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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「ヴィオラソナタ作品120」

2014年10月21日 22時09分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日すでにこの作品の概説とクラリネットによる原曲の感想を述べた。ヴィオラ版はブラームス自身の編曲である。
 私はこのCDを何回聴いただろうか。こちらの方がクラリネットによる昨日のCDよりも多分5年ほど後の1988年頃に購入している。しかし聴いている回数は特段に多い。他のCDに比べても再生回数はすこぶる多いと思う。昔のレコードならば溝がすり減って買い直さなくてはいけないほどに何度も聴いたはずた。
 ヴィオラの音が実に艶やかである。今井信子の演奏はこのほかにバッハの「無伴奏チェロ組曲全曲」を持っているが、私はこのブラームスを惹いたCDが好みである。ヴィオラという楽器がこんなにも艶やかで、メリハリが効いて、ソロ楽器として活躍するというのをはじめて知った。
 このブラームスの作品120にしても、昨日のCDによるクラリネットの演奏と比べてヴィオラパートが浮き上がるように聴こえる。ヴィオラとクラリネットの違いなのだろうか、演奏家の問題なのか、ピアノとの音量のバランスの差なのか、私には答えを出す力はない。
 このCDの方がパアノは伴奏に徹しているのだろうか。そうするとピアノとヴィオラ、あるいはピアノとクラリネットが対等で対話をするソナタとはいい難いかもしれない。ブラームスの本来意図したのはどちらの演奏なのか、これも私にはわからない。
 しかし私は今井信子という方の力量の大きさだと思うことにしている。

 一緒に収録されているシューマンのヴィオラとピアノのための「おとぎの絵本」もいつの間にか覚えてしまった。シューマンに多大な影響を受けたブラームスの晩年の作品と、シューマンのやはり晩年(死の5年前)の作品を比べるのもまた面白い。40数年の時間差があるが、シューマンの曲もみずみずしい。



音楽を楽しむゆとり

2014年10月21日 11時06分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日夕方から時々パラついていた雨が本降りとなった。早朝5時前に強風注意報が発令となったが団地の中では、樹木の葉が動いている気配はない。無風状態が続いている。南南西の風ということだから、東西方向に号棟が並ぶ団地では風はさえぎられていると理解していいのだろうか。
 風を探して南側のベランダから団地内に立ち並ぶさまざまな樹木を眺められる範囲で見てみた。そうして気がついたのは欅の紅葉と落葉がもっともはやい、ということ。枝の先端から紅葉しはじめて木全体が模様替えをしている。芝生にもかなり欅の落葉が落ちている。桜の紅葉はまだほんのかすかである。桜の木は一番高い部分がわずかに変色している。

 最近ブラームスのCDをずっと聴き続けている。ブラームスに限らず、1980年代になってCDをたくさん買い込んでいる。ブラームスが一段落したら、棚に並んでいるどの作曲家を連続して聴こうか、今から悩んでいる。
 CDを盛んに購入した当時はじっくり聴く時間的ゆとりはなかった。家でも明け方まで仕事をしながら、当時は多分ワープロを駆使し、資料を読みながらひたすら会議のレジュメやビラを作っていた。しかも夜中なので小さな音でならしていたから、じっくりと音楽を楽しむという聴き方ではなかった。
 土・日曜日も状態は変わらなかった。ゆとりをもって聴きたい曲を聴く心のゆとりはなかった。帰宅途中や夜の会議までのわずかな時間を利用して、店であれこれ選択する瞬間、そのCDを購入する瞬間が心のゆとりを取り戻す瞬間であったのかもしれない。このために貯めたわずかな小遣いをさっと使ってしまっていつも後悔していた。
 CDのそんな買い方も50歳を過ぎた頃にはしなくなっていた。
 心の片隅では、定年になったら購入したCDを存分に聴きたいと思っていたはずだ。イヤホンやヘッドホンで耳を塞がれるのは当時も今もとても嫌である。耳を圧迫する音の圧力はどんなに静かな曲を聴いていても暴力的に体を苛むように感じる。30分も聴いているとその圧力に耐えられなくなる。しかも周囲を音を遮断することの不安がだんだん増してくる。当時思い切って3万円ほどする高価なヘッドホンを購入してみたが、この感じは変わらなかった。
 今は、当時購入したCDを聴くだけで満足している。無論曲は無限にあるから購入したいものも多数あるが、今のところはそれほど切実に欲しいという欲求が湧いてこない。1980年代に活躍した若手・ベテランももう30数年経って演奏活動を辞めたり、亡くなったりしている。解説も古くなっている。
 再生装置の音量は今も特に上げていないが、曲を聴くことだけに集中するという至福の時間はそれこそ40数年ぶりである。音量は上げていなくても細部まで聴いている。
 この時間を大切にしたい。