『資本論』学習資料No.45(通算第95回)(16)
【付属資料】(7)
●原注76
《61-63草稿》
〈分業についてのベティの見解を古代人のそれから区別するものは、最初から、分業が生産物の交換価値に、つまり商品としての生産物に及ぼす影響を、すなわち商品の低廉化を見ていることである。
同じ観点を、もっと明確に、一商品の生産に必要な労働時間の短縮と表現し、一貫して主張しているのは、『イギリスにとっての東インド貿易の利益』、ロンドン、1720年、である。
決定的なことは、どんな商品でも「最少のそして最もやさしい労働」でつくることである。あることが「より少ない労働で」遂行されるならば、「その結果、より低い価格の労働で」遂行されるととになる。こうして商品は安価にされ、その次には、労働時間をその商品の生産に必要な最小限にきりつめることが、競争によって一般的法則となる。/「もし私の隣人がわずかな労働で多くをなすことによって安く売ることができるならば、私もなんとかして彼と同じように安く売るようにしなければならない。」[『イギリスにとっての東インド貿易の利益』67ページ]分業について、彼はとくに次のことを強調している。--「どのマユュファクチュアでも、職工の種類が多ければ多いほど、一人の人の熟練〔skill〕に残されるものはそれだけ少ないよ[同68ページ]〉(草稿集④460頁)
《初版》
〈(76) ペティや『東インド貿易の利益』等々のようなA・スミス以前の著者のほうが、マニュファクチュア的分業を資本主義的な生産形態として、A・スミスよりも凝視している。〉(江夏訳418頁)
《フランス語版》
〈(52) ペティや『束インド貿易の利益』の匿名著者のような、アダム・スミスの先駆者たちは、マニュファクチュア的分業の資本主義的性絡をアダム・スミスよりも奥深く洞察していた。〉(江夏・上杉訳381頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *53 ペティや、「東インド貿易の利益」の匿名の著者のように、A. スミスより以前の著者達は、スミスが捉えた以上に、工場手工業において応用された分業の資本主義的性格を捉えていた。〉(インターネットから)
●原注77
《61-63草稿》
〈「だれでも自分の経験で知っているように、手や頭をいつでも同じ種類の労働や生産物に向けている場合には、各個人が自分に必要なもののすべてを一人でつくる場合に比べて、より容易に、より豊富に、より良く生産するであろう。……このようにして、人間は、公共の利益のためにも自分自身の利益のためにも、いろいろな階級や身分に分かれるのである」(チェーザレ・ベッカリア『公経済学原論』、所収、クストーディ編『イタリア経済学古典著作家論集』、近世編、第11巻、ミラノ、1804年、28ページ)。〉(草稿集④459頁)
〈『国家』におけるプラトンの議論は、ベティ以後A・スミス以前に分業について書いたイギリスの著作家たちのう/ちの一部のひとにとっては直接の基礎となり出発点となっている。たとえば、ジェイムズ・ハリス(後のマームズベリ伯爵)『三論文』、第3版、ロンドン、1772年、の第三論文を見よ。このなかでは、仕事の分割〔Division of employments〕が社会の自然的基礎であると述べられている(148-155ページ)が、それについてはみずからある注のなかで、全論拠はプラトンから取ってきたものだと言っている。〉(草稿集④450-451頁)
〈ハリス(上述したところを見よ)のようなのちの文筆家たちは、プラトンが述べたことをもっと詳しく述べているにすぎない。〉(草稿集④461頁)
《初版》
〈(77) ベッカリアやジェームズ・ハリスのような、分業にかんしてはほとんど古代人の口真似をしているにすぎない18世紀の幾人かの著述家は、近代人のなかでも例外である。たとえばベッカリアはこう言う。「誰でも経験上知っていることだが、常時同種の仕事や同種の生産物に手と知能を用いれば、めいめいが自分の生活に必要なものを何から何まで単独で生産しているにすぎないばあいに比ベると、もっと容易に、もっと豊富に、もっと適切に、成果を取り出すことになる。……人間はこうしい/うやり方で、共通の私的な有用性に則して、別々の階級や身分に分けられている。」(チェザーレ・べッカリア『経済学原理』、クストディ編、近世篇、第11巻、28ページ。)ジェームズ・ハリス、後のマームズベリ伯は、ペテルプルタ駐在公使時代の『日記』で有名であるが、彼は、その著『幸福にかんする対話、ロンドン、1741年』の註(後に『三論文、第3版、ロンドン、1772年』に再録)のなかで、みずからこう言っている。「社会が自然的なものである(すなわち『仕事の分割』によって)ことを証明する全論拠は、プラトンの国家論の第2部から借用したものである。」〉(江夏訳418-419頁)
