桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

重い、重~い!御茶ノ水

2014年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
2月27日(木)

朝9時前に家を出る。今日は暖かそうだ。

駅へ着いたら、エスカレーターは修理点検中となっている。
なんと、酷な事だろう。足がおぼつかない身にとっては過酷そのもの。朝の早い時間では駅ビルのエスカレーターもエレベーターも使えないから困ってしまう。

まだ、早いので、電車は混んでいた。
本当は、通勤時間帯に電車を使いたくないのだが、予約時間が決まっているので仕方が無い。
新橋辺りまでが限界で、その後は空いて来た。
(予約時刻は、もっと、遅い時間帯が良いと若し出る)


御茶ノ水では、腰の曲がった人や足が不自由な人、車椅子に乗って、家族に付き添われている人等々、まさに高齢期を迎えた人達の縮図である。
私も似た様な状態だが、まだ、一人で動ける。しかし、これは誰も世話をしてくれる人がいないと言う訳で、だからこそ、確りしなくては…と決心する。

「私には子供も孫もいないけれど、ルンバ?と言う息子がいます。でも、世話はして貰えません」「ああ、家にもルンバがありますよ]と、N先生と冗談を言い合った。


S先生は来年度もおられると言う事で、ホッとする。健康相談をしたり悩み事を聞いていただけると、一番頼りにさせていただく方だかり、ずっと気にしていた。

朝食兼昼食をレストランで食べたが、美味しかった。何時も、ここではテーブルまで運んで下さるので有難い。
余程、私の足元が気になる様だ。「運んで上げますよ]と、何時も言って下さるのだ。


大きな袋に入れた薬や貼り薬を持ち帰るのは、何時も苦心する。時には「いりません」と断る時もあるが、やはり必要品だから大変。
結局、何処へ行くにも重くて仕方が無く、フラフラになる。

それでも、また、駅ビルで買い物をした。『SI』でチョコレートを山程買った。Yさんに送る。
今日も又、あ~!キツイ!である。二人共、グロッキー。

結局、疲れて部屋でうとうと。姉も同じ。
明日は、また、Appleだだ。忙しい。

結局、確定申告もカレンダー作りも出来なかった。









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またもバージョンアップで悩む

2014年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
2月26日(火)

結局、夜迄かかってカレンダー作りをした。
それなのに、ああ、何と言う事だ!
折角出来上がった3月のカレンダーを消してしまったのだ。
がっかり!!

大事な確定申告書作成を横に置いたまま、パソコンにかじり付いていたのも、明日、出来上がったばかりのカレンダーを御茶ノ水へ持参するつもりだった。
今日は26日、2月は28日で終わりだから、是非共、持って行きたかったのだ。

来週はパソコンを触る機会が少ない。いや、触れないでおこうと決心していたから、今日中に、3月のカレンダーを作り上げようと決めていたのである。

ところが、問題発生。
またもや、バージョンアップしたソフトで、酷い目に遭ったのだ。
『Pages』は、カレンダーつくりのために、大事なアプリケーションである。
つい先日、計算ソフトで、散々苦心してなんとか仕上げた経験から、今回も、どうにか出来るだろうと使い始めたのである。
しかし、バージョンアップ以前のソフトでは楽に出来たものが、今回では、複雑そのもので、よく理解出来ない。

めちゃめちゃ、いじり回したが、なかなか、思う様にいかなかった。
それでも『人間様がこわれても器械はこわれない』の考え方で、何とか、解決方法を見つけ出した。

お陰で、随分と時間がかかった。それに、一度、そふとのあちこちを開く事が出来ても、閉じてしまうと、また、全然分からなくなる。
そんな苦労を繰り返して、やっと『3月のカレンダー』が出来上がった!
と、喜んだ途端、消滅させてしまったのだ。
なんと、アホらしい!!

もう、や~めた!
今晩は、寝てしまおう!と、決心する。
返す返すも、ザンネン、無念!









