Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾) その4

2023年01月05日 23時05分00秒 | 読書

   

 本日は「近代美術の巨匠たち」(高階秀爾)から、ゴーガン、ピカソ、ゴッホ、ロートレックの4名を読み終えた。ロートレックについてはほとんど知らないので、少し期待して読んだ。もともとロートレックの作品はあまり知らないし、見たことのある作品も私としては惹かれない。この書を読んで惹かれるようななったということはできないが、今後ロートレックの作品を見る機会があれば、もう一度読み直してから鑑賞してみようと思う。

 この書物で気になることは、たぶん世代の影響だと思うが、高階秀爾氏は「遺伝」ということに画家の性格の起源を求める。例えばゴーガンでは「ゴーガンのこの強い熱狂的、行動的性格はおそらく母方の祖母から受け継いだものであった。」という一文に現れている。他の画家でもこの家系、遺伝的要素が性格を決定しているような記述がある。私はそれを否定するだけの素養はないが、遺伝的要素ではなく家庭環境、両親の性格により子どもの性格は大きく左右されると考えている(反発も含めて)ので、そのように解釈を変えて読むでいる。ひょっとしたら絶版の理由もここら辺にあるのかもしれない。

 さて、残りはボナール、デュフィ、ルソーの3名とあとがき。明日中に読み終えたいと思っている。
 


箱根駅伝を見て思うこと

2023年01月05日 21時22分20秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 今年は箱根駅伝は見に行かなかった。というよりも最後の走者が横浜駅を通過する頃に、沿道から50mほどのところを妻と歩いたものの、杖をついて人混みに紛れるのも嫌でそのまま見物せずにわき道を通り過ぎた。
 実は昨年までは横浜駅の近くで7~8回ほど往路で先頭から最後の走者まで見物していた。特にどこの大学を応援するでもないし、個人的に好きな走者がいるわけでもない。ただ30歳のころからジョギングを続けていて、10キロの距離もそれなりのタイムで走っていたので、一人でもくもくと走るということについては楽しみであり、そして応援したくなる選手もいた。短距離でも中・長距離でももくもくと走る、という人についてはどこか哲学者めいたことを想像して親近感が湧くのである。
 しかしこの箱根駅伝、どうしても馴染めないところがあり、応援にも熱は入らない。何が気に食わないかというと、あのがなり立てる監督車と監督である。
 走る選手は18歳から22歳の成人である。否、中学生でも高校生でもあそこまで大声でがなり立てないと自分のペースや、相手との競り合いができないわけがない。それまでの練習は何なのだろうという疑問が先に立つ。
 あそこまで選手の主体性を押しつぶす指導がまかり通る大学の陸上競技部とは何とも情けないものである。あんな指導が当たり前だと思う選手はたぶんもう伸びないのではないか。もしも伸びる選手がいたとしたら、それはあの過剰な干渉と虐められ体質から、極めて大きなエネルギーと時間を掛けて脱却できた人に限られると思う。

 昔一時あのような品のない拡声器の音を規制したことがあったと思うがいつの間にか復活してしまった。とても残念だと思っている。
 あのような指導を受けた選手が次代の指導者となっているとしたら、とんでもない指導者となるのではないだろうか。大学の体育指導があれでは日本の体育の将来はますます暗い。

 いくつかの大学のチームではあのようながなり立てる監督車がない。私はそのような大学のチームを応援したい。

 


スマホケースと我流の細工

2023年01月05日 20時25分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 スマホのケースがあまりに薄汚くなったので、新しいのを購入した。もう5年前の機種なので専用のケースは家電量販店でも販売していない。やむなく「フリーサイズ」というものを購入してきた。サンプルがぶら下がっていなかったので、確かめずに購入した。
 うまくはまり込み、カメラのレンズもちょうど具合が良かったのだが、電源ボタンの位置だけがハズレであった。やむなく電源ボタンの位置をハサミで切除して使用することにした。この作業に約30分ほどもかかった。
 どうやら私流にカスタマイズできた。私はこのような細工が好きである。自分専用のカスタマイズ、基本形の変更、余計な付属物の除去、こういう細工をいつもしている。私の両親はともにこのようなことはまったくしなかった。その反動というべきか、何でも自分流に変えないと気が済まない。そんな風になってしまった。たぶん親を見ての反動である。

 明日も午前中は退職者会関係の事務作業。午後からはいつものとおり読書タイムのために出かけることになりそう。本日は横浜駅界隈はすいていた。帰りのバスも夕刻の通勤時間帯にかかってしまったがガラガラであった。

 


年寄りには生きづらい社会

2023年01月05日 11時37分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 妻は販売店開催の無料のスマホ教室に出かけた。私に聞くよりもよほど良いと思う。少なくとも自分から習う気になっているので、覚えるのも早いと思う。滑り出しは良い方向に向かっている。

 ただし「ガラケーだって悪くないだろう、勝手にサービスを終了するな」という強い不満は、妻と私では共有している。70歳や80歳を超えて、ネット接続に慣れることのなかった人間にスマホへの切り替えを強制する世の中の仕組みとはひどいものだと思う。
 政府もそれを後押ししているのがさらに気に入らない。生存をどこかで否定しているように想える。孤立している高齢者には息苦しく、生きづらく、そしていっそう孤立感が強まる社会だと思う。いつ私もそうなるかもしれないという不安はぬぐえない。

 とはいいつつ、今のところネットとパソコン無しには生きていけない私は新しい機種に買い替えたくなった。お金をむしり取られる時代である。ということでここはぐっとこらえてガマンである。