Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年末にあたり 2

2012年12月30日 21時52分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど「年末にあたり」をアップしたので、今年の〆のつもりであったが、昨日葦原の山姥様からのコメントにあった「すず音」が実に偶然に夕食の食卓に上がった。うれしくなって、その2を記載することにした。

      


 この「すず音」、一の蔵の姉妹品に当たるのだろう。新しい日本酒の愛好家を開拓するための小品のようだ。
 アルコール度5度と、お酒好きには少々度数が低いので、普段ビールや甘めの酎ハイなどを飲む方にお勧めの微発泡の日本酒。ただしビールなどのように喉ごしを楽しむのではなく、日本酒のようにじっくりと味わいながら飲むものである。
 これは私は酒屋で見たことはあるのだが、飲んだことはない。たまたま妻が母親と飲む晩酌用に昨日購入していた。私も小さなお猪口に1杯御相伴にあずかったが、それなりにおいしいと思った。軽い炭酸の刺激が日本酒の旨味・甘味と重なって不思議な味だ。癖になると思う方も多いかもしれない。
 食前酒などとして用いるのも良いかもしれない。正月用にもいいかも知れない。私などは従来からの日本酒のほうが良いのだが。

 新しい日本酒の可能性に挑戦するという姿勢に敬意を表して、取り上げてみた。

 ただし一ノ蔵ばかりを紹介しても偏ってしまうので、私がこれまでによく飲んだ宮城県のお酒では、浦霞・乾坤一・日高見・蔵王・伯楽星・鳳山・天賞・志ら梅・勝山・澤乃泉・栗駒山などが都内でも手に入り易い、あるいは居酒屋で飲めるようだ。他にもまだたくさんのメーカーがあるようだが、あくまでも私の飲んだ範囲では以上だ。
 学生時代はこんな高いお酒は飲めなかった。当時は安いお酒の代名詞として秋田の両関というお酒があった。今ではどんな評価になっているのだろうか。東京・横浜でそのお酒に出会ったことはない。年に2度くらい訪れる仙台でもお目にかかったことがない。
 ただここ10数年、私は芋焼酎や泡盛が中心なので見落としているのかもしれない。今年に入って日本酒を飲むようになった。飲むお酒の種類に変遷がある、浮気性なのが私のお酒との付き合い方のようだ。
 しかし昨日の「鳴瀬川」に続き日本酒の宣伝のようなブログになってしまった。決してアルコール依存の生活ではないし、大量にお酒を飲む体質でもないことをお断りしておきたい。

 「年末にあたり」のその2を書いてしまったので、気が向いたら明日その3を書いてしまうかもしれない。
 しまりのない年末になったが、ご容赦願います。

年末にあたり

2012年12月30日 18時13分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は大雨・洪水・濃霧・雷注意報が発令され、寒々しい冬の雨が一日中降り続くようだ。濃霧注意報はランドマークタワーが雲に隠れて見えないなど視覚的にもよく理解できるものの、大雨・洪水注意報というのはどうもピンと来ない。注意報という程の雨ではないような気がする。 あまり、注意報が頻発するようだと受け取る市民も慣れっこになり、緊張感が薄らいでしまう。また行政や企業の方も対応に多大な費用がかさむのに実際にさほどの雨がないと次第にこれも緊張感が薄らいで、実際の大雨の際にマイナス要因となるような気がする。
 むろん注意報を出さずに、いざという事態が生じた場合の責任を追求されたのではたまらないから、という思惑が先行しているとしたらそれはキチンと公開の議論が必要と思われる。

 こんな中お昼前に横浜駅まで出向き、年末・年始の買い物などをこなした。本当は我が部屋の机の上に積み上げられた書類や本を整理しなくてはいけないのだが、延ばし延ばししているうちにとうとう本当に年末になってしまった。
 本日もとうとう手をつけずに何となく避けてしまって、こん文章を作成している。明日こそは時間を割いて整理しなくてはならない。気が思い。

 さて、本年自分では自覚しなかったがずいぶんと色々なことをしてきた。
 1月から3月は定年退職の準備のために仕事の整理に精を出した。引き継ぐ方が迷わないように整理したつもりだが、うまく整理できたかいまだ心配ではある。迷惑がかからないことを切に願っている。
 3月からは食事制限による減量をはじめ、4月からはウォーキング、徐々にジョギングも取り入れ、5月中旬以降は毎日7-8キロを走るようになった。20年ぶり位のジョギングで実に気持ちがよくなった。
 そして7月から9月に欠けて3回北アルプスの山行を天候にも恵まれたが、行うことが出来た。実に久しぶりに山行の雰囲気を体で思い出し、そして満喫した。二回目の山行ではすべって臀部の打撲と全身の擦り傷という怪我をしたが、10月待つまでには臀部の腫れもひいた。大したことにならずに済んで助かった。
 また来年以降の山行のステップにすることが出来た。
 さらに7月には丸2年通った心療内科に通わなくてよくなった。卒業できたような気分である。3月から薬の減量を始めていたので4月にはずいぶん解放された気分にはなっていた。
 同時に減量の効果で高血圧の薬も処方されなくなり、薬依存の生活から解放された。11月からはちょっと上の血圧が再上昇したので薬が再開されはしたが、これまでのように下の血圧が高くなることはなくなりホッとしている。
 10月からは神奈川大学の公開講座などを中心に、久しぶりに講義形式で学ぶことを始めた。これまでは仕事と労働組合の活動に浸り続けていたのだが、気分一新、人の話を謙虚に聞く楽しさに浸っている。また目にするさまざまなシンポジウムなどにも極力顔を出してきた。
 これは私にとってはとても刺激ある時間である。経験である。これはそれこそ死ぬまで継続したいものである。
 そしてずいぶんと美術館・博物館を巡ることが出来た。これも続けたい。これについてはその都度このブログに感想をアップしてきた。これまでのように見っぱなし、聴きっぱなしではなく、その時点での自分なりの感想のまとめをして、区切りとしてきた。これは今後も出来るだけまめに行っていきたい。

 俳句も月三回の句会に意欲的に出るようになったが、これは少し懲りすぎてちょっと壁にぶつかっているような気がする。絶不調の状態。どうやってこれを乗り越えるのか自分なりに悩んでいる。
 9月からは労働組合の退職者会の幹事を引き受けることになった。支部長の任期は昨年10月で終了したのだが、しかし、労働組合の役員は都合35年間続けたことになる。その上23年前の自治労横浜再建に携わったものとしては、定年退職ですぐにサヨナラということにはならず、引き続き関与することになった。ただし現役のときとは違う。あくまでも退職したものの集まりである。懐かしい顔を思い浮かべながら楽しく勤めたいと思う。

 このブログ、この4月の退職以降とても大切な存在となっている。文章を作成することが、日々の生活にとっての刺激ともなり、また生活の振り返りともなっている。自分の思いの整理にとっては欠かすことのできないツールになっている。引き続きこれを継続していきたいと思う。
 そしてこれを通じて友人との新しい関係も築くことが出来たと思う。またコメントはないが「見ているよ」という友人も両手に余るくらいになっている。これらの方々を想定しながら文章を作成するというある種の緊張感がとても今の私には刺激的である。

 取り留めのないだらだらした文章になってしまいましが、本日の時点での年末の挨拶とします。

 なお世間的には喪中。世間一般の慣例に従い今年は年賀葉書は遠慮することにしました。ブログもそれにならうつもりです。