《フランス語版》
〈(53) 近代人のなかでも、たとえばベッカリアやジェームズ・ハリスのような18世紀の幾人かの著述家だけは、分業について、ほとんど古代人と同じような考え方を述べている。ペッカリアは言う。「手や知能を同種の仕事や同種の生産物につねに用い/るばあいには、各人が自分の生活に必要なすべてのものを単独で自分のためにだけ作るばあいよりも、いっそう容易に、いっそう豊富に、またいっそう上等に生産物が得られることは、誰でも経験上知っている。……人間はこのように、公益と私益のためにいろいろな階級や身分に分けられる」(チェザーレ・ベッカリア『公経済学原理』、クストディ編、近世の部、第11巻、28ぺージ)。後のマームズベリ伯であるジェームズ・ハリスは、彼の『幸福にかんする問答』、ロンドン、1772年、の註記のなかで、みずからこう述ぺている。「社会が自然的である(分業と仕事の分割にもとつくことによって)ことを証明するために、私が利用する論拠は、プラトンの『国家論』の第2部からそっくりそのまま借用したものである」。〉(江夏・上杉訳381-382頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *54 近代人の中では、二三の18世紀の著者は例外と云えるであろう。 ベッカリアやジェームス ハリスといったところであるが、分業に関しては、古き人の論 そのまんまなのである。ベッカリアはこう言う。「もし、手と頭を常に同じ仕事に、同じ生産物に用いるならば、各個人が自分のためにすべての物を作るのに比べて、より容易に、より多く、より高い品質で生産されるであろう。このことは、誰でも経験的に知っていることである。…. このようにして、人は様々な階級や身分に分割される。自身の利益のため そして商品の利益のために。」(イタリア語) (チェザーレ ベッカリア 「公共経済学の初歩」クストーディ版 近代編第11章 29ページ) ジェームス ハリス、後のマルムズベリー伯爵、彼のセントペテルスブルグ駐在大使時代の「日記」で著名、は、彼の「幸福に関する対話」ロンドン 1741年 後の「三つの論文」第三版 ロンドン 1772年に再版で、「社会が自然である事 (すなわち、雇用の分割) の証明に関する全ての議論は、…. プラトンの共和国論の第二の本から引用されている。」と述べている。〉(インターネットから)
●原注78
《61-63草稿》
〈同様に、『オデュッセイア』、第14章第228節には、「というのは、別の人はまた別の仕事を喜びとするのだから」〔岩波文庫版、呉茂一訳、下、48ページ〕、とあり、/またセクストス・エンぺイリコスはアルキロコスから、「各人は別々の仕事によって元気づく」〔という言葉を引いている〕。〉(草稿集④447-448頁)
《初版》
〈(78) たとえば、『オデュッセイア』、第14章、第228節では、「心楽しむ仕事は各人各様である」とあり、また、アルキロコスは、セクストウス・エンピリクスによると、「心の踊る仕事は各人各様である」と言っている。〉(江夏訳419頁)
《フランス語版》
〈(54) たとえば、『オデュッセイア』、第14章、第228節では、「別の人はまた別の仕事を楽しむ」とあり、また、セクストゥス・エンピリクスが引用したアルキロコスには、「各人それぞれ己が仕事をもち、万人が満足している<ギリシャ語表記なので省略>」とある。〉(江夏・上杉訳382頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *55 オデッセイ 第14章 228ページは、かく云う。「様々な人が、様々な仕事を楽しめるために」そして、アーキロコスは、彼の第六経験論の中で、「人は物が変われば、彼等の心を元気にする。」(ギリシャ語) と。〉(インターネットから)
●原注79
《61-63草稿》
〈ドゥキュディデスがペリクレスに言わせているところでは、ペリクレスは、農業を営むスパルタ人--彼らのもとでは、商品交換による消費の媒介は、したがってまた分業は行なわれていない--を「自営者(」儲けのためでなく暮しのために労働する者)として、アテナイ人に対立させている。同じ演説(トゥキュディデス、第1部第142章〔岩波文庫版、久保正彰訳、『戦史』、上、188ページ〕)のなかで、ペリクレスは航海について次のように言う。--
「しかし航海は、ほかのどんなことにも劣らず-つの技芸(テクネー)であって、どんな場合にも副業として営むことはできない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も、航海をしながらその副業として営むことはできないのである」。〉(草稿集④448頁)