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間もなく開花、桃の花

2014年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2月25日(火)

暖かな日になった。
未だに、先日の大雪の被害が残っている土地が幾つもあると分かる。
「大雪で大変でしたね。いかがですか』と、愛媛のYさんのご主人に聞かれた。
一瞬、何の事かな?とぼんやりする私。雪の被害を受ける事もなく、すっかりそれらの跡形がない生活が送れる事の有難さを感じる。


しかし、そうとばかりは言っていられない現象があちこちに出て来た。
何よりも、野菜、果物類の高値に驚く。更に、最近はスーパーで並べられている商品に『増税前の保存用』とれいれいしく札が下げられているのには、その商魂にあきれてしまう。
そう言えば、あるデパートでも、『増税前セール』の催しですごい人出があったとニュースに流されていた。

全く、不景気だねー!
一方では、やれ、バレンタインだ!やれ、ホワイトデーだ!景気回復だ等と、消費者をあおっているが、一向に庶民の生活は厳しい。まさに、この大雪と同じ。

レジに並ぶ客の籠の中も、だんだん、節約ムードが込められている様な気がする。
そう言う私達も、同じ様な事をしているが、何だか、夢がない。
せめて、この先、好きな事をやろう、好きなものを食べようと考えたが、体が言う事を聞いてくれないと……もう、世の中、過ごし難い事だ。


あ、あった!!会津塗りの酒坏の『こけし雛』が一年中、赤い塗りのテーブルに鎮座している。
それは、如何にも奇麗に扱われているように聞こえるが、放ったらかしだから、余り奇麗とは言えない。
丁寧に拭いて上げようと思った。そして、忘れずに、たまには桃の花も飾って上げよう。


春めいた午後の陽の中で考えた。
我が家の休息の地、富士山はどうなっているかな?と……
麓の富士河口湖町の積雪の状況を見聞きしては気になっている。

ネットで確定申告をと調べた。
先ず、出だしから引っかかる。面倒だね。
私はやっぱり今まで通りに書くつもりだ。

八幡浜のYさんから、早速、宅急便が届いた。
小さいけれど、甘~いミカンとデコポンがぎっしりと詰まっている。
素晴らしい特効薬だ。
お二人の優しいご好意に深く感謝する。

















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所得税確定申告

2014年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2月24日(日)

やりたくないと、毎日の様に引き延ばしていた『所得税確定申告』の記入に取りかかる事にした。
しかし、途中で、邪魔者が入る。
つまり、パソコンで他のものを開いて見たり、絵を描いたりと無駄な時間をとってしまう。

兎に角、この書類を書き始めて、既に23年は経つ。
在職中は事務の人が作成してくれたから、何の苦労どころか、確定申告への関心もなかった。
退職して、初めてこの書類を手にした時には、直ぐに区の出張所へ出かけて、出向の税理士さんのお世話になった。
その後は、何時も、自分で処理している。だから、このうっとおしい気分になる時期は、折角、春が始まろうとしていると言うのに、気持が浮き浮きしないでいる。

ところで、気が付いたのは、自分で処理せずに事務に任せた時期に、案外、大事な項目の処理を疎かにしてしまった様だ。
例えば、医療費。これは自分に限らず、家族の治療費控除もあった筈だが、このあたりは担当の事務からも連絡がなかった。
『連絡が無い』と言うのは、事務方が悪いのでは無く、本人の税金に対する無知さ加減にある。
今更、気が付いても後の祭り。ああ!損をした!とは今更言えない。
「私って、バカだったなぁ!」とつくづく思う。

揺するに、自分の職務以外は世間知らずだった訳である。
年金生活が始まって、他人のお世話にもなれず、殆どは自力で物事を処理していく身になって、世の諸々の事柄や現象にどう対応して行くかと、遅ればせながら気が付いた。

少し、遅いが、それでも、この世知辛い世の中をどう生きていくか、やっと身構えるようになった。
少しばかり遅いが、それでも、これもボケ防止になるかなと思う。

さあ、元気を出して、申告書を完成しよう!

















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愛媛のミカン山から

2014年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム
2月23(日)

最近、買い物へ行くと、必ずミカンを買って帰る。
今日も、ネット入り一袋を買った。
薬を飲むより胃腸の調子に効き目があるからだ。

買い物から戻って、遅い昼をとっていたら、嬉しい宅急便があった。
何時も、この季節になると、愛媛の友達から爽やかな匂いたっぷりの贈り物が届く。
冬にはミカンを…この季節になるとポンカンやデコポン、伊予柑等が箱一杯にあふれたミカン山のかおりを届けて下さる。


早速、開いた箱の中には色々な大きさの柑橘類が入っていた。マジックで書かれた柑橘類の名前を見ながら、色々と味わってみる。
ポンカンは甘~くて、たっぷりとした汁が…デコポンは爽やかなジューシーさが口一杯に広がる。
隣りへも心ばかり(ケチなんです、私達)お裾分け。

