それまでの年2回と変わって、昨年から年1回の旅行となった。今年は、1人が体調不良で初めて3人の旅行となった。次回からいつもの通り4人での旅ができるように、早い回復を祈っている。
今朝は雲一つない快晴。家から300mほどのバス停から6分遅れでやってきたバスに乗って(¥200)、11分後に水戸駅北口に9時15分に到着。いつものように、水戸黄門様一行に挨拶をして、この度の無事をお願いした。駅構内のマックでチキンクリスピーマッフィンとコーヒ(会わせて¥200)をのんびりと摂った。
水戸駅9:53発の特急「ときわ70号」に乗車、11:13予定通り東京駅に到着。「深川めし」(¥980)の駅弁と「静岡茶」(¥134)を買って、11:33東京駅発の「ひかり511号」にの乗り込んだ。いつものように富士山が見えるようE席を取った。
でも小田原辺りより雲が空に広がって、結局富士山は見えなかった。結局今年はまだ直接富士山を見ることができていない。
名古屋駅に予定通り13:17到着。中央線のプラットフォームで電車を待っている間に、同行の2人に会った。別々の場所に住み別々に名古屋駅まできて、名古屋駅から同じ電車に乗るが別々に予約してきたのでここで、今回初めて会った。でも予約を各自でしているので、座席は別々だ。
14:00名古屋駅発「しなの15号」、14:49中津川駅に到着。駅前に「栗きんとん発祥の地」なる石碑が建っていた。ここは、栗きんとんで有名な街らしい。歩いて中山道歴史資料館を見るため駅前の大きな通りを南東方向に向かい、新町の交差点を右に曲がり中山道に入った。すぐ左手には栗きんとんで有名な「すや」があり、そこで今回来られなかった友人のために栗きんとんを宅急便で送った。さらに真っ直ぐ進んで、四ツ目川を渡ってすぐのところの「中山道歴史資料館」に入った(入場料¥320)。内部展示物は撮影禁止。
中で驚いたのは、市岡殷政(長右衛門)氏や間半兵衛(秀矩)氏などの資料があったことだった。小生は歴史が好きで、水戸天狗党のことも学んでいて、天狗党の西上の際、元治元年(1864)11月27日には中津川宿の本陣で逢っている。ここで、道中奉行の横田藤四郎(祈綱)が和田峠で戦死した三男藤三郎(元綱)の首を渋紙に包んで「見知らぬ土地に埋めるのは不憫」として持ち歩いていたのを藤田小四郎などが国学者の市岡に頼んでいる。市岡は同じ国学者の間、肥田九郎兵衛(通光)とともに市岡家の墓所に埋葬した、この市岡、間氏などの名前をこの資料館で発見して感激した(水戸天狗党の上記件などには特に記載はなかったが、このときの市岡、間などがこの中津川で資料館に展示されているのに驚いた)。資料館員のおすすめもあってすぐ脇に一部復元されている脇本陣をみて、中津川駅に戻った。
16:00に迎えにきた今夜泊まる栗本温泉料理旅館「藤」のワンボックスカーに乗り込んで、16:20旅館に到着した。17時過ぎ頃から3人揃って風呂に入って、18時頃から別の部屋に準備されていた夕食を摂った。今夜のメニューは「吾亦紅」となっていて、目玉は松茸料理のようだった。
21時過ぎ頃になって、お姉さんたちが片づけ始めたので部屋に戻った。部屋に戻ると、布団が敷いてあった。小生は、部屋の電気ポットでお湯を沸かし、持参してきたドリップ式のコーヒを淹れて飲んだ。その後も話に花がさいて、残りの2人は23時半ごろに布団に入ったが、小生は、本日のニュースをテレビで見て24時頃消灯した。
今朝は雲一つない快晴。家から300mほどのバス停から6分遅れでやってきたバスに乗って(¥200)、11分後に水戸駅北口に9時15分に到着。いつものように、水戸黄門様一行に挨拶をして、この度の無事をお願いした。駅構内のマックでチキンクリスピーマッフィンとコーヒ(会わせて¥200)をのんびりと摂った。
水戸駅9:53発の特急「ときわ70号」に乗車、11:13予定通り東京駅に到着。「深川めし」(¥980)の駅弁と「静岡茶」(¥134)を買って、11:33東京駅発の「ひかり511号」にの乗り込んだ。いつものように富士山が見えるようE席を取った。
でも小田原辺りより雲が空に広がって、結局富士山は見えなかった。結局今年はまだ直接富士山を見ることができていない。
名古屋駅に予定通り13:17到着。中央線のプラットフォームで電車を待っている間に、同行の2人に会った。別々の場所に住み別々に名古屋駅まできて、名古屋駅から同じ電車に乗るが別々に予約してきたのでここで、今回初めて会った。でも予約を各自でしているので、座席は別々だ。
14:00名古屋駅発「しなの15号」、14:49中津川駅に到着。駅前に「栗きんとん発祥の地」なる石碑が建っていた。ここは、栗きんとんで有名な街らしい。歩いて中山道歴史資料館を見るため駅前の大きな通りを南東方向に向かい、新町の交差点を右に曲がり中山道に入った。すぐ左手には栗きんとんで有名な「すや」があり、そこで今回来られなかった友人のために栗きんとんを宅急便で送った。さらに真っ直ぐ進んで、四ツ目川を渡ってすぐのところの「中山道歴史資料館」に入った(入場料¥320)。内部展示物は撮影禁止。
中で驚いたのは、市岡殷政(長右衛門)氏や間半兵衛(秀矩)氏などの資料があったことだった。小生は歴史が好きで、水戸天狗党のことも学んでいて、天狗党の西上の際、元治元年(1864)11月27日には中津川宿の本陣で逢っている。ここで、道中奉行の横田藤四郎(祈綱)が和田峠で戦死した三男藤三郎(元綱)の首を渋紙に包んで「見知らぬ土地に埋めるのは不憫」として持ち歩いていたのを藤田小四郎などが国学者の市岡に頼んでいる。市岡は同じ国学者の間、肥田九郎兵衛(通光)とともに市岡家の墓所に埋葬した、この市岡、間氏などの名前をこの資料館で発見して感激した(水戸天狗党の上記件などには特に記載はなかったが、このときの市岡、間などがこの中津川で資料館に展示されているのに驚いた)。資料館員のおすすめもあってすぐ脇に一部復元されている脇本陣をみて、中津川駅に戻った。
16:00に迎えにきた今夜泊まる栗本温泉料理旅館「藤」のワンボックスカーに乗り込んで、16:20旅館に到着した。17時過ぎ頃から3人揃って風呂に入って、18時頃から別の部屋に準備されていた夕食を摂った。今夜のメニューは「吾亦紅」となっていて、目玉は松茸料理のようだった。
21時過ぎ頃になって、お姉さんたちが片づけ始めたので部屋に戻った。部屋に戻ると、布団が敷いてあった。小生は、部屋の電気ポットでお湯を沸かし、持参してきたドリップ式のコーヒを淹れて飲んだ。その後も話に花がさいて、残りの2人は23時半ごろに布団に入ったが、小生は、本日のニュースをテレビで見て24時頃消灯した。
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