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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「ピアノ四重奏曲第2番」ほか

2014年10月16日 22時34分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日に続いてブラームスのピアノ四重奏曲全3曲から、第2番(作品26)。
 作品25と私は双子のような作品だと教わったことがある。しかし曲想は随分と違う。ともに1858年から59年に構想されたが、ともに出来上がったのは1862年に完成している。ブラームスらしい慎重さだと思う。
 第1番はどちらかというと暗い、昨日のような雨の日の夜に似つかわしい。第2番は本日のような秋晴の日中に聴くのがいいかもしれない。極端な例えだが、第2番はフラームスの明るい楽想の面が浮かび上がっている。生前は3局の中ではもっとも演奏される機会が多かったとのことである。
 第2番の第1楽章の出だしは第1番の第4楽章の延長かと思うほどにジプシー音楽的なイメージの強い第一主題が出てくるが、それとなく飲み込まれて軽快なピアノの第2主題が出てくるとそれが主調音的に第一楽章を支配してしまう。
 第2楽章はピアノが美しいが、ところどころ浮き上がるような弦楽器のメロディーが美しい。第3楽章は、ブラームスのスケルツォにしては少々テンポが遅い。私にはテンポはゆっくりであるが、軽やかすぎてブラームスらしさが無いと思っている。第4楽章はさまざまな主題や旋律が複雑に顔を出し、まとまりがなく曲としての統一性に欠けるのではないかと思っているうちに終わってしまう。

 マーラーの弦楽四重奏は今回初めて聞いた。これまでも幾度かこのCDをかけたがいつもこれを聴かずに過ごしてきた。
 解説によれば15歳か16歳の頃の作品である。習作的な扱いの範疇の曲かもしれない。大編成の交響曲やロマン的な歌曲のイメージのマーラーからは想像もできないほどこじんまりとした曲である。

   

富士山の初冠雪

2014年10月16日 20時14分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 平年よりも16日遅い富士山の初冠雪が本日見ることができた。私の住んでいる団地からも見えた。初冠雪の富士山を見ると気温の所為ばかりでなく、身もきりっと引き締まる。
 私の住む団地からの富士山の眺めはとてもいいのだが、電線が邪魔をしてどうしても気に入らない。
 富士山を挟んで左手に丹沢山塊、右手に箱根の山が左右対称に並んでいる。とてもいいたたずまいである。
 特に夕方、夕焼けの美しさが増幅される。はじめて団地に移って来て、この景色がすぐに気に入った。ここに引っ越してくる以前は、同じ横浜市内でも大和市に近いところであった。もっと丹沢が前面に大きく見えて、逆に富士山が小さくなっていた。これはこれでとてもいい感じで、数年前にも昼間見に行って懐かしかった。当時よりも家が建て込んで少し見づらくなっていたが、記憶していたとおりの富士山と丹沢の佇まいにホッとした。当時は谷あいの簡易舗装の道路の道端の霜柱を踏みながら、この丹沢と富士山を見える尾根道まで登って、小学校に通った。
 富士山や丹沢の冠雪と霜柱が一体で記憶にあるが、初冠雪というのは特段記憶に残っていない。気がついたら雪があった、という程度だった。小学生だからそこまで季節の移り変わりに敏感ではなかったと思う。

 写真は<http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/15/mt-fuji-snow_n_5993812.html>より

 以下は朝日新聞より
http://www.asahi.com/articles/ASGBJ30WCGBJUZOB004.html

神奈川県立歴史博物館特別展「白絵」

2014年10月16日 18時34分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 久しぶりに横浜の馬車道にある神奈川県立歴史博物館を訪れた。開催している特別展は「白絵-祈りと寿ぎのかたち-」展。
 古来から人の一生のさまざまな場面に「白」が用いられてきた。特に出産の場面では平安時代は白い装束を着て、産屋の調度を白で統一したりしていた。
 この「白」にまつわる観念を出生の場面から見るとどのような世界が見えてくるか、というのが今回の展示である。
 資料としては平安時代の鎌倉時代の絵画資料から江戸時代の大名家の調度品までを並べている。
 展示は、
第1章 <白>き誕生
第2章 <白>の諸相
第3章 <白>が紡ぐ祈り
という構成になっている。

 第1章では出産の空間に着目し、図録に「紫式部日記」による中宮彰子の出産の模様が紹介されている。それによると彰子も白い装束を身にまとい、調度もすべて白や銀を基調にして、さらに白い屏風で囲まれた空間を記述している。
 白の表現は、白い絹、木地に胡粉を塗った白木、銀、銀泥絵、螺鈿、雲母が用いられた。
 さらに平安時代の白綾屏風は、南北朝期には白い紙地に白絵の具で紋様を描く白絵屏風に変化したとのことである。胞衣桶にも白絵の具による松竹鶴亀などを描いていた。江戸時代までその造形が続いたことがわかる。
 第2章では、「白」が出産だけでなく人生の節目の婚礼などにもあらわれること、さらに葬送の色として、また追善・供養の象徴としても用いられたことが展示をとおして示されている。江戸時代には死者の装束も白に統一されたようだ。
 第3章では、出産の場面に用いられる「白」の調度品、あるいは婚礼道具の調度品から白の造形の諸相を明らかにしようとするもの。人生の節目の時に用いられてきた白の紋様の描かれた調度品が、さらに年中行事にまつわる調度・装束にまで拡散する状況も展示されている。

 この白絵屏風は江戸時代のもので上が右双。江戸後期の原在中の筆と伝えられる。



 死の穢れを避けようとすることにかなり敏感な平安時代の観念のあり方、白の装束の重視などは文学作品などからも窺える。
 これが時代が下るにつれてどのように受け継がれてきたのか、また庶民の穢れや信仰といった場面での庶民の対応のあり様、貴族や武士層と云った支配層の文化からの拡散の仕方、さらには白い装束が重用されたと聞いている朝鮮半島の習俗との関係、飛鳥・奈良時代ではどうだったのか、等々一度に全部の疑問が解けるわけではないが、興味は尽きない。