よかったわー!二人はYさんの『愛媛ミカンだより』のタイミングの良さに感謝する。
日頃、柑橘類が大好きな姉は勿論の事だが、私にとっては、まさに薬に近い、いや、現在は薬より貴重だと思うようになった柑橘類は、毎日、絶対に欠かせないものになっている。

以前、病院で、ミカンの話をしたら「それが一番ですよ!」と、院長先生が答えられた。
医師もすすめる特効薬はミカンにあり!と言う事だ。
だから、私は毎日、絶対に一個は食べる事にしている。勿論、甘皮も全てである。


何時も、ミカンを送って下さる友達K子さんと知り合ったのは、約20年前。女性の海外視察派遣団に参加した時から始まる。
フランス、スイスと約半月以上の旅をする際、班を組み行動を共にする機会が多かったので、思い出も多い。


その後、彼女を尋ねて、愛媛県の八幡浜市迄出かけた事がある。
ご主人の運転で、あちこちを案内していただいた思い出は、今も懐かしい。
佐田岬から対岸の九州の関を遠く眺めたり、旧い街並を見せる内子の印象は今でも忘れられない。

中でも、ご夫妻が丹誠込めて作られたミカン山の辺りの雰囲気は、今でも眼の辺りに残っている。
そう言う訳で、Yさん(K子さん)からミカンが届くと、あの山の事が直ぐ思い出されるし、電話をしても留守だと、今頃は山の畠かな?などと考えたりする。

天候予報を見ても、何かニュースを聞いても、愛媛県は,私のすっかり気になる土地になった。  
八幡浜、Yさんご夫妻の暖かなお気持ちであふれた懐かしい地だ。








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そんなトシに?

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2月22日(土)

穏やかな天気になったが、気温は相変わらず低い。
毎日の様にベランダの側の桃の樹を眺める。
日毎に蕾がふくらんで、まだかまだかと暖かな春を待っている様子がよく伺える。


最近、庭の様子が変わって来た。雪の後では、一層、季節が早まる様な気がする。
私が今、一番、気にするのは植物。
植物は嘘をつかない。
季節の変わり目を逸早く知らせてくれるのも、植物。
小さな、目立たない野草が、一番、春の訪れを早く知らせてくれる様な気がする。

その様な野草を見付けると、何とも愛おしく思える。
なぁんて、本当は、私って、優しいのだな。
だって、こうした草花を見付けると、心が安らいで、いろいろな想像をしてしまうからだ。

広くもない庭で、荒れ果てた様な花壇だが、ひっそりと芽が出て来ると嬉しくなる。
そして、雑草だと分かっていても「いや、もう少し待って!』とばかりに、抜き取るのを止めてしまう。

若い頃、職場の噂話で「あの人も歳をとったものだ。生き物じゃなくて、植物の世話をしている』と言って笑った。
それは、相手に対する嫌みではなく、むしろ、親しみを持ったものだったが、何となく、今でも印象に残っている。
そして、当時は、言葉の意味が良く理解出来なかったが、今は分かる様な気がする。

そんな事を考えながら、今日もベランダヘ出た。
「私も、そんな歳になってしまった。いや、もう、いい歳になり過ぎたんだわ」
しかし、これは人生の寂しさから来るのではなく、毎年、季節が来ると芽を出す、嘘をつかない植物の律儀さを愛したからだ。

これからも、もっと、もっと、植物を大事にしなくては………
自分が、歳をとっているから植物が好きと言うのでは無く。


そうだ!運動のために、近所のスーパーへ行かなくては……
夕方の路地は肌寒かった。夕日を撮ろうと思ったが、カメラを取り出すのも寒い。










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やっと、終わった!

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2月21日(金)

やっと、家計簿の整理(私の受け持ち部分)が済んだ。
なんと、何と、表計算をしている中に、大事な表が何処かへ?これも、バージョンアップの所為だよ!と、恨む。


何とか、時間をかけて解決出来たが、やっぱりパソコンって、面倒なシロモノだね。
私の様に、凝り性で、少しの事でも分からないと、さんざん、いじり回してしまう人間には合わないのかなと思う。

それでも、そうなると、一層、いじってしまった。
しつこいね!そう言う事にこだわっていると、自分の体を壊してしまうと、冷静な、もう一人の私が言う。


作業が一段落した後、やっと、消えてしまった項目を立ち上げた。まだ、資料を大事に取っていたから助かったが、結局、遅く迄起きていた。


そろそろ、オリンピックも終わり近くなった。今日は一日中、あのスケーターの話ばかり。
「泣いた!」と言う解説者もいる。


あ、そう?