《初版》
〈(79) 「百芸に長ずる者は一芸に達せず。」それにもかかわらず、アテネ人は、商品生産者としてはスパルタ人よりもまさっていると大いに自負していた。というのは、スパルタ人は戦争のさいには、確かに、人間を自由に使うことができても貨幣を自由に使うことができないからである。たとえば、トゥキュディデスは、ペリグレスをして、ペロポネソス戦争のためにアテネ人を激励する演説のなかで、こう言わせている。「自給自足経済を営む者は、貨幣でよりもむしろ自分の体で戦おうとする」(トゥキュディデス〔『ぺロポネソス戦争史』〕、第1部、第41章)のであって、彼らの理想は、物質的生産においても、相変わらず、分業に対立する自給自足であった。「分業のもとでは富裕が生ずるが、自給自足のもとでは独立が生ずるからである。」この点について、三十僭主〔アテネの独裁機関〕の没落の時代でも、土地を所有していないアテネ人が5000人とはいなかった、ということを考慮に入れておかなければならない。〉(江夏訳419頁)
《フランス語版》
〈(5) 「百芸に長ずる者は一芸に達せず<ギリシャ語表記なので省略>」。アテナイ人は、生産者=商人としてはスパルタ人よりも優秀だと信じていた。というのは、スパルタ人は戦争をするために大勢の人間を意のままに動かしたが、貨幣は意のままにしなかったからである。トゥキュディデスは、ペリクレスをして、ペロポネソス戦争のさいにアテナイ人を激励する演説のなかで次のように言わせている。「自給自足経済を営む者は、貨幣でよりもむしろ自分のからだで戦おうとする」(トゥキュディデス、第1部、第141章)。それにもかかわらず、物質的生産のもとでさえ自給自足する<ギリシャ語表記>能力がアテナイ人の理想であった。「分業のもとでは富裕が生ずるが、自給自足のもとでは独立が生ずるからである<ギリシャ語表記なので省略>」。三十僭主〔アテナイの独裁機関〕の没落の時代でもまだ、土地を所有していないアテナイ人は5000人とはいなかったことを、述べておかなければならない。〉(江夏・上杉訳382頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *56「彼は沢山の仕事をなすことができた、だが、殆どは無残なもの。-ホーマー」アテネ人は、誰もが自分達を、商品の生産者としてスパルタ人にまさっていると考えた。後者は戦争の時は自分達の配置に際しては十分な人を持っているが、金銭に関しては指揮をとることができない。歴史家ツキディデスは、アテネの政治家ペリクレスが、ペロポネソス戦争に向かうアテネ人達を鼓舞するための演説でそう云ったと書くごとく。「自分自身の消費のために物を作る人々は、彼等の金銭よりもむしろ体をもって戦争をするであろう。」(ツキディデス 第一篇 第一部 第41章) にもかかわらず、物質的生産 [絶対的な自給自足] に関する限りでは、分業とは対照的に、それがかれらの理想形であった。「分業によれば、繁栄があろう。だが、自給自足に立てば、独立がある。」(いずれもギリシャ語) ここでは次のことに触れて置かなければならない。30人もの暴君主の没落の頃にあっても、依然として、土地を所有しないアテネ人は、5,000人もいなかった。〉(インターネットから)
●原注80
《61-63草稿》
〈ドゥキュディデスがペリクレスに言わせているところでは、ペリクレスは、農業を営むスパルタ人--彼らのもとでは、商品交換による消費の媒介は、したがってまた分業は行なわれていない--を「自営者(」儲けのためでなく暮しのために労働する者)として、アテナイ人に対立させている。同じ演説(トゥキュディデス、第1部第142章〔岩波文庫版、久保正彰訳、『戦史』、上、188ページ〕)のなかで、ペリクレスは航海について次のように言う。--
「しかし航海は、ほかのどんなことにも劣らず-つの技芸(テクネー)であって、どんな場合にも副業として営むことはできない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も、航海をしながらその副業として営むことはできないのである」。〉(草稿集④448頁)
〈プラトンは『国家〔Republik〕』(引用は、バイター、オレリ、ヴィンケルマンの版、チューリッヒ、1839年、による)の第2部を、ポリス(都市(シュタット)と国家(シュタート)がここでは一つになる)の発生から始めている。
「〔ソクラテス--〕ところでポリスが……発生するのは、……われわれのだれもが自給自足的ではなくて、多くのものを必要とするからなのだ」。
