π氏の「顔文字」から
えっけんさんの「文字だけで自分の思いを伝えてみたい」と
じゅん吉さんの「文字だけでは自分の思いの伝わらないむなしさ」に飛びました。
ふむふむと読みながら、
いろいろなことを思いつつ。
敬語、ですますといった丁寧語は、
「敬意」や「丁寧」といった意味の他に、
「敬遠」や「距離をおく」という役割を持つ部分がある。
相手に親しみを感じて、
この後者の意味をはずしていきたいと思うときに、
声も表情もなく、どうやって、文字だけで表していくか。
この辺は、人間関係を作っていく中で、
文字だけの世界では、「小さな賭け」の繰り返しのような気がします。
多少、大胆なはずし方をして、
賭けに勝つ時もあれば、負ける時もある。
その方法論の一つとして、
顔文字が使われる場合もあるのでしょう。
もともと、自分のキャラ立ての道具として使ってる人は
うまいですね、使い方が。
ただ、
ニュアンスを伝える「道具」という意味では、
文字よりも、どうにでも伝わるという危険もあるよなあと。
「親しさ」としての微笑みを表してるつもりでも、
慣れ慣れしすぎる感を与える場合もあるし、
「ウケた」笑いを出してるつもりでも、
嘲笑に取られる場合もあるでしょう。
同じ顔文字でも、
発する相手によって、受ける感触が違う、
こういうことも、まあ、あることなのではないかと。
結局は、
コミュニケートを取りたい相手と自分との
今現在の「距離」ということに対しての
アンテナというものが関係してくるのではないかとも思います。
わたし個人としては、
なんか、こう、
「自分と違うタイプの人間がつくった文化」
みたいな感じが、あって、
居心地の悪いモノではありますね、顔文字。
他者と、その顔文字に共通する意味がつかめていないのではないか
ってことを感じることもあるというか
だから、どこか「外国語」的で、
なんとか意味はつかめるけれども、
自分の言葉になるには、ちょっと距離があるなあという感じです。
たった数年のスパンで急に出てきた「記号」の意味するものよりも、
自分が成長の中でずっと使い続けてきて、
自分の中で、確実に文化になっている
普通の文字の力の方を
やっぱり信じたいと思うのですよね。
*TB
π氏の「顔文字」
えっけんさんの「文字だけで自分の思いを伝えてみたい」
じゅん吉さんの「文字だけでは自分の思いの伝わらないむなしさ」
*追加TB
Oriasuさんの「言葉と表情と顔文字」
えっけんさんの「文字だけで自分の思いを伝えてみたい」と
じゅん吉さんの「文字だけでは自分の思いの伝わらないむなしさ」に飛びました。
ふむふむと読みながら、
いろいろなことを思いつつ。
敬語、ですますといった丁寧語は、
「敬意」や「丁寧」といった意味の他に、
「敬遠」や「距離をおく」という役割を持つ部分がある。
相手に親しみを感じて、
この後者の意味をはずしていきたいと思うときに、
声も表情もなく、どうやって、文字だけで表していくか。
この辺は、人間関係を作っていく中で、
文字だけの世界では、「小さな賭け」の繰り返しのような気がします。
多少、大胆なはずし方をして、
賭けに勝つ時もあれば、負ける時もある。
その方法論の一つとして、
顔文字が使われる場合もあるのでしょう。
もともと、自分のキャラ立ての道具として使ってる人は
うまいですね、使い方が。
ただ、
ニュアンスを伝える「道具」という意味では、
文字よりも、どうにでも伝わるという危険もあるよなあと。
「親しさ」としての微笑みを表してるつもりでも、
慣れ慣れしすぎる感を与える場合もあるし、
「ウケた」笑いを出してるつもりでも、
嘲笑に取られる場合もあるでしょう。
同じ顔文字でも、
発する相手によって、受ける感触が違う、
こういうことも、まあ、あることなのではないかと。
結局は、
コミュニケートを取りたい相手と自分との
今現在の「距離」ということに対しての
アンテナというものが関係してくるのではないかとも思います。
わたし個人としては、
なんか、こう、
「自分と違うタイプの人間がつくった文化」
みたいな感じが、あって、
居心地の悪いモノではありますね、顔文字。
他者と、その顔文字に共通する意味がつかめていないのではないか
ってことを感じることもあるというか
だから、どこか「外国語」的で、
なんとか意味はつかめるけれども、
自分の言葉になるには、ちょっと距離があるなあという感じです。
たった数年のスパンで急に出てきた「記号」の意味するものよりも、
自分が成長の中でずっと使い続けてきて、
自分の中で、確実に文化になっている
普通の文字の力の方を
やっぱり信じたいと思うのですよね。
*TB
π氏の「顔文字」
えっけんさんの「文字だけで自分の思いを伝えてみたい」
じゅん吉さんの「文字だけでは自分の思いの伝わらないむなしさ」
*追加TB
Oriasuさんの「言葉と表情と顔文字」
虎くれたらすぐに気付いたんですよー!!