私はどうかな?(実は、私もジ~ンと来た!実に実に、不覚にもね)
真剣さの溢れたあの演技には、心を捕えられた。しかし…である。
オリンピックと言う舞台は、ベテランでも異常な心理になるらしい。私は選手じゃないから理解し難いけれど…

しかし、考えて見ると、私の様な人間でも、大勢の人の面前で話したり、説明する事がうまく出来なくて、不甲斐ないと思った事が、過去に何回かある。
真面目なんだね。いや、全然、心の在り方が分からなくなる。つまり、格好つけ過ぎて、あがるって言う事かな?
過去の自分の言動を振り返ってみて、なんとか理解出来た様な気もする。


それにしても、日本人って、小さいねぇ。もっと、世界を知れ!堂々とやれ!である。
やはりマルコポーロの『東方見聞録』の国、ジパングとしかみられていないのかな?
奮起しなければ!(と、何となく、私は言いたくなりましたよー。これもカラ元気?)


よ~く、見ると、あの演技、パーフェクトだったねー。それだけに、とても口惜しい感もあるのだ。










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計算ソフト

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム
2月20日(木)

表の計算に、まだ、こだわっている。
新しい機能は、慣れる迄には取っ付き難いが、約束事が分かって来ると、その便利さが分かって来る。
そんな事は当たり前の話だが、たまに、この様な便利?な物にぶつかると、新鮮な気もする。

いや、痩せ我慢で言っているのでは無い。
面倒くさくて、苦労だ。しかし、面白いと分かる迄に時間がかかるのは当然な事。
眼はぼやっとして来る。最近、視力が低下した様だ。これも、使い過ぎの所為。

折角、眼科の先生に誉められた大事な大事な眼迄、駄目にしては大変。
そろそろ、パソコンから離れなくてはいけないと思う。

と、反省してみた。でもでも、で、ある。

眼がぼうっとするのは、パソコンだけでは無い。勿論、最近はiPhoneと言うオモチャがあった。
それよりもいけないのは、テレビの所為かな?
この二週間近く、眼が『そち』らの『ソチ』へ行ってしまった。

昨日の様なスノーボード女子パラレル大回転で大活躍をした実況放送は面白かった。
最初はパソコンをいじりながら、耳はテレビへと言った様な視聴態度だったが、だんだん『金』に近くなると、眼が離せなくなった。

最初から一位を占めていた竹内智香選手が決勝戦になった時、初めて転倒したのは残念だ。
しかし、日本人女子選手がオリンピックで入賞、銀メダルを得たのは素晴らしいとの事。
「これから、若い人達が続けば良い」と彼女は語っていた。

爽やかなニュースだった。
お陰で、夜中のテレビは見る事も無く眠ってしまった。
そろそろ、眼の調節、いや、体の調子を正常にしなくては……

残念だ、残念だと、何回も同じ映像が流れる今日のテレビ、
自分の力を全力発揮して欲しいなぁ!と、思う1日になっていた。

ガンバレ!日本の選手達!でも、使命感ばかりを考えないで…自分のために。











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バージョンアップ

2014年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
2月19日(水)

晴れているが、気温の低い一日になった。
ただ、水曜日は雪になると聞いていたが、何事も無くて助かった。

今朝方までかかって、レシートのチェックをした。こうなると、眠気も何処へやら。
だが、この作業でやっぱり疲れている。

見易い表にしようとしたが、バージョンアップしたNumbers は思う様に動かない。
最後には消そうとしても、一向に消えてくれない。
なんの事はない。以前のNumbersの方が馴染みがあって操作し易い。とんだものを入れ込んだと悔やんでも仕方が無い。

夕方近くまでかかって、もう、作業は何もかも止めようとしたが、コンピューターそのものが終了してはくれない。
強制的に停止させようとしてもNumbers自体 が終了してくれないから、オロオロする?ばかり。
その時、何だぁ!『キャンセル』を押せば良いのでは無いかと、気が付いた。


随分、手間をかけたものだ。しかし、結局は良い経験をしたのだと思いたい。
これからは、このソフトで迷っても、何とか少しは理解出来そうな気がする。


毎日、ベランダから見下ろす桃の樹は、ピンク色がかった蕾が、一日一日とふくらみ始め、早くも春の訪れを待っている。
この花は、何時、咲くのかしら? もう、雪は降らないで欲しいなぁ!

