Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳を見る・読む(9)

2010年06月18日 20時33分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 前回で最後と考えていたが、この写真は是非にと思って再開した。実はあと2枚ほどある。

平湯峠カラマツ1964


 この写真、私も真似て挑戦したことがある。残雪期の下山途中でこれに似た風景と出会った。むろん技術などない。1時間ほどかかって、20枚ほどを絞りやシャッタースピードを変えてとった。しかし無残な結果となった。自分の納得のいくものは取れていなかった。モノクロームのフィルム一本分、捨てた。
 当然プロと8回の無料の講義を聴いて、三回ほど撮影会を経験した素人とは比較にならないだろうが、この一枚をとるためのエネルギーと確かな技術に圧倒されたことを思い出した。20数年前のことである。

 藤森武という方が「師を語る-凝視と撮影のあいだ」で、師であった土門拳について次のように書いてある。「とにかく好きなものしか撮らない。‥まず最初に書物で「調べる」。調べたあとに「見る」。その次が「感動する」。これは素直な感動です。感動したあと「凝視する」。これにうんと時間がかかる。最後に「撮影する」。」そしてこんなことも書かれている。「一点とるのに二時間かかるとすると一時間あまりは見ている。それだけたっぷり見たら、撮影は早いんです。‥むしろせっかちなくらい早い」。
 「調べる・見る・感動する・凝視する・撮影する」。この5つの要素。私なりにこれまで「見る・感動する・凝視する・納得(撮影)する」は心掛けてきたつもりだ。「調べる」が最初にきたり、後ろにきたり、そして「調べる」のを忘れてしまうことの方が圧倒的に多かった。これからも多いだろう。しかしこの「調べる」が欠けることで、「感動する」が1/10に、いや1/100や1/1000になってしまうものだと、あらためて反省している。
 ブログというものが少しでも、この「感動する」時間を長くし、「納得する」につながることを祈っている。