都市が生じるのは、個々人がもはや自給せず、多くのものを必要とするようになったそのときである。「それ(すなわちポリス)をつくるのは、どうやらわれわれの欲望のようだ」。欲望が国家をつくりだす。さて、第一に最も直接的な欲望として挙げられるのは、食料、住居、衣服である。「ところが、欲望のうち第一の、また最も重要なものは、生存し生活できるための食料の調達だ。……第二には、住居、第三には、衣服やそのたぐいのものだ」。それでは、/ポリスは、これらのさまざまな必要をどのようにしてみたすべきであろうか? 一人は農夫に、他の一人は大工に、他の一人は織工、靴工、等々になる。いったい各人は、自分のさまざまな欲望を自分でみたすために、それぞれ自分の労働時間を分割し、その一部分を土地の耕作に、他の部分を建築に、第三の部分を織物、等々にあてるというようにすべきなのか、それとも、各人は自分の全労働時間をもっぱらただ一つの仕事にだけふりむけ、その結果たとえば穀物を生産するとか布を織るとか等々のことを、自分のためばかりでなく他の人々のためにも行なうというようにすべきなのだろうか? 云々。後者のほうがよい。というのは、第一に、人間は生まれながらの素質によってさまざまであり、そのためさまざまな仕事を遂行する能力がさまざまだからである。{欲望の多様性には、それらの欲望をみたすために必要なさまざまの労働を遂行する個々人の素質の多様性が対応している。}人は、ただ一つの技能〔Kunstfertigkeit〕を発揮するだけのときには、多くの技芸(タンスト)にたずさわる場合よりもよい仕事をするであろう。あることが副業としてのみ行なわれているときは、しばしばその生産のために適当な時機を失することがある。仕事は、それに予定された者の余暇をじっと待っていることができないのであって、むしろ、その仕事をする人間のほうが彼の生産の諸条件などに自分を合わせていかなければならない。それゆえ仕事は副業として営んではならないのである。だからこそ、人がもっぱらただ一つの労働を(事物の性質に従って、また適時に)行ない、そのかわり、他の労働にはたずさわらないならば、あらゆるものは、より多く、より良く〔bessr〕、より容易に生産されるであろう。〉(草稿集④451-452頁)
〈主要な観点はより良いもの〔das besser〕、つまり質である。すぐ次に引用する筒所にだけは「より多く」が見られるが、それ以外のところでは、つねに「より良く」である。
「〔ソクラテス--〕ポリスはどうすればこれだけのものを十分に調達することができるのだろうか? 一人が農夫、一人が大工、また他の一人は織工、等々である、ということによってではないかね? ……それなら彼らの一人ひとりがそれぞれ自分の仕事をみんなのために提供しなければならないだろうか? たとえば農夫は、一人で4人のために穀物をつくり、したがって穀物生産のために4倍の時間と労働とを費やし、そしてそれを他の人々と分かち合わねばならないのか? それとも彼は、他人のことなどかまわずに、自分だけのためにその時間の1/4でこの穀物の1/4だけをつくり、残りの3/4の時間は、家を建てることや、衣服をつくることや、履物をこしらえることにたずさわり、こうして他の人身とかかわりをもつ面倒などは省いて、自分は自分で自分のことをしていればいいのだろうか? 〔アデイマントス--〕……それはおそらく、まえのやり方のほうがあとのやり方よりも便利でしょう。〔ソクラテス--〕……まず、われわれはそれぞれ、生まれつきが互いにまったく同じというわけでなく、互いに素質が違っていて、仕事の適不適がある。……一人がたくさんの技芸(テクネー)にたずさわる場合と一人が一つの技芸(テクネー)にたずさわる場合とでは、どちらがより良く仕事をするだろうか? 〔アデイマントス--〕一人が一つ……にたずさわる場合です。〔ソクラテス--〕……仕事の好機を逸すれば、その仕事はだいなしになってしまう。……というのは……仕事のほうはそれをする人の暇を待とうとしない、むしろそれをする人のほうで、/それを片手間のことのようにしないで、その仕事に自分を合わせていかなければならないからだ。〔アデイマシトス--〕そうしなければなりませんとも。〔ソクラテス-- 〕そこで以上のことからして、一人の人が天資に合った一つの仕事に、適時に、ほかの仕事にわずらわされることなく打ちこむときには、すべてのものがより多く、より良く、より容易につくられる、ということになる」。プラトンは続けてさらに、分業とさまざまの事業部門の創設とをいっそう進めることが必要になる次第を説明する。たとえば、「というのは、農夫は自分用の鋤(スキ)を、それが良いものでなければならないとすれば、自分でつくることはしないだろうし、鍬(クワ)もそのほかの農具にしたってそうだからね。大工、等々だってそうだろう」。