他の生産局面への部分生産物の運搬、などがそうである。したがって、これらの諸職能が自立すること、またはそれらが特殊な労働者に割り当てられることは、就業労働者数の増大と結びついてはじめて有利になるのであるが、しかしこの増大は、ただちにすべての群にたいして比例的に行われなければならない。〉(602頁)

  〈この増大〉というのは、その前の〈使用労働者数の増大〉を指していることは明かです。要するに規模を拡大して使用労働者数を増大させると監督や運搬の作業を専門で担う労働者を設けることができるようになり有利になりますが、しかしその使用労働者数の増大というのはその前に述べました倍数の法則にもとづいて増大しなければならないということを言いたいのではないでしょうか。


◎原注39

【原注39】〈39 「それぞれのマニュファクチュアの生産物の特殊な性質にしたがって、製造をいろいろな部分作業に分ける最も有利な仕方も、それぞれの作業のために必要な労働者数も、経験によって知られているとすれば、この数の正確な倍数を充用しない工場は、すべて、製造により多くの費用をかけるであろう。……これは諸工場の非常な拡大の原因の一つである。」(C・バベジ『機械・マニェファクチュア経済論』、ロンドン、1832年、第21章、172、173ページ。)〉(全集第23a巻455頁)

    これは〈いろいろな部分労働者群の最も適当な比例数が一定の生産規模について経験的に確定されているならば、この規模はただそれぞれの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡大することができる(39)〉という一文に付けられた原注です。
  バベジの『機械およびマニェファクチュア経済論』から同様の主旨の部分が引用、紹介されています。『61-63草稿』から関連する部分を紹介しておきましょう。

  〈各種のマニュファクチュアの生産物の特殊的性質に従って、製造をいろいろな部分作業に分けうる最も有利な仕方も、それぞれの作業のために必要な労働者数も、経験によって知られているとき、この数の正確な倍数を自己の労働者の数として適用しない工場は、すべて、製造中の節約がより少ないことになろう」(バピジ、『機械およびマニュファクチュア経済論』、第22章)。たとえば種々の作業の遂行に10人の労働者が必要であれば、充用される労働者数は10の倍数でなければならない。「そうでなければ、労働者たち一人ひとりをいつも同じ細自作業〔Detail der Fabrikation〕に使用することはできない。……これは、工業施設が巨大な規模をもつ原因の一つである」(同前)。単純協業の場合と同様に、ここでもふたたび倍数の原理〔がはたらいている〕。しかしいまでは、比例性を維持するために必要な諸比率は、分業そのものによって規定されているのである。総じて、労働の規模が大きくなればなるほど、〔労働の〕分割がそれだけ高い程度に進められうることは明らかである。第一に、正しい倍数を適用することができるからである。第二に、どの程度まで作業が分割できるか、またどの程度まで、一人の労働者の全時間を一つの作業で吸収できるかは、当然この規模の大きさにかかっているからである。〉(草稿集④463頁)

  バベジについては『資本論辞典』からも紹介しておきます。

  バベッジ Charles Babbage (1792-1871)イギリスの数学者・機械製作者・経済学者.……彼の経済学上の主著には『機械およびマニュフアクチュア経済論』(1832)がある.そこでは当時の初期工場制度の実態にかんして豊富な記述がなされているのみならず,マニュファクチュア的分業および機械にかんする経済理論への言及もみられる.その分業論ではスミスより出発して,それを補充せんとする試みがなされ,その機械論では社会の豊富さにたいする機械の貢献や機根経営にたいする資本家の役割やが強調される.
  『資本論』では.バベッジはユアとともに,その第1券第12および13の両章で主としで引用される.そこでは,マニュファクチュアの部門労働者間に確定される最適比率,マニュファクチュアにおける労働者の個別化,道具と機械の区別等々についての先駆的見解とみなされているのみならず,当時の実際例を示す典拠ともされている.しかしマルクスの彼にたいする根本的な批判点は,彼が「大工業を実にマニュファクチュアの立場から理解している」ということである.だから,ユアとの対比においても.数学者・機械学者としてのバベッジは彼よりすぐれていたとはし:ゐ,経済学者としてのパベッジは彼にさえ劣っているというマルクスの評価をうける.〉(533頁)


◎第9パラグラフ(各個の群、すなわち同じ部分機能を行なう何人かの労働者の一団は、同質の諸要素から成っていて、全体機構の一つの特殊器官になっている。しかし、いろいろなマニュファクチュアでは、この群そのものが一つの編成された労働体であって、全体機構はこれらの生産的基本有機体の重複または倍加によって形成される)

【9】〈(イ)各個の群、すなわち同じ部分機能を行なう何人かの労働者の一団は、同質の諸要素から成っていて、全体機構の一つの特殊器官になっている。(ロ)しかし、いろいろなマニュファクチュアでは、この群そのものが一つの編成された労働体であって、全体機構はこれらの生産的基本有機体の重複または倍加によって形成されるのである。(ハ)一例としてガラスびんのマニュファクチュアをとってみよう。(ニ)それは、三つの本質的に区別される段階に分かれる。(ホ)その第一は準備段階で、ガラス合成の準備、砂や石灰などの混合、この混合物の流動状ガラス塊への融解である(40)。(ヘ)この第一段階ではいろいろな部分労働者が働いているが、そういうことは、最終毅階、すなわち乾燥炉からのびんの取り出しやその品分けや包装などでも同じである。(ト)この両段階の中間に本来のガラス製造、すなわち流動状ガラス塊の加工がある。(チ)一つのガラス炉の同じ口で一つの群が作業しており、この群はイギリスでは“hole"(穴)と呼ばれていて、びん製造工または仕上げ工1人、吹き工1人、集め工1人、積み工または磨き工1人、見習い工1人から、構成されている。(リ)この5人の部分労働者が単一の労働体の5つの特殊器官になっていて、この労働体は、ただ統一体としてのみ、つまり5人の直接的協業によってのみ、働くことができる。(ヌ)もし5部分構成体の一肢が欠ければ、この労働体は麻痺してしまう。(ル)しかし、同じガラス炉にいくつもの口、たとえばイギリスでは4つから6つの口があって、そのおのおのに流動状のガラスのはいった土製の融解坩堝(ルツボ)が埋めてあり、どの口でも同じ5分肢形態の専/属の一労働者群が働いている。(ヲ)各個の群の編制はここでは直接に分業にもとづいているが、いくつかの同種の群のあいだの紐帯は、単純な協業、すなわち生産手段の一つを、こではガラス炉を、共同消費によってより経済的に使用するという協業である。(ワ)このようなガラス炉の一つとその4つないし6つの労働者群とで一つのガラス製造場になり、そして、一つのガラス・マニュファクチュアには、いくつものこのような製造場と同時に準備的および最終的生産段階のための設備と労働者とが包括されているのである。〉(全集第23a巻455-456頁)

  (イ)(ロ) 各個の群、すなわち同じ部分機能を行なう何人かの労働者の一団は、同質の諸要素から成っていて、全体機構の一つの特殊器官になっています。しかし、いろいろなマニュファクチュアでは、この群そのものが一つの編成された労働体であって、全体機構はこれらの生産的基本有機体の重複または倍加によって形成されるのです。

  先のパラグラフでは、有機的マニュファクチュアでは、一定の生産規模に見合った部分労働者の数的割合や構成が決まってくるという話でした。だから規模の拡大のためには、こうした倍数原理にもとづいて比例的に拡大する必要があるということでした。
  今回はそうした部分機能を行う何人かの労働者の一団そのものが、一つの要素となって、全体機構の一つの特殊器官になっているようなマニュファクチュアが検討されます。こうしたマニュファクチュアでは、全体機構がこうした生産的基本有機体の重複や倍加によって形成されることになります。

  (ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(チ)(リ)(ヌ)(ル) 一例としてガラスびんのマニュファクチュアをとってみましょう。それは、三つの本質的に区別される段階に分かれます。その第一は準備段階で、ガラス合成の準備、砂や石灰などの混合、この混合物の流動状ガラス塊への融解です。この第一段階ではいろいろな部分労働者が働いていますが、そういうことは、最終毅階、すなわち乾燥炉からのびんの取り出しやその品分けや包装などでも同じです。この両段階の中間に本来のガラス製造、すなわち流動状ガラス塊の加工があります。一つのガラス炉の同じ口で一つの群が作業しており、この群はイギリスでは「穴」と呼ばれています。びん製造工または仕上げ工1人、吹き工1人、集め工1人、積み工または磨き工1人、見習い工1人から、構成されています。この5人の部分労働者が単一の労働体の5つの特殊器官になっていて、この労働体は、ただ統一体としてのみ、つまり5人の直接的協業によってのみ、働くことができます。もし5部分構成体の一肢が欠けても、この労働体は麻痺してしまいます。しかし、同じガラス炉にはいくつもの口、たとえばイギリスでは4つから6つの口があります。そのおのおのに流動状のガラスのはいった土製の融解坩堝(ルツボ)が埋めてあり、どの口でも同じ5分肢形態の専属の一労働者群が働いているのです。

  ここでは具体例としてガラス瓶のマニュファクチュアが紹介されています。それは三つの本質的に区別される段階からなっています。
  最初は準備段階で、ガラス合成の準備、砂や石灰などの混合、この混合物の流動ガラス塊への融解です。つまりガラス炉にその原材料を投入して溶融する過程を担当する一連の労働者群です。これは一つの有機的な分業システムで構成されているといえます。
  その次は融解したガラスからガラス製品を作り出す加工過程です。ここで幾つかの基本的有機体の重複が見られるわけです。つまり炉にはいくつもの口(穴)が付いていて、そこからガラス塊を取り出して瓶に加工するのですが、それをやるのが5人から構成されるチームなわけです。仕上げ工1人、吹き工1人、集め工1人、積み工または磨き工1人、見習い工1人から、構成されています。これが一つの炉の穴で瓶製造を行うチームであり、それが口の数だけチームが編制されていることになります(イギリスでは4~6口)。
  そして第三が、最終段階の乾燥炉からの瓶の取り出しや品分け包装などがありますが、これも最初の準備段階と同じ一連の分業による協働システムがあるということです。
  つまりこのガラス瓶の製造マニュファクチュアで重要なのは中間段階の流動状のガラスを加工してガラス瓶を作る作業工程が5人から構成される一つの特殊器官になっていて、それが炉の口の数だけ同じものが配置されて働いているということです。

  (ヲ)(ワ) 各個の群の編制はここでは直接に分業にもとづいていますが、いくつかの同種の群のあいだの紐帯は、単純な協業、すなわち生産手段の一つを、こではガラス炉を、共同消費によってより経済的に使用するという協業です。このようなガラス炉の一つとその4つないし6つの労働者群とで一つのガラス製造場になり、そして、一つのガラス・マニュファクチュアには、いくつものこのような製造場と同時に準備的および最終的生産段階のための設備と労働者とが包括されているのです。

  この三つに区別されるそれぞれの段階でも、一連の群れの労働者は直接分業にもとづいて働いていますが、しかし中間段階のそれぞれのガラス炉の口に配置された同種の群れのあいだの紐帯は、単純な協業です。つまり生産手段の一つ(ガラス炉)を共同消費にって経済的に使用するという協業なわけです。
  このようにガラス瓶マニュファクチュアは、ガラス炉一つとその炉の口の数に合わせた4つないし6つの労働者群で構成されたガラス瓶製造場であり、それに準備段階と最終段階のための一連の設備と労働者から構成されているわけです。

   ((6)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(6)

2024-08-30 16:24:49 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(6)


◎原注40

【原注40】〈40 イギリスでは融解炉はガラスが加工されるガラス炉とは別にされているが、たとえばベルギーでは両方の過程に同じ炉が用いられている。〉(全集第23a巻456頁)

  これは〈その第一は準備段階で、ガラス合成の準備、砂や石灰などの混合、この混合物の流動状ガラス塊への融解である(40)〉という一文に付けられた原注です。

  イギリスでは融解炉とガラスを加工するときの炉とは別だが、ベルギーでは両方の過程に同じ炉が使われているということです。これはこれ以上とくに問題はないでしょう。


◎第10パラグラフ(マニュファクチュアは、さらにいろいろなマニュファクチュアの結合に発展する。そしていろいろな結合されたマニュファクチュアは、一つの全体マニュファクチュアの多少とも空間的に分離された諸部門をなしていると同時に、それぞれが固有の分業をともなう互いに独立した諸生産過程をなしている)

【10】〈(イ)最後に、マニュファクチュアは、そのあるものがいろいろな手工業の結合から生ずることがあるように、またいろいろなマニュファクチュアの結合に発展することがありうる。(ロ)たとえば、イギリスのいくらか大きいガラス工場は、その土製の融解坩堝を自分で製造する。(ハ)というのは、生産物の成否が主としてこの坩堝の良否にかかっているからである。(ニ)この場合には生産手段のマニュファクチュアが生産物のマニュファクチュアと結合されるわけである。(ホ)反対に、生産物のマニュファクチュアが、この生産物そのものを再び原料として用いるマニュファクチュアかまたは後にそれと合成される生産物を生産するマニュファクチュアと結合されることもありうる。(ヘ)たとえば、鉛ガラスのマニュファクチュアはガラス磨き業や黄銅鋳造業と結合されることがあるが、この鋳造業はいろいろなガラス製品に金属をちりばめるためのものである。(ト)このような場合には、いろいろな結合されたマニュファクチュアは、一つの全体マニュファクチュアの多少とも空間的に分離された諸部門をなしていると同時に、それぞれが固有の分業をともなう互いに独立した諸生産過程をなしているのである。(チ)結合マニュファクチュアは、多くの利点を示してはいるが、それ自身の基礎の上では現実の技術的統一を達成しない。(リ)このような統一は、結合マニュファクチュアが機械経営に転化するときにはじめて生ずるのである。〉(全集第23a巻456頁)

  (イ) 最後に、マニュファクチュアは、そのあるものがいろいろな手工業の結合から生ずることがありますように、またいろいろなマニュファクチュアがそれらを結合して発展することがありえます。

  マニュファクチュアそのものの発展としては最後のものになりますが、マニュファクチュアそのものが手工業の結合から生じてくることがありますように、いろいなマニュファクチュアを結合して一つの大きなマニュファクチュアへと発展することがあります。

  (ロ)(ハ)(ニ) たとえば、イギリスのいくらか大きいガラス工場は、その土製の融解坩堝を自分で製造します。といいますのは、生産物の成否が主としてこの坩堝の良否にかかっているからです。この場合には生産手段のマニュファクチュアが生産物を製造するマニュファクチュアと結合されるわけです。

  例えばイギリスのいくらか大きいガラス製造工場は自前で粘土の坩堝窯を製造しています。これは生産物の成否の大部分が坩堝窯の品質に依存しているからですが、この場合、生産手段のマニュファクチュアが生産物製造のマニュファクチュアと結合していることになります。

  (ホ)(ヘ) 反対に、生産物製造のマニュファクチュアが、この生産物そのものを再び原料として用いるマニュファクチュアかまたは後にそれと合成される生産物を生産するマニュファクチュアと結合されることもありえます。たとえば、鉛ガラスのマニュファクチュアはガラス磨き業や黄銅鋳造業と結合されることがありますが、この鋳造業はいろいろなガラス製品に金属をちりばめるためのものです。

  この部分は全集版は若干不正確なところがありますので、フランス語版を紹介しておきます。

  〈逆に、生産物のマニュファクチェアが、この生産物が原料として入り込むマニュファクチュアか、または、それが後に合成される別の生産物を生産しているマニュファクチュアと、結合することもありうる。たとえば、われわれは、ガラス研磨や銅鋳造と組み合わされている鉛ガラス・マニュファクチュアを見出すのであって、銅鋳造の作業は、種々のガラス製品の象眼または座金を目的としているのである。〉(江夏・上杉訳362頁)

  それとは逆に、生産物のマニュファクチュアが、この生産物を原料として用いるマニュファクチュア、あるいはそれと合成される別の生産物を製造するマニュファクチュアと結合することがあります。
  例えばガラス磨き業や黄銅鋳造業と結合された鉛ガラスのマニュファクチュアがあげられます。この場合、黄銅製造業は、種々のガラス製品を象嵌したり、座金の製造を目的としたものです。

  (ト) このような場合には、いろいろな結合されたマニュファクチュアは、一つの全体マニュファクチュアの多少とも空間的に分離された諸部門をなしていると同時に、それぞれが固有の分業をともなう互いに独立した諸生産過程をなしているのです。

  この部分もフランス語版を紹介しておきます。

  〈そのばあい、結合された種々のマニュファクチュアは、全体マニュファクチュアの多かれ少なかれ分立された諸部門をなすと同時に、それぞれがそれ自身の分業をもつ独立した生産過程をもなすのである。〉(同)

  このように結合マニュファクチュアは、一つの全体マニュファクチュアの多少とも空間的に分離された諸部門をなしていると同時に、それぞれが固有の分業によって組織された独立した生産過程をなしています。

  (チ)(リ) 結合マニュファクチュアは、多くの利点を示してはいますが、それ自身の基礎の上では現実の技術的統一を達成しません。このような統一は、結合マニュファクチュアが機械経営に転化するときにはじめて生ずるのです。

  しかしこのように結合され発展したマニュファクチュアですが、その限りでは多くの利点を示してはいますが、しかしそれ自身の基礎の上では真の技術的な統一を達成していません。やはりそれらは手工業的な作業に依存しているからです。ですからこうした技術的な統一を達成するためには、結合マニュファクチュアがさらに機械経営へと発展しなければならないのです。


◎第11パラグラフ(マニュファクチュア時代は、ある種の簡単な初歩的過程のための機械の使用を発展させる)

【11】〈(イ)マニュファクチュア時代は、商品生産に必要な労働時間の短縮をやがて意識的原則として表明するのであるが(41)、それはまた機械の使用をも散在的には発展させる。(ロ)ことに、大仕掛けに大きな力を用いて行なわれなければならないようなある種の簡単な初歩的過程のための機械の使用を発展させる。(ハ)たとえば、やがて製紙マニュファクチュアでは屑(クズ)の圧砕が製紙用圧砕機で行なわれるようになり、また冶金業では鉱石の粉砕がいわゆる砕鉱機で行なわれるようになる(42)。(ニ)あらゆる機械の基本的な形態をすでにローマ帝国は水車において伝えていた(43)。(ホ)手工業時代は、羅針盤や火薬や印刷術や自動時計の偉大な発明を遺(ノコ)した。(ヘ)とはいえ、だいたいにおいて機械は、アダム・スミスが分業の添え物としてそれにあてがっているような脇役を演じている(44)。(ト)17世紀にまばらに現われる機械の応用が非常に重要なものになったのは、それが当時の大数学者たちに近代的力学の創造のための実際上の手がかりと刺激とを提供したからである。〉(全集第23a巻457頁)

  (イ)(ロ)(ハ) マニュファクチュア時代は、商品生産に必要な労働時間の短縮をやがて意識的原則として表明するのですが、それはまた機械の使用をも散在的には発展させます。ことに、大仕掛けに大きな力を用いて行なわれなければならないようなある種の簡単な初歩的過程のための機械の使用を発展させます。たとえば、やがて製紙マニュファクチュアでは屑(クズ)の圧砕が製紙用圧砕機で行なわれるようになり、また冶金業では鉱石の粉砕がいわゆる砕鉱機で行なわれるようになるのです。

