S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
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2004年08月31日 | ブログ開設とその後
ブログを開き、
投稿を入れ始めたのが8月9日。
初投稿の内容は、やってきたスパムの紹介と
短文のコメントです。

コメントは、短文で、おさえました。
表面上は短文ですが、
この短文のコメントを入れるために、
かなりたくさんのページを開きました。

思うところはたくさんありましたが、
とりあえず、意識してコメント部を短文におさえたところはあります。
それは、無理に疾走して息切れすることになれば
自分が持たないと思ったからです。
わたしはせっかく開いた「場」を
自分のために、大切に扱いたかった。
まだまだ、この手のメールは自分のところにありましたし、
それを列挙しながら、
列挙するときに調べるページを見ながら、
生まれていくこともあるだろうと思うところもありました。

開いたページには、
ブログもありましたし、
普通の日記サイトも掲示板もありました。
ページとして、それを出さなかったのは、
自分にとっては、
どこもリンクするまでには価しなかった。
「自分の知りたいことが話題に出ている」のみが
抽出される情報でした。

わたしの欲しいのは、
その「問題」の「その先」で、
自分にとっての興味や関心は、
まさに、「その先」でした。

ブログを開いたということ、
そのページの存在、
それは誰にも知らせずにすすめていました。
自分が公開された、インターネットの「海」に出した道標は、
ただgooの「新着ブログ」と「新着日記」、そして「ブログ内検索」のみでした。
その膨大なリストの中から、誰かがピックアップして
やってくるとまでは思っていませんでしたし、
まだまだ、「公開」というレベルではなく、
自分にとっての「思考」の布石を積んでいる段階でした。
それでも、
公開された場に出していくことは
元々の思惑通り、
「表明の緊張感」を充分に感じるものでした。
「表明の緊張感」とは、
自分の出す言葉に対して、責任を持っていくことの緊張感で。

受信したメールの列挙と、短文のコメント。
表面上に出てくるのはコレだけでしたが、
そのために自分が調べるページの多さと
そこで自分が拾い始めるものに対して、
わたしは高揚感を感じ始めていました。

自分の持った「ブログ」というものの認識、

ブログというものは、
自分の開いた「家」で、
「広く他者に向かって、意見交換の可能性を提示できる」
場であると、解釈したのです。
(「ブログ開設まで」から引用)


ここに行くまでの、
まだまだ準備段階と思いながら、
緊張感と高揚の中、
わたしはせっせと投稿を入れていきました。
                    (つづく)

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