信じられない錯覚というのがある。
将棋の世界では、トッププロでもウッカリやポカはめずらしくないが、ときにそれが「両対局者同時」に起こることがあり、見ている方も「えー!」 と目が回ることになる。
2015年の第64期王将戦。
渡辺明王将・棋王と郷田真隆九段との七番勝負は渡辺が3勝2敗と防衛に王手をかけ第6局に突入。
角換わり腰掛け銀から大激戦になり、入玉模様の難解な終盤戦が続いている。
角の王手に、後手の渡辺が桂を打って受けたところ。
後手のと金が大きく、寄せるのは難しそうだが、先手も3枚の銀と▲19の香が生きているのも頼もしく、なんとかなりそうにも見える。
先手玉も危なく、その兼ね合いもあり、また駒を使うと、どこかで王手しながら抜かれる筋も警戒しないといけない。
ここからの戦いがすごいのだ。
▲38桂と、ここから王手するのが好手。
ここでは▲47銀が後手玉に圧をかけながら、▲58の金にヒモをつける一石二鳥の手に見える
だが、これには△79飛と打って、▲66玉に△19飛成とカナメの香を除去され入玉が確定。
そこで▲38桂と捨て、△同と、とさせてから▲47銀と打つ。
これなら、△79飛から△19飛成に▲38銀と、と金をはずして後手玉は捕まっている。
なるほどという手で、まるでパズルのようだが、ここは郷田が力を見せた。
渡辺は大ピンチだが、ここで△17飛(!)という豪打(?)を繰り出す。
これがまた、見たこともない筋だが、強い人はこういう「ひねり出す」手にも妙味がある。
将棋は勝ちが決まったあとの収束の仕方と、不利なときのねばり方に棋風が出ると言われるが、クールでロジカルな渡辺から、こういう力ずくな手が飛び出すのも混戦のおもしろさ。
しかし、スゴイ手だなあ。
▲38銀は一手スキにならないから△58飛成で後手勝ち。
▲17同香はそこで△48と、こちらを取り、▲28銀に△99角と打てば詰み。
えらい手があったものだが、郷田は負けじと▲18銀と打つ。
△同飛成、▲同香に後手は△65歩と詰めろをかけ、▲66歩に△69銀と下駄をあずける。
先手玉は詰めろだが、ここでの手番は値千金で、先手に勝ちがありそう。
▲17銀と王手して、△27玉に▲38銀と取る。
△同玉は▲28飛で詰むから△18玉ともぐりこむが、そこで一回▲68金と受ける手が冷静で、先手玉に一手スキが来ない。
いよいよ手がなくなった後手は、△46桂とプレッシャーをかけ「寄せてみろ!」と最後の勝負をせまる。
ここが問題の局面だった。
ここでは▲28飛と打って、△17玉に▲37銀と取っておけば先手玉に詰みはなく、後手玉は必至で明快だった。
ところが、郷田は▲29銀としてしまう。
これが信じられない大悪手だった。
そう、なんと△同桂成と取られて銀がタダなうえに入玉が確定。
それで渡辺が王将防衛だ。
手順を尽くして、ついに勝利をつかんだかに見えたその刹那の一手バッタリ。将棋は無情である。
だが、ドラマはここで終わらなかった。なんと後手は△同玉と取ってしまうからだ。
これには▲28飛と打って、△19玉に▲43成桂と質駒の金を取ってジ・エンド。
感想戦で△29同桂成を指摘されると、ふたりとも「はあ?」。
まさかのまさかだが、渡辺と郷田の両方が、この△29同桂成が見えていなかった。
両者の読みが、あまりにも一致していたせいか、ウッカリもまたおたがいをトレースしてしまったのか。
この後の第7局は郷田が制して王将を獲得するのだから、結果的に見て、とんでもなく大きな錯覚であった。
トッププロ同士でも、こういうことがあるから入玉形の将棋と秒読みは怖いのである。
(郷田がA級昇級を逃した大ポカはこちら)
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