  ここからは、マニュファクチュア時代の特徴づけと、マニュファクチュアから機械経営へ移行する問題が取り扱われています。フランス語版も紹介していきます。

  〈マニュファクチュア時代には、マニュファクチュアの原則とは商品の生産に必要な労働時間の短縮にほかならなかった、ということがやがて認められるであろうし、この点について非常に明瞭に意見を述べた人がいる(16)。マニュファクチュアとともに、機械の使用、とりわけ、大規模に大きな力を使用しないかぎり遂行できないような若干の単純な予備的作業のための機械の使用も、あちこちで発展した。こうして、たとえば、金属工場では鉱石の粉砕がいわゆる砕鉱機と呼ばれる水車によって行われていたのと同じように、やがて製紙マニュファクチュアではぼろの粉砕が特別の水車によって行われた(17)。〉(江夏・上杉訳362頁)

  マニュファクチュア時代には、マニュファクチュアの原則とは商品の生産に必要な労働時間の短縮であると言明しました。
  『61-63草稿』でも次のように述べています。

  〈ペティの場合やさきに引用した東インド貿易の弁護者の場合(つまり近代人たちの場合)、分業にかんしてはじめから特徴的なことは、商品を安くすること--一定の商品の生産に社会的に必要な労働を減少させること--が主眼点となっていることである。ぺティの場合には、分業は外国貿易との関連で論及されている。ぺティが世界貿/易そのものをより少ない労働時間で同じ成果を達成するための手段として叙述するのと同様に、東インド〔貿易を弁護する〕人の場合には、直接に〔分業を〕、世界市場で競争者たちよりも安く売るための手段として叙述している。〉(草稿集④476-477頁)

  またマニュファクチュア時代には、機械の使用をも散在的に発展させます。とくに、大仕掛けに力を用いなければならないようなある種の簡単な初歩的な過程のための機械の使用です。たとえば、製紙マニュファクチュアでは屑の圧砕が製紙用圧砕機で行われるようになり、冶金業では鉱石の粉砕を砕鉱機で行うようになるのです。
 『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈{大きなマニュファクチュアがある程度まで発達するとすぐに、挽く砕く搗く縮充する圧縮するなどの単純な個々の工程にはそれぞれ単独の機械があてられるようになるが、しかしそのさい、動力は、〔作業〕機構のあらゆる不完全さをのりこえなければならない。}〉(草稿集⑨69頁)

  (ニ)(ホ)(ヘ)(ト) あらゆる機械の基本的な形態をすでにローマ帝国は水車において伝えていました。手工業時代は、羅針盤や火薬や印刷術や自動時計の偉大な発明を遺(ノコ)しました。とはいいましても、だいたいにおいて機械は、アダム・スミスが分業の添え物としてそれにあてがっているような脇役を演じていたのです。17世紀にまばらに現われる機械の応用が非常に重要なものになったのは、それが当時の大数学者たちに近代的力学の創造のための実際上の手がかりと刺激とを提供したからです。

  まずフランス語版です。

  〈ローマ帝国は水車とともにあらゆる種類の生産機械の基本的形態を伝えた(18)。手工業時代は、羅針盤や火薬や印刷術や自動時計という偉大な発明をのこした。しかし、一般的に言えば、機械はマニュファクチュア時代には、/アダム・スミスが分業のかたわらに割り当てているところの脇役しか演じなかった(19)。機械の使用は、まばらではあったが、17世紀には非常に重要になった。というのは、それが当時の大数学者たちに、近代力学の創造のための支点と刺激とを提供したからである。〉(江夏・上杉訳362-363頁)

  あらゆる種類の機械の基本的な形態をすでにローマの水車が伝えています。手工業時代には、羅針盤や火薬、印刷術、自動時計などという偉大な発明を残しました。といいましても、それらはスミスが機械を分業の添え物として扱っているような、脇役を演じていただけですが。機械の使用はまばらでしたが、17世紀には非常に重要になりました。というのは、それが当時の大数学者たちに、近代力学の創造のための支点と刺激を与えたからです。
  新日本新書版では〈大数学者たちに〉のところに次のような訳者注が付いています。

  〈ガリレイ、ケプラー、フェルマ、ニュートンなど各国の数学者〉(606頁)

  『61-63草稿』からも紹介しておきます。

  火薬羅針盤印制術--市民社会の前触れとなる3大発明。火薬は騎士階級を吹き飛ばし、羅針盤は世界市場を発見し植民地をつくりだす。さらに印刷術は、プロテスタンティズムの、総じて科学の復奥の手段、精神的に不可欠な諸前提のための最強の槓杆である。
  水車(風車)と時計は、ともに〔過去から〕うけつがれた機械であるが、両者の発展は、マニュファクチュアの時代に早くも機械(マシネリー)の時代を用意するのである。それゆえ、「水車〔Mühle,mill〕」で、ひとは、自然力で動かされるあらゆる労働用具--もっと複雑な、そのさいは手が動力であるような道具、でさえも--を〔さすのである〕。製粉機においては、機械の諸要素は、すでに一定程度の独立性と広がりをもって並立するところまで発展をとげている。すなわち、動力、つまり動力がそこで作用する原動機〔Prime Motor〕、原動機と作業機のあいだの歯車装置・槓杆・突起などのような結合装置。〉(草稿集⑨58頁)

  最後に、この時代の道具から機械への移行とそれに対応した近代科学の発展について、マルクスがエンゲルスに当てた手紙(1863年1月28日付)で論じていますので、紹介しておきます。

  〈技術学的-歴史的な書き抜きを読み返してみて、僕は次のような見解に到達した。火薬や羅針盤や印刷術の発明--これらのブルジョア的発展の必要前提条件--を別とすれば、16世紀から18世紀の中葉までの時代、つまり手工業から出発して本来の大工業にまで発展するマニュファクチュアの時代には、マニュファクチュアの内部で機械工業のための準備が形成されるための二つの物質的基礎は、時計ミューレ(さしあたりは穀物ミユーレ、しかも水車) であって、両方とも古代から伝えられたものだ。(水車はユーリウス・カエサルの時代に小アジアからローマに持ってこられた。)時計は、自動装置が実用目的に応用された最初のものだ。そして、一様な運動の生産にかんする全理論が時計において発展する。当然のこととして、時計そのものが半ば芸術的な手工と直接的な理論との結合にもとづいている。たとえばカルダーノは時計の構造について書いた(そして実用的な製法書を与えた)。「学者的な(非同職組合的な)手工業」、時計製造は16世紀のドイツの著述家たちのあいだではこう呼ばれている。そして、時計の発展においては、手工業の基礎のうえでは学問と実際との関係がたとえば大工業におけるのとはまったく違っている、ということが示されるだろう。18世紀には自動装置(しかもぜんまいによって動かされるもの)を生産に応用するという最初の着想を時計が与えた、ということには少しも疑う余地がない。ヴォカンソンのこの種の試みが、イギリスの発明家たちの想像力に特別な影響を与えた、ということは歴史的に論証できることだ。
  他方、ミューレでは、水車が与えられると、はじめから機械の機構における本質的な相違が見られる。機械的な動力。まず第一に、ミューレが待っている発動機。伝動機構。最後に、素材をつかまえる作業機。これらがみな互いに独立な存在様式をもっている。摩擦の理論、それとともに歯車装置や歯の数学式にかんする諸研究、等々がみなミューレによってなされる。同様にここではじめて、動力の強度の測定、その応用の最良の仕方、等々にかんする理論。17世紀中葉以後のほとんどすぺての偉大な数学者は、彼らが実用的な機械学に関係してそれを理論化しているかぎりでは、簡単な水力-穀物ミューレ〔水力製粉機〕から出発している。だから、マニュファクチュア時代に生まれたミユーレミルという名称も、実際には、実用目的に向けられた機械的な発動装置のすべてを意味するものだったのだ。/
  だが、ミューレでは、印刷機や鍛冶装置や犂(スキ)などの場合とまったく同様に、はじめから、本来の労働、すなわち打つ、砕く、粉にするなどの労働が、人間労働なしで行なわれる。たとえ動力が人力や畜力であろうとも。だから、この種の機械装置は、少なくともその発端においては非常に古いもので、それにあっては固有な機械的動力が以前から応用されていたのだ。だから、それはマニュファクチュア時代に現われるほとんど唯一の機械装置でもあるのだ。産業革命が始まるのは、昔から最後の結果が人間の労働を必要とするところに、つまり、あの道具の場合のように本来加工されるべき素材が以前から人間の手を必要としないのではなかったところに、事柄の性質上人間がはじめからたんなる力として作用するのではないところに、はじめて機械装置が応用されるときである。もしドイツのばか者どもとともに、畜力(したがって人力とまったく同様に自由意志的な運動)の応用を機械装置だと言うならば、いずれにせよこの種の機関車の応用は最も簡単な手工道具よりもはるかに古いのだ。〉(全集第30巻258-259頁)


◎原注41

【原注41】〈41 このことは、なかんずくW・ぺティ、ジョン・ベラーズ、アンドルー・ヤラントン、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、J・ヴァンダリントの所説から推測することができる。〉(全集第23a巻457頁)

  これは〈マニュファクチュア時代は、商品生産に必要な労働時間の短縮をやがて意識的原則として表明するのであるが(41)〉という一文に付けられた原注です。
  要するにマニュファクチュアに関して、それが商品を生産するに必要な労働時間の短縮をもたらすことを強調している論者たちが存在したということです。これは本文の解説のなかで紹介した『61-63草稿』がそのことを指摘しています。もう一度紹介しておきます。

  〈ペティの場合やさきに引用した東インド貿易の弁護者の場合(つまり近代人たちの場合)、分業にかんしてはじめから特徴的なことは、商品を安くすること--一定の商品の生産に社会的に必要な労働を減少させること--が主眼点となっていることである。ぺティの場合には、分業は外国貿易との関連で論及されている。ぺティが世界貿/易そのものをより少ない労働時間で同じ成果を達成するための手段として叙述するのと同様に、東インド〔貿易を弁護する〕人の場合には、直接に〔分業を〕、世界市場で競争者たちよりも安く売るための手段として叙述している。〉(草稿集④476-477頁)

  この原注で挙げられています、5人の人物について、最初の〈W・ぺティ〉と〈『イギリスにとっての東インド貿易の利益』〉については、上記に紹介した『61-63草稿』でも言及されています。
  ペティについては以前、第8章第5節注119に出てきたときに、『資本論辞典』からその概要を紹介しましたので、それを再度掲載しておきます。

  ペティ Sir Wil1iam Petty (1633-1687)近世経済学の建設者にしてその父,もっとも天才的・独創的な経済学研究者であると同時に,いわば統計学の発明者。/まずしい毛織物工業者の第3子として南西イングランドに生まる。……/ベティは,労働は富の父であり、土地はその母だといい,また資本(Stock)とは過去の労働の成果だといっているが,ここで彼が問題にしている労働は.交換価値の源泉をなす抽象的・人間的労働ではなくて,土地とならんで素材的富の一源泉をなすところの具体的労働,つまり使用価値をつくりだすかぎりでの労働である。そして彼はこの現実的労働をただちにその社会的総姿態において,分業としてとらえたのであるが,彼が商品の「自然価格」を規定するばあい,それは事実上,この商品の生産に必要なる労働時間によって公的に規定されるところの(交換)価値にほかならないのである。しかし,同時に彼は,交換価値を,それが諸商品の交換過程で現象するがままに,貨幣と解いし,そして貨幣そのものは,これを実存する商品すなわち金銀と解した。彼は,一方では重金主義のあらゆる幻想をくつがえしつつも,他方ではこの幻想にとらわれ,金銀を獲得する特殊の種類の現実的労働を,交換価値を生む労働だと説明したのである。/彼の価値規定においては. a) 同等な労働時問によって規定される価値の大いさと. b)社会的労働の形態としての価値,したがって真実の価値姿態としての貨幣と,c) 交換価値の源泉としての労働と,使用価値の源泉としての労働(このばあい労働は,自然質料すなわち土地を前提とする)との混同,の三者が雑然と混乱している。彼が貨幣の諸機能を一応正当に把握しつつも,他方ではそれを金銀と解し,不滅の普通的富と考えたり,また価値の尺度として土地・労働の両者を考え,この両者のあいだに‘等価均等の関係'をうちたてようとしたりしたのも(このぱあい,事実上,土地そのものの価値を労働に分解することだけが問題になっているのだが),この混乱にもとづくのである。/ところで,以上の価値裁定に依存するベティの刺余価値の規定はどうかといえば.彼は剰余価値の本性を予感してはいたけれども彼が見るところでは,剰余がとる形態は'土地の賃料'(地代〕と‘貨幣の賃料'(利子)の二つだけであった。そして彼にとっては,のちに重農主義者にとってそうであるのと同じように,地代こそが'剰余価値'の本来の形態であって,彼は地代を剰余価値一般の正常的形態と考えるのであるから,利潤の方はまだぼんやりと労賃と熔けあっているか,またはたかだか,この剰余価値のうち資本家によって土地所有者から強奪される一部分として現象するのである。すなわち.彼は地代(剰余)を生産者が'必要労働時間'をこえておこなう超過労働として説明するばかりでなく,生産者自身の'剰余労働'のうち,彼の労賃および彼自身の資本の填補をこえる超過分として説明する,つまり地代は,'農業的剰余価値'全体の表現として,土地からではな<.労働からひきだされ,しかも労働のうち労働者の生計に必要なものをこえる剰余として説明されているのである。(以下、まだ続きますが長すぎるので省略します。)〉(547-548頁)

  ベラーズについても草稿集⑨で言及はありますが、マニュファクチュアに関連したものではありませんでした。ベラーズについては第11章の注11aに出てきたときに『資本論辞典』から紹介しましたので、それを再度掲載しておきます。

  ベラーズ John Bellers (c.I654-1725)イギリスのクウェイカー派(フレンド派)の博愛主義者・織物商人.その一生を,貧民のための授産所の経営,教育制度の改善,慈善病院の役立などの社会事業や.監獄の改革,死刑の廃止にささげた.……前者の著作(=『産業専門学校設立提案』--引用者)は,多数の業種にたずさわる労働者およびその家族を産業専門学校と称する施設に収容して,彼らに適当な教育と生活環境をあたえることを主張したものである.その経営は,富裕なひとびとの基金によっておこなわれるが.その企業の利益は,これをもっぱら労働者たちの生活向上のためにあてられるべきだと訴えている.マルクスは,彼を「経済学史上の非凡なる人物」と呼んで,この書の内容のいくつかをきわめて高く評価している.たとえばベラーズは,貨幣は商品にたいする社会的な担保物(pledge)をあらわすにすぎない,したがって貨幣は富それ自体とはいえない,むしろ真の富は土地や労働であると述べ,貨幣の蓄蔵形態は「死んだ資本」というべく.外国貿易に使用されるばあいのほかは,国になんらの利益をももたらさないと記している.またベラーズは,協業は個別的生産力をますばかりでなく,集団力としてのひとつの生産力の創造であるとして,協業の利益を示唆したり,機械と労働者との闘争に言及して労働日の規制を主張したり,社会の両極に持てるものの富裕化と持たざるものの貧困化をつくりだす資本主義社会の教育/と分業との組織を排除せよと訴えたり,労働者の労働こそ富めるひとびとの富裕化の源泉だととなえたりしている.17世紀の末に,すでに,マニュファクチュア時代の資本主義的生産の諸矛盾について,これだけの洞察をなしている点で,イーデン もまた.ベラーズをその著作でしばしば引用している.〉(549-550頁)

  次は〈アンドルー・ヤラントン〉ですが、全集版の人名索引に次のようにあるだけで、著作等は分かりません。草稿集には人名索引にも記載はありませんでした。ME全集版でもこの『資本論』の箇所だけがヒットするだけです。他には言及はまったくないということのようです。

  ヤラントン,アンドルーYarranton,Andrew(1616-1684ころ)イギリスの経済学者,技術者.〉(全集第23b巻87頁)。

  〈『イギリスにとっての東インド貿易の利益』〉については上記に紹介した以外にはマニュファクチュアに関連したものはありませんでした。

  〈J・ヴァンダリント〉についても、マニュファクチュアに関連したものは見つかりませんでした。ヴァンダリントについてはこれまでにも何度か出てきましたが、第8章第5節の注121に出てきたときに『資本論辞典』から紹介しましたので、それを再度掲載しておきます。

  ヴァンダーリント Jacob Vanderlint (!1740)イギリスに帰化したオランダ商人.唯一の著書《Money answers all Things》(1734)によって知られている.貿易差額脱を批判して自由貿易論へ道を開き,下層・中間階級の地位の引上げを目標とし.高賃銀を要求し.土地にたいする不生産的地主の独占を攻撃した.マルクスはアダム・スミスにいたるまでの経済学が,哲学者ホッブズ,ロック.ヒューム.実業家あるいは政治家トマス・モア,サー・W・テンプル,シュリー,デ・ゲイツト,ノース,ロー.カンティヨン.フランクリンにより,また理論的にはとくに医者ペティ,バーボン. マンドヴィル,ケネーにより研究されたとしているが,ヴァンダリントもこれら先人のなかに加えられており,とくにつぎの三つの点でとりあげられている.第一に,流通手段の量は,貨幣流通の平均速度が与えられているばあいには,諸商品の価格総頬によって決定されるのであるが,その逆に,商品価格は流通手段の量により,またこの後者は一国にある貨幣材料の量によって決定されるという見解(初期の貨幣数量説)があり,ヴァンダリントはその最初の代表者の一人である.この見解は,商品が価格なしに,貨幣が価値なしに流通に入り込み,そこでこの両者のそれぞれの可除部分が相互に交換されるという誤った仮設にもとづく'幻想'である,と批判されている.またこの諭点に関連して,ヴァンダリントにおける,貨幣の退蔵が諸商品の価格を安くする,という見解が批判的に,産源地から世界市場への金銀の流れについての叙述が傍証的に引用されている.第二に,ヴァンダリントはまた,低賃銀にたいする労働者の擁護者としてしばしば引用され,関説されている.第三に,マニュフアクチュア時代が,商品生産のために必要な労働時間の短絡を意識的原則として宣言するにいたる事情が,ペティその他からとともにヴァンダリントからもうかがい知ることができるとされている.上述の批判にもかかわらず.《Money answers all Things》は,‘その他の点ではすぐれた著述'であると評価され,とくにヒュームの《Political Discourses》(初版1752)が,これを利用したことが指摘されている.《反デューリング論》の(《批判的学史》から)の章ではこの両者の関係が詳細に確認され, ヒュームはヴァンダリントにまったく迫随しつつ,しかもそれに劣るものであると断ぜられている(その他の点でも《反デュリング論》の参照が必要).〉(472頁)


◎原注42

【原注42】〈42 16世紀の末ごろにもまだフランスでは砕鉱や洗鉱に臼や篩(フルイ)が用いられている。〉(全集第23a巻457頁)

