桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

テレビ観戦  

2014年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
11月30日(日)

『日替わり天気』と名付けたくなるような天気だ。
気温までが日替わりだ。

午後、テレビをつけると、NHK杯フィギュアスケート大会が出て来た。
話によれば、今年の優勝者は新人が続出だと言う。
試合の演技も良いけれど、やはり、心の動きが左右して完璧とは言えない場面があった。
昨夜は、そうした選手の中で、男子シングルでは村上大介選手が見事な演技を見せて、優勝した。
日本の男子は、なかなか、優秀な候補者が多くいると頼もしく思う。

今日は、二階でゴロゴロしながら、エキシビジョンを最後まで見た。
昨日の試合とは違って、演技をする選手たちはのびのびと滑っている。
今日の方がいいんじゃないの?
勿論、そうですよ。点数がつかないし、他の選手と戦う必要もないのだから……と、当たり前なことを考えた。


あれだけの演技を、限られた時間の中でとんだり跳ねたりぐるぐる回ったりと大変なのだから、体力もいるし、特に精神的なストレスが溜まっているのは、観ている者にも感じ取れる。

ご苦労様!と思いながらも、見る方はいい気なもの。<なんで、そんな事をミスするの?駄目だなぁ!>なんて無責任な言葉が出てくる。

じゃあ、あなたにどれだけの技が出来るの?と聞かれたらアウト。
私には何もできません。そもそも、滑る事からだから、もう、哀れなものです。
何も出来ないのだから、偉そうなことを言うんじゃないよ!


しかし、見る方にも自由というものがある。だから、あの選手は精神的に弱いのではないかしら?などと、考えてしまうのだ。

ところで、今日のエキシビジョンは良かったなぁ!選手達は伸び伸びしていたよ!
あの気持ちで、試合に参加して欲しい!と、言うのは無理というものだろうか?

ある人が「練習の時は本気で。実際の時は練習のつもりで」と話していたことを思い出す。


ところで、 休日や日曜日になると、スポーツばかりが番組に出てくる。そうでなければ、食べ物比べか?
知性のカケラってあるのかな?
そういうのが嫌いな人間には、もう、観るものがないよ!

仕方がないから、ニュースでも観ようか。




 ※ 今日の寄席です。






焼き林檎

2014年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム
11月29日(土)

「ねぇ、アップルパイと焼き林檎、どっちがいい?」
「う~ん、どちらでもいいけれど、焼き林檎も食べたいね」
「以前は、よく作ったわね」

そんな会話の後、先日からアップルパイを作るつもりだった計画を焼き林檎に変えた。
焼き林檎は、ずいぶん以前から作っていない。
初めて買った電子レンジでは、しょっちゅう焼き林檎を焼いたし、お酒のお燗までした。
今のようなオールマイティーなレンジではなかったが、秋葉原まで行って買ったこのレンジは、当時にしては『優れもの』だった。


大きな二つの真っ赤なりんごは、果汁がいっぱいで、芯を抜く時から甘酸っぱい匂いがしていた。
200℃、30分で焼く。
用心のため耐熱グラスの入れ物に入れたりんごは、器いっぱいに甘そうな果汁を流して焼けた。


その間に、もう一つ最近、気に入っている料理を作ることにした。それは………
ベーコンとハムとサツマイモを使ったもの。美味しいよ!
「キツイ、キツイ!」と言いながら、自分が食べたいと思うものを作るようになったのも、何とか元の体にしたいため。

ほとんど、同じくらいの進み具合で、二つとも終了。


そうだ!りんごの料理もいろいろあった!
今年は割に手頃な値段で求められる。こんど、また、違ったものを作ってみよう。

大きな焼き林檎の味は、勿論、美味しかった。

アイスクリームを添えたら、また違った味がするだろうな!

一日中、雨降りだった。昨日の上天気はどこへ行ったのかな?







リハビリテーション病院(1)

2014年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
11月28日(金)

暖かい日になった。しかし、天気は変わるらしい。

昨日の疲れが残っているのは、運転の所為だけではない。
四日間、ため込んだブログを書き、写真を載せるのに苦労したからだ。
文章は、まだいい。『書く』ということには慣れてしまって、何とかなるからだ。(と、言ったらおこがましいかな?)
しかし、写真となると、ブログが変わって以来、画像をアップする手順に慣れていないので、すべて、無手勝流と言うしかない。
だから、時間が随分かかってしまう。

河口湖から帰って来たばかりなのに、えらく、手間どった。
我ながら『命知らずの⚪️⚪️者』と言いたくなる。


それでも、今朝は早起きをしなくてはならなかった。
十一時までにリハビリを受けに行く事になっている。

結局、病院へ着いたのは五分前。
この病院の玄関口では、他の病院から転院して来る人を見かける。
世の中、リハビリを必要とする人が大勢いるのだなと驚く。

そう言えば、私もまた、手術を受けた病院から、このリハビリ専門の病院へ運ばれて来たのだ。
家へ帰ることも許されず、あと二ヶ月は入院が必要と宣告されて、長~い日々を過ごす事になった。
退院したら、もう、家へ帰れると思っていた私の期待は外れ、気を落としたものだ。

