Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

台風8号(4)

2014年07月10日 23時19分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方本日の講座に出向いた時も、17時30分に終了した時も雨は降っていなかった。風がお昼前から少し強まっていたが、団地から少し下ると風も弱かった。
 講座終了後横浜駅まではビル風に煽られながらも、軽快に歩いた。横浜駅に着いた頃雨が強く降り出し、しばらく様子を見ていたら雨は止んだ。家に向かって歩き始めたとたんまた強くふりだしたので諦めて地下鉄で帰宅した。帰宅した途端雨は止んでしまった。
 風は体感で約10メートル位で吹いているが、雨は治まっているようだ。予報では今晩から明日の朝にかけて関東を通過するようだ。レーダーを見る限り雨はあまり降りそうもない。却って東北北部の方が強く降っている。
 しかし油断は大敵、ベランダの植木鉢を隅に寄せ、窓のカギを少しきつめに締めて枠が動かないようにはした。その他の用意は今回はしていない。

 現役であったならば、明日の朝まで仕事に追われていたと思う。こんなに楽をしていいのだろうか、と今でもふと心配になる。なかなか習慣というもの抜けないものである。

 今は大雨洪水警報が出ている。解除は朝になるのであろうか。

【追記】
1時24分に大雨洪水警報は注意報に変わった。雷・強風・波浪注意報も引き続き発令されている。



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ベートーベン「バイオリン協奏曲」

2014年07月10日 22時30分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中は雨は降らなかったが昼前から風が強くなり、外出を控えた。



 そして久しぶりにベートーベンのバイオリン協奏曲を聴いていた。私のもっとも好きな曲である。一番のお気に入りは1962年のヨゼフ・スークのバイオリンで、フランツ・コンヴィチュニー指揮・チェコフィルの演奏であるが、本日はシェリングのバイオリンで、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団。これは前者の10年後1973年の演奏である。私が学生時代に発売された物のCDリメーク版。
 スークの演奏よりは少し乾いた感じの演奏であるが、高音がとても美しく繊細である。カデンツァは残念ながら私の好みではないが、飽きないいい演奏だと思っている。この演奏も時々聴くことにしている。



 私にとってのこの曲の魅力は三つある。ひとつ目は曲の出だしのティンパニーの4つの連打とそれを受けてオーボエ・クラリネット・ファゴットの第一主題である。
 私などはこの出だしを聞くだけでもう恍惚としてしまう。
 このティンパニーの4つ、あるいは5つの連打ですべてが決まってしまうのだ。早すぎても明瞭過ぎてもいけない。かといって情緒に流れてしまうようなゆっくり過ぎるのもいけない。等間隔で機械的になってはもっといけない。4つ目を叩くときにはほんの少し間をあけるように、そして6本の木管楽器の音を誘導するように叩かなくてはいけない。たぶんティンパニーの方はとても緊張する難しい出だしだと思う。
 5小節目の4つの音は、また最初の出だしとはニュアンスは違う。弱くやさしく、でも等間隔で叩いたほうがいい。
 聞きなれてくると、この出だしの4つの音を聴いただけで指揮者と独奏者の意図がわかってしまうと、先輩が云っていたのを今でも思い出す。極論だとは思うが、それだけ印象に残るティンパニーである。



 そして次に私が好きな箇所がこのすぐ後、独奏バイオリンが出てくる呈示部の初めである。スコアーは呈示部の初めから掲載しているが、私のこだわりは右下の赤丸で囲ったAis(嬰イ)音である。この音がH(ロ)音に収れんする時間が聴きどころである。四分音符という機械的な長さではいけない。少し早目に安定したH音に移行しなくてはいけないが、早すぎてはこの嬰イ音をここに持ってきた意味がない。これをたっぶりと聴かせる演奏者とそうでない演奏者がいる。この音ひとつで曲全体の出来の判断をしてしまう人もいる。それほど私は重要な音だと思う。

   

