“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

集団的自衛権の容認 反対の声を結集しよう

2014年08月26日 12時59分06秒 | 臼蔵の呟き

安全保障会議の設置、特定秘密保護法強行・14年末からの運用開始と着々と戦争できる国への準備を進める自民党政権、自民党。彼が掲げる綱領、憲法改正草案にそった政治行動は、個人的な問題ではなく、彼らが政権与党である限り、国会、司法への適応を進めることは間違いの無いことと思います。その意味では、彼らは確信犯であり、国会審議にいつかけるかは彼らの思惑を国民の目からそらす、目くらましのような効果を期待しています。

彼ら自身は、憲法を改正し、自衛隊を日本軍に格上げし、徴兵制の復活、軍法会議の設置、海外でのすべての武力行使を憲法上容認する。また、天皇制を名実ともに政治に位置づけ、大日本帝国時代の位置づけに回帰させること。その結果、主権は、天皇にあり、臣下である国民と言う関係を憲法上も規定したいと考えています。そうすれば、警察権力、日本軍に関する統率権を天皇の権威を使って絶対化することが出来る。その権力に反対する勢力、民主的運動を天皇制に反するものとして規制し、処罰することが常態化する。ここまでくれば、自民党の目的は99%達成したと言うことになるのでしょう。しかし、国民の基本的人権は踏みにじられ、民意などと言う言葉は死語になります。

 「意思表示の方法はいろいろとある。知恵を出し合い、一人一人の声を集めることが力になる。 閣議決定されたとはいえ、まだ集団的自衛権を行使できるようになったわけではない。自衛隊法など、関連する法律を改める必要がある。対象は10本を超えるとされる。法整備できなければ、行使にストップがかかる。」
 彼らの思惑にはまり、軍門に下らぬように少しずつの努力を重ねることの大切さを感じます。また、多くの地方紙の主張、キャンペーンにも時代の変化を感じます。

<信濃毎日社説>集団的自衛権の容認 反対の声を結集しよう

 集団的自衛権の行使容認に反対する「戦争をさせない1000人委員会・信州」が7月中旬に発足した。翌日報道で知った北信在住の川俣時子さん(60)は早速、インターネットで姉、叔父とともに賛同者に加わった。

 「危機感はあるけれど、何もできない」。行使容認の閣議決定に対し、そんなもどかしさを感じていたからだ。

 95歳の父はインドネシアのスマトラ島で終戦を迎えた。93歳の母は東京大空襲を体験している。いつ死んでもおかしくない戦地での日々、人がごろごろと横たわった空襲後の惨状…。幼いころから繰り返し、両親の話を聞いてきただけに、平和への思いは強い。

 戦争を知る人たちが少なくなる中、父親の体験を書き残しておこうと、「吾(わ)が父の記」と題する文章をまとめ、参加する同人誌にことし、掲載した。

 集団的自衛権をはじめ、平和国家としての戦後の歩みが転じられようとしている。「これから、どうなってしまうのか。子どもや孫のことを思い、心配している人は近所や知り合いにもいます」

 1000人委員会は、全国で組織されている。憲法学者や作家らが呼び掛けて3月に東京で発足したのを受けた動きだ。県内では7月に全県、今月上旬に松本地区の組織ができた。地区ごとに準備を進めており、9月には長野と木曽でも発足を予定する。

   <法整備を阻止する>

 全県組織の呼び掛け人には、これまでに97人が名を連ねた。地区組織を全て立ち上げた上で、学習会や署名活動などを通じ、賛同する人を増やしていく考えだ。川俣さんのように危うさを感じている人たちには、意思表示の一つの手段になる。

 閣議決定されたとはいえ、まだ集団的自衛権を行使できるようになったわけではない。自衛隊法など、関連する法律を改める必要がある。対象は10本を超えるとされる。法整備できなければ、行使にストップがかかる。

 政府は、来年の通常国会で一括して扱う考えだ。米軍普天間飛行場の移設問題を最大の争点とする沖縄県知事選が11月にある。来春には統一地方選が控える。秋の臨時国会に出さないのは、選挙戦への影響を避けたいからだろう。

 議論を下火にするわけにはいかない。法案の提出が先送りされることで、政府に対して異を唱える時間は増える。法整備の阻止や閣議決定の撤回に向けて、反対の世論を高めたい。

 私たち長野県民は1953年に浅間山で持ち上がった米軍演習地の計画を断念させた経験を持っている。

 標高1400メートルから山頂にかけての約5千ヘクタールを演習地にする計画だった。米軍が北佐久郡軽井沢町に申し入れた。これを知り、地元の青年らが始めた反対運動は、全県へと広がった。