自分の記事では書かなかったんですけど、πさんの記事のコメント欄で書いたものが、顔文字に対する考え方です。
その意味が共通認識として得られるもので無ければ意味がない、ということです。
ありがとうございました。
いや、あの~、
わたし、トラックバックの入れ方が、
よくわかってない、というか。
一件の投稿に一件しか入れられないのですよね?
π氏は二件、入れてるなあと思いつつ。
ホントは、行ったとこ、全部入れたいトコだったのですが、
一件だけなら、
この流れの発端のトコ、と思って、
じゅん吉さんのトコ、行ってきました。
お心遣い、ありがとうございます。
このコメント蘭って、修正や削除、できないんですよね。
毎度、緊張です。
数年前は、
わたしは「顔文字は大嫌い」と公言してはばかりませんでした。
いろいろな理由がありましたが、
それでも使う人は多いですし、
それなりに受け慣れもしていきますし、
使う人、使いたい人を傷つけるようなことも言いたくないなと、
「あくまでも自分は」みたいな感じで軟化していったような感じですね。
私の場合、古い人間で、はじめての方などは崩した文体ではなかなかかけないんですよ。だから正直言って、「敬遠」や「距離をおく」のパターンになっちゃうんでしょうね。
でもできるだけ親しみ込めて書くようにはしていますよ。相手がどう思っているかは別にしてですが。
実際私も顔文字は基本的には使いません。いや使えませんが正解でしょうね。顔文字文化で育ってないのでしかたがありません。
でも私に対して顔文字などを使ってくださるのは、親しみを込めて使って下さっていると思っていますのでどんどん使っていただいてOKなんですけどね。
ところで、
> 文字だけで伝わることを信じたい
この本題にあるように、私もこれを信じたいです。
でもどうしてもコメント残す時など、短い文章を書くとなると、感嘆符!や、はてなマーク?音符♪などを使わざるを得ない時ってあるように思います。さすがに顔文字だけは私の場合、恥ずかしくて使えません。
結局書く側と読む側が一致していれば、「アホカ!」とか「バカヤロー!」でも挨拶として通じるのかもしれませんが、公共の場で書くということは、たとえ、私に書いてくれた文章であっても、公共的な文書として、多くの方が目を通すために、当然、文字を選ばなければいけないのでしょうね。
それが、ブログとメールの違いでもあるのでしょう。
だから、ブログで文章書く場合、できるだけ文字だけで自分の気持ちを伝えられるようにしたいと思っています。
今回は、トラックバックとブログピープルの登録とってもうれしく思っています。これからちょくちょく遊びにくると思いますが、こう少し、砕けたコメントになるかもしれませんが、その時はお許しくださいね。
トラックバックの件、ブログピープルの件、
後でごあいさつにうかがおうと思っていて。
申し訳ない、です。
さて、わたしはπ氏やじゅん吉さんのように、
「ネーミングの天才」ではなく、
なんか、こう、直球しか投げられないとこがありまして。
satomiesなんてのは、こうIDのまんまだし、
自分のHPで使ってるHNなんてのは、
まんま、一時期の仲間内の呼び名だったりするわけで。
ついでに言えば、
IDだって、自分の名前で取れるパターンをさがしただけで。
もう、どこからどこまで、まんま、ですね。
このブログも
昨日、急に思いつきで、タイトル変更しちゃいましたし、
そこにHNもからんでくるというか。
その辺は、まあ、
π氏のページの「■タイプ別性格判断」の
コメント部分での話題で、というとこです。
と、いうことで「本題」ですが。
「使えませんが正解」「顔文字文化で育ってない」
この辺、
