月のたび

日々の日記

時はしみじみ過ぎゆく

2018-02-03 22:28:57 | しみじみ(滋)


久しぶりの投稿。

今日仕事で行ったお宅は、おばあさんの一人ぐらしで、お孫さんが近くに住んでいて、もうすぐ引っ越しに来るので楽しみだというので、あれやこれや話を聞いていると、今どきの子供たちは、私のころとは大違いで、考えがしっかりしている、おこないもしっかりしている、とつくづく思った。

「おばあさん、もう夜で寒いので、今夜は失礼しますが、外まで出て風にあたるとよくないので、お見送りは玄関までで結構です。」

なんてこと、中学生が口にするのかあ...。

もうオレこのお孫さんに負けてる...。

でも、まあ、現代が少子化ってことは、大人ばかりに囲まれて生きていれば、考え方も自然と大人びてくるのかもな。

それでもちょっと、他人ながら気になったのは、そのお孫さんは小さい時から、子供らしい遊びやテレビ番組よりは、読書したり、新聞よんで、世間的な話題に関心を持つような、いわゆる立派な子供で、ちゃんと将来の夢をお持ちなのだそうだ。それで、進学先はちゃんと決めていて、そのための勉強をちゃんとしている。

だけど、なんか、オレがその立場だと、何となく気になる。別にいいけど、できすぎ、とか成績良すぎの天才少年は、将来が怖い。

そのときに、杜甫のいい詩を思い出した。

  甫は昔少年の日、早くも観国の賓に充てらる
  書を読みて万巻を破り、筆を下せば神有るがごとし
  賦ははかる揚雄の敵なりと、詩は看る子建の親なりと
  李ようは面を識らんことを求め、王かんは隣をぼくせんと願う
  …

一体、人は何の為に生きているのか。何が幸せなのか、本当はわからないのじゃないか。わからないが、必死になればなるほど、自分のなかで、見えてくるものがあると思う。そうなんだけど。

わたしも、皆さんも今の目の前にあることを頑張ろう!

そこで、ひとついいことが、心に残ったいいことがある。

「手を合わせるのは、何の為ですか?」って問う人があったという。

そのお坊様は「手を合わせるのは、『ありがとうございます』ということです」と答えられました。

今夜もよく眠れそうだ。ではでは

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