庭の奥を見ると、黄色い夏みかんが幾つも落ちている。一つ、食べて見ようかしら?
酸っぱいぞ!



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<素敵な大先輩>

スキージャンプ『日の丸飛行隊』は見事に銅メダルを獲得した。
テレビでは、何回も何回も、彼等の活躍ぶりを流していた。
その度に、四人の団結力と、信頼感、技術、勇気などなど……そして、それぞれの選手が大変な苦難を乗り越えて勝ち取った銅メダルだと聞く。

「河西さんはレジェンドではなく、僕にとっては神様です」
「お父さんの様に優しい」と語る20歳の選手。
難病の疑いを乗り越えて大きなジャンプをし遂げた選手、そして、
何よりも、執念に近い努力と意志で長年持ち続けた願いを果たそうとした41歳のジャンパー。

男泣きで始まり涙で終わる、河西選手の姿は美しかった。
何と、素晴らしく愛情深い人物だろう。
この様な人に、私も巡り会いたかったと思う。
また、自分は今迄に、その様な気持や行動を示して来ただろうかと考えたものだ。

まさに『金』の価値より優る『銅』だった。






 





雪に閉ざされる

2014年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
2月18日(火)

今回の雪は、日陰では、まだ溶けないでいる。
我が家の塀の周りには雪の塊があるが、もう、雪掻きをするのは止めにした。体が持たないのだ。
そう言えば、今回の雪が積もった後は、クルマの屋根の雪を払いに来る人も少なかったようだ。

やっと、山梨県側のJR中央本線が開通すると言うニュースがあった。
山梨県を始め、東京でも奥多摩町日原の辺りは雪に閉じ込められている様子が映像に写された。

秩父多摩甲斐国立公園にある『日原鍾乳洞』は有名である。私も若い頃に見物に出かけた事がある。日原には、未だにムカシのままの姿が残されている様子をテレビの映像で見付けた。

かつて、多摩川上流にある日原の家々は、道路よりも低い位置にあって、草が生えている鄙びた屋根が見られて「東京にもこんな所が?』と驚いたものだった。。



学生の頃には、奥多摩に興味を持って、度々、友達と出かけた思い出がある。
奥多摩湖が出来て小河内ダムを完成させた当時も、その様子を三頭山から眺めたものだ。
そうして、東京にも、まだ、この様な鄙びた土地がる事に大きな魅力を感じたものだ。


今、雪に閉ざされて動けず、生活の殆どの基盤を奪われた土地があちこちにある。
山梨県の早川町も、その一つと聞いて地図で調べて見た。
河口湖から行くと、本栖湖を通過して国道300号線を身延山へ向かい北上する箇所にある。


成る程、そんな場所にあったのかと、今までに出かけてみなかった事を残念に思う。
「下部温泉へは二度もドライブしたのになぁ!」
しかし、もう、クルマで出かける事もない。それに本栖湖を越える国道300号線(本栖みち)のカーブのきつさが印象に残っている。

甲府は120年以来の大雪だったと言う。
何れにしても、この降雪で三日も四日も道路が閉ざされて、動きがとれなくなったクルマが多い。
中にはクルマの鍵を置かないでいなくなったと言うニュースもあった。
確か、地震等の災害時にクルマを残す時には、キーは残しておくようにと言う注意事項があったと思うが、雪の場合も同じだと思った。

兎に角、自然がもたらした災害は、人間が避ける事も出来ない場合が多い。
確かに、日頃、温暖な地方では、寒波の襲来等に対する対策が甘い。
しかし、それは行政の所為だとばかりは言っていられない。

被災地の人の話では、水も出ない、電気も点かない、暖房も取れない……などと…
成る程、現代の生活ではトイレさえ使えなくなるのだと悟る。日頃、ウオッシュレットが普及している日本で、こうした災害が起こる事の怖さや不都合さをしみじみと感じた。

今日も、テレビで「行政が悪い」と文句を言っていた女性がいたが、自分自身の対応も考えなくてはなぁと思った。


兎に角、人任せでなく、一人一人の注意や予見も大事にして、行動する事が大切だと思った。


雪に閉ざされた過疎の町。
それは加齢者が多く住む所でもある。雪掻きもおぼつかなくなる自分自身の場合も考える由々しい問題だ。










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銀座へはタクシーで

2014年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム
2月17日(月)

