今週は重要な話が多数含まれていそうだ。
さらっと流してしまいがちだが、じっくり疑ってかかるとこれまで想像したのとは違った展開が見えてくる。
まず、タイトル。
「反逆者の末路」とある。
が、“反逆者”とは?
サイコマンのセリフに「反逆者ゴールドマン」とある。
が、ゴールドマンの末路という話ではない。
“末路”という言い方からは、今週死んだプラネットマンとターボメンが当てはまるが、彼らは反逆者そのものではない。
プラネットマンであれば、反逆者の弟子の末路だ。
サイコマンは「シルバーマンに裏切られた」ことと「ガンマンと合わない」ことは事実だろうが、反逆者というほどのことはないだろう。
ターボメンの言葉に「なぜ武道が咎めにこない?」とあるが、それは道を踏み外しただけで反逆ではない。
が、やはりサイコマンが反逆者に思えてしまう。
そこで、サイコマンが反逆者だと考えることにする。
では、S武道は?
これまで、S武道=慈悲深い神=超人閻魔と考えられてきた。
が、これはあまりにも簡単すぎる。
今回のターボメンの話も、「S武道は死んでおらず、正体は慈悲深い神である」と考えると自然に受け入れられる。
が、それではあまりにもありきたりではないか。
S武道とサイコマンは無量大数軍の最古参だという。
ということは、S武道もサイコマンと同じく始祖であるという可能性も考えられる。(6か9のいずれか)
慈悲深い神=超人閻魔とは別人だ。
その2人が完璧超人の教えに背いた“反逆者”であるならば、「シルバーマンの裏切り」も意味を持つ。
“反逆者の末路”とは、“S武道の末路”であり、「死んでいないし、どこかで何かを企てている」と考えることもできなくはない。
考えすぎかもしれないが、最近のゆで先生の話の作り方を考えると、単純にS武道=慈悲深い神=超人閻魔と考えるのは間違いではないかと思えてくる。
また、“プラネットマンの意地”も気になる。
プラネットマンが砂となって消え、それを見たバッファローマンが「意地を見た」と言った。
この砂はサイコマンに取り憑いている可能性もあるだろう。
このプラネットマンの砂が意味を持つのであれば、「サイコマン=S武道」の可能性もありそうな気がしてくる。
後に正体暴きに一役買う、プラネットマンの砂。
この先の展開が楽しみでならない。
さらっと流してしまいがちだが、じっくり疑ってかかるとこれまで想像したのとは違った展開が見えてくる。
まず、タイトル。
「反逆者の末路」とある。
が、“反逆者”とは?
サイコマンのセリフに「反逆者ゴールドマン」とある。
が、ゴールドマンの末路という話ではない。
“末路”という言い方からは、今週死んだプラネットマンとターボメンが当てはまるが、彼らは反逆者そのものではない。
プラネットマンであれば、反逆者の弟子の末路だ。
サイコマンは「シルバーマンに裏切られた」ことと「ガンマンと合わない」ことは事実だろうが、反逆者というほどのことはないだろう。
ターボメンの言葉に「なぜ武道が咎めにこない?」とあるが、それは道を踏み外しただけで反逆ではない。
が、やはりサイコマンが反逆者に思えてしまう。
そこで、サイコマンが反逆者だと考えることにする。
では、S武道は?
これまで、S武道=慈悲深い神=超人閻魔と考えられてきた。
が、これはあまりにも簡単すぎる。
今回のターボメンの話も、「S武道は死んでおらず、正体は慈悲深い神である」と考えると自然に受け入れられる。
が、それではあまりにもありきたりではないか。
S武道とサイコマンは無量大数軍の最古参だという。
ということは、S武道もサイコマンと同じく始祖であるという可能性も考えられる。(6か9のいずれか)
慈悲深い神=超人閻魔とは別人だ。
その2人が完璧超人の教えに背いた“反逆者”であるならば、「シルバーマンの裏切り」も意味を持つ。
“反逆者の末路”とは、“S武道の末路”であり、「死んでいないし、どこかで何かを企てている」と考えることもできなくはない。
考えすぎかもしれないが、最近のゆで先生の話の作り方を考えると、単純にS武道=慈悲深い神=超人閻魔と考えるのは間違いではないかと思えてくる。
また、“プラネットマンの意地”も気になる。
プラネットマンが砂となって消え、それを見たバッファローマンが「意地を見た」と言った。
この砂はサイコマンに取り憑いている可能性もあるだろう。
このプラネットマンの砂が意味を持つのであれば、「サイコマン=S武道」の可能性もありそうな気がしてくる。
後に正体暴きに一役買う、プラネットマンの砂。
この先の展開が楽しみでならない。