桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

いろいろとあった1月

2013年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
1月31日(木)

とうとう、今年も一ヶ月が過ぎる。
珍しく、暖かな日になった。絶好の外出日だ。

Iさんとの約束の時刻は午後一時。買い物をして、待ち合わせ場所へ行くと、もう見えていた。
駅ビルにある蕎麦店で食事をする。美味しかった。
懐かしい思い出話も出て来て、これが一年以上もあわなかった筈なのにと思う程、話が弾む。矢張り,良い時代を過ごして来たのだなぁと懐かしく思う。


郵便受けを見たら、O氏からの封書が届いていた。
つい、この前の日曜日に開かれた新年会参加者の名簿が入っていた。私が何時も、欠席をしているので、親切に知らせて下さったものだ。本当に親切な方だ。
顔見知りの人が多い。それに、懐かしい先輩の方のお名前も発見した。これならお会いしたかった方もおられたのにと、自分の怠けぶりが、少しばかり気になる。

在職時代から、何時も眼にかけて下さったI氏が、昨年12月に亡くなったと言う知らせに驚く。常に、優しく、細やかな心遣いをして下さった方で、度々、お便りを下さっていた。大事な先輩だったI氏の穏やかな笑顔が忘れられない。
ご冥福を御祈りする。

ここのところ、知人と言い、世の中の著名人と言い、亡くなられる方が多い。それだけ、私達の世代が少なくなりつつあるのだなと痛感する。
兎に角、昨年末迄の年賀状辞退の葉書が例年より多かった。

私は、年が明けてから年賀状を送る事にしていた。
やっと、三日迄に年賀状を書き上げてホッとしていたら、4日の夜、突然、横浜の姪から電話があった。
私の二番目の兄(姪の父親)が亡くなったと言う。突然死だった。
兄は、間もなく90歳になるところだった。本人は、日頃から至って元気だったから、自分が死ぬ等とは思わなかったに違いない。

それからが大変だった。葬儀に関する打ち合わせから始まって、通夜、葬儀と翌日から三日間、目まぐるしく行われた。
不案内な横浜の地下鉄に乗って通い続けたのだから、足腰の具合が良くない私は、自分が死んでしまいそうな思いがした。

松の内の葬儀と言うのは大変だ。母の時は、年末で、葬儀場へ滑り込みで済ませたが、今回は、年始早々で日を争う様なスケジュールだった。

どちらにしても、残った家族や親戚は大変だ。兎に角、くたびれたの一言に尽きる。まだ、これからの行事もあるから、横浜へは、まだ行かなければならない。
残された義姉は大変だと思う。

只、一つ、葬儀の際、幼かった頃の男の子達(姪の子供3人)が立派な男性になっているのを見ると頼もしく感じたのが収穫だった。

忙しい1月だった。





 * 我が家の夏みかんです。随分、実りましたが、まだ、味見はしていません。 


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チューリップの芽・桃の芽

2013年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
1月30日(水)

暖かな日になった。
庭の小さな私の花壇?を見ると、先日からチューリップの芽が頭を出し始めた。そして、今日はもっと、その数が増えた様だ。頼もしい。

毎年、秋になると、チューリップの球根を埋めるのだが、今回はもう止める事にした。変わりに、毎年、世話をしなくて済むように、ハーブやバラを植えようと思っている。

そう言うわけで、去年のチューリップの球根は一つも取り出さなかった。つまり、放ったらかしの状態にしていたのだ。
何と、それ等のチューリップが緑の色濃い芽を持ち上げ始めたのだ。まさに、健康色?かえって、掘り出さない方がよかったのかも知れない。
しかし、果たして、どんな花を咲かせてくれるか、春を待つしか無い。

まだまだ、チューリップの他にお楽しみな花の芽も、プランターに長年、住みついているのに、今年も又、かわいい花を咲かせる準備をしているらしい。

ベランダの直ぐ前には桃の樹が枝を延ばし、もう花芽がふくらむのでは無いかと、私の期待感を高まらせている。

穏やかな空を見上げてホッとする。毎日、何かしら気持の沈む事が多いのだが、自然界だけは忠実に季節の変わり目を守っていると、今更のように思った。
それに比べて、人間の世界は……どうなっているのだろうと、嘆かわしい。

間もなく、桃の花が一番乗りか?
玄関脇の黒椿は、まだ、蕾が堅いが、きっと、今年も可愛い花を見せてくれるだろうと、楽しみにしている。









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Apple銀座でムービー作り

2013年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
1月29日(火)