ところで、どのようにしてある者は他の者たちの生産物の余剰にあずかることになるのか、またこの他の者たちはどのようにして前者の生産物の余剰にあずかるのか? 交換によって、売買によってである。「売ったり買ったりしてですよ」。次に彼は、商業の異なった種類を、したがってまた商人の異なった種類を説明する。また、分業のおかげで発生する一つの特殊的な人間種類として、賃労働者をも挙げている。「まだ……またほかの勤めをする人々もあるのだよ。思考をするほうについては共同者にふさわしいとは言いかねるが、しかし骨折り仕事をするのには十分な体力をもっているような人々もいるのだ。じっさいこの人々は、そういう力の使用を売ってそれの価格を賃銀と呼んでいるので、……賃労働者と呼ばれている」。プラトンは、洗練がさらに進むこと、等々によって必要となるような、たくさんのさまざまな仕事を挙げたのち、戦争という技芸(クンスト)の他の技芸(クンスト)からの分離、したがってまた、特殊的な軍人層の形成に逮している。「そしてわれわれがすでに同意したのは……一人で多くの技芸(テクネー)をうまくやってのけることは不可能だということだった。……それなら、どういうことになるかね?……戦争というたたかいも一つの技芸(テクネー)だとは思わないか?……しかしわれわれは靴工に、靴つくりの仕事を立派にやってもらうために、彼が同時に農夫であろうとしたり、織工であろうとしたり、大工であろうとしたりすることを禁じ、ただ靴工だけであることを命じたのだった。またわれわれはそのほかのすべての人々にも同様に、各人の素質に適した仕事を一つずつ各人に割りふったのだ。彼はほかの仕事にわずらわされることなくその仕事に打ちこみ、/時機を失せず立派にやりとげなければならないのだった。いわんや、戦争のことを立派にやりとげるのは、きわめて重要なことではないかね?……では、ポリスの守護に適しているのはどのような人々か、またその素質はどのようなものか、それを選び出すのがわれわれの仕事になるだろう」(前掲書〔バイター、オレリ、ヴィンケルマン版〕、439-441ページの各所)。〉(草稿集④453-455頁)
〈プラトンが分業をよしとするおもな論拠は、一人の人がさまざまな労働を行ない、したがっていずれかの労働を副業として行なう場合には、生産物が労働者の都合を待たねばならないが、むしろ逆に、労働のほうが生産物の要求するところに従うべきだ、ということであったが、最近、漂白業者と染色業者が、工場法{漂白・染色作業場法は1861年8月1日に施行された}に従うことに抵抗して、同じことを主張している。すなわち、工場法--この問題に関連する同法の諸条項は漂白云々〔漂白・染色作業場法〕にもそのまま用いられている--によれば、「食事のために与えられている1時間半のどの部分であろうと、食事時間中に児童、少年、婦人を使用してはならない、あるいは、なんらかの製造工程が続けられているいかなる場所にも彼らをとどめることは許されない。またすべての少年および婦人にたいして、1日のうちの同じ時間に食事時間が与えられなければならない」(『工場監督官報告書。1861年10月31日にいたる半年間』、ロンドン、1862年)。〔同報告書は言う、〕--「漂白業者は、食事時間をいっせいに与えるという彼らにたいする要求に不平を鳴らして、次のように抗弁する、--工場の機械ならいつ停めても損害は生じないかもしれないし、また停めて生じる損失は生産を逸することだけであるけれども、けば焼き、水洗い、漂白、つや出し、染色のようなさまざまの作業は、どの一つをとってもそれを勝手なときに停めれば、損害の生じる危険がかならずある。……労働者の全員に同一の食事時間を強制することは、作業の不完全さからときとして高価な品物を損傷する危険にさらすことになるかもしれない、と」(同前、21、22ページ)。(同一の食事時間を決めるのは、そうしなければそもそも労働者に食事時間が与えられているかどうかを監督することさえ不可能になるからである。)〉(草稿集④509頁)
《初版》
〈(80) プラトンは、共同体内の分業を、個々人の必要の多面性と素質の一面性とから説明する。彼の主要な観点は、労働者が仕事に適応すべきであって、仕事が労働者に適応すべきではない--このことは、労働者がいろいろな技術を同時に営み、したがって、あれこれの技術を副業として営むばあいには、不可避なことである--、ということである。「そしてまた、思うに、このことも明らかだ--つまり、ある仕事の時機というものを逸したら、その仕事はだめになってしまうということ」「たしかに明らかです」「それというのも、思うに、なされる仕事のほうは、なす人が暇になるのをじっと待ってくれようとはしないからだ。