“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

民主党という実験の終わりと瀬戸際の政党政治

2012年09月04日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き

南相馬小高地区の状況、警戒区域変更後、小高地区への立ち入りが許されています。この少し南側に国道を南進すると通行止めになります。


山口二郎教授の考察②です。週間金曜日への投稿記事です。民主党による政権交代を評価し、支援してきた学者には悪いのですが、民主党の再建はないと思います。再建しても意味がない。また、選挙民、国民が民主党の3年間を振り返って再度、だまされる、期待をするような課題ではないと思います。民主党の裏切り、政治倫理こそが問題であり、日本の政治、政権交代への政治不信を助長したことは犯罪的であると思います。
アメリカと経済界の言うことを聞き、その主張を政治的な課題とした点では自民党、現民主党はまったく同じです。ではなぜ、政権交代を主張して選挙を行い、そこにたどり着いたのかこそ、全面的に総括、分析すべきです。それでも歴史は進歩するのだと思います。近代政党としての要件を備えてない、自民党、民主党には未来がないことだけは証明できます。彼らは歴史から学ぶことがない点で共通しています。また、近代政党としての組織力、党員、財政基盤、理論的な集団を持っていないことなどが共通しています。靖国神社参拝、侵略戦争の事実を否定するなど非科学的、非論理的体質も政権政党としての資質にかけます。その半面で「グローバル化賛成論」を唱えています。靖国参拝論が、グローバル化、国際的に受け入れられるか考えただけで分かるはずです。彼らの中枢は分からない頑迷なごりごりな国粋主義者たちです。TPPなどがいかに有害かも理解できていません。国体などを護持できるはずがないのですが。
<民主党という実験の終わりと瀬戸際の政党政治>
1 政治の現状
 政権交代から丸3年たち、政局は選挙準備の状態に入っている。政権交代の高揚は遥かかなたに消え去り、政党政治に対する幻滅感だけが広がっている。お先真っ暗の民主党からは、生き残りを図る政治家が次々と逃げ出し、新党への合流を画策している。自民党政権を倒したはずの民主党はもはや政党の体をなしていない。今更これを非難しても詮無いことである。ここでは、まず政権交代がもたらした成果や変化を確認しておきたい。
 今から振り返って気づくのは、現代日本においては、民主主義によって選ばれた内閣が統治の主体ではなく、民主党が政権を取ったことによって本来の統治者が結構あわてたということである。私は、陰謀論は好まないし、全体を見渡して支配している単一の権力者が実在しているわけではないと思う。かつて丸山真男が満州事変以後の日本の戦争政策の決定過程について指摘したように、首謀者が壮大な構想を持って戦争を進めたのではなく、権限を持った組織がその時々の空気を読みながら具体的な意思決定を積み上げ、政府や軍の指導者も流れに逆らうことができなくなった。場の空気を規定するのが「国益」であり、様々な登場人物の国益の中身に関する解釈を正当化するのが国体であった。
 70年以上前の全体主義国家の仕組みを現代の民主主義体制に当てはめることは、荒唐無稽なほら話ではない。民主的に選ばれた政権が、民意を背景に新機軸を打ち出そうとしたとき、検察を含む官僚組織、経済界、メディアなど、旧体制を支えた人々はこれを押さえ込もうと必死の反撃をした。
鳩山由紀夫は、日米安保の今後について控えめな問題提起をしたに過ぎない。しかし、彼が首相に就任する直前に日本の雑誌に書いた普通の論文が英語に翻訳されて米紙に掲載され、反米のレッテルを貼られた。ウィキリークスは、日本の外務官僚が日本政府よりも米国に忠誠心を持って、民主党政権を批判していたことを暴露した。
検察は予断を持って小沢一郎の資金疑惑を立件し、民主党内における小沢をめぐる亀裂を深めた。小沢の金権体質に対する批判は、彼が打ち出した生活支援政策や中国との協調関係の強化といった政策に対する支持をしぼませる効果を持った
鳩山の失敗から学習した菅直人だったが、福島第一原発の大事故に直面して、脱原発という大使命に目覚めた。すると、規制のメディアはあらゆる攻撃を仕掛け、彼を退陣に追い込んだ。情報を隠蔽して責任を逃れようとする東京電力と、未曾有の事故に不十分ながら必死に対応した菅と、どちらの罪が大きいかは明らかであるが、メディアの扱いはあまりにも不公平である。
メディアや官僚組織が気脈を通じて、大きな陰謀のもとに民主党政権を追い込んだというのは、妄想であろう。しかし、様々な組織が自分たちの聖域を脅かされるという危険を感じたときに、未熟な政権の足を引っ張ったという結果は明らかである。一連の事態からは、日米関係と産業発展という戦後日本の国体が浮かび上がってくる。
そして、二つの政権の失敗から学習した野田佳彦首相は、政権交代によって政策を変えるという本来の意義を完全に捨て去った。そして、決める政治というスローガンの下で、内外の懸案に決着をつけることを目指した。新機軸を放棄して、決めること自体を目的とすれば、その中身は自民党がしたくてもできなかったことに落ち着くのは必然である。ねじれ国会というやむをえない現実もあるが、政権交代を起こした挙句に、自民党と同工異曲の政策が決まるのを見させられれば、日本人が政治に幻滅するのも当然である。この国を支配しているのは、国民が選んだ代表者ではなく、米国や経済界(経団連)などの強者の意を汲む集団であることを思い知らされたのが、政権交代の帰結である。
本当の政権交代を成し遂げたいならば、国体の変革を実現するだけの構想と周到な戦略が必要だということこそ、民主党政権が残す最大の教訓である。