 結局、火山観測所を置く東大地震研究所の観測に支障が出ることなどを理由として、申し入れから3カ月で撤回された。

 市民の力によって政治を動かし、事態を変えた一つの例だ。当時とは時代や社会の状況が違う。そのまま再現できるものではないだろう。それでも声を上げることの大切さを教えてくれる。

   <立場の違いを超えて>

 憲法9条の空文化、国会での議論を経ない閣議決定による重大な方針転換、反対意見を顧みない強引さ…。安倍政権の安保政策には多くの問題がある。

 行使容認に賛成でも、憲法解釈の変更という手法に異論を唱える人たちがいる。乱暴な進め方を危ぶむ人は多いだろう。閣議決定を認めないという点で広く連携できるはずだ。

 さまざまな考え方の人たちが集まれば、議論を深める機会にもなる。国際情勢の変化にどう対応するか、集団的自衛権の行使容認は必要なのか、解禁して歯止めはかかるのか…。賛否の立場を超えて安保政策について、率直に意見を交わせるといい。

 閣議決定の撤回を求める動きは1000人委員会に限らない。諏訪地方では、9条の会など16団体でつくる「諏訪9条の輪」が28日に新組織を結成する。9月下旬から11月にかけて30回、地域ごとの集いを開く。12月には諏訪市内で千人規模の集会を考えている。

 佐久地方の市民団体や労働組合などでつくる「ピースアクション佐久」は、集団的自衛権などについて高校生も参加する討論・学習会を開いた。若者の関心を引く伝え方を考える取り組みだ。伊那市の「伊那谷九条の会」は市街地を歩いて護憲や平和の大切さを訴える活動を始める。

 意思表示の方法はいろいろとある。知恵を出し合い、一人一人の声を集めることが力になる。


中間貯蔵、福島県が容認 

2014年08月26日 10時56分21秒 | 臼蔵の呟き

東京電力福島第一原発事故から3年半が経ち、福島圏内の除染残土、廃棄物の中間貯蔵施設の設置がようやく一歩動くかもしれません。除染とは、汚染された土壌、汚染物を他に移動させることです。したがって、放射能に汚染された物質をどこかに移動し、厳重に管理することがどうしても必要となります。ところが、放射性物質を含む残土、廃棄物を人間が活動し、接近するような場所におきたくないのは人間であれば誰であっても当然の心情があります。

誰が、その汚染廃棄物保管を引き受けるかと言う問題が事故後の大きな政治問題としてありました。この問題についての一定の判断、決定が行われない限り、除染そのものが面的に広がらない問題にぶつかっていました。その中間貯蔵施設の設置に向けてのある意味での話し合いが進んだと言うことではないかと思います。本当につらいことです。原子力発電所を設置した自治体、事故によって放射能に汚染された自治体が、東京電力、国に変わって、その汚染物保管を代行する。なんとも皮肉で、やり切れない話です。しかし、広範囲に汚染された地域を居住可能な状態にするためには、除染は絶対的な政治課題であり、その除染を進めるためには、大規模な保管施設、地域が必要なのは誰が考えても分かることでした。

改めて、東京電力の刑事責任と、政府、政権与党としての自民党の政治責任を明確にすることが必要です。本来であれば、事業者である東京電力が賠償、汚染物の除去、除去に伴う保管について責任を持つべき課題です。しかし、東京電力は経営破たんをし、国有化されているわけです。ここで投入されている費用はすべて税金であり、その点では、事故対策費用はすべて日本国民の負担に転化されています。したがって、国民への負担を容認するためにも、東京電力の刑事責任、自民党政権の政治責任を明確にすることは当然のことです。

<河北記事>中間貯蔵、福島県が容認 来年搬入、ヤマ場越す

 中間貯蔵施設の建設計画で、福島県の佐藤雄平知事が25日、大熊、双葉両町に地権者の生活再建支援策などとして150億円を拠出することを表明し、事実上、建設を容認する姿勢を示した。県が大きくかじを切ったことで、計画は一つの大きなヤマを越え、国が目指す来年1月の搬入開始に向けて、大きく動きだしたといえる。

