Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読書覚書(101108)

2010年11月08日 11時01分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
「俳句のユーモア」(坪内稔典、岩波現代文庫)

・「写生は俳句形式に合わない。そのために、‥どうしても無理が生じる。その無理がたとえばクローズ・アップになり、デフォルメになり、また意外な擬人化や極度の省略になったりする。写生はいわばあえて無理や普茶を引き起こし、写生という態度のまじめさをほぐしてしまう方法なのだ。」

・「この恣意性は、俳句が誰にでもたやすく作れるという手軽さの要因である。俳句の大衆性とか第二芸術的な要素だといってもよい。だが、大衆性や第二芸術的要素であるこの恣意性は、俳句という表現のなによりもの特色である。他の形式(短歌や自由詩など)にはこれほどの恣意性はない。」

 前段は肯定するのだが、後段部分、あまりの恣意性は独りよがりへの道だ。「自己を開く場」としての句会を評価する云いとズレが生ずるような気もする。
 森川許六が芭蕉の言葉とする「師の云、発句はとり合わせものなり、二つとり合わせて、よくとりあはすを上手と云ふなり、といへり。」が引かれているが、この後段部分「よくとりあはす」を私はよくかみしめたい。