しかし、リハビリ専門の病院は一般の病院とは違うと言う事が、次第に理解出来るようになった。

まず、普通の病院と異なり、病気の匂いが感じられないと言う事だ。
環境そのものも、明るく機能的で、たくさんの絵画が飾られてモダンな感じがする。
玄関ホールには白いグランドピアノや花が飾られている。






入院患者は大人ばかりで、車椅子や杖を使う人が多く、内科的な患者は少ないのが特徴である。
また、面会の人たちの出入りも多い。

何と言っても、治療や看護にあたる人々が若々しく明るい感じがする。
この人たちの真面目で親切な態度は患者の気持ちを明るく引き立ててくれる。
物好きの私は、よく、若い人たちに冗談を言ったが、未だに親しみを感じている。


患者は一日に、三~四回の単位でリハビリを受けることになっている。
患者の中には、自主的に歩行練習をする人もいて、日頃の生活態度を偲ばせる。
男性の方が多かったが、私も病院の中を歩き回ったものだ。




食事以外はおやつは食べる事が出来ない。
これは寂しかった。食堂の前を通ると「早くご飯が食べたいよ!」とつぶやいたものだ。しかし、
お陰で、体に無益な食べ方もせず、我慢をしながら、健康的な習慣がついた。

しかし、おやつの魅力は大きい。退院すると、元に戻ってしまった。

私は、退院する頃にはすっかり痩せてしまって『鶏ガラ』の様になってしまった。
これも、哀れな印象。


『早く帰りたいよー」が私の口癖だったが、結局、この病院では二ヶ月と二週間滞在したことになる。
真夏の二ヶ月間を涼しい病院で暮らしたのだから、ありがたかったと思わなければいけない。

しかし、毎日のように来てくれる姉には、頭が上がらないと思った。
この病院が我が家から近い場所にあるとは言え、バス停からは可成りの距離にあるから、汗をかきながら訪れる姉には申し訳ないと思った。

食堂から眺められるJRの線路を通過する電車に、いつも利用していた街への想いを馳せたことも度々あった。





退院後の自分の生活は、だらしのないものに変わっている。
まず、恐ろしく痩せた体を少しでも元へ戻そうと、食事を作り始めた。しかし、一度痩せたものはなかなか元へは戻らない。
最近では、過食気味も始まっている。

今まで、家ではほとんど食べなかった食品など、病院で出された物を参考にする様になった。
特に入院中には、麺類やパン類が禁止になっていたのが辛かったが、今となっては、納得出来るものがあると理解出来る様になった。





 * そのうち、続きを書く予定です。







七ヶ月ぶりの富士山1合目

2014年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム
11月24日(月)

連休最後の日、都心へ向かう車は午後を過ぎると、増え始めた。
しかし、反対方向はゆったりと車が走っている。

そんな日を狙って、久しぶりに河口湖方面へ行くことにした。
天気はドライブに支障のない日である。

しかし、ほぼ、一年ぶりの運転の空白を埋めるのには、緊張感が伴う。
まして、扱い慣れをしていない新しい車となれば、更に高まる。

どんどん、追い抜かれた。以前の私なら我慢をしない。
しかし、今は違う。
目的地へ着くまでに、100台ぐらい抜かれたかな?
大げさな感想。


途中、買い物をして家へ着いたのは三時半過ぎだったかな?


家へ入って、驚いた。
夏の間、来なかったので、虫の天国。
だから、山の中というのは油断できない。
都会から離れて、ゆったりしたいなんて考えるのは贅沢というもの。

コオロギみたいな虫を退治した。
疲れていても、掃除機を抱えて大掃除をする。

今年は無理もない。もっとも良い時期が全部、無駄になった年だもの。
5月から始まって9月初めまでの入院生活は、いろいろな問題を抱えた。


まあ、こうしてまた、山へ来れたのだから、いろいろと試してみよう。










11月25日(火)

雨が降っている。

久しぶりに『ゆらり』という温泉施設へ行った。
鳴沢村の『道の駅』のそばにある。

雨が降っているのに、結構、入館者が多いようだ。
今回は、何時もより入湯料が安いサービス期間だと聞いた。半分ぐらいの料金で入れた。

温泉の施設は長いご無沙汰の期間中にリニューアルされて、色々なタイプの温泉が出来ていた。
久しぶりの温泉にホッとする。
最近は外国人の利用者も増えたようだ。


帰りに、オギノへ行く。車があると、買い物は楽だ。
シャトルバスでは思った様には出来ない。

雨がだんだんひどくなった。
新しい車は、今までと色々と機能が違うので、度々、迷ってしまう。
途中で、マニュアル本を読む訳にもいかず、大変だった。
しかし、雨のお陰で車の新しい知識がまた増えた。

予定していた買い物の残りは明日へ回すことにした。








11 月 26日(水)

今日も雨。
以前から予定をしていた中華料理を食べに行く。
これだけは、雨降りには関係なく決行する?????
食べたいもの!

