1月31日(木)
とうとう、今年も一ヶ月が過ぎる。
珍しく、暖かな日になった。絶好の外出日だ。
Iさんとの約束の時刻は午後一時。買い物をして、待ち合わせ場所へ行くと、もう見えていた。
駅ビルにある蕎麦店で食事をする。美味しかった。
懐かしい思い出話も出て来て、これが一年以上もあわなかった筈なのにと思う程、話が弾む。矢張り,良い時代を過ごして来たのだなぁと懐かしく思う。
郵便受けを見たら、O氏からの封書が届いていた。
つい、この前の日曜日に開かれた新年会参加者の名簿が入っていた。私が何時も、欠席をしているので、親切に知らせて下さったものだ。本当に親切な方だ。
顔見知りの人が多い。それに、懐かしい先輩の方のお名前も発見した。これならお会いしたかった方もおられたのにと、自分の怠けぶりが、少しばかり気になる。
在職時代から、何時も眼にかけて下さったI氏が、昨年12月に亡くなったと言う知らせに驚く。常に、優しく、細やかな心遣いをして下さった方で、度々、お便りを下さっていた。大事な先輩だったI氏の穏やかな笑顔が忘れられない。
ご冥福を御祈りする。
ここのところ、知人と言い、世の中の著名人と言い、亡くなられる方が多い。それだけ、私達の世代が少なくなりつつあるのだなと痛感する。
兎に角、昨年末迄の年賀状辞退の葉書が例年より多かった。
私は、年が明けてから年賀状を送る事にしていた。
やっと、三日迄に年賀状を書き上げてホッとしていたら、4日の夜、突然、横浜の姪から電話があった。
私の二番目の兄(姪の父親)が亡くなったと言う。突然死だった。
兄は、間もなく90歳になるところだった。本人は、日頃から至って元気だったから、自分が死ぬ等とは思わなかったに違いない。
それからが大変だった。葬儀に関する打ち合わせから始まって、通夜、葬儀と翌日から三日間、目まぐるしく行われた。
不案内な横浜の地下鉄に乗って通い続けたのだから、足腰の具合が良くない私は、自分が死んでしまいそうな思いがした。
松の内の葬儀と言うのは大変だ。母の時は、年末で、葬儀場へ滑り込みで済ませたが、今回は、年始早々で日を争う様なスケジュールだった。
どちらにしても、残った家族や親戚は大変だ。兎に角、くたびれたの一言に尽きる。まだ、これからの行事もあるから、横浜へは、まだ行かなければならない。
残された義姉は大変だと思う。
只、一つ、葬儀の際、幼かった頃の男の子達(姪の子供3人)が立派な男性になっているのを見ると頼もしく感じたのが収穫だった。
忙しい1月だった。
* 我が家の夏みかんです。随分、実りましたが、まだ、味見はしていません。
とうとう、今年も一ヶ月が過ぎる。
珍しく、暖かな日になった。絶好の外出日だ。
Iさんとの約束の時刻は午後一時。買い物をして、待ち合わせ場所へ行くと、もう見えていた。
駅ビルにある蕎麦店で食事をする。美味しかった。
懐かしい思い出話も出て来て、これが一年以上もあわなかった筈なのにと思う程、話が弾む。矢張り,良い時代を過ごして来たのだなぁと懐かしく思う。
郵便受けを見たら、O氏からの封書が届いていた。
つい、この前の日曜日に開かれた新年会参加者の名簿が入っていた。私が何時も、欠席をしているので、親切に知らせて下さったものだ。本当に親切な方だ。
顔見知りの人が多い。それに、懐かしい先輩の方のお名前も発見した。これならお会いしたかった方もおられたのにと、自分の怠けぶりが、少しばかり気になる。
在職時代から、何時も眼にかけて下さったI氏が、昨年12月に亡くなったと言う知らせに驚く。常に、優しく、細やかな心遣いをして下さった方で、度々、お便りを下さっていた。大事な先輩だったI氏の穏やかな笑顔が忘れられない。
ご冥福を御祈りする。
ここのところ、知人と言い、世の中の著名人と言い、亡くなられる方が多い。それだけ、私達の世代が少なくなりつつあるのだなと痛感する。
兎に角、昨年末迄の年賀状辞退の葉書が例年より多かった。
私は、年が明けてから年賀状を送る事にしていた。
やっと、三日迄に年賀状を書き上げてホッとしていたら、4日の夜、突然、横浜の姪から電話があった。
私の二番目の兄(姪の父親)が亡くなったと言う。突然死だった。
兄は、間もなく90歳になるところだった。本人は、日頃から至って元気だったから、自分が死ぬ等とは思わなかったに違いない。
それからが大変だった。葬儀に関する打ち合わせから始まって、通夜、葬儀と翌日から三日間、目まぐるしく行われた。
不案内な横浜の地下鉄に乗って通い続けたのだから、足腰の具合が良くない私は、自分が死んでしまいそうな思いがした。
松の内の葬儀と言うのは大変だ。母の時は、年末で、葬儀場へ滑り込みで済ませたが、今回は、年始早々で日を争う様なスケジュールだった。
どちらにしても、残った家族や親戚は大変だ。兎に角、くたびれたの一言に尽きる。まだ、これからの行事もあるから、横浜へは、まだ行かなければならない。
残された義姉は大変だと思う。
只、一つ、葬儀の際、幼かった頃の男の子達(姪の子供3人)が立派な男性になっているのを見ると頼もしく感じたのが収穫だった。
忙しい1月だった。
* 我が家の夏みかんです。随分、実りましたが、まだ、味見はしていません。