銀座へ行く。
道路を見つめる様な曲がった姿勢で。勢いをつけながらアップルのビルの角を曲がった。
きつい!本当にここ迄来るのがきつい。しかし、勢いをつけて歩かなければどうなるんだ? 
リュックサックを背負って歩く私の姿は、可成り奇妙に見えるだろう。しかし、そんな事はどうでもよい。

外見に気を遣う事は止めにした。また、ステッキは役に立つと思ったが、荷物が持てないし、当のステッキの扱いが面倒で仕方が無かった。
だから、ステッキ無しでも、よろめきながら歩く事が出来ると気がついたら、もう、格好がどうであれ、気にしなくても良いと思うようになった。

今日はムービーの作り方を再確認する事にした。
なる程、教えて下さる人に依って理解の仕方が変わる。今日は、ノートに真面目に記録する事にした。何時までも、指導者に頼ってばかりはいられない。
以前に作ったムービーも、もう一度、違った観点で作り直そうと思う。

充実した勉強だったが、次回が同じ指導者になるとは限らないので、後は自分で考える事にしよう。

帰りにMATSUYAで手袋(上の姉へあげる)を買った後、又、地下へ行った。
今日は、姉から頼まれていた『ちらし寿司』である。
ここのところ、弁当づいているが、それで良いと姉は言う。

持ち帰った寿司は、さすがに美味しかった。本職の寿司職人が作ったものだもの、当たり前だが、中味も駅弁とは違う。食べているうちに思い出した。
「あ、写真を撮るのを忘れた!」

本当に久し振りに渋谷時代のIさんから電話があった。懐かしい。

家で、又、パソコンを開く。二月のカレンダーのデザインを昨夜から描いているが、何時迄経っても難しい。
水仙だけでは淋しいので、椿を描いてみた。我が家の黒椿の花色がモデルである。









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今日も、御茶ノ水へ行く

2013年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
1月28日(月)

11時半の予約だった。今朝は早めに着いたと思ったが、11時前。
検査があるから、30分前には着いた方がよい。直ぐ、呼び出されて、血液採取が行われた。

これが、私の一番、苦手なものだ。
何よりも、針で私の細い血管を刺すのだからたまらない。途中で、血液が採取出来ない事があったら、もっと大変だ。何時も、私の腕は紫色の痕が付く。今は、夏でないから、いい様なものだが、痛い事に変わりは無い。

まあ、なんとか無事に終わった。溜め息が出る。
「何か変わった事がありますか?」「いえ、別に。毎日、暴飲イヤ、暴食です」と答える。
「体重も、血糖値も血圧も皆、正常だから良いですね」と言われた。

その間、私は靴が履けないとブツブツ、「血圧を測らせて」と先生。何時の間にか、私も立派な図々しいトシヨリになったのかな?と、ふと、思った。
若しかすると、似た様な人がいるかも知れないが、このお医者さんは気を悪くせずに優しい。
『悪い所はありません!』と言われて、ホッとする。

又、東京駅の『駅弁屋』へ寄って、今日の特別販売『鯵の押し寿司』を買った。この寿司は、同じ『大船軒』の寿司でも、特に美味しい。
「今日は買わずに帰るね」と言って家を出たが、姉は、この押し寿司が食べたかったらしい。
よかった!彼女はおすましを作って待っていた。

一つの握りに鯵一匹が載っている。ウーン、うまい!
最近はいっぺんに食べられずに、半分は後にと言う事になる。
荷物になるが、帰りを待っている人に喜んでもらえれば、なお、嬉しい。








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旅行案内

2013年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
1月27日(日)

穏やかな日になった。それでも、雪国と言われる地方は大雪で日常生活も大変だと言われている。

久し振りに、旅行社から毎月送られて来る旅行案内の冊子をひろげてみる気になった。
(私の目では)読み取れない小さな文字をたどりながら説明を見た。
どれもこれも、安そうだが、本当はそうでは無い事を発見する。
先ず、宿泊するホテルや旅館はどうかを調べる。又、どこを観光して回るのかについて読む。
乗り物から降りて見学をするのか、単に車窓から眺めながら通り過ぎてしまうのか等、旅に慣れた者だったら、直ぐ分かる事であるが…
更に乗り物について調べる。私は飛行機は嫌いだから、先ず、交通機関は何を利用するかを見る。たとえ、新幹線であっても、出発時刻がどうかを見ないと、とんでもない時刻もあるので要注意。

結局、そうした見方で旅行プランを調べると、決して、うたい文句通りでないと気付く。
まあ、何れの交通会社の企画であっても、クライアントが、どうも満足出来ないと言うのは、結局、費用が高くても、自分で計画をする旅の方が良いと言うわけだ。

