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生き抜く心得「礼儀作法・情に厚く・争いを避ける」『戦国残照お江とその時代』

2024-05-28 07:33:57 | 歴史から学ぶ
戦国の女の生き様は男次第、3度の政略結婚はお江の波乱の人生となったが、最終的には徳川家の正室として権力を握り、穏やかな晩年を過ごした。しかし、次男忠長が切腹に処された悲しい出来事もあった。お江は情に厚く争いを避け、礼儀作法を重んじる女性だった、とある。そういった心構えは時代を問わず人間性が重要であり、現代でも男女問わず周りから慕われる人柄を持つことが素晴らしい生き方につながる、と思う。
『戦国残照お江とその時代』志村有弘
「概要」男たちの戦いの裏で展開した、命の継承をめぐる女たちの闘い― 歴史と物語の接点を現代視点で読み解く! お江の父・浅井長政は、信長との闘いにより自刃。生き延びた母お市も越前・北之庄にて自刃。戦乱の世に生を受け、数奇な運命に翻弄されたお江は、三度目の婚姻により二代将軍・秀忠の正室となった。大奥での春日局と熾烈な暗闘、家康の背後で動く黒衣の宰相・天海。次代の将軍は忠長か家光か。歴史と文学をつなぎ、崇源院・お江と彼女の生きた時代を浮き彫りにする。 戦国の覇者、信長は本能寺の変で最期を遂げた。信長を弑した光秀一族も秀吉の前に滅び、その秀吉が生涯を閉じると、家康と嫡男・秀忠と豊臣秀頼・淀殿との熾烈な戦闘が展開された。 弱者は強者に従う。これが、戦国時代の宿命である。二代将軍・徳川秀忠と妻お江の時代は、まさに戦国残照という名称がふさわしく、信長から続く戦国時代の覇者たちの延長線上に存在するものであった―
ー母お市の方(浅井長政と婚姻)とには3娘、その後柴田勝家と婚姻、賤ヶ岳で勝家と自刃する
    お市の方:悲劇の女性・愛すべき三人娘を得て37歳で没
    茶々(秀吉の側室となり淀殿・鶴松は3歳で亡くなり、秀頼を出産)
    おはつ(近江の京極高次と婚姻)
    子督(佐治一成と婚姻、羽柴、秀忠と3回目の婚姻・お江与の方)
お江は信長の妹お市の方の三女、3度の政略婚姻(23歳)で徳川秀忠(2代将軍)に嫁ぐ。
    12歳で佐治一成、羽柴秀勝(娘定子出産)、23歳で徳川秀忠の3回目の婚姻
ー将軍継承問題でお江は忠長を推奨したが家康の一言で育ての母春日局の家光が将軍となる
    春日局(御福)は父斎藤歳三、乳母に徹し竹千代を育てた意思が強い女性
    忠長は甲斐国主となったが猿狩などで家老が蟄居させられたことで怒り後に切腹
    忠長は家光より才覚があったが家康の長子が継承する事を決めた
ー徳川秀忠38歳から45歳での将軍としての功績
    参謀:土井勝利、酒井忠世、青山忠俊ら(家康75歳死後・38歳で独裁将軍となる)
    大阪・下田奉行・関所等への組織整備の条例
    神田上水の開設、人身売買や一季奉公の禁止、煙草作り禁止
    キリシタン活動禁止、貿易の制限(鎖国への布石)    
お江の子供(秀忠とに3男5女)秀忠は恐妻家で側室の子を養子に、後の保科正之
    千姫(豊臣秀頼の正室)
    家光(竹千代・3代将軍・乳母春日局は明智光秀の姪)
    忠長(国松・大納言・高崎藩で自刃)
    和子(後水尾天皇の中宮、娘の興子は女帝明正天皇)
ーお江与の時代背景と功績
    女は戦略的婚姻でのスパイ役など社会的地位は低く唯一子を授かり地位を得ること
    美貌に恵まれ情に厚く、上下に慕われた、争いはなく、礼儀作法を遵守した
    虚弱そうで女として子を産む力はあり強く、子(国松)を溺愛した



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