前回で最後と考えていたが、この写真は是非にと思って再開した。実はあと2枚ほどある。
平湯峠カラマツ1964

この写真、私も真似て挑戦したことがある。残雪期の下山途中でこれに似た風景と出会った。むろん技術などない。1時間ほどかかって、20枚ほどを絞りやシャッタースピードを変えてとった。しかし無残な結果となった。自分の納得のいくものは取れていなかった。モノクロームのフィルム一本分、捨てた。
当然プロと8回の無料の講義を聴いて、三回ほど撮影会を経験した素人とは比較にならないだろうが、この一枚をとるためのエネルギーと確かな技術に圧倒されたことを思い出した。20数年前のことである。
藤森武という方が「師を語る-凝視と撮影のあいだ」で、師であった土門拳について次のように書いてある。「とにかく好きなものしか撮らない。‥まず最初に書物で「調べる」。調べたあとに「見る」。その次が「感動する」。これは素直な感動です。感動したあと「凝視する」。これにうんと時間がかかる。最後に「撮影する」。」そしてこんなことも書かれている。「一点とるのに二時間かかるとすると一時間あまりは見ている。それだけたっぷり見たら、撮影は早いんです。‥むしろせっかちなくらい早い」。
「調べる・見る・感動する・凝視する・撮影する」。この5つの要素。私なりにこれまで「見る・感動する・凝視する・納得(撮影)する」は心掛けてきたつもりだ。「調べる」が最初にきたり、後ろにきたり、そして「調べる」のを忘れてしまうことの方が圧倒的に多かった。これからも多いだろう。しかしこの「調べる」が欠けることで、「感動する」が1/10に、いや1/100や1/1000になってしまうものだと、あらためて反省している。
ブログというものが少しでも、この「感動する」時間を長くし、「納得する」につながることを祈っている。
平湯峠カラマツ1964

この写真、私も真似て挑戦したことがある。残雪期の下山途中でこれに似た風景と出会った。むろん技術などない。1時間ほどかかって、20枚ほどを絞りやシャッタースピードを変えてとった。しかし無残な結果となった。自分の納得のいくものは取れていなかった。モノクロームのフィルム一本分、捨てた。
当然プロと8回の無料の講義を聴いて、三回ほど撮影会を経験した素人とは比較にならないだろうが、この一枚をとるためのエネルギーと確かな技術に圧倒されたことを思い出した。20数年前のことである。
藤森武という方が「師を語る-凝視と撮影のあいだ」で、師であった土門拳について次のように書いてある。「とにかく好きなものしか撮らない。‥まず最初に書物で「調べる」。調べたあとに「見る」。その次が「感動する」。これは素直な感動です。感動したあと「凝視する」。これにうんと時間がかかる。最後に「撮影する」。」そしてこんなことも書かれている。「一点とるのに二時間かかるとすると一時間あまりは見ている。それだけたっぷり見たら、撮影は早いんです。‥むしろせっかちなくらい早い」。
「調べる・見る・感動する・凝視する・撮影する」。この5つの要素。私なりにこれまで「見る・感動する・凝視する・納得(撮影)する」は心掛けてきたつもりだ。「調べる」が最初にきたり、後ろにきたり、そして「調べる」のを忘れてしまうことの方が圧倒的に多かった。これからも多いだろう。しかしこの「調べる」が欠けることで、「感動する」が1/10に、いや1/100や1/1000になってしまうものだと、あらためて反省している。
ブログというものが少しでも、この「感動する」時間を長くし、「納得する」につながることを祈っている。