大体、自分で計画した旅は、それが思い通りにならなかった結果であっても、殆どは自分の責任が大きいので、かえって、何時までも思い出として残る。
海外旅行でさえも、いささか冒険であったが、今も印象的な思い出が浮かんで来る。

若い頃は、そうした『我がまま旅行』?をした。しかし、もう今では、その様な気持は余り起こらない。兎に角、楽をして、余り動き回らない旅であって欲しい。

雪国の大雪は毎年の事であるから大変だと分かりながらも、都会の人間はわざわざ雪を求めて、スポーツや旅行をしに行く。
確かに、雪の少ない、殆ど降らない土地に住む者にとっては、雪が大きな魅力になるのだから…。
しかし、このような大雪に遭って対策に困っている土地に、観光へ行ってもよいのだろうかと、ふと、思った。

もっとも、雪や氷を観光の対象にしている土地もあるから、要らぬお節介かも知れない。
旅行社のパンフレットを見ながら、色々な事を考えた。ヒマジンだなぁ!私。

ところで、ハワイへ行きたいと最近はよく言い出す私である。








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水餃子と焼き餃子

2013年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム
1月26日(土)

日本海側は豪雪だと言う。太平洋側も名古屋や静岡では雪が降っているそうだ。今年の冬は厳しい様だ。

朝から晴れれば、明るい陽射しだが、何となく冷たい空気が流れている。お陰で洗濯物はよく乾いた。

午後から、久し振りにバスで二停留所目の大型スーパーへ行った。随分、長いこと出掛けていなかったが、今日はポイント5倍だとか、土曜日の所為か、結構、客が来ていた。
店内を見回しても買う物は無い。買える物は、加工食品や菓子類ぐらいなもので、青物類は恐ろしく高い。安い筈のキノコ類迄が、便乗かと疑いたくなる程、高い値づけである。

結局、チョコレートが大変安いので沢山買った。まさに虫歯の素と言えそうだ。
よく見ると、セロファン紙の上に赤と金色のリボンの図柄が描かれている。
成る程、製菓会社の方もよく考えたものだ。『バレンタインデー』の為に用意した商品だったのだ。
バレンタインだろうとなんだろうと、このチョコレートを貰える私は嬉しい。しかし、又、虫歯の素になるかな?

帰りに、餃子の有名な店ヘ入った。確かに水餃子を頼んだ筈なのに、焼き餃子を運んで来た。「違うわ」と言っても「さっき注文した筈」だと言う。
「ぷるぷる餃子って言ったでしょう?」困った顔をする女店員を見て「でも、いいわ。持ち帰りにして」と言った。

女店員は中国人らしい。「あの子の給料から引かれたら可哀想だから、家で食べようね」と決めた。
帰りに箱代20円をとられた。二人分を一箱で良いと言ったのに、これも間違っている。まあ、仕方が無いか!(言葉の意味がよく理解されていないばかりでなく、国民性も違うのだから…)

「プリプリのエビチリが食べたい」と、二・三日前から言っていた姉も、もう、暫くは結構だと言う。
最近の私達は、油っこい物は、だんだん、食べられなくなったのだ。水餃子は美味しかった。


今日、アルジェリア・テロによる襲撃事件の最後の日本人犠牲者が帰国された。
日揮の最高顧問だった新屋正法氏が最後の一人として確認されたが、私は何だか因縁の様な感じを持つ。
それは、犠牲者十人中の最後に判明したと言う事で、新屋氏は他の社員の方々の遺体を確認し終える迄、見守っておられたのでは無いだろうか?と自分なりに思ったのだ。そう思うと、一層、こみ上げるものがあった。

この事件の生還者が、ローカルスタッフの協力で、一命を救われたと言う話である。日頃の日本人と現地の人達との関係が如何に良かったかという事だ。

かつてのフィリピンでの生活を思い返した。私も、まあ、何とか出来たのではないかと思う。
人間関係をどう維持していくか?ましてや、海外の様々な国での生活で、人々の習慣や文化や価値観等などの違いをどう理解し、配慮するか、その大切さを改めて考えたいと思った。





 * 午後2時14分に写す





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二年ぶりの浅草

2013年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム
1月25日(金)

12時の予約に間に合わせる為に、以前、どのくらいの時間がかかったか覚えていないので、一時間三十分前に家を出る事にした。
最近、起床の時刻がだんだん遅くなっているので、早起きは全く自信が無い。
しかし、何とか、早めに起きる事が出来たのは、羽田の実況中継だった。
アルジェリアから無念の帰国を果たされた9人の方達が羽田空港に上陸されたのだ。この悲しい話題は、今日もずっと続くだろう。ご冥福を祈る。

