桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

長~い御無沙汰

2016年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム
3月31日(木)

随分の御無沙汰だった。
まず謝るのは自分自身へ。

何故、これ程に書かなかったのか?と言うと、答えようがない。
日が経つにつれて、書かなければ…と言う気持ちが薄れてきたようだった。
ああ、今日こんな事があったなぁと思いながら、一日延ばしにしていたのは確かである。

『3月』結構、私にとっては忙しかったり気になる事が多かったのだが、それもパスしてしまう気持ちの方が次第に勝ってしまった。

なんと言っても『3月15日』が、自分の気持ちに大きく引っかかってしまった。
この日は確定申告提出の最終日である。
結局、前日の14日は書類に向き合ったまま、一日を過ごしてしまった。
電子申告という手段があるが、どうも、私のMacは適当ではないらしい。
結局、手書きになってしまった。
ところが、毎年の事だから簡単だと、安心していたらとんでもない。
書きあげた時には既に15日、就寝したのは4時半と言うとんでもない時刻になってしまった。
朝早く起きて、リハビリに行く前にポストまで投函に行く。

不健康な暮らし方は、それが及ぼす影響は大きい。
特に、私のようなリハビリを必要とする人間にとっては、とんでもないお返しが来る事を実感する結果となる。

翌日から腹筋が痛む。それが静まると、今度は背中の方から痛みが押し寄せる。
24日はお茶の水へ行った際、先生に伺うと『三~四週間はかかる」との事。ああ、とんでもない事をしてしまったと思う。

数日後、税務署から封書が届いた。15日に送った申告書の写しである。
ああ、これで安心。やっと、義務を果たした思いだが、反省しきり。

これ程に、作業が進まなかったのは、クルマの処置にあった。
KNさんに交渉してもらう。
ご自分の仕事が忙しい中を、よく、面倒を見て下さった。
28日には全て完了する。

もう、運転はする事がないだろう。

やっと書く気になった!

2016年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム
3月11日(金 )

今日は日本中が共通の話題を否応なしに持っている日だ。
どうしても、あの日の銀座の思い出が忘れられない私も同じ事だ。

さて、今年の私の誕生日3月10日から続く3月11日は、特筆する事柄が多かった。
それも、我が家にとっては、とても良い日だったのだ。
姉は9日、私は10日と誕生日が繋がっているから、昔から二人まとめての祝いだった。
久しぶりに見た写真の中で、3月10日に宿泊したホテルで、誕生祝いのケーキをいただいた事を思い出す。

10日、IF君から電話があった。
あ、やっぱり、覚えていてくれたんだわ!
彼はケーキを持って、今から訪問すると話した。
ごめんね!今日は訪ねてくると約束をした人が二人もいるの。よかったら11日にしてもらえないかしら?
あ、11日でもいいですか。

そんな会話が交わされて、今日、11日にIF君は素敵なケーキを持って訪ねて来られた。
先ほどからIF君と呼んでいるが、彼は既に七十歳を超えた人である。
しかし、その彼は教師に成り立ての私にとって嘗ての可愛い教え子であり、双方共に『学校』の経験を初めてする『仲間』だったのである。
それだけに、どうしても、彼の事を『君』呼ばわりにしたくなる。
それは当時の子供全てであるが…

3月11日、洒落た帽子をかぶって彼はあらわれた。

バースデーケーキはたっぷりとしたクリームと新鮮な果物で盛り上がっていて、チョコレートのメッセージカードが飾られていた。
IF君と姉と私の三人でケーキのカットをして美味しくいただく。
昨年以来、彼は私の誕生日を忘れないでいてくれたので、とても嬉しかった!
それは、今年もまたIF君が?と、ふと、考えていた事が現実となった出来事だったのである。

彼は、私にとって最初の教え子であり、三年間の付き合いだった。
三年目には隣のクラスと合併になり、私が一クラスとして担任する事になった。
実は旧一組の子供に対しても、殆ど自分の受け持ちと同じ様に関心を持っていたので、児童数が他学年よりも倍に増えても、この学年を担当する事に満足していた。

確かに、仕事の量は倍に増えて大変だったが、学校で一番多人数のこの学年の子供達と過ごす日々は幸せだった。
お陰で、教師になる事があまり好きではなかった私が、彼等を通して教師としての喜びを教えられたのである。

結局、私は教師の仕事を定年まで続けたが、多くの人々に接して、人間として教えられる事が多くあった。
中でも、教師に成り立ての私が少しずつ、教師としての自覚を持てる様になったのは、渋谷で触れ合った三年間の子供達と父兄の方々だったと確信している。

それにしても、未だに、懐かしがって下さる人々が私の周りにおられるのは、何と言う幸せ者だと、改めて思う。
IF君ばかりでなく、様々な形で、未だに私に摂して下さる渋谷の皆さんの思い出はあの美竹公園の原っぱと共に絶対に忘れられない。
どの子も本当に元気で溌剌としていた。
教師としての原点である渋谷小学校は無くなったが、本当に幸せな日々であリ、宝物である。


教師としての最後の時期には、管理職としての苦労も多かったが、今日の様なIF君の出来事があると、教師を続けた事が本当に大切で冥利に尽きると思う。

それにしても、IF君は子供の時からとは変わっていない気がする。
これも、彼のご両親の暖かな教えの賜物だろうと、改めて懐かしんだ。


*残念ながら、写真にとったケーキはブログに載せられない。
 今のところ、自分一人でIphonを楽しむしかない。