  これは〈とはいえ、だいたいにおいて機械は、アダム・スミスが分業の添え物としてそれにあてがっているような脇役を演じている(44)〉という一文に付けられた原注です。
  つまり冶金業では鉱石を粉砕する砕鉱機が使われるようになったとありましたが、しかしそれらはまだまだ脇役を演じる程度で一般化していなかったということです。だからそれに関連してフランスではまだ砕鉱には臼や篩が使われていたと指摘しているわけです。


◎原注43

【原注43】〈43 機械の全発達史は製粉水車の歴史によって追うことができる。工場は英語ではいまなおmill〔水車〕と呼ばれている。19世紀の最初の数十年間のドイツの技術学書では、自然力で動かされるすべての機械を表わすだけではなく機械的装置を用いるすべての製造場を表わすためにも、まだMühle〔水車〕という表現が見いだされる。〉(全集第23a巻457頁)

    これは〈あらゆる機械の基本的な形態をすでにローマ帝国は水車において伝えていた(43)〉という一文に対する原注です。機械の全発達史は製粉水車の歴史によって追うことができるとありますが、先に紹介したマルクスのエンゲルスへの書簡のなかでも、次のような一文が見られます。

  〈マニュファクチュアの内部で機械工業のための準備が形成されるための二つの物質的基礎は、時計ミューレ(さしあたりは穀物ミユーレ、しかも水車) であって、両方とも古代から伝えられたものだ。〉〈ミューレでは、水車が与えられると、はじめから機械の機構における本質的な相違が見られる。機械的な動力。まず第一に、ミューレが待っている発動機。伝動機構。最後に、素材をつかまえる作業機。これらがみな互いに独立な存在様式をもっている。〉

    また工場を英語ではいまなおmill(水車)と呼ばれているという指摘や、19世紀の最初の十数年間のドイツの技術書でも、自然力で動かされるすべての機械や機械的装置、あるいは製造場を表すために、いまだにMühle〔水車〕という表現が見いだされるということについても、先に紹介した『61-63草稿』の一文なかにも〈水車(風車)と時計は、ともに〔過去から〕うけつがれた機械であるが、両者の発展は、マニュファクチュアの時代に早くも機械(マシネリー)の時代を用意するのである。それゆえ、「水車〔Mühle,mill〕」で、ひとは、自然力で動かされるあらゆる労働用具--もっと複雑な、そのさいは手が動力であるような道具、でさえも--を〔さすのである〕〉 と述べられていました。また書簡のなかでも、〈だから、マニュファクチュア時代に生まれたミユーレミルという名称も、実際には、実用目的に向けられた機械的な発動装置のすべてを意味するものだったのだ〉とも述べられています。
  新日本新書版では〈英語ではいまなおmill〔水車〕〉というところに次のような訳者注が付いています。

  〈もともとは「粉ひき所」を意味し、次いで「ひき臼」「製粉機」、さらに「機械設備をそなえた工場または作業場」を意味するにいたった〉(606頁)


◎原注44

【原注44】〈44 (イ)本書の第4部でもっと詳しく見るであろうように、A・スミスは分業については一つも新しい命題を立ててはいない。(ロ)しかし、彼をマニュファクチュア時代の包括的な経済学者として特徴づけるものは、彼が分業に力点を置いていることである。(ハ)彼が機械に従属的な役割をあてがっていることは、大工業の初期にはローダデールの反対論を、さらに発展した時代にはユアの反対論を呼び起こした。(ニ)A・スミスはまた、マニュファクチュアそのものの部分労働者が大いにそのために働いた道具の分化を機械の発明と混同してもいる。(ホ)機械の発明に一役を演じているのは、マニュファクチュア労働者ではなく、学者や手工/業者であり、農民(ブリンドリ)などでさえもある。〉(全集第23a巻457-458頁)

  これは〈とはいえ、だいたいにおいて機械は、アダム・スミスが分業の添え物としてそれにあてがっているような脇役を演じている(44)〉という一文に付けられた原注です。マルクスによる一文なので、文節に分けて検討してみましょう。

  (イ)(ロ) 本書の第4部ではもっと詳しく見るでしょうが、A・スミスは分業については一つも新しい命題を立ててはいません。しかし、彼をマニュファクチュア時代の包括的な経済学者として特徴づけるものは、彼が分業に力点を置いていることです。

  スミスについては第4部(『剰余価値学説史』に該当)で詳しく検討するということです。新日本新書版ではこの部分に訳者注を付けて『61-63草稿』の第3章、b「分業」を指示し、草稿集④の422頁以下を参照としていますが、しかしこれは分業の草稿部分を指すのであって、マルクスが〈本書の第4部〉と述べているものとはまったく異なるものです。
    スミスの生年は1723~1790年ですから、〈およそ16世紀中葉から18世紀の最後の3分の1期〉(第1パラグラフ)という本来的マニュファクチュア時代と重なります。その終わりの頃、あるいは機械制大工業への移行期に登場したといえるでしょう。
  だからマルクスはスミスを〈マニュファクチュア時代の包括的な経済学者〉としているのでしょう。そしてそれを特徴づけるのはスミスが分業に力点を置いていることにあるのだとしています。
  『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈分業の考察におけるスミスの主要な功績は、彼が分業を先頭に立てて強調し、しかもまともに労働の(すなわち資本の)生産力として強調している、ということである。分業を把握するさいの、彼は、近代的工場からはまだ大きくへだたっていた、マエュフアグチュアという当時の発展段階に従属している。したがってまた、機械--それはまだ分業のほんの添え物として現われているにすぎない--にたいしてよりも分業にたいして相対的に過大な比重がおかれている。〉(草稿集④438頁)

  (ハ) 彼が機械に従属的な役割をあてがっていることは、大工業の初期にはローダデールの反対論を、さらに発展した時代にはユアの反対論を呼び起こしました。

    スミスが機械に従属的な役割しかあてがっていないのは彼の時代的な制約もあったのでしょうが、それに対してローダデールの反対論を引き起し、さらに大工業が発展してからはユアの反対論を引き起こしたとあります。しかしその反対論の詳しい内容は記載されていません。

    ローダデール(1759-1839)はスミスの反対者とされていますが、他方でスミスの俗流化を進めた人物ともされています。スミスの機械の役割の従属的な位置づけを直接批判するものではありませんが、『61-63草稿』に次のような一文がありました。

  〈機械による労働の節約にたいして、ローダデイルは、それは〔機械の〕特徴をあらわすものではない、と主張する。労働は、機械がなければ行なうことのできないことを機械を用いて行なうのである、というのがその理由である。けれども、この理由は、ただ機械の使用価値にのみかかわることであって、機械によって生産される商品の交換価値には、したがってまた剰余価値にはなんの関係もないのである。〉(草稿集⑨237頁)

  新日本新書版にはローダデールのところに次のような訳者注が付いています。

  〈イギリスの政治家、経済学者。『公的富の本性と起源……にかんする研究』、仏訳本、パリ、1808年からのマルクスの抜粋は、『経済学批判要綱』、580ページ参照。高木幸二郎監訳、大月書店、第3分冊、640-641ページ〉(607頁)

  ここで指示されている『要綱』の当該箇所でやや関連すると思えるところを紹介しておきましょう(但し草稿集から)。

  〈「機械に変形された資本で労働を補うことは、人類を特徴づけ、また区別する特性のひとつである。」(120ページ。)(ローダデイル、ノート、9ページ。)「いまや了解されるように、資本の利潤が生じるのはつねに、人間が自分の手でなさねばならない労働の一部を資本が補うことによってであるか、あるいは人間の個入的努力を超えていて、人間が自分では実行できない労働の一部を資本が遂行することによってであるか、そのどちらかである。」(同前、119ページ。)ローダデイルは、スミスおよびロックと論争しているが、ローダデイルによれば、労働を利潤の創造者であるとする彼らの見解は、次のことに帰着するのである。すなわち、「もしも資本の恩恵についてのこの考えが厳密に正しいとするならば、資本は富の本源的源泉ではなく、派生的源泉であるという、また、資本の利潤は労働者のポケットから資本のポケットへの移転にすぎないのだから、資本を富の諸原理のひとつとみなすことはできない、という結論になるはずである。」(同前、116、117ページ。)「資本の利潤が生じるのはつねに、人間が自分の手でなさねばならない労働の一部を資本が補うことによってであるか、あるいは人間の個人的努力を超えていて、人間が自分では実行できない労働の一部を資本が遂行することによってであるか、そのどちらか、である。」(同前、119ページ、〔ノート〕9ページ、b。)「資本家は、彼の貨幣を使用することによって消費者階級のある一定の労働を節約するとしても、それによって彼がその労働の代わりに彼自身の労働の等しい部分を用いているわけではない、ということに注目する必要がある。このことは、それを遂行するのが彼の資本であって、彼自身ではないということを立証している。」(同前、132ページ、ノート、10ページ。)「もしもアダム・スミスが、機械の効果は労働を容易にすることである、あるいは彼自身が述べているように、労働の生産力を増大させることであると想像するかわりに(スミス氏が、資本の効果は労働の生産力を増大させることである、と言うことができたのは、奇妙な混乱した考え方のためにすぎない。同じ論理をもってすれば、与えられた二つの場所のあいだの迂回道路を半分だけ短縮することは歩行者の速度を二倍にするのと同じことだ、と主張す/ることも大いに可能であろう。)、機械に支払われるファンドが利潤を生むのはそれが労働を補うことによってであるということを認めていたならば、彼は利潤の源泉を同一の事情に帰していた、であろう。」(〔同前、〕137ページ、〔ノート〕、11ページ。)〉(草稿集②467-468頁)

  最後にローダデールについての『資本論辞典』の説明も紹介しておきます。

  ローダデール James Mait1and. Eighth Earl of Lauderdale (1759-1830) イギリスの経済学者・政治家.代議士として政治的活動をおこなうかたわら,経済理論や通貨問題などについて著述した.主箸としては《An Inquiry into the Nature and Origin of Public Wealth and into the Means and Causes of Its Increaset》がある.この書物を一貫する基本的立場は,価値にかんしては需要と希少性との交互作用にもとづく効用説であり,利潤にかんしては一種の労働節約説の立場である.この見地から彼は,スミスの労働を不変の価値尺度だとする説やその分業論を排撃する一方,利潤についても.スミスのようにこれを事実上の剰余労働にもとづく剰余価値のかたちでとらえるのではなしそれの出所を資本の使用する機械の作用に帰着させる.けだし彼によれば,機被は労働の一部を代替してこれを節約するばかりでなく.機械なしには不可能なような仕事をなすことができるからである.こうしてローダデールは,富の源泉をそれぞれ独立せる資本と土地と労働に帰せしめるスミスの俗説的側面を徹底した.マルクスは,この経済学を古典派経済学の俗流化・浅簿化・反動化の一つの典型としてとり扱い,とくにその弁護論的な利潤論にたいしては,機械はたしかに人間労働を代替し/たり節約したりするが.だからといってそれによって機械の使用価値が直接に特別の利測をつくったり,また人間労働がぜんぜん不必要になったりすることはけっLてない点をあきらかにして.これを明快に批判している.〉(584-585頁)

  ユア(1778-1857)については、 まず新日本新書版に、次のような訳者注があります。

  〈イギリスの化学者、経済学者。『工場の哲学』からのマルクスの抜粋は、前訳注の3の「分業」、『資本論草稿集』4、482-484ページ参照〉(607頁)

  そこで、ここで指示されている『61-63草稿』の箇所を紹介しておきます。

  〈同様に他方では、彼(スミス--引用者)がマニュフアクチュアにおける分業を特別に重視していることは、彼の時代が近代的工場制度の生成しつつある時代であったことを示している。この点については、ユアが正しく次のように述べている。--
  「A・スミスが経済学の諸原理にかんする彼の不朽の著作を書いた当時は、工業の自動体系はまだほとんど知られていなかった。分業がマニュファクチュアの完成の主要原理だと彼に思われたのは当然であった。……しかし、スミス博土の時代には有益な実例となりえたものも、今日では、/現代の工業の実際の原理について世間を誤らせることに役立つだけであろう。……熟練度の違いに応じて労働を分割するというスコラ的なドグマは、経験豊かなわれらの工場主によってついに使いつくされてしまった」(アンドルー・ユア『工場哲学』〔フランス語版〕、第1巻、第1章)(初版〔英語版〕の刊行は1835年)。
  この箇所が的確に示しているように、ここで問題とされている--そしてもともとA・スミスの場合にも実際にはこれを問題にしている--分業は、けっして、大多数の、またきわめて多種多様な社会状態に共通する一般的カテゴリーではなく、まったく規定された歴史的な・資本の一定の歴史的発展段階に対応する・生産様式なのである。それどころかそれは、A・スミスが唯一支配的で圧倒的なものとして描いたような形態においては、当時でさえ、資本主義的生産の発展の、すでに乗り越えられた、過去のものとなった段階に属するものとなっていたのである。〉(草稿集④482-483頁)

  ユアについては第7章第3節の注32aに出てきたときに、『資本論辞典』から紹介したことがありましたので、それを再度紹介しておきます。

  ユア Andrew Ure (1778-1857)イギリスの化学者・経済学者.……彼の経済学上の主著には『工場哲学』(1835)がある. そこでは,当時の初期工場制度における労働者の状態が鮮細に記述されているのみならず,機械や工場制度や産業管理者にたいする惜しみなき讃美と無制限労働日のための弁解とが繰返されている.……彼の視点はまったく工場主の立場のみに限られ,一方ではシーニアと同じく工場主の禁欲について讃辞を呈するとともに.他方では断乎として労働日の短縮に反対する.そして1833年の12時間法案を‘暗黒時代への後退'として.罵倒するのみならず,労働者階級が工場法の庇護に入ることをもって奴隷制に走るものとして非難する(KⅠ-284,314:青木3-469,509:岩波3-235,284)というごとく露骨をきわめている.〉(572頁)

  (ニ)(ホ) A・スミスはまた、マニュファクチュアそのものの部分労働者が大いにそのために働いた道具の分化を機械の発明と混同してもいます。しかし機械の発明に一役を演じていますのは、マニュファクチュア労働者ではなく、学者や手工業者であり、農民(ブリンドリ)などでさえもあるのです。

    スミスはマニュファクチュアの部分労働者が働いた道具の分化を機械の発明と混同しているということです。しかし確かに労働の細分化と単純化は機械の物質的条件とはなりましたが、しかしマニュファクチュア労働者が機械の発明に一役買ったということではなくて、それをやったのは学者や手工業者や、農民(ブリンドリ)などだったということです。

  最後の〈農民(ブリンドリ)〉のブレンドリについては新日本新書版では次のような訳者注が付いています。

  〈18世紀のイギリスの技師。ダービシャーの小農の息子で、イギリスの運河を建設した〉(607頁)

  スミスが機械の発明を労働者に見ていることについては、『61-63草稿』に次のような一文があります。

  〈A・スミスは多くの点で彼の先行者たちに劣っているのだが、彼を際立たせているのは、彼が「労働の生産諸力の増大」という言葉を使用している点である。A・スミスの居合わせた時代がまだどんなに大工業の幼年期であったかは、機械が分業の派生的結果(コロラリー)として現われているだけであって、機械にかんする発見をするのは、彼の場合にはまだ、自分の労働をやさしくしかつ減らそうとしている労働者だ、というところに現われている。〉(草稿集④461頁)


   ((7)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(7)

2024-08-30 15:48:17 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(7)


◎第12パラグラフ(マニュファクチュア時代の独自な機械は、多数の部分労働者の結合された全体労働者そのものである。)

【12】〈(イ)マニュファクチュア時代の独自な機械は、やはり、多数の部分労働者の結合された全体労働者そのものである。(ロ)ある一つの商品の生産者によって次々に行なわれて彼の労働過程の全体のなかでからみ合っているいろいろな作業は、彼にいろいろなことを要求する。(ハ)彼は、この作業ではより多く力を、別の作業ではより多く熟練を、また第三の作業ではより多く精神的注意力、等々を発揮しなければならないが、これらの属性は同じ個人が同じ程度にそなえているものではない。(ニ)いろいろな作業が分離され、独立化され、分立化されてからは、労働者たちは彼らの比較的すぐれた属性にしたがって区分され、分類され、編成される。(ホ)彼らの生来の特殊性が基礎となってその上に分業が接木(ツギキ)されるとすれば、ひとたび導入されたマニュファクチュアは、生来ただ一面的な特殊機能にしか役だたないような労働力を発達させる。(ヘ)今では全体労働者がすべての生産的属性を同じ程度の巧妙さでそなえており、それらを同時に最も経済的に支出することになる。(ト)というのは、全体労働者は、特殊な労働者または労働者群に個別化されている彼のすべての器官をただそれぞれの独自な機能だけに用いるからである(45)。(チ)部分労働者の一面性が、そしてその不完全性さえもが、全体労働者の手足としては彼の完全性になるのである(46)。(リ)ある一つの一面的な機能を行なうという習慣は、彼を自然的に確実にこの機能を行なう器官に転化させるのであり、他方、全体機構の関連は、機械の一部分のような規則正しさで作用することを彼に強制するのである(47)。〉(全集第23a巻458頁)

  初版とフランス語版は第12~14パラグラフが一つのパラグラフになっています。また内容も若干違っているところもあります。よって以下では、初版とフランス語版を同時に紹介していくことにします。

 (イ) マニュファクチュア時代の独自な機械というのは、やはり、多数の部分労働者の結合された全体労働者そのものといえます。

  初版マニュファクチュア時代の独自な機械は、相変わらず、多くの部分労働者から結合された全体労働者そのものである。〉(江夏訳398頁)
  フ版〈マニュファクチュア時代の独自の機構を構成するのは、多数の部分労働者の結合によって形成される集団労働者である。〉(江夏・上杉訳363頁)

  マニュファクチュア時代の独自の機構といいいますのは、多数の部分労働者を分業によって結合して組織している全体労働者そのもといえます。つまりマニュファクチュアの工場全体が独自な機構になっているということです。初版と全集版は〈独自な機械〉になっていますが、フランス語版は〈独自の機構〉となっています。ここでは一応、フランス語版に従っておきました。
  『61-63草稿』でも次のように述べています。

  〈それを全体として観察すれば、マニュファクチュアでは、1人ひとりの労働者が、全体機械(ゲザムトマシーネ)の、すなわちそれ自体が人間で構成された機構である作業場の、生きた部分品になっている。〉(草稿集⑨208)

  この草稿では〈全体機械(ゲザムトマシーネ)〉といい、〈それ自体が人間で構成された機構である〉とも述べています。

  (ロ)(ハ)(ニ)(ホ) ある一つの商品の生産者によって次々に行なわれて彼の労働過程の全体のなかでからみ合っているいろいろな作業は、彼にいろいろなことを要求します。彼は、この作業ではより多く力を、別の作業ではより多く熟練を、また第三の作業ではより多く精神的注意力、等々を発揮しなければなりませんが、これらの属性は同じ個人が同じ程度にそなえているものではありません。しかし、いろいろな作業が分離され、独立化され、分立化されてからは、労働者たちも彼らの比較的すぐれた属性にしたがって区分され、分類され、編成されるわけです。彼らの生来の特殊性が基礎となってその上に分業が接木(ツギキ)されるとしますと、ひとたび導入されたマニュファクチュアは、生来ただ一面的な特殊機能にしか役だたないような労働力を発達させることになります。

