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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

桜の花を訪ねて5 平沢寺のさくら 1981年

2009-03-27 12:27:00 | 嵐山町の桜

 不動さまと白山神社(嵐山町平沢968-2)と平沢寺(嵐山町平沢977)は同じ高台にある。
 ひっそりとした境内の桜だけが散っていた。
 白山神社には「太田資康詩歌会址」の碑が昭和十五年(1940)建てられている。碑に云う「月ヲ観賞シ風雅ヲ講ズトイヘルハ即チ当所ノ事ニシテ当代武人ノ風格ヲ偲ブベキ遺址ナリ」と。
この地を訪れた万里僧は「社頭の月」と題して詩を作った。

  一戦勝二乗ジテ勢尚加ハル
  白山ノ古廟沢南ノ涯
  皆知ル次第二神助ケ有ルヲ
  九月春ノ如ク月自カラ花ナリ

 平沢寺は天台宗の寺院で三十六の堂坊があり、かなり大きな寺で一の門は青鳥に、二の門は延命橋にあったという。これらの堂坊は天正十八年(1590)松山城落城の際焼失したと云われる。この時、寺の釣鐘が前の田んぼに落ちたまま埋もれていると伝えられている。地元の人たちは、この釣鐘を掘り出すよう町に頼んでいる。
 平沢寺には県指定考古資料の経筒があるが蓋がない。話によると経筒の価値を知らない坊さんが煙草の灰たたきに使って一緒に持って行ってしまったのだという。
 平沢寺の下にアカ井の水と呼ばれた井戸があり絶ゆることなくきれいな水が出ていた。地区の人たちは、この水を汲んで家まで運び生活用水にあててくらしてきた。昭和三十三年(1958)に新農村建設事業として共同給水施設をつくり、ここを水源にして水を各戸に引いて苦労は解消した。
 今日、平沢寺の七堂伽藍の壮大さも、武蔵武士たちの合戦の激しさも、肩で水をかついだ生活も、昔の面影はどこにも見当たらない。
     『嵐山町報道』298号 1981年(昭和56)6月1日

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