歯を磨く。朝ご飯は食べない事にした。あきれる程、念入りに歯を磨く。
何時も医院で、もっと、磨くようにと言われる。今日は絶対に言われないように、6回も磨き直した。だから、もう、ご飯は食べないし、お茶も飲まない。
それでも、おなかの方は空かないと言うのは、間食の癖がついているからだろう。

この様な日に限って、交通機関のどこかで故障がおこる。しかし、今日の電車の遅れは<軽傷?>と言うところか??
都営地下鉄の階段にはまいってしまう。特に、都営浅草駅の階段の多い事と、地上に達する迄の長い道中は辛い事この上無しである。
まだ、足が丈夫な頃だって、何時もブツブツ言いながらやっと地上へ達したのだから、今の状況が分かるだろう。

雷門辺りは修学旅行の集団と、一般客がたむろしていて大盛況である。
「ドイタ!ドイタ!」とは口に出せないけれど、やっと、歯科医院へ達する。
まだ、11時半過ぎだった。大丈夫!一時間半もあれば充分だと分かった。

しかし、それで安心してしまうと、何時もの私の悪いクセが出る。『大丈夫、大丈夫』と、遅刻しそうになるからだ。大事を取って、一時間三十分前には出なければと思う。

一番気にしていた奥歯の治療は来週で終わりそうだ。つまり、被せているものが取れただけらしい。ああ、良かった!美味しい物が食べられる。

先生に歯が奇麗だと誉められた。バンザーイ!「六回も磨いて、朝ご飯を食べて来なかったのですよ」と答える。「えー!六回も…とても奇麗ですよ」と先生。

来週も、来る事になった。カルテを見ながら、二年間も来ていないと言われた。何と言っても、地下鉄が……と弁解がちに答える。
しかし、何よりも、この医院の階段は凄い。「患者さんに、よく言われます」と看護士さん。もう、患者も高齢者になった人が多いのではないかと想像する。
「ここの階段はエベレストよ!」と私は冗談を言った。

目当てにしていた蕎麦店は定休日。もう一軒の店へ行く。この店は古い店で、店構えも時代離れをしている。値段も高い。『そばかき』を注文した。ウーン、旨い!

帰りは、何とか地下鉄のエレベーターを見付けようとして、遠くまで歩いた。やっと見付けたエレベーター設置箇所は駒形橋際だった。
兎に角、疲れる駅だ。何とか、楽に地上へ上がれるような経路を探そうと思う。

久し振りの浅草は人が多いが、興味深い街だ。足腰が丈夫だと、もっと楽しいのだが……。










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歯の治療

2013年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム
1月24日(木)

今日は、よく寝ていない。12時30分に浅草の歯科医院へ行く予約をしていたのだ。それも昨夜の事で、奥様と長話をしてしまった。

今朝は4時半過ぎから目が覚めて、テレビを見ながら、出掛ける時刻を気にしていた。
遅刻をしてはいけないから、早めに寝床から出る。
もう、そろそろ出掛ける準備をと思っていたら、電話がかかって来た。医院の受付の女性からだ。
今日は予約日で、既に予約が入っているから、明日へ変えて欲しいとの事、私は明日でも構わないと返事をした。

矢張り、急には無理だったのだなと思う。
殆ど外出の準備が終わっていたが、全て計画は中止する。今日は暖かそうで、浅草辺りはどうかな?と思ったのだが、計画変更となり、ちょっと、残念。

具合の悪い歯は二本で、最悪の状態。本当は最近まで、一本きりだったのだけど、具合が悪いと、どんどん増えて来るものだ。
浅草へ行くのは、足腰が痛いので我慢をしていたのだが、どうしようも無く歯の具合が悪くなってしまった。

以前、近所の医者へ行ったが、最初に多額の薬や歯磨剤を買わされたので、一日でやめにした。
本当は、それが良いのかどうか分からないが、自説を曲げない医者の態度が、何となく素直に受け留められなかった。
それ以来、放置するうちに、長い日々が経ってしまった。浅草迄通うのさえもちゅうちょしたからだ。

やっと治療を決心したのにも、理由が二つある。先ず、食べ難くて仕方が無い。穴のあいた歯に、食べ物が詰まってしまうのだ。
第二に、近いうちに旅行をする事にしている。美味しい物を楽しんで食べる事が出来る様にしたい。
この様な自分本位の考え?で、浅草の歯医者さんにお願いしたのだ。身勝手と言えば、身勝手。でも、これも自分の為だもの仕方が無い。