  初版〈一商品の生産者の手でこもごも行なわれて彼の労働過程の全体のなかでからみあっているいろいろな作業は、彼にいろいろなことを要求する。彼は、ある作業ではより多くの力を発揮し、別の作業ではより多くの熟練を発揮し、/第三の作業ではより多くの精神的な注意力等々を発揮しなければならないが、同じ個人がこれらの属性を同じ程度でもちあわせているわけではない。いろいろな作業が分離し、独立し、分立してからは、労働者たちは、得意とする属性に応じて、区分され、分類され、ひとまとめにされる。彼らの本来の特殊性が基礎になってその上に分業が接穂(ツギホ)されるようになる。〉(江夏訳398-399頁)
  フ版〈一商品の生産者によって順次に行なわれて彼の労働の全体のなかで合流しているさまざまの作業は、いわば、彼が策に窮しないことを要求する。彼はある作業ではいっそう高度な熟練を、別の作業ではいっそう大きな力を、第三の作業ではいっそう深い注意力などを発揮しなければならないが、この個人はこれらすべての力能を同じ程度にはもってい/ない。種々の作業がひとたび分立され、ばらばらにされ、独立させられれば、労働者たちは、それぞれに優っている力能にしたがって区分され、級別され、群別される。彼らの生来の特殊性が、分業の成長する土壌を構成するとすれば、いったん導入されたマニュファクチュアは、特殊な機能だけに適した労働力を発展させる。〉(江夏・上杉訳363-364頁)

  もし一人の労働者がある商品の生産を一人でやるとしますと、彼はそれを完成させるためにはさまざまな作業をやらねばなりません。ある作業ではより多くの力を使い、別の作業では込み入った熟練を要する作業をやり、別の作業ではより多くの精神的な緊張と注意力を発揮しなければならないかも知れません。しかし一人の労働者がそれらすべての能力を同じ程度で持っていることは難しいでしょう。
  しかし分業にもとづくマニュファクチュアでは、こうした種々の作業はバラバラに分解されて、独立化され、それぞれの作業に、それに能力的に見合った労働者を割り当てることができます。そうしますとそれぞれの部分労働者は、それぞれの特殊な機能にだけ適した労働力へと発展することになるのです。
  『61-63草稿』から紹介しておきます。

  〈それはじっさい、一人ひとりの労働者がなしうる諸作業への分解である。作業は、それといっしょに行なわれる作業から引き離されるのであるが、しかし根本原理は依然として、作業を労働者の機能と見なすことであって、そのために、作業の分解とさまざまな労働者および労働者群へのその配分とは、技能、肉体的発達、等々の程度に応じて行なわれるのである。過程はまだそれ自体としては、つまり過程を遂行する労働者から独立しては分解されていない。〉(草稿集④462頁)

  (ヘ)(ト)(チ) 今では全体労働者がすべての生産的属性を同じ程度の巧妙さでそなえており、それらを同時に最も経済的に支出することになります。といいますのは、全体労働者は、特殊な労働者または労働者群に個別化されていて、彼らのすべての器官をただそれぞれの独自な機能だけに用いるからです。だから部分労働者の一面性が、そしてその不完全性さえもが、全体労働者の手足としてはその完全性になるのです。

  初版全体労働者は、いまでは、生産のためのあらゆる属性を同じ高度の巧妙さでそなえており、同時に、それらを最も経済的に支出する。というのは、全体労働者は、特殊な労働者または労働者群のうちに個別化されている自己のあらゆる諸器官を、それらの器官の独自な機能にだけ用いるからである(46)。部分労働者の一面性が、また彼の不完全さえもが、全体労働者の肢体としての彼の完全性になる(46)。〉(江夏訳399頁)
  フ版〈集団労働者は、いまやあらゆる生産力能を同程度の技巧でもっており、独自の労働者または労働者群のうちに個性化されている器官を、その特性に適した機能だけに用いることによって、できるかぎり経済的にこれらの生産力能を支出する(20)。集団労働者の肢体としては、部分労働者は、より一面的でより不備であればあるほどますます完全にさえなるのである(21)。〉(江夏・上杉訳364頁)

  このように分業にもとづくマニュファクチュアでは、部分労働者は全体の機構のなかで、それぞれの特殊機能に特化された部分作業を専門に担うのであり、だから彼らはその作業に通じて巧妙さをそなえるようになり、同時に、もっとも経済的に労働を支出するようになります。というのは、それらは全体労働者の特殊な器官であり、全体労働者は自己のあらゆる特殊な器官をそれに固有の独自の機能だけに用いるからです。こうして部分労働者の一面性が生じますが、だから労働者の不完全さでさえ、全体労働者の一肢体としては、それで十分であり完全な部分になるわけです。
  新日本新書版では〈部分労働者の一面性が、そしてその不完全性さえもが、全体労働者の手足としては彼の完全性になるのである(46)〉という部分は〈部分労働者の一面性が、またその不完全性さえもが、彼が全体労働者の分肢となる場合、完全性となる(46)*〉となっていて、*印に次のような訳者注が付いています。

  〈身体と分肢(肢体)との関係については、新約聖書、コリント第1、12・14-24参照〉(608頁)

  (リ) ある一つの一面的な機能を行なうという習慣は、彼を自然的に確実にこの機能を行なう器官に転化させます。そして他方では、全体機構の関連は、機械の一部分のような規則正しさで作用することを彼に強制するのです。

  初版〈一面的な機能を行う習慣は、部分労働者を、この機能を無理なく確実に行う器官に転化させるが、他方、全体機構の関連は、部分労働者を強制して、機械の一部品のような規則正しさで活動させる(47)。〉(同上)
  フ版〈唯一無二の機能が習慣になれば、この習慣は、彼を、この機能の確実な、自然発生的な器官に変えるが、他方、全体機構は彼に、機械の一部品のように規則正しく行動することを強制する(22)。〉(江夏・上杉訳363頁)

  このようにマニュファクチュア的な全体機構は、部分労働者を一面的な機能に限定しますが、それは彼をこうした一面的な機能を担う器官にしてしまうわけです。そして他方では、全体機構との関連のなかでは、部分労働者に、機械の一部品であるかのように規則正しく作業するように強制するのです。
  『61-63草稿』では次のように述べています。

 〈作業場(アトリエ)における強制が、はじめて、これら種々の作業の機構のなかに同時性、均等性、比例性を取り入れるのであり、そもそもこの強制がは/じめて、それらの作業を結合して、斉一的に働く機構とする〉(草稿集④432-433頁)


◎原注45

【原注45】〈45 「仕事を、それぞれ違った程度の熟練や力を必要とするいくつかの違った作業に分割することによって、工場主はそれぞれの作業に適合した量の力や熟練を正確に手に入れることができる。これに反して、もし仕事全体が1人の労働者によって行なわれるならば、最も繊細な作業のための十分な熟練や最も骨の折れる作業のための十分な力を同じ個人がもっていなければならないであろう。」(C・バベジ『機械・マニュファクチュア経済論』、第19章。)〉(全集第23a巻458頁)

  これは〈というのは、全体労働者は、特殊な労働者または労働者群に個別化されている彼のすべての器官をただそれぞれの独自な機能だけに用いるからである(45)〉という一文に対する原注ですが、その前も含めた部分への注ともいえるでしょう。
  バベジの著書からの引用ですが、その内容はこの部分でマルクスが述べていることとほぼ同じことを論じているといえます。
  『61-63草稿』にはマルクス自身による何の前書きもないままにまったく同じ部分の抜粋があります。重複しますが、紹介しておきます。

  〈「仕事を、それぞれ違った段階の巧妙さ〔Gewandheit〕や力を必要とするいくつかの違った作業に分割することによって、工場主は正確に、それぞれの作業が必要とするそれに厳密に等しいだけの巧妙さや力を入手することができる。これに反して、もし仕事全体が一人の労働者によって行なわれなければならないのだとすれば、この労働者は、最も繊細な諸作業を遂行できるだけの巧妙さと最も骨の折れる諸作業をするに足りるだけの力とを、同時にもってい/なければならないであろう」(チャールズ・バビジ『機械およびマニュファクチュア経済論』、ロンドン、1832年)(第19章)。〉(草稿集④462-463頁)


◎原注46

【原注46】〈46 たとえば一面的な筋肉の発達や骨の曲がり方など。〉(全集第23a巻458頁)

  これは〈部分労働者の一面性が、そしてその不完全性さえもが、全体労働者の手足としては彼の完全性になるのである(46)〉という一文に対する原注です。
  つまり部分労働者の一面性が、あるいはその不完全性さえもが、全体機構の一部分の一面的な機能を担うという点では、むしろ全体労働者の完全性に不可欠なものになるということだと思います。だから例えば一面的な筋肉の発達や骨の曲がり方など、それだけだと一労働者としては使い物にならないようなものでも、ただ一面的な作業を延々と続けるだけならば、むしろその不完全さが好都合になるということでしょうか。

  『61-63草稿』ではユアの述べていることとして次のような一文が紹介しています。

〈偉大なユアは非常な自負をもってこう語る。
  「能力の拘束、精神の偏狭さ、身体の発育の阻害などが、/道徳家によって分業に特有のものとされてきたのだが、ゆえなしとはしない。」(34ページ。)〉(草稿集⑨223-224頁)


◎原注47

【原注47】〈47 どのようにして従業少年工のあいだに勤勉が維持されるか、という調査委員の質問にたいして、あるガラス・マニュファクチェアの総支配人であるウィリアム・マーシャル氏は次のように非常に正しく答えている。「彼らは自分たちの仕事をなまけることはけっしてできない。彼らは、一度仕事を始めた以上は、それを続けなければならない。彼らは、ちょうど、一つの機械の諸部分のようなものである。」(『児童労働調査委員会。第4次報告書。1865年』、247ページ。)〉(全集第23a巻459頁)

  これはパラグラフの最後の〈ある一つの一面的な機能を行なうという習慣は、彼を自然的に確実にこの機能を行なう器官に転化させるのであり、他方、全体機構の関連は、機械の一部分のような規則正しさで作用することを彼に強制するのである(47)〉という一文に対する原注です。
  これは小年工たちの勤勉をどのように維持しているのか、という調査委員の質問に、ガラス・マニュファクチュアの総支配人は、彼らは一つの機械の部分品のようになっているから、一度仕事を始めたら、それを続けなければならないから、決してなまけることはできないのだと答えているというものです。つまり分業にもとづくマニュファクチュアでは、諸労働の緊密な関連を維持することが一つの強制力として働くために、一旦、仕事がはじまるとそこから離脱することができなくなるということです。


◎第13パラグラフ(マニュファクチュアは労働力の等級制を発展させる)

【13】〈(イ)全体労働者のいろいろな機能には、簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがあるので、彼のいろいろな器官である個別労働力は、それぞれ非常に程度の違う教育を必要とし、したがってそれぞれ違った価値をもっている。(ロ)だから、マニュファクチュアは労働力の等級制を発展させるのであり、これには労賃の等級が対応するのである。(ハ)一方では個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生これに固着させられるとすれば、同じように他方ではいろいろな作業がこの先天的および後天的技能の等級制に適合させられる(48)。(ニ)しかし、どの生産過程にも、だれでも生地のままでできるようなある種の簡単な作業が必要である。(ホ)このような作業も、今ではもっと内容の豊富ないろいろな活動契機との流動的な関連から引き離されて、専有の機能として固定されるのである。〉(全集第23a巻459頁)

  このパラグラフも先に指摘しましたように、初版とフランス語版では第12・14パラグラフと一緒にされています。やはり初版とフランス語版を合せて紹介しておくことにします。

  (イ)(ロ) 全体労働者のいろいろな機能には、簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがありますので、彼のいろいろな器官である個別労働力は、それぞれ非常に程度の違う教育を必要とし、したがってそれぞれ違った価値をもっています。ですから、マニュファクチュアは労働力の等級制を発展させるのです。そして、これには労賃の等級が対応するのです。

  初版〈全体労働者のいろいろな機能には、単純なものもあれば複雑なものもあり、低級なものもあれば高級なものもあるので、全体労働者の諸器官である個別労働力は、非常に程度のちがう訓練を必要とし、したがって、非常にちがった価値をもっている。だから、マニュファクチュアは、労賃の等級が照応するところの労働力の位階制を、発展させることになる。〉(江夏訳399頁)
  フ版〈集団労働者のさまざまな機能は、単純なものもあれば複雑なものもあり、低級なものもあれば高級なものもあるから、彼の器官、すなわち個別的労働力もまた、当然単純なものもあれば複雑なものもあり、したがって、価値がちがっている。それゆえに、マニュファクチュアは、賃金の段階的等級が照応するところの労働力の位階制を作り出す。〉(江夏・上杉訳364頁)

  先のパラグラフで一人の労働者が一人で一つの商品を生産する場合、彼はさまざまな作業をやる必要があり、その作業には簡単なものや複雑なもの、熟練を要するものや、力を必要とするものなどがあり、それらをすべて一人の労働者が同じように備えていることは難しいこと、しかしマニュファクチュアではそうした様々な作業を分割して、能力的にそれにあった部分労働者に割り振り、彼らの専門の機能にすることが指摘されていました。
  ということはマニュファクチュアの全体労働者には、さまざまな機能があり、それは簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがあることになり、それに応じて全体労働者の部分器官である部分労働力も、単純なものもあれば複雑なものもあり、だからそれらは違った養成期間も必要となり、だから価値も違ってきます。だからマニュファクチュアでは、賃金の等級制が生まれ、それにもとづく労働力の位階制も生まれるのです。
  『61-63草稿』から紹介しておきます。

 〈分業を基礎としている作業場(アトリエ)は、つねに技能〔Geschicklichkeit〕の一種の等級制(ヒエラルキー)を含んでいる、なぜなら、ある作業は他の作業に比べてより複雑であり、ある作業は肉体的な力をより多く必要とし、別の作業は手の繊細さ〔Delikatesse〕を、言い換えれば、より大きな腕まえ〔Virtuosität〕を要求するからである。そこでは、ユアが言うように、それぞれの作業に一人の労働者があてられ、彼の賃銀は彼の熟練に対応する。……相変わらずさまざまな個人的能力に仕事が適合させられる……多数の等級への労働の分割……熟練度〔degré d'habileté〕の相違による労働の分割。依然として個々人の腕まえ〔Virtuosität〕が重要な役割を果たしているのである。〉(草稿集④461頁)

  (ハ) 一方では個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生これに固着させられるとしますと、同じように他方ではいろいろな作業がこの先天的および後天的技能の等級制に適合させられるのです。

  初版〈一方では、個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生この機能に縛りつけられるとすれば、〔他方では〕これと同様に、いろいろな作業が上記の先天的および後天的技術の位階制に適合させられる(48)。〉(同)
  フ版〈個別労働者が唯一無二の機能に適応させられ、一生涯これに付属させられるとすれば、さまざまの作業は、先天的および後天的な熟練と専門との上述の位階制に適合させられる(23)。〉(同)

  このようにマニュファクチュアの全体労働者の部分機能に対応して個別労働者が一生涯その機能に縛りつけられて、それを担うことになります。そしてそれに対応して、全体労働者のさまざまな作業が、部分労働者の先天的な特性や後天的な技能の熟練度や専門性による位階制に適合させられることになるわけです。
  『61-63草稿』から紹介しておきます。これは原注44で紹介したものの続きの部分です。

  〈ユアはさきに挙げた箇所でこう述べる。(1)「それゆえここから彼(A・スミス)は、当然これらの作業のそれぞれに、賃銀と熟練とが相応している労働者をあてることができる、と結論した。このような適材適所〔appropriation〕に分業の真髄がある。」つまり、第一に、労働者を特定作業に同化させること〔Aneignung〕、この作業のもとに労働者を包摂すること。それ以後は、彼はこの作業に所属す/るのであり、この作業は、一抽象物〔Absraktum〕に引き下げられた彼の労働能力の専有の機能となるのである。
  したがって第一に、労働能力がこの特殊的作業に同化される。しかし第二に、作業そのものの基礎は依然として人間の身体であるから、ユアが言うように、この適材適所〔Appropriation〕は同時に、「労働の配分、と言うよりもむしろ、個人的能力のさまざまな違いへの労働の適応」である、ということになる。すなわち、もろもろの作業そのものが、それぞれ引き離された先天的および後天的諸能力に適合させられるのである。それは、機械的な諸原理への過程の分解ではなくて、これらの個々の過程が人間の労働能力の諸機能として遂行されざるをえないということを考慮しての分解である。〉(草稿集④483-484頁)

  (ニ)(ホ) しかし、どの生産過程にも、だれでも生地のままでできるようなある種の簡単な作業が必要です。このような作業も、今ではもっと内容の豊富ないろいろな活動契機との流動的な関連から引き離されて、専有の機能として固定されるのです。

  初版〈しかし、どの生産過程にも、あるがままの人間であれば誰もができるようなある種の簡単な作業が、必要である。この作業も、いまでは、もっと内容の豊かな活動契機との流動的な関連から引き離されて、専有の機能に骨化されている。〉(同)
  フ版〈どの生産過程も、新参者ができるような若干の作業を必要とする。これらの作業もまた、全体活動のいっそう重要な契機との流動的な関係から引き離され、専門機能として骨化する。〉(同)

  しかしどのような生産過程においても、あるがままの人間であれば誰でもやれるような簡単な作業があり、それが必要でもあります。こうした単純な簡単な作業そのものもいまでは全体労働者の一部分機能として、分立し、ある労働者の専有の機能として骨化されてしまうわけです。


◎原注48

【原注48】〈48 (イ)ドクター・ユアは、彼の大工業賛美のなかでマニュファクチュアの特有な性格を、彼のような論戦的関心をもっていなかった以前の経済学者たちに比べれば、またたとえばバベジのような同時代の学者に比べても、より鋭く感知している。(ロ)このバベジは、数学者や機械学者としては確かに彼よりもすぐれていたとはいえ、大工業をじつはマニュファクチュアの立場からしか把握していないのである。(ハ)ユアは言う、「それぞれの特殊作業への労働者の同化は、分業の本質をなす」と。(ニ)他方では彼はこの分業を「いろいろな個人的能力への労働の適合」と呼び、最後にマニェファクチュア制度全体を「技能の等級による段階制」とか「熟練度の相違による分業」などと特徴づけている。(ユア『工場哲学』、19-23ページの所々。)〉(全集第23a巻459頁)

  これは〈一方では個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生これに固着させられるとすれば、同じように他方ではいろいろな作業がこの先天的および後天的技能の等級制に適合させられる(48)〉という一文に付けられた原注です。
  マルクス自身による文章ですので、文節に分けて検討しておきます。

  (イ)(ロ) ドクター・ユアは、彼の大工業賛美のなかでマニュファクチュアの特有な性格を、彼のような論戦的関心をもっていなかった以前の経済学者たちに比べれば、またたとえばバベジのような同時代の学者に比べても、より鋭く感知しています。このバベジは、数学者や機械学者としては確かに彼よりもすぐれていましたが、大工業をじつはマニュファクチュアの立場からしか把握していないのです。