どうしても人のほうが、片手間のやり方でなしに、仕事の都合に合わせなければならないものなのだ」「そうしなければなりません」「こうして、以上のことを考えると、それぞれの仕事は、1人の人間が自然本来の素質に合った一つのことを、正しい時機に、他のさまざまのことから解放されて行なう場合にこそ、より多く、より立派に、より容易になされると/いうことになる」(『国家論』、第1部、第2版、バイター、オレリ等編)〔岩波文庫版、藤沢令夫訳『国家(上)』、134ページより引用〕。トゥキュディデス〔前掲書〕、第42章でも、同様なことが言われている。「航海は、ほかのどんなことにも劣らない一つの技術であって、いざというばあいには副業として営むことができない。というよりもむしろ、ほかのどんな仕事も航海と一緒に副業として営むことができない。」プラトンは言う。仕事が労働者を待たねばならないなら、しばしば生産上の決定的な時点が逸せられ、製作物がだめになり、「仕事のための適当な時期が失われる」、と。こういったプラトン的な考えは、労働者全員にたいして一定の食事時間を定めている工場法の条項に反対するイギリスの漂白工場主たちの抗議のなかにも、再現している。彼らの事業は労働者の都合に合わせるわけにはゆかない。なぜならば、「けば焼き、洗滌、漂白、しわ伸ばし、つや出し、染色といういろいろな作業は、そのどれもが、損害の危険にさらされずに、ある任意の瞬間に中止するわけにはゆかないからである。……労働者会員のために同じ食事時間を強制することは、ばあいによっては、作業が不完全なために貴重な財貨を危険にさらすことになるだろう。」いったいプラトン主義は、どこに巣を作ろうというのか!〉(江夏訳419-420頁)
《フランス語版》
〈(56) プラトンは、共同体内の分業を、個人の必要の多様性と能力の特有性から説明する。彼の主要な観点は、労働者が自分の仕事の要求に適応すべきであって、仕事が労働者の要求に適応すべきではない、ということである。労働者が幾つかの技術を同時に行なうならば、彼は必ず一方のために他方をおろそかにするだろう(『国家』、第1部、第3版を見よ)。トゥキュディデス『ペロポネソス戦役史』、第142章でも、同様である。「航海は、ほかのどんな技術にも劣らず一つの技術であって、どんなばあいでも副業として営むことはできない。航海と同時に他の職業に従事することさえ許されない」。プヲトンは言う。仕事が労働者を待っていなければならないならば、往々にして生産の決定的な瞬間が逸せられ、仕事が台なしになり、「仕事のための適当な時期が失われる」、と。このプラトン的な考えは、労働者全員の食事のために一定の時間を制定する工場法の条項に反対するイギリスの漂白業者たちの抗議のなかにも、見出される。彼らは、われわれのような種類の作業では労働者に合わせて作業をきめるわけにはゆかない、と叫んでいる。「加熱、漂白、艶出し、染色を始めたら最後、これらのどれ一つも、損害の危険なしには任意の瞬間に中止するわけにはゆかない。この多数の労働者が全員同じ時間に食事するように要求するこ/とは、ばあいによっては作業がまだ終わらないために大きな価値を確実な危険にさらすものであろう。」いったいプラトン主義は、次はどこに巣を作ろうというのか!〉(江夏・上杉訳382-383頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *57 プラトンによれば、共同体内部の分業は、多種の要求と個々の限られた能力から発展するものであると云う。彼の云う主な点は、労働者は彼自身を作業に適合させねばならない、仕事を労働者に適合させるのではない。と言う。もし彼が一度に、いくつかの仕事を進めて行けるならば、その内の一つか、その他のものも副次的なものであれば、後者の方法もやむを得ない。「と言うのも、労働者は仕事に奉仕せねばならず、仕事は彼の余暇のためではない。仕事は余った時間でなされることを許さない。-しかり、彼は必ずせねばならない-従って、結論として、全ての人が、自然に適性を取得した一つの物を、正しい時間に、他の余計なことに煩わされることなければ、全ての物はより多く生産され、より容易に、より良く作られる。」(共和国論 第一篇 第二部 バイテル、オレリ、他編) ツキディデス 既出 142章もその様に云う。「船乗りの仕事は他と同様一つの技能であって、状況が要求するがごとく、副次的な仕事としてなされることはできない。他の副次的な仕事であっても、この仕事の傍らで行われることはできない。」プラトンは云う、もし仕事が労働者を待たねばならないなら、工程の重要なポイントを失し、物はおシャカになる。[もし誰かが、うっかりすれば…] (いずれもギリシャ語) この同じようなプラトン的観念が、全ての労働者に決まった食事時間を与えるという工場法の条項に反対する英国の漂白工場主らの抗議に立ち戻れば、そこに見出される。彼等の商売は労働者の便益などを待ってはいられない。なぜならば、「様々な作業、布のけば取り、洗濯、漂白、しわ取り、つや出し、そして乾燥、どれをとっても、損傷のリスクなしには、所与の時間において停止することはできない。…. 同じ食事時間を全ての労働者に実施することは、価値ある品物を不完全な作業による危険なリスクにかならずやさらすこととなるであろう。」[次は、何処で、プラトン主義が見出されることになるか! ] (フランス語) 〉(インターネットから)
