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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「バイオリン・チェロのための二重協奏曲」

2014年10月11日 22時09分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ブラームスの最後の管弦楽曲である。これ以降は室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲しか作曲していない。当初は交響曲第5番、第6番を構想していた。しかしバイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとの和解のため、並びにチェリストのロベルト・ハウスマンからのチェロ協奏曲の作曲要請に応えるために、これらの交響曲の構想を止め、ひとつの協奏曲を作ったというのが「真相」として語られている。ふたつの楽器が対話し、オーケストラにも同様の役割を与えたバロック音楽時代における合奏協奏曲を念頭に作曲されたとも云われている。1886年の作曲である。
 初演の評判はかなり厳しいものだったようで、手直しや別の二重協奏曲の構想もあったらしいが、結局ブラームスは手を付けなかった。

 私はこの曲はブラームスらしさが少ないと思っている。フラームスらしい執拗なくらいの動機の変容もない。管弦楽の音の厚みもあまり感じられない。出だし厚味のある旋律とテンポがあまりに荘重であるだけ、あとに続いている曲が何かとってつけたようでバランスに欠ける。
 ソロ同士の楽器の掛け合いもあまりない。バイオリンもチェロも何か消化不良の内にお終いまで来てしまった、という感じが否めない。それぞれの特徴あるメロディーも浮かんで来ない。
 しかし第二楽章はそれほど違和感なく聴くことができる。特に第二楽章はブラームスらしを感じる。何処がと云われると具体的にいえるだけの力量はない。また第三楽章の後半にも二つの楽器の掛け合いの美しいところがある。それが長続きしてほしいと思う間もなく終わってしまう。
 ベートーベンにも三重協奏曲というピアノ、バイオリン、チェロの協奏曲がある。この曲も残念ながら評価は作曲当時も現在も高くない。

   

台風19号と危機管理・対処能力

2014年10月11日 11時51分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 特大の台風19号が関東に向かっているとの予報になっている。13日夜から14日午前中にかけて接近ないし直撃するようだ。
 18号の時は退職時の職場でも河川からの溢水があったとのこと。あの大きな河川があふれるということはちょっと想像できなかった。もっともギリギリまできたことは一度経験していた。多摩川や相模川などの大きな一級河川を除いて都市部を流れる河川は流路以外に堤防に囲まれた広大な河川敷はない。護岸を超えるとすぐに道路や民地に接している。
 さらに都市河川は流域に森や畑・水田が無く、民地の庭以外は大概がコンクリートやアスファルトで覆われているため、流域での地下浸透はまず期待できない。そのために降った雨の大半が河川に集中してしまう。
 今回も大量の雨が予想されている。

 テレビで台風時の模様を伝える画面を見ていて気になることがいくつもある。

 まず報道の在り方だが、レポーターが強い風の中や水嵩をました川の傍でマイクを持っている姿はどうしても納得できない。私がまだ30代のころ危険な放送現場からの放映はやめるべきだという議論があって、しばらくは放送されなくなっていた。今はまたそれが行われている。ヘルメットやゴーグルも着けず、何が飛んでくるかわからない危険な強風の中でのレポートに何の意味があるのか。
 少なくとも労働安全の立場からは、労働組合も経営者に中止を申し入れなくてはならないし、安全衛生委員会の重要な議題にならないことがおかしい。働く者の安全がすっかり骨抜きになっているとしか思えない。

 そして歩行者が何であんな危険な強風の中を歩いているのかと驚く。18号の時もレインコートも着ないでワイシャツ姿でびしょびしょになって強風の中を歩くサラリーマンなどが映っていたが、唖然とするしかない。108円でレインコートが購入できる時代である。身を守るという観念、危険を察知する能力、事前に対処しようとする観念も皆無としか思えない。また風に吹き飛ばされそうになって街路樹にしがみついている人も何人も放映されている。それを平然とカメラを回している放送関係者もひどいが、そもそもそのような場所を歩くこと自体が私には信じられない。やはり危険を察知する能力をどこかに棄ててきているのではないか。
 小さいことかもしれないが、最近は「傘をすぼめて歩く」ということもしている人は皆無といっていい。風に傘が煽られていてもすぼめることをしていない。傘が飛ばされて他人を傷つける危険がある。さらに壊れるのが当たり前なのだが‥。風で飛ばされた傘というのは極めて危険である。他人に対する配慮がまったくない。
 もう一つビックリしたのは、18号の時は前の晩から新幹線をはじめとして運休情報が流されていた。またこれだけの雨・風ならば事前に交通がストップすることは誰でもが予想するものである。当日朝から東京駅の新幹線の改札にいる人は「新幹線が止まっているとは知らなかった」と答えている。それを放送する放送局も信頼できる放送局ではないが、そんなことを答える人間もひどいものである。大体どうやって東京駅まで来たのであろうか。
 サラリーマンが「大事な会議があるからすぐにでも京都まで行きたい」と言っていたが、台風が突然現れたのではない。たぶんこの程度の危機管理もできない情けない仕事の仕方、代替方法も講じられない会社のあり方を全国に言いふらしているようなものであることもわからないらしい。

 人も組織も災害時、緊急時にこそ能力がはっきりと現れるということを肝に銘じておきたいものである。