 そして三つ目の聴きどころは、第二楽章から第三楽章に移る寸前である。非常にゆっくりした、たっぷりとバイオリンの高音の美しさを堪能した先に、たった6音の独奏バイオリンのカデンツァから、続けて独奏バイオリンが引き続き軽快なロンド形式の第一主題を奏するのだが、いかに自然に曲の雰囲気を移行させるか、独奏者の力量が問われるところだと思う。
 私はこの三か所に特に着目してこの曲を聴く。何度聴いても飽きることがない。

 なお、この曲はベートーベン36歳の1806年に作られた。38歳の時に交響曲第5番を作曲するなど、もっとも充実していた頃の作品として有名である。





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台風8号(3)

2014年07月10日 10時22分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では厚い雲がかかっているが、時おり太陽が顔をだす。雨は降っていない。生暖かい湿った風が弱いながら吹いている。
 台風8号の接近に伴う雨は今夜かららしい。明日の朝には関東を通り抜ける予報になっている。自然災害とはいえ今回も死者が出ている。南木曽町の土石流は国土交通省の監視カメラにたまたま映し出されていて放映された。恐ろしさがよくわかる。

 過疎化が進めば、事前対応も被害の状況把握も困難になる。復旧はいっそう時間がかかる。結局都市集中に拍車がかかることになる。出口の見つからない悪循環が続く。
 大型の台風だけに、東北にかかった梅雨前線まで大いに刺激し、北海道から沖縄まで雨をもたらし大きな被害を出している。幾人かにメールでお見舞いを出したが、今のところ友人に被害はなさそうである。ツィッターやブログで記事をアップしている人は無事なのがわかるのでメールは出していない。

 本日は16時から講座があるが、台風の接近状況、雨の状況を見極めてから出かけるかどうか判断しなくてはいけない。

 さて、余談になるが、ツィッターやブログなど時代の先端の通信手段を駆使しながら、この台風8号は「人工の台風である」などとトンでも情報を、状況証拠にもならないものを集めて来て発信している人々がいる。時代の先端技術を使って、もっとも非科学的な「情報」が蔓延するというのも恐ろしいと思う。日本は知的水準が高いなどと他の国々を見下す人は、この日本の情けない状況を見ようとしていないと思う。
 警察・検察の取り調べで状況証拠だけの「推定」でこれまで多くの冤罪を作ってきたにも関わらず、意外と反体制的な人々が「陰謀論」とともにこれらのカルト的な情報に引っ掛かりやすいという意見があるが、まんざら的外れてもないような気もする。何とも情けないものがある。
 これらのトンでも発信の議論の特徴は「思いつきの結論が先にあり」という論理の組み立て方になっている。結論に合わせて情報を集めて来て牽強付会の「理論」を作り上げるというやり方である。

 このような思考の弊害が目立つものとして、マスコミと政治家もあげることができる。マスコミと政治家というのはこれらのオカルト集団やトンでも発言集団と自らの思考方法が酷似していないか、常に自問自答しないといけないと思う。
 「改革」と称する結論にあわせて議論を進める、あるいは結論を正当化するための手続き論が横行する。また時間をかけることがすべて「悪」とされている。これが今のマスコミ論調と政治手法のもっともいけない点ではないか。
 人と議論をして一定の方向を出すという、丁寧な議論と時間をかけるのが民主主義の基本と教わってきた。スピード感など最優先の価値ではないことを再確認しなくてはいけない。
 これに振り回される場合も、「災害」である。しかしこれは自然災害ではなく人災である。ところがだれも責任をとらない。自然災害ならばいくばくかの保障や手当のあても最近はあるが、マスコミと政治家は責任をとろうとはなかなかしない。最近は「とんだ災難」に遭う危険がとてもたかまっている。
 東日本大震災の復興の模様の報道を見るたびに、町づくりや再建の議論は、その地域にこだわり続けるという意志と、時間をかけることと丁寧な議論の大切さを教えてくれる。派手な独りよがりのパフォーマンスはだれも歓迎しない。それに振り回されてもいけない。




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