 国は福島側の要望を受け今月、施設使用開始から30年間で総額3010億円の交付金を拠出することや、用地の賃貸者も認める方針を打ち出した。最後の大きな課題で、5~6月に国が開いた住民説明会で最も多かった用地補償額への不満を、国に代わって県が補った形だ。
 福島県内には除染廃棄物の仮置き場が約720カ所あるほか、自宅庭先などの「現場保管」が5万カ所以上に達し、除染や復興の妨げになっている。県は自ら財政措置を講じることで大熊、双葉両町にメッセージを送った。県幹部は「決着を長引かせることは、地元にもよくない」と語る。
 中間貯蔵施設の候補地の面積は大熊町で町全体の14%、双葉町で10%を占める。人口でみると、両町の20%が30年間、古里の土を踏めなくなるだけに、両町は受け入れの判断は慎重に下す考えで、特に地権者の意向を尊重する姿勢を示す。
 地権者の用地補償額への関心は高い。このため両町は議会などとの協議を経て、是非の最終判断に先立ち、国の地権者向け用地説明会を認める可能性もある。
 ある町幹部は、9月3日に予定される内閣改造や10月9日告示の知事選などの政治日程に影響されていることに不満を示しながらも「中間貯蔵施設は必要な施設。ここでご破算にできる状況ではない」と指摘。「地権者の心情を考えると、中ぶらりんのままではいられない。カードが全て切られた以上、満額でなくても、ある程度の判断が必要な時期が迫っている」と話した。

◎「踏み込んだ判断」/2町長、受け入れ是非は示さず

 福島県の佐藤雄平知事は25日、中間貯蔵施設の建設候補地の大熊、双葉両町に計150億円を拠出する方針を表明後、記者会見し、地権者の生活再建を重視する両町に最大限配慮したことを強調した。両町の町長は県の姿勢を評価した。
 佐藤知事は記者会見で「国の提示案では課題が残った。地権者の生活再建策を確実に果たすことを、大熊、双葉町が重視していることは十分承知している」と語った。
 ただ、150億円の具体的な使途については「地権者の生活再建支援と地域振興策だが、詳細はこれから協議する」と述べるにとどめた。
 県の提案に対し、大熊町の渡辺利綱町長は「踏み込んだ判断でスタートラインに立った」と評価。双葉町の伊沢史朗町長も「県が前面に立ち、住民のために判断してくれた」と歓迎した。
 一方で、両町長とも受け入れの判断に関しては「まだその状況ではない」(伊沢町長)などと述べ、町議会全員協議会と行政区長会議の反応を見てから行うとの姿勢を崩さなかった。


辺野古県民集会 沖縄の民意

2014年08月26日 06時01分35秒 | 臼蔵の呟き

政治権力が、当事者の意向、意思を無視して、強行することが民主主義ということになるのでしょうか。

世論調査ではなくて、自治体選挙結果、沖縄自治体議員による総意を踏みにじり、普天間基地の移転工事強行を進めるのでしょうか。そのような政治権力の行為に正当性があるのかを問うべきです。

沖縄県、名護市の政治問題とう限定された政治問題ではないはずです。このような政治姿勢があらゆる課題に貫かれているはずです。TPP協定交渉、消費税率の引き上げ・法人税率の引き下げ、原子力発電所の再稼動などは多くの国民が反対する政治課題です。彼らの政治手法、政治姿勢に対して多くの国民、選挙民が慣らされ、反対、批判の声を上げなくなることを彼らがねらっているのだと思います。それこそが彼らが一番歓迎することかもしれません。

その点で、沖縄県民の思い、悲しみは強く、深いのだと感じます。その思い、悲しみを共有し、政治権力の蛮行を止めることこそが、普天間基地問題だけでなく、多くの政治課題をより民主的に改善する方向に働き、導くのだと思います。

<琉球新報社説> 辺野古県民集会 沖縄の民意を見誤るな

 沖縄は何度こうした意思を表してきただろうか。日本が民主主義国であるなら、今からでも調査を中止する対応を取るべきだ。
 安倍政権が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けたボーリング調査を開始したことに抗議する県民集会が、辺野古のキャンプ・シュワブ前で行われた。2千人の予定を大きく上回り、主催者発表で3600人が参加し、工事の中止を訴えた。
 地元名護市が移設に強く反対する中、安倍政権は調査を強行した。11月の県知事選を前に既成事実化を図る狙いは明らかだ。選挙前に「諦め感」を与えようとする手法は、卑怯(ひきょう)と言わざるを得ない。選挙で堂々と移設の是非を問うのが民主主義の王道のはずだ。