久しぶりのレストランはハイランドホテルの中にある。
1年以上、来ていなかったのに、店の人はよく覚えていてくれた。

姉はお気に入りの五目チャーハン、私はお粥と水餃子を注文する。
本当は、もっと違ったものを食べたかったが、喉をどうしても通らないので、仕方なく柔らかいものを選んだ。

しかし、このお粥はスープで煮ているので、味が良かった。餃子は大根入りだそうだ。
最後にコーヒーをご馳走して下さった。
近いうちに、また、来ますと挨拶をする。

雨がうっとうしい。どこへも寄らずに帰宅する。

ところで、私はバックで車庫入れをするのが苦手。雨の中だけど、家の前で練習した。

あとは、台所の掃除。
東京より、よく頑張ると、我ながら感心する。足の痺れは変わらない。








11月27日(木)

帰京を一日延ばそうかと話し合っていたが、今回は水止めを延期して、もう一回来ることにした。
今朝はまばゆいほどの青空。
なんで、二日も続けて雨が降るの?と、言いたくなる。

帰る前に、車庫入れの練習(これが私の弱点)

道は、割合に空いていた。相変わらず、左側を走る。100キロ出そうとは考えもしないから、どんどん、追い越されるが、気にしない。

富士河口湖道路も坂道が多いことを改めて知る。シフトダウンの回数が増えた。
今日の富士山は素晴らしいが、眺めている暇もない。

談合坂のレストランで、一昨日、食べ損なった『ほうとう』を食べた。だが、もう、止めた。
野菜村の野菜も少なく、買わずに出発する。

高速を出ると、てきめんに渋滞。特に環八は混んでいる。
久しぶりに目黒通りを通って帰宅。

嬉しいことに、車庫入れはなんとか出来た。
とにかく、無事に帰宅出来て良かった。
夕方になると、気温が低くなった。明日は、また、変わるらしい。











白馬村/小谷村

2014年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
11月23日(日)

昨日の夜、長野県で地震があった。
かなり大きい揺れで、次第に被害が大きくなっている様子である。

私の好きな白馬村は特に大きな被害を受けたと、次々とその状況が報道された。
また、白馬村に隣接する小谷村の被害も大きいらしい。

以前は、よくこれらの村へ車で出かけた。

春の初めには水芭蕉が群生する小川村への山にも登った。休日でないので、ほとんど、人の姿を見なかった。
ケーブルで紅葉を楽しみながら白馬山を望んだこともあった。

小谷村は新潟県の糸魚川と隣接している場所にある。

私は若い頃から、何という訳でも無く『糸魚川』という地名にこだわっていた。
高校生の頃、毎日、北陸本線の列車が『糸魚川』と言う表示をつけて走っているのが気になっていたのだ。
糸魚川ってどんな土地だろう?と思いながら、訪れる機会もなかった。
ところが、小谷村は糸魚川に隣接する。
しかも、トンネルをくぐればすぐ、糸魚川へ入って、あの日本海近くまで行けると思うと、なんとしても車を走らせたい思いになった。


糸魚川へ行くには長くて狭くて薄暗いトンネルがある。
そのトンネルをくぐり抜けると山の上に小谷村の『道の駅』があった。
私は暗いトンネルに閉口してその先まで行くことを断念した。

今回の地震の被害状況を聞くと、「やっぱり!」と思う気がする。
何れにしても、自然の美しいこの地が大きな被害を受けたのは残念だ。


白馬にあるホテルに隣接して、大きなジャンプ台がある。これが長野オリンピックの際に使われたそうだ。
それよりも関心を持ったのは、コックさんたちが朝早く摘んだ山菜が食事に出てくることだった。

東京から直接出向くには遠すぎる。
富士山の家に一泊して訪れたものだった。
懐かしい思い出が沢山ある白馬だったのに残念だ。

地震の被害を受けた人々が、早く立ち直れるように願って止まない。





寝る/食べる

2014年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
11月22日(土)

あきれる程、寝た。
今までの不養生、特に夜更かしが治ったとは言えない。
しかし、眠れると言う事は有難い。

結局、コンピューターは寝床の横に置いたままだった。
これは体の為に良い。

ところで、テレビを見ていたら、今年は『二の酉で』終わりだそうだ。

以前はよく出かけたものだ。
大森にも、大鳥神社がある。
小さな神社だが、結構、参詣客が多い。
境内には熊手の店が何軒もあって、時々、景気の良い拍手の音がする。今年はどうだろう?

商店街には屋台が沢山並んでいるが、地元のお祭りと似たような商品が多い。
それでも、以前は興味を持って覗いたものだが、今はもう関心がない。
と、言うより、わざわざ、出かけて行く元気もないとは……情けない話。


今日は、予報では暖かだと言う事だったが、それ程でもない。
これは私の体調が原因しているのかなと思った。
しかし、風邪はもう、引っ込んでしまったみたいだし、気持ちの問題だろうか?