こんなつまらないブログを書きながらも、豆をポリッ!! いや、ボリボリかじっている。
これでは、歯は悪くなるばかりだ。






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銀座にはまだ雪が残っている

2013年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
1月23日(水)

午後から銀座へ行く。
最近、悪い癖がついてしまった。バスに乗れなくて、つい、タクシーに乗るのだ。
今日も、同じ事をやってしまった。その代わり、タクシーの運転手さんと、よく話をする。
今日の運転手さんは、もう退職しているのだが、会社から応援を頼まれて運転をしていると言う。最近の若い客は我が侭だと話していた。道を変えると、気に入らないでどなられるそうだ。
色々な苦労があるものだ。何となく静かで安全な運転だった。降りる時「有難う。気を付けて下さいね」と言うと、とても嬉しそうに返事が返った。

銀座Appleへは時間前に到着。何時も、もう少し早めに出れば良いのにと、自分に言う。
女性の先生と楽しく勉強が出来た。昨晩、相変わらず深夜にiPhotoの納めてある動画を見つけ出して、作動させてみた。
今日は、これをどの様に、iMovieに入れるかを聞くつもりだったが、時間が足りなかった。次回へ回す事にする。

何時もの通り、向かいのMATSUYAへ行く。皮の手袋を姉に進呈しようと思ったので選んでいたら、女店員さんが親切に幾つかの手袋を持って来てくれた。
私の注文は『日本製』か『イタリア製』とうるさい。
黒の日本製を見付けた。店員さんは「今、新しいのを持って参ります」と言った。
お陰で、良いプレゼントが出来て嬉しい。

寿司を食べたいと姉が言っていたので、以前、何度か食べに行った鮨店で寿司折りを頼む。出来るまで、ジュースを飲んだ。今日はトマトとリンゴのミックスだったが、割合いと美味しかった。

久し振りに美味しい寿司で、二人共満足した。しかし、歳の所為で少しだけでお腹が一杯になるとは、悲しい話だ。
二人共、サーモンは好きでないので、芽葱にしてもらったが最高だった。

銀座にも、有楽町駅前の広場にも、まだ、雪の山があった。シャベルで雪掻きをしている男性がいたが、一人では大変だなと思った。
今夜は雪と言う予報。大変だな!








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メールを開く

2013年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
1月22日(火)

今日は、ブログを書く迄に、随分、パソコンいじりをしてしまった。
久し振りに、沢山たまったメールの整理をする。メールと言ってもカード会社や、OCN等の会社、旅行関係のものなどなどをため込んでいる。
日が経つて来ると、山の様にメールがたまって、開くのも面倒で見る気もしなくなる。しかし……
『時、既に遅し』と言うのものもあった。更に関係の無いものも幾つか出て来た。

『あなたの獲得ポイントは二月で消滅する点数があります』の宣告。
急いで調べた。今日、見付けたのが幸運と言うもの。
ところで、面倒な作業が待っている。
『あなたのパスワードを入れて下さい』が必ず出て来るのだ。
パスワードが一つや二つなら良いけれど、最近、私のパスワードが、随分、増えて来た。

だから、パスワードを求められる度に、ゾッとする。
仕方が無いからメモをしてあるノートを開くが、余りに雑多で、常に?????である。
多分、これだと思うものを打ち出してみるが、なかなかOKは出ない。
直ぐ、出たら嬉しくてたまらないのだが、出ないと、私が悪者の様に思われそうでバカらしくなる。

先程、何時も利用をしているホテルのメールを開いた。何と、冬のサービスとして通常より格安の料金プランが出ている。

何時も三泊しているホテルだから、サービスや食事や施設の良さは熟知している。早速、姉と相談をして三泊四日の申込みをした。
電話をかければ、直ぐ、受け付けてくれるので便利だ。
姉は温泉へ行きたかったと言っていた。私も、そろそろ伊東温泉へと思っていたので、相談は直ぐさま決まった。

もっと、早目にメールは開かないといけない。どの様なニュースや特典があるかも知れないのだ。

二月で消滅すると知らされたポイントでも、お陰で特典を得る事が出来た。
この賞品が来たら、きっと、姉は喜んでくれるに違いない。

それ迄のヒ・ミ・ツ!


