久しぶりの投稿。
今日仕事で行ったお宅は、おばあさんの一人ぐらしで、お孫さんが近くに住んでいて、もうすぐ引っ越しに来るので楽しみだというので、あれやこれや話を聞いていると、今どきの子供たちは、私のころとは大違いで、考えがしっかりしている、おこないもしっかりしている、とつくづく思った。
「おばあさん、もう夜で寒いので、今夜は失礼しますが、外まで出て風にあたるとよくないので、お見送りは玄関までで結構です。」
なんてこと、中学生が口にするのかあ...。
もうオレこのお孫さんに負けてる...。
でも、まあ、現代が少子化ってことは、大人ばかりに囲まれて生きていれば、考え方も自然と大人びてくるのかもな。
それでもちょっと、他人ながら気になったのは、そのお孫さんは小さい時から、子供らしい遊びやテレビ番組よりは、読書したり、新聞よんで、世間的な話題に関心を持つような、いわゆる立派な子供で、ちゃんと将来の夢をお持ちなのだそうだ。それで、進学先はちゃんと決めていて、そのための勉強をちゃんとしている。
だけど、なんか、オレがその立場だと、何となく気になる。別にいいけど、できすぎ、とか成績良すぎの天才少年は、将来が怖い。
そのときに、杜甫のいい詩を思い出した。
甫は昔少年の日、早くも観国の賓に充てらる
書を読みて万巻を破り、筆を下せば神有るがごとし
賦ははかる揚雄の敵なりと、詩は看る子建の親なりと
李ようは面を識らんことを求め、王かんは隣をぼくせんと願う
…
一体、人は何の為に生きているのか。何が幸せなのか、本当はわからないのじゃないか。わからないが、必死になればなるほど、自分のなかで、見えてくるものがあると思う。そうなんだけど。
わたしも、皆さんも今の目の前にあることを頑張ろう!
そこで、ひとついいことが、心に残ったいいことがある。
「手を合わせるのは、何の為ですか?」って問う人があったという。
そのお坊様は「手を合わせるのは、『ありがとうございます』ということです」と答えられました。
今夜もよく眠れそうだ。ではでは
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