 辺野古集会には家族連れや若者らを含む多くの人々が集まった。用意されたバスに乗れず、参加を断念したのも数百人以上いる。
 こうした沖縄の空気を首相官邸はどこまで理解しているのか。海上作業の準備が始まった7月以降、辺野古の海と陸では連日、市民が早朝から深夜まで抗議の声を上げている。ただ移設に反対しているのはその人々だけではない。
 ジュゴンがすむ豊かな海の埋め立てを、国家権力を総動員して推し進めるさまを、多くの県民が苦々しく、怒りをもって見守っている。1週間程度の準備でこれほどの人々が参加した集会の熱気が、そのことを如実に物語る。政権の対応次第で抗議行動はさらに広がろう。
 そもそも名護市長選で2度、移設反対の民意が示されている。それを無視して移設手続きは進められているが、県民は同意していない。世論調査では約8割が辺野古移設に反対している。政府が移設作業の根拠とする仲井真弘多知事の埋め立て承認には、県民の7割以上が県外移設公約に違反すると答え、批判は収まる気配がない。
 県民の反対に関し、安倍政権は「粛々と工事を進める」(菅義偉官房長官)として知事選結果に関わらず移設を強行する構えさえ見せる。言語道断であり、民主主義国としてその野卑な言動を恥じるべきだ。
 「県民に主権はあるのか、基本的人権は尊重されているのか」。安倍晋三首相は集会アピールに込められた県民の思いを受け止め、事態の深刻さを直視すべきだ。沖縄の民意を見誤るべきではない。作業を即刻中止し、計画見直しの英断へ踏み出すべき時期に来ている。


ゲーム中毒の本当の原因は競争社会が作った欠乏

2014年08月25日 12時47分56秒 | 臼蔵の呟き

なかなか面白い分析です。

<中央日報>ゲーム中毒の本当の原因は競争社会が作った欠乏=韓国

韓国は世界最長の勤務時間と勉強時間を誇る(?)。仕事と勉強が優先されるため、ゲームは良い待遇を受けにくい。このためゲームは仕事や勉強をする時間を奪う邪魔物として扱われたり、さらには中毒を起こす麻薬のような存在と見なされる。

ゲームは果たして有害な存在なのだろうか。ゲームはコンピューターが発明される前から人類の歴史と一緒に歩んだ。囲碁や将棋を見ると、ゲームが古い存在ということが分かる。実際、遊びは人類より古い。哺乳類や鳥類も遊ぶ姿を見せるため、遊びは人類以前の原初的な本能といえる。

動物の子の遊ぶ姿を見ると、親の動きと似た部分を見ることができる。人の場合も同じだ。大人になってする仕事を遊びを通じてあらかじめ学んで身につけているのだ。このような面で遊びは一種の学習でもある。ただ、通常の学習とは違い、強制性なく自由に参加し、その結果を心配する必要がない。このため仕事とは違い、失敗してもいくらでもまた楽しくできる。むしろ仕事に対する良い訓練になったりもする。したがってすべてのことをコンピューターでする時代に、コンピューターで遊びをするのは極めて当然のことだ。

数人が一緒にゲームをするには、ゲームの規則がよく守られ、公正な競争と褒賞がなければならない。ゲームと呼ばれたりもするスポーツもこうした点では同じだ。公正な競争と褒賞がなければ、きちんとしたスポーツやゲームということはできない。ゲームを通じて規則を守り、チーム同士が協力し、相手チームとは正々堂々と競争し、公正な褒賞を受ける経験は、正しい社会性と道徳性を育てる良い教育でもある。これを通じて青少年は社会の健全な一員として育つことができる。したがってこのような遊びは特に青少年期には必須といえる。

しかしこの国の青少年は遊びを通じた社会的学習が十分にできていない。子どもたちが最も多くの時間を過ごす学校や塾で要求されているのは、自分以外をみんな競争相手と考えることだ。ここには協力も配慮もなく、競争者を抑えて高い試験の点数を獲得することだけだ。こうして大学生になると、組別の課題が地獄になるしかない。さらには国までが動き出し、海外にも類例がないゲームシャットダウン制まで実施している。ゲームシャットダウン制を推進した人たちは青少年の睡眠権保障を名分に出したが、彼らは青少年が睡眠を減らしながらもゲームをする理由を正しく理解していない。

青少年にとってゲームは、結果に対する心配なく自分の自由意志で何かができ、それによる公正な褒賞を得ることができるところだ。現実でそうできない青少年にとっては重要な慰安であり、避難場所となる。これは青少年に限られたことではない。青少年であれ成人であれ、我々の社会で深刻に欠乏しているものをゲームを通じても満たそうとしているのだ。これをゲーム中毒というのなら、そのような中毒は存在する。しかしゲーム中毒の本当の原因はゲームではなく、激しい競争社会が作った欠乏だ。ゲーム中毒は人間の生活に必要なものを満たそうとする本能的な行動の結果にすぎない。