●原注81
《61-63草稿》
〈クセノポンは総じて大いにブルジョア的な本能をもっており、それゆえにまた、しばしばブルジョア道徳ならびにブルジョア経済学を思い出させるのであるが、その彼は、〔社会〕全体で行なわれているかぎりでの分業ばかりでなく、個々の作業場(アトリエ)で行なわれているかぎりでの分業をも、プラトンよりも詳しく論じている。このあとで見る彼の分析は、次の二つの理由から興味深いものである。第一に彼は、分業が市場の大きさに依存することを教えている。第二に彼は、プラトンの場合とはちがって、単に仕/事〔Geschäft〕の分割のみ〔を論じているの〕ではない。そうではなくて、彼は、分業によって労働が単純労働に還元されることと、この単純労働において腕まえ〔Virtuosität〕がよりたやすく得られることとを強調する。彼の場合はこのように、よほど現代的な理解に近づいているけれども、やはり彼にも古代人に特徴的なものが見られる。〔つまり〕使用価値が、質の改善が問題とされるにすぎないのである。労働時間の短縮は彼の関心を引かない。それはプラトンについても同様で、プラトンが例外的に事のついでに、〔分業によって〕より多くの使用価値が供給されることを強調しているただ一つの場所においですらそうである。そのときでさえも、問題とされるのは使用価値のより多くであって、分業が商品としての生産物に及ぼす影響ではないのである。〉(草稿集④448-449頁)
〈クセノポンは、ペルシア王の食卓からの料理の下賜が喜び多く楽しいのは、それが名誉であるからだけではない(この食物が〔ほかよりも〕もっと美味しいからである)、という次第を〔次のように〕語っている。--
「だが、王の食卓から賜るものは、じっさいはるかにそれ以上に、味覚を喜ばせてくれるのである。そして、これはなにも驚くようなことではない。というのは、大きな都市では、ほかの技芸がきわだって完成されているように、王の料理もまったく特別に調理されるからである。じっさい、小さな都市では寝台も扉も犂も机も同じ人間がつくる。(しかもそのうえに彼はしばしば家まで建てるのであって、こうして自分の生計を維持するだけの雇主さえあれば、彼は満足なのである。こんなにいろいろなことを一人でやる人がなんでもうまくやるということは、まったく不可能である。)ところが、大きな都市では、一人ひとりに多くの買い手があるので、一人が食っていくのには一つの技芸(テクネー)で十分なのである。じつに、そのためには一つの技芸の全部は必要でないことさえしばしばで、一人は男靴をつくり、別の一人は女靴をつくるということもある。場合/によっては、一人はただ靴底を縫うだけで暮らしており、別の一人はそれを裁つだけで暮らしていることもある。ある一人はただ上皮を裁つだけで、最後のもう一人はそうしたたぐいのことはなにもせず、諸部分を組み合わせるのである。ところで、最も簡単な仕事をする人がまた無条件にそれを最もうまくやるということは、当然である。料理術でも同じことである。というのは、同じ一人の人間に寝床をととのえたり、食卓の用意をしたり、パソ粉をねったり、あれこれのおかずをこしらえたりさせる人は、どんなものでもたまたまできあがった具合のものでがまんしなければならないだろう。だが、ある人にとっては肉を煮ることが、べつのある人にとっては肉を焼くことが、第三の人にとっては魚を煮ることが、第四の人にとっては魚を焼くことが、その次の人にとってはパンを焼くことが、十分にそれぞれの仕事であり、それもなんでもかんでも手がけるわけではなくて評判のいいたった一つの種類をつくればそれで足りるところでは、だれもが自分の生産物を飛びきり上等に仕上げたにちがいないであろう。こういうやり方で自分の料理を用意させたので、彼〔キュロス王〕はだれにもはるかにまさっていたのである。」(クセノポン『キュロパエディア』、E・ポッポ編、ライプツィヒ、1821年、第8部第2章〔480-482ページ〕。)〉(草稿集④449-450頁)
〈クセノポンはもっとさきに進んでいる。第一に彼は、労働をできるかぎり筒単な活動に還元することを強調し、第二に、分業が実行されうる規模は市場の広さに依存する、とするのである。〉(草稿集④457頁)