 * カラフルなイギリスの観光バス




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怒りと悲しみ

2013年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
1月21日(月)

今年は正月早々から、事件が多過ぎる。
公私を交えてだからたまらない。
こうした事が、足腰の弱くなった者にとってはきつ~く感じるものである。


例えば、飛行機から脱出する時。あの脱出シートを無事滑り落ちる事が出来るだろうか?
これはノーだ。満足な足腰の時代だって、厳しいなと思ったのだもの。
脱出の時だって、モタモタして邪魔者にされるんじゃないかと思ったりする。

雪の日、これは外出しないに限る。こんな場合はどうしたら良いのだろうか?
前以て、必要な物は買って置いたり用意する。高齢者だもの、そのくらいの常識は持っているはずだ。
先日、雪が降る中を買い物へ行く高齢者がいた。
「雪の日に買い物?出掛ける方がいけない。前日に買って置けば良いのに」との意見に対して「今日、出来立ての物を食べたかったのでしょう?」と如何にも、理解のありそうな返事を私はしたが、果たしてどうだろうか。
危険から身を守る事は、この忙しい時代を何とか無事に生きていくために、自分自身の心構えが一番大切である。

どれ程注意をしていても、災害と言うものは起こる。
地震、津波をはじめとした天災は、充分、心構えが出来ていたとしても避ける事は無理。

しかし、人災は避ける事が出来る筈である。これは互いの信頼関係遵守が大切だ。
最近の新しい話では笹子トンネル事件。
そして、まだ、未だに解決出来ず、未来への不安を残す福島原発事故に至っては、子供達の幸福で健康な未来を見る事が、到底、不可能な年代の私達にとっても、不安でいらだたしい事件である。

ところが、今回起こったアルジェリアのテロ襲撃事件では、未だに日本人10名の安否が気遣われていると言う。
その様な事が未だに現地へ派遣された政府関係者すら何も分かっていないとは、日頃、可成りの速さで情報を把握出来る社会に住んでいる我々にとっては理解し難い事である。

私は若い頃から、一度はアルジェリアへ旅をして見たいと、何となくこの地へ夢を持っていた。しかし、今では、どこへも海外旅行をするつもりも無く、出来ないとあきらめている。
先回、北アフリカの諸国で激しい暴動があり、政局が変わった。しかし、アルジェリアに対する私の気持は、それでも変わらなかった。

それ程に、何故、アルジェリアにこだわったかと言うと、かつて流行った歌謡曲にある。
確か『アルジェの女』と言う題名だった。姉に教えて貰って、しょっちゅう、口ずさんでいた。
?ここは地の果てアルジェリア…?で続く歌詞が気に入ったのだ。そして、是非、この地へ訪れてみたいと、土地の事情を何も知らずに憧れたものだ。
当時は、まだアルジェリアはフランス領だったと思う。地中海を間にしてマルセイユの向こう側などといい加減な予想を立てていたのだから無責任だった。

今回のテロ事件、余りにも痛ましい事件で、しかも、殆どの情報すら掴めないとなっては、腹立たしさを越えて情け無い思いである。

思えば、開発途上国や未開発の国や紛争中の国では、私達の常識では考えられない事が起こりがちで、解決に対して焦燥感を持つことがある。

今回もそうであるが、日本人10名の人々が、未だに消息不明となると、その家族の方々はどの様な思いで、日々を過ごしていらっしゃるのかと悲しくなる。

そうでなくても、いくら使命感に燃えて社命で赴任されたとしても、厳しい砂漠の中での日々は、想像の出来ないご苦労を重ねておられたのだ。
大切な施設を破壊されただけでなく、テロの理不尽で無惨な襲撃にあわれた無念さを思うと悔しい限りである。
「あの人達はお正月をどんな思いで迎えられたのでしょう?」と姉と話した。若しかしたら、もう直ぐ、日本へ帰れるとか、家族を思い、日本のしっとりとした正月を懐かしんでおられたのでは無いかと…。とても悲しい!

怒りをこめて、本当に本当に、お気の毒と言うほか無い。
どうか、一人でも、いや、全員が無事帰還される事をを祈りたい。

もう、国が操業を始めるとか聞いた。何と無神経な!










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Sy子ちゃんからSy子さんへ

2013年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム
1月20日(日)

何年ぶりかな??
マニラで出会った時は、まだ6歳だったSy子さん。
ブログのアドレスを印刷して送ったお母様への年賀状を見て、コメントが送られてきた。嬉しい!