1時にAppleの予約がある。
八重洲口からタクシーに乗った。
「近くて済みませんね」と、必ず言う事にしている。
愛想の良い運転手さんとAppleへ着くまで楽しくお喋りをした。最近のタクシーの乗務員は、以前の人達と違って、親切で良く話し相手になってくれる。
たまには無愛想な運転手もいるが、大体は気分よく運転してくれる人が多い。

今日は、帰りも楽しく乗る事が出来た。
タクシーに乗っていても、窓から青空を眺めるのも楽しい。


かつて、日本のタクシーの運転手の愛想の悪さが評判になった時代があった。
それが何時の間にか、今のように変わって来たのだから不思議だ。
そう言えば、年配の運転手が結構多くて、以前の仕事を退職した後、タクシーの仕事をしていると言う話をよく聞く。

中には、親切な人がいて、目的地に着いても、まだ降りないでと言う。わざわざ、銀座通りのビルの正面へ着けたクルマから降りて、客席側のドアを開けてくれる。そして、荷物を下ろしてくれる。と、言った、外国並みの扱い方を示してくれた。
それは、女性客に対する彼自身のモットーだと言う。(因みに彼はイタリア生まれの日本人だが、スパゲッティは嫌いだと言う)

マニラにいた頃、一時帰国をした事がある。当時は日本のタクシーの運転手は一言もしゃべらずに怖いと言われていた。
しかし、その時、乗ったタクシーの運転手は、愛想が無くても怖く見えなかった。
何故だろう?それが不思議に思えたものだ。
やはり、外国のタクシーに比べると、言葉も使えるし、人情の機微も分かる事が安心出来るのかな?と話題にしたものだ。



今日の目的ははiPhoneについて学ぶ予定だったが、昨日から足踏み中のNumbersの操作を教えてもらった。
以前にも教わった事がある女性の先生は、順序良く丁寧に説明をし、操作を教えて下さったので、何とか理解できてよかった。

行く度に指導者が変わるが、それぞれに特徴があって得るところが多く、何時も、知識の『ミヤゲ』を持って帰る事が出来る。しかし……
困った事に、最近は銀座まで通うだけで体がすごく疲れる。
家に帰ると、バタン、キューの有様。
ブログも書きかけで寝てしまった。







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大変!雪が降る!

2014年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
2月16日(土)

陽当たりの良い道路は、昼過ぎには雪がすっかり溶けていた。溶けた雪が大きな水たまりを作っている。

ニュースによると、未だに高速道路ではクルマの渋滞が続いていて、とんでもなく長く無駄な週末の時間を過ごしたドライバーもいると聞いた。
もっとも、私はクルマを雪の降る日に運転しようとは思わないから、渋滞に飛び込む事もないだろう。

かつて、国道を運転している時に前のクルマが急に回転した。雪道でスリップしたのだ。
「何をやっているの?』まだ、雪道の怖さを良く知らなかった私は、単純に彼の運転が下手で、バカな事をしていると思ったのだ。

また、雪が降る休日に仕事に出かけた。瞬く間に雪が積もり始めて、急いで帰宅する事にした。勤務先は坂道の途中にある。恐る恐る幹線へクルマを走らせて、ガソリンスタンドヘ入った。もう、サイズに合うタイヤチエーンは売り切れだと言われる。

国道ヘ入ると、さすが、幹線、雪の心配はなかったが、我が家ヘ向かう道はそうはいかなかった。
しかし、姉がわざわざ、雪掻きをして待っていてくれた。無事、クルマは駐車場へ。

その他、富士山の道ではアイスバーン状態になっていて、ゆっくりクルマを走らせた。
姉が「もっと、速く走らせたら」と言う。「冗談じゃない。ここではこれ以上のスピードは無理よ」と答える。
スピードが好きな彼女は不満そうな顔をしていた。

山道の曲り角で、雪の山にタイヤが埋まりそうになったことがある。後続車の男性が押してくれて、無事、障害物から脱出した。そのカーブを見る度に思い出す。

山では、絶対に必要なチエーンも、麓へ行けば、誰も付けていない。カラカラと派手に音を立てて走る自分の車が照れくさかった事もある。帰宅後、チエーンがなかなか外れなくて、隣りのご主人が外して下さった。
それ以来、チエーンをつけてまで出かけるのは止めて、スタッドレスタイヤにした。

冬の運転は厳しい。出来る事なら、運転は控えた方が良い。しかし、どうしてもクルマが必要な人もいることを考えると、彼等はどう、雪深い冬をしのいでいるのかと気の毒に思う。