仕事と勉強に抑えつけられた機械ではなく、幸せな人間として暮らせる社会を作るためには、まず子どもたちが幸せに遊べる時間を作らなければならない。これが我々の未来を生かす道だ。フリードリヒ・シュラーはこう話した。「人は遊びの中で完全に人である」。

キム・ソンワン釜山ゲームアカデミー教授/インディゲーム開発者/インディゲーム開発者の会インディラ!代表/ゲーム開発者連帯執行委員


子どもの貧困 教育の機会を均等に

2014年08月25日 10時59分41秒 | 臼蔵の呟き

貧富の格差を解消する上での教育問題は極めて重要な課題です。一度、貧困層に転落するとアメリカ、日本、イギリスなどではその貧困から抜け出せない。そのような傾向が非常に強くなっています。その理由は、経済的な理由から教育上の格差が激しくあり、とうとう教育などを受ける道が事実上、閉ざされていることからきています。

現行憲法は、教育の機会均等をうたっています。その憲法の趣旨を、政治、社会が本当に実現するためには、財源対策を含めて政策的な対応をする必要があります。無駄な道路、ダム、橋梁を作るような公共事業を止めて、教育への予算を増額することが必要です。また、自衛隊の装備更新、増強を止めて、教育関連予算を拡大するようにすべきです。

教育予算を十分に確保し、充実させることで、子供たちに良質な教育機会を保障することで、貧困の解消、学術水準の向上に大きな貢献ができるはずです。そのことは回りまわって、科学技術の発展にもつながり、国の発展にも寄与できることになります。学びたい子供たちに平等に学ぶ機会を保障することは最低限度の国の責任です。

<毎日新聞社説>子どもの貧困 教育の機会を均等に

子どもの貧困率が年々悪化し、国民生活基礎調査では2012年に16.3%と過去最悪を更新した。経済協力開発機構(OECD)やユニセフの調査でも日本の子どもの貧困率は高い部類に属する。政府は必要な政策をまとめた大綱を近く閣議決定するが、現状を放置することは許されない。どのような家庭環境に生まれた子にも未来への機会が開かれている社会にしたい。

 子どもの貧困率とは、平均的な年収の半分を下回る世帯で暮らす17歳以下の子の割合を指す。食べ物や着る物がないという絶対的貧困率とは異なるが、教育機会や文化的体験の格差が著しく、実質的に子どもの成長に大きなハンディとなることが問題視され、重要な政策課題として先進国で取り組まれている。

 貧困率が高いのは一人親世帯で、その大半は母子世帯である。賃金水準の低い非正規雇用の親が多く、保育所不足もあって働く時間も制限されている。就労につなげることで貧困から脱する政策を取る国が多い中、日本は仕事をすることが貧困解消にならない特殊な状況が指摘されている。非正規雇用の抜本改革が迫られている。

 もともと日本の社会保障政策は年金や介護など高齢層に支出が集中しており、児童手当など家庭関係への支出が諸外国に比べても極端に少ない。今回の消費増税でようやく消費税の使途に「子育て」が加えられたが、これまでは税や保険による所得再分配の効果は母子家庭にはむしろマイナスの状態だった。

 大学や大学院の高等教育について給付型の奨学金が充実し、授業料が無料あるいは低額の先進国は多いが、日本は高等教育を受ける子への公的支援がほとんどない。授業料が高く、進学率は親の収入に強く影響される。奨学金も返済型がほとんどで、卒業後に返済に苦しむ人が多い。

 英国のように貧困率の数値目標を示して改善に成功した国もあるが、現金給付をしないと直接の効果が乏しく、財源不足のため政府内には慎重な意見が強い。それならば、高校や大学の進学率の数値目標を示してはどうか。貧困家庭の子どもの進学率は一般に比べて著しく低い。高校や大学・大学院の授業料の無償化や給付型の奨学金を拡充して、進学意欲があり努力する子を支援するのである。

 財源には相続税や高収入層の年金給付の一部を充てるべきだとの意見もある。孫の教育資金を一括贈与すると贈与税が一部非課税になる制度には多数の利用者が集まっている。直接血のつながりがなくても孫世代の教育機会の均等について考えてはどうだろう。貧困家庭の子どもが進学できない社会に未来はない。