《初版》
〈(81) クセノフォンはこう語っている。ペルシア王の食卓からご馳走をいただくのは名誉であるばかりか、このご馳走はほかのご馳走よりはるかに美味でもある、と。「ところで、これは驚くほどのことではない。というのは、大都市では、ほかの技術が特に改良されているように、王のご馳走も全く独特に調製されているからである。けだし、小都市では、同じ人が寝台や扉や犂(スキ)や机を作り、おまけにしばしば家までも建てるのであって、こうして自分の生計にとって充分な顧客さえあれば、彼は満足なのである。こんなにいろいろなことをやる1人の人間が、なにもかもうまくやるということは、全く不可能である。ところが、大都市では、各人に多くの買い手があるので、1人が食ってゆくには一つの手工業で充分である。それどころか、そうするために一つの手工業全体が必要でないことでさえ、しばしばであって、1人が男靴をつくりもう1人が女靴をつくるばあいもある。ときには、1人は靴を縫うだけで暮らし、もう1人は靴を裁つだけで暮らしているし、1人は衣服を裁つだけであり、もう1人は布片を縫いあわせるだけである。ところで、最も単純な仕事をする人が、また無条件に、この仕事を最もうまくやるということは、避けられないことである。料理術でも同じである。」(クセノフォン『キュロパエディア』、第8部、第2章。)ここではもっぱら、使用価値の所期の品質が着目されている。もっとも、クセノフォンは、分業の規模が市場の広さによってきまることを、すでに知っているのだが。〉(江夏訳420頁)
《フランス語版》
〈(57) クセノフォンは言う。ペルシア王の食卓から料理をもらうのはたんに名誉であるばかりでなく、この料理は実際にほかの料理よりもはるかに美味でもある、と。「そしてこれはなにも驚くべきことではない。技術一般が大都市では特に改良されているのと同様に、大王の料理も全く特別に調理されているからである。実際に小都市では、同じ人が扉や鋤や寝台や机などを作り、往々にして家まで建てるのであって、それで自分の生計を維持するのに充分でありうるなら、彼は満足である。これほど多くの物を作る人間がすべてのものをうまく作ることは、絶対に不可能である。これに反して、各人それぞれに多数の買い手がいる大都市では、1人の人間を養うには一つの手工業で充分である。一つの手工業全体でさえ必要ではない。ある者は男子用の靴、他の者は婦人用の靴を作るからである。生活するために、衣服を裁断するだけでよい者もいれに、布片を組み合わせるだけでよい者もおり、布片を縫うだけでよい者もいる。最も単純な作業を行なう者が、それを最もうまく行なう者でもあることは、全く当然だ。また、料理の技術についても同じことである」(クセノフォン『キュロバエディア』、第8部、第2章)。クセノフォンは、分業の規模が市場の範囲と広さに依存していることを充分に知っていながら、ここではもっぱら、使用価値が良質であることとこのことを手に入れる手段とを考察しているのである。〉(江夏・上杉訳383頁)
《イギリス語版》
〈本文注: *58 ペルシャ王の食卓から食料を受け取ることは名誉であるばかりでなく、他の食料よりもより味わいがよいといい、クセノフォンは、さらに次のように続ける。「そこにはなんらの驚くべきものはない。食料以外の様々な物も都市には特別な完全なものが持ち込まれるのであるから、当然ながら、王の食事も特別な方法で準備される。だが、小さな町では、同じ人が、ベッドの架台、扉、犂、そしてテーブルを作る、時には、売り家も作る。そして、彼は、自分の生活に十分な顧客を見出せばそれで十分に満足するのであるから。一人の人間がそれらの全ての物を満足に作り上げることは全くのところ不可能なことである。一方の大きな都市においては、誰もが多くの買い手を見つける、一つの仕事でそれを維持していくことには十分である。いやそこでは一つの完全な仕事の必要すら往々にしてない。ある者は男用の靴をつくり、他の者は女用を作る。ここでは、一人の者が縫製のみで生活を得る。他の者は靴革を裁断することで、ある者は何もしないが、布の裁断だけで、他の者はなにもしないが、各片を縫い合わせるだけで生活を得る。であるから必然的に、最も単純な種類の作業をする者は、疑いもなく、他の誰よりも上手にそれをなす と言う事になる。そのように料理技能においても云える。」(クセノフォン キュロパイディア 第一巻 第八部 第二章) クセノフォンが、ここで、特に強調していることは、使用価値の達成についてである。彼は、分業の程度が市場の大きさに依存していることをよく知っていながらそう主張している。〉(インターネットから)
(付属資料(8)に続く。)