『街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間』
村井 重俊、2008、『街道をついてゆく 司馬遼太郎番の6年間』、朝日新聞出版
司馬遼太郎の本は、大概読んでいると思う。なくなった1996年頃までには、単行本は、『街道をゆく』のシリーズと何冊かであったが、ほかは、文庫本や新書判などの小型版として買い集めていた。このシリーズの始まりは、1971年の週刊朝日への連載で、どういう訳か、実家ではこの雑誌を定期購読していて、父が読んだ後、毎号読んでいた。そして、単行本になるとは買い集めていったのだ。司馬さんのほかの小説は、多分高校2年の頃から読み出し、文庫本で買っていたと思う。
当時の実家の所在地は、司馬さんの家からほど近く(といって、日常お見かけするほど近くはない)、最寄り駅の近鉄小阪駅の、司馬さんの家が東側にあたるとしたら、実家は北側にあった。しかし、司馬さんの家のあたりは、小学生の頃通っていたピアノの先生のお宅の近くだったと思う。
本書は、最後の司馬番の朝日新聞の担当者の村井重俊さんが、最晩年の6年間の思い出を綴ったものである。司馬さんの下記綴ってきた小説の流れで、日本の未来に対する鬱々とした気分が伝わってくる6年間であったと思う。バブル経済が崩壊し、その後も、明確な国際政治の立ち位置、国内政治の不安定が続き、司馬さんが存命なら、切歯扼腕の発言がみられたことだろう。
司馬さんならずとも、どこに行くのか日本!、といいたくなるというものだ。
司馬遼太郎の本は、大概読んでいると思う。なくなった1996年頃までには、単行本は、『街道をゆく』のシリーズと何冊かであったが、ほかは、文庫本や新書判などの小型版として買い集めていた。このシリーズの始まりは、1971年の週刊朝日への連載で、どういう訳か、実家ではこの雑誌を定期購読していて、父が読んだ後、毎号読んでいた。そして、単行本になるとは買い集めていったのだ。司馬さんのほかの小説は、多分高校2年の頃から読み出し、文庫本で買っていたと思う。
当時の実家の所在地は、司馬さんの家からほど近く(といって、日常お見かけするほど近くはない)、最寄り駅の近鉄小阪駅の、司馬さんの家が東側にあたるとしたら、実家は北側にあった。しかし、司馬さんの家のあたりは、小学生の頃通っていたピアノの先生のお宅の近くだったと思う。
本書は、最後の司馬番の朝日新聞の担当者の村井重俊さんが、最晩年の6年間の思い出を綴ったものである。司馬さんの下記綴ってきた小説の流れで、日本の未来に対する鬱々とした気分が伝わってくる6年間であったと思う。バブル経済が崩壊し、その後も、明確な国際政治の立ち位置、国内政治の不安定が続き、司馬さんが存命なら、切歯扼腕の発言がみられたことだろう。
司馬さんならずとも、どこに行くのか日本!、といいたくなるというものだ。
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