○昭和30年(1955)度
昭和30年(1955)5月7日 第五回通常総会開催 於菅谷村小学校
総組合員数 533名
出席者数 330名(内委任状39名)
役員改選 理事16名 監事3名
5月13日 組合長 濱中東重郎(非常勤)選任
5月27日 専務 藤野喜十(常勤) 選任
7月20日 根立トシ子 採用
7月31日 吉田愛子 退職
○夏乳増産共励会実施
○家畜共済制度の改正
○役員会生産、販売、購買の各部門制発足
○サイロ形枠購入。サイロ設置推進
○12月 倉庫建設 土地56坪購入 購入価格69850円
倉庫木造平 30坪 価格117228円
(この倉庫は横塚氏より車庫を贈与され倉庫に改築建造した。これに対し組合は感謝状と金一封を贈った。)
31年(1956)春、発足して間もない高坂農協酪農部(高坂支部)は、高坂農協の役員改選により酪農部の指導者も変った。そこで雪印乳業の問題が発生し、酪農事情に浅い指導者達は酪農の現況を把握できないまま、目先きの問題に翻弄され、生産者戸惑いのなかで、新方向に傾倒の傾向が現れ、高坂内部に於て明治武蔵酪農系と雪印農協系との間に於て激烈な攻防戦となり、明治乳業及び当組合の役職員指導陣の昼夜に亘る活動は激烈なものであった。結果的には25名が半々に分裂し、農協酪農部は雪印乳業と契約した。当組合に残った13名は農協酪農部を離脱し、高坂支部として安定的な発展を成した。高坂農協酪農部は指導部の弱体から数年後生産者共々崩壊した。この時大岡支部に於ても数名のものが雪印に出荷し支部が分裂した。
武蔵酪農農業協同組合編集・発行『武蔵酪農創立四十周年の歩み』(田村孝一執筆 1990年1月)20頁