まだ、渋滞に巻き込まれている人達が、一刻も早く、暖かな我が家へ戻られる事を祈る。

そう言えば、今日のスーパーでは、牛乳がほとんど売り切れていた。そして、値段が、何時もより高い品物さえも発見
した。
また、生鮮食品の供給も大幅に遅れて、価格も上がっている。

雪の怖さを余り経験しない都会の生活では、日頃、何の気もなしに使っていた電気や水が、如何に大事なものであるかと、改めて思い知らされるのだ。








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?雪やコンコン? なんて言うものではありません

2014年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
2月15日(土)

すごい大雪になった。
夜、外を見ると、前の駐車場のクルマの屋根には分厚い雪が積もっている。
先日の雪の後は、持ち主達が一生懸命に雪掻きをしていたが、今日は土曜日でもあるし、雪掻き作業に現れる人影もない。

今回の雪は重たく柔らかい雪らしい。陽射しが出て来たので、何とか自然に溶けてくれるだろう。

東京でも、あちこちで雪の被害が出て来たとニュースがあった。何と言っても、交通機関の休止や遅延が大変だ。まだ、土曜日である事だけが多少の救いだ。しかし、仕事や大事な用事のある人にとっては気の毒。

ところで、甲府は110㎝以上も異常な積雪があったと聞く。
そう言う時、一番気になるのは富士山の家の辺りだ。冬の間は出かけないから、自分達の事は心配しなくても良いが、現地に住む人達は、さぞ、大変な思いをしているだろうと思う。
一合目の家から、山道を麓へ下るのも、ましてや、山へ登って行くのも大変な苦労をする。
スバルラインは、早くから除雪されているが、一般の道路や敷地内の道は雪が固まって、危険を覚悟しなければならない。
この様な時に、暖かな都会で冬を過ごせるとは、何と幸せな事か。

この時期に現れるのは兎だとか、猪だとか鹿。
ムカシからの住民?である彼等は、人家の近くに食べ物を求めに来る。
彼等にとっても、住み難く、食べ物を得られない季節であるのに、人間が住むようになってからは、益々、狭い世界になりつつある。
おまけに、無責任な人間が捨てて行った猫が、何時の間にか区画内に住みつくようになった。彼等はこの厳しい時期に、どう、生き抜いているだろうか?

 
この土地に来てみて、はじめて分かった事柄の一つは、山に住む生き物達の生活圏を『お邪魔虫』にしているのでは無いかと言う事である。
植物にしても同様に言える。以前は、簡単に見付かった富士山特有の山野草が途絶えつつある。
家の持ち主達が庭を好みのガーデン造りにするのも、考えものだと思うようになった。

もっとも、もう、面倒な事は、一切、やらない事にしている私だが……


羽生選手が金メダルを取った!!この素晴らしいニュースは大雪の真夜中に知った。

オリンピックと言う特殊な舞台は、ベテランの選手にとっても、大変な緊張感のうちに演技されるのだなと、つくづく思う。日頃、見られないミスが出て、残念な選手もいた。
眠~い一晩だったが、なぜか眼が離せなかった。
テレビでは大雪に関する情報が共に流されていたし、BSは放送されない状態だったのも特別。

ソチでは暖かな小春日だと聞いたが、何と、太平洋側は大雪。選手達は驚くだろうな!








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 * 赤い花の枝が雪の布団にかぶってしまいました。(上の二枚の写真から) 


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雪の庭/Give me Valentine's Chocolate

2014年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
2月14日(金)

また、雪が降っている。
相変わらず、交通網は混乱。

今年は立春を過ぎてから、降雪の機会が多くなった。
折角、花芽を出し始めた我が家の桃の樹も、寒さに驚いているだろう。
可愛くふくらみ始めて、ほんの少しばかりピンクの色を見せ始めているのに。

先回の雪の後、花壇を見たら、荒れたままの地中から、緑色の細長い葉が幾つも幾つも出ている。
昨年からそのまま埋まっていたチューリップの芽だ。
自然の中で、強く生き続けている植物の命の素晴らしさを感じる。
もっと、大事にしなければと思う。

今までクルマを置いていた場所は、絶好の植物観賞の場となるだろう。
と、言って、たまに訪れる甥達のクルマの置き場としても空けて置こうと言う事になれば、全部、使い切ってしまう訳にもいかない。
これは優しい伯母さんである姉の言葉である。