    ユアは大工業を賛美して、資本家の立場を擁護して労働者の搾取を正当化していますが、
しかし彼はマニュファクチュアについてもその特有な性格を、それ以前の経済学者や同時代のバベジに対してよりも、より鋭く捉えているということです。
  『61-63草稿』では次のように述べています。

  〈工場制度の破廉恥な弁護者としてイギリスにおいてすら悪名の高いあのユアにも、次のような功績がある。彼は、工場制度の神髄をはじめて正確に把握し、自動作業場とA・スミスによって重要問題として論じられた分業にもとづくマニュファクチュアとの差異対立を鮮明に描いたのである。(あとで引用しよう。)能力の等級制の廃棄、「分/業」の背後でゆるぎなく固められた専門的技能の破砕、それとともに受動的な従属--それと結びついた専門的規律、統制、時針そして工場法への服従--〔これらのすべてを〕彼は、これから若干の抜き書きでみるように、非常に正確に指摘している。労働者が自分の労働--その内容が彼のそとにある--にたいして無関心であるかぎりは、また彼がなんらの専門的技能を発展させることがないかぎりは、労働者がふたたび獲得した普通性も、この制度のなかではただ即自的〔にある〕にすぎない。現実に〔ここで〕発展するのは、内容の欠知した一種の専門的技能である。〉(208-209頁)

  (ハ)(ニ) ユアは言います。「それぞれの特殊作業への労働者の同化は、分業の本質をなす」と。他方では彼はこの分業を「いろいろな個人的能力への労働の適合」と呼び、最後にマニェファクチュア制度全体を「技能の等級による段階制」とか「熟練度の相違による分業」などと特徴づけています。

  そのユアの鋭いところは、「それぞれの特殊作業への労働者の同化は、分業の本質をなす」と述べていることや、この分業を「いろいろな個人的能力への労働の適合」と呼び、最後にマニェファクチュア制度全体を「技能の等級による段階制」とか「熟練度の相違による分業」などと特徴づけているところにあります。

 

◎第14パラグラフ(等級制的段階づけと並んで、熟練労働者と不熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われる。)

【14】〈(イ)それゆえ、マニュファクチェアは、それがとらえるどの手工業のうちにも、いわゆる不熟練労働者という一部類を生みだすのであるが、それは手工業経営が厳格に排除していたものである。(ロ)マニュファクチュアは、完全な,労働/能力を犠牲にして徹底的に一面化された専門性を練達の域にまで発達させるとすれば、それはまた、いっさいの発達の欠如をさえも一つの専門にしようとするのである。(ハ)等級制的段階づけと並んで、熟練労働者と不熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われる。(ニ)後者のためには修業費はまったく不要になり、前者のためには、機能の簡単化によって手工業者の場合に比べて修業費は減少する。(ホ)どちらの場合にも労働力の価値は下がる(49)。(ヘ)その例外が生ずるのは、労働過程の分解によって、手工業経営では全然現われなかったかまたは同じ程度には現われなかった新しい包括的な機能が生みだされるかぎりでのことである。(ト)修業費の消失または減少から生ずる労働力の相対的な減価は、直接に資本のいっそう高い価値増殖を含んでいる。(チ)なぜならば、労働力の再生産に必要な時間を短縮するものは、すべて剰余労働の領分を延長するからである。〉(全集第23a巻459-460頁)

  (イ)(ロ)(ハ) ですから、マニュファクチェアは、それがとらえるどの手工業のうちにも、いわゆる不熟練労働者という一部類を生みだすのですが、それは手工業経営が厳格に排除していたものなのです。マニュファクチュアは、完全な労働能力を犠牲にして徹底的に一面化された専門性を練達の域にまで発達させるとしますと、それはまた、いっさいの発達の欠如をさえも一つの専門にしようとするのです。こうして等級制的段階づけと並んで、熟練労働者と不熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われます。

  初版〈だから、マニュファクチュアは、それがとらえているどの手工業においても、手工業的経営が厳格に排除していたいわゆる非熟練労働者という階級を、産み出している。マニュファクチュアが/全体としての労働能力を犠牲にして徹底的に一面化された専門を、巧妙さにまで発展させるとすれば、それはまた、いっさいの発達の欠如さえをも、一つの専門にしようとする。位階制的な等級づけと並んで、熟練労働者と非熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われてくる。〉(江夏訳399-400頁)
  フ版〈したがって、マニュファクチュアは、それがとらえるどの手工業のうちにも、中世の手工業が容赦なく退けていた単純な人夫の階級を産み出すのである。マニュファクチュアが総合的な労働能力を犠牲にして、個々の専門を発達させてこれを技巧にまで至らせるならば、マニュファクチュアはまた、どんな発達の欠如をも一つの専門にしようとするようになるのである。位階制的な等級づけと並んで、熟練労働者不熟練労働者への労働者の単純な区分が登場する。〉(江夏・上杉訳364頁)

 すでに見ましたように、分業にもとづくマニュファクチュアは、手工業から生まれてきましたが、手工業では親方のもとで徒弟には長い修行が課されました。だから、不熟練労働は厳格に排除されていたのです。ところがマニュファクチュアは、この手工業で厳格に排除されていたいわゆる非熟練労働者という一階級を生みだのです。と言いますのはマニュファクチュアは労働能力の全体的な能力を犠牲にしてそのうちのある一面的な機能だけを専門化させ、それを巧妙さにまで発展させようとするのですから、それは他方では、いっさいの発達の欠如をさえも、一つの専門的な機能として位置づけるわけです。ですからマニュファクチュアは位階制的な等級づけと並んで、熟練労働者と非熟練労働者とへの労働者の簡単な区分を持ち込むのです。

  (ニ)(ホ) 後者(不熟練労働者)のためには修業費はまったく不要になり、前者(熟練労働者)のためには、機能の簡単化によって手工業者の場合に比べて修業費は減少します。どちらの場合にも労働力の価値は下がります。

  初版〈後者にとっては修業費が全く消滅し、前者にとっては、機能が簡単になるために手工業者に比べて修業費が減少する。双方のばあいとも労働力の価値が下がる(49)。〉(江夏訳400頁)
  フ版〈後者にとっては修業費用が消滅し、前者にとってはこの修業費用が、手工業に必要な修業費用に比べて減少する。どちらのばあいも、労働力はその価値を失う(24)。〉(同前)

  そうしますと、非熟練労働者のための修業費は当然まったく不要になり、熟練労働者のための修業費も、作業の分割と機能の単純化のために手工業者の場合と比べますと減少します。というわけでマニュファクチュアでは手工業に比べて労働力の価値は下がります。

  (ヘ) その例外が生じますのは、労働過程の分解によって、手工業経営では全然現われなかったかまたは同じ程度には現われなかった新しい包括的な機能が生みだされるかぎりでのことです。

  初版〈その例外が生ずるのは、労働過程が分解されたために、手工業的経営では全く現われなかったかまたは同じ範囲では現われなかった新しい抱括的機能が、産み出されるかぎりにおいてのことである。〉(同前)
  フ版〈しかし、労働過程の分解は時として、/手工業の営業ではどんな役割も演じなかったかまたはよリ小さな役割を演じていた一般的機能を、産み出す。〉(江夏・上杉訳364-365頁)

    もしその例外が生じるとしますと、マニュファクチュアでは労働過程が分解されるために、手工業経営では見られなかったような、あるいは同じ範囲では現れなかったような新しい包括的な機能が、産み出されるからでしょう。
    ここで〈包括的な機能〉(フランス語版では〈一般的機能〉)というのが出てきますが、これは恐らく管理・監督の機能ではないかと思います。第8パラグラフでは部分労働者のもっとも適当な比例数が一定の生産規模に応じて経験的に確定されることを論じていましたが、その場合、〈さらに、同じ個人がある種の労働を大きな規模でも小さな規模でも同じように行なうことができるということが加わる〉と述べ、〈たとえば、監督という労働や、部分生産物を一つの生産段階から他の生産段階に運ぶ労働などがそれである〉と述べていました。生産規模が大きくなるとこうした機能を専門に担う労働者が配置されうるということでした。あるいはこうしたものを〈包括的な機能〉と述べているのかも知れません。

  (ト)(チ) 修業費が無くなったり減少したりすることから生ずる労働力の相対的な減価は、直接に資本のいっそう高い価値増殖を含んでいます。というのは、労働力の再生産に必要な時間を短縮させるものは、すべて剰余労働の領分を延長するからです。

  初版〈修業費の消滅または減少から生ずる労働力の相対的な減価は、直接に、資本の価値増殖がいっそう高まることを含んでいる。なぜならば、労働力の再生産に必要な時間を短縮するものはすべて、剰余労働の領域を延長するからである。〉(同)
  フ版〈修業費用の減少または消滅から生ずる労働力の相対的な価値喪失は、資本にとって直接に、剰余価値の増大をもたらす。労働力の生産に必要な時間を短縮するものはいずれも、実際に、剰余労働の領域を拡張するからである。〉(江夏・上杉訳365頁)

  いずれにせよ熟練労働者と非熟練労働者の区別が生まれて、どちらも修業費がゼロか減少するなら、労働力の価値の減価が生じますが、それは直接に資本のより高い価値増殖の能力になります。労働力の再生産費を短縮させるものは、いずれにせよ、剰余労働を拡張させるからです。


◎原注49

【原注49】〈49 「どの手工業者も……一つの作業の常習によって自分を改良することを可能にされて……いっそう安い労働者になった。」(ユア『工場哲学』、19ページ。)〉(全集第23a巻460頁)

  これは〈後者のためには修業費はまったく不要になり、前者のためには、機能の簡単化によって手工業者の場合に比べて修業費は減少する。どちらの場合にも労働力の価値は下がる(49)〉という一文に付けられた原注です。
    ユアの引用文のなかにはマニュファクチュアという言葉はありませんが、恐らくマニュファクチュアのもとでは、どの手工業者も一つの作業に限定されて、それに適応するために自分自身を改良することによって、結局は、その労働力の価値を減価させ、安い労働者になったと述べているのだと思います。このユアの一文そのものは草稿のなかに見つけることはできませんでした。


  (付属資料(1)に続きます。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(8)

2024-08-30 15:21:28 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(8)


【付属資料】(1)


第12章 分業とマニュファクチュア


●第12章の表題

《初版》

  〈(3)分業とマニュファクチュア〉

《フランス語版》

  〈第14章 分業とマニュファクチュア〉

《イギリス語版》

  〈第14章 分業と工場手工業〉


●「第12章 分業とマニュファクチュア」の位置づけ

《経済学批判要綱》

 〈資本は商業資本〔Handelscapital〕としては、土地所有のこのような変革がなくとも、完全に発展することができる(ただ量的にはそこまですすまないが)けれども、産業資本としては、そうはいかない。マニュファクチュアの発展でさえも、古い経済的な土地所有諸関係の分解がはじまっていることを前提している。他方、近代的工業が発達して高度の完成に達したときにはじめて、この散発的な分解から新しい形態がその総体性と広がりをそなえて生じるのである。しかしこの近代的工業それ自身つねに、近代的農業、それに照/応する所有形態、それに照応する経済的諸関係が発展していればいるほど、それだけ急速に前進する。したがってイギリスはこの点では、他の大陸諸国にとって模範国である。同じくまた、工業の最初の形態である大マニュファクチュアが、すでに土地所有の分解を前提しているとすれば、この分解はまた、諸都市で生じていた資本の従属的な発展--それ自体なお未発展な(中世的な)資本の諸形態における--によって、また、同時に他の諸国で商業とともに繁栄しつつあったマニュファクチュアの作用(オランダは16世紀と17世紀前半にこのような作用をイギリスにおよぼした)によって制約されている。これらの諸国自身においては、この過程はすでに終わっており、農業は牧畜のために犠牲にされ、穀物は、たとえばポーランドなどの後進諸国から輸入によって(このばあいもオランダをつうじて)供給された。〉(草稿集①331-332頁)

《61-63草稿》

 〈分業は、協業の特殊的な〔besonder〕、特殊化された〔spezifiziert〕、発展した形態であって、それは、労働の生産力を高め、同一の仕事を行なうのに必要な労働時間を短縮するための、したがって、労働能力の再生産に必要な労働時間を短縮し、剰余労働時間を延長するための、強力な一手段である。
    単純協業で見られるのは、同一の労働を行なう多数者の協働である。分業で見られるのは、資本の指揮のもとで次のようなことを行なう多数の労働者の協業である。すなわち彼らは、同一の諸商品の異なった諸部分を生産するのであるが、その諸商品の各特殊的部分はそれぞれある特殊的労働、特殊的作業〔Operation〕を必要とするのであって、各労働者またはある一定倍数の労働者は一つの特殊的作業だけを行ない、別の者は別のことをする、等々である。しかし、これらの作業の総体が一つの商品を、一定の特殊的商品を生産するのであり、したがってこの商品には、これらの特殊的労働の総体が表わされるのである。〉(草稿集④423頁)
 〈ここでは、資本主義的生産様式はすでに、労働をその実体において捉えて変化させてしまっている。それはもはや、単に資本のもとへの労働者の形態的包摂、すなわち他人の指揮と他人の監督とのもとで他人のために労働すること、ではない。それはさらに、単に、単純協業の場合に見られる次のような事態でももはやない。すなわち単純協業の場合には、労働者は彼と同時に同じ仕事を遂行する多くの労働者と同時に協働するが、この協働は、彼の労働そのものはそのままにしておいて、一時的でしかないつながりを、並存状態をつくりだすものであり、またその協働は、ことの本性からして容易に解消されうるものであって、単純協業のたいていの場合には、ただ、一時的な特殊的時期のために、例外的な必要のために、--たとえば収穫、道路建設、等々の場合に、あるいは、最も簡単な形態のマニュフアクチュア(ここでは多数の労働者の同時的搾取と固定資本の節約、等々が主要な問題である)の場合に--行なわ/れるにすぎない。この協働は労働者を単に形態的に一つの全体--その指揮者(シェフ)は資本家である--の部分たらしめるにすぎず、このような一全体のなかでは労働者は--生産者としては--、彼とならんでどれだけ多数の労働者が同じことを、たとえば靴を縫う、等々をしていようとそれによってはなんらそれ以上の影響をこうむるものではない。ところがここでの事態はそのようなものとは異なっている。彼の労働能力が全体機構--その全体が作業場を形成する--の一部分の単なる機能に転化することによって、彼はそもそも一商品の生産者であることをやめてしまったのである。彼は一つの一面的な作業の生産者でしかなく、その作業がそもそもなにかを生産するのは、作業場を形成する機構全体とのつながりのなかにおいてでしかない。つまり、彼は作業場の生きた一構成部分なのであって、自身の労働の様式そのものによって資本の付属物になってしまった。というのは彼の能力は、作業場においてでなければ、つまり彼に対立して資本の定在となっている一機構の一環としてでなければ、発揮されえないからである。もともと彼が商品の代わりに、商品を生産する労働を資本家に売らねばならなかったのは、彼には自己の労働能力を実現するための客体的諸条件が欠けていたからであった。いまや、彼が労働を売らざるをえないのは、彼の労働能力が、もはや、資本に売られるかぎりで労働能力たりうるにすぎないものだからである。したがって、労働者はいまや、もはや労働手段の欠如によるだけではなく、彼の労働能力そのものによって、彼の労働の仕方様式によって、資本主義的生産のもとに包摂され資本に捉えられるのであって、資本はもはや単に客体的諸条件を手中におさめているだけでなく、労働者の労働がかろうじてまだ労働でありうるための、主体的労働の社会的諸条件をも手中におさめているのである。〉(草稿集④445-446頁)
  〈分業--あるいはむしろ分業にもとづく作業場--が、資本家のものとなる剰余価値を増加させる(少なくとも直接に〔増加させる場合〕だけ〔を問題にする〕、そしてこれが、ここで問題になるただ一つの作用である)のは、言い換えれば、労働の生産力のこの増大が、資本の生産力であることを実証するのは、ただ、それが労働者たちの消費にはいる使用価値に用いられ、それゆえ労働能力の再生産に必要な労働時間を短縮する場合だけである。大規模な分業が適用されるのは主として日用品に限られているというまさにこの事情から、牧師のウェイランドは、逆に、分業からの利益を受けるのは金持ではなくて貧乏人だという結論をくだしている。中産階級にかんして言えば、この牧師も一面では正しい。しかし、そもそもここで問題になっているのは、貧乏人と金持という無概念的な関係ではなくて、賃労働と資本との関係なのである。〉(草稿集④466頁)


  第1節 マニュファクチュアの二重の起源


●第1節の表題

《初版》 初版は節には分けられていない。以下、同じ。

《フランス語版》

  〈第1節 マニュファクチュアの二重の起源〉

《イギリス語版》

  〈第一節 工場手工業の二重の起源〉


●第1パラグラフ

《経済学批判要綱》

 〈資本が、最初は散在的または局地的に、もろもろの古い生産様式と並んで、しかし次第にそれらを破砕しつつ現われるときの、本源的な歴史的諸形態は、一方では、本来のマニユフアクチュアである(まだ工場ではない)。マニユフアクチュアは、輸出向け、外国市場向けに大量生産が行なわれるところで--つまり大規模な海上陸上貿易基礎に、それらの中心地で--発生する。たとえば、イタリアの諸都市、コンスタンティノープル、フランドルやオランダの諸都市、パルセロナのようなスペインのいくつかの都市、等々がそれである。マニユフアクチュアが最初に掌握するのは、いわゆる都市手工業ではなくて、紡糸および織布という農村の副業的手工業、つまりツンフト的熟棟、技芸的修業を必要とすることの最も少ない労動である。マニユフアクチュアが外国市場の基地を目前に見いだすような、つまり生産がいわば自然生的に交換価値に向けられているような、さきの大商業中心地--航海と直援に関連する、造船そのもの、等々のマニユフアクチュア--を除いては、マニユフアクチュアはその最初の居所を、都市にではなく農村に、非ツンフト的な村落等々に定める。都市の手工業が工場的に経営できるようになるためには、生産の高度な進歩を必要とするのにたいして、農村の副業的手工業にはマニュフアクチュアの広範な土台が含まれているのである。ガラス工場、金属工場、製材所、等々のような、はじめから労働力〔Arbeitskräfte〕のかなり多くの集積を必要とするような生産部門、はじめからかなり多くの自然力を利用し、大量生産を必要とし、また労働手段の集積、等々を必要とするような生産部門についても、同様である。製紙工場、等々も同様である。〔資本がとる本源的な歴史的諸形態は〕他方では、借地農業者の成長と、農耕住民の自由な日傭取り〔Taglöhner〕への転化である。こうした転変は、農村では、その最終的な諸帰結と最も純粋な形態とにおいて貫徹するのが最後になるが、この転変が最も早くはじまるのも、農村である。だからこそ、ほんらい都市的な技芸的精励の域を越え出ることのけっしてなかった古代人は、大工業に到達することがけっしてできなかったのである。大工業の第一の前提は、農村を全幅的に、使用価値の生産ではなくて交換価値の生産に引きいれることである。ガラス工場、製紙工場、製鉄工場、等々は、ツンフト的には経営されえない。それらは大量生産を要求し、一般市場での販売を要求し、企業者の側に貨幣財産があることを要求する--といっても、主体的諸条件も客体的諸条件も、彼がつくりだすわけではない--が、古い所有諸関係および生産諸関係のもとでは、これらの条件がともにもたらされることはあえないのである。--農奴制的諸関制係の解体ならびにマニユフアクチュアの台頭は、次第に、すべての労働部門を資本によって経営されるものに転化させていく。--もっとも、都市そのものもまた、非ツンフト的な日雇い、下働き、等々のかたちで、本来の賃労働のための一要素を含んでいる。--〉(草稿集②171-172頁)