そうそうそうそう、という感じです。
個人的なとこでついでに言えば、
わたしは中高生頃によくやる
いわゆる「身内言葉」的なモノも、あまりのれなかったクチなんですよね。
いまだに「アタシ的には」って言い方もついていけません。
なんとなく、ノリで一緒のモノを、ってのが、どうもできない。
「こっぱずかしいゼ」みたいなトコもありますしね。
娘がダウン症なんですが、
ダウン症児のことを「ダウンちゃん」てな言い方をよくするんですが、
コレもついていけません。
その辺は、まあ、コレもキャラってことなんでしょう。
それと「ブログとメールのちがい」って、
コレもありますよね。
「掲示板とメールのちがい」ってのもそうなんですが。
公開された場で使う言葉というのは、
特定の相手にあてたものでも、
特定の相手だけにあてたことにはならないものってトコも
あるんではないかとも、思うんですよね。
と、この辺は、まあ、「意見」というか「見解」なのですが。
今回のこのじゅん吉さんのお話で一番思ったのは、
顔文字うんぬんとか、ってことよりも、
やはり、じゅん吉さんと名乗る方のお人柄だなと。
表現がうんぬんってことではなくて
自分が他者に「伝える」ということに対しての謙虚さが
テーマになっていること、
そのことに感じ入ってましたね。
だからこそ、
「むなしさ」で始まったものが
「伝えてみたい」につながったのだろうし、
それを「信じたい」に持っていきたかったというか、
そんな感じなんですわ。
最後に「距離感」ということ。
わたしは実社会でもネット上でも、
ほとんど人見知りというものをしないんですよ。
だからこそ、
自分が簡単に飛び越えてしまう距離というものが、
相手にとって、失礼にはならないかと、
気を配るところがあります。
そして、今回のテーマのように、
話すテーマの根底の部分が見えていれば、
伝えたい内容や、その姿勢がはっきりしてるので、
言葉の言い回しや表現がどうのということは、
あまりたいしたことでもないかな、などと思いました。
さて、いただいたコメントの最後の3行ですが。
わたしは直球女ですから、
いまさら「あれは社交辞令です」って言っても
もう遅いです、よ~~。
今後とも、どうぞ、よろしくです。
> 直球女ですから
ふふふ。とっても気に入っちゃった!!
ウソじゃないですよ。
ちゃんとぶろぴ登録してあるから
いやでも?きちゃうよ!!
へへ?
ただコメントは時々になるよ。
これは正直に言っておくよ。
ところで、わたしは横浜市民です。
あと、プロフを見て言いたくなったことが一つ。
「チクロって知ってる?」
しか浮かばないけど?
何?気になる。
既知かと思ったら、未知でしたか。
発ガン性のある人口甘味料です。
発ガン性がわかってから、いろんな広告に
「チクロは使っていません」って出たのですよ。
「コカ・コーラはチクロは使っていません」とかね。
この発ガン性がわかるまでは、
子どもの口の中を真っ赤っかにするお菓子とかは、
ほとんどが、チクロを使っていたというか。
で、観光地のゲーセンとかで、
「コレ、どこのメーカーのお菓子ですか?」
みたいな景品が出てくるヤツがあるじゃないですか。
そういうときに、
「あ、チクロ入ってるゾ」ってのが、
ギャグとして通じる世代と、全く通じない世代があるわけで。
プロフ見て、
もしや通じるか、と思ったのだけど。
ふむ、知らなかったですか。
ま、こんなトコもありました、「チクロ」記述。
http://www.maboroshi-ch.com/sun/pha_12.htm
では、プロフからの「第二問」をあげておきましょう。
「オーロラ三人娘」は既知ですか?
彼女たちが歌っていた歌は、歌えますか?
正解か。。。