今、一番の気がかりは、喉の通りが良くないということだ。
「そのうちに治ります」と言われているが、食べた食物が喉をなかなか通らずに、目を白黒させる事になる。
不思議な事に、その食物が柔らかいからと言って、通りが良いとは言えないのだ。

まあ、少しずつ、様子を見ていくか!

ところで後遺症というものは怖いものだと思う。
恐れずに挑戦していこうと思うが、無茶は出来ない。

と言う訳で。できるだけ、自分で調理をすることにしている。

これから、ステーキを焼くことにした………
絶対に、喉を通してみせる。





風邪かな?

2014年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
11月21日(金)

リハビリに行く。

先生との話し合いは、挨拶状の『雀踊り』の絵から始まった。励まされる。
Riさんにバーコードの取り入れ方を習った。しかし、パスワード(大嫌い)が出てこず、帰宅する。


帰宅後・・・・・・・・
そこまで書いたら、なんだか調子が良くない。パスワードの所為もある。
パソコンの前に座っても、やる気が無くなってしまった。

原因は風邪気味になったという事と、何かしら感じることが見つからなかったからだ。

帰宅後、洗濯をした。
良い天気なので、午後からでも乾く。

洗濯物を干していたら、宣伝カーが走ってきた。
デカデカと有名なRの名前入りのデザインが施された車だ。
『あれ?もう宣伝していいのかな?」と思った。
テレビでは『衆議院解散』の決議が行われている瞬間だった。


衆議院解散はとうとう宣言された。
なんで、万歳三唱などをするの?
この忙しい時期にまったくご苦労さんなことだ。
ところで、私は、いつも、必ず投票へ行っていたが、今回は無理かな?
大体、誰に投票するかも分からないよ。

夕食が終わると、もう、たまらなく寝たくなった。
こういうことは珍しい。
風邪薬を飲んで、部屋へ。
しかし、そこで、また、ぐずぐずする。

せっかく持ち込んだマックも開かずじまいのぐったり。
『11月21日(金)』と記して、もうブログはお仕舞い。







年賀はがき

2014年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
11月20日(木)

昼過ぎると、どんより曇ってきた。
12月中旬頃の寒さだそうだ。
寒がりの私は何枚重ねても耐えかねる。

今朝も十分過ぎる程、よく寝た。
何時もなら夜中に目が醒めるのに、朝まで、それも七時近く迄しっかり寝られるのは有難いことだ。

もうやめようかと思いながら、やはり朝のシャワーにかかった。
寒さに負けるな!ということだ。(ここまでは自分のブログへの)スタートへの励まし。





一昨日来、Pagesを使ってのパソコンいじりを始めたら、また、新しい?興味が湧いてきた。
そろそろ、年賀状も作らなければならない。

先ず、デザインから始まる。
忙しい季節に、もっとやらなければならない仕事があるというのに、矢張り放っておく訳にはいかない。
そう!私の『ビョウキ』が始まったというわけ。

昨日、郵便局へ行ったついでに、年賀葉書の見本が載った紙を貰って来た。
持ち帰って、姉に聞いてみるつもりだ。

それにしても、色々と値段に段階があることを初めて知った。
インクジェット用や写真用には62円、スマート用のアプリで動画を楽しむものや『いろどり』を楽しむものやキャラクター付きのもの(52円、62円』そして寄付金付きのもの(57円)と種類の多いことに驚いた。
大変だなぁ!今はメールで新年の挨拶をする人が増えてきた。

年一度のお付き合いの人も多いので、年賀状は欠かすことの出来ない挨拶になるのだが、いつも、年末か年の初めにやらなければならない仕事だった。
『だった』と表現したところに苦心がある。
もう、歳をとったから、止めようかなと思いたくなる一方、出さなければいけないと言う義務感みたいなものにとらわれる。

その結果、やっぱり続けよう。でも、今回は正月になってからねと、思うようになった。
まだ、私のことを忘れない方もいらっしゃるのだから………
有難いと思わなくては。









OS X Yosemiteへ

2014年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム
11月19日(水)

ここ、二日ばかり、起きる時刻が遅れて来た.
さぁて、これは良い事か、いけない事か?
良い事だと思いたい。
ここ、二日間ばかり眠れない時間が少なくなった。
おかげで布団の中で温まっている時間も増えて、起きて体を動かす気にならない。


しかし、それ程、ゆっくりはしてはいられない。
先ず、シャワーにかかる。
だんだん、寒くなると、この習慣がいつまで続くかと考える時がある。
結局は、習慣となっている事をいきなり中止するわけにいかない。
ただ、最近変わったのは、最後に冷水にかかることだ。
この習慣は寒い日でも励行していた。
しかし、最近、冷水は足と手だけで良いと言われて励行している。
本当はそう言われて、ホッとしているのが本音だが。


