6月15日(土) 33/21℃
久我美子さんが旅立たれました
ご冥福をお祈りいたします
《華族出身の俳優、久我美子さんが死去93歳、誤嚥性肺炎 映画「酔いどれ天使」など出演》 (6月14日産経新聞)
「・・・29年に有馬稲子さん、岸恵子さんとともに文芸プロダクション「にんじんくらぶ」を設立。フジテレビ系「3時のあなた」の司会も務め、お茶の間の人気を博した」
「にんじんくらぶ」というと、木下恵介監督の映画『風花(かざはな)』
久我美子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんが登場しています
ロケは近くの千曲川界隈でもおこなわれました
木橋、関崎橋に立つ再スタートの母と子に風花が舞う・・・
抒情的なシーンがウリの映画です
ロケは昭和33年(1958)の11~12月・・・
あれから66年
☟ ファンサービスで、知人のMさんが撮影できた貴重な5人揃いの一枚です
木橋のたもとのTさん宅には、ロケ休息された岸恵子さんとの思い出の写真や色紙が今も大切に保存されています
『風花』は、千曲川がメイン舞台です
壊された墓のシーンから始まる日テレドラマ『河井継之助 ~駆け抜けた蒼龍~』は、彼の「偉業」の是非を問うものでもあったように思います
中村勘三郎(18代目)さんが、北越戊辰戦争を主導した長岡藩家老河井継之助を好演
河井ファンになったjiiji はそのDVDも求めました
今日は「米百俵デー」
―新潟県長岡市が1996年に制定。戊辰戦争で敗れ財政が窮乏した長岡藩に、支藩三根山藩から百俵の米が贈られたが、藩の大参事小林虎三郎は米を藩士に分け与えず、売却した代金で学校を設立することとした。そのお金によって「国漢学校」が開校したのが1870(明治3)年のこの日であった。
ドラマ『河井継之助』では、小林虎三郎を佐野史郎さんが演じています
恭順派でした
《ウクライナ戦争は私たちの河井継之助の評価を変えるか。映画「峠 最後のサムライ」公開で地元から考える。》 (2022年6月17日YAHOOJAPANニュース/唐澤頼充)
「・・・そもそも長岡藩内も、佐幕派と恭順派に二分されていた。後に復興に尽力し「米百俵」で知られる小林虎三郎は開戦に反対した恭順派で、「彼に藩政を任せていれば」という後の声も聞かれる」
「・・・農民が記録した御用留帳の展示は印象的だ。最初は長岡藩の出役に協力、長岡城が落城すると今度は新政府軍からの要請に従い、戦線が変わるとまた長岡藩に、新政府に…。と、同じ戦争の中で次々と入れ替わる統治者に対応せざるをえない民衆の様子が淡々と記録されている」
☝ それが、戦の中の「農民の姿」
サムライの主義主張によって振り回されていたのが、現実だと思います
その姿は歴史の中に残されていません
この信濃の川中島・・・
武田信玄・上杉謙信の戦いに10年間も苦しめられますが、農民にとっては、「武田」でも「上杉」で、どちらでも同じ!?
ただ
「戦のない世が一番!!」
・・・だったのかもしれません
昨年9位だった日本は、17位にランクが落ちたそうです
なぜ?
《2024年、世界で最も安全で平和な国は?》 (6月13日Time Out)
- アイスランド
2. アイルランド
3. オーストリア
4. ニュージーランド
5. シンガポール
平和憲法を掲げる日本ですが、周辺には「北」があり、中国があり、ロシアがあり・・・
「・・・人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して・・・」に不安を覚えるのもわかります
が
ひたすら軍事を強化して、相互の緊張を高める道は、この国の平和の為に最良なのか?
(「武装中立」をめざした河井継之助の長岡藩・・・)
佐幕派と恭順派に分かれた長岡藩にいたら、jiiji は小林虎三郎の「恭順派」を選んだと思います
勇ましさに欠けています
一足早く、長女から「父の日」プレゼントが届きました
意表をつく二人分の「食事」です
さっそく頂きました
☟ これも・・・です
勿論、スマホで写真送信
夜には孫の〇○ちゃん、▢▢君とも映像会話・・・
江戸と信州が瞬時につながります
6年生になった〇○ちゃんは、髪を少しカットしていました
baaba 「かわいくなったね~」
○○ちゃん 「うん、ありがとう」
大人の会話ができるようになりました
▢▢君も頑張っています
感謝!
感謝!!
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