Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

川瀬巴水展

2012年12月12日 12時24分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 



本日は西馬込駅から歩いて6~7分ほどのところにある「大田区立郷土博物館」に出かけた。西馬込駅、初めてのところで都営浅草線の終点であった。これまでなじみがなく、この駅までどう行っていいのかも分からず、ネットで検索してようやく、東横線-大井町線中延駅-浅草線という経路を探し当てた。京急線利用は往復で400円以上の差が出るらしい。
 この大田区立郷土博物館で現在「馬込時代の川瀬巴水」展を24日まで開催している。川瀬巴水(1883(M16)~1957(S32))はその創作活動39年の大半の31年という長い時間、戦争末期の栃木県疎開を除いて大田区で過ごしたらしい。このうち1944年の疎開まで15年暮らした大田区馬込時代を「さほど豊かではなかったが、一番面白い時代でもあった」と表現していること。戦後も大田区上池台で亡くなるまで暮らした。その関係でこの郷土博物館で、疎開までの作品を並べて展示が行われている。
 私は恥ずかしながら川瀬巴水という名を知らなかった。11月始めに訪れた横浜美術館での「はじまりは国芳」展で初めてその名を知った。「東京二十景」の版画がとても気に入った。それで今回たまたまこの展覧会を知って無性に見に行きたくなった。
 「東京二十景」(1931(S5))からはチラシの表の「馬込の月」のほか3点が出ていたが「はじまりは国芳」で見たのとは違うものであった。しかしどれもなかなかいい配色と構図、そして陰翳が濃くて、浮世絵の歴史の末に連なる画面が特徴だ。広重風に近景というか主題というかをことさらに大きく描き、遠景を極端に小さくして遠近を強調する画面が特徴である。その上に近景の大きな樹木や建物などがさらに大きく浮き出るような配色が特徴である。この浮き出るような配色が版画の迫力を一層高めている。
 しかし1935年(昭和10年代)以降は本人も納得の行く作品が出来ていないと言っていたらしいが、このデフォルメされた遠近、強調が影を潜め平面的なおとなしい画風に変わってしまった。これを打破するために誘われて朝鮮旅行に出向き、それを期に終戦までの新しい画風を獲得したらしい。
 確かに朝鮮旅行での作品は大きな風景を明るい画面で遠近法にいろいろ苦労した様子があり、ひきつけられる作品群である。帰国後の作品を見ると、西洋画のいわゆる空気遠近法を極端に取り入れ、遠近を強調している。特に遠景の雲や山々にあたる透明感のある明るい太陽光の効果にはびっくりする。陰翳も再び濃くなっている。
 そして川瀬巴水の版画のもうひとつの特徴は月などが配された夕景・夜景、そして雨・雪の景色ではないだろうか。人物画・静物画もあるが、やはりこの抒情ある風景画が真骨頂のようだ。
 今回の展示でもうひとつの工夫が、「二重橋の朝」は4種の刷りが同時に比較展示されていて、陰翳の差、描かれているものや配色の違いが説明されている点。また「野火止 平林寺」という作品の順序刷が6点展示され、刷りが重なるにつれ画面が大きく変わっていく様がわかるようになっている点。これはなかなか勉強になる。作者のこだわりなどが手に取るようにわかるようだ。











 展示総数94点という大規模な展覧会で、入場料無料、カタログが300円というのはちょっと信じられない、とてもうれしい展覧会であった。ただ欲を言えば、カタログ300円と低価格な分、展示全作品が掲載されているわけではない。それほどの来館者を想定していないらしいので全作品のカタログは用意しなかったのかもしれないが、これはファンからすればちょっと残念。別途全作品のカラーカタログはほしいものだ。そして展示では川瀬巴水自信の言葉を添えて詳細でかつ丁寧な年表があった。これはカタログかあるいは別資料で是非配布してほしかった。無料とは思えない充実した展示に対して、あまりに過大な期待・要望で申し訳ないが‥。