今日はリハビリセンターへ出かけるのが早目だった。
昨晩作った礼状のカードの宛名を書こうと思ったら、結構、時間が進むのは早い。
最近、呆れているのは、私は相当なノロマだなと気がついたこと。

何もかも、ノロイ。そして、やる事が馬鹿丁寧だ。
昨夜のプリントも結構時間がかかってしまった。
すべての動作が『わが道を行く』といった調子で、調子が上がらない。。

足の痺れはひどいが、コンピューターいじりに夢中だということに触れながら、カードを先生にも差し上げた。
あまりの凝りように呆れておられたようだ。

帰りはバス通りまでの道を歩く。
この通りは一本道になっていて、やっと表通りに出ても、バスの停留所は更に離れている。

バスに乗り遅れないように必死になって歩く。『必死』という言葉はこの道の状態にあてはまっているのではないかと思う。
家と家の間と道の交差がある部分だけが陽当たりが良く、あとは全くの日陰である。
これから冬になると、寒くてたまらないとぞっとする。
夏の間は暑くて、すごく大変だったと姉が言っていた。
変な道路だ。



午後遅くパソコンを開いてみた。指令あり。
OS X Yosemiteにインストールせよとの事。
はてさて?今までだったら銀座へ行って、インストールをしてもらったのだが、もう、自分で何もかもしなければならない(女がすたる)というわけで、パスワードに悩まされながら実施した。

バンザ~イ!出来たよ!その代わりに様子が大分変わってしまったけれど、何とか出来た!
お陰で、また、時間が大幅にかかりそうだ。


大変!Apertureが出てこない!どうしよう!





         

1931年

2014年11月18日 | 一年前
11月18日(火)

雲一つ無い真っ青な空だ!まだ殆ど黄色くならない我が家の白樺もてっぺんの枝だけは黄色気味になった。
いよいよ秋か!いや、もう、間もなく冬が……近づいているのだ。

パソコンを開いた私は、久しぶりに他の機能を使おうとした。
Pagesである。
今までには、いろいろなデザインをしたり、カレンダーを作ったり、年賀状作り等、様々なものに使用した。
しかし、新しくアプリケーションのダウンロードが始まると、今までの機能はそのままでは使えなくなると言う面倒が起こって来た。


どんな面倒な事でも、コンピューターはユーザーが指示通りに行っているうちは平気だ。ユーザーの理解力や操作の未熟さ次第で厳しくなるのみである。
今までは、その様な複雑な操作がいやで避けて来たが、やっと、何とか挑戦しようと思うようになった。
避けていては何も出来ない。ただ、挑戦する意欲のみ。

重たい腰を上げた。やらなくては仕方が無い。
もう、銀座へ行くのは止めたし、わざわざ重い荷物を担いで行くのは大変だ。
大体、Appleを使って五台目になる私が弱音を吐くなんて情け無い。
今まで、人を頼りにしていたから分からない事が多過ぎた。


今度こそ、自力で挑戦するぞ!と決めた。
先ず、コンピューター用語が未だに理解出来ていない。いや、その時は分かっていても、直ぐ、忘れてしまうのだ。
しかし、そんな事にこだわっていたら、何も出来ない。

先ず、『Pages』から始める事にした。
成る程、今までの作品や資料は現在のPagesでは使用出来ないと出た。
「意地悪!」と『Pages』に恨んでも仕方が無い。
昨夜は一念発起して現在の『Pages』ヘの転換を試みた。

今日、何とか出来た。『やれば出来る』である。嬉しい!!


今日も訃報があった。
高倉健さんである。八十三歳。私と同じ年齢だから、なおの事、心に響く。

1931年生まれの未年は昭和六年

 * 満州事変勃発(1931年/9月)



 




生まれてから成人に至るまで、怒濤の人生だったなぁ!殆どの人が苦労をしたのだ。
戦争に巻き込まれたのは生まれた時から、そしてやっと平和になったのは十代前半。
その後は、食べ物もろくに食べられない上に、平和とは名ばかりの時代が続いた。

やっと、楽になったと思えば、体の方が弱り、故障がおこる。
これは、歳をとれば、多かれ少なかれ、誰もが否応無しに経験する事だけれど、矢張り口惜しい。


昨日マニラ時代の教え子Mさんからのメールがあった。
彼女のメールは、是非、ブログにも載せたいところだ。彼女の承諾を得て載せてみたいと思う。


高倉健さんは立派な俳優だったと誰もが言い、彼の死を悼む。
その通り、私もそう思う。惜しまれる人格者だからこそ、文化勲章も授与された。

さーて、同年齢の私の場合、どうなんだろう?
惜しまれるなんて事は無さそうだ。
だから、長生きをしなくては……….ハハハハハハハ~~~
兎に角、足を治さなくては……ね!