早速、メールでの便りが始まる。何処かで合いましょうと言う事になった。
偶然にも、彼女は大森駅近くの針灸の学校へ通っていたと言う。何で、こんなにお互いが気がつかなかったのかしらと残念に思う。
お母様とは毎年、年賀状で交流があったのに…

兎に角、ワクワクする思いで、Sy子さんと逢う事になった。場所はお互いが勝手を知っている駅ビルで、二時半に会いましょうと約束をした。
あらわれたSy子さんは、私が想像していたお母様に似通った女性だった。
あの賑やか?と言うか、はっきり物を言うSy子さん=Sy子ちゃんである。でも、成人した彼女は立派な社会人のSy子さんである。

随分長い時間お喋り、いや、真面目に?思い出話をした。
兎に角、話が弾んで、途切れも無く話題が出て来た。どうも、私が話の半分以上を取り上げてしまったみたいでいけなかったなと、後で反省をする。

最近の私は殆ど、人と話す機会も無い。だから、つい、おしゃべりになってしまうのだ。世の高齢者が、知らない人でも良い、誰かに声を掛けたくてたまらない気持が良く分かる様になった私。これは可哀想だと思うかな?なんて、自分で考えたりするが、こんな事で、自分を哀れんではいけない。

兎に角、Sy子さんは優しい面持ちで話を聞いて下さった。だから、私は彼女の話そうとする分?迄、取り上げてしまった様な気がする。
それは、現在、彼女が針灸の仕事で活動しているからこそ、高齢者の気持を充分に受け止められるのだと思う。(そう、私も高齢者の一人ですものネ)

二人の薄れかけたマニラの思い出も、少しずつ、はっきりして来た。何しろ昭和53年来の思い出だもの。
私たちが住んでいたビレッジ『マガリアネス』の話も少しずつ記憶の膜が薄れて来た様に感じる。

帰国後のSy子さんの話は又の機会に書こうと思う。この辺りは帰国子女の悩みや喜びに関わるし、帰国した大人の苦労話?にも触れる事であるから……

兎に角、Sy子さんと、楽しくお会い出来た事が今年最初の収穫だった。
現在の彼女の活躍を祈りたい。そして、何時か、お世話になろうと思っている。






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お楽しみはこんにゃくおでん

2013年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
1月19日(土)

お日様に感謝したい様な暖かい陽射しだった。しかし、家の横の細い道は相変わらず寒く、北風が体を吹き抜ける様だ。掻き寄せられた雪も、まだ残っている。

やっと、我が家の前の雪は消えた。何だか、又、雪が降るとか、降らないとか、聞いているが、もうお断りと言いたい。
しかし、雪国の人達の苦労を考えれば、贅沢と言うものだ。

若い頃は、同僚に誘われて、スキーへ出掛けたものだ。あのスキーの道具類は何処へ行ったか?
雪が降れば気持ワクワク、仕事の都合をつけて仲間と一緒に汽車に乗って出掛けたものだ。当時はスキーを担いで電車やバスの中では遠慮がちに乗って上野駅迄行き座席を確保したものだ。

Sさんの息子は小学生。少しばかりヤンチャで、人の言う事を聞かない。
私は、むきになって彼をたしなめた。「嫌だ」と言う彼を追いかけ回したのを思い出す。
周りの仲間は大笑い。「どうしてそんなに夢中になるの」と言われた。
私の本気になる様子と、子供のヤンチャぶりが面白かったらしい。

確か、その時のスキー場は蔵王だった。地名に惹かれて蔵王スキー場のゲレンデで颯爽と滑る自分を想像したが、結局は自分の未熟さをいやと言う程感じたのだ。
結局、怖い箇所は転びながら滑り落ちる、さんざんな有様だった。
「私はこんな場所へ来るべき人間ではなかった!」と独り言を言ったものだ。
この辺りの様子が、今もはっきりと目に浮かぶ。

その後の一番の楽しみは、帰る道々にコンロを出して鍋一杯に暖められたこんにゃくのおでんだった。
これが食べたくて、無理なコースを尻餅をつきながら下界へ下りて来たのだ。

あの、思い出から、もうスキーは懲りた筈なのに、又、木島平スキー場へ春スキーに出掛けた。ここも又、相変わらずの尻餅で濡れてしまった。
私の様に運動神経が鈍い上に、怖がりの人間がよくも参加したものだ。単に好奇心だけのスキーだったらしい。

真剣な表情で逃げ囘った、あの時の坊やはどうしているかな?
中年の男性になっても、お母さんが好きだったスキーを一緒に楽しんでいるかな?
いや、彼女は私より年上だったから、今はどうなさっているかしら?
























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銀座は寒かった!

