昨日、8月15日は終戦記念日という事で
記念の慰霊式典が行われた。
新聞の見出しに
終戦75年 戦禍 次代へ語り継ぐ
戦没者追悼式 陛下、再び「深い反省」
と出ていた。
全国戦没者之霊に令和天皇が頭を下げている

終戦後75年が経った。
ポツダム宣言受諾
1945年(昭和20年)8月14日、日本政府は
宣言の受諾を駐スイスおよびスウェーデンの
日本公使館経由で連合国側に通告、このことは
翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。
9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの
甲板で日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)
全権の梅津美治郎および連合各国代表が、
宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書
(休戦協定)に調印した。これにより、宣言は
はじめて外交文書として固定された。Wikipediaより
もっと早く受諾していれば広島、長崎に原子爆弾が
落ちなかった。今となっては後の祭りという事です。
「天皇の責任を問うたのは井上清の『天皇の戦争責任』が
嚆矢(こうし)であった」と書いている 。
井上清の主張は次のようなものだった。
昭和天皇は帝国憲法第1条、第3条、第4条において、
統治者であること、神聖さ、元首である事が規定されており、
大日本帝国の唯一最高の統治者であった。もし裕仁個人が
戦争を欲しなくて、臣下に仕向けられたとしても、
「結局は天皇が戦争を決意することによってしか」戦争は
できない。
「天皇は日本軍隊唯一絶対の統帥権者であった」。天皇は
憲法第11条と勅諭によって軍の統帥権者であるとともに
忠君の道徳が強調され、上官の命令は天皇の命令として
遂行する事が正当化された。参謀本部等は天皇のみの命令を
受ける機関であり、規定、命令等は全て天皇に報告され、
裁可を受けて天皇の命令として伝達・実施された。統帥権者
である天皇が命令指揮しない戦争はないのであり、
これだけでも「責任は疑う余地がない」。さらに天皇は
憲法第1条と第3条に規定される神的権威をもっていた。
1868年(新暦における明治元年)に天皇が統治者と
なった時から、政府は「天皇が神の子孫であり、正当
支配者であり、日本の国民は天皇を無限に尊崇し、絶対に
従わなければならない」という思想・信仰を憲法と
教育勅語に経由し3代(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)に
わたって国民に植え付けた。こうして「天皇の権威が
日本国民をあの戦争へと駆り立てた」のである。
1931年から1945年に至るまでの戦争は「犯罪的侵略戦争」
であり、天皇は責任を負わなければならない。Wikipediaより
「天皇は『神様』と教え込まれていたから
天皇陛下の言葉に従わなかったり、文句
言ったりしたら憲兵に引っ張っていかれる
憲兵は怖かった」と90になる姉が言う。
今となっては天皇が悪いのか天皇を利用した?軍部が
悪かったのか?75年も平和な日本が続いているのだから
今更どちらが悪かったとと詮索しても始まらない。
長く平和な日本国が続くように祈りたい。
それにしても「陛下、再び『深い反省』」と見出しに
ありますが、戦争を知らない令和天皇が昭和天皇の
行った事を謝らなければならない。
いつまで謝り続けなければならないのでしょうか?
「8月15日終戦の日も暑かった」と母が言っていた。
あの頃(75年前)は今よりもずっと涼しかったと
思いますが、2020年の8月15日、16日は
全国的に真夏日を超える暑さです。
夕方、北西の空を見たら見事なかなとこ雲が出ていた。

あの真下は雨になっているのかも。
記念の慰霊式典が行われた。
新聞の見出しに
終戦75年 戦禍 次代へ語り継ぐ
戦没者追悼式 陛下、再び「深い反省」
と出ていた。
全国戦没者之霊に令和天皇が頭を下げている

終戦後75年が経った。
ポツダム宣言受諾
1945年(昭和20年)8月14日、日本政府は
宣言の受諾を駐スイスおよびスウェーデンの
日本公使館経由で連合国側に通告、このことは
翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。
9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの
甲板で日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)
全権の梅津美治郎および連合各国代表が、
宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書
(休戦協定)に調印した。これにより、宣言は
はじめて外交文書として固定された。Wikipediaより
もっと早く受諾していれば広島、長崎に原子爆弾が
落ちなかった。今となっては後の祭りという事です。
「天皇の責任を問うたのは井上清の『天皇の戦争責任』が
嚆矢(こうし)であった」と書いている 。
井上清の主張は次のようなものだった。
昭和天皇は帝国憲法第1条、第3条、第4条において、
統治者であること、神聖さ、元首である事が規定されており、
大日本帝国の唯一最高の統治者であった。もし裕仁個人が
戦争を欲しなくて、臣下に仕向けられたとしても、
「結局は天皇が戦争を決意することによってしか」戦争は
できない。
「天皇は日本軍隊唯一絶対の統帥権者であった」。天皇は
憲法第11条と勅諭によって軍の統帥権者であるとともに
忠君の道徳が強調され、上官の命令は天皇の命令として
遂行する事が正当化された。参謀本部等は天皇のみの命令を
受ける機関であり、規定、命令等は全て天皇に報告され、
裁可を受けて天皇の命令として伝達・実施された。統帥権者
である天皇が命令指揮しない戦争はないのであり、
これだけでも「責任は疑う余地がない」。さらに天皇は
憲法第1条と第3条に規定される神的権威をもっていた。
1868年(新暦における明治元年)に天皇が統治者と
なった時から、政府は「天皇が神の子孫であり、正当
支配者であり、日本の国民は天皇を無限に尊崇し、絶対に
従わなければならない」という思想・信仰を憲法と
教育勅語に経由し3代(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)に
わたって国民に植え付けた。こうして「天皇の権威が
日本国民をあの戦争へと駆り立てた」のである。
1931年から1945年に至るまでの戦争は「犯罪的侵略戦争」
であり、天皇は責任を負わなければならない。Wikipediaより
「天皇は『神様』と教え込まれていたから
天皇陛下の言葉に従わなかったり、文句
言ったりしたら憲兵に引っ張っていかれる
憲兵は怖かった」と90になる姉が言う。
今となっては天皇が悪いのか天皇を利用した?軍部が
悪かったのか?75年も平和な日本が続いているのだから
今更どちらが悪かったとと詮索しても始まらない。
長く平和な日本国が続くように祈りたい。
それにしても「陛下、再び『深い反省』」と見出しに
ありますが、戦争を知らない令和天皇が昭和天皇の
行った事を謝らなければならない。
いつまで謝り続けなければならないのでしょうか?
「8月15日終戦の日も暑かった」と母が言っていた。
あの頃(75年前)は今よりもずっと涼しかったと
思いますが、2020年の8月15日、16日は
全国的に真夏日を超える暑さです。
夕方、北西の空を見たら見事なかなとこ雲が出ていた。

あの真下は雨になっているのかも。