満開の花を切る

2014年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム
11月17日(月)

久しぶりに剪定用高鋏を取り出して、我が家の庭で真っ盛りの花の枝を何の容赦も無く切り取った。

『何の容赦も無い』なんて言うのは、この樹が、本当はせっかく奇麗な花盛りを決め込んでいるのに、どんどん散っていく花びらの所為で他の植物や辺りの物を汚して、その花の持つ本来の美しさを半減しているからだ。


さぁて、この花、何と言う花だったかな?忘れてしまった。
しかし、多分、Uさんが教えてくれるかな?なんて安易に考えていた。
今日のメールを開いたら、早速、彼女からのコメントが入っていた。
早い事、早い事!
あ・り・が・と・う!
Uさん!!

さすが、Uさん。『野牡丹』と言うのだそうだ。
Uさんは植物に詳しいので、何時も頼りにしている。


早速、ネットで植物図鑑を開いた。残念ながら、この図鑑では出ていないので、もう一冊調べ直した。
しかし、見付からない。
その内に、別の本も開いてみよう。



久しぶりに、剪定高鋏を持ち出して、鮮やかな濃いピンク色の花を一斉に咲かせている『秋牡丹』の枝を切り始めた。
この鋏を河口湖から持ち帰ったのは、随分、前になる。
『女性でも軽くて持ち易い』と説明書にあったと覚えている。
結構、今の私にでも負担が掛からないと見た。
しかし、上を向きながらの長い作業となると大変だ。
先ず、気になるのは、首の事。急に心配になった。


情け容赦もなく、真っ盛りの花が付いた小枝を切り取った。
中には蕾ばかりのもある。無惨!
日頃、植物の手入れには、少しでも支障が無い様に気配りを見せる自分なのに「なんて酷い事をする」と思いながらも、心を鬼にして手を安めない。


すっかり切り取った。これで、今のところは大丈夫。
お陰で、腰が痛くなり足がヨロヨロする。
でも、誰も手伝ってはくれないから仕方がない。
結局、他人には頼れないと言う事か。

ススキの穂が可成り開いている。これも気にかかるが、後回しにしよう。無理、無理。



花を切っている時、表から声がかかって来た。
最初は、何か宣伝に来た人物かと思ったが「その花を戴けませんか?」と、ショッピング・カートを持った高齢の女性が尋ねたのだ。
「えーえ!どうぞ、どうぞ!いるだけお持ち帰り下さい。この花は散り易いから大変ですが…」と喜んで答えた。

結局、殆どの花の付いた枝は、彼女の腕に抱かれて帰って行った。
多分、以前から、華やかなこの花の事が気になっていたのだろう。
今日は彼女にとってはチャンスだったのだ。
あの花で、部屋を飾ったり、仏様にも供えたのかな?と思ったりした。

ススキも上げたかったが、もう、切り取る元気は無い。
日頃、殆ど、会話も挨拶も交わした事のない人が多いけれど、庭の草木を通して親しみが生まれて来れば良いのになぁと思う。
その為には、私自身の心構えの大転換が大事だと思うのだが……。


 * 今月の花




 * 1年前
 















私のカレンダーは5月のまま

2014年11月16日 | 一年前
11月16日(日)

私のパソコンの横に下がっているカレンダーは『5月』のままである。
そう、忘れもしない五月二十六日、お茶の水の病院へ入院したのだ。
だから『5月』のカレンダーは予定と記録で一杯だ。特に二十八日は『手術』とある。
その後、11月に入ってまで全部空欄。

その後、約六ヶ月が経ったが、残念ながら、体調は未だに完全とは言えない。むしろ、厳しささえ感じる。

しかし、悩んでばかりはいられないと、最近は何とかその厳しさを乗り越えようと思うようになった。
先ず、言う事をなかなかきいてくれない足を出来るだけ動かす事だ。

昨日はバスで二停留所の場所にあるスーパーへ、久し振りに出書けた。
広い店内は商品と買い物客で溢れている。
久しぶりに訪れたので、店内の様子も可成り変わっていた。
何よりも驚いたのは野菜や果物の値段が高い事である。(この店にもと言いたいところ…だ)


そうは言いながらも、結構、買った。品物をリュックに入れて担ぐ。
我が家までは停留所一つの場所へ戻った。バスが前の方に見えているが、もう無理。
「歩いて帰ろうか?」「そうね」
何時もなら、ついでに近くにある餃子の店に寄るのだが、それも止めにした。と、言うより二人共「餃子を食べたいね」とは一言も出てこなかった。


家に戻った時には、不思議と恐れていた足の痺れも腰の痛さも、あまり感じられなかった。
相当、彼方此方、店内を歩き回った後、家まで徒歩だったに関わらず無事だったのだ。


駅弁売り場で越前若狭の『えんがわ寿司』と言う物を一つ買った。
早速、食べたけれど、脂っこい魚で「もう、要らない」と姉に言われた。
さすが、押し寿司大好きの私も、カラスカレイのえんがわの寿司は全部食べ切る事は出来そうも無い。
珍しがり屋はもう止めよう。









そこまでは昨日の話。
天気が良いので、今日も駅ビルまで出掛けた。
今日もリュックサックを担いで出掛ける。
大判の地図を買っても、これさえあれば大丈夫。
彼方此方の店はどこも混んでいて、レジへの行列を作っている。日曜日とポイント二倍が利いた様だ。


今日は外食は止めて買い物をして家へ帰る。
随分、食べた。これじゃぁ!今に太るよ!