2 流動化した民意
 近いうちに総選挙があれば、自民党が第一党となり、政権の座に戻るであろう。しかし、それは民主党自滅の反射的効果であり、国民も自民党に何か期待しているわけではない。また、大阪維新の会など、地域政党から出発した新党も台頭することは確かであろうが、それらの主張はあいまいであり、国会に進出して既成政党となってしまえば、それ以上既成政党批判の論理を使うことはできなくなる。新党はたちまち批判の対象となる旧党になる運命である。今のところ新党を支持している民意にも、そうした虚無的なものを感じる。
 政権交代は民意を不可逆的に変化させた。もはや、政党、政治家は地盤というものを失っている。職場や地域などのネットワークに縛られて投票先を固定化させている有権者など、いまや例外的であろう。よしあしは別にして、人々はその時々の風向きを見ながら投票先をそのつど決めるようになった。また、為政者が自分たちの意思を無視した行動を取るならば、抗議の動きを起こす能動性も持っている。
 政治文化を議論すると大雑把な印象論になりがちだが、首相官邸や国会を取り巻く市民の動きを見れば、日本の政治文化は変わっていると感じる。六〇年安保のときとの大きな違いは、政党や団体の動員の有無である。六〇年安保の時には、岸首相が退陣して騒ぎが収まった後、池田政権の経済成長路線が人々の関心を吸収した。しかし、今は原発という長期的な課題をめぐって市民が動きを起こしている。また、再び経済的豊かさで民意を糾合することなど不可能であろう。
 デモに参加する市民も、流動的な存在であり、どこかの政党が支持層に取り込むことはないであろう。そして、民意は多様である。名古屋では市民税減税という目先の利益に反応して、河村たかし市長を押し上げた。しかし、原発問題では、目先の利益よりも、数世代先の子孫を視野に入れ、損得勘定ではなく市民の責務として行動している。こうした公共心の発露としての市民の圧力は、政党、政治家の感性を鋭くさせ、政策を練磨するよう促すという点に意義がある。原発再稼動反対デモは、一旦収束を迎えるであろう。しかし、ソーシャルメディアを通して政治的な討論は続くのであり、市民の政治的潜在力は持続するのである。これにどう応答するかに、政党の今後がかかっている。
 1つはっきりしているのは、こうした民意の前に民主党や自民党という既成の政党の未来を論じても意味はないという点である。自民党は権力党の遺制であり、民主党は小選挙区制度が作ったできの悪い建造物である。前者の命脈は尽きているし、後者の破綻も明らかである。90年代前半から始まった政党再編の試みは、最終段階を迎えようとしている。
3 政党政治の展望
 私自身が今関心を持っているのは、負けた後の民主党の再建の仕方である。野田首相やその周辺からは、選挙後にも民主、自民の大連立によって政権を運営すればよいという声も聞こえてくる。しかし、次の総選挙で民主党が大敗すれば、政権を担う資格はないと自ら宣言し、野党として出直しを図るというのが憲政の常識である。野田首相をはじめとして自民党の路線に共鳴するものが出て行くというなら、それもよい。
 冒頭に書いた国体を変革する主体を立ち上げるためには、鳩山政権の路線を追求した政治家が残って、民主党を再建し、そこに同じような思想を持つ政治家を集めなければならない。もちろん、民主党という器や名前にこだわるべきではないが、鳩山政権での日米安保の変革と社会保障の強化、菅政権での脱原発という大きな企図に取り組んだ政治家が引き続き日本政治における進歩的なアジェンダに取り組むことは必要である。脱原発を求めてデモに参加する市民の要求に真っ先に応えようとしているのも、これらの政治家である。
 政党が掲げた政権政策なるものがかくも無意味になった以上、次の選挙に当たって、政党で政治家を色分けすることには意味がない。今後の原発をなくす方向に行くのかどうか、将来の社会保障で人間の尊厳と平等を尊重するのかどうか、税制において、負担増はやむをえないとしても、垂直的公平を重視するのかどうか、などのテーマで、個々の政治家の色分けをする必要がある。この間のデモを企画したような市民運動で、そうした政治家の格付けの運動を広げていけばよい。
 自民党が、復古調のマニフェストを掲げて政権に戻ることは、日本の政治を退歩させることであろう。あるいは、大阪維新の会が安倍晋三元首相と連携して政権の一角を占めるという展開になれば、国政レベルで反動の嵐が吹き荒れることになるのかもしれない。しかし、今の自民党の政治家の顔ぶれや大阪維新の地方議員の言動、行状を見るにつけ、彼らには国家権力を担うだけの力量はないと私は確信している。右派、保守派の政治家ならば、力量がなくても国体護持はできるから、民主党のような破綻には至らないのかもしれない。それにしても、安倍晋三政権以後3年間の自民党の混乱が繰り返されるのが関の山である。
 問題は、大敗後の民主党の再建過程である。3年間の政権経験を総括し、明確な理念に基づいた次の政権構想を立てることが必要である。そして、脱原発、雇用、社会保障などのテーマで方向性を共有する勢力が、大結集することが必要となる。
 定数是正を契機に、衆参の選挙制度について、これから改めて抜本的な再改革が加えるべきという議論が高まることも予想される。現状を変えるとなれば、小選挙区による寡占の強化よりは、比例代表による多様な民意の反映を拡大する方向に議論は進むであろう。民主党の保守化によって代表者を失った中間から左側の市民の声を受け止める政治勢力を立ち上げることこそ、中期的な重要課題となる。
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解散総選挙と民主党の価値