《61-63草稿》

 〈18世紀の後半には、労賃は絶えず下がり、人口は驚くほど増加し--そして機械もそうであった。しかし、まさにこの機械こそが、一方では現存人口を過剰にし、それによって労賃を引き下げ、他方では、世界市場の急速な発展の結果として、その人口を再び吸収し、また再びそれを過剰にし、また再びそれを吸収したのであって、同時に他方ではそれが資本の蓄積を異常に促進したのであり、可変資本を量の点で増加させたのである。といっても、この可変資本は、生産物の総価値およびそれが雇用する労働者数のどちらと比べても、相対的には減少したのであるが。これに反して、18世紀の前半には、まだ大工業はな/く、分業に基づくマニュファクチュアが存在したにすぎない。資本の主要成分は依然として労賃に投下される可変資本であった。労働の生産力は発展したが、しかし、その世紀の後半に比べれば緩慢であった。資本の蓄積とともに、ほとんど比例的に、労働にたいする需要は増大し、したがって労賃も上がって行った。イギリスはまだ本質的には農業国であった。そして農業人口によって営まれる非常に広がった家内的マニュファクチュア(紡績と織布のための)が引き続き存在し(まだそれ自身拡大しつつあった)。単に働くだけのプロレタリアートはまだ発生しうるまでに至っていなかったのであり、それは当時工業の百万長者がほとんどいなかったのと同様であった。18世紀の前半には相対的に可変資本のほうが優勢であり、その後半には国定資本のほうが優勢であった。しかし、この固定資本は大量の人的資源を必要とする。大規模にそれを採用するには、人口の増加が先行しなければならない。だが、この事態の全進行は、ここで一般に生産方法の変化が生じたことが明らかであるかぎりでは、バートンの説明と矛盾する。すなわち、大工業に相応する諸法則と、マニュファクチュアに相応する諸法則とは同じものではない。後者は、ただ、前者への一つの発展段階を形成するにすぎない。〉(草稿集⑥812-813頁)
  〈商業資本は、いろいろな形態で産業資本に従属させられるか、または、同じことであるが、産業資本の機能となり、特殊な一機能を果たす産業資本となる。商人は、商品を買わないで、賃労働を買い、この賃労働で商品を生産して、この商品を商業のための販売用とする。しかし、これによって商業資本そのものは、それが生産に対立してもっていた固定形態を失う。こうして中世の同職組合はマニュフアグチュアから挑戦を受け、手工業はより狭い範囲に閉じ込められた。中世には商人は(イタリアやスペインなどに散在していたマニュファクチュア発達地は別として)、単に、生産された--都市の同職組合によってであれ農民によってであれ--商品の問屋でしかなかった。このような、産業資本家への商人の転化は、同時に、産業資本の単なる一形態への商業資本の転化でもある。他方では生産者が商人になる。たとえば製布業者が彼の材料を継続的に少しずつ商人から受け取って商人のために労働するということをやめて、彼自身が自分の資本などに応じて材料を買うようになる。いろいろな生産条件が、彼自身によって買われた商品として、過程にはいる。そして、個々の商人や特定の顧客のために生産するのではなくて、今や製布業者は商業世界のために生産する。第一の形態では、商人が生産を支配し、商業資本が、それによって動かされる手工業や農民的家内工業を支配する。産業は商人の従属物である。第二の/形態では、生産は資本主義的生産に転化する。生産者自身が商人である。商業資本はただ流通過程を媒介し、資本の再生産過程における一定の機能を行なうだけである。これが二つの形態である。商人は商人として生産者になり、産業資本家になる。産業資本家は、生産者は、商人になる。元来、産業資本は、ただ、商品流通しかも商業にまで発展させられる商品流通という前提のうえに形成されるにすぎないのだから、商業は、同職組合的生産や農村的-家内工業的生産や封建的農業生産の資本主義的生産への転化のための前提である。商業は生産物を商品に発展させる。なぜならば、商業は一つには生産物に市場をつくりだすからであり、一つには新たな商品等価物をつくってやるからであり、一つには生産に新たな材料を供給し、こうして、はじめから商業に基づいており、市場のための生産に基づくとともに世界市場からくる諮生産要素に基づいている生産様式を開始するからである。16世紀には、いろいろな発見やマーチャント・アドヴェンチャラーズこそが、マニュファクチュアをひき起こしたものである。このマニュファクチュアがいくらか強固になれば、そしてさらに大工業としていっそう強固になれば、それはそれ自身で市場を創造し、それを征服し、部分的には力ずくで自分のために諸市場を開くが、それらの市場を自分の商品そのものによって征服する。それからは商業はもはや工業生産の召使でしかなくなり、工業生産にとっては絶えず拡大される市場が生活条件になっている。というのは、商業の既存の限界によっては(商業が現存の需要を表わすかぎりでは)制限されないでただ既存の資本の大きさと労働の生産力の発展とによってのみ制限されている絶えず拡大される大量生産は、絶えず既存の市場を氾濫させ、したがって市場の限界を絶えず拡大し遠ざけることに努めつつあるからである。ここでは商業は産業資本の召使であって、産業資本の生産条件から生ずる一機能を行なうのである。植民制度によって(禁止的関税制度と同時に)、最初の発展期における産業資本は、暴力的に一つの市場またはいくつもの市場を確保しようとする。産業資本家は世界市場に面している。産業資本家はそれ自身の費用価格を単に国内の市場価格とだけではなく全世界市場でのそれと比較するのであり、したがってまた絶えずそれと比較しなければならないのである。彼は絶えずこのことを顧慮しながら生産する。この比較は初期にはただ商人階級だけの仕事であり、したがって商業/資本のために生産的資本にたいする支配権を保証するのである。〉(草稿集⑦427-429頁)
  〈「マニュファクチュアと工場。いくつもの手工業が集まり一つの目的に向かって仕事をする。商品を直接に入手でこしらえるか、人手が不足するときは機械でつくるという場合、ひとはマニュファクチュアと呼んでいる。商品の生産に炉火と槌が使用される場合、ひとは工場〔と呼んでいる〕。たとえば、陶器やガラスの製造など、大規模に行なわれるほかないいくつかの仕事は、それゆえ手工業ではありえない。すでに13、14世紀には、織物のような若干の労働は、大規模に営まれていた。
    18世紀には、たくさんの学者が過去の手工業やマニユ/フアクチュアや工場を精確に学びとることを熱心な目標とした。いく人かは、そこから特殊な学問分野をつくった。ようやく近時になって、力学、物理学、化学などと手工業(生産、というべきだ)との結びつきが正当に認識されたのである。以前には、仕事場では、もろもろの規則やならわしが親方から職人へ、徒弟へと伝えられ、それが保守的な伝統〔をつくった〕。かつては、偏見が学者にたいして対立していた。1772年に、ベツクマンがはじめて技術学〔Technologie〕という名称を使用した。すでに18世紀の前半に、イタリア人ラマッツィーニは、工芸家と手工業者の病気について論文〔を書いている〕。包括的な技術学は、レオミュールショウにはじまる。レオミュールは、フランス科学ア力デミーに一つのプランを提出した。ここから、『王立科学ア力デミーの会員によって作成ないし承認された、工芸の記述』、1761年初め、パリ(2つ折本)。」}〉(草稿集⑨64-65頁)

《初版》

 〈分業にもとづく協業は、マニュファクチュアにおいて、典型的な姿を身につける。マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、大ざっぱに言って、16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く本来のマニュファクチュア時代のあいだである。〉(江夏訳382頁)

《フランス語版》

 〈分業を基礎とするこの種の協業は、マニュファクチュアにおいてその古典的な形態を帯び、およそ16世紀の半ばから18世紀の最後の3分の1期まで続く厳密な意味でのマニュファクチュア時代のあいだ優勢を占める。〉(江夏・上杉訳349頁)

《イギリス語版》

  〈(1) 分業に基づく協同作業は、工場手工業においてその典型的な形式を身に纏う。そして、正確にそう呼ばれる工場手工業時代全期において、資本主義的生産過程に広く行き渡った特徴的な形式となった。その時期とは、おおまかに云えば、16世紀中頃から18世紀の後半1/3期に渡る。〉(インターネットから)


●第2パラグラフ

《61-63草稿》

 〈分業が、まず既存の作業場を基礎として諸作業をさらに分解し、それらの作業のもとに一定数の労働者を包摂してゆく方向で発展するかぎりでは、それは分割を続けていくものであるのにたいして、分業はまた、その反対に、「詩人のばらばらにされた四肢〔disjecta membra poetae〕」が、以前にはそれだけの数の独立した商品として、したがってまたそれだけの数の独立した商品所有者の生産物として互いに並んで自立的に存在していたかぎりでは、それらのものの一つの機構への結合でもあるのであって、これはアダム〔・スミス〕がまったく見落としていた側面である。〉(草稿集④433頁)
  〈馬車マニュファクチュア。〔馬車の製造〕では、車大工のほかに、いろいろな独立の手工業者が働いていた。馬具工、指物工、錠前工、真鍮工、ろくろ工、レース工、ガラス工、画工、塗工、メツキ工などである。のちには、これらの労働者は馬車工場のなかで一つにまとめられ、互いに協力して働いた。」(ヨハン・モーリツ・ポッペ『……技術学史』330ページ。)〉(草稿集⑨62頁)

《初版》

 〈マニュファクチュアは二様の仕方で発生する。
  生産物が最終的に完成されるまでには多種の独立手工業者の手を経なければならないのだが、これら独立手工業の労働者たちが同じ資本家の指揮のもとで一つの作業場内で結合されるというのが、一方のほうのやり方である。たとえば、1台の馬車は、車大工、馬具師、木工師、錠前師、真鍮(シンチュウ)細工師、ろくろ師、レース製造職、ガラス師、ペンキ師、塗物師、メッキ師等々のような多数の独立手工業者の労働の全体生産物であった。馬車マニュファクチュアでは、これらのいろいろな手工業者が全員、一つの作業場内でひとまとめにされ、お互いに同時に助けあう。確かに、馬車は製作される前にメッキされることはありえない。ところが、多数の馬車が同時に製作されれば、ある部分が生産過程の前のほうの段階を通過しているあいだに、他の部分は不断にメッキされうるのである。この点まででは、われわれはまだ、有り合わせの人と物とを材料とする単純な協業の域を脱していない。ところが、やがてある重要な変化が起きる。馬車の製造だけに従事している木工師や錠前師や真鍮細工師等々は、自分の従来の手工業をそれの全範囲にわたって営む習慣もそうする能力をも、しだいに失ってゆく。他方、彼の一面化された行動が、いまでは、せばめられた活動領域のための最も合目的な形態を与えられる。最初は、馬車マニュファクチュアは、独立した手工業の結合体として現われていた。それは、しだいに、馬車生産をそれのいろいろな特殊作業に分割したものになり、これらの作業の各個が、1人の労働者の専有職分に結晶し、これらの作業の全体が、これらの部分労働者の結合体によって行なわれるようになる。織物マニュファクチュアやたくさんの他のマニュファクチュアも、同様に、同じ資本の指揮のもとでのいろいろな手工業の結合から生じたのである(26)。〉(江夏訳383頁)

《フランス語版》

 〈マニュファクチュアは二重の起源をもっている。
  種々の手工業職人--ある生産物が完成するためには彼らの手を通らなければならない--が、同じ資本家の命令のもとに単一の作業場に集められることがある。四輪客馬車は、車大工、鞍打工、木工師、錠前師、革帯工、轆轤(ロクロ)工、飾り紐工、ガラス工、ペンキ工、ニス塗工、金メッキ工等々のような相互に独立した多数の手工業者の労働の集団生産物であった。四輪客馬車マニュファクチュアは、彼ら全員を、彼らが同時に手を携えて労働する同じ場所のなかに集めた。確かに、1台の四輪客馬車はそれが出来上がる前に金メッキすることはできないが、多くの四輪客馬車を同時に作れば、ある馬車が別の製造工程を通りぬけているあいだに、ほかの馬車は金メッキ工に絶えず仕事を提供するわけである。ここまではわれわれはまだ、その材料が人と物のかたちですっかり用意されているような単純な協業の域内にとどまっている。しかし、やがてある本質的な変化がそこに生ずる。四輪客馬車の製造だけに従事している木工師、革帯工、錠前工などは、自分の手工業をその全範囲にわたって営む習慣と一緒に、そうする能力をも少しずつ失ってゆく。他方、い/までは一つの専門に限られている彼らの手腕が、この狭い活動範囲に最も適した形態を獲得する。初めは、四輪客馬車マニュファクチュアは独立した諸手工業の結合として現われた。このマニュファクチュアは、四輪客馬車の生産をそのさまざまな特殊工程に分割したものに、だんだんとなるが、これらの工程のおのおのが1人の労働者の特有の仕事として結晶し、これらの工程の全体がこれらの部分労働者の結合によって遂行される。織物マニュファクチュアその他多数のマニュファクチュアもこのように、同じ資本の指揮のもとでの種々の手工業の結集から生じたのである(1)。〉(江夏・上杉訳349-350頁)

《イギリス語版》

  〈(2) 工場手工業は、その起源を、次の二つの経路に持っている。

  (3) ( 1.) 一人の資本家の指図下にある一つの工場に集められた労働者は、独立した様々な手工業に所属しているが、ある与えられた品物は、完成のためには、彼等の手を通らなければならない。例えば、馬車であるが、以前は、非常に多くの独立した手工職人達の労働による生産物であった。すなわち、車輪作り職人、馬具職人、幌職人、金具、シート、ろくろ、房飾り、ガラス、塗装、磨き、金箔貼り 等々の職人達の であった。しかし、馬車の工場手工業では、これらの様々な職人達が一つの建物内に集められて、お互いに相手の手の間々で仕事をする。確かに、馬車はそれが形になる前に、金箔を貼ることはできない。だが、数多くの馬車を同時に製作しているとすれば、そのうちの幾つかが金箔貼り工の手に掛かっている間、他の台数はその前の工程を進行している。そこまでならば、我々は、使う材料等を人と物の形で見つけ出す単純な協同作業の領域内に依然として留まっている。だが、直ぐに重要なる変化がやって来る。仕立屋だろうが、鍛冶屋だろうが、その他の工芸職人だろうが、今や、馬車製作そればっかりに従事させられ、彼の昔のありとあらゆるものづくりをこなしたあの能力を、それらの仕事が無くなることから、徐々に失うことになる。そして他方、彼の能力は、狭い行動局面に最適化された形式という溝に閉じ込められることになろう。当初は、馬車製作は、様々な独立した手工業の組み合わせである。それがある程度経過すれば、それが、馬車製作という様々な細かな工程に分割されて、それぞれが特定の労働者の排他的な機能に結晶化してしまう。工場手工業は、全体として、それらの人々の接合によって運用される。同様に、布製造手工業も、その他の全ての工場手工業も、一人の資本家による支配の下に集められた、それぞれ異なる手工業の組み合わせとして表れることになる。*1〉(インターネットから)


●原注26

《61-63草稿》

 〈ブランキは、前に示唆した箇所で、「大マニュファクチュアの組織のもとに従属した労働者の規制された、そしていわば強制された労働」[13ページ]と、農村住民の手工業的な、または家内副業として営まれている工業とを区別している。「マニュファクチュアの罪は、……労働者を隷属させ、労働者を……彼と彼の家族を、仕事の意のままにさせるところにある。[118ページ]……たとえば、/ルアンかミュルーズの工業をリヨンかニームの工業と比べてみるがよい。いずれも二つの繊維の、すなわち一方は綿、他方は絹の製糸と織物を目的としている。だが、両者に似たところはまったくない。ルアンやミュルーズの工業は、広大な建物の中で、資本の力に頼って……真に一軍勢といえるほどの労働者をもって行なわれているものばかりであって、そこでは、兵舎に似た、塔のように高い、銃限のような窓で穴だらけの巨大な工場に、何百、何千もの労働者が閉じ込められている。それと対照的に、リヨンやニームの工業は、まったく家父長制的である。それはたくさんの婦人や児童を使用しているが、彼らを疲れ果てさせたり堕落させたりするようなことはない。それはドゥローム、ヴァール、イゼール、ヴォグリューズの彼らの美しい谷間に彼らを置いたままで、彼らに蚕を飼わせ、繭から糸を紡がせる。それはけっして真の工場経営にはならない。この工業でも前者でと同じように分業の原則が守られてはいるが、ここではこの原則は一つの独自な性格を帯びている。そこには糸繰り工も糸撚り工も捺染工も糊付け工もいるし、また織物工もいる。だが彼らは同じ一つの建物に集められてはいないし同じ一人の雇主に従属してもいない。彼らはみな独立している。彼らの道具、彼らの織機、彼らのボイラーから成る彼らの資本は、あまり大きいものではないが、しかしそれは、彼らを雇主とある程度まで対等な位置におくには十分なものである。ここには、工場規則も忍従すべき条件もない。各人は、まったく自由に、自分のために契約するのである。」(ブランキ兄『産業経済学講義』、A・プレーズ編注、パリ、1838-1839年、44-80ページの各所。)〉(草稿集④457-548頁)

《初版》

 〈(26) マニュファクチュアのこういった形成様式のもっと近代的な一例を上げるために、次の引用句を示しておく。リヨンやニームの絹紡績業や絹織物業は「全く家父長制的である。それは、たくさんの女や児童を使っているが、彼らを疲れ果てさせ/ることもなければ墜落させることもない。それは、ドヮローム川やヴァール川やイゼール川やヴォクリューズ川の美しい谷間に彼らを住まわせたままで、そこで蚕を飼わせ、繭の糸を繰り取らせる。それはけっして本式の工場になっていない。そこでは分業の原則が、とにかく守られているために、……ある特殊な性格を帯びている。確かに、糸繰り職も糸撚り職も染物職も糊付け職もいれば、機織り職もいる。ところが、彼らは、一つの同じ作業場のなかに集められていないし、1人の同じ雇主に従属してもいない。彼らは全員独立している。」(A・ブランキー『産業経済学講義、A・ブレーズ編、パリ、1838-39年』、44-80ページの各所。)ブランキーがこれを書いてからも、いろいろな独立労働者が、一部、工場内に集められた。〉(江夏訳383-384頁)