さあ!カレンダーをめくろう!
今からでも遅くはない!


秋深し、庭の植物に思うこと

2014年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム
11月16日(土)

秋が深くなった。

何日ぶりかで、庭の草取りをする。
主に露草。主人?のいない夏から秋にかけて、思い切り自由に伸びたかがよく分かる。
もう、蚊に刺されるおそれも無いから、草むらの中へ入って素手で引き抜く。

ススキもすっかり穂が開いてしまった。このまま、穂が飛んで行けば、彼方此方にススキが生えるかも知れない。
これは大変。でも、今日は後回しにしよう。

未だに名前の分からない濃いピンクの花は真っ盛り。辺りに派手な花びらを撒き散らす。
邪魔だから、枝を切ってしまおうかと思うが、私の相変わらずの『慈悲心』が邪魔をする。
兎に角、放置期間が長いから庭は散らかり放題だ。


病院で隣りのベッドにいたIさんが、やっと退院した。もう、この病院には知り合いはいないのでは無かろうか。
彼女は私の顔を見る度に「又、あなたの写真を見せて下さいね」と話していた。

自分のリハビリが終わった後、私は時々、三階にいる彼女を尋ねて、iPhonで写真を見せて上げた。
更に、写真が良く見える様にiPad持参で出掛けたりもした。

私の顔を見ると、彼女は自分のベッドの隅を開けて、二人が並んで座れる様にする。
そして、写真を見ながら、いろいろな話が弾むのが常だった。
話に夢中で、リハビリの時間が来て別れる事も度々あった。

数ヶ月の長い入院生活では、彼女も又、自宅の庭がどうなっているか気がかりだったと思う。
我が家の手入れ不足の庭木や雑草に近くなった草花類でも、結構良い慰めになったらしい。
話題は余り無いが、おっとりとした人柄の良さから出た言葉から、彼女の気持は良く理解出来た。
性格の違いはあっても、二人には共通した興味や関心があったように思う。


彼女は私より六斎以上の年上だったが、何となく友達の様で気楽だった。
二人の日常の会話は少なかったが、お互いに気持を理解し合っていた。

当時では珍しい私立の小学校へ通っていたと言う。その学校は高輪の高台にあって私も良く知っていたけれど、その後、移転してしまった。
都電が走る旧町名を知っていると言うと「そんな町名を知っている人がいて嬉しい」と話していた。


何となく、生活の場が共通に理解し合えると言うのは、話が弾むものだ。
のんびりしていて、人より行動が遅くなる彼女に、失礼と思いながらお節介なアドバイスをした事もある。
結局、私がいなくなった後も、相変わらずおっとりとしていたのだろう。

別れる際、アドレスの交換をしたが、多分、今では久し振りに戻った生活のリズムに戸惑っているに違いない。
落ち着いた頃に、ゆっくり電話をしてみようかと思う。


病院で同室にいても、いろいろ生活の違いがあり価値観の相違もある。
数ヶ月ばかりの生活とは言え、隣りにいる人の影響は避け難いが、出来るだけ無理な付き合いは避けて来た。
私は二ヶ月余りの滞在だったが、その間、五人の人と同室になっている。

それぞれ、家庭の事情で部屋を変える人もいたが、Iさんとは、結局、私が退院するまでの長いが気遣いの無い付き合いだったと思う。


今頃、石が多い自宅の庭で何を見ているのかなぁ?と、時々。思う。











上天気の朝も夕方はブルブルっと

2014年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム
11月14日(金)

明日は寒くなると言う天気予報は、又、当たらなかった!
朝、早めに洗濯物を干しに出たら、ポカポカと暖かい。まあ、こんな予想外れは大いに歓迎するか?

十一時までにリハビリ病院へ行く。
乗り物はどうしようかと迷ったが、矢張り、行きはタクシーを利用する事にした。
相変わらず、道の反対側は空のタクシーが多い。
目が合ったタクシーの若い運転手が「OK!」とばかりに手を上げた。
彼が方向転換をしようとしたら、後続車が車間を縮めた。
さて、どうするのかな?と見ているうちに信号は変わる。彼は強引に?信号の手前でこちら側の車線へ入って来た。

「お見事!」と言う他は無い。
「大変でしたネ。あの場所にお巡りさんがいなくて良かった」と、つい、言葉が出る。


定刻より早めに到着。
今日も天気が良いので、散歩に出掛ける患者さんが多かった。
ポカポカと暖かいので、上着も必要なさそうだ。
出会ったKaさんに「昨日は御茶ノ水まで行ったわ」と言うと「エーッ!」と驚いていた。
「ご心配をおかけしますが」と、先生にも報告をする。
その年齢でよくやるけれど、十分に気をつけなさい」と言われる。