2012年09月04日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き

相馬野馬追い祭りの行進風景です。(7月29日)

解散総選挙と民主党の価値
山口二郎北海道大学教授の考察です。政権交代に期待し、期待をしただけにその落差も大きく、教授の思いも大変なのだと思います。2大政党制の限界、民主党の選挙互助会としての限界などなどを理解し、検証する時間と経過なのだと思います。民主党がばらばらに解体される、選挙互助会として機能しか果たしていないのが現状です。
政党が綱領を持たず、互助会であったために自民党、旧民社党、旧社会党など出身者の寄り合い政党としてしか、機能しなかったのだと思います。12年度になるまで分からなかったわけではなく、もともとそのような政党であったわけです。そのことが選挙民、国民、誰が見ても分かる形で顕在化しただけだと思います。
また、綱領に基づく政策、政策の理論的な分析、裏づけがまったくなかったことも悲劇です。選挙公約とまったく違ったことを政策に掲げて堂々としている点が異常ですが、それがおかしいと感じていない民主党所属政治家は異常です。何(   )かに付ける薬がないくら可笑なことです。
<解散総選挙と民主党の価値>
近いうちに国民の信を問うという野田首相の言葉を受け、政界では選挙ムードが高まっている。民主党から立候補しても勝ち目がないと思う議員が救命具にしがみつくように、新党にすり寄ろうとしている。この20年ほど政党再編の夢を追いかけてきたが、民主党がバラバラになったら、賽の河原の石積みである。

 負けが必至の状況でどうふるまうかに、政治家の真価が表れる。この秋に解散総選挙となれば、どうあがいても民主党は負けるであろう。しかし、負けっぱなしで、3年前の政権交代の理念を持つ政治家が雲散霧消しては困る。失敗の経験を踏まえて、民主党をどのような方向で再建するか、今から考えておかなければならない。

 この際、自民党と提携したいと思う者は、大連立などと言わずに自民党に合流すればよい。議員の地位を守りたいだけの者は維新の会に入れてもらえばよい。原発の縮小、社会保障の再構築、アジアにおける平和の追求など、困難ではあるが日本の未来に不可欠なテーマにあえて取り組みたいと思う政治家は、民主党に残ればよい。
自民党中心の政権ができても、どうせ長続きはしない。長い目で日本の政治を考えれば、民主党の衆院の議席が二けたに減っても、見識のある政治家が生き残れば希望はつながる。
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原発予算、事故処理に1兆円 来年度の概算要求

