永瀬拓矢が爆発した。
デビュー以来、もともと大器と誉れ高かった永瀬五段であったが、ここに若手棋士の登竜門である新人王戦と、加古川清流戦でダブル優勝(新人王戦決勝の模様は→こちら)。
その評判に、いつわりがなかったことを、見事に証明したのだった。
永瀬の特長といえば、なんといってもその棋風。
これが今どき珍しい、完全なる受け将棋なのだ。
システマチックで、スピード感ある現代将棋で重視されるのは、まず主導権。
とにかく、相手よりも先に攻めたい、リードを奪いたい、一方的にディフェンスに回る展開はさけたい。
現在におけるゴキゲン中飛車や、横歩取りの隆盛は、この主導権争いで先んじることができるからだ。
ところがそんな中、永瀬の将棋は、その逆を行くような受け将棋。
その評判はデビュー前から噂で聞いてはいたが、この若者はとにかく受ける。
まったく攻めない。相手に攻めさせて、それを受ける、受ける、受けて受けて受けまくる。
これぞまさに、個性派の将棋である。
スポーツなどでも、人気がでるのはサッカーのFCバルセロナなど、攻撃型のチームや選手。
将棋界でも「光速の寄せ」の異名をほしいままにする谷川浩司や、佐藤康光、藤井猛など、攻めに迫力がある人はおしなべて華が感じられる。
だが、そんな中、不肖この私はといえば、やや好みの毛色がちがった。
ファンという意味では、一貫して羽生善治であり、それは将棋を知った年にちょうど羽生さんがデビューしたこと。
それに、はじめてテレビで見た棋士が「羽生四段」(NHK杯の対米長戦)だったから一種のすりこみだが、では2推しが誰なのかといえば、これが中村修王将なのであった。
中村王将。
といえば「不思議流」「受ける青春」といわれた、ディフェンスの達人。
あの王者中原誠を、独特のリズム感による受け将棋で破ったのは、将棋界に衝撃を与えたものであった。
今では、一部強豪をのぞいて、将棋は「若い奴が勝つ」が当たり前になっているが、その先鞭を付けたのが中村修ら「花の55年組」。
なので私は今でも、中村「九段」という呼び方には、非常なる違和感を覚える。
屋敷伸之が「棋聖」、藤井猛が「竜王」であるように、中村修の称号は、断じて「王将」でなければならないのだ。
そう、私は将棋に関しては天下御免の「受け将棋萌え」なのであった。
そんな男にとって、永瀬の登場は久しぶりに「おお!」と思わせるものであった。攻め将棋がこれほど幅をきかす中、こんなにも守る若手がいるとは。
私の期待も大いに高まろうというもの。次回は、その永瀬の独特すぎるプレースタイルについて、さらにくわしく語っていきたい。