ふと、外を眺めると、病院の前の大きなマンションの塀の中を黒白ぶちの猫が歩いている。
「あれ?あの猫もリハビリのウォーキングかな?何て付き合いの良い事」と勝手な想像をした。
猫まで、この病院の人達の様に真似をして、マンションの回りを歩いているのなら洒落ていると思う。
だが、あの猫は野良猫らしい。
度々、彼がマンションの回りを徘徊しているのを見掛けるが、本当は餌を求めているらしい。



今日のリハビリは、少しばかり姿勢が良くなった様だ。
何れにしても、曲がった背骨は戻らない。ただ、我慢をするばかり。頑張らなくては……


今日も、入院する人の介護タクシーが幾つも入った。
仕事とは言いながら、この病院の人達はよく働く。
自分が入院した時には、冷静な気持でいられなかったので、よく分からなかったが、細やかな配慮をしているなと思う。



最近は、受付の人や世話をして下さる看護士さんや事務連絡のSIさんも、顔が合うとにこやかな挨拶になる。
病院通いは大変だが、お互いの気持が通じ合えるのは実に嬉しく楽しい。


今日の『ツールドフランスもどき』は六十八歳設定で始めた。「あー、これで五歳若くなった!」と私。「えーっ??」EIさん。
「あ、そうか!十五歳だった!」随分、サバを読んでしまった。
さすがに、六十八歳の設定ではきつい。
「さあ!我が祖国の為に全力で!」と、つまらない冗談。どうしてこんな言葉が次々と出て来るのか我ながら分からない!
今日の成績は?優勝ですよ!とEIさんも。


帰りの道はバス道路までの距離が、相当に遠い。
冬になると、完全に日陰になる脇道を通りながら、これからの寒さを思いやった。
バス通りに出てからも、停留所まで道のりがあるときているから、その間にバスが来てしまうと、待ち時間が大変。



帰宅後、大森駅ビルへ行く。
結構、買い物をした。経済観念は何処へやら……ポイント二倍だの五パーセント引きだのに欲をかいている。


今日も又、姉に怒られる。なんて、私は不器用なんだろう!ああ!
通りがかりの壮年の男性が細かく教えて下さった。
やっと、何とかコツを掴んだ感じだが、まだ、ドキドキ!

一体、私は何年間、経験しているだろう?もう少し、上手かったはずなのに、本当に情け無い話だ。

あー!!神様!!神様!!である。


夕方近くなると、肌寒さが身に沁みる。
日本海側や北海道は天候が相当な荒れ模様だと聞く。
聞くだけでも寒くなる。





 * 猫のいるマンションの玄関に咲いているツワブキです。
































姉と御茶ノ水へ

2014年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム
11月13日(木)

一時間、早めに家を出る事にした。
約五十分で目的地へ到着。

久し振りの『お茶の水』である。以前には度々通った道も、随分様子が変わった。
道路も整備、拡張されているが、周囲の建物にも変化がある。
これで、オリンピックを迎えた頃には、どの様に変化するのだろうか。
『札の辻』辺りの複雑な進路表示板に、少しばかり迷ってしまった。


今日は二つの科を予約していたが、一向に順番が来ない。
もう、イライラしない事にする。何事も気長くする事だ。
一緒に来た姉(ついて来てもらった様なもの)は、当日申込みだが、早め早めに終わっていた。

S先生にお会いして、日頃、気にかかる事を伺ったが、親切、丁寧に教えて下さる。
先生は、何時も、わざわざ、外まで迎えに来て下さる。
「今日は姿勢が良いですね。背が伸びた」とにこにこしておっしゃった。

「リハビリでいろいろと考えて下さいます」と答える。
最近の病院は、患者を大事にする様になった。
現在、度々、出掛けているリハビリ病院の方針も、退院して初めて理にかなっていると気付く事が多い。
勉強になるし、日頃の反省にもなる。


昼食を終えて帰宅する。ここのレストランは結構美味しい。
すっかり気温が上がって、暑い程だ。
かつて馴染んだ街の様子は大分、変わってしまったが、まだまだ、残っている街並に、若かった頃の懐かしさを感じる。

兎に角、無事、帰宅。

それにしても、私はなんて不器用なんだろう!と、今日も思う。


夕方、スーパーへ行く。
出掛けようとすると、足がつった。
夕方になって、急に寒さを感じる様になった。
足がつるのは、部屋の中が冷えているせいか、多分、気温の変化もあるが、相当、疲れたのだ。


大根が安かった。私の足よりは確りと太いかな?
突然、『ふろふき大根』が食べたくなったので買う。今日みたいな日には適当だ。
リュックに入れて担いだが、重かった。


私の好きな『しめ鯖』と大根とキウイで作った洋風酢の物、無手勝流である。
今日は早く寝よう。
明日もリハビリがある。大忙し!