本日聴いている曲はモーツアルトの「ピアノ協奏曲第26番 K.537 戴冠式」。いつものとおり内田光子、ジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団の演奏。1987年の録音と記されている。
この曲「戴冠式」という名がつけられているものの、戴冠式のために作られたものではない。第25番のピアノ協奏曲は予約演奏会という形式でモーツアルトの人気もあり成功を収めてきたが、とうとう飽きられ、1786年には予約が成立しないという事態に陥る。上演の見通しの無いままそれでも作曲したのが1787年。2年近く日の目を見ずに放置されていたが、1790年のレオポルト二世の戴冠式で演奏する機会があり、この命名となったという。
多くの人がこの「戴冠式」という名によって、有名な曲にはなったが、モーツアルとのピアノ協奏曲の流れからは、先祖返りというか昔のスタイルを踏襲したしたものと云われる。オーケストレーションの厚みを追求するというよりも、「可愛らしい」ピアノ曲に管弦楽という伴奏がついたというスタイルに近いとまで言われる。予約演奏会の人気回復を狙って盛況だった昔のスタイルに戻そうとしたのだろうか。
確かに23番、24番に比べると木管部分の音の厚みがない、と私でも感じる。またピアノ独奏部も未完で後代に補筆されて出版されている。この録音でも内田光子による補筆による演奏となっているという。木管楽器もクラリネットを使わず、オーボエとフルートとファゴットという旧来の編成に戻っている。カデンツァもモーツアルトのものは残っておらず内田光子のもの。
解説では「うわべだけのメロディー」「画一的な動きのパッセージ」などと表現されている。その当否は分らないが、確かにモーツアルトという弾き手を前提とした作曲だったと思われる。私の印象はメロディー明確で覚えやすいけれども、ピアノに比重が重く、厚みがないと思っている。親しみやすいという所では人気はあるのであろう。モーツアルトの代表的なピアノ協奏曲とは感じられない、と思っている。