《フランス語版》

 〈(1) もっと新しい一例。リヨンやニームの絹紡績業は「全く家父長的である。それは多数の婦入や児童を使うが、彼らを疲れ果てさせることもなければ、堕落させることもない。それは、彼らをドローム川やヴァール川やイゼール川やヴォークリューズ川の美しい渓谷のなかに住まわせたままで、そこで蚕を飼わせ、繭を繰りとらせる。それはけっして本式の工場にはならない。そこでは分業の原則が、とにかく守られているために、……一つの特殊な性格を帯びている。確かに、糸繰り工も糸撚り工も染物工も糊付工もいれば、織物工もいる。だが、彼らは一つの同じ建物のなかに集められもせず、1人の同じ雇主に従属してもいない。彼らはみな独立している」(A・ブランキ『産業経済学講義』、A・ブレーズ編、パリ、1838-39年、78ぺージおよび79ページ)。ブランキがこれを書いてから、さまざまの独立労働者が多かれ少なかれ工場のなかに集められた。〉(江夏・上杉訳350頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *1 より近代的な例を示す。リヨンとニームの絹紡績と絹織物業である。「これらの業種は、全くの家父長制で、大勢の婦人と子供を雇用しているのだが、疲労や荒廃に追い込んだりはしない。そこでは人々をドロームや、バール、イゼール、ボークルーズの、彼等の美しき谷に住まわせ、彼等の蚕を育て、彼等の繭をほどく、真の工場製造業には決してならない。とはいえ、労働の分業の原理は、ここでも特別の性格を示す。そこには、明らかに、糸巻工、糸繰り工、染色工、整糸工、そして最終的には機織り工が存在している。だが、彼等は同じ工場建屋に集められてはおらず、一人の工場主に依存もしていない、彼等はすべて独立した存在なのである。」( A. ブランキ 「産業経済学講座」A. ブレイズ偏 パリ 1838-39 ) (フランス語 ) ブランキがこの様に書いた以後においては、ある程度は、様々な独立の労働者達は、工場の中に結合された。[そして、マルクスが上のように書いた後は、力織機がこれらの工場に侵入し、そして、今1886年では手織り機に取って代わりつつある。(ドイツ語版第4版に付け加えた。(イタリック) クレフィールド絹産業もまた、明らかにこの主題を示す話しを持っている。) フレデリック エンゲルス ]〉(インターネットから)


●第3パラグラフ

《61-63草稿》

 〈自動作業場
    製紙工場。(現代の。)かつて17世紀と18世紀のはじめには、とくに、オランダの製紙工場は、本格的な、非常に発達をとげた本格的なマニュファクチュアであった。部分的に個々の工程では、最初は手動機械(ミューレ)が、それから水力あるいは風力機械(ミューレ)が使用されていた。〉(草稿集⑨78頁)

《初版》

 〈ところが、マニュファクチュアはこれと反対の道を通っても生ずる。同じことまたは同種のことを行なう、たとえば紙とか活字とか針とかをつくる多数の手工業者が、同じ資本によって同時に同じ作業場で働かされる。これは最も単純な形態の協業である。これらの手工業者はめいめい(おそらく1人か2人の職人と一緒に)完成商品を作り、したがって、完成商品の生産に必要ないろいろな作業を順々になしとげる。彼は引きつづき、自分の古い手工業的なやり方で働く。にもかかわらず、やがて外部的な事情が働いて、労働者を同じ場所に集めるようになり、また、彼らの労働を別のやり方で同時に利用するようになる。たとえば、かなり多量の完成商品を一定期間内に供給しなければならないとする。このために労働が分割される。いろいろな作業を同じ手工業者に時間を追って順々に行なわせることをやめて、それらの作業を互いに引き離し、分立させ、空間的に並べ、それぞれの作業を別々の手工業者に割り当て、すべての作業が一緒に、協業者たちの手で同時に行なわれるようにする。こういった偶然的な分割が、繰り返され、特有な利点を発揮し、だんだんと組織的な分業に骨化する。商品は、多種多様なことをする1人の独立手工業者の個人的な生産物から、めいめいが絶えず同一の部分作業だけを行なう手工業者から成る結合体の社会的な生産物に、転化するのである。ドイツの同職組合の製紙業者では次々に行なわれる仕事として互いに入り混っていた諸作業が、オランダの製紙マニュファタチュアでは、多数の協業労働者が相並んで行なう部分作業として、独立させられている。ニ/ュルンベルタの同職組合の製針業者は、イギリスの製針マニュファクチュアの基本要素になっている。ところが、ニュルンベルクの製針業者は、おそらく20にのぼる一連の作業を1人で順々に行なっていたが、他方、イギリスの製針マニュファクチュアでは、まもなく、20人の製針工が並行して、めいめい20の作業のうちの一つだけを行なったのであって、これらの作業は、経験にのっとり、もっとずっと細分され分立させられて、個々の労働者の専有職分として独立させられた。〉(江夏訳384-385頁)

《フランス語版》

 〈だが、マニュファクチュアは、これとは正反対の仕方でも生ずることがありうる。紙や印刷活字や針などの同じ物品を各人とも製造する多数の労働者が、同じ資本によって同じ作業場内で同時に使われることがありうる。これは最も単純な形態の協業である。これらの労働者はめいめい(おそらく1人か2人の職人と一緒に)、さまざまの必要な作業をつぎつぎに行なうことによって、また、彼の旧式な様式にしたがって労働しつづけることによって、完成品を作る。しかし、やがて外部の事情が働いて、同じ場所への労働者の集中と彼らの労働が同時に行なわれることが、別の仕方で行なわれるようになる。たとえば、いっそう多量の商品が一定期間内に引き渡されなければならない。このばあいには労働が分割される。さまざまな作業を同じ労働者につぎつぎに行なわせるかわりに、これらの作業を引き離し、ばらばらにし、次いでおのおのの作業を1人の特殊な労働者にまかせて、すべての作業がひっくるめて、協業者たちによって同時に、並行して行なわれる。最初は偶然に行なわれたこの分割が繰り返され、その特有の利点を発揮し、しだいに体系的/な分業に骨化する。商品は、多数の物を作る1人の独立労働者の個人的生産物から、各人が絶えず同じ細部作業のみを行なう労働者の集まりの社会的生産物になる。ドイツの同職組合の製紙業者では次々に行なわれる労働として互いに噛み合って行なわれていた諸作業が、オランダの製紙マニュファクチュアでは、一つの協業集団のさまざまな成員によって並行して行なわれる細部作業に変わったのである。ニュルンベルクの製ビン業者は、イギリスの製ビン・マニュファクチュアの基本的要素である。だが、前者はおそらく20種におよぶ一連の作業を次々に行なっていたのに、後者では20人の労働者がめいめいに、まもなく、これらの作業--これらはその後の経験の結果さらにずっと細分され、ばらばらにされた--のうちのただ一つを遂行したのである。〉(江夏・上杉訳350-351頁)

《イギリス語版》

  〈(4) ( 2.) 工場手工業は、また、このような多様な職種の寄せ集めとは全く違った方法でも現われる。多くの手工職人達が、一人の資本家によって同時に雇用され、彼等はすべて同じ仕事をするか、同じ種類の仕事をする。例えば、製紙、活字、または縫い針である。この協同作業は、それの、最も初期的な形式である。これらの各手工職人達は、( 多分一人または二人の見習い工とともに ) 商品の全体を作る。従って、彼は、その生産に必要な作業のすべてを一連のものとして作業する。彼は依然として、彼の古き手工芸的な方法で作業する。しかし直ぐに、外部状況が、労働者を一ヶ所に集めて、彼等の仕事を同時に行うようにするために、違った使い方を始める。恐らく品物のある増加量がある与えられた期間内に配送されなければならない、となれば、作業は再分割再構成される。それぞれの者が一連のすべての様々な作業を行うことが許されていたのに代わって、これらの作業が互いに関連のない個別の系列に変えられ、同じように並んだ、別の職人のそれぞれによってなされるようになる、そして彼等のすべての作業が平行して、同時に、共に協同作業する労働者達によって遂行される。この偶然の繰り返しがさらに繰り返されて、それ自体の有利さをさらに発展させ、そして次第に、組織的な労働の分業へと硬直化する。商品は、独立した手工職人の個々の生産物であることから、手工職人の結合体の社会的な生産物となる。職人達のそれぞれは、一つの作業をし、ただ一つの作業をし、ある一構成要素の部分的作業を行う。ドイツのギルドに属する製紙業のケースでは、同じ作業が互いに混ざり合って連続した一つの手工職人の仕事となっていたが、オランダの製紙工場手工業では、多くの部分的作業として、並んで、多くの協同作業労働者達によって行われた。ニュールンベルグの針製造ギルドは、以後の英国の針製造業が成立する基礎石となった。そうではあるが、ニュールンベルグでは、一人の手工職人が、多分20程の作業を次々に行うものであったが、英国では、今では、20の針手工職人らが並んで、それらの20の作業の一つを行った。そして、そのさらなる経験の結果として、それらの20の作業はさらに分割され、個別化され、分断された労働者の排他的な機能というべき体をも作り上げた。〉(インターネットから)

  (付属資料(2)に続く。)

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『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(9)

2024-08-30 15:00:33 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.44(通算第94回)(9)


【付属資料】(2)


●第4パラグラフ

《61-63草稿》

 〈しかしながら結合〔Kombination〕--分業におけるこの協業は、もはや同じ諸機能の並列ないし一時的配分として現われるのではなく、諸機能の一全体をその構成部分に特殊化したうえでこれらのさまざまな構成部分を一つに結びつけるものとして現われる--は、いまでは次のように二重に存在する。すなわち〔結合は一方では〕、生産過程そのものを観察するかぎり、作業場(アトリエ)全体のなかに存在する。かかる全体機構としての作業場(アトリエ)は(実際にはそれは労働者の協業の定在、生産過程における彼らの社会的なふるまいにほかならないにもかかわらず)、労働者にたいして彼らを支配し包括する外的な力(Macht〕として対立しており、実際に資本そのもの--労働者の一人ひとりがそのもとに包摂されており、彼らの社会的生産関係がそこに属している--の力〔Macht〕として、またその一つの存在形態として対立している。〔結合は〕他方では、完成生/産物のなかに存在するのであり、この生産物は、これはまたこれで資本家に帰属する商品なのである。〉(草稿集④444-445頁)
  〈労働者自身にとっては、もろもろの活動の結合〔Kombination〕は生じない。それどころか、この結合は、それぞれの労働者ないしそれぞれある数の労働者たちを集団的に包摂している一面的な諸機能の結合である。労働者の機能は、一面的であり、抽象的であり、部分である。そういうものから形成される全体は、まさに、労働者がこのようにほんの部分的定在であり個々の機能において孤立させられていることにもとづいている。つまりそれは、労働者を自己の部分とする、彼の労働が結合されていないことを基礎とする、そういう結合なのである。労働者たちは、この結合の建築素材〔Baustein〕をなしている。だが、この結合は、彼ら自身に属する、また結合された〔vereinigt〕労働者としての彼らのもとに包摂されている関係ではないのである。以上は同時に、ポッター氏の、分割に対立する結合と協同という美辞麗句について〔の批評〕でもある。〉(草稿集④445頁)
  〈マニュファクチュアは、手工業から2つの道をとおって現われる。(1)単純協業。同じ仕事をする多数の手工業者が手工道具をたずさえてひとつの作業場に集積すること。これは、往時の織布マニュファクチュアとつづく仕上げ加工マニュファクチュアとの特徴だった。そこでは、分業はほとんど行なわれていない。せいぜい、準備とか仕上げとか、若干の副次的作業にかんして行なわれるにすぎない。この場合の節約は主として、建物・炉などのような一般的な労働条件の共同利用〔から生まれるのである〕。総じて資本主義的生産に固有の要素である工場主の監督〔についても同様〕。
  ユアは、『工場哲学』第2巻でこう語っている。(83、84ページ。)
  「しかしながら、次のことは言っておく必要がある。手労働は労働者の気まぐれから多かれ少なかれ中断される。それゆえ手労働は、休むことのない規則的な力で動かされる機械のそれと較べられるような、年あるいは週生産物を平均的に与えることはけっしてないということである。/このために、自宅で働く織工が週の終わりに、もし彼らが織機を毎日12時間から14時間、労働の反復によってそのあいだ休まず同じ速さで動かしたなら生産できたはずのものの半分以上を生産していることはめったにないのである。」
  (2)多数の独立した部門に分割されている手工業を1工場において結合すること。分割は、手工業でも見られるが、しかし、その各部分は自立した手工業として営まれているのである。工場は、この孤立性と自立性の否定である。相違は次の点に要約される。すなわち、特殊な労働は、生産物をもはや特殊な商品として生産するのではなく、たんに1商品を完成するための部分として生産するだけである。特殊的になっている生産物は、このようなものとしては商品であることをやめる。これまで分かれていたものがひとたび結合されると、このようにして成立した自然生的なマニュファクチュアを基盤にして、その細分がさらに発展し、その部分に分割され、自動式〔self acting〕になる。ばらばらの手工業のマニュファクチュアへのこの結合に相当するのは、大工業の内部では、一方の工場が半製品をつくり、他方の工場がそれを原料として加工するという工場の結合である。紡績と織布の場合がそうである。そのためには、両方の部門がそれぞれすでに機械的経営様式にしたがっていることが前提になる。〉(草稿集⑨118-119頁)

《初版》

 〈したがって、マニュファクチュアの発生様式、手工業からのマニュファクチュアの創出は、二面的である。一面では、ニュファクチュアは、いろいろな種類の独立手工業の結合から出発し、これらの手工業は、独立性を奪われ一面化されていて、もはや、同一商品の生産過程で互いに補足しあう部分作業でしかなくなる。他面では、マニュファクチュアは、同種の手工業者たちの協業から出発し、同じ個々の手工業をそれのいろいろな特殊作業に分解し、これらの特殊作業を分立させ独立させて、それぞれの特殊作業が1人の特殊労働者の専有職分になるようにする。だから、マニュファクチュアは、一面では、分業を生産過程に導入するかまたは分業をいっそう発展させ、他面では、以前には別々であった手工業を結合する。だが、マニュファクテュアの特殊な出発点がどちらであろうと、それの最終の姿は同じもの--人間を器官にする生産機構である。〉(江夏訳385頁)

《フランス語版》

 〈だから、マニュファクチュアの起源、手工業からのマニュファクチュアの由来は、二重の面を示す。一方では、マニュファクチュアはさまざまの独立した手工業の結合を出発点とするのであって、これらの手工業は、同一商品の生産における相互に補足しあう部分作業にすぎなくなるほどに、分解され単純にされる。他方では、マニュファクチュアは、同種の手工業者の協業をとらえ、この手工業をそのさまざまな作業に分解し、これらの作業を、そのおのおのが部分労働者の専門機能になるほどにばらばらにし独立させる。したがって、マニュファクチュアは、ある時は分業を一つの手工業のうちに導入するかまたはこれを発展させ、ある時は別々の分立した諸手工業を結合する。だが、マニュファクチュアの出発点がどうあろうとも、その最終形態は同じもの--人間が肢体になっている生産有機体--である。〉(江夏・上杉訳351頁)

《イギリス語版》

  〈(5) この様に、手工芸から成長した、これらの工場手工業の成立様式は、二重なのである。一方では、様々な独立した手工芸の結合から産み出された。そしてそれは、彼等の独立性を細切れにして、一つの特定の商品の生産の補助的な部分的な工程へとどこまでも小さくされてしまった。他方では、一工芸部門の職人達の協同作業から産み出された。そしてそれは、その特定の手工芸を様々な細目の作業へと分割した。孤立化させ、そしてこれらの作業を、特定の労働の排他的な機能に行き着くまでに、互いに独立したものにしてしまった。従って、一方では、工場手工業は、労働の分業を生産過程に導入するか、またはその分業をさらに発展させた。また一方で、形式的には分離した手工芸を一緒に結合した。その特定の開始点がどうであれ、その最終的な形式は、少しも変わる所が無い、その部分が人間である同じ生産機構なのである。〉(インターネットから)


●第5パラグラフ

《初版》

 〈マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するためには、次の諸点をしっかり捉えておくことが重要である。第一に、生産過程をそれの特殊な諦段階に分解することが、このばあいには、一つの手工業的活動をそれのいろいろな部分作業に分解することと、全く一致する。複合されたものであろうと単純なものであろうと、作業は、相変わらず手工業的であり、したがって、個々の労働者が自分の道具を操作するさいの力や熟練や敏速さや確実さに依存している。手工業が相変わらず基礎になっている。このせまい技術的基礎は、生産過程の真に科学的な分解を排除する。と/いうのは、生産物が移行してゆくそれぞれの部分過程は、手工業的な部分労働として行なわれうるものでなければならないからである。手工業的な熟練がこのように相変わらず生産過程の基礎であるからこそ、めいめいの労働者はもっぱら一つの部分機能に同化されて、彼の労働力はこの部分機能の生涯の器官にされてしまう。最後に、この分業は、協業の特殊な種類であり、この分業の利点の多くは、協業の一般的な本質から生ずるのであって、協業のこの特殊な形態から生ずるものではない。〉(江夏訳385-386頁)

《フランス語版》 フランス語版ではこのパラグラフは三つのパラグラフに分けられているが、一緒に紹介しておく。

 〈マニュファクチュアにおける分業を適切に評価するためには、次の二点をけっして見失わないことが肝要である。第一に、ここでは、生産過程をその特殊な諸段階に分解することが、手工業者の手仕事をそのさまざまな手作業に分解することと全く一致している。複雑であろうと単純であろうと、作業は依然として、労働者の手が道具を取り扱うさいの力や熟練や速さや確実さに依存している。手工業が依然として基礎である。この技術的な基礎は、仕事の分解を、非常に狭い限界内でしか許さない。労働対象が通りぬけてゆく個々の部分工程が手の仕事として実行可能なものでなければ/ならず、それがいわばそれだけで独自の手工業を形成しなければならないのである。
  まさしく手工業の熟練が依然としてマニュファクチュアの基礎であるからこそ、マニュファクチュアでは、個々の労働者は全生涯を通じ一つの部分機能に適合させられるのである。
  第二に、マニュファクチュア的分業は一つの特殊な種類の協業であり、その利点の多くは、協業のこの特殊な形態から生ずるのではなく、協業の一般的な本性から生ずるのである。〉(江夏・上杉訳351-352頁)

《イギリス語版》

  〈 (6) 工場手工業における労働の分業を適切に理解するためには、次の各点をしっかりと把握することが必須である。その第一は、生産過程を様々な一連の工程へと分解することであって、ここでは、厳密に、一対一で手工芸のそれの一連の手の作業と同一の工程への分解である。そのそれぞれの作業は、複雑なものであれ単純なものであれ、手をもってなされねばならず、手工芸の性格を保持しており、それゆえに、道具を使う個々の作業者の力、熟練、理解の早さ、そして確かな腕に係っている。手工芸がその基礎として継続している。この狭い技術的な基礎が、いかなる明確な工業的生産過程の、真に科学的な、分析をも排斥している。以来、依然として、生産物によって通過される細目の工程は、孤立化している手工芸の方法によって、つまり、手とその加工によってなされるものでなければならない。それは、まさに、手工芸的技能が継続しているからに他ならない。この方法によって、生産過程の基礎が継続しているからで、それぞれの労働者は、部分的な機能に排他的に割り当てられており、そして、それが彼の人生のすべてであり、彼の労働力はこの細目機能の器官へと変えられる。
  (7) その第二は、この労働の分業は特別な種類の協同作業であり、そして、その多くの欠陥は協同作業の一般的性格から惹起するものであって、その特定の形式から惹起するものではない。 (disadvantages と英訳されている部分である。訳者注: 普通は短所とか不利益部分とか訳されるところだと思う。分断的細目化部分の労働の協同作業は直ぐに欠陥を曝露するのであろう。この先でマルクスが当時の状況の中から何を云うのかは分からないのだが、この私が訳した「欠陥」を、なんと「利益の多くは」と向坂訳は日本語文字に置き換えている。これでは、意味が正確に伝わることにはならないと思う。協同作業の利点から、いよいよ欠陥に言及する場面であって、振り出しに戻るような話のままではないのである。単に単語の置き換え問題であるから、向坂訳の紹介は省くが。) 〉(インターネットから)


