『AI vs. 教科書が読めない子どもたち(電子書籍)』
新井紀子、2018、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち(電子書籍)』、東洋経済新報社
AIの東ロボくんで東大入試を目指すというプロジェクトのリーダーの著者が、MARCHを凌駕するまでになった東ロボくんの偏差値をヒントに、一般の中高生の読解力の貧困さは、いわばAIが代替できる能力に匹敵する以上のものではないという指摘、これは、インパクトがある。しかし、この出発点の疑問は了解できるのだが、そもそも、現代の教育システムが要求してきた能力以前に、読解力をどれほど必要としてきた社会的背景があり、同時に、そのような能力を持ってきた人口がどのぐらいであったかという前提がよくわからない。つまり、正規曲線を考えればわかるように、AIの誕生以前から、上を見ればきりがなく、下を見ればきりがないというのが実情なのではないか。
著者の問題点の指摘を否定するつもりは全くない。また、大学教育に関わるものとして、その必要は理解する。しかし、かといって、一方では、全体をボトムアップすることの限界も感じる。本書で指摘される戸田市の状況報告、教育関係者の努力には敬意を払うけれど、しかし、日本全体、いや、世界全体にその運動を広げたとして、どうなるというのだろうと思ってしまう。
あまりに、シニカルなコメントかもしれないけれど。
AIの東ロボくんで東大入試を目指すというプロジェクトのリーダーの著者が、MARCHを凌駕するまでになった東ロボくんの偏差値をヒントに、一般の中高生の読解力の貧困さは、いわばAIが代替できる能力に匹敵する以上のものではないという指摘、これは、インパクトがある。しかし、この出発点の疑問は了解できるのだが、そもそも、現代の教育システムが要求してきた能力以前に、読解力をどれほど必要としてきた社会的背景があり、同時に、そのような能力を持ってきた人口がどのぐらいであったかという前提がよくわからない。つまり、正規曲線を考えればわかるように、AIの誕生以前から、上を見ればきりがなく、下を見ればきりがないというのが実情なのではないか。
著者の問題点の指摘を否定するつもりは全くない。また、大学教育に関わるものとして、その必要は理解する。しかし、かといって、一方では、全体をボトムアップすることの限界も感じる。本書で指摘される戸田市の状況報告、教育関係者の努力には敬意を払うけれど、しかし、日本全体、いや、世界全体にその運動を広げたとして、どうなるというのだろうと思ってしまう。
あまりに、シニカルなコメントかもしれないけれど。
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