2012年09月04日 08時00分00秒 | 臼蔵の呟き
原発予算、事故処理に1兆円 来年度の概算要求
関西電力をはじめとした大手電力会社の原子力発電再開が以下に危険で、高コストなのかを野田政権、官僚が認識している証明です。福島第一原発の最終処理にかかるコストは数十兆円です。日本の1年分の税収に匹敵する額です。この額が税金から投入されます。過去自民党の政治責任、東京電力、沖縄電力を除く全ての電力会社、原子力村の原子力産業が賠償すべきです。

2番目に、安全性などの担保、保証は一政権が取れるなどは「幻想」「嘘」でしかなく、野田個人がその全資産を投げ出しても、保障できるわけではありません。このような子供だましと、嘘を許さないことです。

3番目に、核廃棄物を出さない。原子力発電を全て停止し、廃炉に即時実施することです。六ヶ所村の再処理工場では物理的に処理、保管できないことは明らかです。現存する廃棄物を地中に埋めて、放射能を閉じ込めるしかありません。その費用を電力会社、原子力関連産業から拠出させる。原子力発電の停止、全廃炉を前提として税金の投入をするしかないと思います。現実に事故を受けて数十兆円を投入する場面に直面しているのですから。後ろ向きの対応でなく、前向きの対応をすべき段階になっていると思います。

4番目に原子力産業を利益目的で利用しない。考えないことです。技術の輸出??なにをよくぼけのようなことを言っているのかと。本当に死ぬまで分からないかといいたい気分です。

<原発予算、事故処理に1兆円 来年度の概算要求>

 環境・文部科学・経済産業の各省は原子力発電に関する来年度予算の概算要求の大枠を固めた。東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、除染やがれき処理などの後始末に1兆円超を計上。将来の原子力発電比率の低下を見据え、使用済み核燃料を地中に処分する技術や原発の廃炉技術の開発支援も盛り込む。除染など事故対応は最終的な費用や東電との分担が不透明で、今後も歳出増の大きな要因になりそうだ。
 環境省は除染費用として市町村への補助も含め5000億円を計上。今年度当初予算の3700億円から増額した。放射能に汚染された廃棄物などがれき処理には約5000億円を要求する方針だ。
 福島県の双葉、大熊、楢葉など12カ所で検討する放射性物質の中間貯蔵施設の整備・建設費用は金額を示さない事項要求とし、年末にも1000億円程度を盛り込む。
 福島県内に「放射線医学・県民健康管理センター」を新設するなど原発事故の被害者の健康管理にも約100億円を投じる。同省の原発事故関連は福島第1原発の処理費用がかさみ、今年度当初予算の約8800億円を上回り1兆円に達する見込みだ。
 今回、環境省などが要求する原発事故関連の経費は氷山の一角だ。除染や廃炉などの費用は、東電と国で負担割合の議論に決着がついていない。最終的に費用は賠償を除いても数十兆円に上る可能性もあり、税や電気料金で国民に跳ね返る形になる。
 経産省は原発の廃炉技術の支援予算を計上する。福島第1原発の事故を受け、今後は国内で老朽原発や安全性を確保できない原発の廃炉が相次ぐ見通し。これまでは政府も企業も技術開発は原発新増設に偏り、本格的な廃炉技術は確立していない。経産省は数億円規模で関連研究機関や大学などを支援し、今後の原発廃炉に備える。
 近く先進各国を中心に老朽原発の廃炉が本格化する。廃炉ビジネスは世界的に市場拡大が見込まれており、予算措置を通じて日本企業の受注を促す狙いもある。
 原子炉の安全対策を強化するための費用も2012年度予算(54億円)から100億円に増額する。
 核のごみ対策としては、経産・文科両省が、原発で発生する使用済み核燃料をそのまま地下に埋める「直接処分」の技術開発費用をはじめて計上する。
 政府はこれまで、一度使った核燃料を再び使う「再処理」を推進してきた。原発依存度を減らせば核燃料サイクルの必要性が薄れる。使用済み核燃料を直接処分する可能性も出てくるため、研究費を新たにつける。
 ただ経産省は高速増殖炉(もんじゅ)の後継炉の研究開発費を30億円から20億円に減額するものの予算の要求は続ける。8月末にまとめる予定だった国の原子力政策の決定が大幅に遅れているため、核燃料サイクルの維持、縮小の両方をにらむ予算となった。
 また、原発立地自治体への交付金約1000億円は維持する。11年度は全国のほとんどの原発が定期点検中で発電の実績がないが、地元自治体の要望を踏まえて「発電したとみなし」(経産省)、今年度並みの金額とする。
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