  第2節  部分労働者とその道具


◎第2節の表題


《初版》  節に分けられていない。

《フランス語版》

  〈第2節 部分労働者とその道具〉

《イギリス語版》

  〈第2節 細目区分労働者と彼の道具〉


●第1パラグラフ

《61-63草稿》

 〈家父長制的あるいは手工業的経営では労働者が自己の製品を仕上げるために順々に遂行する、また彼の活動の異なった様式として互いにからみあい時間的に継起して交替するさまざまな作業が、つまり彼の労働が順次に通過しそのたびごとにかたちを変えるさまざまな段階が、いまや自立した作業ないし過程として、相互に引き離され、孤立させられる。このような単純かつ単一な過程のそれぞれが特定の労働者または一定数の労働者たちの専有機能となることによって、この自立性は固定され、人格化される。彼らはこれらの孤立した議機能のもとに包摂される。労働が彼らのあいだに配分されるのではない。彼らがさまざまな過程のあいだに配分されるのであり、それらの過程のそれぞれが--彼らが生産的な労働能力として活動するかぎり--彼らの専有の生活過程となるのである。つまり、生産性の向上と生産過程全体の複雑化、生産過程全体の豊富化は、それぞれの特殊的機能を果たす労働能力を単なる干からびた抽象物--それは永遠に単調な同じ活動として現われる単純な属性で、それと引き替えに、労働者の全体的な生産能力が、彼の素質の多様性が没収されている--に還元するという代償を払ってあがなわれるのである。これらの生きた自動装置(アオトマート)の諸機能として遂行されるこのように分離されたもろもろの過程が、まさにそれらの分離と自立性によ/って、結合〔Kombination〕を許すのであり、これらのさまざまな過程が同一の作業場(アトリエ)で同時に遂行されることを許すのである。分割と結合〔Kombination〕とはそこでは相互に条件づけ合っている。一商品の総生産過程は、いまや一つの組み立てられた作業として、多くの作業の複合として現われ、それらはいずれも、ほかからは独立しつつ互いに補足しあい相互に並んで同時に遂行されうるのである。ここでは、さまざまな過程〔相互的〕補足が、未来から現在に移されており、その結果、商品は、一方で〔その生産が〕開始されるときに、他方では完成されるのである。それと同時に、これらのさまざまな作業は単純な機能に還元されているため熟達した腕まえ〔Virtuosität〕をもって遂行されるから、一般に協業に固有のこの同時性にたいしてさらに労働時間短縮がつけ加わるのであって、労働時間のこの短縮は、同時に補足し合いながら一全体を構成する諸機能のいずれにおいても達成される。その結果、所与の時間内により多くの完全商品が、より多くの商品が完成されるばかりでなく、総じてより多くの完成商品が供給されることになる。この結合によって作業場(アトリエ)は、個々の労働者をそのさまざまな手足とする一つの機構となるのである。〉(草稿集④443-444頁)
 〈分業は、労働を簡単化することによって労働の修得を容易にし、したがって労働能力の一般的生産費を減少させる。〉(草稿集④461頁)

《初版》 初版では第1パラグラフと第2パラグラフが同じ一つのパラグラフになっているが、該当するところで分割して紹介しておく。

 〈さて、もっと詳しく細かな点に立ち入ってみると、一生涯同一の単純作業を行なう労働者は、自分の全身をこの作業の自動的な一面的な器官に転化させ、したがって、多数の作業をこもごも行なう手工業者に比べるとこの作業に費やす時間がより少ない、ということがまず第一に明らかである。ところが、マニュファクチュアの生きている機構を構成している結合された全体労働者は、このような一面的な部分労働者たちだけから成り立っている。だから、独立した手工業に比べると、より短い時間でより多くのものが生産される、すなわち、労働の生産力が高められる(27)。また、部分労働が1人の人間の専有機能として独立させられたあとでは、部分労働の方法も改良される。かぎられた同じ行為の不断の反覆と、このかぎられたものへの注意力の集中とは、所期の有用効果を最小の力の消耗でもって達成することを、経験にのっとって教えてくれる。ところが、世代のちがう労働者がつねに同時に一緒の生活をし、同じマニュファクチュアで一緒に働いているので、こうして獲得された技術上の技巧は、やがて固定され、積み重ねられ、伝達される(28)。〉(江夏訳386頁)

《フランス語版》 フランス語版ではこのパラグラフは第2パラグラフの前半部分と一緒に一つのパラグラフになっているが、該当するところで分割して紹介する。

 〈幾つかの細かい点に立ち入ろう。まず明らかなことだが、部分労働者は、自分の全身を、一生涯にわたる同一の単純作業の専門的、自動的な器官に変え、したがって、彼はこの作業には、一連の作業のすべてを行なう手工業者よりも少ない時間を費やすのである。ところで、マニュファクチュアの生きた機構である集団労働者は、このような部分労働者だけから構成されている。それだから、独立手工業に比べれば、マニュファクチュアはより少ない時間でより多くの生産物を供給する、あるいは、結局同じことになるが、労働生産力を高めるのである(2)。それだけではない。部分労働が専門機能になるやいなや、その方法が改良される。単純な行為を不断に反復し、この行為に注意を集中すれば、経験によってだんだんと、最小の力の支出で所期の有用な効果を達成することができる。そして、世代のちがう労働者がつねに同じ作業場で一緒に生活し労働しているのであるから、獲得された技術上の方式、手工業のこつと呼ばれるものが積み重ねられ、伝達される(3)。〉(江夏・上杉訳352頁)

《イギリス語版》

  〈(1)もし我々が、より細かく見て行くとすれば、その最初の所に、彼の人生のすべてを掛けて一つの、同じ単純な作業を行う労働者がおり、彼の全身をば、自動機具に改造し、その作業に特化した道具となっている姿がはっきりと見えるであろう。その結果として、彼は、一連の継続する作業のすべてを行う工芸職人に較べれば、その部分に関してはより少ない時間でやってのける。そしてまさに、工場手工業の生きた仕組みを構成する集められた労働者は、そのように特化された細目区分労働者だけで出来上がっているのである。かくて、独立の工芸職人と比較すれば、与えられた時間内により多くのものが生産される、別の言葉で云えば労働力の生産性が増大する。*2
  さらに、この微細労働が、一旦、一人の人間の排他的な機能として確立したならば、用いられたその方法がより完璧なものとなる。労働者の、繰り返し続けられるその同じ単純な行為が、彼のそのことに注がれる集中が、経験を通じて、彼に、如何にして求めている効果が、最低の労力によって得られるかを教えるであろう。そして、そこには常に、幾世代の労働者達が同時に生きており、与えられたある品物を作る工場に共に集まって仕事をしており、技術的な能力や、商売の手管等々を修得するであろう。やがて、これらが確立され、そして蓄積され、子孫に引き渡される。*3〉(インターネットから)


●原注27

《61-63草稿》

 〈分業についてのベティの見解を古代人のそれから区別するものは、最初から、分業が生産物の交換価値に、つまり商品としての生産物に及ぼす影響を、すなわち商品の低廉化を見ていることである。
  同じ観点を、もっと明確に、一商品の生産に必要な労働時間の短縮と表現し、一貫して主張しているのは、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、である。
  決定的なことは、どんな商品でも「最少のそして最もやさしい労働」でつくることである。あることが「より少ない労働で」遂行されるならば、「その結果、より低い価格の労働で」遂行されるととになる。こうして商品は安価にされ、その次には、労働時間をその商品の生産に必要な最小限にきりつめることが、競争によって一般的法則となる。/「もし私の隣人がわずかな労働で多くをなすことによって安く売ることができるならば、私もなんとかして彼と同じように安く売るようにしなければならない。」[67ページ]分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ない。」よ[68ページ]〉(草稿集④460-461頁)

《初版》

 〈(27) 多様性に富むどんな製造業でも、それが分解されて別々の職工に割り当てられることが多ければ多いほど、必ず同じことがますます立派に、ますます迅速に、時間や労働をますます労せずして、行なわれるにちがいない。(『東インド貿易の利益、ロンドン、1720年』、71ページ。)〉(江夏訳387頁)

《フランス語版》

 〈(2) 「一つの製造工業が分割されてそのすべての部分が種々の職人に割り当てられるようになればなるほど、仕事はますますうまくますます迅速に行なわれ、時間と労働との損失がますます少なくなる」(『東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、71ページ)。〉(江夏・上杉訳353頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: *2 「沢山の様々な種目のありとあらゆる工場手工業がさらに、分岐され、異なる手工業職人に割り当てられれば、割り当てられるほど、その同じ種目の作業は、時間のロスも少なく、労働のロスも少なく、より迅速に、より巧みにこなして行くものとなるに違いない。」(「東インド貿易の利益」ロンドン 1720年 )〉(インターネットから)


●原注28

《61-63草稿》

 〈世代から世代への熟練〔Geschick〕の伝承はいつでも重要なことである。これは、身分(カスト)制度の場合にものちの同職組合制度の場合にも、決定的な一観点である。「容易な労働は伝承された熟練〔skill〕にほかならない」(トマス・ホジスキン『民衆経済学』、ロンドン、1827年、48ページ)。〉(草稿集④465頁)

《初版》

 〈(28) 「熟練が伝承されていれば、労働は雑作ない。」(T・ホジスキン、前掲書〔『大衆向けの経済学』〕、125ページ。)〉(江夏訳387頁)

《フランス語版》

 〈(3) 「容易な労働とは伝承された技能である」(T・ホジスキン『大衆向けの経済学』、48ページ)。〉(江夏・上杉訳353頁)

《イギリス語版》

  〈 本文注: *3 「楽な労働とは、受け継がれた技能のことである。」(Th. ホジスキン 「やさしい政治経済学」)〉(インターネットから)


●第2パラグラフ

《61-63草稿》

 〈A・スミスは、またそのさきで分業のこの二つの形態をごっちゃにする。すなわち、同じ第一巻第一章には、さらに次のように書かれている。「どんな技術(アール)においても、分業は、それが導入されうるかぎり、労働の生産諸力の比例的増大をもたらす。さまざまの職業や仕事の分化を生みだしたものはこの利益であるように思われる。そのうえこの分化は、一般に最高度の進歩と産業とを享受している国々で最も進んでいるのであって、まだ未開状態にある社会ではただ一人の仕事であるものも、より進んだ社会では数人の仕事になるのである」[同前、15ページ〔邦訳、前出、70-71ページ〕]。A・スミスは、分業の利益を列挙している次の箇所では、あからさまに量的な観点を、すなわち一商品の生産に必要な労働時間の短縮を、唯一の観点として強調している。「分業の結果として、同人数の人々のなしうる仕事の量がこのように大増加するのは、三つの異なる事情に由来する」(第一巻第一章、[18ページ〔邦訳、72ページ〕])。さらに詳しく言えば、彼によると、これらの利益は、第一に、労働者が彼の一面的な部門で身につける腕まえ〔Virtuosität〕からなっている。「第一に、職人の技巧〔dextérité〕の高まりは、そのなしうる仕事の量を必然的に増加させるのであって、分業は、各人の仕事をある非常に単純な作業に還元することにより、しかもこの作業を彼の一生の唯一の仕事とすることによって、必然的に、いちじるしく高い技巧を彼に得させるのである」[同前、19ページ〔邦訳、73ページ〕]。( つまり、仕事を敏速に行なうこと。)〉(草稿集④435頁)
 〈ダーウィンは、いっさいの有機体、植物および動物における遺伝による「蓄積」をそれらの形成の推進原理とするのであり、したがっていろいろな有機体そのものは、「堆積」によって形成されるのであり、それらは、ただ、生きている主体の「諸創作物」、漸次に堆積した諸創作物でしかない、とするのである。しかし、これが生産にとっての唯一の先行条件なのではない。動物や植物にあってはそれは動植物にとって外的な自然であり、したがって無機的な自然でもあれば他の動植物にたいする関係でもある。社会のなかで生産を行なう人間もまた、変形された自然を(またことに彼自身の活動の機関に転化した自然的なものを)、そして生産者たち相互の一定の諸関係を、既存のものとして見いだすのである。〉(草稿集⑦369頁)

《初版》 すでに指摘したが、初版では第1と第2のパラグラフは一つのパラグラフになっている。だから以下は、該当する後半部分である。

 〈マニュファクチュアは、じっさいに、細部労働者の技巧を産み出すが、このことは、マニュファクチュアが、社会にすでに存在していた職業の自然発生的な分化を作業場内で再生産し、この分化を組織的に徹底させる、ということに依拠している。他方、マニュファクチュアが部分労働を1人の人間の生涯の職業にしてしまうということは、以前の諸社会の傾向--この傾向は、職業を世襲化する、すなわち、職業をカストに石化するか、/または、特定の歴史的諸条件がカスト制度に矛盾する個体の変異性を産み出すばあいには労働分化を少なくとも同職組合に骨化するものである--に照応している。これらのカストや同職組合は、動植物の種や亜種への分化を規制するのと同じ自然法則から発生するのであって、ある発展度に達するとカストの世襲性または同職組合の排他性が社会のおきてとして制定されるという点(29)が、ちがうだけである。「ダッカのモスリンは優美という点で、コロマンデルの更紗(サラサ)やその他の布製品は染色が華麗で長持ちするという点で、けっしてひけをとらなかった。にもかかわらず、これらのものは、資本も機械も分業もなしに、または、ヨーロッパの製造業にあのように多くの利点を与えているその他のどんな手段もなしに、生産されている。織り手は単独の個人であって、顧客の注文に応じ丈織物を織るが、用いる織機といえば、この上なく簡単な構造のものであり、粗雑に組み合わされた木の棒ででぎているにすぎないことも多い。織機には、たて糸を巻き取るための装置さえないので、それは、伸びきったままで置かれざるをえないし、生産者の小屋にはそれの置き場が全くないほどぶかっこうにひろがっており、このため、生産者は、天候が変わるたびごとに労働が中断される屋外で、労働せざるをえないほどである(30)。」蜘昧(クモ)のようなこういった巧妙さをインド人に授けているものは、代々積み重ねられて父から子へと伝えられる特別な熟練だけである。それにもかかわらず、このようなインドの織り手は、マニュファクチュア労働者の多数に比べると、きわめて複雑な労働を行なっている。〉(江夏訳386-387頁)

《フランス語版》  フランス語版ではこのパラグラフの前半は第1パラグラフと一緒になっており、後半部分は別のパラグラフになっていて、間に原注が挟まっているが、ここでは全集版に合致するように紹介しておく。

 〈マニュファクチュアは、それが中世の都市で見出したままの手工業の分立を再生産し、これを極端にまで押し進めることによって、細部労働者の技巧を産み出す。他方、部分労働を1人の人間の生涯にわたる専門の天職に変えるというマニュファクチュアの傾向は、古い諸社会の傾向--手工業を世襲化し、これをカストに石化さ/せ、あるいは、特殊な歴史的事情からカスト制度とは両立しない個人の変異性が生じてきたばあいには、さまざまな職業部門をともかくも同職組合に骨化させる傾向--に照応している。これらのカストとこれらの同職組合は、動植物の種や変種への分化を規制するのと同じ自然法則にしたがって形成されるのであるが、ちがうところは、ある発展度に達してしまうと、カストの世襲や同職組合の排他性が社会法則として制定される、ということである(4)。
  「ダッカのモスリンは優美という点で、コロマソデルの綿布やその他の織物は色が華麗で耐久性があるという点で、一度もひけをとったことがない。しかし、これらのものは、資本も機械も分業もなしに、ヨーロッパの製造工業のためにあれほど多くの利点を与えているこれらの手段のどれ一つもなしに、生産される。織工は単独の1個人であって、客の注文に応じて織物を作り、彼の用いる織機は最も簡単な構造のもので、粗雑に組み立てられた木の棒でできているだけのことが往々にしてある。彼は経(タテ)糸を張るための装置さえ全くもたないので、織機は絶えずその長さいっばいに伸びきったままであるほかなく、そのため織機は非常にかさばり不恰好なものになるので、生産者の小屋のなかに置くこともできない。だから、生産者は労働を屋外で行なわざるをえないのであって、この屋外では彼の労働は天候の変わるた/びに中断されるのである(5)」。蜘蛛にたいしてと同じようにインド人にたいしてもこの技巧を賦与するものは、代々積み重ねられ父から息子への相続によって伝えられる独特な資質にほかならない。インドの織工の労働はそれでも、マニュファクチュア労働者の労働に比べれば非常に複雑である。〉(江夏・上杉訳352-354頁)

《イギリス語版》

  〈(2)事実、工場手工業は、細目区分労働者の熟練技能を生産する。その繰り返しの生産によって、そして、工場内において、どこまでも組織的にそれを押し進めることによる。またそれは、自然に発展した取引の数々の分化が、社会に大きく広がっており、いつでもそれを用いることができるのを知っているからでもある。さて、視点を替えて、この微細労働の、一人の人間の天職とも云うべきものへの転換を眺めれば、初期的な社会に見られる性向と符合する。取引を世襲化する。それらをカースト制度に固化するか、または、ある歴史的な条件によって、カースト制度の枠に納まらないものをもたらす個人が登場するような時は、これをギルドに封じこめる。カースト制度やギルドは、植物や動物の種や変種への分化を規定する自然の法則と同じ作用から生じる。ただ、その発展度がある点に達すると、カーストの相続やギルドの排他性が、社会の法によって定められるという特異点を別にすればと云うことだが。*4
   (3)「ダッカのモスリンはその繊細さにおいて、コロマンデルのキャラコやその他の品々は、その見事さと褪せることのない色彩で、他に引けをとったことはなかった。しかも、それらは、資本とか、機械とか、労働の分割とか、その他の、ヨーロッパの工場手工業に利益をもたらした施設のようなそれらの手段を用いずに生産されたものである。織り手は孤立した個人にすぎず、客の注文によって織る。そして織機は粗雑な作りであり、二三本の枝とか木の棒を組み合わせてぞんざいにまとめたと言った代物である。そこには縦糸を巻き取るものさえないため、織機は、だから、その一杯の大きさにまで拡げられていなければならず、大変不便な大きさとなる。それは織り手の小屋に納めることはできず、当然ながら、その仕事は、外で行わなければならない。天候の急変の度に中断されることになる。*5
  (4)この特別の技能は、世代から世代へと蓄積され、父親から息子へと伝承されたものに他ならない。そして蜘蛛が巣を作るように、この熟練に至る。さらに、依然として、このような一人のヒンズーの織り手の仕事は非常に込み入っており、工場手工業労働者の仕事を越えている。〉(インターネットから)

  (付属資料(3)に続く。)

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