桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

なかなか進まない年賀状書き

2016年01月06日 | 日記
1月6日(水)

今年初めての燃えるゴミ収集日である。年末30日からの生ごみは随分たまった。
仕方が無いので、外に置いてあるゴミ入れに入れておいた袋を朝早くに取り出してくる。
そのため、早めにシャワーをして着替えた。

7時には来るというので、追加のゴミを捨てに出たら、近所のゴミ袋置き場も山のようになっている。
正月早々、廃棄物収集の係員も大変だ。それに出す側も…

しかし、やっと、正月気分も終わりつつある。
私たちにはそれも関連しない。まあ、平凡な生活であれば、これは良い事だ。
しかし、体のあちこちにいたさや不便を感じるとなると、一大事。
気を付けなければ…
残念ながら、日が経つ程に、その心配あり。

今日は、昨日に続いて年賀状を書く仕事がある。
昨年、一切、年賀状書きをしなかった事が、今になって厳しく感じられる。

しかし、結局、延ばし延ばしにしていた年賀状作成も、マイMacに反抗された。
つまり、私のコンピューターはいい加減な扱いで方で、色々と問題を起こしているのだ。
だから、折角の優れた能力も生かされないでいる。
昨年まで、あれ程、使いこなせたのに、今は宝の持ち腐れといったわけである。

言い訳はこれで終わりにしよう。最近の私はうっかりパソコンを床に落としたり、ひどい時は電源装置を壊してしまった。
いよいよ『銀座アップル』行きかと思うと迷ってしまう。
何故かというと、有楽町からの道のりが厳しいからだ。
それに、私は見かけによらぬ?恥ずかしがりだからだ。

そういうわけで、今、すっかり溜めてしまった年賀状書きがきつい。
結局、デザインなしの文面だけというのは、あまりに寂しいから、一枚ずつ、下手な絵を描き
始めた。まったく、ご苦労さんな手数だ!

先程までにやっと、40枚書いた。
まだ、半分以上ある。
こうして一枚一枚を見ていると、年賀状を下さった方の顔や思い出がよみがえってくる。
書くのが大変なんて、罰当たりだと思う。

かつて、きついなんて思った事もあるし、もう、いらないなんて口走った事もあるけれど、よく考えると、知り合って、こんなに時間が経っているのに、忘れずに年賀状を下さる人たちの文面には、相手に対する心遣いがはっきりと見える。

さくらこよ!有難いと思いなさい!
そう、直接、共に日々を送った事がない人もいるし、子供でなく、親の便りもある。
仕事仲間もいるし、日常生活の欠かせない付き合いの人もいる。
しかし、殆どの人との付き合いが、とても貴重に感じられた。

そう!大事にしなければいけない。
返事を書くのはきついなんで、わがままは言えない。
感謝の念で年賀状を書こう。

こんな年賀状があった。
『宇宙の母(かつて、子供達に宣伝した私のニックネーム)100歳まで生きて下さい』と…』
マニラ時代の子供たちとの触れ合いを思い出す。