Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりに深夜のテレビ

2014年07月19日 22時19分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日と明日にかけて横浜港で3000発の花火大会とイルミネーションを纏った船が浮かぶ等の催しが行われる。花火は最後の方を少しだけみた。さいわい、雨はあがって雲の切れ目も見えていたので、花火はよく見えた。
 そしてちょうど今、大雨・洪水注意報が解除になった。明日にかけての雨は回避できたのかもしれない。
 しかし明日の夕方はまた天気が悪いようである。花火やイベントはどうなるのだろうか。

 さて、中・高時代の同窓生のツィッターで『今夜23時から、NHK・Eテレ「日本人は何をめざしてきたのか~知の巨人たち」で、戦後民主主義を求めて:政治学者・丸山真男、肉声で語る被爆・敗戦、60年安保闘争、日大全共闘・東大紛争を特集する』との情報をいただいた。
 これを見てから今日は就寝することとしよう。途中で寝てしまわないようにしなくては‥。

 葦原の山姥様に見習って、少し健康的でスマホ・パソコン依存の生活をあらためるべく努力も必要か。



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アーノンクール指揮のバッハ「バイオリン協奏曲」

2014年07月19日 20時18分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 雨が止んでから、大雨・洪水・雷注意報が発令された。夜遅くから明け方にかけてかなり降るとの予報が出ている。

 本日の片付け作業は終了。本棚のどこに何を置くか、もう少し考えないといけないようだ。しかしとりあえずこの本の移動が済めば作業が終了する。最終局面が見えてきた。



 本日の作業中にかけていた曲は、バッハのバイオリン協奏曲5曲。普通バッハのバイオリン協奏曲というと、BWV1041~1043の3曲だが、このCDにはチェンバロ協奏曲からバイオリン協奏曲へ復元した2曲が含まれている。
 バッハのチェンバロ協奏曲の多くがもともとバイオリン協奏曲であったということでチェンバロの譜面からバイオリンパートが復元され演奏される機会が多い。
 バッハの協奏曲はビバルディの協奏曲のスタイルを踏襲していて、急-緩-急の3楽章形式を守っている。そしてソロ楽器の華麗さ(第1・第3楽章)と抒情性(第2楽章)が備わっていてわかりやすくファンが多い。
 しかしこのアーノンクールの演奏とは違い、私が初めて聞いた1960年代末当時はまだ楽譜の指示よりも劇的で強弱もテンポも変化の大きな、そしてピッチの高い調律による演奏が好まれていた。アーノンクールの演奏はとても新鮮で私には好ましい演奏に思えた。
 このCDは1985頃にアーノンクールのレコードを廃棄してから、代わりに購入したCDだと思う。

 イ短調のBWV1041、ホ長調のBWV1042、「二つのバイオリンのための」ニ短調のBWV1043の3曲はあまりに有名である。3曲とも印象深い旋律でそして「整った」という印象がまず思い浮かぶ。このCDの解説でも「気高い美しさ」という言葉が出てくるが、その通りだと思う。

 復元されたというト短調のBWV1056Rはちょっと重たい出だしだが、すぐに早いパッセージで明るく抜けるような第1楽章になる。
 最後のニ短調のBWV1060Rは、オーボエとバイオリンという似た音色の楽器による協奏曲だが、これが不思議といい。2台のバイオリンとはまた違った良さがある。オーボエの安定した音程が心地いい。

 アーノンクールという指揮者は1960年代、1970年代には「古楽器」と「古くからの演奏法」、「楽譜の指示」による復元演奏で有名であった。このCDでも演奏している「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」はアーノンクールが自ら組織して1957年から活躍していた。ソロバイオリンのアリス・アーノンクールは夫人。しかし古楽ばかりの指揮者ではなく、1980年代からは20世紀の音楽も指揮し注目を浴びていた。1929年生れだから、今年は95歳のはずである。





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38年分の手帳を処分

2014年07月19日 15時24分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 14時を過ぎた時分から横浜では雨が降り出した。次第に強くなっている。いかにも梅雨らしい降り方だと思う。少し明るいような気もする。子どもがいなくなった遊び場で鴉が盛んに鳴いている。
 15時過ぎからは雷がなり始めた。梅雨末期の様相なのかもしれない。

 本日も部屋の片づけの続き。文具類を片付けたり廃棄したりしてだいぶスペースが出てきた。
 退職後増えたものは、美術館・博物館を訪れた時のチラシや資料および各種講座の講義録のファイルである。また美術関係書籍が増えている。最近現役時代に買いだめしておいて聴くのを楽しみにしていたCDを随時アップしているので、天袋にしまい込んでいたスコアー・楽譜を少しだけ本棚に戻してみた。CDの紹介時に活用してみようかと思っている。
 いくつかの現役時代の資料も廃棄しなくてはいけないので、今回思い切って就職してから現役最後の年までの38冊の手帳を廃棄することにした。
 まず手帳のカバーは毎年妻にハンカチや端切れを縫ってもらっていた。年末になるとブツブツ言いながらも毎年新調してくれた。感謝である。そのカバーは1年間の酷使で手垢にまみれている。妻におうかがいをたてたところ、「嫌々作っていたのだからもう見たくない」との言葉とともに「即廃棄」と宣告された。
 手帳の中身をバラバラめくってみたら就職した1975年から54歳になった2006年までは実にイッパイ書き込みがある。朝8時から夜22時までほぼ毎日埋まっている。込み合っているところは15分刻みで予定がいっぱいで今となっては読み取れないほど細かい字である。
 そして実に色鮮やかである。時々色の使い分けは変わっが、仕事、支部の機関会議・交渉、単組の会議や集会、上部団体の会議、夜中心の仲間との打合せ、家族とのお出かけ、音楽会や美術展・山行・読んだ本、その他と4色のボールペンでは間に合わずその他の色のボールペンも使って賑やかである。
 捨てるのは当時の自分を捨てるような気もするが、かといって持っていても何の役にも立たない。政治家なら回顧録でも書けばお金になるかもしれないが、私の回顧など読む人などいないし、書く気もさらさらない。
 仕事では市庁舎のある関内と職場のある区内、組合では組合の会館のあった西区・南区と交渉事で市庁舎のある関内を駆けずるまわっていた。幸い地下鉄1本でかなりの個所をカバーできたから助かったと思う。それでも移動も含めて15分単位でよくもこれだけ活動を続けたと思う。
 そしていっぱいのスケジュールの合間を縫うようにして山行や美術館巡りをしている。よくその時間を捻出したといまさら感心した。だから天候に関係なく山に勇んで行ったのである。「亭主元気で留守がいい」を実践してきたようだ。
 病気でダウンして入退院を繰り返した2000年から2004年も退院日の翌日に神戸に出張にいっている日もあった。今思うと呆れてしまう。
 さすがに56歳になった2007年以降は隙間がどっと増える。仕事がその分増えているが、仕事は窓当番やパトロール等の定例的な事項以外あまり書き込んでいない。
そのまま捨てられないのが、数年に一度書き換えていた手帳に挟み込むアドレス帳。住所・電話・職場電話などすでにもうほとんどが無効なのだが、それでもシュレッダーで処分した。

 しかしこんな遊びもしている。手帳をめくった最初のページや仕切り板を、自作で作っている。山で撮影した写真と下手な俳句を使っている。そんなことをしたこと、すっかり忘れていたが‥。

   

 かたづけの見通しが少しずつたってきた。あと数回でとりあえず終了できそうである。




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