さて、今夏は、この貴重な『空き地』をどう利用するか考えなくてはと思う。
やはりプランターでも並べて花を植えようか?野菜を育てようか?
しかし、夏になると、水遣りの心配もあるし、私一人では荷が重過ぎる。

陽当たり絶好の元駐車場の利用法を考えなくては…と、今日も雪の庭を眺めた。
この空き地が、家を建てる時に使えていたら、もう少し家の面積も増えたのにねと姉は言っていた。

そう、その通り、難しいものですよ。



「私達、今まで,随分、無駄をしたものね』と、姉が言った。
今日はバレンタインデー。
昨年までは、それでも弟や甥、知人にプレゼントをした。
しかし、もう、それも止めてしまった。第一、こんな雪ではネ。用意も出来ない。

「バレンタイン・チョコレートが欲しい」と私。姉が言う。
「え?自分に?」「どんなチョコレートが良いの?」
「うん、普通ので良いよ」
「じゃあ、自分で買って来たらいいでしょ」
スーパーでお気に入りの自分用のチョコレートを一箱だけ籠に入れた私だった。
もう、そのチョコレートも無くなりそう。

GIVE ME VALENTINE”S CHOCOLATE








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ごちそうさん

2014年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
2月13日(木)

毎朝、楽しみにしているドラマはNHKの『ごちそうさん』である。
何と言っても、時代の移り変わりが面白く、興味深い。
そう言う時代だったのかな?大阪ではその様な人情で結ばれていたのかな?等と、自分の生活と比べ合わせて思う事が多い。

中には矛盾した話もあるけれど、ヒロインを中心にした人々の暮らしや人間関係に感心したり、驚いたりする。

私の父母は関西の出である。出身地は滋賀県だが、父は米原の北の方、母は愛知川の生まれだ。
やはり、北と南では違うようであるが、殆ど、滋賀県で暮らしていない私にはよく分からない。
それに、私にとっては、東京が自分の街だと思っているから、余り関心もない。
また、父母も、余り関西の習慣や暮らし方を家族に強調した事がなかった。

しかし、関西と関東の暮らし方や人情には可成りの違いがある。
関東から関西へ移り住んだ人が体験する話によると、どちらかと言うと、関西人の方が東京辺りの人間にこだわりを持つと聞く。
そうした中で、ドラマの主人公が東京の生まれ育ちであるのに、旧家の格式や慣習、更に複雑な家族関係の中で関西のしきたりに順応して行く努力は大変なものだと感心する。

主人公が様々な難関や難問を切り抜けて、食べ物作りで多くの人々をひきつけていったのには驚く。
さすが、食い道楽の街、大阪と言うべきか。また、東京の西洋料理店出身の娘と言うべきか。
可成り、その時代にしては洒落た話だと、常々、思っていた。

ところが、昭和に入ると、俄然、気になる事が多くなった。
私が子供の頃に経験した事がドラマと重なって来るのだが「あの話は、一寸おかしいねー」と姉と二人の間で話題になる事が多くなる。

元々、ドラマだから、原作者が当時を経験していない人では解釈も異なって来るだろう。
また、私達は朝鮮に住んでいたから、内地の事情とは様々に変わって来る。
しかし、例えば『愛国婦人会』とか『大日本婦人会』と言った襷を掛けた女性たちが割烹着を着て国威発揚の意気盛んに活動していた姿は、今でも記憶にある。
と、言って、私の母はそれらの団体に入ってはいなかった。
考えれば、これらの運動も家庭を守る女性達には参加する暇はなかっただろう。

当時のあの事、この事、全て思い出したくない事ばかりだ。
「ああ、思い出すのも嫌ねー」となる。
小学生だった私は……
『贅沢は敵だ!』『欲しがりません、勝つまでは』『兵隊さんよ、有難う!』などなどと……
こんな言葉に追い回され、囲まれて暮らした戦時中の辛さや厳しさを、もう、思い出したくはない。

最近の『ごちそうさん』はどうも見たくないね!と朝の会話が始まる。。
戦時中のこまごまとした情け無い話題が「それは嘘!そんな事ってあったかしら??変だなぁ!……そう言う事は出来なかったよ!絶対に言えなかったよ……』とドラマの中で話題をこれでもかこれでもかと展開されると、もう、嫌だ!結構だ!と言う事になる。

兎に角、今の『ごちそうさん』は『ごちそうさん』では無いね!と、戦時中を体験した私達は思う。

今までのドラマの筋が面白かっただけに、不幸の始まりを感じて嫌なのだ。











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