2013年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
1月18日(金)

最大(悪)?の寝坊をしてしまった。目が覚めたら10時50分を過ぎている。それ迄、6時の目覚ましも聞こえなかった。ひどいものだ。

今日の予約は2時。1時出発として、3時間ある。しかし、その3時間も、私にとっては怪しいものだ。何時も、まだ大丈夫と思いながら、グズグズしているのだから…。

今日も慌てず、のろのろと動き回る。ついでにテレビで興味のある内容を見付けると、時間の経つのを気にしながらも、つい、待っていて見てしまう。
『いっとろっけん』で見付けた薪ストーブの作り方が気になってしまった。
もう、今の私には無理だけど、富士山の家に欲しいなぁと思った。
庭に据えて、不用の物や小枝等を燃やしてしまいたい。ここでは外でたき火をする事が禁止されているからだ。

まぁ、そんな事で、大事な時間を費やしてしまった。
気がつくと、もう12時を過ぎてしまった。仕方が無いから、朝ご飯抜き、いや、昼食抜き。
久し振りに、お気に入りの蕎麦を食べようかと思う。それにしても食べられるのは3時過ぎになってしまう。大好きな牡蛎蕎麦にするか!

バスも行ってしまった後で仕方が無いから、タクシーに乗る。個人タクシーの運転手さんは帽子を被った年配の人。高齢者の運転免証許書き換えの話題が出る。本当に人をバカにしていると、ふたりの話が合う。
私は何時も降りる時に「お気を付けて」と声を掛けている。運転手さんも、「有難うございます」と答えてくれる。これも交通安全運動に協力しているのかな?

銀座Appleへは無事着いた。今日は動画の取り込みを習う。以前にやった事なのに、もう、殆ど覚えていない。情け無いぐらいだ。
この調子では、益々、分からなくなるかな?まあ、それでも良いけれど。

今日はよく晴れた日だが、吹いて来る風が寒い。体を吹き抜ける様だ。特に有楽町駅前の広場辺りは寒い。

雪の日はどうだったかと先生に尋ねた。丁度、自分は休みの日だったと答えが返って来た。「運が良かったですね」と私。
勤めの人は大変だ。夜も昼も無かった頃の自分の立場を思い出す。私の場合は日曜日も休日も無かった。今は、マアー!何と言う良いご身分と言いたくなる程だ。

勉強が終わって、何時ものコースへ…さてと…上へ上って蕎麦店へ行こうか?
矢張り地下1階へ降りて、何時もの通りの弁当を買う。その後、諸々と無駄遣い。

3階で上の姉へプレゼントの靴を買った。持ち歩くのがいやで、もう一足、自分用に買って宅配を頼む。300円で済むから便利。
「何時も有難うございます」と、店員さん達に言われた。又、知り合いが出来てしまった。行動が束縛されたみたいだ。最近、避けている店もある。
考えてみれば、リュックを担いで、よろめきながら歩くオバアサンは目立つに違いない。

オバアサンと言えば、最近、席をわざわざ譲って下さる人が多くなった。それ等の人も疲れているのに申し訳ないと思うが、素直にご親切を受ける事にしている。

それ程に目立つ乗客なんだわ私って…何だか普通の席近くには立ちたくない心境になっている。だから、シルバーシートの入り口から乗る事にしているのだが…。
席が一杯で、隅っこに立っていたら、わざわざ、呼びに来て下さったのだ。感謝。

如何にも弱々しく見える私、本当は今でもそんな格好でもパソコンを担いでいるのよ。エエイ!ガンバレヨ!Sakurakoってね!自分には言い聞かせている。

次第に、親切な方に感謝しながらも何だか出掛け難いなぁと思う様になった。しかし、出掛ける事をためらう様になったら、もうお仕舞いだなぁとも思う。







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アップルパイを焼く

2013年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
1月17日(木)

今日は、パイを焼かなけければならない。
昨日、煮ておいたリンゴの鍋のふたを開けると、洋酒の匂いがぷーんとした。ラム酒の匂いだ。これではシナモンの匂いは隠れてしまった。もう一度シナモンをふりかける。
まあ、いい!食べる人は皆、大人だもの。

最近、夜更かしがひど過ぎて、午前中の動きは無いに等しい。生活を正さなければいけないと思うが、なかなか治らない。

パイ作りは夕方のニュースを聴きながら始まった。
部屋の中が暖かなので、パイ皮が直ぐ柔らかくなってしまう。
急いでフィリングを詰めて、上の部分の処理をする。実は我が家の冷蔵庫は満員なので、しまうのに苦労する。
二つ目のパイも同様に作り上げて、180℃/40分のオーブンで焼く。40分ではまだ色が充分でないので、5分追加。

少し、さめたところで隣りへ持って行く。パイの焼ける匂いがするのかな?F子さんがニコニコして受け取った。

その後、具がたっぷりの豚汁を作った。姉はずーっと二階から降りて来ない。風邪を引いているから仕方が無いけれど……
遅い夕ご飯?を済ませて、アップルパイを食べた。美味しい!の一言!
特にアップルの部分が最高!

やっと、パソコンを開いた時は、もう眠くてたまらなかった。
駄目だ!もう無理!






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